2016/06/12 - 2016/06/13
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nanaoさん
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友人との京都旅行。
6月だから雨を覚悟してたけれど、思ったより降られずに済みました。
むしろ曇り空で歩き回るにはちょうどよかったかも。
帰るころには日が差してきて、暑い……。
二日目はまず「金戒光明寺」。
その後はせっかくならこの時期ならではのものも見ようか。
とりあえず「建仁寺」へ行って、半夏生が見れる「両足院」と甘茶の庭がある「霊源院」へ。
ちょっと移動して「毘沙門堂 勝林寺」で限定御朱印をもらったら、さらに足を延ばして紫陽花が有名な「藤森神社」へ行こうも時間切れ。
かわりに「戒光寺」で巨大仏像を見てきました。
一泊二日、あわただしいながらもけっこう充実した旅になったんじゃないかな〜。
帰りの新幹線は爆睡でした。
前編はこちら↓
http://4travel.jp/travelogue/11145949
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 近畿日本ツーリスト
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おはようございます。
二日目は金戒光明寺からスタート。
こちらは限定の御朱印ではなく、友人が御朱印帳を買うためにきました。 -
私も以前から行ってみたかったお寺です。
ホテルから一度、京都駅のロッカーに荷物を預けて、バスできました。
清水寺あたりは修学旅行生と海外からの観光客?すごい人でしたが、途中からバスも座れ、金戒光明寺まで来ればかなり静かです。金戒光明寺(黒谷さん) 寺・神社・教会
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それにしてもこの山門までもそこそこの階段をのぼってきましたが…御影堂まではさらに階段のぼるのね。。。
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これは紅葉の時期に来たらきれいなんじゃない!?
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勢至丸(せいしまる)像
勢至丸は法然上人の幼名なのね。
ちなみにここは法然上人がはじめて草庵を営まれた地なんだって。 -
赤と緑の紅葉が共演。
赤い紅葉はそういう品種なの?? -
紫雲山・くろ谷 金戒光明寺
浄土宗の大本山、承安5年法然上人が比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが浄土宗最初の寺院 のはじまり。
西山連峰、黒谷の西2キロの京都御所、西10キロの小倉山を眺み山門、阿弥陀堂、本堂 など18もの塔頭寺院が建ち並ぶ。
また、幕末京都守護職会津藩一千名の本陣にもなった。(金戒光明寺HPより) -
幕末、会津藩の本陣が置かれたため、大河ドラマ「八重の桜」が放送された時期にはよくガイドブックで紹介されてた気がする。
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御影堂(大殿)
内陣正面には宗祖法然上人75歳の御影(座像)を奉安している。
火災による焼失後、昭和19年に再建となったもので、堂内の光線と音響に細部の注意がこらされて昭和時代の模範建築物といわれている。(金戒光明寺HPより) -
御影堂でお参りをし、御朱印をもらって、もうひとつ、見たいものがあります。
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季節がら、あじさいがきれい〜。
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蓮にはちょっと早かった…。
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見たかったのはこちら。
通称、アフロヘアー仏像。
正式名称は「五劫思惟阿弥陀仏像」
金戒光明寺御朱印帳にもこの仏像が描かれています。 -
横から見るとこんな感じ。
いや〜かなりアフロ。
本当は螺髪。
気の遠くなるような時間、思惟をこらし修行をされた結果、
髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子をあらわしたのが
五劫思惟の阿弥陀仏で、大変珍しいお姿なんだって。
墓地の一角にひっそりといらっしゃいました。 -
せっかくなので御本尊と五劫思惟阿弥陀仏像の御朱印をいただきました。
左で光ってるのは五劫思惟阿弥陀仏像のシール。 -
金戒光明寺、静かで素敵なお寺でした。
さて、次に向かいます。
再びバスに乗ってやってきたのは「建仁寺」
写真は料亭っぽいお店の前にあった金魚鉢。
こういうの、好きです。 -
もちろん、金魚もいますよ。
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建仁寺へひとまず向かいましたが、このお寺、広いのよね。
時間的にちょっと早いお昼とすることにしました。
この辺りは人も多いからちょうどお昼の時間だとお店も混みそうだしね。
お店を探してうろうろ。 -
祇園の方は高いお店が多い…。
そんな中見つけたのがこちら。
しば漬けで有名な土井がかまど炊き立てごはんのお店をやってるのね〜。 -
西京漬膳。
お漬物はビュッフェ形式で食べ放題。
ごはんもおかわりできます。
もちろんお漬物はお店で買えます〜。
おいしくいただきました〜。 -
お腹いっぱい〜。
縁のないお茶屋さんなどをながめつつ、建仁寺へ戻ろう。
なお、趣ある建物ではもちろん、アジア系の方の写真撮影が行われてます。
本当、モデルの様に頑張るわよね〜。 -
建仁寺の門をくぐって。
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最初に向かったのは両足院。
半夏生の庭園が特別公開されてます!両足院 寺・神社・教会
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確か、日ごろは中、公開してないよね??
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こちらの毘沙門堂は開門していればいつでもお参り可能。
両足院の毘沙門天は、鞍馬寺毘沙門天の胎内仏でした。
戦国時代 比叡山が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が尊像の安全を危惧し、比喜多養清(室町将軍の茶家、筑前黒田家京都御用達)のところへ、尊像を疎開させたものです。(両足院HPより) -
狛犬も寅なら香炉にも寅。灯篭にもいるそうだが…気づかなかったな。
関が原の会戦に黒田長政が、関東方として出陣する際、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれています。そのあと尊像は代々黒田家で信仰されましたが、維新の変革で明治10年ごろ当院に寄進されました。
以後、勝利の神として商売繁盛、合格祈願、良縁成就、誓願成就(両足院HPより) -
この毘沙門天は戦前は祇園の芸妓、舞妓がお参りして自分の願いを成就させていました。そのころの願いは「いい旦那さんがみつかるように」ということで「祇園の縁結び」としても知られています。
今でもお参りの際には偶然、舞妓さんに出会うこともあります。(両足院HPより)
舞妓さん、ぜひお会いしたい! -
さて。いよいよ半夏生を見に行きましょう。
入り口でお金払って、御朱印をいただきます。
グッズショップもありました。
両足院は伊藤若冲の「雪梅雄鶏図」や長谷川等伯の「竹林七賢図」などを所有しており、それらもグッズになっていました。 -
本堂に行ったらガイドさんがいらっしゃいました。
せっかくなので説明してもらいましょう。
なお、本堂は撮影禁止。
ということでしばらくお庭の写真が続きます。 -
本堂や開山・龍山徳見禅師について教えてもらいます。
……だいぶ覚えてないのが残念だ。わたし。
そんな中、記憶に残ってる饅頭のお話。 -
龍山徳見禅師は中国で修行し、中国に途絶えそうになっていた臨済宗黄龍派を再興し、中興の祖となった人物。
室町幕府を創設した足利尊氏・直義兄弟の招きにより、徳見もようやく帰国。この時、徳見を慕って日本に渡海したのが林浄因(りんじょういん)です。
この林浄因が日本で饅頭を作り始めた人なんだって。 -
塩瀬総本家は林浄因の流れのお店らしい。
詳しくは塩瀬総本家のHPへ。
お饅頭、食べてみたいな〜。 -
ちなみにお庭の説明をしてくれる方もいらっしゃいました。
せっかくなので聞いていきましょう。
奥に見える建物は茶室です。
追加料金を払えば茶室でお茶をいただけます。
茶室=抹茶のイメージでしたが、どうやら日替わりでかわるらしい。
この日が中国茶だって。 -
なお、茶室からはお庭に降りることもできるそう。
半夏生をより近くで楽しめるよね。
今回は茶室に行かなかったので精一杯ズームしてみました。 -
白いのはお花じゃなくて葉っぱなんだよね。
花は猫のしっぽみたいな穂に小さな花が咲くそう。
もっと近づいて撮らないとわかりにくよね〜。
ポスターの写真だとわかるかな? -
半夏生は初夏になると緑の葉が徐々に白くなるそう。
でもすべての葉が白くなるわけどはなく、上の2〜3枚だけなんだって。
しかもまた緑に戻るんだとか。 -
昨日、雨が降り、今日は曇り空。
なんとなく植物は生き生きしてる気がします。
雨も曇りも案外悪くない。 -
半夏生はこの後、一度すべて刈り取られるそう。
なので冬の特別公開では半夏生の姿を見ることはできないんだって。
これほど見事な半夏生の庭は京都といえど、ここだけです。byガイドの方 -
入るときにいただいた両足院の御朱印。
半夏生もいいタイミングだったみたい。
素敵なお庭でした! -
せっかくなので「建仁寺」も寄っていきましょう。
建仁寺 寺・神社・教会
-
拝観料を払う所で風神様がお出迎え。
ここの御朱印帳も人気ですよね。 -
「風神雷神図」屏風 俵屋宗達
このお寺、屏風や襖絵などの写真が珍しく撮り放題。
なぜならお寺にあるのはほとんどが複製なのよね。
本物は国宝指定されていて、京都国立博物館にあります。
お寺で管理するのって大変そうだから作品を守るためにはその方がいいのかな? -
蚊遣り豚、ならぬ蚊遣りうちわ??
金魚が涼しげ。
お寺って虫が入り放題だもんね。 -
方丈の襖絵。
海北友松の雲龍図です。 -
方丈からの眺め。
奥に見える建物が法堂です。
手前のお庭は枯山水様式の「大雄苑」 -
建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。
創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。
その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年(1258年)東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。
(建仁寺HPより) -
庭、というか方丈の裏手におりれるようなので行って見ます。
そこで見つけた大きな硯。
田村月樵(たむら げっしょう)遺愛の大硯。
田村月樵は画家で67歳から69歳の時に、建仁寺の方丈の襖絵「唐子遊戯図」や塔頭 霊源院(僧堂)の襖絵「雲龍図」を描いたそう。
だからここに硯があるのかな? -
再び方丈に戻ってきました。
これはクジャク、だよね? -
正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。
やがて室町幕府により中国の制度にならった京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により再び荒廃します。(建仁寺HPより) -
「○△□乃庭」の説明。
-
木の下にある○と井戸の□はわかりやすいけれど、砂で表現されてる△はわかりにくい。
この角度だと右側に段差があるのがわかるけど。 -
こっちの角度からだと△がわかりにくいよね。
-
潮音庭(ちょうおんてい)
大書院、小書院に挟まれており、四方向から眺められる枯山水の庭です。(建仁寺HPより)
そう。建仁寺広い! -
ようやく天正年間(1573−1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。
明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派としての分派独立、建仁寺はその大本山となります。
また廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納、境内が半分近く縮小され現在にいたります。(建仁寺HPより) -
法堂。
天井には平成14年(2002年)に創建800年を記念して描かれた双龍図。
小泉淳作画伯筆。
建物自体は明和2年(1765年)上棟。
天井の巨大な絵を撮るのは大変だった……。 -
明治に入って境内が半分近く縮小ってもかなり広いぞ、建仁寺。
最初に預けていた御朱印帳を受け取ったら、次へ行きましょう。 -
次のお寺も建仁寺の塔頭ですが、細い道を通って行きます。
ふさふさのあじさいっぽいこれ、カシワバアジサイ? -
「摩利支天堂」
禅居庵の境内にあり、開山大鑑禅師が中国より請来した摩利支天を祀る。「摩利支」はサンスクリット語「Marici(マリーチ)」の音写で、威光、陽炎が神格化した古代インドの女神。「仏説摩利支天経」によると、「天女あり摩利支と名づく。大いなる神通自在の力をもつ。常に日月天の前を行く。日天・月天は彼を見ること能わず。彼は能く日を見る…」とあり、実態の無い陽炎は捕らえられ害されることがなく、その威光から戦国の武将たちにその信仰が広まった。現在では三面六臂で七頭の猪に坐すお姿から、開運・勝利の利益、特に亥年生まれの人々には守り本尊として信仰されている。
堂宇は天文の兵火で焼かれ、同16年(1547)織田信長の父、信秀が再建、のち元禄、享保、安政の年に整備改修が行われ、近年では明治8年、平成7年に屋根部分の大改修が加えられ今日に至っている。京都府指定文化財。(京都観光Navi HPより) -
狛犬ならぬ狛猪だし、手水舎にもいのしし。
なお、センサーがついてるみたいで近づくと水が流れるシステム。 -
御朱印をいただいた社務所にもいのししをモチーフにしたお守りや土鈴などがありました。
-
両足院の半夏生に続いて、この時期ならでは。
「霊源院」で甘茶の庭を見たいと思います。
本当はこちらでお抹茶をいただこう、と思っていたら……限定故、もう終わってた。
どうやら朝から並ばないとダメだったらしい。。。 -
こちらも両足院と同じく、説明してくれる方がいらっしゃいました。
そして、撮影は禁止。
ということでお庭の写真が続きます。
こちらでも龍山徳見禅師と林浄因のお話がありました。
あれ、でも饅頭について微妙にさっきと違う。
ガイドさんの記憶違いなのか、諸説あるのか。
そもそも日本の饅頭の起源は2つあって、この林浄因説とさらに約100年さかのぼり、円爾が福岡の博多でその製法を伝えた説があるそう。 -
他にも仏像や掛け軸についても教えていただきました。
……だいぶ忘れてるのが残念だよ。わたし。 -
今回、甘茶の庭が見れる、ってことで来た霊源院ですが、実は甘茶がどんな花は知りませんでした。
そして、目の前に広がるガクアジサイっぽいお花。
???
どれが甘茶?? -
受付にいた人に確認してみると、どうやらこのガクアジサイっぽい花が甘茶なんだって!
なんでも甘茶はヤマアジサイの甘味変種で、ヤマアジサイの甘味のある成分変異株が民間で発見されたものとされているんだとか。
なるほど。見分けがつかないわけだ。 -
甘茶はどこだかの風邪薬にも入ってるとか。
お抹茶はいただけませんでしたが、「也足軒」という茶室で甘茶をいただきました。
ほんのり甘い、ちょっと不思議なお茶でした。
ちなみにこの也足軒、四畳半の茶席で本堂内ににじり口がある珍しい構造になっています。
茶席からもお庭がよく見えます。 -
甘茶、日が当たるところはちょっとピークを過ぎていて、日影のところはこれから、という感じでした。
なかなか見ごろが難しそう。 -
少々くた〜ってしているこれは甘茶ではなく、シチダンカ(七段花)だったはず。
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シチダンカとはヤマアジサイの変種。六甲山の特産種。シーボルトの「日本植物誌」に採録されていましたが、しばらくの間、実際に見かけられることがありませんでした。1959年(昭和34年)に六甲山系内で「再」発見されました。装飾花が八重咲きとなり、各がく片が剣状に尖りきれいに重なって星状に見えるのが特徴です。(神戸市立森林植物園HPより)
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ちなみにこの甘露庭、仏陀釈尊の生誕から入滅までを表現している庭だそう。
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この甘茶は比較的、元気かな?
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狭いお庭だし、履物が1足しかないので一人ずつですが、お庭に降りて間近で見ることができました。
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こちらがいただいた御朱印。白い半紙ではなく、甘茶を背景に書かれていて素敵!
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再びバスに乗って東福寺の方へ来ました。
バス降りて、東福寺までの道がよくわからず、近くの病院の駐車場警備の方に聞くも、結局みんなで地図を見ながら協議する結果に。
なんとか目的地の「勝林寺」へ来ました。
……なかなかの階段。 -
東福寺塔頭の勝林寺へ来たのは限定御朱印があるから。
こじんまりとしたお寺です。毘沙門堂 勝林寺 寺・神社・教会
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時刻はもうすぐ16時。
これ、蓮だよね?
まだ咲いてるんだ〜。 -
勝林寺は東福寺の塔頭寺院の一つで、天文十九年(1550)に東福寺第二百五世住持であった「高岳令松」禅師によって、勝林庵として創建された。本山東福寺の鬼門(北方)に位置し仏法と北方を守護するところから、「東福寺の毘沙門天」と呼ばれている。
本堂は大檀那であった近衛家の大玄関を移築したもので、境内には一切経を埋めた石塔が建つ。数々の絵画・仏像を有し、とりわけ毘沙門堂としての正統性を証明するべく、本尊の秘仏毘沙門天立像をはじめ、他に例を見ない珍しい毘沙門天曼荼羅や、迫力に満ちた虎の大襖絵などが伝わる。(勝林寺HPより) -
春には、後桜町天皇が御参拝に来られた時に中興開山「独秀令岱」禅師が植樹された「皇桜」、秋には、その紅葉の美しさから「吉祥天」宿ると伝わる、「吉祥紅葉」はもとより庭園には、四季を通じて美しい花々が咲き参拝者の目を楽しませてくれる。(勝林寺HPより)
こちらがその「吉祥紅葉」
かなり立派です。 -
本堂にお参りして、御朱印をいただきましょう。
若いお坊さんでした。
写経体験をしている人たちがおり、やりたかったんですが、さすがに時間的にムリでした。。。 -
勝林寺、HPを見ると色々な体験ができるみたい。
御朱印もいろんなのを用意してるし。
小さなお寺、生き残るためにいろいろやってるのかな〜なんて思ったり。 -
あじさいのハンコが押してあるのは6月限定の御朱印。
赤い紙にはサルのハンコが押してあって、申年限定の御朱印。
月ごとにいろいろと出しているそう。 -
勝林寺を後にして、さて、どうするか。
16時過ぎという微妙な時間。
やってるところはやってるが、閉まってるところは閉まってる。。。
ガイドブックを見て、今熊野観音寺ならまだ空いてそうだし、歩いて行けそうだから行ってみようか、と細い道を地図片手に歩く。
するとどうでしょうか。
なぜか道を間違えたようで……。
迷うような箇所はなかったと思うんだけどな〜。
どうしても今熊野観音寺に行きたいわけではないし…ときょろきょろしてたら気になるお寺発見。戒光寺 寺・神社・教会
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「戒光寺」
10mの大仏様ってどんなの??と思い、入ってみることに。
御身代わり丈六釈迦如来をご本尊とする戒光寺は、皇室の菩提所である真言宗泉涌寺派総本山御寺泉涌寺の塔頭です。
当山の創建は、鎌倉時代の安貞2年(1228)後堀河天皇の勅願所として猪熊八条の地に巨大な伽藍を持つ戒律復興の道場として建立され戒光律寺と呼ばれており、皇室、庶民の尊崇を集めていましたが、応仁元年(1467)に勃発した応仁の乱により堂舎を焼失。本尊釈迦如来は兵火を逃れ仮に一条戻橋付近に移りました。
更に、三条河東に移築された後、正保2年(1645)後水尾天皇の発願により泉涌寺の塔頭とされ現在に至ります。尚、猪熊八条と堀川一条には現在も戒光寺町の名が残っています。(戒光寺HPより) -
境内には樹齢百年を越えるソメイヨシノ。根本からはモミジの木が生えてます。
あと、泉山融通弁財天も祀られてます。 -
本堂に入って、間近で御本尊様を見上げます。
いや〜本当、おっきい!!
そしてあちこちにある「撮影禁止」の文字が。
撮りたくなる気持ちはわかる反面、このサイズ感は実際に見ないとわからないよね。
本尊丈六釈迦如来像についてはこちら↓
鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶親子の合作。宋風をおびた極彩色の木像・寄木造で重要文化財に指定されています。身の丈は約5.4メートル、台座から後背部を入れると約10メートルにもなり、長い爪や流麗な衣など仏画から抜け出してきたような大仏様です。首の辺りから何か流れている様に見えるのは、血の跡だといわれてます。これは、後水尾天皇が即位争いに巻き込まれ暗殺者に寝首を掻かれた時に、この釈迦如来が身代わりにたたれ、ついたものだといわれています。
この事から、身代わりのお釈迦様と呼ばれるようになり、「悪しき事のお身代わりになって下さる」又、「首から上の病気、のどの病気を治してくださる」と、崇められ、大きな仏様という意味で「丈六さん」と呼ばれ親しまれています。(戒光寺HPより) -
戒光寺が泉涌寺の山内に移転されたのには次のような不思議な理由があるそう。
江戸時代初期第108代後水尾天皇が東宮の時、即位争いが起き、東宮は常に暗殺の影に脅かされていたそうです。とうとうある夜、刺客により暗殺を受けてしまいます。しかし、東宮の代わりに血を流していたのは当山の丈六釈迦如来像であったそうです。東宮はその後無事に即位され、以後も事ある毎にお身代わりに立たれ、歴代天皇の中でも極めて長命な85歳の天寿を全うされ御崩御になられたそうです。このような理由で皇室とかかわりの深い泉涌寺の近くに移転し、萬歳の后迄崇め奉らんと思し召されたそうです。また、奇しくもこの地は開山上人の開創されたもう一つの寺、東林院のすぐ近くでした。(戒光寺HPより) -
御朱印をいただいて、お寺を後にします。
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お隣にもこじんまりとしたお寺がありました。
「即成院」
ちょっと気になりましたが、もう閉めるところでした。
残念だけど、そんな時間だもんね。
なんとなく大通りを目指して歩きます。
そしてもう帰るって時間にお天気が良くなってきた!!
バス停に着いた頃には汗だくに。
旅行中は雨に降られるくらい、いまいちなお天気でしたが、むしろ歩き回るにはよかったな、と改めて思いました。 -
バスに揺られて京都駅に戻ってきました。
お土産を買って、新幹線に乗る前に夕飯〜。
原了郭のカレーです。
季節限定(だったと思う)賀茂ナスカレーです。
いろんなスパイスが置いてあり、自分で味を変えられます。
元の味はなんか体によさそうな感じの味だな〜。原了郭 京都駅 八条口店 グルメ・レストラン
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最後にライトアップされた京都タワーをながめ、
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色々と模様が変わる大階段を眺めます。
平安神宮も行こうかな〜と思ったのよね。 -
目的だった伊藤若冲の御朱印も2つもらえたし、この時期ならではのお花も見れたし。
急に決まって出発前はバタバタだったけれど、なかなかに満足な旅行となりました。
2日間、たくさん動き回った結果、帰りの新幹線は爆睡であっという間に東京へ戻ってきました。
おわり。
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