2016/09/11 - 2016/09/11
6位(同エリア286件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記736冊
- クチコミ35280件
- Q&A回答420件
- 5,364,184アクセス
- フォロワー666人
せともの祭は、瀬戸市の一大イベント。瀬戸の焼き物を扱うお店が町中にテントを張って、観光客を迎えます。
ところで、瀬戸はもともとは土もの、陶器だったんですが、有田の磁器に押されて衰退しそうになる。しかし、その救世主となったのが磁租、加藤民吉。今でいうところの産業スパイなんですが、有田の技術を盗んできて、瀬戸でも磁器が焼かれるようになり、その磁器でまた隆盛を取り戻すことになる。せともの祭は、それを祝う意味もあるんだそうです。
ただ、その際、民吉は素性を隠すために現地妻を娶り子も設ける。その後、瀬戸に訪ねてきた妻子は民吉に既に妻子があったことを初めて知り、池に身を投げたというのです。そして、その呪いのせいからか、祭りは雨が降るのが常だったのですが、今はスケジュールが一週間ずらされたのだとも聞きました。真偽のほどは確かではありませんが、祭りの準備をする人たちが口を揃えて私にそう説明をしてくれるところをみると、瀬戸ではこれが誰しも疑わない定説になっているよう。思うに、加藤民吉に感謝する一方で、瀬戸ものは陶器であって本来磁器ではないんだぞというような何か複雑な思いもこうした定説を支持しているのかもしれません。
せともの祭りの後は、家康の故郷、岡崎へ。岡崎は宿場街であって、城下町でもある。27曲がりと言われる街を防御するための入り組んだ通りが特徴です。ただ、急な曲がり角や極端なかぎ型の路地があるわけでもないような。八丁通りから岡崎城に向かう道も、曲がりというような直接的な場所はないのに、歩いていても何か回り道をさせられているような感じで、なかなか城に近づいていない。たぶんこれが上手なところなんでしょうね。ここで回り道をさせられていると分かれば、寄せての方も気持ちが焦ることはない。知らないうちに回り道させられているという方がいいに決まっています。注意深く歩かないと分からない感覚ですが、そういうことではないかと思います。
PR
-
瀬戸へは愛知環状鉄道で向かいますが、ちょっと運賃お高め。岡崎から大門でも280円にはちょっと驚きました。今日は、大門から瀬戸市へ。すべて高架なので周囲がよく見えます。
途中、トヨタの本社があったりしましたが、第三セクターになっても生き残ることができたのは、トヨタのお蔭もあったのかもしれません。 -
尾張瀬戸駅に到着して、まずはパルティせと。
-
駅を出てすぐの巨大施設です。
-
入ってすぐのエントランスとか広い空間があって、観光客をゆったりと出迎えてくれます。
-
一階には陶磁器の販売所。瀬戸は瀬戸焼の陶器ばかりと思っていたのですが、実は磁器も多くて、それがいったん衰退しつつあった瀬戸の焼き物をまた元気にしてくれたのだとか。なので、焼き物は陶器から磁器から多種多様。ただ、目当てだった染付のコーナーは意外に限られていて、ちょっと残念に思いました。
-
表に出ると地元の子供たちのパーフォーマンス。今日は街を挙げてのお祭りです。
-
イチオシ
これは、瀬戸の焼き物屋さんが並ぶ市街の入り口。ちょっとしたランドマークになっている建物ですね。
-
川沿いにテントが並んで、
-
お店がずらりと出ています。
-
有田の陶器市と比べると限られたエリアに集まっているので、ちょっと楽なような。。
-
イチオシ
伝統の織部焼に
-
この赤富士はちょっと個性的です。
-
ちょっと裏通りに入って。
-
まず向かったのは久米邸。瀬戸の住宅地に建つ町家です。
-
庭の方から奥を眺めていたら、ここのご主人が出てきて少し説明をしてくれました。
-
かつては蔵とかを開放して小物屋さんを入れたりしていたが、それもやめてしまった。せともの祭りとか昔は食器を大量に買いこんで行く人がいたりしたんだが、今はそれもなくなってしまった。祭りじゃないと買えないとか、瀬戸じゃないと買えないとか。特別なものではなくなって便利になったからだと思うが、ちょっとさみしいです。とおっしゃっていました。
有田だと祭りの期間中はけっこうな割引をするので、今でもそれを目当てにくる熱いお客さんがいるんですけど、こっちは少し冷めているんでしょうか。
中庭とか蔵とかをざっと拝見しただけでしたが、そうした地元の空気を知ったことが収穫だったかなと思います。 -
そこから、次は無風庵。瀬戸の市街地から少し登った高台に建つ藁ぶき屋根の一軒屋です。
-
ここは、工芸家、藤井達吉の工房だった建物を移築したもの。瀬戸の陶芸の発展に尽くした功績が大きいようです。
建物にはちょっとした焼き物の作品のほか、これも発展に尽くしたという絵を描いた和紙の作品があって、室内の落ち着いた雰囲気を演出していました。この和紙が意外にいいですね。
管理人の人がいて、少しお話もさせてもらいました。 -
街のほうに戻ってきて。
法雲寺の見どころは陶製の梵鐘。 -
鐘楼があるのでそこかと思ったら、
-
そのそばの地面に置いてありました。
-
昭和17年の金属回収令によって供出された梵鐘に代わって造られたものだそう。実際に使われたかどうかは分かりませんが、これをぶら下げて、なんとか穴を埋めたということでしょうか。確かに、形は梵鐘そのままです。
-
そのまま、深川神社へ。ここは、銀座商店街を抜けたところが参道で、その参道沿いにはうなぎの田代とか焼きそばの大福屋とか、瀬戸を代表する名物食堂があって、とても活気があります。
-
せともの祭りの期間中でしたが、屋台がびっしり軒を並べて、せともの祭りはこの神社の祭りじゃないかと思うくらい賑わっていました。
-
陶彦神社は、深川神社の隣り。深川神社の方がずっと大きいので、その摂社くらいかなあと思いますが、ここは焼き物の街、瀬戸の基礎を築いたといわれる陶祖、藤四朗を祀る神社。ちなみに、藤四朗は鎌倉時代前期の陶工。南宋に渡り帰国の後、瀬戸で焼き物を始めたという伝説的な人物。九州の陶祖は朝鮮征伐で連れた帰ってきた朝鮮の陶工なのですが、もうひと時代古いし、中国から学んできたというのも面白いことだと思います。小さな説明板がありますが、簡単すぎて、もう少し詳しい説明があってもいいかなあと思います。
いずれにしても、瀬戸ものと呼ばれた陶器の時代を築いた人物。瀬戸にとっては栄光の時代の恩人です。 -
深川神社の門前にあるケーキ屋さんはエリカ。
-
オリジナルの誕生日ケーキを作っていたり、地元密着型のお店です。
-
見ると瀬戸内みたいにレモンケーキがあるではありませんか。いただくとおとなしい味なんですが、この奇をてらっていないのが自信のある証拠。これでいいと思います。
-
これがうなぎの田代で並んでいる人。せっかくなので私も並んでみます。
せともの祭りの期間中だったこともあって、1時間以上並ぶことになりました。 -
店先では
-
うなぎを焼く大将。焼き加減を直接手で触って確かめています。けっこうな荒業ですよ~
-
うーん。いい感じです。
-
イチオシ
いただいたのは、うな丼2700円也。分厚い身のうなぎがまるまる一匹入って、がっつり系ですね。味も薄めだし、これと言った特徴はないような気もしますが、がつがつもりもりいただけるのがいいところ。
なお、二人で行くと、一匹を半分にしてうな丼二杯が4000円。だいたいこれを食べている人が多かったと思います。 -
吾妻軒本店は、市街の喧騒から少し離れた場所にある和菓子屋さん。
-
店内は美しい落雁なども置いて、いかにも老舗の雰囲気が漂います。
-
お茶を出してくれまして。
和菓子にお茶はつきものですから、焼き物にも造詣が深いだろうと思って、女将さんとちょっと焼き物談義。 -
この皿は黄瀬戸ですけど、黄瀬戸は前々からいいものがないか探しているんですよね。これまでのところだと京都の桜田で使われていた皿が一番素晴らしかったですね。それまでの黄瀬戸のイメージを一新されて、今でもその記憶が鮮明です。
おかみさんから赤津村の人気作家の情報を手に入れて、今度は是非訪ねてみたいと思いました。お菓子の方は、黒織部です。 -
招き猫ミュージアムは、陶器の販売店と喫茶部。その奥に有料の招き猫ミュージアムがあるという施設です。
-
しかし、たかが招き猫と言うなかれ。表情豊かな猫たちが思い思いの姿で客を呼ぶ。招き猫と言っても、地方によって個性があるし、なんとなく納得感もあるような。これだけの数の招き猫をコレクションとして揃えたこと自体、ちょっと感動的かもしれません。
-
少し移動して、瀬戸永泉教会は、瀬戸市内の住宅地の一角。人けのない静かな佇まいで、観光スポットという感じではありませんが、
-
中に入ってみるとこれも木製の質素で静謐な空間。説明によれば明治33年の築。屋根裏のトラスト構造が西洋建築の技術だそうで、ただ見どころとしてはちょっとマニアックかなとは思います。
-
陶祖公園は、瀬戸市街の端っこ。小さな山の上にあって、登り口から、陶片で彩られたカラフルな階段を上がります。
-
陶祖、藤四朗が最後の庵を結んだ場所ということですが
-
イチオシ
いずれにしてもちょっとした建物の中に、堂々とした大きな陶製の塔が建っていて、ちょっとびっくり。碑文は藤四朗の功績を記念するもののようです。
-
宝泉寺は境内も広いし、
-
建物もしっかりした大寺です。
-
イチオシ
見どころは本堂に上がってみる絵天井と
-
陶器の16羅漢像。羅漢の表情は正直言えば、表情の表現とか粗くなくもないのですが、光沢のある艶々感はそれなりの見応えあり。寺の人に頼めば、勝手に見てくださいという感じなので、遠慮せずにどうぞ。
-
窯垣というのは、石の代わりに陶片で作った垣ということなんでしょうが、焼き物の街ではまあ普通にあるものでしょう。そこまで珍しいものではありません。
-
頑丈さがどれだけあるのかは分かりませんが、これだけきちんと残っているところを見ると、最低限の頑丈さはあるのでしょうね。
-
陶片は失敗作を利用したものもあると思いますが、
-
イチオシ
形は揃えてあるしデザインとしても整っています。
-
途中にギャラリーがあって、そちらにも寄ってみましょう。
-
基本販売所ですが、勝手に見てくださいという感じ。意外にゆっくりできます。
-
で、窯垣の小径の一番奥にあるのが窯垣の小径資料館。
-
入ってすぐから焼き物の展示があって、
-
目を引いたのは染付のタイルのような敷瓦の作品。
-
イチオシ
明治中期頃のもののようですが、その美しさは驚異的。
-
技術的なものよりも、このセンスはどこから来たものなんでしょうか。
-
イチオシ
その後につながっているのか分かりませんが、ちょっと突然変異のような感じもする。
-
ただ、これにちゃんと目を付けて、
-
ここで保存していることにこそ最大限の敬意を表したいと思います。
これはいいものに出会いました。 -
瀬戸染付工芸館は、ここで技術伝承の訓練をする場所でもあると思いますが、
-
展示品が少なからずあって、これがとても美しい。
-
瀬戸の磁器ってあまり認識していませんでしたが、
-
有田にも負けない勢いのようなものも感じました。
-
自由にゆっくり鑑賞できるのもいいと思います。
-
私はもともと染付が好きだし、これはたまりませんね。
-
中心部のほうに戻って。
末広商店街は、瀬戸市街にあるアーケード商店街。他にも商店街があって、ここは瀬戸市では二番手と言ったところかと思います。 -
通りの幅もイマイチ広くないというか、ちょっと狭い。せともの祭りだったこともあるのでしょうが、その分、手作り感のある陶器の小物などを販売する出店があちこちに出て、何か温かい雰囲気。がんばっているなという印象を受けました。
-
大力屋は、この末広商店街の中ほどにある街の和菓子屋さん。
-
一口サイズのういろうがあって、それをもらいました。その日のうちに食べないといけない天然素材。なにも手を掛けていない風の自然な味わい。ぺろりとおいしくいただきました。
-
瀬戸市新世紀工芸館は、ショップに喫茶もありますが、
-
併設された展示室がけっこうすごい。
-
新進気鋭の芸術家の卵たちが大胆に作品を展示して、
-
なんだかスカッとする思い。
-
技術もあるかもしれませんが、
-
イチオシ
やっぱり最後はセンスの問題。
-
萎縮していない伸びやかな取り組み姿勢がけっこう直球で伝わってきます。
-
最後の方になってしまいましたが、これは瀬戸が誇る施設、瀬戸蔵。
一階の陶磁器販売所と二階のミュージアムがウリなんですが、入るといきなり巨大な吹き抜け空間があって、この建物自体が見どころかもしれません。大勢の観光客が入ってきても全然問題なし。周辺も気持ちの良いスペースとなっていて、せともの祭りの会場としても大活躍の様子でした。 -
瀬戸蔵の一階にある陶磁器の販売所が瀬戸蔵セラミックプラザ。
瀬戸市街には陶器のお店がたくさんあるのですが、素人にとっては気分的に敷居の高さを感じる店もなくはない。その点、ここはデパートやスーパーみたいな気軽さで買い物できるところが最大のメリット。商品も普段使いの違和感のないものが大半。意外にいいところができたように思います。 -
ところで、焼き物の街には、それを象徴する施設があって、産地のイメージにも大きく影響していると思います。
-
そういう意味でもこの瀬戸蔵ミュージアムは素晴らしい施設でしょう。
-
かつての瀬戸駅の再現は
-
この手の施設としては結構大胆だし、
-
瀬戸焼の歴史や技法、遺産としての製造所や窯などの展示はとても美しい。
-
歴史的な価値も重要でしょうが、
-
こうした展示において、
-
やはり美しさは必須条件ですね。
-
イチオシ
家族でも楽しめるし、
-
専門的な知識を得たい人にとっても瀬戸では外せない施設だと思います。
-
年代別に並んだ膨大な焼き物のコレクション。
-
ここまで整理された展示は他にはないと思います。
-
九州の焼き物の歴史は、唐津焼を除けば、だいたい400年なので、それと比べれば格が違うといった感じ。
少し付け加えると、瀬戸焼は陶器なのに土に金属成分が少なかったので白い色だったので、それが受けていたんですね。しかし、その強みが結局、磁器と重なって駆逐されることになるわけです。しかし、この陶器の白い土は今でも大量に存在していて、磁器に代替できる安価な焼き物を提供できるのが瀬戸焼の強みの一つとなっていると思います。 -
そこに現れた磁器の時代。そして、瀬戸には磁器の原料でとなる磁石まであったというのもすごいことなんですが、有田の技術を入れて急速に技術を高めていく。
-
その技術が最も華やかに進化した時代の作品だと思います。
有田何するものぞといった気迫も感じられる作品だと思います。 -
結局陶器市の方はあんまり回っていないので、
-
もう少し回ってみましたが、
-
まあ、ほどほどです。
この膨大な商品の中から自分の好みを見つけるというのは容易ではない。今日は、事前の整理もしてないし、そういう時にはいくら回ってみても時間が無駄になるだけです。 -
ということで、やっぱり今日は観光が中心。
窯神神社は、瀬戸市街から行きましたが、けっこう急な坂道もあって予想外に大変でした。 -
ここは、九州有田から磁器の製法を伝えた磁祖、加藤民吉を祀る神社。登り坂に入る手前に加藤民吉の生誕地碑もありました。
さて、神社の方ですが、本殿はよく見ると登り窯の形。面白い趣向でしょう。 -
磁租公園は、江戸時代、有田から磁器の製法を伝えた加藤民吉を祀る窯神神社の境内から続く一角を整備した公園。加藤民吉は冒頭触れましたが、今でいう産業スパイのようなことをやった人で、有田の女性が犠牲者になったという悲劇も生んでいます。ちょっと複雑でしたが、加藤民吉の像を見るとただひたむきに作品作りに励む姿は、雑念なく穏やかな表情。少し救われたような気持ちになりました。
-
狛犬もちょっと確認して、
-
なるほど。なるほど。
以上で、瀬戸は終了。ここから、岡崎の方に移動します。 -
岡崎の印象はあんまり鮮明ではないんですが、当時の探索が足りなかったせいもあるかもしれない。そんな思いもあってのちょこっと街歩きです。
諏訪神社は、中岡崎駅から歩きました。入口がちょっと分かりにくいですね。何もないような場所にある神社なのですが、社殿とかも奥が深くて割と立派。傍らに説明板があって、ここの絵馬群は岡崎市の指定文化財になっているようです。ただ、絵馬は建物の中に収めてあるので、見ることはできません。 -
純情きらり手形のみちは、八丁蔵通りから岡崎公園にかけての広いエリア。NHKの連続テレビ小説「純情きらり」の舞台となったことを記念して、関係者の手形を残しています。やはり人気なのは、主演の宮崎あおい。地元の人に聞いて、なんとか見つけました。ちょっと肉厚の手形でした。
-
名古屋は味噌文化ですが、その大元は八丁味噌を産する岡崎の八丁蔵通りでしょう。黒い壁の蔵が長く続く通りは、味噌屋さんが軒を並べるエリアです。NHKの朝ドラ「純情きらり」の舞台にもなったということで、関係者の手形があちこちに。古い伝統に新しい要素が加わって、街の魅力に違う味が出たような気がします。
-
八丁味噌の郷は八丁味噌の製造元がいくつかあって、まるや八丁味噌、カクキュー八丁味噌は工場見学をやっています。工場見学と言っても、案内人もつくし見せる工夫をした見学コースなので、けっこう楽しめる。ここに来たなら、外観だけでなく、この工場見学がお勧めです。
-
新田白山神社は岡崎城内にあった産土神。
-
徳川家康が上州の新田から勧請したというもので、家康の祖先である源氏の新田義重も祀っていて、家康が早くから征夷大将軍を目指していたのではないかとも書かれていましたが、この辺りは意見が分かれるところ。ただ、最近、私は割とそうだったのかもしれないという思いになっていて、そういう目で見ると家康の人物が違って見えてくるようにも感じています。
なお、あまり知られていないと思いますが、新田は徳川発祥の地と言われていて、今でも地元ではそれを誇りに思い、ゆかりの施設等を大事に保存しています。 -
岡崎公園は、徳川家康が生まれた岡崎城跡地一体を整備した公園。
-
普通の城跡ですが、
-
一角には東照公産湯の井戸というのも大事に保存されています。
-
徳川家康公銅像は、三河武士のやかた家康館のある二の丸の広場の一角。手に手袋をしているので、好きだった鷹狩の姿かなあと思います。穏やかで自然な立ち姿です。
なお、大きさは違いますが、本多忠勝の像もあります。これはちょっと出来が悪いような気がしますが、まあそれはそれということでしょうか。 -
天守閣を仰いで、
-
一方で、お堀は枯れていますが、今でも険しさを感じるリアルな景観。川沿いの穏やかな顔に加えて、こうした厳しい顔もちょこっとのぞかせています。
-
龍城神社は、岡崎城の天守閣の足元。東照宮の一つということで、徳川家康を祀ります。
-
ただ、名前の由来は、三河国守護代であった西郷稠頼が岡崎城を築城。その際に井戸から龍神が現れ天に昇って行ったという伝説から。社殿はまだ新しいので、建物からはそうした古い歴史は感じることはできません。現代的なきれいな神社と言った印象です。
-
岡崎城公園を出て。
菅生神社は、岡崎では最も古い神社。始まりはヤマトタケルが東征でここを訪れたことから。 -
今では鉾船の奉納花火が美しい菅生祭で知られます。川に向かって建つ本殿とさほど広くはない境内ですが、岡崎公園にも接しているので、緑は豊か。歴史を感じる清々しい雰囲気もあると思います。
-
岡崎はこれで終了。以前、大樹寺、六所神社、伊賀八幡宮で感じた以上の面白さはなかったような。
また来るかどうかわかりませんが、今度は戦跡とかちょっと視点を変えた方がいいかもしれません。 -
ここから東京へ帰るのに、せっかくなので途中下車して浜松餃子にも寄ろうと思います。選んだのは喜慕里。
浜松餃子の名店はどれも交通の便が悪くて、これまで浜松駅そばのむつ菊しか行ったことがないので、喜慕里は二軒目です。高塚駅から15分くらい。8時半過ぎに着いたのですが、結局、食べ終わったのは9時前。そんなに長い行列でもなかったのですが、意外に時間がかかります。 -
で、餃子の方は、ちょっと衝撃的なうまさ。九州だと北九州とか佐賀とかでたまに会うネッチョリ系。似ていますが、あっさり味なので、これなら毎日でも食べられるでしょう。宇都宮にはこんなタイプの店はないし、浜松餃子の実力をまざまざと見せつけられたような気持ちになりました。これはすごい。やっぱり浜松餃子は再チャレンジの必要があるようです。
さて、以上で二日間の旅は無事終了。お疲れ様でした。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
123