2016/07/14 - 2016/07/16
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鯨の味噌汁さん
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34年前、学生時代のこと。
ウィーン-ヴェネチアの夜行列車で、トラベラーズチェックを紛失した。落としたのか盗まれたのかはわからない。
まだ旅は始まったばかりだった。現金は持っていなかったから、ほぼ無一文になり、窮迫した。
盗難証明書をヴェネチア警察でもらい、再発行をお願いしにバンコ・オブ・イタリアの支店に行くと、
「すぐに発行できるのは半額だ。残りは半月後に、ミラノの本店で出すから取りに来るように」
なんてことを言われてしまう。
やむなくその間、ユースパスを使い倒して夜行列車に寝泊まりし、物価の安い南欧を周遊し、半月後、ヨロヨロとミラノにたどり着いた。おそらくはコジキみたいな格好だったと思われる。
ミラノ中央駅からバスに乗り、銀行を探し当て、再発行をしてもらった。
ホッとした鯨は、そのままミラノを離れてしまう。
町も歩かず、大聖堂すら見ていなかった。
が、このたび、スイスの旅を思い立ち、地図を調べてみると、ツェルマットからミラノはたった3時間だ。行くなら今回だ。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
さらには、ミラノには、ネットでお友達のKさんがいる。
2013年のイタリア旅行記にコメントをいただいて以来のオツキアイである。
「オツキアイ」といっても、まだお会いしたことはない。
が、写真を拝見する限り、小柄で茶髪、キュートな雰囲気のヒトヅマである。 -
Kさんとは事前に連絡を取り合い、ミラノ中央駅のホーム出口で待ち合わせをした。
駅の検札を出たところで、小柄な女性がニコニコ待っていた。握手でご対面。
在ミラノ25年、ミラノのことであればケツのシワまで知っている「ミラノの妄想女王」ともゆうべきお方である。
中央駅もこの30年で変わった。だけど正面からの堂々たる神殿風の作りは変わらない。
「ムッソリーニの性格がよく出てるでしょー」
地下鉄で大聖堂に向かう。この地下鉄も以前はなかったよな。
五つ目で降り、階段を上がって行くと、まず空が見え、それから大聖堂の尖塔が見えてくる。
びっくりする。
目の前に、34年前に見損ねた大構築物がある。
ふらふらと近づき、薄い衣をまとったような、大理石の土台に触れてみる。
「中に入りましょう」
Kさんが言う。
「外でいいですわー。ひとめ見たら、満足です」
「えー、もったいない。ステンドグラスも素敵なんですよ」
入り口はこっち、と案内してくれる。ありがたい。
が、行列が出来ているのをみて、Kさんが叫ぶ。
「まじーーー、オカネ取るの」
確かに15ユーロ、と書いてある。(あとでガイドブックを読むと、入場だけなら2ユーロ)
「うーん、1.5ユーロなら安いかしらー」
Kさん、ケタひとつまつがえてますが。
「おととしまではタダだったのよーーーー、ぼったくりよーーー」
ミラノのことであればケツのシワまで知ってるはずでは。
「じゃあ外をぐるっと一周しましょー」
おお切り替えも早いぞ、ミラノの妄想女王。
「この彫刻はなんかの物語になってて、ユーメイなのよね。あー、話の中身は知らんけど〜」
ミラノのことであればケツのシワまで知ってるはずでは。
ぐるっと一周して、ガレリアに移動。中心のドーム天井に四方に描かれた絵を指差して、
「東西南北で絵がそれぞれあって、えーと、連続した物語になっております」
が、その物語の内容まではわからんそうだ。ミラノのことであればケツのシワまで…(以下略)。 -
あまりの楽しさに腹が痛くなるくらい笑って、そのままレストランの路上席へ。
当然ながらイタ語ペラペラであるから店員さんとのやりとりもスムーズだ。
レストランの注文がスムーズって、こんなにラクだなんて知らなかった。思えばこの旅で初めてのレストランだ。さぁ食うぞさぁ飲むぞ。
「ユーロスターで、中国人が"ここは私の席だ"なんていちゃもんつけてきたから、バカモノ、ワシの予約席だってチケット見せたら、よーく見たらこっちが1日間違えてたの」
「えー、それでどうしたの」
「それから2時間、デッキで立ってました」
「奥さんよくそれでキレないわね、偉いわ奥さんー、アタシだったらブチ切れてるわー、バカバカバカって叩いてるわー」
叩かんでよし。
音大出て、ご主人とのお見合いのためにイタリアに渡ったんだという。
そのまま結婚、そのままミラノに居ついて25年。お子さん14歳。写真を見せてもらったけど、シュッとした美少年だった。
年にいっぺん帰国するってゆうから、東京でまた遊びましょー、と握手して、駅で別れた。
Kさん、ありがとうございました。 -
ミラノから1時間半ほど電車に揺られるとヴェローナだ。
「ロミオとジュリエット」の舞台として有名だけど、夏のこの時期、旧市街にあるローマ遺跡の円形劇場でオペラが開催される。ヴェローナの夏の夜の名物だそうな。
ワシはオペラなんて観ようものなら3分で爆睡しちゃうし、石段に座るとケツが痛くなるからイヤだけど、彼女のほうは「ローマ遺跡」「オペラ」がストライクとゆうことで、日本でチケットを手配していた。(⇒ワシがやったんだけど) -
午後8時。
Kさんからプレゼントされたクッションを抱えて、配偶者はいそいそと出かけていく。
イタリアの太陽はまだ空に残っている。ようやく夕方、という気配だ。
劇場前の広場には、ぐるりとレストランが並び、開演を待つお客さんたちが早い夕食を楽しんでいる。
いいなぁこの感じ。みんなリラックスして、一日の終わりとオペラの始まり、両方を楽しんでいるんだな。
劇場の入り口まで彼女を見送り、ワシは町をぶらぶらと歩く。 -
ジュリエットの家、なんてのもあるらしいけど、銅像にベッドなんか見てもうれしくない。そもそも原作読んでないし。
あーでも、高校のとき見た映画はコーフンした。
覚えてるのオリビア・ハッセーのケツだけだけど。
あのときオリビア・ハッセーは何歳だったんだろう? 今だったら児童ポルノ法にひっかるんじゃないのか。あんな小娘、裸にむいてはいかんぞね。
古代劇場をぐるりと一周して、路地をテキトーに歩いてホテルに戻ると、ようやく暗くなってきた。
ホテル前のカフェに一人で座る。さっきまではお客さんで溢れていたけど、オペラが始まると人の波はそっちに移動するらしい。
夜風に吹かれて、ゆっくりゆっくり、ビールを飲む。昼間の暑さは厳しくても、陽が落ちれば空気は乾いているからあっとゆうまに涼しくなる。
ホテルのwifiを拾ってLINE。ニースでテロがあったことを子供たちが心配していた。ヨーロッパってゆうても広いんだけどな。
メモ代わりの日記をつけ、部屋に戻ってシャワーを浴び、着替えてウトウトしていると、窓の下の通りが騒がしくなった。時計を見ると12時。どうやら終演だ。
ふたたびカフェ席で夜風に吹かれながら待っていると、彼女が顔を紅潮させて戻ってきた。
「すごく良かった」
と、ニコニコしている。
慶賀である、とゆうことで、ミニバーで冷えてたビールとワインで乾杯した。 -
翌7月14日、ワシはヴェネチアへ移動。
彼女はヴェローナの町を一日かけて歩き回り、パドヴァに宿泊の予定だ。
もともとこの旅の最後はヴェネチア2泊を予定していたのだが、配偶者の方は
「観光地よりも北イタリアの静かな町に滞在したい」
とゆう希望があり、ならば、とゆうことで、鯨家旅行始まって以来の別行動となった。
ワシはヴェネチアに連泊、彼女は最終日に一泊。
ヴェネチア駅での待ち合わせを約束して、円形劇場前で別れる。 -
さて、これから24時間は独身である。
いやがうえにも
「さぁイタリア娘よ、縦横ナナメ、どこからでもかかってきなさい」
とゆう心境であるが、よく考えたら、ハゲデブの日本人旅行者に近づいてくるオナゴはいない。
万が一いたとしても、それはオカネが掛かるお姫様の確率が高く、ワシがモテたのではなくオカネがモテただけではないかと予想される。
よって大人しく駅南の安ホテルにチェックイン。 -
ヴェネチアもまた、34年ぶりの町だ。
ウィーンからの夜行便で、トラベラーズチェックを紛失したことに気づき、駅を降りて最初に行ったのがヴェネツィア警察だった。
(写真は当時のもの。トーゼンながら毛があります) -
再発行のための「紛失証明書」をもらいに行ったのだけど、出てきた警官は映画「ブロンコス」に出てくるみたいなマッチョで、日本語は当然できず、英語も片言。
いっぽうのワシは頭の悪い学生だったから英語なんぞマッタクできず。
「日本人あるよ。トラベラーズチェックなくしたあるよー」
と繰り返すだけであるから、ラチがあかない。
ブロンコスの兄ちゃんは、途中でキレてしまった。
以下、当時の日記から。
ピストルで「書け」と指図する。
時々テーブルをガン! と叩く。
非常に恐ろしい。
ピストルで、ガンガン紙をたたかれ「ライトダウンヒア!!」なんてゆわれたわけですね。
間違って撃たれなくてヨカッタヨカッタ。
とはいえ、たった一泊の滞在を警察でかなり使ってしまったのである。
(写真は当時の旅日記) -
さて、水上バスはヴェネチアの観光の足のであると同時に生活の足になっている。本島は自動車はおろかチャリも禁止らしいから、町で見かけるクルマはベビーカーくらいのもんだ。
島の中心に「大運河」が通り、水上バスは島の外部と中心部を結んでいる。
ワシはヴェネチア島周辺のラグーン(潟)に散らばる島を歩いてみたかったので、午後3時から深夜0時近くまで、水上バスを最大活用して、いけるだけの島に行った。
おかげさまで「ヴェネチアにおける島娘の見分け方」なんて論文が書けそうなくらいだ。(書かないけど) -
翌日は本島の路地を歩き回り、午後3時を待って駅へ。「駅の出口正面」で落ち合う約束だったが、見事にすれ違ったらしく、しばらくしてから電話。
「駅を出た緑のクーポラの前にいます」
あーやっぱり。でも一応ヴェネチア駅には降りたのね。上々だ上々。「テルミニ駅なんだけど迎えに来て」なんてことになったら困るけど。
水上バスの一日券を渡し、宣言する。
「昨日回った島の中で、一番綺麗なとこに連れてってやる」 -
ホテルに荷物を預け、水上バスを乗り継いで本島を離れる。ガラスで有名なムラノ島を経由し、30分ばかり海上を走るとブラーノ島に着く。
この島の家は、なぜか全ての民家がパステルカラーに塗られている。島を遠くから見ると、民家の一つ一つがレゴみたいだ。
別に観光用、とゆうわけでもないらしく、島の奥の方に歩いて行って、路地に入り込んでもパステルカラーはいっしょだ。
今回、イタリアのガイドブックは一冊しか持ってきておらず、別行動の日は彼女に渡していたので、鯨のヴェネチア観光は地図一枚だけだった。
だから島中がパステルカラーになってる理由は知らなかったのだけれど、島を歩きながら彼女がガイドブックにブラーノ島の記述を見つけてくれた。 -
「漁師が霧の中でも自分の家を識別できるようにしたのが始まりですって」
「ホントかよ。いくら霧だって、自分の家を間違えるヤツなんているんかい」
それってやっぱり観光用のネタじゃないかなぁ。
あー、でも、日本でもあるよねそんな話。
マンションのフロア間違えて降りて、他人の家にちん入、おまけに奥さんにもそーにゅー、なんての、酔っぱらったらあり得るかもしれん。
その場合、奥様のどこぞに色を塗るわけにもいかない。(塗ってもいいけどどこに塗るかが問題だ)
よって、フロアごとに色を塗り替えるのはありかもしれない。
「間男の悲劇を防ぐ・パステルカラーマンション」
多分売れない。 -
…などとヒンシュクもののお下劣話をしながら、夕方の島を歩く。
本島に比べ日本人は少ない。ツアー客も見かけない。
若い東アジア人の旅行者は韓国人が一番多くて、次に中国人だ。
韓国人の女の子は足が長くて髪が長くて、みんな田中裕子の若いころの顔をしている。男の子も全員見事にショーユ顔。
前に来た時は、東アジア人の若者はほとんど日本人だったのにな。
34年経って、日本の青春時代ー国にそんなものがあるとすればだけどーは終わったらしい。代わりに韓国中国がその時期を迎えているのかな。 -
島めぐりを終え、午後9時、本島に戻る水上バスに乗り込む。
ようやく日没。尖塔が夕焼けに白く光ってる。 -
水上バスは大運河の中へ 回りこみ、ヴェネチア駅近くの終点を目指す。
「最後の夜だ、ちゃんとレストランで食べよう」
なんていいながら夜風に吹かれていると、そのままホテルに帰るのが惜しくなった。まだ歩いていない路地がいっぱいある。
もう少し歩きたいと思った。 -
とゆうわけで、終点の三つ前で水上バスを降りる。そのままホテルからは少しそれた、駅方向の路地を歩いていく。
人通りが 分厚くなっていき、次第に駅が近づくのがわかる。レストランとお土産屋さんが続く通りの右手に、小さな門が立っていた。 -
あれっと思い、中をくぐる。
突き当たりに、古い、小さなホテルが建っていた。 -
名前に覚えがあった。34年前、たった一泊したホテルだった。
「ここに一泊したんだ」
配偶者にゆうと、彼女もびっくりしたように頷いた。
(写真は当時。ネコが5匹写ってる) -
ヴェネチアのホテルって、いったい何軒あるんだろう。
その星の数ほどあるホテルの中で、34年前、たった一泊したホテルに偶然たどりつく確率ってどれくらいあるんだろうなんてことを考える。
韓国人らしい青年が二人、写真を撮っているわれわれを不思議そうに眺めながら、その宿に入って行った。今もバックパッカーの若者に使われているらしい。
そのまま狭い階段を上がっていったら、一番奥の一番安い部屋に、顔色の悪い学生のワシが座っているんじゃないか、と思った。
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この旅行記へのコメント (9)
-
- willyさん 2019/11/22 16:56:16
- 旅日記
- 鯨さん
紙ノートの日記、しこしこと文章や絵を書くのが楽しみかつ大事な作業でした。駅の巨大な柱の土台に座って、はたまた公園のベンチで、そして夜行列車のテーブルで、一生懸命ちいさい頭と心で感じ考えたことを書き付けてました。一人旅の時には今でも同様、ノートが話し相手です。
バックパックどころか国内旅行もあまり出かけなくなったらしいですね、若者タチ。同感です。日本も年取っちゃった(よく言えば円熟した)んですね。まあ、わざわざ行かなくてもバーチャルで見たような気にはなれますしね。五感で感じる物事とは全くの別物だと思うのですが。
willy
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2019/11/22 17:56:38
- Re: 旅日記
- 実は今でもこのノート、手元に残ってます。
読み返すと、後ろの方に行くと、割り算ばかりしてる(笑)。
旅をしてる最中に円高になって助かった記憶もあります。
オカネなかったけど、毎日ワクワクしながら旅してた。
ワシらの世代は、大阪万博で世界に憧れて、兼高かおるさんと素晴らしい世界旅行に教えてもらって、それから開高健やら小田実やら五木寛之やら読みあさって旅に出たよねー。
今、旅行記を書いてる作家は誰だろう、椎名誠と村上春樹くらいかな。作家が紀行文を書かなくなったよね。
(いつの間にかタメ口…)
- willyさん からの返信 2019/11/23 11:40:33
- RE: Re: 旅日記
- 私もですよー、屋根裏の段ボールの中に大事に入れてます。また取り出そうかな、こっぱずかしいかな。
絵を残していたことが意外とよかったと思えませんか?
開高さんも大好きだし、私の場合は團伊玖磨さんも大きいです。
いまは確かに、読もうと思えるのは椎名誠ぐらいですね。あ、作家ではないけど賀曽利隆さんの「アフリカよ」は久々にじっくり読みました。知らないところに行ってみる、違う世界をこの目で見るってことの真剣味が、今よりも格段に深い時代だったとおもう。
単に自分が年取っただけとも言えるけど(笑)
でもやっぱりなんでもすぐにできちゃう世の中じゃなかったのは幸せだったんだなー。
ちなみに私もベルリンのブルストの屋台で財布無くしました。
分散してたから大きくはなかったけど、貧乏学生にはたとえ小銭1枚でもねえ。ご飯はスーパーで特大のパンと缶詰買っての旅だったから。
いやー本気で鯨さんを見つけていっぱいやりたくなりました。
旅心語りて懐かし停車場の人混みの中に兄を求めゆく
字余り
willy
-
- きなこさん 2017/07/28 22:21:36
- 34年前の鯨さん
- こんにちは〜
今夜もドップリと「鯨ワールド」を楽しみました〜
昨年の今頃イタリアに行かれていたのですね
学生の頃のノートも面白過ぎです
でもよ〜く見ると「ベニス」って書いてありました(笑)
その頃はビールではなく「7UP」を愛されていたのですね
最後の2枚!
ゾクッとしました
そんな偶然あるんですね
34年前の青白い顔の青年に導かれたのでしょうか・・・
凄い!!
きなこ
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2017/07/31 07:33:29
- RE: 34年前の鯨さん
- きなこ様
おはよーございます。
1年前の旅日記にコメントいただけるとは。嬉しいやら恥ずかしいやら。
> 学生の頃のノートも面白過ぎです
> でもよ〜く見ると「ベニス」って書いてありました(笑)
> その頃はビールではなく「7UP」を愛されていたのですね
そそそ。あのころはもれなく「ベニス」ってゆってましたよね。
小説も「ベニスに死す」。エッセイも「ベニス 光と影」。
ヴェネツィアってゆうようになったの、いつからなのかしらん。
あのころはパソコンもワープロも、ましてやスマホもケータイもありませんから、ノート一冊で旅してました。
ノートの後ろの方は「割り算」ばっかり。
持ち金を滞在予定日数で割って「1日いくら遣える」計算ばっかりやってたのね。その額がだんだん少なくなってくの(笑
学生のころは胃弱で、しつこい胃痛に悩まされてました。ビールもワインも飲めなかった。体重は55キロ、今より30キロ痩せてました。別人28号だす。
> 最後の2枚!
> ゾクッとしました
> そんな偶然あるんですね
> 34年前の青白い顔の青年に導かれたのでしょうか・・・
これは今でも信じられない。あんなことあるんだなーと。
ホテルの名前をノートに書き付けてあったから、たまたま覚えてたんですが、フラフラ歩いてて、たまたまその路地にたどり着くなんてねえ…
かーちゃんがいなければ、そのままユメマボロシの体験扱いになるとこでした。証拠写真もあるから、どうやら幻覚じゃないみたいです。
-
- keiさん 2016/08/12 23:39:41
- タイムトラベラー
- 現在と過去が交差した展開が新鮮でステキでした!
若き頃の鯨さん、毛がフサフサだ〜!
煙草に火をつけてる横顔がダンディですね♪
夫婦で別行動というもの斬新だわ。
ちょっぴり刺激的な感じがする。
ひとりになった時、お互いの大切さを再確認するんじゃ
ないですか? キャー!
その夜は・・キャー!(私も妄想女王ですか?)
ヴェネチアの回り方も大変ユニークで、鯨さんらしい。。。
最後に導かれるように、以前泊まった場所にたどり着くなんて・・・
そもそも今回の旅は神様が仕組んだヴェネチアのその場所に
たどり着くための旅だったりして・・・!
昔の自分が今の自分に何か言いたかったのか、
今の自分が昔の自分に何か言ってあげたかったのか・・・
言ってあげられるとしたら、どんな言葉をかけてあげますか?
若い頃って不器用で空回りばかりだけど、それも悪くないね!
可愛い奴だぜ自分!!って感じですよね!
物語のような旅行記でした♪
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2016/08/13 08:09:26
- RE: タイムトラベラー
- keiさん、
> 夫婦で別行動というもの斬新だわ。
> ちょっぴり刺激的な感じがする。
同じ町にいて、ホテルだけいっしょにして別行動っていう手もあるよね。
今回は一日だけだったけど、わりとうまくいったんで、今後はこの路線を拡大しようかなと。
だって彼女は絵とか教会とか、じっくり見たい人。
ワシは町をぶらぶらして、カフェでビールなんぞ飲みたい人。
> 昔の自分が今の自分に何か言いたかったのか、
> 今の自分が昔の自分に何か言ってあげたかったのか・・・
> 言ってあげられるとしたら、どんな言葉をかけてあげますか?
外見はともかくとしてさ。
変わったようで実はあんまり変わっていないのよ。
あのころから団体行動取れなくて、ツアーとか無理だったし。その旅行でも、学生の「卒業旅行ツアー」なんてのとすれ違ったけど、違和感満載だったし。
ぶらぶらと、町を歩くのが一番好きだった。
当時の日記を読むと、生意気にも
「景色を楽しむより、たくさんの人の顔を見る旅をしたい」
なんてことが書いてある。
今と変わらん。
> 若い頃って不器用で空回りばかりだけど、それも悪くないね!
> 可愛い奴だぜ自分!!って感じですよね!
ワシは出来の悪い学生でね。
胃弱で、潰瘍持ちで、いつも顔色悪くてねー。体重なんて55キロ。ガリガリ。
未来に関して夢とかなくて。
世の中に出ていくのがイヤだったなー
「未来はお前が思ってるよりずっとおもしろいぞ」
くらいのことは、言ってあげたい気がします。。。
-
- mistralさん 2016/08/10 18:04:59
- 叙情溢れて!
- 鯨の味噌汁さん
お久しぶりです。
今年の旅はスイスとイタリア!
久しぶりの鯨節、楽しませていただきました。
圧巻はイタリア編。
青春の思い出と重なり
お写真の数々は叙情に溢れて素敵でした。
鯨の味噌汁さんの立ち姿、ほっそりされたような?
思い出の地故?
当時の日記?メモ?もちゃんと保存されていたんですね〜
それにしても、当日宿泊したホテルにたどり着いたなんて、
奇跡でしたね。
mistral
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2016/08/11 11:33:19
- RE: 叙情溢れて!
- mistralさん、
こちらこそすっかりご無沙汰しております!
> 青春の思い出と重なり
> お写真の数々は叙情に溢れて素敵でした。
ヴェネチアって、どこを歩いても絵になるし、何を撮っても面白い不思議な街です・・・
30年前の写真もいっぱい残ってますが、ほとんど変わってないっす。
> 鯨の味噌汁さんの立ち姿、ほっそりされたような?
> 思い出の地故?
いえいえ。
この旅でまたブタになりました。パスタとビールはデブによく効きますー。
> 当時の日記?メモ?もちゃんと保存されていたんですね〜
> それにしても、当日宿泊したホテルにたどり着いたなんて、
> 奇跡でしたね。
日記はたまたま本の山の中に残ってました。見つけたときはびっくり。
残りのオカネを割算して「1日いくら使えるか」計算ばかりしてました。
進歩してないなーと。
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