2016/08/01 - 2016/08/08
8位(同エリア1113件中)
わきさん
昨日のアグリジェントから、本日で4日目
ホテル朝食後、8時45分にチェックアウトして、
迎えの車をロビーにて待っていると、
今回の迎のドライバーさんは、60才は超えている男性だった。
これより、アグリジェントから、北東のエンナを通り、
ピアッツアアルメリーナをも過ぎてカザーレという田舎村落
へ向かう。1997年世界遺産に登録された広大な「別荘」に
行くためである。
(一日目二日目のパレルモ編と三日目のアグリジェント編は、
以下のように公開させて頂きました。
パレルモ編です。↓
http://4travel.jp/travelogue/11157707
アグリジェント編です。↓
http://4travel.jp/travelogue/11161895)
シチリアの真ん中に位置する948mの小高い山の上に
エンナ県 県庁所在地エンナを横に見ながら
ピアッツァ・アルメリーナにはいった。この間山々は
やはりはげ山だらけだった。
そこから、なおも草深いところを入ると
大きく駐車場が開けた。
カザーレの別荘に到着。
運転手と、約2時間後の午後1時に、ここでまた待ち合わせ
することを約して一旦別れた。
駐車場は広く、春先には観光バスがずらり並ぶという。
そして、ここはシチリア観光のひとつのハイライトとも言われているようだ。
地震地すべり山崩れなどで、地中に埋もれた遺構は、19世紀に発掘がはじまったが、
最初にモザイクが見つかったのは、20世紀に入ってからで、
全容全体像が明らかになったのは1950年代60年代1970年代の
発掘によってである。
この豪邸、現在は建設現場の足場組みのように、
周囲を小路で、縦横に組んでいて上から床モザイクを
見学できるようにしてあった。
残っているのは、殆ど床モザイクであるが、梁や天井、そして壁面が
残っていたならさぞや壮観だったろうと思われた。
何しろ、3500平方メートル全ての床面積が、高価な色付き石で
精巧に組み込まれて、モザイク画ができているので、圧倒的な富・権力なくしては、作れぬと思われたからである。
では、このカザーレ別荘のオーナー持ち主は誰だったのか?
当然疑問が生じるが、今では9割方古代ローマ帝政時代のAD3世紀末
西の正帝と言われたマクシミアヌスでほぼ間違いないと
言われているが、当方もそうではないかと考えたい。
その論拠は以下のとおりである。即ち
1,この屋敷の玄関は、アーチ型の凱旋門式である。これは、軍事的に
ローマ帝国の要職にあった人の屋敷であったことを意味すること。
2,この3枚下の画像の5人、浴室の入口に描かれている5人であるが、
現在この5人が誰であるか既に究明されていること。
即ち
中央の女主人は、マクシミアヌス帝の后(きさき)のエウトロピア、
右の少年はマクシミアヌスの実子マクセンティウス(後年彼は、
コンスタンティヌスに、所謂ミルヴィウス橋の戦闘で敗れ、AD312年
10月に敗死する)そして左の少女はファウスタ(コンスタンティヌス大帝の妻となる人物)である。(両脇の女性は召使)
3,6世紀の年代記作家の記録によれば、マクセンティウス帝(上の少年のこと)は、斜視であったとされるが、実はこの少年の片方の目は、斜視を表す三角のモザイク片がはめ込まれているのである。
以上がカザーレの別荘オーナーはローマ皇帝マクシミアヌスであったろうとする論拠であるが、
この論拠を提示したのは、1950年代にこの屋敷を発掘した
主席調査官であったドクトル・ジェンティーリ博士であった。
それにしても、見事な床モザイクの連続だったが、
とりわけ、
圧巻は、幅5m長さは66mにもなる大狩猟場の廊下だった。
表題写真が、その66mにもなる狩猟場床モザイクの
一部だが、全体を一枚の写真でお見せできないのが残念である。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(カザーレの別荘)は、
地図上では、シチリア島のやや内陸部緑色で囲ったところである。
(ちょっと、見にくくてごめんなさい。)
ピアッツァアルメリーナでさえ、現在は極めて内陸部の辺鄙な
位置にあるが、それよりも更に5キロ離れた草深いところにあった。
1997年世界遺産登録。
本格的な発掘作業は、1950年代60年代70年代と
区分けして行われたようである。
動画は、アグリジェントからピアッツァアルメリーナに行く途中の
はげ山の連続のところでまったくもって面白くはないが、・・・・・。
森林伐採の激しさは、伝わるのではと思う。
動画1見渡す限りはげ山
https://www.youtube.com/watch?v=OAw9xaDiui0
動画2は、僅かにエンナの町が頂上に見えているが、
藪がジャマだった。
https://www.youtube.com/watch?v=ZN0r3ObmOQk
続いて動画3、
エンナを通り過ぎたが、荒涼たる山野が続く、
もうすぐピアッツァアルメリーナである。
https://www.youtube.com/watch?v=7cztFU94zek -
(順序が逆になるが、お許しを)
西暦AD3世紀末
古代ローマ帝政時代の西の皇帝マクシミアヌスではないかと
言われているモザイク画である。
蓋し、ジェノバサンマルコ寺院に置かれた像、古代ローマ帝政時代
それもテトラルキア(4皇帝時代)の像にそっくりだからである。
ここでは、大狩猟場床南側に描かれていた。
では、古代ローマ帝政時代とは、どのようなものだったか?
一言で言うとすれば
ユリウス・カエサルが戦略図青写真を描き、
それを初代皇帝アウグストゥスが、大きく開いてパックス・ロマーナ
を構築し、二代目皇帝ティベリウスが盤石にしたと言われるものである。
(少しばかり余談になるそして横道に逸れる、
二代目皇帝ティベリウス以下
三代目皇帝カリグラ、
四代目皇帝クラウディウス、
五代目皇帝ネロの4名は、
つい最近まで
悪名高い皇帝として、名を馳せていた。
確かに、三代目のカリグラは、準禁治産者と言って良いほどの男で、
何とカリグラを守る親衛隊長2名カシウスケレアほか1名に、やむなく殺されてしまう。
この親衛隊長は、泣く泣くカリグラを亡きものにしたが、やむを得ないものとして、その後処罰は皇帝殺害で、死刑だったが、彼ら2名はすぐにそれに従っている。
また、五代目のネロに至っては、妻殺し実母殺しを犯しているから、
悪帝とする評価は納得できよう。
しかし、四代目皇帝のクラウディウスは、跛行と吃音ではあったが、
歴史家でもあり、ブリタニア{現イギリス}城砦をつくるなど、
解放奴隷をスタッフに置くなどして、可もなく不可もなかったのでは
ないかと思われる。{彼は不幸にも妻から毒殺されたようである}
そして、二代目皇帝ティベリウスこそは、
その後の考古学上の発見などから、
初代皇帝アウグストゥスにも比肩しうる最良の皇帝の一人ではなかったか。
パックスロマーナを盤石にした功績は計り知れないし、同時代の誰よりも
体力的にも知力的にも抜きん出ていたと言わざるをえない。
しかし、彼は孤独な孤高の人でもあった。
義父のアウグストゥス{ティベリウスは、アウグストゥスの後妻リヴィアの連れ子である}との確執。
特にティベリウスは、人生で一人の女人しか愛さなかったと言われるが、その最愛の妻ヴィプサーニアとは、アウグストゥスの
政略によって、別れさせられてしまい、後添えは後妻として無理やり
アウグストゥスの実の娘と婚姻させられてしまうのである。
その後、30代の頃家庭の不和もあり、ティベリウスは、36歳時ロードス島に7年もの間家出してしまう。
そして、7年後ティベリウスは、ヴィプサーニアとの間に出来た子供が成年式を迎えるため、アウグストゥスにローマに戻る許しをえるための手紙を書いている。
ではこの時、アウグストゥスはどのような状況にあったのか。
50代で、右腕とも頼むアグリッパが死去し、左腕とも頼むマエケナスも
死亡して、一人で帝国を動かさざるを得ない状況に追い込まれていた。
{アグリッパ、この人の構築水道は、未だに残っている、トレビの泉の
噴水の元になる水道などは、アグリッパが作り上げ、現在も私たちは大きく
依存している。また、マエケナスは、所謂メセナ運動の魁になった人間である}
詳細は、省かざるを得ないが、その後ティベリウスとアウグストゥスは、
養子縁組をして、2代目皇帝の道をティベリウスに与えた。
その後23年間、テイベリウス治世が続くが、何と最後の10年間は、
ナポリから現在フェリーで40分前後で到着するカプリ島へ、ひきこもって統治し続けるのである。{当方も10年前ヴィラヨヴィスの遺跡を訪問した}
この辺が、同時代のタキトゥスあたりから、悪名高いと言われるのだろうが、ヴィラヨヴィスには、個人的な少数の親友だけで過ごし、女の影も一人もなかったと言われる。一人だけ抜きん出た万能な男ティベリウス、宴会も娯楽も好まず
文字通りの「ストイック」、また
現在でも使われる7月(ジュライ=ユリウス・カエサルにちなむもの)8月
(オーガスト=アウグストゥスに因むもの)の呼び方であるが、元老院が
9月をティベリウスにしようとしたとき、これを断固拒否している。
唯一愛した女は、ヴィプサーニアだったが、
その人ももうこの世の人ではなくなっていた。
因みにヴィプサーニアは、アウグストゥスの無二の盟友で親友だった
アグリッパの娘である。
歴史著作で、ノーベル文学賞をもらった19世紀の歴史家モムゼンは、
次のようにティベリウスを評している。
「ローマが持った最良の皇帝の一人」であると。)
古代ローマは、兵站で勝つと言われたが、
本源的な基本路線は、クレメンティア(寛容)を母体に置き、
敗者でさえも同化して、その敗者の属州から後後の皇帝を輩出させる
仕組みを巧みに作出してみせた点にあると思われる。
五賢帝と言われる有名なトライアヌスやハドリアヌスは、現在のスペインから出た謂わば彼らは、スペイン人である。
そして、3世紀末皇帝となるのは、何れも現在のバルカン半島出身者で、
東の正帝になったのは、ディオクレティアヌスで、現在のクロアチア出身であった。
ディオクレティアヌスには、五歳下の親友がいた。
それが、この写真のマクシミアヌスである。
出身地は現在のセルビアである。
西暦310年、コンスタンティヌスに強いられて自死して、生涯は終わった。 -
このモザイク画、浴室入口に描かれている。
左はタオル、右は何やら入浴セットらしきカバンを
持っているので両脇は召使であろう。
中央の女主人は、マクシミアヌス帝の后(きさき)のエウトロピア、
右の少年はマクシミアヌスの実子マクセンティウス(後年彼は、
コンスタンティヌスに、所謂ミルヴィウス橋の戦闘で敗れ、AD312年
10月に敗死する)そして左の少女はコンスタンティヌスの妻になるファウスタである。
ファウスタの最期は、あまりにも酷い死に方だった。 -
カザーレの別荘チケット売り場
10ユーロだったと記録にある。
奥に写っている木々の向こう側に別荘はあった。 -
カザーレの別荘配置図
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同上、これは外国語での・・・。
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別荘の浴室部分
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同上
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以下、床モザイク画とその時々の説明書きである。
(交互に登場すると思います) -
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この大広間
体育室? -
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噴水のある庭みたいだ
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大狩猟場の廊下の北側に
このバジリカ聖堂があった。 -
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ここからは、有名な
十人のビキニの少女を。
(当時体育をするときは、
下着で運動したと言われている。
とすれば、正確には下着で、運動する
十人少女というべきか) -
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古代ローマの食事方式は
横臥しながら、食事するのが基本である。
現在我々は椅子に座ってテーブルを囲んで
食事するのが、一般的だが、
当時椅子に座って食事するのは
立って食べるのと同じだと見られていた。
そんな文化である。
写真は、巨人族ギガンテスのモザイク
矢はヘラクレスに射掛けられたものだという。
南東の横臥式宴会場と言われるトリクリニウムに
このモザイク画はある。 -
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オデッセウスとポリュペモスの
モザイク画が見えて来た -
少しづつ大きく
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大写しで
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もう一枚は全体を
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再度バジリカ聖堂を
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見終わったあと、広い駐車場へ戻ると、
土産物屋などが
立ち並んでいたが、
あまりに暑いので、
ジェラートを店で食べていたら
横を見ると
うわさのアランチーノがあった。
アラブ人が導入した米でできた揚げたおにぎりである。
文字通りのおにぎり・握り飯だった。
買って食べたら、中は具だくさんで、美味だった。
当方は、この揚げたおにぎりが大変気に入った。 -
カザーレの別荘をあとにして、
これからシチリア随一と言われるリゾート保養地
タオルミーナへ出発である。
途中ピアッツァアルメリーナの聖堂丸屋根が
見えていた。 -
ピアッツァアルメリーナの聖堂丸屋根を見ながら、
車は、タオルミーナへ向かう。 -
午後3時、タオルミーナの
ホテルシリウスに到着したらしい。
「らしい」と記載したのは、ほかでもない。
写真のように上には、
シリウスホテルと案内板があるが、
何とどこにもホテルの建物がない!
ホテル本体の建物がないのである。
一体どうなっとるんや?
瞬間驚愕だった。
以下、タオルミーナ編へ続く。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- trat baldさん 2016/09/27 14:46:53
- 物凄い迫力に圧倒されちゃう!
- その瞬間を切り取る画像と動画がコラボして実際の移動が現実に思えるけど、何より写真から伝わる異文化が今そこに有るような気がしてきた。
Ps.僕のお手盛り記事とはレベルが違いすぎる(ioi)
- わきさん からの返信 2016/09/27 20:07:36
- RE: 物凄い迫力に圧倒されちゃう!
- いつもながら
大変嬉しいメッセージを
いただき、
ありがとうございます。
森林伐採により、はげやまと化した
シチリア
内陸部までこの様子が続いて
紀元前からの凄まじさを感じながらの車中でした。
いつも詳細に見ていただき誠に恐縮です。
ユニークなタイランドの旅行記
タイの人から日本を訪問してという
旅行記は、ちょっとユニークすぎて
マークするのを忘れたくらいです。
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