2016/08/01 - 2016/08/08
1位(同エリア1016件中)
わきさん
2016年8月1日ローマ経由でシチリアパレルモ・ファルコーネ・ボルセリーノ空港入り、
パレルモ2泊からアグリジェントで1泊、文字通りの古代ギリシャ時代の神殿の谷を見て、次の日、戦後、偶然見つかったというカザーレの古代ローマ時代の別荘
に立ち寄り、
そこからシチリア随一のリゾート地タオルミーナにて、2泊、グランブルーの
イゾラベッラ海岸で泳ぎ、
シチリア第二の都市カターニアで1泊して、
カターニアフォンタロッサ空港から
ローマ・フィウミチーノ空港
経由で8月8日成田に帰国するという旅程である。
10年ぶりのイタリア旅、
10年前はローマーナポリーアルベロベッロなどの南イタリアだった、が(10年前特に印象に残っているのは、バチカン美術館のシスティーナ礼拝堂、そして封建領主からの謂れなき納税を巧みにくぐり抜ける為工夫されたアルベロベッロのとんがり帽子のトゥルッリ等)
今回、以前から行きたかったシチリア島行きが現実となった。
イタリア特別自治州シチリア島。
その州都であるパレルモ 人口70万強。
パレルモ・ファルコーネ・ボルセッリーノ空港へ降り立った時、
今から24年前のある出来事がよぎった。
空港の名前にもなっている
ジョバンニ・ファルコーネとパオロ・ボルッセリーノ両検察官
の凄まじいマフィアとの格闘である。
反マフィアの代表だったファルコーネ特捜検事は、ボルセッリーノ特捜検事とともに、1986年から翌年にかけて、
450名ものマフィアを起訴し、世界中をあっと言わせた。
その報復で、1992年5月・7月と立て続けにファルコーネ特捜検事ボルセッリーノ特捜検事も護衛や配偶者もろともマフィアに爆殺されるという事件が起こった。衝撃的である。
パレルモ・ファルコーネ・ボルセッリーノ空港の名称は、
この上記パレルモ出身で反マフィアで殉職した幼馴染でもあった二人の検察官の名を冠して、
名付けられていることを我々は忘れてはならぬであろう。
空港のclaim beltターンテーブルで、預けたスーツケーツを待つが、
あのオロチのようにクネクネしたぐるぐる回るテーブルに
荷物がいつまでも現れない。
claim beltの上の飛行機便名も間違っていないので
大丈夫だと思っていたが、やけに遅い。
見ていると、回っている荷物も地元の人たちのものばかりだ。
もしかしてと、思い、奥の透明ガラスで仕切られた国際線テーブルの
方にあるかもと考え、そちらを覗くとすぐに我らのスーツケーツが
見つかった。便名などは関係なく、国際線テーブルに荷物があり、
やれやれである。
一体どういうことなのだろう。
空港を出ると、日本で予め代理店を通じて予約しておいた迎えの
専用送迎車でホテルへ向かった。
59歳になるパレルモ在住の女性ドライバーだった。
時刻は、パレルモ時間で午後10時(日本時間早朝5時)。
ホテルチェックインは、23時前後となった。
写真は、パレルモノルマン王宮2階の
華麗なるパラティーナ礼拝堂玉座のキリストである。
動画は、パレルモ旧市街ど真ん中にある
四角クアットロカンティすぐ横にある
法務官広場所謂プレトリア広場の様子。
https://www.youtube.com/watch?v=OAFY6s-xXmk
保守的でゴリゴリのカソリック教徒の多いシチリアでは、
一部の人々は裸を嫌うため、
別名「恥の噴水」という名が付けられているという。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
写真は、シチリア島全景地図であるが、
シチリアといえば、マフィアの巣窟という代名詞がどうしても頭をよぎる。
なにゆえシチリアでマフィア(アラビア語起源説では、独立の一族 と訳される)が胚胎したのか?
地中海の文明の十字路と言われることも相まって、
様々な文明の争奪の場となったシチリアであるが、
マフィア胚胎の背景は如何なるものであったろうか。
わずかながらでも、少し考察して、その形成過程に肉薄してみたい。
それには、
1、歴史的に形成されてきた政治的な背景ー政治権力のシステム問題
2、イタリア人気質とでも言うべき基本エートスの問題
この二つの見地こそキーワードで、避けて通れぬことではないかと思われる。
まず、その時々の歴史的政治権力システムが上手く機能していたか、
治安や法秩序維持機能を担っている歴史的な封建領主・国家が、
住民の命や財産を保証する代わりに、年貢や税を納めさせるのが
通常の政治権力システムであろうが、シチリアでは常に
この政治権力システムが脆弱だったことが挙げられる。
命は保証してくれない・財産も守ってくれないでは、時の政治権力に
納税したところで、税金ぼったくりであり、国は何もしてくれないと
住民からは悲痛な叫びさえ起こるであろう。
これに輪をかけてイタリア統一前のスペイン系ブルボン王朝は
汚職が常態化して、国自体が治安や秩序維持には殆ど関心を向けず、住民の命を守ることや財産を守るにあたり、何の機能も果たさず助けもしなかったようである。
加えて、シチリアの過去の犯罪実態を見ると、
窃盗が過去殆ど犯罪として認識されて来ず、取締の対象でさえなかったこと
である。
むしろ「盗むという行為」は、ある種 力の誇示であり、
‘取引の一形態‘と解釈されてきた。
即ち、例えばある農場に用心棒として雇ってもらいたい時、有利な立場で
その交渉に臨むため、その農場の家畜を盗み、盗んだ家畜を返却する「交渉
の場」をわざわざ「用心棒として雇わせる」交渉の場に利用したという記録が多いのである。
ここでは、盗みは犯罪ではなく、赤裸々な交渉をするための道具でしかなく、自分を用心棒として雇えば色々な役に立つ腕前があるということを見せる手段と捉えていたことがわかる。
一般にシチリアでなくてもイタリアでは、泥棒に盗まれることを、
「自己防衛能力の欠如」或いは「盗まれるスキがある不名誉な失態」と
捉えるエートスがあり、盗まれたほうが笑われる社会である。
こういう社会では、正直さは、バカ正直でしかない。
こういう環境の下で生活していくとなると、
例えば自分の農地で、家畜が盗まれた場合、
盗まれたことを公にすると、あいつは馬鹿だという評価を受け
不名誉極まりないこととなるだろう。
そして、役所に訴えたところで、何もしてくれない無益なことが解っていたとすれば、盗んだ盗賊との取引を仲介してくれる調停役を使って、
和解して半分なりとも家畜を取り戻したほうが得策だという考え方が
生まれても不思議でも何でもないだろう。
こうして、中間で仲介を取り仕切る役割を担う者、盗賊をコントロールして、窃盗にあわないようそれを保証できる者、地域の秩序を‘取り仕切る者‘としてマフィアは胚胎してきたらしい。
もともと、悪政に苦しむ貧困農民たちが溢れて、
農民たちの多くが生きるためにやむなく窃盗行為を行い、
盗みが横行するアナーキーな社会実態があったところに、
この農民盗賊たちを牛耳る力を持つ、秩序を維持しうる顔役{マフィア}が
出現したのだと思われる。
当初は、わずかの報酬と引換えに被害者と農民盗賊との仲介をし、
盗品家畜の返却を交渉をおこなっていたが、後年これが盗難保険料を
払った農民には、その家畜には手を出させないことを保障する盗難保険サービス業態に発展していく。
こうして、徐々に調停者としての役割が確立され、システム化されて
保険サービス業になっていったのがマフィア現象の始まりだったようだ。
パレルモのマフィアは、実は犯罪組織である前に、土着の古典的な権力システムだったと思われる。
現在も、上述のファルコーネ検察官たちの反マフィア運動が1987年当時は
実を結んだかに見えたが、その後はまたどうやら元に戻りつつあるようである。 -
シチリアのシンボル
トリスケレス
三角形の島らしく3つの岬
をあしらい、真ん中にはギリシャ神話メドゥーサを。
メドゥーサの目を見たものは、全て石になると言われる。
シチリア島は、地中海最大の島であり、
日本の九州や四国と比較すると分かり易い、
面積は、四国よりも大きく九州の7割程度である。
地中海ど真ん中に位置している。 -
ホテル。
ポリテアマパレス。
正面はルッジェーロセッチモ広場だった。 -
ホテル前のポリテアマ劇場。
凱旋門の玄関を持つ新古典様式。
1874年落成。
エレオノーラ・ラグーサ(本名日本名清原多代)の胸像が
上階にあったというが、現在は旧市街のサンタ・アンナ教会へ
移動している。 -
繰り返しになるが
以前、ポリテアーマ劇場の2階には、
日本人女流画家清原多代(ラグーサ玉)の
展示があった。 -
同上である
-
夜のポリテアーマ劇場
-
夜のポリテアーマ劇場を
やや違う角度より -
昼間のポリテアマ前ルッゼーロセッチモ広場
-
昼間のポリテアーマ
ルッジェーロセッティモ広場 -
さて、ここポリテアマ広場から、
行動開始である。
ルッジェーロセッティモ通りを南東へ歩いた。 -
すると、約6分ほどであのマッシモ劇場へ到着した。
シチリアのイタリア併合後に行われたとし改造計画によって、
市壁とともに撤去されたマクエダ門の内側に建設された。 -
客席数3200.
欧州でも屈指の規模。
新古典様式、地元の建築家フィリッポ・バジーレの設計、
22年間で完成。
1897年竣工、
見えているブロンズ像は、
「リリカオペラ」と「悲劇」を
寓意するものである。 -
同上
丸い部屋は、ポンペイの間と呼ばれる -
コッポラ監督のゴッドファザーパート3では、
オペラ「カバレリア・ルスティカーナ」が上演された。
映画のクライマックスである。 -
上のオペラ場面とバチカンの教皇暗殺事件等が
同時進行する演出となっていた。 -
当方も何度か見た作品なので、
この際何枚も撮影したが、
中は予約していないために見せてもらえなかったのが
何とも残念だった。 -
この階段で、映画では最後、アル・パチーノ扮するドンの最愛の娘が
身代わりで撃たれてしまう。 -
正面からも撮影
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同上
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同上
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上の門の前の花を大きく
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さらにもう一枚
-
同上
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自分を一枚
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劇場の案内板?
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違う角度より
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マッシモ劇場をあとにして、
東側への路地を歩いてシチリア州立考古学博物館を
訪問した。 -
歩いていく途中の路地
-
どんどん歩く
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同上
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さらに歩いて
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ここが州立博物館の建物
繁華なローマ通りに面しているというよりも
中に1本入ったところにあった。 -
全体をと思ったが
入りきれていなかった -
入口部分
見るべきものは、1Fに網羅されていたようだ。 -
博物館中庭である。
-
同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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1Fセリヌンテ神殿遺跡の彫刻があった。
-
同上
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同上
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博物館を出て、
更に一枚撮影した。 -
考古学博物館の銘板を。
-
近くにはシチリアのヤシの木が
-
サンドメニコ教会
ローマ通りに面している、
14世紀創建バロック式。
そのファサードである。 -
同上である
-
右を大きく拡大して
-
あんまり暑いので
ドメニコ広場横にある
ルケーゼでジェラート(アイスクリーム)
を食べた。 -
ヤシの木が立派
-
上記を拡大して
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ローマ通りの様子
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ローマ通りから小路に入ると
少し市場があった。 -
シチリアらしくマグロのぶったぎり?
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路地裏様子
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南へ歩く
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西へ曲がる
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さらに歩いて
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旧市街中心部クアットロ カンティが近づいて来た
-
パレルモ旧市街地
クアットロ カンティにやってきた。
↓その動画である。
https://www.youtube.com/watch?v=4cSaLpTOqAQ
惜しいことに、道路工事中だった。
クアットロ カンティ
パレルモ旧市街真ん中にある四角交差点である。
王宮から港へ向かう現ビットリオ・エマヌエレ通りと
直交するマクエダ通り(マクエダは、この通りを建設した総督の名)
がここで交錯、
交差点を囲む4つの建物の隅は、円を描くように凹面に切り取られ、
祝祭的な噴水と彫刻で飾られ、頂上には鷹の羽に抱かれた紋章が
スペイン・パプスブルグ家の権勢を歌い上げている。
中段の各バルコニーには、同家歴代君主像である。 -
ここからは、クアットロ カンティ四つ辻交差点)の
部分的な拡大写真などを -
同上である。
2層目に置かれているのは、
南西角のカール5世から、時計回りで
フェリペ2世・3世・4世、一層目は四季の寓意像
3層目は、パレルモの守護聖女である。 -
工事中のクアットロ カンティ
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見上げて撮影中
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クアットロ カンティ
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その部分的な拡大写真
-
同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同じく
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更に撮影
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同上
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さらに加えて撮影
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しつこいほどの撮影
-
同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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クアットロ カンティ
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同上
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同上
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同上
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少々疲れと暑いので、近くの
カフェでワインを飲んだ -
ワイン ビール
-
暑いので昼間から毎日
カフェで赤ワインを飲んだ。
夜は、赤ワインは決まってネロ・ダボラを
ボトルであけた。 -
クワトロカンティすぐ横の
プレトリア広場である。
直訳は、法務官広場。
噴水を中心に持つ広場で、
30体を超える裸体彫刻が噴水の周りを固める。
艶かしくもある。
保守的なカトリック教徒のシチリア人の頭には、
この裸体ばかりの彫刻はあまり評判が良くなく、
地元では、一部「恥の噴水」という別名もあるという。 -
動画は、
こちら
↓
https://www.youtube.com/watch?v=OAFY6s-xXmk
プレトリア広場の様子である。
永年ナポリ総督だったドン・ペドロ・トレドが
トスカーナの別荘に作らせたものだったが
総督死後にその息子が丸ごとパレルモに売りつけたものである。 -
同上
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同上
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同上
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同上
夜間には、照明に生えて大変美しい雰囲気を
醸し出すそうである。 -
しつこく撮影
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さらに撮影
-
続けて撮影
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同上
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同上である
尚、後ろ側は市庁舎。 -
同上である
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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今度は、路地を入って
プレトリア広場から見えてきたのは
マルトラーナ教会 -
マルトラーナ教会
微かに右手にはサン・カタルド教会が・・・・。 -
左には、マルトラーナ
右は、3つの赤い丸屋根が特徴の
サン・カタルド教会である。・ -
マルトラーナの入口を
-
マルトラーナ教会入場券
-
同上
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ここからは、マルトラーナ教会内部を
ファサードは16世紀バロック様式。
内部の壁面は、金色で輝くモザイクで覆い尽くされて
礼拝堂と並ぶシチリア最古のビザンチン様式
息を呑むような美しさだった。
中央にはキリスト、その周りを聖人たちが取り囲む構図である。 -
同上
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同上
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同じく
-
同じく
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天井部分を
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天井部分の
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同じく
-
さらに同じく
-
壁面部分を
-
同上
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天井と壁面
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天井部分
-
同上
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同上
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同上
-
同じく壁面
海軍総督ダンディオキアが聖母マリアの
足元にひざまずく姿。 -
同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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内部を違った角度より
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同上
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またまた同じく
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同上
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同上
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同上
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同上
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カテドラルにやってきた
創建1184年。
以後600年の様々な外国支配の中で
建築様式も複合化していささか特色はぼやけているかも。 -
同上
ルっジェーロ2世やフェデリコ2世等
歴史上の君主の墓所ともなっている。 -
屋根部分を
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カテドラル右部分
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カテドラル奥までが入るように
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尖塔部分を
-
正面入口
-
同上
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同上
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入口拡大して
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カテドラル
同上 -
尖塔部分拡大
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カテドラルの内部
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同上
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同上
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同上
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逆側より撮影
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カテドラル内部
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同上
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この裏側奥は、トイレ
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カテドラル廊下
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同上
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マリアを
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カテドラル内部
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カテドラルを出て、歩くと
ヌーボ門が見えて来た。
ビットリオエマヌエーレ大通りの終点
ノルマン王宮の脇あたりにある門。 -
拡大して
-
更に拡大して
-
ヌーボ門を通り過ぎて
逆側より撮影 -
同上
-
やっとノルマン時代の
王宮に到着
そのパンフ -
やっとノルマン時代の
王宮に到着
そのパンフ -
ノルマン王宮
パラティーナ礼拝堂入場券
並びに同じところででの
アントニオ・リガブエ展入場券 -
ここからは、
本日のハイライト
パラティーナ礼拝堂
50枚撮影 -
同上
-
同上
パラティーナ礼拝堂
ノルマン王宮2階に設けられたアラブ・ノルマン様式の
礼拝堂である。
まるでモザイクのプラネタリウムみたいだった。
壁面には、金地モザイクで、聖書物語が描かれて、
木彫りのイスラム風格間天井は、微に入りさいの細密画で
埋め尽くされている。
正にラテン・ビザンツ・アラブ文化混淆の無比な空間だった。 -
同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
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同上
-
同上
床面を飾るモザイク模様 -
同上
床面を飾るモザイク模様 -
同上
床面を飾るモザイク模様 -
同上
床面を飾るモザイク模様 -
パラテイーノ礼拝堂を出ると、
横では、
個性的すぎるアントニオ・リガブエ
作品展があった。 -
個性的すぎるアントニオ・リガブエ
作品展 -
個性的すぎるアントニオ・リガブエ
作品展 -
個性的すぎるアントニオ・リガブエ
作品展 -
その後は、歩きや市バスを乗り継いで
一旦、ホテルへ戻り、
少し休んでパレルモ港へ歩いて見た。 -
巨大フェリーの発着場になっていた。
ナポリ行きカリアリ行きジェノバ行きの
船が繋留されていた。 -
同上である
-
同上
-
同上
-
ネロ・ダボラの撮影
夕食は、決まってパスタにビノロッソ、赤ワイン
それも、シチリアならばこれしかないというネロダボラである。
明るいように感じるが、パレルモ日没は20時45分位だった。
このあと、ホテルへ帰り、明日はアグリジェントのため、
その支度などをして、就寝した。
以下アグリジェント編に続く
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この旅行記へのコメント (2)
-
- trat baldさん 2016/09/01 14:56:44
- 保存状態の良さに驚き、ウットリ!
- 潮風が吹く地域だと思うけど建造物や天井画などの美しさに感動!
最初の記事文でシチリアのおけるマフィアの立ち位置や経緯を読ませてもらってからに見る写真により以上の思いが入りました。
この膨大な情報量は勿論奥様の協力の賜物でしょうが(^o^)丁寧に撮影をして下さったわきちゃんさんに感謝!
Ps.大昔にインドでは金持ちから幾らかの金品をくすねるのは当たり前で罪では無いと聞いた事が有ります、、、、
- わきさん からの返信 2016/09/01 21:51:10
- RE: 保存状態の良さに驚き、ウットリ!
- 実は、trat さんのページに
アクセスするようになったのは、
確か、「風に吹かれて旅人」さんの
日本の祭り旅行記だったのではと
思い出しました。
その都度の毎回の掲示板のtrat さんの
コメントがユニークで、
何気なしにネグロス旅行記などにアクセスし、
拝見するうち、
「こりゃあ、おもしれえや」と
なったわけです。
アジアの風に吹かれてどこ吹く風と受け流し
自由人たるコメント満載で、
それでいてツボが入っている、
そういうふうに感じ入ったわけですが、
パレルモ編も読んで頂き恐縮?です。
シチリアの人間は、肌で感じたことですが、
情に厚く、親切でしたが、
2010年代に入ってからの欧州全体の
滞在税(人頭税のデフォルメ)一人いくらだけは
感心しなかったですね。
しかしながら、パレルモは、妙に肌が合う町でした。
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