シチリア島旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2016年8月1日ローマ経由で<br />シチリアパレルモ・ファルコーネ・ボルセリーノ空港入り、<br />パレルモ2泊から<br />アグリジェントで1泊、<br />文字通りの古代ギリシャ時代の神殿の谷を見て、<br />次の日、カザーレの古代ローマ時代の別荘<br />に立ち寄り、<br />そこからシチリア随一のリゾート地タオルミーナにて、2泊、<br />グランブルーの<br />イゾラベッラ海岸で泳ぎ、<br />シチリア第二の都市カターニアで1泊して、<br />カターニアフォンタロッサ空港から<br />ローマ・フィウミチーノ空港<br />経由で8月8日成田に帰国するという旅程である。<br /><br />(一日目二日目のパレルモ編と三日目のアグリジェント編、<br />並びに四日目カザーレの別荘編は、<br />以下のように公開させて頂きました。<br />パレルモ編です。↓<br />http://4travel.jp/travelogue/11157707<br />アグリジェント編です。↓<br />http://4travel.jp/travelogue/11161895<br />カザーレ別荘編です↓<br />http://4travel.jp/travelogue/11164465)<br /><br />シチリア最大のリゾート保養地タオルミーナ。<br /><br />このまちは、標高400m近いタウロ山の<br />中腹に張り付くように形成されていた。<br /><br />旧市街の真ん中コルトウンベルト通りは、北東の<br />メッシーナ門から入り南西のカターニア門で終わる。<br /><br />ホテルシリウスから、徒歩にて<br />ロープウェイ・フィ二ビエ駅まで4分、<br />旧市街入口メッシーナ門まで<br />約8分くらいだった。<br />無論ロープウェイは、マッツアーロ海岸・<br />そしてイゾラベッラへ行くためのものである。<br /><br />午後3時前後にホテルへ到着した<br />が、看板と案内板は<br />確かにシリウスとなっていたが、<br />何とホテルの建物がない。<br />しかし、すぐに理解できた。<br /><br />このタオルミーナは、<br />町が旧市街を除くと<br />山の中腹から海側へ張り付くように形成されていて、<br />中心幹線道路自体が、山の中腹にあったからである。<br /><br />つまり、海側へどんどん傾斜して切れ込む形で町があり、<br />住宅建造物は棚田のように下へ下へと<br />形成されてできたことが<br />ありありだった。<br />海岸沿いの道路が通うようになったのは、<br />19世紀になってからである。<br /><br />シリウスのフロントは、<br />下へ降りてまた降りて2階分降りると<br />そこが正面フロントだった。<br /><br />一旦、フロントを偵察に来て、大体のみ込めたので<br />上からスーツケースを下ろそうと思って戻りかけると、<br />フロントの担当者があわてて飛んできて、<br />お客様ですか?<br />荷物などは、<br />スタッフに運んでもらった。<br /><br />やはり我らだけではなく、かなりの顧客も勘違い?するらしかった。<br /><br />5階がフロント、<br />そして4階3階2階1階が客室だった。<br />1階にプールがあり、<br />イオニア海がパロラマで見渡せるように<br />なっていたので、まずプールでひと泳ぎ。<br />その後部屋の庭テラスから、<br />これまた嬉しい景観をデジして見た。<br /><br /><br />1988年には、スクリーンにグラン・ブルーが登場した。<br />その撮影地がここタオルミーナ<br />特にイゾラ・ベッラだった。<br /><br />そこで、余談になるが、<br /><br />スクリーンに映ったシチリアは<br />どうだったかを<br />しばし考えてみたい。<br /><br />(行く前に鑑賞した映画もあれば、<br />帰国後スクリーンに映ったシチリアを<br />鑑賞したものもある。)<br /><br />シチリアが映った映画の中では<br />グランブルーは別にして、<br /><br />何といっても<br />1,ニュー・シネマ・パラダイス<br />そして、<br />2,山猫<br />その他<br />3,ペッピーノの百歩<br />4,ストロンボリ<br />5,揺れる大地<br />ちょっと異色の<br />6,輝ける青春<br />7,明日を夢見て<br />8,マレーナなどがある。<br /><br />グラン・ブルーは、<br />ジャックマイヨールの自伝から<br />素潜りの男たちの物語だが、<br />1965年ギリシャ・彼らが少年時代から始まる。<br />そして劇中のエンゾ(ジャンレノ)は、<br />23年ぶりに<br />ジャックを探し出し、<br />潜水世界チャンピオン大会で<br />ジャックの記録115mに挑み、死んでしまう。<br /><br />因みに、当方の記憶に間違いなければ<br />マイヨールは10歳近くまでを<br />日本の佐賀県<br />唐津?の海岸で過ごし、<br />そこでイルカとの遭遇で海に目覚めたのでは<br />なかったか?<br /><br />見直して見ると、<br />タオルミーナカテドラルの横の噴水の<br />水道蛇口から水を汲む場面が出て来た。<br />ストレスを抱えた<br />水族館のイルカを海岸で泳がせようとして、<br />海岸までイルカを運ぶシーンだったが、・・・。<br />すぐ下の動画4、で出て来るのがその噴水蛇口水道である。<br />映画では、エンゾ(ジャンレノ)は、<br />イタリアの軽い男のように<br />なっていたが、<br />本物のエンソォ・マヨルカは、<br />誇り高いシラクサの<br />重厚な男である。<br />中々に見ごたえのある佳作だと思う。<br /><br />↓グランブルー動画予告編<br />https://www.youtube.com/watch?v=T8DtVusxF_Q<br /><br />1,ニュー・シネマ・パラダイス<br />ーシチリア映画でこんなに楽しい映画は<br />初めてだった。<br />トト少年と年の離れた親友映写技師アルフレードの<br />関係性が実にいい。<br />トト少年は、大人になってシチリアを離れて<br />ローマで映画監督で有名になっている。<br /><br />冒頭シーンは、<br />凪いだ穏やかな海をバックに、<br />テーブルが映り、<br />そこにはルミア(シチリアのレモン)があり、<br />母親がトト(映画監督)に電話するシーンから始まる。<br /><br />この時、彼は留守であったが<br />同居する女性に、<br />郷里の母親から<br />老いた友人のアルフレードが亡くなったと<br />の電話があった旨告げられて、<br />一挙にシーンは、回想場面となり<br />少年時代へと戻される。<br /><br />舞台となる小さな村(町?)は、<br />教会や水くみ場のある大きな広場があり、<br />映画館もあってトト少年の成長や初恋など見守っていく。<br /><br />そこは、<br />戦後まもない大半の住民が文盲で、<br />唯一の楽しみは<br />村にある一軒だけの映画館だった。<br />トト少年は、映画キチガイで、映写技師のアルフレードを<br />いつも訪問する。<br /><br />映画の終盤、<br />時は移り変わり現代となり、<br />30年ぶりにトトは、<br />故郷の土を踏む。<br />親友であり人生の師でもあったアルフレードの<br />葬式に出席するためである。<br />村の人々は、出世して近づき難くなったトトに敬語を使う。<br /><br />アルフレードの奥さんから形見に貰ってきたものは、<br />フィルムだった。<br />アルフレードが彼のために大事に保管していたものである。<br /><br />このフィルムをローマに帰って映写してみると、<br />それは、少年時代映倫の代わりに<br />神父がカットしたキスシーンの<br />寄せ集めだった。<br />{揺れる大地}の主人公が<br />恋人と抱き合うシーンも写っていた。<br /><br />涙を流しながらトトは、<br />しみじみこれを見ているところで<br />映画は終わる。<br /><br />映画全盛時代を背景に、<br />エンニオモリコーネの雰囲気ある音楽もあって<br />見る人をして感動させないではおかない<br />1本であると思う。<br />地元シチリア トルナトーレ監督の傑作。<br /><br />この映画では、<br />アルフレードが他の中年男たちと共に、<br />小学校卒業認定試験を、<br />トトたちの正式な卒業試験と共に<br />受けるシーンが出て来る。<br />トト少年の斜め後ろがアルフレードで、<br />問題の解答を<br />トトに教えてもらうシーンは笑いをさそう。<br /><br />日本人が、あれっと思うシーンである。<br />(アルフレード達は、実は小学校中退者<br /> だとここでわかる)<br /><br />なぜなのか?<br />詳細に解説するとなると、<br />長いので割愛せざるを得ないが<br />一言で言えば、<br />イタリアの初等義務教育期間は、<br />戦後から2003年法律第53号が施行されるまで、<br />小学校5年中学3年の8年間であった。、<br /><br />そして小学校から留年(進級試験)制度があり、<br />5年間で<br />未だに小学2年だとか3年生が<br />ザラにいたということである。<br />つまり、3年生を3回留年すれば、<br />5年の小学校義務教育期間満了となり<br />小学校を中退せざるを得なくなるのである。<br /><br />流石に、2003年以降は、<br />義務教育期間も<br />小学校5年中学校3年そして高校5年間の内の前期2年間、<br />合計10年間となって、<br />EU加盟もあって、<br />留年者も激減したと言われるが、<br />それでも尚<br />小学校中退組はいるようである。<br /><br /><br />(言ってみれば、イタリアの教育は<br />義務教育でもトコロテン式に押し出すのではなく、<br />分からないとそれだけ留年させる仕組みになっていた。)<br /><br />{イタリアの教育制度自体につきましては、<br />どこかで更に言及することがあるかも知れないと存じます}<br /><br />↓ニュー・シネマ・パラダイス・予告編<br />https://www.youtube.com/watch?v=9RYmWNWmKT4<br /><br />2,山猫 有名なほど有名なあの山猫である。<br />バート・ランカスター、<br />アラン・ドロン、<br />クラウディア・カルディナーレ<br />共演で、<br />イタリアシチリアの19世紀後半を描く<br />老貴族を中心に据えた物語である。<br /><br />この映画では、<br />何とあのマカロニウエスタンで後年大スターになる<br />ジュリアーノジェンマが、<br />イタリアの英雄ガリバルディ役で、<br />それもチョイ役で登場していた。<br />↓山猫予告編動画含む<br />https://www.youtube.com/watch?v=I8MwWURGgZ0<br /><br />3ペッピーノの百歩 <br /><br />シチリアパレルモ近郊のチ二ジで、<br />マフィア一家の家に生まれたペッピーノが、<br />世界的な政治の季節であった60年代70年代を<br />青年として生きるが、親に逆らいつつ<br />反マフィア運動に身を投じて、<br />最後は叔父のマフィアのボス・<br />ターノに自殺を装い体に爆弾を巻きつけられて<br />殺害されるまでを描いた作品である。<br /><br />殺害されたのに、1978年5月9日時点では、<br />当時の警察も自殺と判断?<br />それ以上の捜査はうやむやになってしまうが、<br />19年後1997年に一人の口述から、<br />マフィアのボス<br />ターノの仕業であることが判明し、<br />起訴されるまでを描いている。<br />実話に基づくもの。<br /><br />4,ストロンボリ <br /><br />ストロンボリ島(シチリア島メッシーナから<br />北西70キロに位置する)を舞台した映画で、<br /><br />活火山の噴火シーンでは、<br />島民全員が船で脱出する場面や、<br />実際の島民たちのマグロの網漁法で、<br />大量のマグロを引き上げるシーンなどが<br />圧巻中の圧巻である。<br />主演女優は、あのイングリッド・バーグマンだった。<br /><br />5,揺れる大地 <br />1948年ルキノ・ヴィスコンティ作品<br />これでもかこれでもかと、<br />貧困に喘ぐアーチトレッツアの漁民たち<br />の物語。<br />登場するのも全員地元の素人にわか俳優たちである。<br /><br />あまりにも救いのない作品で、<br />これが不朽の名作とは<br />当方にはどうしても思われなかった。<br />原作は、ジョバンニ・ヴェルガの「マラヴォリア家の人々」<br /><br />6,輝ける青春 <br /><br />シチリアのみならず<br />イタリア全体が登場するが、<br />1960年代から2003年位までの<br />イタリア40年間を<br />ある二人の兄弟を主人公に描いた作品。<br />(二人が20代からを描く、<br />弟マッテオは早逝するが兄は60代までを生き抜く。)<br /><br />超大作6時間を超える大叙事詩<br />と言っても過言ではない。<br />赤い旅団あり、<br />フィアット社のリストラありで、<br />見るものを飽きさせない<br />まとまった作品に仕上げられ、<br />佳品だと思う。<br />主役は、あのペッピーノの百歩の<br />ルイジ・ロ・カーショ<br /><br />7,明日を夢見て <br /><br />トルナトーレ監督の<br />シチリアへの強い思い入れと<br />愛情が強く浮き出た作品だと思う。<br />映画のオーデイションの形式で、<br />色々なシチリアの島民たち<br />(山賊もいれば、羊飼いもいれば、<br />そのへんの住民もいれば、<br />千人隊の生き残りもいる)<br />にそれぞれの人生を語らせる手法は、<br />シチリアの歴史風土を<br />一気に映画観客に伝えることで成功している。<br /><br />時代は、戦後まもなくであるが、<br />この作品を見ていると <br />あのフェリーニの「道」、<br />ザンパノとジェルソミーナの<br />大道芸人の生き様などが妙に想起されてしまう。<br /><br />8,マレーナ <br /><br />第2次世界大戦末期のシチリアの有る町<br />思春期の少年から見た<br />一人の美女の数年間を描いた作品である。<br />戦争で死んだと思った夫は、誤報で生きていた。<br /><br />その他、スクリーンに撮されたシチリアは、<br />ゴッドファザーや <br />シシリーの黒い霧<br />(購入して鑑賞したが、<br />この映画何度見ても謎ばかりである)<br /><br />などあるが、<br />総じてイタリアの南北問題の後進性を<br />シチリアは一身で引き受けていたのでは、?<br />と思うように、暗く底は深いと当方には感じられた。<br /><br />表題写真は、タオルミーナ四月九日広場より見た<br />ナクソス湾と右手のエトナ山である。<br /><br /><br />動画1は、まず4月9日広場での撮影から。<br />https://www.youtube.com/watch?v=U8CkK3VQsGk<br /><br />続いて動画2は、ギリシヤ劇場の様子を<br />https://www.youtube.com/watch?v=gRZ3IfCpSak<br /><br />更に動画3はイゾラベッラ海岸の様子<br />https://www.youtube.com/watch?v=W-KzdGDywwA<br /><br />動画4は、ドゥオーモ(カテドラル大聖堂)広場の様子<br />https://www.youtube.com/watch?v=AFzSG-4X0xM

シチリア島周遊記タオルミーナ編(ギリシャ劇場・4月9日広場・イゾラベッラの動画、及びスクリーンに映ったシチリア)

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2016/08/01 - 2016/08/08

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わき

わきさん

2016年8月1日ローマ経由で
シチリアパレルモ・ファルコーネ・ボルセリーノ空港入り、
パレルモ2泊から
アグリジェントで1泊、
文字通りの古代ギリシャ時代の神殿の谷を見て、
次の日、カザーレの古代ローマ時代の別荘
に立ち寄り、
そこからシチリア随一のリゾート地タオルミーナにて、2泊、
グランブルーの
イゾラベッラ海岸で泳ぎ、
シチリア第二の都市カターニアで1泊して、
カターニアフォンタロッサ空港から
ローマ・フィウミチーノ空港
経由で8月8日成田に帰国するという旅程である。

(一日目二日目のパレルモ編と三日目のアグリジェント編、
並びに四日目カザーレの別荘編は、
以下のように公開させて頂きました。
パレルモ編です。↓
http://4travel.jp/travelogue/11157707
アグリジェント編です。↓
http://4travel.jp/travelogue/11161895
カザーレ別荘編です↓
http://4travel.jp/travelogue/11164465

シチリア最大のリゾート保養地タオルミーナ。

このまちは、標高400m近いタウロ山の
中腹に張り付くように形成されていた。

旧市街の真ん中コルトウンベルト通りは、北東の
メッシーナ門から入り南西のカターニア門で終わる。

ホテルシリウスから、徒歩にて
ロープウェイ・フィ二ビエ駅まで4分、
旧市街入口メッシーナ門まで
約8分くらいだった。
無論ロープウェイは、マッツアーロ海岸・
そしてイゾラベッラへ行くためのものである。

午後3時前後にホテルへ到着した
が、看板と案内板は
確かにシリウスとなっていたが、
何とホテルの建物がない。
しかし、すぐに理解できた。

このタオルミーナは、
町が旧市街を除くと
山の中腹から海側へ張り付くように形成されていて、
中心幹線道路自体が、山の中腹にあったからである。

つまり、海側へどんどん傾斜して切れ込む形で町があり、
住宅建造物は棚田のように下へ下へと
形成されてできたことが
ありありだった。
海岸沿いの道路が通うようになったのは、
19世紀になってからである。

シリウスのフロントは、
下へ降りてまた降りて2階分降りると
そこが正面フロントだった。

一旦、フロントを偵察に来て、大体のみ込めたので
上からスーツケースを下ろそうと思って戻りかけると、
フロントの担当者があわてて飛んできて、
お客様ですか?
荷物などは、
スタッフに運んでもらった。

やはり我らだけではなく、かなりの顧客も勘違い?するらしかった。

5階がフロント、
そして4階3階2階1階が客室だった。
1階にプールがあり、
イオニア海がパロラマで見渡せるように
なっていたので、まずプールでひと泳ぎ。
その後部屋の庭テラスから、
これまた嬉しい景観をデジして見た。


1988年には、スクリーンにグラン・ブルーが登場した。
その撮影地がここタオルミーナ
特にイゾラ・ベッラだった。

そこで、余談になるが、

スクリーンに映ったシチリアは
どうだったかを
しばし考えてみたい。

(行く前に鑑賞した映画もあれば、
帰国後スクリーンに映ったシチリアを
鑑賞したものもある。)

シチリアが映った映画の中では
グランブルーは別にして、

何といっても
1,ニュー・シネマ・パラダイス
そして、
2,山猫
その他
3,ペッピーノの百歩
4,ストロンボリ
5,揺れる大地
ちょっと異色の
6,輝ける青春
7,明日を夢見て
8,マレーナなどがある。

グラン・ブルーは、
ジャックマイヨールの自伝から
素潜りの男たちの物語だが、
1965年ギリシャ・彼らが少年時代から始まる。
そして劇中のエンゾ(ジャンレノ)は、
23年ぶりに
ジャックを探し出し、
潜水世界チャンピオン大会で
ジャックの記録115mに挑み、死んでしまう。

因みに、当方の記憶に間違いなければ
マイヨールは10歳近くまでを
日本の佐賀県
唐津?の海岸で過ごし、
そこでイルカとの遭遇で海に目覚めたのでは
なかったか?

見直して見ると、
タオルミーナカテドラルの横の噴水の
水道蛇口から水を汲む場面が出て来た。
ストレスを抱えた
水族館のイルカを海岸で泳がせようとして、
海岸までイルカを運ぶシーンだったが、・・・。
すぐ下の動画4、で出て来るのがその噴水蛇口水道である。
映画では、エンゾ(ジャンレノ)は、
イタリアの軽い男のように
なっていたが、
本物のエンソォ・マヨルカは、
誇り高いシラクサの
重厚な男である。
中々に見ごたえのある佳作だと思う。

↓グランブルー動画予告編
https://www.youtube.com/watch?v=T8DtVusxF_Q

1,ニュー・シネマ・パラダイス
ーシチリア映画でこんなに楽しい映画は
初めてだった。
トト少年と年の離れた親友映写技師アルフレードの
関係性が実にいい。
トト少年は、大人になってシチリアを離れて
ローマで映画監督で有名になっている。

冒頭シーンは、
凪いだ穏やかな海をバックに、
テーブルが映り、
そこにはルミア(シチリアのレモン)があり、
母親がトト(映画監督)に電話するシーンから始まる。

この時、彼は留守であったが
同居する女性に、
郷里の母親から
老いた友人のアルフレードが亡くなったと
の電話があった旨告げられて、
一挙にシーンは、回想場面となり
少年時代へと戻される。

舞台となる小さな村(町?)は、
教会や水くみ場のある大きな広場があり、
映画館もあってトト少年の成長や初恋など見守っていく。

そこは、
戦後まもない大半の住民が文盲で、
唯一の楽しみは
村にある一軒だけの映画館だった。
トト少年は、映画キチガイで、映写技師のアルフレードを
いつも訪問する。

映画の終盤、
時は移り変わり現代となり、
30年ぶりにトトは、
故郷の土を踏む。
親友であり人生の師でもあったアルフレードの
葬式に出席するためである。
村の人々は、出世して近づき難くなったトトに敬語を使う。

アルフレードの奥さんから形見に貰ってきたものは、
フィルムだった。
アルフレードが彼のために大事に保管していたものである。

このフィルムをローマに帰って映写してみると、
それは、少年時代映倫の代わりに
神父がカットしたキスシーンの
寄せ集めだった。
{揺れる大地}の主人公が
恋人と抱き合うシーンも写っていた。

涙を流しながらトトは、
しみじみこれを見ているところで
映画は終わる。

映画全盛時代を背景に、
エンニオモリコーネの雰囲気ある音楽もあって
見る人をして感動させないではおかない
1本であると思う。
地元シチリア トルナトーレ監督の傑作。

この映画では、
アルフレードが他の中年男たちと共に、
小学校卒業認定試験を、
トトたちの正式な卒業試験と共に
受けるシーンが出て来る。
トト少年の斜め後ろがアルフレードで、
問題の解答を
トトに教えてもらうシーンは笑いをさそう。

日本人が、あれっと思うシーンである。
(アルフレード達は、実は小学校中退者
 だとここでわかる)

なぜなのか?
詳細に解説するとなると、
長いので割愛せざるを得ないが
一言で言えば、
イタリアの初等義務教育期間は、
戦後から2003年法律第53号が施行されるまで、
小学校5年中学3年の8年間であった。、

そして小学校から留年(進級試験)制度があり、
5年間で
未だに小学2年だとか3年生が
ザラにいたということである。
つまり、3年生を3回留年すれば、
5年の小学校義務教育期間満了となり
小学校を中退せざるを得なくなるのである。

流石に、2003年以降は、
義務教育期間も
小学校5年中学校3年そして高校5年間の内の前期2年間、
合計10年間となって、
EU加盟もあって、
留年者も激減したと言われるが、
それでも尚
小学校中退組はいるようである。


(言ってみれば、イタリアの教育は
義務教育でもトコロテン式に押し出すのではなく、
分からないとそれだけ留年させる仕組みになっていた。)

{イタリアの教育制度自体につきましては、
どこかで更に言及することがあるかも知れないと存じます}

↓ニュー・シネマ・パラダイス・予告編
https://www.youtube.com/watch?v=9RYmWNWmKT4

2,山猫 有名なほど有名なあの山猫である。
バート・ランカスター、
アラン・ドロン、
クラウディア・カルディナーレ
共演で、
イタリアシチリアの19世紀後半を描く
老貴族を中心に据えた物語である。

この映画では、
何とあのマカロニウエスタンで後年大スターになる
ジュリアーノジェンマが、
イタリアの英雄ガリバルディ役で、
それもチョイ役で登場していた。
↓山猫予告編動画含む
https://www.youtube.com/watch?v=I8MwWURGgZ0

3ペッピーノの百歩 

シチリアパレルモ近郊のチ二ジで、
マフィア一家の家に生まれたペッピーノが、
世界的な政治の季節であった60年代70年代を
青年として生きるが、親に逆らいつつ
反マフィア運動に身を投じて、
最後は叔父のマフィアのボス・
ターノに自殺を装い体に爆弾を巻きつけられて
殺害されるまでを描いた作品である。

殺害されたのに、1978年5月9日時点では、
当時の警察も自殺と判断?
それ以上の捜査はうやむやになってしまうが、
19年後1997年に一人の口述から、
マフィアのボス
ターノの仕業であることが判明し、
起訴されるまでを描いている。
実話に基づくもの。

4,ストロンボリ 

ストロンボリ島(シチリア島メッシーナから
北西70キロに位置する)を舞台した映画で、

活火山の噴火シーンでは、
島民全員が船で脱出する場面や、
実際の島民たちのマグロの網漁法で、
大量のマグロを引き上げるシーンなどが
圧巻中の圧巻である。
主演女優は、あのイングリッド・バーグマンだった。

5,揺れる大地 
1948年ルキノ・ヴィスコンティ作品
これでもかこれでもかと、
貧困に喘ぐアーチトレッツアの漁民たち
の物語。
登場するのも全員地元の素人にわか俳優たちである。

あまりにも救いのない作品で、
これが不朽の名作とは
当方にはどうしても思われなかった。
原作は、ジョバンニ・ヴェルガの「マラヴォリア家の人々」

6,輝ける青春 

シチリアのみならず
イタリア全体が登場するが、
1960年代から2003年位までの
イタリア40年間を
ある二人の兄弟を主人公に描いた作品。
(二人が20代からを描く、
弟マッテオは早逝するが兄は60代までを生き抜く。)

超大作6時間を超える大叙事詩
と言っても過言ではない。
赤い旅団あり、
フィアット社のリストラありで、
見るものを飽きさせない
まとまった作品に仕上げられ、
佳品だと思う。
主役は、あのペッピーノの百歩の
ルイジ・ロ・カーショ

7,明日を夢見て 

トルナトーレ監督の
シチリアへの強い思い入れと
愛情が強く浮き出た作品だと思う。
映画のオーデイションの形式で、
色々なシチリアの島民たち
(山賊もいれば、羊飼いもいれば、
そのへんの住民もいれば、
千人隊の生き残りもいる)
にそれぞれの人生を語らせる手法は、
シチリアの歴史風土を
一気に映画観客に伝えることで成功している。

時代は、戦後まもなくであるが、
この作品を見ていると 
あのフェリーニの「道」、
ザンパノとジェルソミーナの
大道芸人の生き様などが妙に想起されてしまう。

8,マレーナ 

第2次世界大戦末期のシチリアの有る町
思春期の少年から見た
一人の美女の数年間を描いた作品である。
戦争で死んだと思った夫は、誤報で生きていた。

その他、スクリーンに撮されたシチリアは、
ゴッドファザーや 
シシリーの黒い霧
(購入して鑑賞したが、
この映画何度見ても謎ばかりである)

などあるが、
総じてイタリアの南北問題の後進性を
シチリアは一身で引き受けていたのでは、?
と思うように、暗く底は深いと当方には感じられた。

表題写真は、タオルミーナ四月九日広場より見た
ナクソス湾と右手のエトナ山である。


動画1は、まず4月9日広場での撮影から。
https://www.youtube.com/watch?v=U8CkK3VQsGk

続いて動画2は、ギリシヤ劇場の様子を
https://www.youtube.com/watch?v=gRZ3IfCpSak

更に動画3はイゾラベッラ海岸の様子
https://www.youtube.com/watch?v=W-KzdGDywwA

動画4は、ドゥオーモ(カテドラル大聖堂)広場の様子
https://www.youtube.com/watch?v=AFzSG-4X0xM

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • ホテルの部屋テラス庭から、<br />イオニア海を望む

    ホテルの部屋テラス庭から、
    イオニア海を望む

  • 同じくホテルの部屋テラスから。<br />少し大きめに

    同じくホテルの部屋テラスから。
    少し大きめに

  • また違うように

    また違うように

  • 更に撮影

    更に撮影

  • パラボナアンテナの<br />左下には、小さくイゾラベッラが見えている

    パラボナアンテナの
    左下には、小さくイゾラベッラが見えている

  • そのイゾラベッラ

    そのイゾラベッラ

  • 更にイオニア海を<br />部屋から

    更にイオニア海を
    部屋から

  • 同上である

    同上である

  • イゾラベッラも入れて<br />更にもう一枚

    イゾラベッラも入れて
    更にもう一枚

  • ホテル部屋より

    ホテル部屋より

  • 同上

    同上

  • ホテルを出て歩き始めると、<br />このような、<br />シチリアシンボル・トリスケレス(三脚紋)が、<br />土産物として売られていた。

    ホテルを出て歩き始めると、
    このような、
    シチリアシンボル・トリスケレス(三脚紋)が、
    土産物として売られていた。

  • タオルミーナ全体図である。<br />イオニア海(右)にちょっと出た小島が<br />イゾラベッラ。<br />その上は、マッツアーロ海岸<br />どちらも海水浴で賑わっていた。

    タオルミーナ全体図である。
    イオニア海(右)にちょっと出た小島が
    イゾラベッラ。
    その上は、マッツアーロ海岸
    どちらも海水浴で賑わっていた。

  • こちらは、タオルミーナ旧市街図<br />全体図。<br />中心街は、メッシーナ門から入る

    こちらは、タオルミーナ旧市街図
    全体図。
    中心街は、メッシーナ門から入る

  • 途中、イオニア海を撮影した

    途中、イオニア海を撮影した

  • タオルミーナ古代劇場(所謂ギリシャ劇場)は、<br />BC紀元前3世紀建設である。<br />シチリアではシラクサについで2番目の規模<br />岩場の斜面からすり鉢状に石を切り出して建設されたという。<br />切り出した石灰岩は、5万トンから10万トン。<br />これを、その後ローマ人がローマ風に改造<br />標高は250mである。<br /><br />現在でも、映画祭・ファッションショー・<br />オーケストラコンサートなど各種イベントが開催されている。<br />この時も、コンサートがこれから始まろうとしていた。

    タオルミーナ古代劇場(所謂ギリシャ劇場)は、
    BC紀元前3世紀建設である。
    シチリアではシラクサについで2番目の規模
    岩場の斜面からすり鉢状に石を切り出して建設されたという。
    切り出した石灰岩は、5万トンから10万トン。
    これを、その後ローマ人がローマ風に改造
    標高は250mである。

    現在でも、映画祭・ファッションショー・
    オーケストラコンサートなど各種イベントが開催されている。
    この時も、コンサートがこれから始まろうとしていた。

  • ここからは、いろいろな角度から<br />劇場を撮影してみた。<br />ギリシャ劇場動画である。その1<br />↓<br />https://www.youtube.com/watch?v=gRZ3IfCpSak

    ここからは、いろいろな角度から
    劇場を撮影してみた。
    ギリシャ劇場動画である。その1

    https://www.youtube.com/watch?v=gRZ3IfCpSak

  • ギリシャ劇場<br />動画その2<br />https://www.youtube.com/watch?v=x-vAvmgcxl4

    ギリシャ劇場
    動画その2
    https://www.youtube.com/watch?v=x-vAvmgcxl4

  • 違う角度から

    違う角度から

  • 更に違うように

    更に違うように

  • 同上である

    同上である

  • 色違いで

    色違いで

  • 壇上を

    壇上を

  • 同じく壇上を<br />違う色彩で

    同じく壇上を
    違う色彩で

  • さらに一枚

    さらに一枚

  • 階段部分から見たところ

    階段部分から見たところ

  • 同上である

    同上である

  • 劇場の最上階部分を

    劇場の最上階部分を

  • 反対側より最上階を

    反対側より最上階を

  • 最上階より見た壇上部分

    最上階より見た壇上部分

  • さらに一枚

    さらに一枚

  • 続けて一枚

    続けて一枚

  • しつこくしつこく撮影

    しつこくしつこく撮影

  • さらに一枚

    さらに一枚

  • 背景にナクソス湾が見える

    背景にナクソス湾が見える

  • 違う角度より撮影

    違う角度より撮影

  • またまた撮影

    またまた撮影

  • さらに飽きるほど撮影

    さらに飽きるほど撮影

  • 更に更に違う部分を

    更に更に違う部分を

  • 最上階からの眺め

    最上階からの眺め

  • ギリシャ劇場の裏手より<br />撮影したイオニア海

    ギリシャ劇場の裏手より
    撮影したイオニア海

  • 同上である

    同上である

  • ギリシャ劇場から臨む<br />イゾラベッラ

    ギリシャ劇場から臨む
    イゾラベッラ

  • ギリシャ劇場から臨む<br />イゾラベッラ

    ギリシャ劇場から臨む
    イゾラベッラ

  • ギリシャ劇場から臨む<br />イゾラベッラ<br />小さく

    ギリシャ劇場から臨む
    イゾラベッラ
    小さく

  • ギリシャ劇場から臨む<br />

    ギリシャ劇場から臨む

  • ギリシャ劇場から臨む<br />イゾラベッラ

    ギリシャ劇場から臨む
    イゾラベッラ

  • またギリシャ劇場に戻って

    またギリシャ劇場に戻って

  • 壇上舞台部分の一部

    壇上舞台部分の一部

  • 壇上舞台部分の一部

    壇上舞台部分の一部

  • 壇上舞台部分の一部

    壇上舞台部分の一部

  • 階段には、観客の椅子が

    階段には、観客の椅子が

  • 階段には、観客の椅子が<br />色を違えて撮影

    階段には、観客の椅子が
    色を違えて撮影

  • 階段には、観客の椅子が。<br />色を違えて撮影してみた

    階段には、観客の椅子が。
    色を違えて撮影してみた

  • ここから、エトナが見えるはずだが<br />曇っていて見えない。<br />残念無念

    ここから、エトナが見えるはずだが
    曇っていて見えない。
    残念無念

  • 違う部分を

    違う部分を

  • 4月9日広場は、1860年4月9日に<br />ガリバルディがシチリアに上陸したという<br />知らせに人々は歓喜し、この名前が付けられた。<br />しかし、それは誤報で実際にガリバルディが<br />シチリア上陸を果たすのは、<br />約1ヶ月後だったが、人々はそのまま4月9日広場でいいと<br />なったようである。

    4月9日広場は、1860年4月9日に
    ガリバルディがシチリアに上陸したという
    知らせに人々は歓喜し、この名前が付けられた。
    しかし、それは誤報で実際にガリバルディが
    シチリア上陸を果たすのは、
    約1ヶ月後だったが、人々はそのまま4月9日広場でいいと
    なったようである。

  • 4月9日広場から望む<br />ナクソス湾

    4月9日広場から望む
    ナクソス湾

  • 4月9日広場から望む<br />ナクソス湾

    4月9日広場から望む
    ナクソス湾

  • 左には小さく<br />イゾラベッラが見えている

    左には小さく
    イゾラベッラが見えている

  • 4月9日広場から望む<br />ナクソス湾

    4月9日広場から望む
    ナクソス湾

  • 4月9日広場から望む<br />ナクソス湾

    4月9日広場から望む
    ナクソス湾

  • 4月9日広場の動画1<br />https://www.youtube.com/watch?v=U8CkK3VQsGk<br /><br />エトナ山が見える。<br />この時、午後8時30分位だった。

    4月9日広場の動画1
    https://www.youtube.com/watch?v=U8CkK3VQsGk

    エトナ山が見える。
    この時、午後8時30分位だった。

  • 4月9日広場の動画2<br />https://www.youtube.com/watch?v=fmeav5KW1fc<br /><br />同じくエトナ山を右手に

    4月9日広場の動画2
    https://www.youtube.com/watch?v=fmeav5KW1fc

    同じくエトナ山を右手に

  • 4月9日広場から望む<br />ナクソス湾<br />左にはイゾラベッラ

    4月9日広場から望む
    ナクソス湾
    左にはイゾラベッラ

  • 4月9日広場から望む<br />ナクソス湾

    4月9日広場から望む
    ナクソス湾

  • 4月9日広場の動画3<br />https://www.youtube.com/watch?v=31jKSVCXnSY<br /><br />時計塔のあるメッゾ門(奥左手)は、<br />12世紀に一旦作られた。<br />17世紀フランスルイ14世時代に<br />フランス軍に破壊されたが、<br />その3年後1679年再建されたという。<br />その時に、時計もはめ込まれた。

    4月9日広場の動画3
    https://www.youtube.com/watch?v=31jKSVCXnSY

    時計塔のあるメッゾ門(奥左手)は、
    12世紀に一旦作られた。
    17世紀フランスルイ14世時代に
    フランス軍に破壊されたが、
    その3年後1679年再建されたという。
    その時に、時計もはめ込まれた。

  • エトナを望む。<br />夕日に映えて綺麗なエトナである。

    エトナを望む。
    夕日に映えて綺麗なエトナである。

  • 時計塔のあるメッゾ門である。

    時計塔のあるメッゾ門である。

  • 聖ジュゼッペ教会を

    聖ジュゼッペ教会を

  • 広場の人々、ツーリストで溢れかえらんばかり

    広場の人々、ツーリストで溢れかえらんばかり

  • 聖ジュゼッペ教会を違うように撮影

    聖ジュゼッペ教会を違うように撮影

  • 人々の熱気がすごい

    人々の熱気がすごい

  • 4月9日広場全体を

    4月9日広場全体を

  • 同じく聖ジュゼッペ教会をメインに、<br />広場を

    同じく聖ジュゼッペ教会をメインに、
    広場を

  • 9日広場から<br />違うように撮影すると、<br />遠くにはエトナ山が見える。

    9日広場から
    違うように撮影すると、
    遠くにはエトナ山が見える。

  • 9日広場から<br />違うように撮影すると、<br />エトナ山が見える。<br />中々良い光景だった。

    9日広場から
    違うように撮影すると、
    エトナ山が見える。
    中々良い光景だった。

  • この際、9日広場を何枚も撮影してみた。

    この際、9日広場を何枚も撮影してみた。

  • 9日広場から<br />違うように撮影すると、<br />エトナ山が見える。

    9日広場から
    違うように撮影すると、
    エトナ山が見える。

  • 聖ジュゼッペ教会大写しで。

    聖ジュゼッペ教会大写しで。

  • 4月9日広場前のリストランテ(レストラン)で<br />食事したが、そのときもらったもの。<br />アンティパスト・プリモピアット・<br />コントルノそして、<br />ヴィノロッソ<br />ヴィノ(ワイン)は、シチリアでは断然の赤、勿論<br />ネロダヴォラをフルボデイで飲んだ。<br />勿論アグアナチュラーレ(ガス抜きミネラル水)も。

    4月9日広場前のリストランテ(レストラン)で
    食事したが、そのときもらったもの。
    アンティパスト・プリモピアット・
    コントルノそして、
    ヴィノロッソ
    ヴィノ(ワイン)は、シチリアでは断然の赤、勿論
    ネロダヴォラをフルボデイで飲んだ。
    勿論アグアナチュラーレ(ガス抜きミネラル水)も。

  • いつもいつも飲んでいた<br />シチリアを代表する赤、ネロダヴォラである。<br />必ず飲んだあとに撮影するので、空瓶である。

    いつもいつも飲んでいた
    シチリアを代表する赤、ネロダヴォラである。
    必ず飲んだあとに撮影するので、空瓶である。

  • 時計塔を大写しで

    時計塔を大写しで

  • 4月9日広場である。<br />翌日の風景かも

    4月9日広場である。
    翌日の風景かも

  • 9日広場の左はカフェ

    9日広場の左はカフェ

  • 9日広場での人々の様子

    9日広場での人々の様子

  • 同上である

    同上である

  • だんだんと暗くなり

    だんだんと暗くなり

  • エトナに一度お別れを

    エトナに一度お別れを

  • 広場ではツーリストたちが<br />色んな表情をして

    広場ではツーリストたちが
    色んな表情をして

  • 同上である

    同上である

  • そろそろ、今夜は帰ろうかということになった。

    そろそろ、今夜は帰ろうかということになった。

  • 翌朝のホテル上から望む

    翌朝のホテル上から望む

  • 同上

    同上

  • シリウスの看板はこれだけだった。<br />これから、ロープウェイでマッツアーロ海岸へ行く

    シリウスの看板はこれだけだった。
    これから、ロープウェイでマッツアーロ海岸へ行く

  • <br />黄色線は、フィ二ビエ駅からマッツァ−ロ海岸までの<br />ロープウエイ。<br />往復6ユーロだった。


    黄色線は、フィ二ビエ駅からマッツァ−ロ海岸までの
    ロープウエイ。
    往復6ユーロだった。

  • ロープウェイの往復チケットである。

    ロープウェイの往復チケットである。

  • Googleでの、イゾラベッラ付近<br />

    Googleでの、イゾラベッラ付近

  • 奥の青い表面建物は、<br />ロープウェイ駅(マッツアーロ海岸側)

    奥の青い表面建物は、
    ロープウェイ駅(マッツアーロ海岸側)

  • ロープウェイ駅(マッツアーロ海岸側)

    ロープウェイ駅(マッツアーロ海岸側)

  • いよいよ、イゾラベッラにやってきた。<br />動画イゾラベッラ海水浴場1<br />https://www.youtube.com/watch?v=XY7W-XDb_cI<br /><br />動画イゾラベッラ海水浴場2<br />https://www.youtube.com/watch?v=W-KzdGDywwA

    いよいよ、イゾラベッラにやってきた。
    動画イゾラベッラ海水浴場1
    https://www.youtube.com/watch?v=XY7W-XDb_cI

    動画イゾラベッラ海水浴場2
    https://www.youtube.com/watch?v=W-KzdGDywwA

  • ここで、泳いだが足元は砂利小石で、<br />お世辞にも素足ではかなり痛いのである。

    ここで、泳いだが足元は砂利小石で、
    お世辞にも素足ではかなり痛いのである。

  • 砂浜の海水浴場ではない。<br />当方は、少年時代長崎のある島で暮らしていたことがあるが、<br />ゴツゴツの石ならば、もっと雄々しくゴツゴツ感が<br />あったらもっと良かったと思ってしまった。<br />そのほうが、魚にとっても住みやすい。

    砂浜の海水浴場ではない。
    当方は、少年時代長崎のある島で暮らしていたことがあるが、
    ゴツゴツの石ならば、もっと雄々しくゴツゴツ感が
    あったらもっと良かったと思ってしまった。
    そのほうが、魚にとっても住みやすい。

  • イゾラベッラ海水浴場動画3<br />https://www.youtube.com/watch?v=ILiElhx20lw

    イゾラベッラ海水浴場動画3
    https://www.youtube.com/watch?v=ILiElhx20lw

  • イゾラベッラ海岸

    イゾラベッラ海岸

  • イゾラベッラを大写しで。<br />現在はシチリア州そのものの所有地イゾラベッラ。<br />1990年にサンダーソン社のボスルジから競売で、<br />所有権獲得。なぜならサンダーソン社が倒産したからである。<br />内部見学も可能だとか。<br />石の扉があって、動いたりする遊び心のある屋敷である。

    イゾラベッラを大写しで。
    現在はシチリア州そのものの所有地イゾラベッラ。
    1990年にサンダーソン社のボスルジから競売で、
    所有権獲得。なぜならサンダーソン社が倒産したからである。
    内部見学も可能だとか。
    石の扉があって、動いたりする遊び心のある屋敷である。

  • イゾラベッラ海岸

    イゾラベッラ海岸

  • イゾラベッラ海岸

    イゾラベッラ海岸

  • 世界中のツーリスト達で溢れていたが

    世界中のツーリスト達で溢れていたが

  • 海水浴場として見るならば、<br />余り感心できないようだった。<br />所謂宣伝の賜物である。

    海水浴場として見るならば、
    余り感心できないようだった。
    所謂宣伝の賜物である。

  • 同上である

    同上である

  • 同じく。<br />イゾラベッラ海水浴場

    同じく。
    イゾラベッラ海水浴場

  • 同上である

    同上である

  • 違う角度から撮影してみた

    違う角度から撮影してみた

  • 大きく撮す

    大きく撮す

  • 観光用の船

    観光用の船

  • かなり遠くまで泳いでみたが<br />

    かなり遠くまで泳いでみたが

  • こちらでも、<br />かなりな距離を泳いでみた

    こちらでも、
    かなりな距離を泳いでみた

  • カミさんも泳いでいた。<br />当然、荷物の心配があり、<br />交互に泳いだ

    カミさんも泳いでいた。
    当然、荷物の心配があり、
    交互に泳いだ

  • イゾラベッラ海水浴場

    イゾラベッラ海水浴場

  • 同上である

    同上である

  • 同じく

    同じく

  • 同上である

    同上である

  • 違う角度から撮影してみた

    違う角度から撮影してみた

  • イゾラベッラ海岸

    イゾラベッラ海岸

  • 同様に

    同様に

  • 観光船<br />客引きは、いなかった。<br />ノーサンキューというと<br />すぐに引くのがシチリアである。<br />徹底していた。

    観光船
    客引きは、いなかった。
    ノーサンキューというと
    すぐに引くのがシチリアである。
    徹底していた。

  • 同上である

    同上である

  • 観光のための船が繋留されている

    観光のための船が繋留されている

  • ここからは、<br />マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子である。<br />こちらのほうが、<br />イゾラベッラ海水浴場よりも<br />柔らかな小石で、素足でも違和感はなかった。<br />こちらで、先に泳げば良かったのかも知れない。

    ここからは、
    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子である。
    こちらのほうが、
    イゾラベッラ海水浴場よりも
    柔らかな小石で、素足でも違和感はなかった。
    こちらで、先に泳げば良かったのかも知れない。

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • マッツアーロ海岸と<br />海水浴場の様子

    マッツアーロ海岸と
    海水浴場の様子

  • イゾラベッラで泳いだ後、<br />海岸沿いのカフェでワインやビールを飲みながら<br />pizzaを食べたが、その時もらったもの

    イゾラベッラで泳いだ後、
    海岸沿いのカフェでワインやビールを飲みながら
    pizzaを食べたが、その時もらったもの

  • ホテル上から<br />撮影

    ホテル上から
    撮影

  • メッシーナ門は、19世紀<br />修復されたが、<br />1808年に海沿いの道路が開通したことを<br />記念して修復。<br />銘板のうえには、その説明が書かれている。

    メッシーナ門は、19世紀
    修復されたが、
    1808年に海沿いの道路が開通したことを
    記念して修復。
    銘板のうえには、その説明が書かれている。

  • メッシーナ門全体を

    メッシーナ門全体を

  • ジャルディナッゾ地区にある<br />ナウマキエ。<br />海戦を意味する。<br />タオルミーナでは、最も古いギリシャ時代の遺構<br />裏側は、町の大事な貯水槽だった。<br />ギリシャ時代は、若者たちが<br />スポーツで体を鍛えるところだった。

    ジャルディナッゾ地区にある
    ナウマキエ。
    海戦を意味する。
    タオルミーナでは、最も古いギリシャ時代の遺構
    裏側は、町の大事な貯水槽だった。
    ギリシャ時代は、若者たちが
    スポーツで体を鍛えるところだった。

  • ジャルディナッゾ地区にある<br />ナウマキエ。<br />海戦を意味する。<br />タオルミーナでは、最も古いギリシャ時代の遺構<br />裏側は、町の大事な貯水槽だった。

    ジャルディナッゾ地区にある
    ナウマキエ。
    海戦を意味する。
    タオルミーナでは、最も古いギリシャ時代の遺構
    裏側は、町の大事な貯水槽だった。

  • ナウマキエの銘板

    ナウマキエの銘板

  • 同上である

    同上である

  • ジャルディナッゾ地区にある<br />ナウマキエ。<br />海戦を意味する。

    ジャルディナッゾ地区にある
    ナウマキエ。
    海戦を意味する。

  • ジャルディナッゾ地区にある<br />ナウマキエ。<br />海戦を意味する。

    ジャルディナッゾ地区にある
    ナウマキエ。
    海戦を意味する。

  • ジャルディナッゾ地区にある<br />ナウマキエ。<br />海戦を意味する。<br />長さは122m高さは5mのこの壁は、<br />3m幅奥行は1、7m

    ジャルディナッゾ地区にある
    ナウマキエ。
    海戦を意味する。
    長さは122m高さは5mのこの壁は、
    3m幅奥行は1、7m

  • 大きくナウマキエを。

    大きくナウマキエを。

  • 同上である

    同上である

  • 長さは122m高さは5mのこの壁は、<br />3m幅奥行は1、7m

    長さは122m高さは5mのこの壁は、
    3m幅奥行は1、7m

  • メッゾ門を通り過ぎて

    メッゾ門を通り過ぎて

  • 同上

    同上

  • メッゾ門↓

    メッゾ門↓

  • ドゥオーモ(カテドラル)広場前の<br />カテドラルの右一部

    ドゥオーモ(カテドラル)広場前の
    カテドラルの右一部

  • ドゥオーモ(カテドラル)広場前の<br />カテドラル<br />1400年頃建設、<br />ファサードのポルターユは、17世紀修復された際<br />バラの窓がつけられた。<br /><br />動画は、カテドラル前の広場での<br />人々の様相、様々なツーリストで溢れていた。<br /><br />https://www.youtube.com/watch?v=AFzSG-4X0xM

    ドゥオーモ(カテドラル)広場前の
    カテドラル
    1400年頃建設、
    ファサードのポルターユは、17世紀修復された際
    バラの窓がつけられた。

    動画は、カテドラル前の広場での
    人々の様相、様々なツーリストで溢れていた。

    https://www.youtube.com/watch?v=AFzSG-4X0xM

  • ドゥオーモ(カテドラル)広場前の<br />噴水。<br />人々が一番多かった

    ドゥオーモ(カテドラル)広場前の
    噴水。
    人々が一番多かった

  • ドゥオーモ(カテドラル)広場へ行く途中の道のようだ、<br />

    ドゥオーモ(カテドラル)広場へ行く途中の道のようだ、

  • ドゥオーモ(カテドラル)広場前の<br />カテドラル一部を大写しで

    ドゥオーモ(カテドラル)広場前の
    カテドラル一部を大写しで

  • その全体

    その全体

  • 遠目からドゥオーモ(カテドラル)広場前の<br />カテドラル<br />中の2階には、サンタアガタ像もある。<br />サンタアガタ(聖女アガタ)は、カターニア人。

    遠目からドゥオーモ(カテドラル)広場前の
    カテドラル
    中の2階には、サンタアガタ像もある。
    サンタアガタ(聖女アガタ)は、カターニア人。

  • ドゥオーモ(カテドラル)広場<br />バロックスタイルの噴水<br />上部に写っているのは、右手に笏左手に地球儀を持つ<br />半人半獣の女性、チェンタゥレッサ。

    ドゥオーモ(カテドラル)広場
    バロックスタイルの噴水
    上部に写っているのは、右手に笏左手に地球儀を持つ
    半人半獣の女性、チェンタゥレッサ。

  • 同じく

    同じく

  • 噴水のところから撮影

    噴水のところから撮影

  • もう一枚カテドラルを

    もう一枚カテドラルを

  • 更にしつこく撮影

    更にしつこく撮影

  • ドゥオーモ(カテドラル)広場前の<br />カテドラル広場は、ツーリストで<br />溢れていた

    ドゥオーモ(カテドラル)広場前の
    カテドラル広場は、ツーリストで
    溢れていた

  • 同上である

    同上である

  • 右にはカテドラル一部が写っている<br />撮影場所は、噴水のところ

    右にはカテドラル一部が写っている
    撮影場所は、噴水のところ

  • 同上

    同上

  • 上の写真の左はこんな風になっていた

    上の写真の左はこんな風になっていた

  • カターニア門を過ぎて<br />南側を撮影。<br />イオニア海が遠くに広がっていた

    カターニア門を過ぎて
    南側を撮影。
    イオニア海が遠くに広がっていた

  • 同上である

    同上である

  • 同じく

    同じく

  • また帰りは4月9日広場から<br />エトナ山を撮影してみた

    また帰りは4月9日広場から
    エトナ山を撮影してみた

  • 帰り道<br />逆側からメッシーナ門を

    帰り道
    逆側からメッシーナ門を

  • 翌朝のエトナを一枚

    翌朝のエトナを一枚

  • 更に一枚<br />エトナ山

    更に一枚
    エトナ山

  • ホテルフロント前のところ。<br />ここからいよいよ次の<br />カターニアへ行く<br /><br />以下カターニア編へ続く

    ホテルフロント前のところ。
    ここからいよいよ次の
    カターニアへ行く

    以下カターニア編へ続く

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この旅行記へのコメント (2)

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  • masamimさん 2016/09/25 17:46:31
    フォローしていただきありがとうございます!

    わきさんこんにちは!masamimと申します。

    先日は、勝手にフォローさせてもらって申し訳けありませんでした。
    シチリア島の旅行記だけでなく、ほかの旅行記も続けて拝見したくてフォローさせていただきました。

    今回のシチリア島のタオルミナ編も楽しませていただきました。
    壮大な旅行記で感服しましたね・・
    たくさんの画像や動画も織り交ぜて紹介されていてとても良かったです。

    私もいつかは行ってみたいと思ってるんですが、本当にすばらしいところですね・・

    それと、私の方もフォローしていただきありがとうございます。
    ちょうど旅行に行っていたため、ご挨拶が遅れたこともお許しください。

    今後もどうぞよろしくお願いします。

    わき

    わきさん からの返信 2016/09/25 21:05:48
    RE: フォローしていただきありがとうございます!
    こころ温まる気配りに配慮された
    大変に嬉しいメッセージを頂き
    ありがとうございます。
    お恥ずかしい限りの旅行記ではありますが、
    masamimさん以下、優れた4トラメンバーの方々の
    旅行記にいつも元気を頂いている一人です。
    シチリアの地元人間は、
    まずは本土の方々と少し違い
    熱く熱心に本気になって、ツーリストなどの
    道訪ねなど、自分のことのように親密に
    教えてくれることが印象的でした。
    ふた昔ならば、
    マフィア怖さということもあったように思いますが、
    パレルモもカターニアも、
    それを脱して、ひと皮剥けた都市に変貌したのかなと
    思いました。
    リピーターとして、またきたいと
    思わせる自治州でした。
    長々と自分のことばかり、
    うちこみました。

    こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。
    旅行中だったとのことですので、
    今後の旅行記を期待しております。
    また、アクセスさせて頂きます。
    わき

    >
    > わきさんこんにちは!masamimと申します。
    >
    > 先日は、勝手にフォローさせてもらって申し訳けありませんでした。
    > シチリア島の旅行記だけでなく、ほかの旅行記も続けて拝見したくてフォローさせていただきました。
    >
    > 今回のシチリア島のタオルミナ編も楽しませていただきました。
    > 壮大な旅行記で感服しましたね・・
    > たくさんの画像や動画も織り交ぜて紹介されていてとても良かったです。
    >
    > 私もいつかは行ってみたいと思ってるんですが、本当にすばらしいところですね・・
    >
    > それと、私の方もフォローしていただきありがとうございます。
    > ちょうど旅行に行っていたため、ご挨拶が遅れたこともお許しください。
    >
    > 今後もどうぞよろしくお願いします。

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