2016/05/07 - 2016/05/07
2位(同エリア132件中)
エンリケさん
2016年GWのネパール旅行7日目(ネパール観光6日目)。
不発に終わったナガルコットでの早朝のヒマラヤ鑑賞を終え、次の目的地、ナガルコットの麓に位置する古都バクタプルへ。
中世、マッラ3王朝時代に王国の首都として栄えた歴史あるその街は、現代もレンガ造りの趣のある建物が多く残る世界遺産の街。
2015年4月の大地震で被害を受けた建物も数あるものの、現在では人々は普通に街の生活を楽しんでいる様子で、彼らに混ざって赤茶色の路地や広場を練り歩き、風情ある古都の雰囲気を味わいます。
カトマンドゥやパタンに比べて人が少なくのんびりした空気の中、イタリアに似た都市構造の不思議やネワール建築の妙に思いを馳せ、中世ネパール人が築いた都市文化の奥深さに改めて感じ入ることのできたひとときとなりました。
<旅程表>
2016年
5月1日(日) 成田→バンコク
5月2日(月) バンコク→カトマンドゥ
5月3日(火) カトマンドゥ→パタン→ボウダナート
→パシュパティナート→カトマンドゥ
5月4日(水) カトマンドゥ→ポカラ
5月5日(木) ポカラ(サランコットハイキング)
5月6日(金) ポカラ→カトマンドゥ→ナガルコット
○5月7日(土) ナガルコット→バクタプル→カトマンドゥ
5月8日(日) カトマンドゥ→バンコク
5月9日(月) バンコク→成田
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- タイ国際航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
5月7日(土)
7時、ナガルコットの展望台からのヒマラヤ鑑賞は分厚い雲に阻まれて不発に終わり、次の目的地、麓の世界遺産の街バクタプルに向かうため、準備をしに宿に戻ります。ナガルコット 展望台 山・渓谷
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ナガルコットの展望台からバクタプルへ向かうバス停近くのホテル街までは徒歩で約50分の道のり。
雲の間からわずかに朝の光が差し込むこんな景色を横目に見ながら、てくてくと舗装された道を歩いていきます。 -
歩き続けること40分、バス停近くなり、ネパール名物の段々畑もこんな風に目に入るようになってきました。
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そして7時50分、ホテル街入口近くにある宿、“Nagarkot Bed and Breakfast”に戻ってきました。
この時間帯、天気のせいなのか、地元の人、観光客ともに、人通りは少ない感じです。 -
部屋で少し休んだ後、8時20分、宿での朝食。
トーストなどシンプルなものですが、やはり一日の力にはなりますね。 -
朝食後、チェックアウト前に中庭を上階からパチリ。
前日の夜は欧米系の若者グループがここでバーベキューディナーを食べて騒いでいたのですが、この日の朝は景色でも見にどこかへ行ってしまったのか、かなり静かな雰囲気です。 -
なんだかんだで9時過ぎに宿をチェックアウト。
麓の街バクタプルへのバスを探しに、目の前に見えるバス停に向かって歩いていきます。 -
バス停に行くと何台かバスが待機していて、早速運転手に確認してバクタプル行きのバスに乗り込みます。
最初はガラガラだったのですが、そのうち地元民と思われる方々が続々と乗ってきて、席に座り切れないほどの状態に。
山間の村とは思えないほどの混雑ぶりに驚いている間にバスは出発。
時刻は9時40分、バクタプルまでおよそ1時間をかけて山道を下っていきます。 -
山を下っている間、車窓から見える景色はこんな感じ。
途中途中、バスは停留所に停まっては地元民をピックアップしていきます。
乗客があんまりいっぱいになると、下り坂でバランスを崩さないか心配になったりして・・・。 -
そんなこんなで10時45分、バスは終点のバクタプルの街北側入口に無事到着。
終わってみれば、乗り心地はそんな危険な感じでもありませんでした・・・。
そして車掌に地元民と同じ運賃50ルピー(約50円)を支払い、降車。 -
バクタプルの街北側の道路はこんな感じで、通りを行く人々は多いものの、一部、バラック風の建物が立ち並び、経済的に苦しい様子も伝わってきます。
もしかしたら1年前の震災で家を失った人々が暮らしているのでしょうか・・・。 -
南の旧市街の方に少し歩いて10時55分、英語の看板のある歴史地区入口にやってきました。
外国人観光客はここでカトマンドゥやパタンよりも高い入場料1,500ルピー(約1,550円)を徴収される仕組みになっています。
ネパールの物価を考えると異様に高い入場料ですが、震災からの復旧・復興に充てられると思えば仕方ない額でしょうかね・・・。 -
旧市街にはこのようなレンガ造りの建物がずらりと建ち並んでいます。
よく見るとレンガの継ぎ目の隙間が大きくなっていたり、形がひしゃげている建物も。
これはさすがに地震に弱そうですね・・・。 -
売り物でしょうか、軒先にはこんなテラコッタの壷やお皿が並べられています。
世界遺産の古都バクタプル・・・出だしからレンガ色感が半端ない街ですね。 -
レンガ色の建物の中にはこんな貯水池も。
そういえばカトマンドゥやパタンにもこんな感じの貯水池がありましたね。
【震災1年後のネパール(2) パタンの貯水池Pimbahal Pokhari】
http://4travel.jp/travelogue/11150258#photo_link_44649712 -
旧市街を歩いていると、あちらこちらにこんなヒンドゥー教の神様を祀る祠が。
カトマンドゥやパタンにもこんな祠はありましたが、前二者に比べてバクタプルは街に人が少ない分、より宗教色の濃い街に見えてきますね。 -
街のところどころには、カトマンドゥやパタンでも見かけたこんな突っ支い棒が。
倒壊はしないまでも、1年前の大地震で被害を受けた家はかなりの数に上っているようですね。 -
ふと通りを歩いていると、窓の装飾の美しい立派な建物が。
見たところレンガは損傷していないようだし、あんな大地震があった後でも、ちゃんとしている建物は残るものなのですね。 -
それでも、入口の彫刻は傷んで落下の危険があるのか、周りに囲いがなされています。
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扉が開いていたため、歴史地区の入場料は払っているのだし、内部が自由に見学できるようになっている歴史ある施設と思って、中庭に入り込んで装飾をパチリ。
すると、ここで談笑していた地元の人々が、何をやっているのという目でこちらを見つめてきたため、ここはプライベートなスペースなのかと合点してそそくさと退散・・・。
カトマンドゥでもありましたが、ネパールでは“完全なプライベートではないが、周囲の住民との間で関わりが深い半公共的な場”というものがあるようで、どうやらここがそうだったのかもしれません。
【震災1年後のネパール(1) カトマンドゥのセト・マチェンドラナート寺院】
http://4travel.jp/travelogue/11144318#photo_link_44321418 -
さらに道を進んでいくと、祠の向こうにはいまだ処理されていないがれきの山が。
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こちらの横道には突っ支い棒だらけ。
このままの状態がいつまで続くのでしょうか・・・。 -
それでも、こちらの祠の周りには、がれきとともに新しそうなレンガの山が。
復旧作業に使うレンガでしょうか。
バクタプルの旧市街は道路もレンガで造られているため、手の付けられなさそうな建物よりも、まずは道路を優先的に復旧させるためのものなのかもしれません。 -
てくてくと歩いて11時15分、大きな広場のようなところにやってきました。
こちらも広場の一方を囲む建物が立派で、これまで見てきたのと同じような様式の建物なのに、反射的にパチリと写真を撮ってしまいますね。 -
広場の中央にはガルーダの像と向かい合うこんな立派な寺院。
“地球の歩き方”で確認すると、どうやらここは“タチュパル広場”(Tachupal Square)という広場で、この建物は“ダッタトラヤ寺院”(Dattatraya Mandir)とのこと。
“ダッタトラヤ”とはブラフマン、ヴィシュヌ、シヴァのヒンドゥー教の3神が一体となったありがたい神様で、寺院の建立は3王国に分裂前の統一マッラ王朝期(1200〜1484年)の1427年に遡るのだそう。ダッタトラヤ寺院 寺院・教会
-
ダッタトラヤ寺院に向かって手を合わせる神鳥ガルーダをズームアップ。
ガルーダといえば世界の維持神ヴィシュヌの乗り物ですが、ヴィシュヌを含む3神が合体したダッタトラヤ神の乗り物でもあるのですね。 -
そのガルーダ像の下では、井戸から生活用水を汲んでいる地元の人々が。
昔ながらの人々の生活の様子も一緒に鑑賞できる、まさに“真の意味”での世界遺産の広場ですね。 -
ダッタトラヤ寺院の向かいには、同じように神様の像と向かい合う由緒ありそうな寺院が。
こちらは“ビムセン寺院”(Bhimsen Mandir)という寺院のよう。ビムセン寺院 寺院・教会
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向かい合う寺院の両サイドには、外国人観光客相手の彫刻などのお土産屋が。
こちらも古そうな建物を使っているのですが、1年前の大地震の被害を受けたのか、このとおり窓が壊れているところも。
この時期、商売相手の外国人観光客の姿は少なく、どの店も暇を持て余しているようでした。 -
それにしてもレンガ色の統一感をもった建物が建ち並ぶ、ある種の美を感じさせる広場です。
向こうの祠のような建物の軒下には、動物の像に混じってホンモノの白い山羊の姿も見えますね。タチュパル広場 広場・公園
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去り際にもう一度、この歴史ある広場の全景をパチリ。
このタチュパル広場、バクタプルには大きな広場が3つあるのですが、その中では最も人通りが少なく、静かで落ち着いた感じのする広場でしたね。 -
11時30分過ぎ、次は旧市街の西側にある第二の広場、“トゥマディー広場”を目指し、こんな古い街並みの中を進んでいきます。
通りには土産屋はたくさんあるものの、やはり大地震の影響か、観光客の姿は少なく、活気がなくて寂しい感じに映ってしまっていますね・・・。 -
こんな5階建ての高層の建物もありますが、あれだけの地震の後でよく残ったものです。
一部屋根が欠けているようですが、突っ支い棒をしていないところを見ると、被害はそれほど大きくなかったということなのでしょうか・・・。 -
そして11時50分、10分ほど歩いて先ほどのタチュパル広場よりもやや広めの第二の広場に到着。
“トゥマディー広場”(Taumadhi Square)です。
さすがに広いだけあってこちらは人が多いですが、一角には突っ支い棒が目に付き、痛々しい印象も・・・。トウマディー広場 広場・公園
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そんな中、広場の北側には巨大な五重の塔がどっしりとした印象でそびえ立っています。
バクタプルの象徴ともいえるこの寺院は“ニャタポラ寺院”(Nyatapola Mandir)。
マッラ3王朝時代末期の18世紀初めに建てられたというこの寺院の高さは30mで、カトマンドゥ盆地にある寺院の中では最も高いとのこと。ニャタポラ寺院 寺院・教会
-
ニャタポラ寺院を下から見上げてパチリ。
地震に弱そうなレンガの台座に加え、建物自体も複雑な構造をしているように見えるのに、1年前の大地震に耐え、今なお突っ支い棒なしに真っ直ぐ立っているのはすごい・・・。
まさにニャタポラ寺院が残っているのは“バクタプルの奇跡”といったところでしょうか。 -
五重の塔へと昇る階段には、下から戦士、象、獅子、グリフィン、女神。
地元の人々や観光客たちが昇り降りしたり腰かけたりして、思い思いの時間を楽しんでいます。 -
ニャタポラ寺院の向かって右側には、これまた壮麗な“バイラヴナート寺院”(Bhairavnath Mandir)。
17世紀創建とのことですが、現在の建物は1934年のビハール・ネパール地震の後に建て直されたもの。
やはりカトマンドゥ盆地の建物は、日本と同様に過去何度も地震の被害を受けながら、その度に復興を遂げていったのですね。
今回の地震で倒壊した建物も、これまでと同様に復興を遂げてくれるかどうか・・・。Bhairavnath Temple 寺院・教会
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バイラヴナート寺院の前では、地元の老人たちが神獣の像と触れ合いながらおしゃべりを楽しんでいます。
人々の宗教との距離の近さを感じる場面ですね。 -
壮麗な建物が目立ったトゥマディー広場を後にし、12時過ぎ、バクタプル最後にして最大の広場、“ダルバール広場”(Durbar Square)へ。
この広場を取り巻く建物も地震により少なからず被害を受けたのか、あちらこちらに突っ支い棒が目立ちます。
それでも、“ダルバール”(宮廷)という名に違わずバクタプルの中心だけあって、広場を行き交う人々の数は、他のどこよりも多い印象です。ダルバール広場 広場・公園
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広場の南側の回廊のある建物には、地元の人々がずらりと一列に腰かけて、おしゃべりしたり広場の様子を眺めたりしています。
中には外国人観光客にガイドを売り込んでくる輩もいて・・・。
よく見ると、その中の一人はナガルコットからのバスに乗って一緒にバクタプルに来た男性・・・はるばる山から街に出稼ぎにきているのね(笑)。 -
広場のほぼ中央にはこんな石造りの台座がありますが、その上にあったと思われる建物は、地震で倒壊したのか、きれいさっぱりなくなっています・・・。
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別の角度から石の台座をパチリ。
左下の石柱の脇に飾られている写真が、台座の上の建物の在りし日の姿なのでしょう。 -
広場の北側の建物にはこんな突っ支い棒がぶすり、ぶすりと突き刺さっています。
こうして見ると、微妙に傾いているかな・・・。 -
こんな状態の北側の建物はかつての王宮で、現在ではその一角が国立美術館として使われています。
せっかくなので入ってみることにします(入場料150ルピー=約150円)。国立美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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内部は1階と2階の回廊部分が展示スペースになっていて、小さな博物館という感じ。
まず1階はヒンドゥー教の神々の彫刻の間。
こちらは14世紀に製作されたという4つの面を持つシヴァリンガ。
4つの面はそれぞれ大地、風、火、水の神で、全部合わせてこの宇宙を象徴しているとのこと。 -
こちらは道端の祠などに祀られていたものと思われる、手ごろなサイズの神々の像。
細かなところもしっかりと彫られていて、確かな技術を感じますね。
中世のネパール、恐るべし。 -
壁には神々を描いた絵画も展示されています。
こちらは18世紀に描かれた、憤りの神“Hayagriva Bhairava”。
よく見ると頭に3頭の馬を載せていますね。 -
階段を昇って2階に上がると、最初の間にはネパール王国(シャハ朝)歴代の王たちの肖像画が。
ネパールは2008年に王制が廃止され、現在では共和制になってしまいましたが、こんなところでかつての王たちの姿を見ることができるのですね。 -
こちらは辺境のゴルカから興ってカトマンドゥ盆地のマッラ3王国(カトマンドゥ、パタン、バクタプル)を滅ぼし、現在のネパールの基礎を造ったネパール王国初代の王、プリトヴィ・ナラヤン・シャハ(Prithivi Narayan Shah、在位:1743-1775年)。
仏教徒だったのか、天上天下唯我独尊ポーズをとっていますね。 -
こちらはネパール王国最後の三代の王たちで、左から10代ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(Birendra Bir Bikram Shah、在位:1972-2001年)、11代ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(Dipendra Bir Bikram Shah、在位:2001年)、12代ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(Gyanendra Bir Bikram Shah Dev、在位:2001-08年)。
この3人は親子兄弟の関係にありますが、2001年に起こった王族殺害事件(ビレンドラ王が何者かに殺害され、当初加害者とされた子のディペンドラも3日後に死亡。王族で唯一現場にいなかった弟のギャネンドラが後を継いだ事件)を巡って様々な噂が取り沙汰されており、こうして3人の写真が並べられるというのも何だか奇妙な感じがします。 -
2階の回廊にはヒンドゥー教や仏教関係の絵画が。
こちらは19世紀の曼陀羅。
青い色が鮮やかで、世界の果てを見ているような気分になってきますね。 -
そして1階に戻ってきて見つけたのが17世紀の作品だという“カーマスートラ”(Kamasutra)。
うーん、インドだけでなくネパールにもあったのですね(笑)。
*拡大注意! -
バクタプルの国立美術館、量は少ないですが、面白いコレクションが楽しめました。
さて、外に出ると12時50分。
美術館のすぐ隣には、銃を持った衛兵に守られているその名も“ゴールデン・ゲート”という金色の門があり、ここが旧王宮の入口となっている模様。
しかしネパールは王国ではなくなったというのに、いまだ衛兵に守られているというのはこれ如何に? -
重い荷物を持っていたため、門をくぐる際に“これは何か”と問われましたが、開けて見せようとすると、“そこまでする必要はない”と言って通してくれる優しい衛兵さんでした。
さて、旧王宮の中は基本的に撮影禁止で、やや奥まったところにある沐浴場のみ撮影が許されています。
この先に、さらに奥のタレジュ寺院などへと続く通路があるのですが、ヒンドゥー教徒以外は立入禁止。
バクタプル一の建物だというのに、外国人観光客にはいろいろと厳しい施設なんですね・・・。 -
ゴールデン・ゲートの隣には、3階部分にズラリと並んだ木彫りの窓が美しいこんな建物が。
その名も“55窓の宮殿”といい、17~18世紀に建造された建物とのこと。
このあたりは地震の被害がなくてよかったと思っていたら・・・。55 Window Palace (旧王宮) 史跡・遺跡
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その先にある寺院は台座だけ残して上物がすっからかんの状態・・・。
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台座の上にはこんな建物があった模様。
こんな小さな建物でも倒壊してしまうのに、先ほど見たトウマディー広場のニャタポラ寺院が残っているのはやはり奇跡的ですね。 -
こちらの左側の建物は途中から崩れ落ちて断面がむき出しになっていますね・・・。
なんとも凄まじい地震の揺れを想像させます。 -
広場の南側に陣取る“パシュパティナート寺院”(Pashupatinath Mandir)は地震後もずっしり構えていて無事なようです。
この寺院もトゥンダール(軒先を支える斜材の方杖)などの木彫が細かで素晴らしいですね。パシュパティナート寺院 寺院・教会
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ダルバール広場をぐるりと回ったところでバクタプルの主要な観光スポットは見終わったので、そろそろここを去ることにします。
-
去り際にもう一度、振り返ってこの世界遺産の広場をパチリ。
地震前はもっと絵になる広場だったのかもしれませんが、現在でも地元の人々がたくさん行き交い、平和に時を過ごしているのを見ることができる素晴らしい広場でした。
さて、時計を見ると13時15分。
今回の旅も残りわずか、最後はカトマンドゥに戻ってスワヤンブナート寺院などを巡ります!
(震災1年後のネパール7日目終盤~最後のカトマンドゥ観光に続く。)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 川岸 町子さん 2016/10/08 08:40:05
- バクタプルの奇跡
- エンリケさん、おはようございます。
やはりバクタプルは美しいですね。
統一感のある街並み、繊細な彫刻、趣ある路地、そこにある人々の暮らし。
レンガ色の町を彩るのは、やはりサリーやパンジャビですねp(^-^)q
ただ、狭い路地の建物同士をつっかえ棒で支えるのは、なんとも痛ましいです。
見事な彫刻は、これ程細かければ復元は難しく、町の財産を失ってしまうことに。
所々台座しかない建築がありましたが、それでもこうして観光客を迎えられる、まさに奇跡です!
私が気づかない建物をご覧になられ、さらに歴史と文化の深い町と教えて頂きました。
博物館があったのですね~。
昔は入場料はカトマンズやパタンはなくて、バクタプルだけでした。
料金を払う所は貯水池で、そこには色とりどりの染色した糸が沢山干してありました。
もしかすると、当時の産業だったのかな?
ニャタポラ寺院を見下ろすカフェに入った記憶も甦ります。
ナガルコットからバクタプル行きのバスは、屋根に乗る人もいました(笑)
こうして旅行記を見せて頂く度に、思い出を掘り起こせるのは、本当にありがたいです(^-^)
今回もありがとうございました!
町子
- エンリケさん からの返信 2016/10/08 23:28:19
- 真田紐の起源はバクタプルかも?
- 川岸 町子さん
こんばんは。早速バクタプルの旅行記にご訪問いただき、ありがとうございます。
バクタプルは歴史を感じるレンガ色の統一感のある街並みから、カトマンドゥやパタンよりもファンが多いようですね。
町子さんもポルトガルやメキシコなどで実感されているとおり、人々の顔が感じられる小さな街というのが、異国情緒がより深く感じられて、旅人にとっては魅力的なのでしょうね。
> 昔は入場料はカトマンズやパタンはなくて、バクタプルだけでした。
> 料金を払う所は貯水池で、そこには色とりどりの染色した糸が沢山干してありました。
> もしかすると、当時の産業だったのかな?
そういえば先週の大河ドラマ“真田丸”で、“真田紐”はネパールの“サナール”という紐が日本に伝来したのが起源だというようなことをやっていました。
日本に伝わったものは当時のバクタプルで作られたものかもしれませんね(笑)。
> ナガルコットからバクタプル行きのバスは、屋根に乗る人もいました(笑)
あの下り坂をそんなバランスの悪い状態で降りるとは・・・昔は本当になんでもありの時代でしたね。
さすがに今はネパールでも規制が進んでいるのでしょうね。
> こうして旅行記を見せて頂く度に、思い出を掘り起こせるのは、本当にありがたいです(^-^)
わたしの旅行記が町子さんの当時の思い出を呼び覚ますきっかけになっているというのは嬉しいことですね。
順調にいけば次回でネパール旅行記は完結の予定です。
どうぞ最後までご期待ください!
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