ロンダ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ひまわり畑やフラメンコなどスペインの魅力が凝縮されたアンダルシア地方に、ロンダという神秘的な古都があることをご存知でしょうか?そこは、標高740mの断崖絶壁の上に建てられた、まるで「天空に浮かぶ要塞」と思しき町です。アンダルシアの秘境とも称される威容が旅心を誘います。<br />ロンダは、アンダルシア州マラガ県にあり、詩人リルケが「夢の町を至るところに探し求め、ついにロンダにこれを見いだした」と絶賛した町です。地中海沿岸から幾つかの山を越えたロンダ山脈の谷間に佇み、グアダレヴィン川が長い歳月を費やして浸食して形成した深いエル・タホ峡谷を俯瞰する海抜740mの三角形をした台地の断崖の上に築かれた「空中都市」です。谷深く抉る渓流で分断された2つの岩盤の上には夫々旧市街と新市街が開け、それらの間に町のランドマークとなる壮観なヌエボ橋が架けられています。歴史に翻弄され、統治者が変わり続けた町ですが、今も尽きないロマンを感じさせます。<br />遥か古代から現代へ連綿と受け継がれてきた生きとし生けるものたちの悠久の奇跡の上に、寡黙にそして深く根を下したのがロンダの町なのかもしれません。<br />ロンダのシティーマップです。<br />http://turismoderonda.es/images/www/dynamic/pdf/2015/Plano%20Ronda%20Turismo%20Andaluz-EN.pdf<br /><日程><br />1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)<br />    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)<br />    宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)<br />            ==ランチ:Marina Bay by Moncho&#39;s==カタルーニャ広場<br />            15:00?フリータイム<br />    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==<br />            カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル) <br />    ==カタルーニャ音楽堂<br />            宿泊:4 Barcelona(二連泊)<br />3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--<br />    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)<br />            ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)<br />    バレンシア宿泊:Mas Camarena<br />4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)<br />            ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿<br />            --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos<br />           (洞窟フラメンコ)<br />            --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)<br />5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)<br />            フリー散策<br />            宿泊:Parador de Ronda<br />6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==<br />            コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅<br />    AVE:コルドバ→マドリード<br />    夕食:China City<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター<br />    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio<br />    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==<br />            ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、<br />    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮<br />    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)<br />    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)<br />8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)<br />    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)<br />9日目:関空着(7:20)

ときめきのスペイン周遊⑫ロンダ(前編)

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2016/09/02 - 2016/09/10

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

ひまわり畑やフラメンコなどスペインの魅力が凝縮されたアンダルシア地方に、ロンダという神秘的な古都があることをご存知でしょうか?そこは、標高740mの断崖絶壁の上に建てられた、まるで「天空に浮かぶ要塞」と思しき町です。アンダルシアの秘境とも称される威容が旅心を誘います。
ロンダは、アンダルシア州マラガ県にあり、詩人リルケが「夢の町を至るところに探し求め、ついにロンダにこれを見いだした」と絶賛した町です。地中海沿岸から幾つかの山を越えたロンダ山脈の谷間に佇み、グアダレヴィン川が長い歳月を費やして浸食して形成した深いエル・タホ峡谷を俯瞰する海抜740mの三角形をした台地の断崖の上に築かれた「空中都市」です。谷深く抉る渓流で分断された2つの岩盤の上には夫々旧市街と新市街が開け、それらの間に町のランドマークとなる壮観なヌエボ橋が架けられています。歴史に翻弄され、統治者が変わり続けた町ですが、今も尽きないロマンを感じさせます。
遥か古代から現代へ連綿と受け継がれてきた生きとし生けるものたちの悠久の奇跡の上に、寡黙にそして深く根を下したのがロンダの町なのかもしれません。
ロンダのシティーマップです。
http://turismoderonda.es/images/www/dynamic/pdf/2015/Plano%20Ronda%20Turismo%20Andaluz-EN.pdf
<日程>
1日目:関空→フランクフルト(LH0741 10:05発)
    フランクフルト→バルセロナ(LH1136 17:30発)
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
2日目:グエル公園==サグラダ・ファミリア==カサ・ミラ/カサ・バトリョ(車窓)
    ==ランチ:Marina Bay by Moncho's==カタルーニャ広場
    15:00?フリータイム
    カタルーニャ広場==サン・パウ病院==サグラダ・ファミリア==
    カサ・ミラ--カサ・バトリョ--夕食:Cervecer?・a Catalana(バル)
    ==カタルーニャ音楽堂
    宿泊:4 Barcelona(二連泊)
3日目:コロニア・グエル地下礼拝堂==モンセラット観光--
    ランチ:Restaurant Montserrat==ラス・ファレラス(水道橋)
    ==タラゴナ観光(円形競技場、地中海のバルコニー)
    バレンシア宿泊:Mas Camarena
4日目:ランチ:Mamzanil(Murcia)
    ==(午後4:00到着)ヘネラリーフェ宮殿
    --アルハンブラ宮殿==ホテル Vincci Granada==Los Tarantos
    (洞窟フラメンコ)
     --サン・ニコラス展望台(アルハンブラ宮殿の夜景観賞)
5日目:ミハス散策--ランチ:Vinoteca==ロンダ(午後4:00到着)
    フリー散策
    宿泊:Parador de Ronda
6日目:セビリア観光(スペイン広場--セビリア大聖堂)==
    コルドバ観光(メスキータ--花の小径)-==コルドバ駅
    AVE:コルドバ→マドリード
    夕食:China City
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
7日目:マドリード観光(スペイン広場<下車観光>==ソフィア王妃芸術センター
    ==プラド美術館--免税店ショッピング==ランチ:Dudua Palacio
    ==トレド観光(サント・トメ教会、トレド大聖堂<外観>)==
    ホテル--フリータイム(プエルタ・デル・ソル、マヨール広場、
    サンミゲル市場、ビリャ広場、アルムデナ大聖堂、マドリード王宮
    オリエンテ広場 、エル・コルテ・イングレス<グラン・ビア>)
    宿泊:Rafael Hoteles Atocha(二連泊)
8日目:マドリード→フランクフルト(LH1123 8:35発)
    フランクフルト→関空(LH0740 13:35発)
9日目:関空着(7:20)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
日本旅行
  • ロンダ山脈<br />ロンダへ向かう道は、日本で言う山間部の「山並みハイウェイ」のような景観が愉しめます。<br />バスはスリリングな急ターンを幾度も繰り返しながらロンダ山脈の奥深くへと登って行きます。切り立った赤土の断崖や鬱蒼と茂るモスグリーンの木々、峠付近の殺伐とした岩山などシエラ・デ・ラス・ニエベス特有の大自然がパノラマのように車窓に広がり、飽きることがありません。<br />

    ロンダ山脈
    ロンダへ向かう道は、日本で言う山間部の「山並みハイウェイ」のような景観が愉しめます。
    バスはスリリングな急ターンを幾度も繰り返しながらロンダ山脈の奥深くへと登って行きます。切り立った赤土の断崖や鬱蒼と茂るモスグリーンの木々、峠付近の殺伐とした岩山などシエラ・デ・ラス・ニエベス特有の大自然がパノラマのように車窓に広がり、飽きることがありません。

  • ロンダ<br />前方にロンダの町が開けてきました。<br />このツアーを選んだ理由のひとつが、ロンダに宿泊できることです。ロンダの町は奥が深く、数時間の滞在では上面だけの観光になってしまうからです。じっくり腰を落ち着けて廻らないとロンダの本質に迫ることはできません。ライトアップされた夜景も見逃せません。<br />そしてもう一つが、憧れのパラドールに宿泊できることです。ほんのちょっぴりですが、スペインならではのゴージャスな気分に浸ることができます。

    ロンダ
    前方にロンダの町が開けてきました。
    このツアーを選んだ理由のひとつが、ロンダに宿泊できることです。ロンダの町は奥が深く、数時間の滞在では上面だけの観光になってしまうからです。じっくり腰を落ち着けて廻らないとロンダの本質に迫ることはできません。ライトアップされた夜景も見逃せません。
    そしてもう一つが、憧れのパラドールに宿泊できることです。ほんのちょっぴりですが、スペインならではのゴージャスな気分に浸ることができます。

  • パラドール・デ・ロンダ(Parador de Ronda)<br />1761年に建造された旧市会会館(市庁舎)を改装したパラドールです。エル・タホ峡谷に架けられたロンダのシンボル「ヌエボ橋」のたもと、100mを越す断崖絶壁の上に建つ、とてもインパクトのあるホテルです。館内からは渓谷の美しい眺めや市街の家並みが望める一等地に建つ、1994年にオープンした4つ星ホテルです。<br />パラドールとは国営ホテルを指します。スペイン国内に90ヶ所程ある歴史的建造物をホテルに改装したもので、大変格式の高いホテルとされています。イタリアなら間違いなく5つ星です。<br />パラドールの起源は、ベガ・インクラン伯爵が現ファン・カルロス国王の祖父に当たるアルフォンソ13世に提唱して自分の所有するグレードスの山荘を改装し、1928年にパラドールとして公開したことに始まります。その後、荒れ果てた歴史的建造物である古城や宮殿、修道院といった文化財を国家で買い受け、あるいは借り受けて修復を施し、ホテルとして甦らせています。

    パラドール・デ・ロンダ(Parador de Ronda)
    1761年に建造された旧市会会館(市庁舎)を改装したパラドールです。エル・タホ峡谷に架けられたロンダのシンボル「ヌエボ橋」のたもと、100mを越す断崖絶壁の上に建つ、とてもインパクトのあるホテルです。館内からは渓谷の美しい眺めや市街の家並みが望める一等地に建つ、1994年にオープンした4つ星ホテルです。
    パラドールとは国営ホテルを指します。スペイン国内に90ヶ所程ある歴史的建造物をホテルに改装したもので、大変格式の高いホテルとされています。イタリアなら間違いなく5つ星です。
    パラドールの起源は、ベガ・インクラン伯爵が現ファン・カルロス国王の祖父に当たるアルフォンソ13世に提唱して自分の所有するグレードスの山荘を改装し、1928年にパラドールとして公開したことに始まります。その後、荒れ果てた歴史的建造物である古城や宮殿、修道院といった文化財を国家で買い受け、あるいは借り受けて修復を施し、ホテルとして甦らせています。

  • パラドール・デ・ロンダ<br />かつては旧市庁舎だったのですが、古色蒼然とした外観とは対照的にエントランス部分を鏡張りに改装し、極めてアーティスティックな建物になっています。また、ロンダの旧市街と新市街を繋ぐヌエボ橋の近くに建てられていることから、ロンダの街歩きにも至便な場所にあります。<br />

    パラドール・デ・ロンダ
    かつては旧市庁舎だったのですが、古色蒼然とした外観とは対照的にエントランス部分を鏡張りに改装し、極めてアーティスティックな建物になっています。また、ロンダの旧市街と新市街を繋ぐヌエボ橋の近くに建てられていることから、ロンダの街歩きにも至便な場所にあります。

  • パラドール・デ・ロンダ<br />ここはホテルからの見晴らしが売りで、数あるパラドールの中でもグラナダやトレドと並ぶ人気のホテルのため予約を取るのが大変だそうです。部屋からの眺望は場所によって様々ですが、ロンダの絶景を味わえる一等地に建てられていることからも頷けます。<br />パラドール裏手の崖際からの眺めも絶景で、ロンダっ子の郷愁を誘う場所として有名です。ロンダでの滞在時間が短い場合は、ホテルの脇にあるテラスからの景観も外せません。

    パラドール・デ・ロンダ
    ここはホテルからの見晴らしが売りで、数あるパラドールの中でもグラナダやトレドと並ぶ人気のホテルのため予約を取るのが大変だそうです。部屋からの眺望は場所によって様々ですが、ロンダの絶景を味わえる一等地に建てられていることからも頷けます。
    パラドール裏手の崖際からの眺めも絶景で、ロンダっ子の郷愁を誘う場所として有名です。ロンダでの滞在時間が短い場合は、ホテルの脇にあるテラスからの景観も外せません。

  • パラドール・デ・ロンダ<br />2012年にオンエアされた長瀬智也さん(TOKIO)の発泡酒のCMは、ホテルの庭で撮影されました。崖の上にあるプールサイドで、巨大なエビフライにかぶりつく『崖の上篇』です。<br />余談ですが、ツアー最高齢(80歳)の方は、このプールで泳がれたそうです。深い所は、水深1.9mもあったそうです。わざわざ水着まで携行されてきたとは恐れ入ります。また、彼女のスペイン旅行の目的も素敵です。現在スペイン語を習われているそうで、その実力を試すために企画されたそうです。発泡酒のCMについてはご存じなかったようですので、単なるミーハー的なアクションではなかったようです。

    パラドール・デ・ロンダ
    2012年にオンエアされた長瀬智也さん(TOKIO)の発泡酒のCMは、ホテルの庭で撮影されました。崖の上にあるプールサイドで、巨大なエビフライにかぶりつく『崖の上篇』です。
    余談ですが、ツアー最高齢(80歳)の方は、このプールで泳がれたそうです。深い所は、水深1.9mもあったそうです。わざわざ水着まで携行されてきたとは恐れ入ります。また、彼女のスペイン旅行の目的も素敵です。現在スペイン語を習われているそうで、その実力を試すために企画されたそうです。発泡酒のCMについてはご存じなかったようですので、単なるミーハー的なアクションではなかったようです。

  • パラドール・デ・ロンダ<br />ロビーに掛けられている雰囲気のある闘牛士の絵です。<br /><br />16時頃、ホテルに到着し、その後は夕食まで自由散策になります。<br />添乗員さんはヌエボ橋を下から見上げることのできる絶景ポイントへ希望者を案内されるようですが、ドン・ボスコの家の閉まる時間が迫っているため別行動にします。 <br />荷物が部屋に運ばれるのを待ってから市内散策に出発です。<br />パラドールの難点は、添乗員さん曰く、「夕食が20:30から、朝食が8:00から」と融通が利かない点だそうです。散策後、夕食前にお風呂にゆっくり浸かることができ、疲れをとることができたので良かったです。

    パラドール・デ・ロンダ
    ロビーに掛けられている雰囲気のある闘牛士の絵です。

    16時頃、ホテルに到着し、その後は夕食まで自由散策になります。
    添乗員さんはヌエボ橋を下から見上げることのできる絶景ポイントへ希望者を案内されるようですが、ドン・ボスコの家の閉まる時間が迫っているため別行動にします。
    荷物が部屋に運ばれるのを待ってから市内散策に出発です。
    パラドールの難点は、添乗員さん曰く、「夕食が20:30から、朝食が8:00から」と融通が利かない点だそうです。散策後、夕食前にお風呂にゆっくり浸かることができ、疲れをとることができたので良かったです。

  • ヌエボ橋<br />ホテルを出てすぐ右側にあるのがヌエボ橋です。<br />新しい(ヌエボ)橋と言いますが、完成したのは1793年です。時代的にはさほど新しいものではありませんが、それ以前にイスラム支配の時代に造られたビエホ橋(旧橋)と比べると「新しい橋」になるようです。<br />実は現在の橋は2代目になります。初代は1735年に僅か8ヶ月の工期で建造されたのですが、その半年後に倒壊しています。原因は、工期が短かったため、手抜き工事だったとされています。2代目は、その反動もあり、じっくりと42年の歳月をかけて堅牢に造り直され、こうして現在も現役で利用されています。<br />橋の先に見えるアルミニャン通りの入口にあるクリーム色の建物は、コングレソス宮殿 (旧サント・ドミンゴ修道院)です。カトリック両王によって建てられ、かつては異端審判の裁判所が設けられ、魔女裁判が行なわれていたそうです。

    ヌエボ橋
    ホテルを出てすぐ右側にあるのがヌエボ橋です。
    新しい(ヌエボ)橋と言いますが、完成したのは1793年です。時代的にはさほど新しいものではありませんが、それ以前にイスラム支配の時代に造られたビエホ橋(旧橋)と比べると「新しい橋」になるようです。
    実は現在の橋は2代目になります。初代は1735年に僅か8ヶ月の工期で建造されたのですが、その半年後に倒壊しています。原因は、工期が短かったため、手抜き工事だったとされています。2代目は、その反動もあり、じっくりと42年の歳月をかけて堅牢に造り直され、こうして現在も現役で利用されています。
    橋の先に見えるアルミニャン通りの入口にあるクリーム色の建物は、コングレソス宮殿 (旧サント・ドミンゴ修道院)です。カトリック両王によって建てられ、かつては異端審判の裁判所が設けられ、魔女裁判が行なわれていたそうです。

  • ヌエボ橋<br />ここからの眺めで圧巻なのが、橋の両側に広がる断崖絶壁です。新・旧市街共に切り立った崖の上にちょこんと町が載せられているように感じられます。<br />まさしく難攻不落の天然の要塞と言え、レコンキスタでキリスト教徒がこの土地に攻め込んだ際、攻略に難儀したと伝えられています。アラゴン王フェルナンド2世が率いるキリスト教徒の総勢3万8千人の軍が街を取り囲み、大砲による攻撃と給水場の破壊や火攻め、水攻めを敢行しても陥落までに7日間を要したのも頷けます。<br />

    ヌエボ橋
    ここからの眺めで圧巻なのが、橋の両側に広がる断崖絶壁です。新・旧市街共に切り立った崖の上にちょこんと町が載せられているように感じられます。
    まさしく難攻不落の天然の要塞と言え、レコンキスタでキリスト教徒がこの土地に攻め込んだ際、攻略に難儀したと伝えられています。アラゴン王フェルナンド2世が率いるキリスト教徒の総勢3万8千人の軍が街を取り囲み、大砲による攻撃と給水場の破壊や火攻め、水攻めを敢行しても陥落までに7日間を要したのも頷けます。

  • ヌエボ橋<br />ロンダの街は深いエル・タホ渓谷によって新市街と旧市街に隔てられ、その間を繋ぐ石造のヌエボ橋が交通の大動脈です。峻立する岩肌に嵌め込まれたような巨大建造物「ヌエボ橋」は、神秘的な美しさを放ち、人知を超えた偉容な姿を顕にして見る人に迫ってきます。まさに大自然の中に忽然と現れた天空の要塞に相応しい風貌と言え、その神々しさは訪れる人を魅了してやみません。また、深い渓谷美に自然の力の脅威を実感すると共に、この高台の町を取り囲むアンダルシア平原の雄大さにも魅了させられます。<br />橋桁の高さは100m程、全長200mあり、鉄製の欄干が付けられた展望台からは見渡す限り広がるアンダルシア平原の絶景が堪能できます。また、直下の渓谷を覗き込むと吸い込まれそうな気分になり、高所恐怖症の人でなくても足がすくみます。<br />中央アーチの下方には扉が付けられた部屋のようなものがあり、テラスの柵のようなものも見られますが、かつては牢獄として使われたそうです。現在は小さな博物館になっています。

    ヌエボ橋
    ロンダの街は深いエル・タホ渓谷によって新市街と旧市街に隔てられ、その間を繋ぐ石造のヌエボ橋が交通の大動脈です。峻立する岩肌に嵌め込まれたような巨大建造物「ヌエボ橋」は、神秘的な美しさを放ち、人知を超えた偉容な姿を顕にして見る人に迫ってきます。まさに大自然の中に忽然と現れた天空の要塞に相応しい風貌と言え、その神々しさは訪れる人を魅了してやみません。また、深い渓谷美に自然の力の脅威を実感すると共に、この高台の町を取り囲むアンダルシア平原の雄大さにも魅了させられます。
    橋桁の高さは100m程、全長200mあり、鉄製の欄干が付けられた展望台からは見渡す限り広がるアンダルシア平原の絶景が堪能できます。また、直下の渓谷を覗き込むと吸い込まれそうな気分になり、高所恐怖症の人でなくても足がすくみます。
    中央アーチの下方には扉が付けられた部屋のようなものがあり、テラスの柵のようなものも見られますが、かつては牢獄として使われたそうです。現在は小さな博物館になっています。

  • ヌエボ橋<br />ヌエボ橋の西側は、渓谷が忽然と消滅したような切り立った高い崖状を呈しています。その断崖絶壁の上に、右手にはパラドール、左手には旧市街の建物が軒を連ねているのは壮観です。<br />標高の高いロンダからは、アンダルシアの荒涼とした山々と平原の景色を一望できます。20世紀前半まで山賊文化が栄えていたというのも真実味を帯びてきます。市内には「山賊博物館」というレアな博物館まであるほどです。

    ヌエボ橋
    ヌエボ橋の西側は、渓谷が忽然と消滅したような切り立った高い崖状を呈しています。その断崖絶壁の上に、右手にはパラドール、左手には旧市街の建物が軒を連ねているのは壮観です。
    標高の高いロンダからは、アンダルシアの荒涼とした山々と平原の景色を一望できます。20世紀前半まで山賊文化が栄えていたというのも真実味を帯びてきます。市内には「山賊博物館」というレアな博物館まであるほどです。

  • ヌエボ橋<br />ヌエボ橋から上流(東)側を見渡した景色です。<br />谷底をよく見ると右側の崖の下には、水路らしきものが張り巡らされています。グアダレヴィン川は、アラブ語で「ミルクの川」を意味しますから、古来より恵みの多い川だったのでしょう。<br />昔はこのグアダレヴィン川の水を汲んで生活用水にしていたため、お屋敷専用の井戸が見えます。この崖の右上には3軒ほどお金持ちの家があったそうです。そのお屋敷はこの断崖の上にあり、今や廃墟になていますがホテルに立て替える予定だそうです。

    ヌエボ橋
    ヌエボ橋から上流(東)側を見渡した景色です。
    谷底をよく見ると右側の崖の下には、水路らしきものが張り巡らされています。グアダレヴィン川は、アラブ語で「ミルクの川」を意味しますから、古来より恵みの多い川だったのでしょう。
    昔はこのグアダレヴィン川の水を汲んで生活用水にしていたため、お屋敷専用の井戸が見えます。この崖の右上には3軒ほどお金持ちの家があったそうです。そのお屋敷はこの断崖の上にあり、今や廃墟になていますがホテルに立て替える予定だそうです。

  • ヌエボ橋<br />よく標高差100mもあるこんな深い渓谷に、吊り橋でなく石橋を架けようと思い立ったものです。ローマ帝国時代から受け継いだ水道橋のDNAのなせる業としか言いようがありません。<br />難工事に果敢にチャレンジした古の技術者たちの志とそれを穿つ苦難の連続を思うと、魂を揺さぶられる思いがしてきます。

    ヌエボ橋
    よく標高差100mもあるこんな深い渓谷に、吊り橋でなく石橋を架けようと思い立ったものです。ローマ帝国時代から受け継いだ水道橋のDNAのなせる業としか言いようがありません。
    難工事に果敢にチャレンジした古の技術者たちの志とそれを穿つ苦難の連続を思うと、魂を揺さぶられる思いがしてきます。

  • ヌエボ橋<br />右側にはパラドール。<br />こうして見ると、パラドールが新市街地の断崖絶壁の上にちょこんと載せられているのがよく判ります。<br />

    ヌエボ橋
    右側にはパラドール。
    こうして見ると、パラドールが新市街地の断崖絶壁の上にちょこんと載せられているのがよく判ります。

  • ヌエボ橋<br />もしもパラドールが高層ホテルだったら、宿泊するのが怖かったかもしれません。今の状態がベストマッチで、バスンスよく安定しているように見えます。

    ヌエボ橋
    もしもパラドールが高層ホテルだったら、宿泊するのが怖かったかもしれません。今の状態がベストマッチで、バスンスよく安定しているように見えます。

  • ミラドール(展望台)<br />旧市街に渡って直ぐ左手にあるにあるミラドールから見たヌエボ橋の威容です。ここからは斜めになりますが橋の全景を見ることができます。この映画のワンシーンを彷彿とさせるダイナミックな景観は、一目見た者の記憶に強く残ります。実際にヘミングウェイなど多くの著名人がこうした景観にインスピレーションを受け、足しげく通ったそうです。<br />近年では、邦画『アンダルシア 女神の報復』のロケ地としても話題を呼びました。

    ミラドール(展望台)
    旧市街に渡って直ぐ左手にあるにあるミラドールから見たヌエボ橋の威容です。ここからは斜めになりますが橋の全景を見ることができます。この映画のワンシーンを彷彿とさせるダイナミックな景観は、一目見た者の記憶に強く残ります。実際にヘミングウェイなど多くの著名人がこうした景観にインスピレーションを受け、足しげく通ったそうです。
    近年では、邦画『アンダルシア 女神の報復』のロケ地としても話題を呼びました。

  • ミラドール(展望台)<br />東側は、グアダレヴィン川が蛇行しながら風光明媚な深い渓谷美で魅了します。「ビエホ(旧)橋」が蛇行した渓谷の遥か上流に架けられているのが見られます。またその先には、平原やオリーブ畑が折り重なり、その遥か彼方にはロンダ山脈が望めます。<br /><br />

    ミラドール(展望台)
    東側は、グアダレヴィン川が蛇行しながら風光明媚な深い渓谷美で魅了します。「ビエホ(旧)橋」が蛇行した渓谷の遥か上流に架けられているのが見られます。またその先には、平原やオリーブ畑が折り重なり、その遥か彼方にはロンダ山脈が望めます。

  • ミラドール(展望台)<br />新市街に広がる白い建物群です。

    ミラドール(展望台)
    新市街に広がる白い建物群です。

  • ロンダの鳥瞰図(アスレホ)<br />アルミニャン通りを少し下り始めたら、コングレソス宮殿のベージュ色の壁面に注目してください。そこにある看板「VIAJEROS ROMANTICOS」の下には、カラータイルで作られた美しいアスレホがあります。

    ロンダの鳥瞰図(アスレホ)
    アルミニャン通りを少し下り始めたら、コングレソス宮殿のベージュ色の壁面に注目してください。そこにある看板「VIAJEROS ROMANTICOS」の下には、カラータイルで作られた美しいアスレホがあります。

  • ロンダの鳥瞰図<br />ロンダの切り立った渓谷とヌエボ橋、旧市街を中心に闘牛場など新市街の一部、また平原や農地、ロンダ山脈が素朴なタッチで描いたものです。とてもイメージし易いアンダルシアの原風景です。この絵では右手にある旧市街が大きく描かれていますが、実際は新市街の広さは旧市街の3倍程あるのですが…。<br />

    ロンダの鳥瞰図
    ロンダの切り立った渓谷とヌエボ橋、旧市街を中心に闘牛場など新市街の一部、また平原や農地、ロンダ山脈が素朴なタッチで描いたものです。とてもイメージし易いアンダルシアの原風景です。この絵では右手にある旧市街が大きく描かれていますが、実際は新市街の広さは旧市街の3倍程あるのですが…。

  • アルミニャン通り<br />目抜き通りなのですが、まだ日が高いため観光客の姿も疎らです。シエスタの時間もそろそろ終わりなのですが…。<br />この地方は7~9月にかけては雨がほとんど降らないそうで、普通の人なら勤労意欲が萎えてしまいそうな気候と言えます。その昔、7つの海を制覇したスペイン王国が凋落していった理由は、実はこんな所にあったのかもしれません。

    アルミニャン通り
    目抜き通りなのですが、まだ日が高いため観光客の姿も疎らです。シエスタの時間もそろそろ終わりなのですが…。
    この地方は7~9月にかけては雨がほとんど降らないそうで、普通の人なら勤労意欲が萎えてしまいそうな気候と言えます。その昔、7つの海を制覇したスペイン王国が凋落していった理由は、実はこんな所にあったのかもしれません。

  • Restaurante Casa Santa Pola<br />旧市街の街並みを撮影した風景ですが、「デジャヴ」と言うか、何となく見覚えがある風景です。実はこの場所が、FIGARO VOYAGE『アンダルシアとトスカーナへ』の表紙を飾った場所でした。道の正面に見える塔がムーア人の王の家の「ミナの塔」です<br /><br />FIGARO VOYAGE『アンダルシアとトスカーナへ』の表紙です。<br />http://madamefigaro.jp/freecreate/voyage_2009_12.jpg

    Restaurante Casa Santa Pola
    旧市街の街並みを撮影した風景ですが、「デジャヴ」と言うか、何となく見覚えがある風景です。実はこの場所が、FIGARO VOYAGE『アンダルシアとトスカーナへ』の表紙を飾った場所でした。道の正面に見える塔がムーア人の王の家の「ミナの塔」です

    FIGARO VOYAGE『アンダルシアとトスカーナへ』の表紙です。
    http://madamefigaro.jp/freecreate/voyage_2009_12.jpg

  • テノリオ通り<br />窓の柵に、このように枯れたシュロの葉が飾ってあるのをよく見かけます。このシュロの葉は、棕櫚の祝日(聖枝祭)というキリスト教の祝日の時に作られた飾りだそうです。祝日が終わると、このようにバルコニーに飾っておくそうです。<br />

    テノリオ通り
    窓の柵に、このように枯れたシュロの葉が飾ってあるのをよく見かけます。このシュロの葉は、棕櫚の祝日(聖枝祭)というキリスト教の祝日の時に作られた飾りだそうです。祝日が終わると、このようにバルコニーに飾っておくそうです。

  • テノリオ通り<br />張り巡らされた城壁が障害になり旧市街地が拡張できなかったため、新市街地を新たに開拓したことにより、このように旧市街はかつてのイスラム支配時代の町の姿を今に留めているのも魅力です。

    テノリオ通り
    張り巡らされた城壁が障害になり旧市街地が拡張できなかったため、新市街地を新たに開拓したことにより、このように旧市街はかつてのイスラム支配時代の町の姿を今に留めているのも魅力です。

  • ドン・ボスコの家<br />19~20世紀に建てられたドン・ボスコの豪邸でさえも、歴史あるロンダでは比較的新しい部類に入ります。引退した修道士のための保養所としてサレジオ会に譲与されたものを有料開放しています。

    ドン・ボスコの家
    19~20世紀に建てられたドン・ボスコの豪邸でさえも、歴史あるロンダでは比較的新しい部類に入ります。引退した修道士のための保養所としてサレジオ会に譲与されたものを有料開放しています。

  • ドン・ボスコの家<br />イタリア語の「ドン」は「神父」の意味で、正式名は「聖ヨハネ・ボスコ」と言います。イタリアのローマカトリック教会の聖職者であり、教育者かつ作家でした。彼は人生をストリート・チルドレンや非行少年、恵まれない若者の教育に捧げ、罰よりもむしろ愛に基づく教育を実践しました。ですから「青少年の父・カトリック教育の師」と呼ばれ、いわば「マザー・テレサ」のような存在でした。<br />往時、イタリアでは若者が農村を離れ、職を求めて大都会に集まりました。建築現場や工場主は若い労働者を雇い、超低賃金で長時間働かせたこともあり、往時の大都会の平均寿命は僅か19歳だったそうです。これこそ、産業革命がもたらした光と影の影の部分でした。こうした若者たちを救済するために彼は一生を捧げる決意をし、「オラトリオ」という新スタイルの教育事業を始めました。この事業を発展させるため、教育修道会「サレジオ会」を立ち上げ、グローバルな展開を進めました。

    ドン・ボスコの家
    イタリア語の「ドン」は「神父」の意味で、正式名は「聖ヨハネ・ボスコ」と言います。イタリアのローマカトリック教会の聖職者であり、教育者かつ作家でした。彼は人生をストリート・チルドレンや非行少年、恵まれない若者の教育に捧げ、罰よりもむしろ愛に基づく教育を実践しました。ですから「青少年の父・カトリック教育の師」と呼ばれ、いわば「マザー・テレサ」のような存在でした。
    往時、イタリアでは若者が農村を離れ、職を求めて大都会に集まりました。建築現場や工場主は若い労働者を雇い、超低賃金で長時間働かせたこともあり、往時の大都会の平均寿命は僅か19歳だったそうです。これこそ、産業革命がもたらした光と影の影の部分でした。こうした若者たちを救済するために彼は一生を捧げる決意をし、「オラトリオ」という新スタイルの教育事業を始めました。この事業を発展させるため、教育修道会「サレジオ会」を立ち上げ、グローバルな展開を進めました。

  • ドン・ボスコの家<br />入口を入ってすぐのところが吹抜けのパティオになっています。天井からの光彩で明るく、アリカタード(タイル細工)や絵画、観葉植物がとても素敵なスペースです。<br /><br />http://www.turismoderonda.es/images/www/dynamic/pdf/horarios.pdf<br />各施設のオープン時間は、Horarios(時刻表)のPDFファイルをクリックすると確認できます。

    ドン・ボスコの家
    入口を入ってすぐのところが吹抜けのパティオになっています。天井からの光彩で明るく、アリカタード(タイル細工)や絵画、観葉植物がとても素敵なスペースです。

    http://www.turismoderonda.es/images/www/dynamic/pdf/horarios.pdf
    各施設のオープン時間は、Horarios(時刻表)のPDFファイルをクリックすると確認できます。

  • ドン・ボスコの家<br />ボスコ神父はイタリア生まれですが、日本にも係わりがあります。死の3年前に彼は夢を見ました。その中に彼の事業の未来が示され、世界一周をする形で次々と色々な国や民族、町が現れたそうです。その中に「メアコ」という町がありました。これは、「都」のことだそうです。ボスコ著『教会史』には日本のキリシタンについて何頁も裂き、「太閤さま」や「高山右近殿」など、キリシタン迫害の実態が記されています。その中に「メアコ」という言葉が度々出てくるそうです。それはキリシタン時代の「都」を指し、彼は日本のサレジオ会の未来を夢見ていたそうです。<br />こんな豪邸に住むこともなく亡くなったのは、心残りだったかもしれませんね!

    ドン・ボスコの家
    ボスコ神父はイタリア生まれですが、日本にも係わりがあります。死の3年前に彼は夢を見ました。その中に彼の事業の未来が示され、世界一周をする形で次々と色々な国や民族、町が現れたそうです。その中に「メアコ」という町がありました。これは、「都」のことだそうです。ボスコ著『教会史』には日本のキリシタンについて何頁も裂き、「太閤さま」や「高山右近殿」など、キリシタン迫害の実態が記されています。その中に「メアコ」という言葉が度々出てくるそうです。それはキリシタン時代の「都」を指し、彼は日本のサレジオ会の未来を夢見ていたそうです。
    こんな豪邸に住むこともなく亡くなったのは、心残りだったかもしれませんね!

  • ドン・ボスコの家<br />花瓶の中央にある上目遣いのライオンの表情に頬が弛みます。

    ドン・ボスコの家
    花瓶の中央にある上目遣いのライオンの表情に頬が弛みます。

  • ドン・ボスコの家<br />中段に飾られた聖母子のアリカタードです。

    ドン・ボスコの家
    中段に飾られた聖母子のアリカタードです。

  • ドン・ボスコの家<br />複数の紋章をあしらったアリカタードです。

    ドン・ボスコの家
    複数の紋章をあしらったアリカタードです。

  • ドン・ボスコの家<br />目がチカチカしてきそうなほど細かい模様が施された腰壁のアリカタードです。

    ドン・ボスコの家
    目がチカチカしてきそうなほど細かい模様が施された腰壁のアリカタードです。

  • ドン・ボスコの家<br />ベランダから手すりのアリカタードが美しい階段を下り、パティオへ誘われます。

    ドン・ボスコの家
    ベランダから手すりのアリカタードが美しい階段を下り、パティオへ誘われます。

  • ドン・ボスコの家<br />カラフルなタイル装飾や緑豊かな植物と白壁とのコントラストが美しい典型的なロンダ風家屋で、ここのパティオから眺めるヌエボ橋を含めたパノラマ風景も圧巻です。渓谷を見下ろすパティオには色とりどりの花が咲き乱れ、噴水も設けられています。<br />カエルが水を噴出す愉しげな噴水です。また、噴水の周囲のタイル細工もエキゾチックです。<br />

    ドン・ボスコの家
    カラフルなタイル装飾や緑豊かな植物と白壁とのコントラストが美しい典型的なロンダ風家屋で、ここのパティオから眺めるヌエボ橋を含めたパノラマ風景も圧巻です。渓谷を見下ろすパティオには色とりどりの花が咲き乱れ、噴水も設けられています。
    カエルが水を噴出す愉しげな噴水です。また、噴水の周囲のタイル細工もエキゾチックです。

  • ドン・ボスコの家<br />ドリス式オーダーの先にあるタイル画の人物は、この建物の施主ドン・ボスコです。<br />パティオの寛ぎの場でもあったのか、ベンチもアリカタードで飾られています。<br />腰かけてよいのやら悩んでしまうのですが…。

    ドン・ボスコの家
    ドリス式オーダーの先にあるタイル画の人物は、この建物の施主ドン・ボスコです。
    パティオの寛ぎの場でもあったのか、ベンチもアリカタードで飾られています。
    腰かけてよいのやら悩んでしまうのですが…。

  • ドン・ボスコの家<br />ドン・ボスコの家の売りは美しいパティオだけでなく、この眺望も魅力のひとつです。<br />ヌエボ橋の全景とまでは言えませんが、威風堂々たる橋の雄姿を拝むことができます。実はこのドン・ボスコの家の先にある広場から渓谷へ降りられる小径があるのですが、そこまで行く時間がない場合は迷わずここから眺めてみてください。

    ドン・ボスコの家
    ドン・ボスコの家の売りは美しいパティオだけでなく、この眺望も魅力のひとつです。
    ヌエボ橋の全景とまでは言えませんが、威風堂々たる橋の雄姿を拝むことができます。実はこのドン・ボスコの家の先にある広場から渓谷へ降りられる小径があるのですが、そこまで行く時間がない場合は迷わずここから眺めてみてください。

  • ドン・ボスコの家<br />パラドールが猫の額ほどの敷地ギリギリに載せられていることが実感できます。

    ドン・ボスコの家
    パラドールが猫の額ほどの敷地ギリギリに載せられていることが実感できます。

  • ドン・ボスコの家<br />ズームアップするとこんな感じです。東側にある展望台から見たヌエボ橋とはまた違った印象があります。<br />手前の樹木さえなければ、ほぼ全景を捉えることができるのですが…。

    ドン・ボスコの家
    ズームアップするとこんな感じです。東側にある展望台から見たヌエボ橋とはまた違った印象があります。
    手前の樹木さえなければ、ほぼ全景を捉えることができるのですが…。

  • ドン・ボスコの家<br />室内の装飾や調度品もゴージャスです。<br />見所満載で長居してしまいそうです。<br />

    ドン・ボスコの家
    室内の装飾や調度品もゴージャスです。
    見所満載で長居してしまいそうです。

  • ドン・ボスコの家<br />シックにコーディネートされたダイニングルームです。

    ドン・ボスコの家
    シックにコーディネートされたダイニングルームです。

  • ドン・ボスコの家<br />サンルームからも素晴らしい景色が愛でられます。

    ドン・ボスコの家
    サンルームからも素晴らしい景色が愛でられます。

  • ドン・ボスコの家<br />サンルームには、闘牛をモチーフにした版画の原板が飾られています。写真はほんの一部です。<br />ここの閉館は17:00なのですが、少し延長して見学させていただけました。しかし出ようとしたら玄関ドアがロックアウトされており、少し慌てました。

    ドン・ボスコの家
    サンルームには、闘牛をモチーフにした版画の原板が飾られています。写真はほんの一部です。
    ここの閉館は17:00なのですが、少し延長して見学させていただけました。しかし出ようとしたら玄関ドアがロックアウトされており、少し慌てました。

  • テノリオ通り<br />一般民家のようですが、玄関扉の上に施された「太陽と月」の彫刻が往時を偲ばせます。<br />海抜740mの立地は極寒の冬と快適な夏という実質2つの季節を持ち合わせ、特に夏場の乾いた空気は呼吸器を患う者にとって理想的な療養地でもあったそうです。また、この街は長い間南部アンダルシアの首都が置かれていた場所でもあり、宮廷人やブルジョア階級が静寂と清涼を求めて避暑に訪れていたそうです。ですから、公爵家の宮殿や侯爵家の館等が多いのかもしれません。<br />

    テノリオ通り
    一般民家のようですが、玄関扉の上に施された「太陽と月」の彫刻が往時を偲ばせます。
    海抜740mの立地は極寒の冬と快適な夏という実質2つの季節を持ち合わせ、特に夏場の乾いた空気は呼吸器を患う者にとって理想的な療養地でもあったそうです。また、この街は長い間南部アンダルシアの首都が置かれていた場所でもあり、宮廷人やブルジョア階級が静寂と清涼を求めて避暑に訪れていたそうです。ですから、公爵家の宮殿や侯爵家の館等が多いのかもしれません。

  • マリア・アウクシリアドーラ広場(Plaza de Maria Auxiliadora)<br />ドン・ボスコの家の先にある小さな広場からの景色です。建物が邪魔してヌエボ橋を見ることができないようになっています。<br />しかしここで諦めてはいけません。この広場の左端(南側の奥)に渓谷へ降りられる小径がありますので、そこを降りて行きましょう。<br />初めは階段ですが次第に未舗装の小径になりますので、履物にはご注意ください。

    マリア・アウクシリアドーラ広場(Plaza de Maria Auxiliadora)
    ドン・ボスコの家の先にある小さな広場からの景色です。建物が邪魔してヌエボ橋を見ることができないようになっています。
    しかしここで諦めてはいけません。この広場の左端(南側の奥)に渓谷へ降りられる小径がありますので、そこを降りて行きましょう。
    初めは階段ですが次第に未舗装の小径になりますので、履物にはご注意ください。

  • マリア・アウクシリアドーラ広場<br />広場の片隅にある、聖フアン・ボスコ(ドン・ボスコ)のブロンズ像です。

    マリア・アウクシリアドーラ広場
    広場の片隅にある、聖フアン・ボスコ(ドン・ボスコ)のブロンズ像です。

  • ロンダ<br />日陰には、小径の番人なのか「眠り猫」がいます。<br />戻ってきた時も同じ格好でしたので、あまりの暑さで死んでいるのかと思いましたが、夜景を見に来た時には元気に広場を闊歩していたので安心しました。<br />スペインでは、猫にもシエスタの時間帯があることを学びました。お昼寝の邪魔をしてごめんね!

    ロンダ
    日陰には、小径の番人なのか「眠り猫」がいます。
    戻ってきた時も同じ格好でしたので、あまりの暑さで死んでいるのかと思いましたが、夜景を見に来た時には元気に広場を闊歩していたので安心しました。
    スペインでは、猫にもシエスタの時間帯があることを学びました。お昼寝の邪魔をしてごめんね!

  • ロンダ<br />5分程下ると右側へ向かう枝道があるのでそこを躊躇わずに進みます。雨でぬかるんでいる時にはスリップに要注意です。<br />ヌエボ橋は上から下を覗き込むのも迫力があるのですが、時間がある方はぜ渓谷に降り、そこから上を眺めてみてください。巨大な橋で繋げられた大きな岩山の天辺に白い家々が軒を並べる姿は圧巻です。<br />こうやって改めて眺めると「凄い所に橋を架けたもんだなぁ~」と感嘆させられます。

    ロンダ
    5分程下ると右側へ向かう枝道があるのでそこを躊躇わずに進みます。雨でぬかるんでいる時にはスリップに要注意です。
    ヌエボ橋は上から下を覗き込むのも迫力があるのですが、時間がある方はぜ渓谷に降り、そこから上を眺めてみてください。巨大な橋で繋げられた大きな岩山の天辺に白い家々が軒を並べる姿は圧巻です。
    こうやって改めて眺めると「凄い所に橋を架けたもんだなぁ~」と感嘆させられます。

  • ロンダ<br />個人的には、ここから見る荒々しくも勇壮なヌエボ橋の威容がベストショットだと思います。<br />因みに枝道の撮影ポイントの谷側は崖になっていますが、安全柵のようなものは一切ありません。全て自己責任の領域ですので、写真を撮る際や撮ってもらう際にはご注意なさってください。

    ロンダ
    個人的には、ここから見る荒々しくも勇壮なヌエボ橋の威容がベストショットだと思います。
    因みに枝道の撮影ポイントの谷側は崖になっていますが、安全柵のようなものは一切ありません。全て自己責任の領域ですので、写真を撮る際や撮ってもらう際にはご注意なさってください。

  • ロンダ<br />橋のすぐ先に大きな段差があり、グアダレヴィン川はそこから滝のように勢いよく流れ落ちています。自然と人とが協働で造り出した雄大な眺めに改めて圧倒されます。

    ロンダ
    橋のすぐ先に大きな段差があり、グアダレヴィン川はそこから滝のように勢いよく流れ落ちています。自然と人とが協働で造り出した雄大な眺めに改めて圧倒されます。

  • ロンダ<br />イギリスから来たと言う一人旅の大学生に写真撮影を頼まれました。しかし要求が厳しく、彼が思うような写真を撮るのに5枚ほど撮り直しました。橋を真ん中にして欲しいとか、人物をもう少し大きくとか、最後は「Good Job! Thanks so much!」とご満悦のようでしたが…。

    ロンダ
    イギリスから来たと言う一人旅の大学生に写真撮影を頼まれました。しかし要求が厳しく、彼が思うような写真を撮るのに5枚ほど撮り直しました。橋を真ん中にして欲しいとか、人物をもう少し大きくとか、最後は「Good Job! Thanks so much!」とご満悦のようでしたが…。

  • ロンダ<br />アラメダ・タホ公園にある、展望台のあずまやが小さく見えます。

    ロンダ
    アラメダ・タホ公園にある、展望台のあずまやが小さく見えます。

  • モンドラゴン宮殿(市立博物館)<br />再びマリア・アウクシリアドーラ広場まで戻り、道なりにもう少し奥(南側)へ進むと見えてくるのが、ムデハル様式で建設され、ロンダの歴史を偲ばせるモンドラゴン宮殿です。<br />1314年にロンダを支配していたマリーン朝のアボメリック王(トルコ皇帝の息子)のためにムーア人によって建てられました。その後、何世紀にも亘ってイスラム教徒やキリスト教徒の王の邸宅として使用されてきた歴史的建造物です。こうした時代背景により、異種文化が融合した典型的な建築になっています。表は重厚な石の壁ですが、反対側から見ると奇麗な白壁の建物になっており、内部にはイスラム風のアーチ、東洋風の瓦屋根がミックスされた小さな中庭や断崖に面した庭園があります。キリスト軍がロンダを攻め落とすまでは、最後のイスラム総督Hamet el Zegriの住居だったそうです。しかし全く聞いたことのない名前ですが…。<br />2階は市立の歴史考古学博物館になっています。ロンダ近郊の原始時代の遺跡「ピレータの洞窟」やその周辺の谷間で発見された旧石器~新石器時代に亘る世界的な貴重な壁画、土器、石器などが展示されていますが、ネット情報では品数はそれほど多くないようです。

    モンドラゴン宮殿(市立博物館)
    再びマリア・アウクシリアドーラ広場まで戻り、道なりにもう少し奥(南側)へ進むと見えてくるのが、ムデハル様式で建設され、ロンダの歴史を偲ばせるモンドラゴン宮殿です。
    1314年にロンダを支配していたマリーン朝のアボメリック王(トルコ皇帝の息子)のためにムーア人によって建てられました。その後、何世紀にも亘ってイスラム教徒やキリスト教徒の王の邸宅として使用されてきた歴史的建造物です。こうした時代背景により、異種文化が融合した典型的な建築になっています。表は重厚な石の壁ですが、反対側から見ると奇麗な白壁の建物になっており、内部にはイスラム風のアーチ、東洋風の瓦屋根がミックスされた小さな中庭や断崖に面した庭園があります。キリスト軍がロンダを攻め落とすまでは、最後のイスラム総督Hamet el Zegriの住居だったそうです。しかし全く聞いたことのない名前ですが…。
    2階は市立の歴史考古学博物館になっています。ロンダ近郊の原始時代の遺跡「ピレータの洞窟」やその周辺の谷間で発見された旧石器~新石器時代に亘る世界的な貴重な壁画、土器、石器などが展示されていますが、ネット情報では品数はそれほど多くないようです。

  • モンドラゴン宮殿<br />重厚なドア・ノッカーは、粋なドラゴンのデザインです。<br />マリーン朝は、モロッコのフェズに都を築き、13世紀後半~15世紀中頃に至るまで北アフリカを掌握していた王朝です。ロンダは一時期、この王朝が支配していた都でした。そもそもレコンキスタを盾に領土を拡張するキリスト教軍に脅威を感じたナスル朝グラナダ王国のムハンマド2世が、マリーン朝創始者に指揮を仰いだのが発端でした。海を越えてやってきた同胞ムスリムの支援により、ナスル朝グラナダ王国は領上内の軍事上の平静を取り戻したのです。

    モンドラゴン宮殿
    重厚なドア・ノッカーは、粋なドラゴンのデザインです。
    マリーン朝は、モロッコのフェズに都を築き、13世紀後半~15世紀中頃に至るまで北アフリカを掌握していた王朝です。ロンダは一時期、この王朝が支配していた都でした。そもそもレコンキスタを盾に領土を拡張するキリスト教軍に脅威を感じたナスル朝グラナダ王国のムハンマド2世が、マリーン朝創始者に指揮を仰いだのが発端でした。海を越えてやってきた同胞ムスリムの支援により、ナスル朝グラナダ王国は領上内の軍事上の平静を取り戻したのです。

  • マヌエル・モンテロ通り<br />明るい日差しの中で無人の小路を見ると、白日夢の世界に踏み込んだような気分になります。<br />ロンダがのキリスト教徒の軍門に下った後、伝染病が蔓延して一次的にこの街は廃墟と化したそうです。その後、ここに住み着いた人たちは「モリスコ」と呼ばれ、カトリックに改宗したイスラム教徒や盗賊、密輸業が住むアウトローな街となり、その荒々しいイメージで文豪たちの想像力をかきたてたようです。フランスの作家プロスペル・メリメ著『カルメン』の竜騎兵ドン・ホセがイギリスの貴族を殺してカルメンの手引きで逃げ込んだのがこのロンダです。長い歴史の中では、そうしたお尋ね者たちの巣窟だった時期もあったようです。

    マヌエル・モンテロ通り
    明るい日差しの中で無人の小路を見ると、白日夢の世界に踏み込んだような気分になります。
    ロンダがのキリスト教徒の軍門に下った後、伝染病が蔓延して一次的にこの街は廃墟と化したそうです。その後、ここに住み着いた人たちは「モリスコ」と呼ばれ、カトリックに改宗したイスラム教徒や盗賊、密輸業が住むアウトローな街となり、その荒々しいイメージで文豪たちの想像力をかきたてたようです。フランスの作家プロスペル・メリメ著『カルメン』の竜騎兵ドン・ホセがイギリスの貴族を殺してカルメンの手引きで逃げ込んだのがこのロンダです。長い歴史の中では、そうしたお尋ね者たちの巣窟だった時期もあったようです。

  • 聖イザベル修道院<br />ポルトガル王家にはイサベルという同名の人物が多く、13世紀にアラゴン王家からポルトガル王ディニス1世に嫁ぎ、後に聖人イザベルに列せられたのがイサベル・デ・アラゴンです。スペインではイサベルと言いますが、ポルトガル語ではイザベルとなります。聖イザベル王妃としてポルトガルでは知られており、日本では聖エリザベト皇后と表記されます。<br />

    聖イザベル修道院
    ポルトガル王家にはイサベルという同名の人物が多く、13世紀にアラゴン王家からポルトガル王ディニス1世に嫁ぎ、後に聖人イザベルに列せられたのがイサベル・デ・アラゴンです。スペインではイサベルと言いますが、ポルトガル語ではイザベルとなります。聖イザベル王妃としてポルトガルでは知られており、日本では聖エリザベト皇后と表記されます。

  • 聖イザベル修道院<br />イザベルは幼い頃から敬虔なカトリック教徒で、日に2度ミサへ通いました。少女時代から貧者や病人への奉仕を日々の信仰の日課とし、王と結婚後も変わりませんでした。彼女の周りには次第に人々が集まるようになり、人望を集める彼女への嫉妬が生まれました。伝説によると、度々奉仕に出かける妻を浮気と疑った王が、その手に持つのは何かと問い正したところ、イザベルは「籠にはバラが入っています」と答えてパンの入った籠を隠しました。王に籠を見せるように言われて差し出すと、中にはバラの花が入っていたそうです。これは、貞節、そして無実の証として神の手でバラに変えられたと伝えられています。<br />王が死ぬと息子アフォンソが王位に就き、やがてイザベルはクラレス修道院へ引退しました。余生を弱者たちへの奉仕で送ろうとしたのですが、アフォンソ4世が娘マリアが夫アルフォンソ11世により虐待されていると怒って出兵したため、仲裁に入ることになりました。老齢で体力が弱っていたにもかかわらず、2人の王が睨み合うエストレモスに駆けつけて争いを止め和平をもたらしました。しかしこの後に彼女は体調を崩し、熱病で亡くなっています。

    聖イザベル修道院
    イザベルは幼い頃から敬虔なカトリック教徒で、日に2度ミサへ通いました。少女時代から貧者や病人への奉仕を日々の信仰の日課とし、王と結婚後も変わりませんでした。彼女の周りには次第に人々が集まるようになり、人望を集める彼女への嫉妬が生まれました。伝説によると、度々奉仕に出かける妻を浮気と疑った王が、その手に持つのは何かと問い正したところ、イザベルは「籠にはバラが入っています」と答えてパンの入った籠を隠しました。王に籠を見せるように言われて差し出すと、中にはバラの花が入っていたそうです。これは、貞節、そして無実の証として神の手でバラに変えられたと伝えられています。
    王が死ぬと息子アフォンソが王位に就き、やがてイザベルはクラレス修道院へ引退しました。余生を弱者たちへの奉仕で送ろうとしたのですが、アフォンソ4世が娘マリアが夫アルフォンソ11世により虐待されていると怒って出兵したため、仲裁に入ることになりました。老齢で体力が弱っていたにもかかわらず、2人の王が睨み合うエストレモスに駆けつけて争いを止め和平をもたらしました。しかしこの後に彼女は体調を崩し、熱病で亡くなっています。

  • 聖イザベル修道院<br />中央入口の上で見守られているのが、聖イザベルでしょうか?<br />

    聖イザベル修道院
    中央入口の上で見守られているのが、聖イザベルでしょうか?

  • サンタ・マリア・ラ・マヨール教会<br />パルセンツ公爵夫人広場に面して佇む、ロンダの守護聖人を祀る街のシンボルのひとつです。カトリック両王の命を受けて1485年にモスクの跡地に着工され、17世紀に完成した教会です。ムデハル様式と言う残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教徒建築様式が融和したとてもエキゾチックなスタイルの教会です。<br />

    サンタ・マリア・ラ・マヨール教会
    パルセンツ公爵夫人広場に面して佇む、ロンダの守護聖人を祀る街のシンボルのひとつです。カトリック両王の命を受けて1485年にモスクの跡地に着工され、17世紀に完成した教会です。ムデハル様式と言う残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教徒建築様式が融和したとてもエキゾチックなスタイルの教会です。

  • サンタ・マリア・ラ・マヨール教会<br />8角形の塔が特徴です。<br />ルネッサンス期に造られた内陣は、聖母を描いたバロック様式の装飾壁と並んでこの教会の重要な要素となっています。<br />聖母像の作者には諸説あり、一部の研究者が「モンタニェス」作であるとする一方、「ラ・ロルダナ」作とする研究者もいます。シャンデリアやパイプオルガン、壁面の装飾にも注目です。<br />

    サンタ・マリア・ラ・マヨール教会
    8角形の塔が特徴です。
    ルネッサンス期に造られた内陣は、聖母を描いたバロック様式の装飾壁と並んでこの教会の重要な要素となっています。
    聖母像の作者には諸説あり、一部の研究者が「モンタニェス」作であるとする一方、「ラ・ロルダナ」作とする研究者もいます。シャンデリアやパイプオルガン、壁面の装飾にも注目です。

  • サンタ・マリア・ラ・マヨール教会<br />教会正面のアーチ模様はモスク時代の名残を魅せ、鐘楼もモスクのミナレットの面影を色濃く残しています。また、バルコニーが2段になった外観がやさしい印象をもたらしています。<br />1580年に起こった地震により、教会は建物の一部を損壊する甚大な被害を受けましたが、3廊式の外陣部分にはゴシック様式の放射線状の柱が残されています。

    サンタ・マリア・ラ・マヨール教会
    教会正面のアーチ模様はモスク時代の名残を魅せ、鐘楼もモスクのミナレットの面影を色濃く残しています。また、バルコニーが2段になった外観がやさしい印象をもたらしています。
    1580年に起こった地震により、教会は建物の一部を損壊する甚大な被害を受けましたが、3廊式の外陣部分にはゴシック様式の放射線状の柱が残されています。

  • サンタ・マリア・ラ・マヨール教会<br />扉の上部にある聖母子像と聖霊の鳩です。<br />どこかほのぼのとした雰囲気が漂う彫像です。<br />

    サンタ・マリア・ラ・マヨール教会
    扉の上部にある聖母子像と聖霊の鳩です。
    どこかほのぼのとした雰囲気が漂う彫像です。

  • サンタ・マリア・ラ・マヨール教会<br />東側にある重厚な扉です。<br />

    サンタ・マリア・ラ・マヨール教会
    東側にある重厚な扉です。

  • サンタ・マリア・ラ・マヨール教会<br />扉のノッカーが気になったので写してみました。<br />

    サンタ・マリア・ラ・マヨール教会
    扉のノッカーが気になったので写してみました。

  • サンタ・マリア・ラ・マヨール教会<br />扉の両側に配された有翼の天使の彫刻も味わい深いものがあり、つい引き込まれそうになってしまいます。

    サンタ・マリア・ラ・マヨール教会
    扉の両側に配された有翼の天使の彫刻も味わい深いものがあり、つい引き込まれそうになってしまいます。

  • サンタ・マリア・ラ・マヨール教会<br />あっ、ここにも変顔が…。<br />ここにいると壺に嵌ってしまいそうですので、後ろ髪を引かれながらも早々に撤退することにします。

    サンタ・マリア・ラ・マヨール教会
    あっ、ここにも変顔が…。
    ここにいると壺に嵌ってしまいそうですので、後ろ髪を引かれながらも早々に撤退することにします。

  • 市庁舎<br />旧市街で最大の広場「パルセンツ公爵夫人広場」の東側には、市庁舎(市議会議事堂)があります。フェリペ5世治世の1734年に建てられた軍の兵舎を改装した建物ですが、2~3階に設けられたアーチ窓が美しく、軍事宿舎という威圧感を和らげています。<br />また、広場に面して植えられたオレンジの街路樹が景観によく映えています。<br /><br />

    市庁舎
    旧市街で最大の広場「パルセンツ公爵夫人広場」の東側には、市庁舎(市議会議事堂)があります。フェリペ5世治世の1734年に建てられた軍の兵舎を改装した建物ですが、2~3階に設けられたアーチ窓が美しく、軍事宿舎という威圧感を和らげています。
    また、広場に面して植えられたオレンジの街路樹が景観によく映えています。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />市庁舎の前の道をどんどん降りて行き、ラ・シウダ(旧市街)地区への南端の入口に向かいます。すると正面に教会が姿を現します。<br />この教会は、モスクの跡地に建てられてたものです。旧市街の南端にあり、イスラム教徒に支配されていたこの地がカトリック王フェルナンドによりキリスト教徒に解放されたのを記念して建てられた教会です。<br />13世紀のルネッサンス様式で、防御のために城塞や門が一体化しており、窓も少なくとても重厚な雰囲気です。<br />道路を進むのは遠回りになりますので、左側にある階段を利用してこの教会へショートカットします。

    聖エスピリトゥ教会
    市庁舎の前の道をどんどん降りて行き、ラ・シウダ(旧市街)地区への南端の入口に向かいます。すると正面に教会が姿を現します。
    この教会は、モスクの跡地に建てられてたものです。旧市街の南端にあり、イスラム教徒に支配されていたこの地がカトリック王フェルナンドによりキリスト教徒に解放されたのを記念して建てられた教会です。
    13世紀のルネッサンス様式で、防御のために城塞や門が一体化しており、窓も少なくとても重厚な雰囲気です。
    道路を進むのは遠回りになりますので、左側にある階段を利用してこの教会へショートカットします。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />入口に受付嬢がおり、そこでお布施として1ユーロを支払って中に入ります。<br />思ったより大きな教会です。いただいたリーフレットによれば、身廊は縦が30m、横幅が9mあります。

    聖エスピリトゥ教会
    入口に受付嬢がおり、そこでお布施として1ユーロを支払って中に入ります。
    思ったより大きな教会です。いただいたリーフレットによれば、身廊は縦が30m、横幅が9mあります。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />主祭壇はイサベル・ゴシック調の荘厳なものです。<br />上部に掲げられた絵画から、聖霊降臨を象徴した教会のようです。レコンキスタ完了を顕彰し、それを聖霊降臨に例えているのかもしれません。<br />因みにスペイン語の「エスピリトゥ」の意味は、魂とか精神です。

    聖エスピリトゥ教会
    主祭壇はイサベル・ゴシック調の荘厳なものです。
    上部に掲げられた絵画から、聖霊降臨を象徴した教会のようです。レコンキスタ完了を顕彰し、それを聖霊降臨に例えているのかもしれません。
    因みにスペイン語の「エスピリトゥ」の意味は、魂とか精神です。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />主祭壇から入口方向を見た様子です。<br />

    聖エスピリトゥ教会
    主祭壇から入口方向を見た様子です。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />どの祭壇も美しく、つい見入ってしまいます。

    聖エスピリトゥ教会
    どの祭壇も美しく、つい見入ってしまいます。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />こちらの礼拝堂は、バロック調ビザンチン様式の壮麗なもので瞠目に値します。

    聖エスピリトゥ教会
    こちらの礼拝堂は、バロック調ビザンチン様式の壮麗なもので瞠目に値します。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />数ある絵画の中で何となく気になった一枚です。<br />ロンダの旧市街地と新市街地と思しき間に、「聖母子」らしき方が浮かんだ円盤の上に立っています。そう言えるのは、図象となる光輪があるからです。それもイエスの方が大きく描かれています。<br />しかしイエスは何となく女の子のような雰囲気です。ピンク色のワンピースを着せられています。<br />何だコレ!

    聖エスピリトゥ教会
    数ある絵画の中で何となく気になった一枚です。
    ロンダの旧市街地と新市街地と思しき間に、「聖母子」らしき方が浮かんだ円盤の上に立っています。そう言えるのは、図象となる光輪があるからです。それもイエスの方が大きく描かれています。
    しかしイエスは何となく女の子のような雰囲気です。ピンク色のワンピースを着せられています。
    何だコレ!

  • 聖エスピリトゥ教会<br />リアルなイエスの磔刑像です。<br />手前には、跪いて祈るための台があります。<br />「彼以上に自分の命を犠牲にして汝らを愛した者はいない」と書かれています。<br />聖具室など見所は沢山ありますが、割愛させていただきます。

    聖エスピリトゥ教会
    リアルなイエスの磔刑像です。
    手前には、跪いて祈るための台があります。
    「彼以上に自分の命を犠牲にして汝らを愛した者はいない」と書かれています。
    聖具室など見所は沢山ありますが、割愛させていただきます。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />入口にあるステンドグラスです。<br />左はヨハネの洗礼、中央はイエス復活、右は最後の晩餐と思います。

    聖エスピリトゥ教会
    入口にあるステンドグラスです。
    左はヨハネの洗礼、中央はイエス復活、右は最後の晩餐と思います。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />中央にある塔に登ることができます。高さは教会より低いので大したことはありません。

    聖エスピリトゥ教会
    中央にある塔に登ることができます。高さは教会より低いので大したことはありません。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />塔の天辺から俯瞰する景色です。<br />錆朱色の屋根の中にアルモカバル城壁が一体化しています。<br />

    聖エスピリトゥ教会
    塔の天辺から俯瞰する景色です。
    錆朱色の屋根の中にアルモカバル城壁が一体化しています。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />南端周囲にはの高い城壁が張り巡らされ、難攻不落の町だったことがよく判ります。ロンダは「城壁の町」とも呼ばれていたほどです。

    聖エスピリトゥ教会
    南端周囲にはの高い城壁が張り巡らされ、難攻不落の町だったことがよく判ります。ロンダは「城壁の町」とも呼ばれていたほどです。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />アルモカバル城壁にも昇ることができるようです。<br />門の向こう側には背の低い住宅が軒を連ね、サン・フランシスコ地区と呼ばれています。

    聖エスピリトゥ教会
    アルモカバル城壁にも昇ることができるようです。
    門の向こう側には背の低い住宅が軒を連ね、サン・フランシスコ地区と呼ばれています。

  • 聖エスピリトゥ教会<br />サグラダ・ファミリアの鐘塔を思い出させます。

    聖エスピリトゥ教会
    サグラダ・ファミリアの鐘塔を思い出させます。

  • アルモカバル城壁<br />イスラム教徒の墓地が近くにあったため、アラビア語「アル・マカビル(墓地)」から名付けられています。城壁には2つの門が開けられており、左側がカルロス5世門、右側がアルモカバル門と言います。年代はアルモカバル門の方が古く、イスラム支配時代の13世紀のものです。

    アルモカバル城壁
    イスラム教徒の墓地が近くにあったため、アラビア語「アル・マカビル(墓地)」から名付けられています。城壁には2つの門が開けられており、左側がカルロス5世門、右側がアルモカバル門と言います。年代はアルモカバル門の方が古く、イスラム支配時代の13世紀のものです。

  • アルモカバル城壁 カルロス5世門<br />カルロス5世門はレコンキスタ後にキリスト教徒の手で新たに開けられました。ですから、このゲートの上には、カルロス5(神聖ローマ帝国皇帝&スペイン王)の紋章である 「双頭の鷲」 が描かれています。現在は劣化が激しく、よく判らなくなっているのが残念です。 <br />因みに、カルロス5世の紋章が双頭の鷲なのは、ハプスブルク家の出身だからです。そして、カルロス5世の息子がフェリペ2世です。「太陽の沈まない国」と呼ばれるほどの大帝国を築き上げた王で、初めてマドリードに首都を遷した国王でもあります。<br />

    アルモカバル城壁 カルロス5世門
    カルロス5世門はレコンキスタ後にキリスト教徒の手で新たに開けられました。ですから、このゲートの上には、カルロス5(神聖ローマ帝国皇帝&スペイン王)の紋章である 「双頭の鷲」 が描かれています。現在は劣化が激しく、よく判らなくなっているのが残念です。 
    因みに、カルロス5世の紋章が双頭の鷲なのは、ハプスブルク家の出身だからです。そして、カルロス5世の息子がフェリペ2世です。「太陽の沈まない国」と呼ばれるほどの大帝国を築き上げた王で、初めてマドリードに首都を遷した国王でもあります。

  • アルモカバル城壁 アルモカバル門<br />こちらがアルモカバル門です。<br />イスラム支配時代、城壁で囲まれていたロンダの町にあった3つの門のうちのひとつであり、主要門でした。太く高い円筒形の石柱を両脇に従えています。

    アルモカバル城壁 アルモカバル門
    こちらがアルモカバル門です。
    イスラム支配時代、城壁で囲まれていたロンダの町にあった3つの門のうちのひとつであり、主要門でした。太く高い円筒形の石柱を両脇に従えています。

  • アルモカバル城壁<br />聖エスピリトゥ教会も城壁に溶け込んでいます。

    アルモカバル城壁
    聖エスピリトゥ教会も城壁に溶け込んでいます。

  • アルモカバル城壁<br />ロンダの街並も白を基調とした建物が多く、地中海に面した国々の趣を湛えています。そしてアンダルシア地方に点在する「白い村」には、それぞれ個性があることに気付かされます。ロンダは、白を基調としつつも、ベージュの縁取りや赤煉瓦をアクセントにしており、「絶壁の上に載せられた白い街」と言えます。<br />断崖絶壁に加えて谷底を流れる川が2重の防御策となったわけですから、日本の城が高台にあり、その周りにお堀が造られているのと全く同じ理屈です。<br />こうして街の外れに立つと、どこまでも続く赤土の草原の風景に目を瞠ります。<br /><br />旧市街の南端まで来ましたので、ここからビエホ橋を渡って新市街を探索します。<br />この続きは、ときめきのスペイン⑬ロンダ(後編)でお届けいたします。

    アルモカバル城壁
    ロンダの街並も白を基調とした建物が多く、地中海に面した国々の趣を湛えています。そしてアンダルシア地方に点在する「白い村」には、それぞれ個性があることに気付かされます。ロンダは、白を基調としつつも、ベージュの縁取りや赤煉瓦をアクセントにしており、「絶壁の上に載せられた白い街」と言えます。
    断崖絶壁に加えて谷底を流れる川が2重の防御策となったわけですから、日本の城が高台にあり、その周りにお堀が造られているのと全く同じ理屈です。
    こうして街の外れに立つと、どこまでも続く赤土の草原の風景に目を瞠ります。

    旧市街の南端まで来ましたので、ここからビエホ橋を渡って新市街を探索します。
    この続きは、ときめきのスペイン⑬ロンダ(後編)でお届けいたします。

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