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「紀伊山地の霊場と参詣道」という名称で世界遺産に登録されていますが、高野山においては街全体が登録されたのではなく、主に歴史的建造物としての価値が高い6ヶ所が登録されています。<br />大門、壇上伽藍、金剛峯寺、奥の院、徳川家霊台の5つは総本山金剛峯寺が管轄する建物なのですが、残るひとつの「金剛三昧院」は塔頭寺院として唯一選ばれた寺院です。尚、塔頭寺院とは総本山の境内にある寺院で、住居や隠居した僧侶の僧房として建てられた子院を指します。<br />金剛三昧院は、高野山から熊野へ至る古道「小辺路(こへち)」の入口「小田原谷」に佇みます。他の寺院から少し外れた場所にあるため落雷などの火の手を免れ、鎌倉~江戸時代にかけての建造物や寺宝が多数現存している貴重なスポットです。<br />1211(建暦元)年、北条政子が源頼朝・実朝の菩提を弔うために創建した禅定院を起源とし、落慶法会には日本臨済宗の開祖である明庵 栄西禅師を請じ入れ、開山第一世としています。1219(承久元)年には、3代将軍 実朝の暗殺に伴い、その遺骨を納め、禅定院を金剛三昧院と改めました。かくして、幕府の重臣安達景盛が建立奉行となって堂塔の増建が進められ、一大伽藍を造営し、数多の子院を建立しました。<br />メインストリートを少し分け入った所にありますが、その分違った趣に出会える宿坊です。今回は、こうした隠れ家的宿坊にスポットを当ててみました。<br /><br />金剛三昧院のHPです。<br />http://www.kongosanmaiin.or.jp/

九夏三伏 高野山彷徨②苅萱堂・金剛三昧院

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2016/07/28 - 2016/07/28

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

「紀伊山地の霊場と参詣道」という名称で世界遺産に登録されていますが、高野山においては街全体が登録されたのではなく、主に歴史的建造物としての価値が高い6ヶ所が登録されています。
大門、壇上伽藍、金剛峯寺、奥の院、徳川家霊台の5つは総本山金剛峯寺が管轄する建物なのですが、残るひとつの「金剛三昧院」は塔頭寺院として唯一選ばれた寺院です。尚、塔頭寺院とは総本山の境内にある寺院で、住居や隠居した僧侶の僧房として建てられた子院を指します。
金剛三昧院は、高野山から熊野へ至る古道「小辺路(こへち)」の入口「小田原谷」に佇みます。他の寺院から少し外れた場所にあるため落雷などの火の手を免れ、鎌倉~江戸時代にかけての建造物や寺宝が多数現存している貴重なスポットです。
1211(建暦元)年、北条政子が源頼朝・実朝の菩提を弔うために創建した禅定院を起源とし、落慶法会には日本臨済宗の開祖である明庵 栄西禅師を請じ入れ、開山第一世としています。1219(承久元)年には、3代将軍 実朝の暗殺に伴い、その遺骨を納め、禅定院を金剛三昧院と改めました。かくして、幕府の重臣安達景盛が建立奉行となって堂塔の増建が進められ、一大伽藍を造営し、数多の子院を建立しました。
メインストリートを少し分け入った所にありますが、その分違った趣に出会える宿坊です。今回は、こうした隠れ家的宿坊にスポットを当ててみました。

金剛三昧院のHPです。
http://www.kongosanmaiin.or.jp/

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス 私鉄
  • 苅萱堂(かるかやどう)<br />一の橋から金剛三昧院に向かう途中、左手に鮮やかな朱色の堂宇が建っています。これが苅萱道心と石童丸の物語の舞台として名高い苅萱堂です。<br />2人が30年間に亘って修行した場所として知られ、高野聖の一派となる萱堂聖の本拠地となりました。<br />現在は、高野山の山内子院・密厳院の仏堂となっています。

    苅萱堂(かるかやどう)
    一の橋から金剛三昧院に向かう途中、左手に鮮やかな朱色の堂宇が建っています。これが苅萱道心と石童丸の物語の舞台として名高い苅萱堂です。
    2人が30年間に亘って修行した場所として知られ、高野聖の一派となる萱堂聖の本拠地となりました。
    現在は、高野山の山内子院・密厳院の仏堂となっています。

  • 苅萱堂<br />本堂に向かって左端に公衆トイレがあり、本堂の前には休憩用のベンチも備えられています。<br />苅萱道心と石童丸の物語は『山椒大夫』や『小栗判官』などと共に説教節の代表作とされ、ご年配の方であれば誰もが知る話だそうです。内部に展示されている額絵は、入口から反時計回りに一周すると話が完結します。

    苅萱堂
    本堂に向かって左端に公衆トイレがあり、本堂の前には休憩用のベンチも備えられています。
    苅萱道心と石童丸の物語は『山椒大夫』や『小栗判官』などと共に説教節の代表作とされ、ご年配の方であれば誰もが知る話だそうです。内部に展示されている額絵は、入口から反時計回りに一周すると話が完結します。

  • 苅萱堂<br />加藤左衛門尉繁氏は、筑前国刈萱荘博多の若き領主でした。繁氏は正室 桂子と側室 千里と一緒に暮らし、夫人たちは仲良く平静を装うも、桂子は若く美しい千里を憎んでいました。<br />ある夜、桂子と千里が囲碁をしている時、偶然それを繁氏が障子越しに見ると、2人の髪が逆立ち、蛇が絡み合って戦っているように見えたのでした。やがて桂子の千里に対する憎しみが顕になり、千里殺害を企てるに至りました。家来の計らいで他人が身代わりになり、千里は逃れることができました。この時、千里は身籠っていたのですが、繁氏はそれを知りませんでした。<br />事件後、繁氏は、領地も妻子も捨てて出家し、高野山安養寺の円慶の弟子 円空と名乗り、やがて蓮華谷に萱葺屋根の質素な庵を結び、苅萱道心と呼ばれるようになりました。<br />一方、千里は、播磨国太山寺に身を寄せ、男児を出産し、石童丸と名付けました。石童丸が大きくなった頃、高野山の苅萱道心という僧の噂を耳にしました。その僧こそ繁氏に間違いないと確信し、石童丸を連れて高野山へと向かいました。2人が麓まで辿り着くと、女性は入山できないと教えられ、石童丸に父の身体的特徴を教え、独りで高野山へと向かわせました。<br />石童丸が奥の院の御廟橋に辿り着いた時、ひとりの僧に出会い、「苅萱道心というお方を探しています。ご存じありませんか」と尋ねました。実は、その僧こそ刈萱道心でした。苅萱道心は石童丸の身の上を聞いて大変驚きましたが、出家した身であり、父と名乗ることはできませんでした。「繁氏という人は去年の秋に亡くなった。丁度そこにあるのが、その墓である」と近くにある墓を指すと、石童丸は墓の前で泣き崩れました。そして苅萱道心は、早く母のもとに帰るようやさしく諭しました。<br />ところが宿に着いてみると、長旅で病んだ母はすでに亡くなっていました。石童丸は、母の遺骨を背に再び高野山へと登り、苅萱道心の弟子となり、信照坊道念と名乗りました。2人は30年以上、師弟として苅萱堂で修行をしましたが、苅萱道心は生涯親子であることを明かさなかったといいます。<br />その後、苅萱道心は信州善光寺に向かい、草庵を結んで地蔵菩薩を彫り、その地で亡くなりました。道念は苅萱道心が往生したことを悟って信濃に向かい、父に倣って一刀三礼して地蔵菩薩を彫り上げ、この2体の地蔵は「親子地蔵」として今も信仰を集めているそうです。

    苅萱堂
    加藤左衛門尉繁氏は、筑前国刈萱荘博多の若き領主でした。繁氏は正室 桂子と側室 千里と一緒に暮らし、夫人たちは仲良く平静を装うも、桂子は若く美しい千里を憎んでいました。
    ある夜、桂子と千里が囲碁をしている時、偶然それを繁氏が障子越しに見ると、2人の髪が逆立ち、蛇が絡み合って戦っているように見えたのでした。やがて桂子の千里に対する憎しみが顕になり、千里殺害を企てるに至りました。家来の計らいで他人が身代わりになり、千里は逃れることができました。この時、千里は身籠っていたのですが、繁氏はそれを知りませんでした。
    事件後、繁氏は、領地も妻子も捨てて出家し、高野山安養寺の円慶の弟子 円空と名乗り、やがて蓮華谷に萱葺屋根の質素な庵を結び、苅萱道心と呼ばれるようになりました。
    一方、千里は、播磨国太山寺に身を寄せ、男児を出産し、石童丸と名付けました。石童丸が大きくなった頃、高野山の苅萱道心という僧の噂を耳にしました。その僧こそ繁氏に間違いないと確信し、石童丸を連れて高野山へと向かいました。2人が麓まで辿り着くと、女性は入山できないと教えられ、石童丸に父の身体的特徴を教え、独りで高野山へと向かわせました。
    石童丸が奥の院の御廟橋に辿り着いた時、ひとりの僧に出会い、「苅萱道心というお方を探しています。ご存じありませんか」と尋ねました。実は、その僧こそ刈萱道心でした。苅萱道心は石童丸の身の上を聞いて大変驚きましたが、出家した身であり、父と名乗ることはできませんでした。「繁氏という人は去年の秋に亡くなった。丁度そこにあるのが、その墓である」と近くにある墓を指すと、石童丸は墓の前で泣き崩れました。そして苅萱道心は、早く母のもとに帰るようやさしく諭しました。
    ところが宿に着いてみると、長旅で病んだ母はすでに亡くなっていました。石童丸は、母の遺骨を背に再び高野山へと登り、苅萱道心の弟子となり、信照坊道念と名乗りました。2人は30年以上、師弟として苅萱堂で修行をしましたが、苅萱道心は生涯親子であることを明かさなかったといいます。
    その後、苅萱道心は信州善光寺に向かい、草庵を結んで地蔵菩薩を彫り、その地で亡くなりました。道念は苅萱道心が往生したことを悟って信濃に向かい、父に倣って一刀三礼して地蔵菩薩を彫り上げ、この2体の地蔵は「親子地蔵」として今も信仰を集めているそうです。

  • 麩善(支店)<br />刈萱堂の右斜め向かいにある「麩善」で、「笹巻あんぷ」と言うこし餡を生麩で包んだおまんじゅうをお土産に購入しました。ばら売りは5個/人までしか買えません。<br /><br />創業は190年前の文政年間になります。以来、高野山唯一の生麩屋として重宝されてきた老舗です。高野山の宿坊の精進料理に欠かせない素材の麩を今も昔も変わらない味と製法で作り続け、百年前には奥の院への御用麩を献上していたという記録が残っています。<br />お店のHPです。<br />http://www.fu-zen.com/sasamaki.htm

    麩善(支店)
    刈萱堂の右斜め向かいにある「麩善」で、「笹巻あんぷ」と言うこし餡を生麩で包んだおまんじゅうをお土産に購入しました。ばら売りは5個/人までしか買えません。

    創業は190年前の文政年間になります。以来、高野山唯一の生麩屋として重宝されてきた老舗です。高野山の宿坊の精進料理に欠かせない素材の麩を今も昔も変わらない味と製法で作り続け、百年前には奥の院への御用麩を献上していたという記録が残っています。
    お店のHPです。
    http://www.fu-zen.com/sasamaki.htm

  • 麩善<br />「笹巻あんぷ」は、昔から親しまれてきたものではなく、16年ほど前に考案されたものだそうです。よもぎを混ぜた生麩でこし餡をくるんだ、さっぱりした甘みとモチモチの食感が魅力です。<br />生麩がプルプルつるんつるんで、きめ細かいこし餡と仄かなよもぎの香りがバランスよく合わさった絶品です。よもぎと熊笹の上品な香りは、奥の院の森林の香りをフラッシュバクさせ、お茶との相性も抜群です。<br />生菓子ですので、早目にいただくに越したことはないのですが、冷蔵庫で3日、冷凍庫で約3ヶ月の保存が可能だそうです。

    麩善
    「笹巻あんぷ」は、昔から親しまれてきたものではなく、16年ほど前に考案されたものだそうです。よもぎを混ぜた生麩でこし餡をくるんだ、さっぱりした甘みとモチモチの食感が魅力です。
    生麩がプルプルつるんつるんで、きめ細かいこし餡と仄かなよもぎの香りがバランスよく合わさった絶品です。よもぎと熊笹の上品な香りは、奥の院の森林の香りをフラッシュバクさせ、お茶との相性も抜群です。
    生菓子ですので、早目にいただくに越したことはないのですが、冷蔵庫で3日、冷凍庫で約3ヶ月の保存が可能だそうです。

  • 金剛三昧院<br />東西を縦断するメインストリートにあるゴマ豆腐で有名な「森下食品」の前の道を左に折れ、5分程緩やかな坂道を登って行くとやがて家並みが途切れます。すると、右に「別格本山 長老坊」、左に「金剛三昧院」と彫られた境内との結界を示す石柱が現れます。<br />この杉並木を3分程登り詰めた所に表門が佇みます。

    金剛三昧院
    東西を縦断するメインストリートにあるゴマ豆腐で有名な「森下食品」の前の道を左に折れ、5分程緩やかな坂道を登って行くとやがて家並みが途切れます。すると、右に「別格本山 長老坊」、左に「金剛三昧院」と彫られた境内との結界を示す石柱が現れます。
    この杉並木を3分程登り詰めた所に表門が佇みます。

  • 金剛三昧院 表門<br />江戸時代後期の文政年間に建立された楼門で、扁額には「毘張尊(びちょうそん)」と書かれています。「毘張尊」は金剛三昧院の守り神である毘張尊師と呼ばれる天狗のことです。<br />楼門の「楼」とは元々は「階層のある眺望のよい建物」という意味です。ですから楼門には屋根との間に高欄の廻った櫓(やぐら)がある2階部分を持ちます。屋根と扁額が異常に大きくアンバランスなため、異質な感じがしないでもありません。<br />脚には、古くから伝わる大きな銅鑼(どら)が下げられ、今も時などを知らせています。

    金剛三昧院 表門
    江戸時代後期の文政年間に建立された楼門で、扁額には「毘張尊(びちょうそん)」と書かれています。「毘張尊」は金剛三昧院の守り神である毘張尊師と呼ばれる天狗のことです。
    楼門の「楼」とは元々は「階層のある眺望のよい建物」という意味です。ですから楼門には屋根との間に高欄の廻った櫓(やぐら)がある2階部分を持ちます。屋根と扁額が異常に大きくアンバランスなため、異質な感じがしないでもありません。
    脚には、古くから伝わる大きな銅鑼(どら)が下げられ、今も時などを知らせています。

  • 金剛三昧院 表門<br />門の中にある鐘楼は重文に指定されており、1207〜10年の銘が書かれていることから、現存する鐘楼では日本で16番目に古いものとされています。<br />現在では寺内の法要の時にのみ、その音色を聞くことができます。<br />

    金剛三昧院 表門
    門の中にある鐘楼は重文に指定されており、1207〜10年の銘が書かれていることから、現存する鐘楼では日本で16番目に古いものとされています。
    現在では寺内の法要の時にのみ、その音色を聞くことができます。

  • 金剛三昧院 本堂<br />表門の正面に本堂があります。<br />済高座主が929(延長7)年に建立した堂宇で、元々は総持院境内にありました。済高はここで「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになりました。後に壇場へ移されたのですが、その修造に関わったのが西行法師だと伝えられています。現在の建物は1816(文化13)年の再建です。<br />本尊は愛染明王像を祀っています。源頼朝が亡くなった際、正室 北条政子が仏師として名を馳せていた運慶に依頼し、頼朝の等身大の坐像念持仏、つまり今日の愛染明王像として制作したもので、金剛三昧院建立の原点となるものです。<br />愛染明王とは、息災、増益、敬愛、降伏のご利益を備える明王で、煩悩や愛欲といった人間と切っても切り離せない本能を向上心とし、仏への信仰、信心への糧にする功徳を持った仏様です。<br />本殿の奥には、源頼朝と北条政子、足利尊氏、その弟の足利直義の位牌を安置する位牌堂があります。

    金剛三昧院 本堂
    表門の正面に本堂があります。
    済高座主が929(延長7)年に建立した堂宇で、元々は総持院境内にありました。済高はここで「理趣三昧」という儀式を執り行っていたため、三昧堂と呼ばれるようになりました。後に壇場へ移されたのですが、その修造に関わったのが西行法師だと伝えられています。現在の建物は1816(文化13)年の再建です。
    本尊は愛染明王像を祀っています。源頼朝が亡くなった際、正室 北条政子が仏師として名を馳せていた運慶に依頼し、頼朝の等身大の坐像念持仏、つまり今日の愛染明王像として制作したもので、金剛三昧院建立の原点となるものです。
    愛染明王とは、息災、増益、敬愛、降伏のご利益を備える明王で、煩悩や愛欲といった人間と切っても切り離せない本能を向上心とし、仏への信仰、信心への糧にする功徳を持った仏様です。
    本殿の奥には、源頼朝と北条政子、足利尊氏、その弟の足利直義の位牌を安置する位牌堂があります。

  • 金剛三昧院 本坊(重文)<br />本坊は鎌倉時代の建築になります。<br />静寂感に包まれた境内は、時折聞こえる鳥の鳴き声が心地よく響き渡ります。<br />金剛三昧院は、初代住職に栄西を迎えた縁で、長らく禅寺として栄えてきた歴史を持ちます。<br />

    金剛三昧院 本坊(重文)
    本坊は鎌倉時代の建築になります。
    静寂感に包まれた境内は、時折聞こえる鳥の鳴き声が心地よく響き渡ります。
    金剛三昧院は、初代住職に栄西を迎えた縁で、長らく禅寺として栄えてきた歴史を持ちます。

  • 金剛三昧院 多宝塔(国宝)<br />高野山に存在する国宝の建物は、僅か2点しかありません。この多宝塔と壇上伽藍の不動堂です。<br />1223(貞応2)年に建立された、高野山に現存する最古の多宝塔です。尼将軍 北条政子が、夫 源頼朝、息子 実朝の菩提を弔うために建立しました。高さはそれほどありませんが、重厚感ある佇まいに迫力があります。多宝塔とは、下層が方形、上層が円形の平面を持つ二重塔を指し、高野山の壇上伽藍に根本大塔として建てられたのを起源にその後全国の密教寺院に広まった日本独自の仏教建築です。

    金剛三昧院 多宝塔(国宝)
    高野山に存在する国宝の建物は、僅か2点しかありません。この多宝塔と壇上伽藍の不動堂です。
    1223(貞応2)年に建立された、高野山に現存する最古の多宝塔です。尼将軍 北条政子が、夫 源頼朝、息子 実朝の菩提を弔うために建立しました。高さはそれほどありませんが、重厚感ある佇まいに迫力があります。多宝塔とは、下層が方形、上層が円形の平面を持つ二重塔を指し、高野山の壇上伽藍に根本大塔として建てられたのを起源にその後全国の密教寺院に広まった日本独自の仏教建築です。

  • 金剛三昧院 多宝塔<br />本来の屋根の下に更に一重屋根を重ねる裳階(もこし)と呼ばれる建築様式を採り、2階建てに見えますが、実際は1階建てです。建立当時の丹塗りが仄かに残り、裳階の上の白い円形部分との色合いが背後に深々と広がる杉木立に映え、雄大な景観です。また、現在は桧皮葺になっていますが、当初は厚板を用いた栩葺(とちぶき)だったそうで、その葺材の一部が小屋内に遺されているそうです。

    金剛三昧院 多宝塔
    本来の屋根の下に更に一重屋根を重ねる裳階(もこし)と呼ばれる建築様式を採り、2階建てに見えますが、実際は1階建てです。建立当時の丹塗りが仄かに残り、裳階の上の白い円形部分との色合いが背後に深々と広がる杉木立に映え、雄大な景観です。また、現在は桧皮葺になっていますが、当初は厚板を用いた栩葺(とちぶき)だったそうで、その葺材の一部が小屋内に遺されているそうです。

  • 金剛三昧院 多宝塔<br />滋賀県大津市にある石山寺の多宝塔に次ぐ国内で2番目に古い多宝塔と言われており、国宝に指定されています。高さは15m、屋根の一辺は9mあります。内部は須弥壇が設けられ、その前には密教における5つの知恵を表した仏師 運慶作と伝えられる重文の秘仏「五智如来像(大日如来、阿閃如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来)」が安置され、金色の立体曼荼羅を表しているそうです。中央の大日如来には頼朝公の遺髪が収められていると言われており、顔が北条政子像に似ていると言われています。

    金剛三昧院 多宝塔
    滋賀県大津市にある石山寺の多宝塔に次ぐ国内で2番目に古い多宝塔と言われており、国宝に指定されています。高さは15m、屋根の一辺は9mあります。内部は須弥壇が設けられ、その前には密教における5つの知恵を表した仏師 運慶作と伝えられる重文の秘仏「五智如来像(大日如来、阿閃如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来)」が安置され、金色の立体曼荼羅を表しているそうです。中央の大日如来には頼朝公の遺髪が収められていると言われており、顔が北条政子像に似ていると言われています。

  • 金剛三昧院 多宝塔<br />石山寺、慈眼院などと共に日本三名塔とも言われています。<br />女性的な美しさの石山寺多宝塔に対し、金剛三昧院は軒先が広く大らかで、どちらかというと武骨な印象です。これも、女人禁制だった高野山に佇む塔の宿命から男性的なものになったのかもしれません。 <br />多宝塔は密教世界の中心である大日如来を象徴すると言われていますが、高野山では特定の人の菩提を弔うためにもこの塔が建てられました。均整の取れた綺麗な形に創建当時の丹塗りの色彩が仄かに残り、往時を偲びながら政子の思いに馳せることができました。

    金剛三昧院 多宝塔
    石山寺、慈眼院などと共に日本三名塔とも言われています。
    女性的な美しさの石山寺多宝塔に対し、金剛三昧院は軒先が広く大らかで、どちらかというと武骨な印象です。これも、女人禁制だった高野山に佇む塔の宿命から男性的なものになったのかもしれません。
    多宝塔は密教世界の中心である大日如来を象徴すると言われていますが、高野山では特定の人の菩提を弔うためにもこの塔が建てられました。均整の取れた綺麗な形に創建当時の丹塗りの色彩が仄かに残り、往時を偲びながら政子の思いに馳せることができました。

  • 金剛三昧院 本堂<br />本堂の中には入ることができません。<br />本堂と護摩堂を結ぶ廊下には勾欄が配されています。<br />右側にあるのは、本坊と護摩堂とを結ぶ渡り廊下です。

    金剛三昧院 本堂
    本堂の中には入ることができません。
    本堂と護摩堂を結ぶ廊下には勾欄が配されています。
    右側にあるのは、本坊と護摩堂とを結ぶ渡り廊下です。

  • 金剛三昧院 表門<br />本堂から表門を振り返ってみます。<br />門の前にはツアーの大型バスが止まっていますが、観光客の姿は何処にも見えません。宿坊へ行かれているのでしょう。

    金剛三昧院 表門
    本堂から表門を振り返ってみます。
    門の前にはツアーの大型バスが止まっていますが、観光客の姿は何処にも見えません。宿坊へ行かれているのでしょう。

  • 金剛三昧院 本坊(重文)<br />特別拝観中ということもあり、本坊に上がってゆっくりと襖絵を堪能することができました。 <br />中門、大広間、台所にある襖絵は室町時代中期に活躍した小栗宗丹筆『金地著色梅花雉子図(こんぢちゃくしょくばいかきじず)』です。大広間の襖と壁面を合わせた14面が重文に指定され、高野山別格本山 長老坊ならではの威厳と光彩を放っています。<br />2012年に3年がかりの修復が終ったばかりだそうですので、往時の鮮やかな色彩が甦っています。

    金剛三昧院 本坊(重文)
    特別拝観中ということもあり、本坊に上がってゆっくりと襖絵を堪能することができました。
    中門、大広間、台所にある襖絵は室町時代中期に活躍した小栗宗丹筆『金地著色梅花雉子図(こんぢちゃくしょくばいかきじず)』です。大広間の襖と壁面を合わせた14面が重文に指定され、高野山別格本山 長老坊ならではの威厳と光彩を放っています。
    2012年に3年がかりの修復が終ったばかりだそうですので、往時の鮮やかな色彩が甦っています。

  • 金剛三昧院 本坊 中門<br />威厳溢れる本坊中門(大玄関)です。<br />宿坊棟は、この本坊ではなく、地下通路を進み、道路を挟んで反対側にあるようです。<br />本尊の愛染明王像は、宿泊者だけの特別拝観のようです。<br />

    金剛三昧院 本坊 中門
    威厳溢れる本坊中門(大玄関)です。
    宿坊棟は、この本坊ではなく、地下通路を進み、道路を挟んで反対側にあるようです。
    本尊の愛染明王像は、宿泊者だけの特別拝観のようです。

  • 金剛三昧院 本坊 中門<br />破風向拝部の軒下を仰ぎ見ます。<br />素木造りの素朴な味わいに痺れてしまいます。

    金剛三昧院 本坊 中門
    破風向拝部の軒下を仰ぎ見ます。
    素木造りの素朴な味わいに痺れてしまいます。

  • 金剛三昧院 本坊 大広間廊下<br />窓の元祖とも言える建具「蔀戸(しとみど)」が平安時代の寝殿造りを彷彿とさせます。こちらは「半蔀(はじとみ)」と言われるものです。<br /> 「蔀」とは「日光や風雨を遮るもの」という意味です。寝殿造りで初めて採用された蔀戸は、現代の感覚なら窓であり、雨戸であり、さらに壁でもありました。蔀戸は、当時窓もなく暗かった屋内を一気に明るく開放的にし、爽やかな外気を取り込める画期的な発明だったと言えます。<br />便利ではあるものの、大きな蔀戸になると重量など使い難い面もあり、板を上下2枚に分け、上部の板だけを開く「半蔀」が考案されました。

    金剛三昧院 本坊 大広間廊下
    窓の元祖とも言える建具「蔀戸(しとみど)」が平安時代の寝殿造りを彷彿とさせます。こちらは「半蔀(はじとみ)」と言われるものです。
    「蔀」とは「日光や風雨を遮るもの」という意味です。寝殿造りで初めて採用された蔀戸は、現代の感覚なら窓であり、雨戸であり、さらに壁でもありました。蔀戸は、当時窓もなく暗かった屋内を一気に明るく開放的にし、爽やかな外気を取り込める画期的な発明だったと言えます。
    便利ではあるものの、大きな蔀戸になると重量など使い難い面もあり、板を上下2枚に分け、上部の板だけを開く「半蔀」が考案されました。

  • 金剛三昧院 中庭<br />護摩堂へ通じる渡り廊下が典雅です。<br />襖絵はどれも見応えのあるものばかりで、広々した大広間は落ち着いた佇まいでした。

    金剛三昧院 中庭
    護摩堂へ通じる渡り廊下が典雅です。
    襖絵はどれも見応えのあるものばかりで、広々した大広間は落ち着いた佇まいでした。

  • 金剛三昧院 中庭<br />中庭の中央に池があり、その周囲を緑の木々が彩っています。

    金剛三昧院 中庭
    中庭の中央に池があり、その周囲を緑の木々が彩っています。

  • 金剛三昧院 経蔵(重文)<br />仏教建築の書庫、倉庫のひとつとして、経典や版木(はんぎ)などを保管するために建てられたものです。1223年頃、多宝塔と同じく、金剛三昧院と改められた際に建立されました。<br />建築様式が奈良の東大寺正倉院などと同じ校倉造りであり、鎌倉時代初期の校倉造りの建築物としては保存状態が良好なため、建物・版木共に重文に指定されています。<br />この右手に推定樹齢450年とされる巨大なシャクナゲがあります。

    金剛三昧院 経蔵(重文)
    仏教建築の書庫、倉庫のひとつとして、経典や版木(はんぎ)などを保管するために建てられたものです。1223年頃、多宝塔と同じく、金剛三昧院と改められた際に建立されました。
    建築様式が奈良の東大寺正倉院などと同じ校倉造りであり、鎌倉時代初期の校倉造りの建築物としては保存状態が良好なため、建物・版木共に重文に指定されています。
    この右手に推定樹齢450年とされる巨大なシャクナゲがあります。

  • 金剛三昧院 経蔵<br />内部には、『高野版』と呼ばれる経典が書かれた版木が500枚以上収められているそうです。ここに収められた摺本を用い、南山教学の中心地として栄えました。

    金剛三昧院 経蔵
    内部には、『高野版』と呼ばれる経典が書かれた版木が500枚以上収められているそうです。ここに収められた摺本を用い、南山教学の中心地として栄えました。

  • 金剛三昧院 霊木 六本杉(別名:毘張杉)<br />境内の中心に聳え立つ、推定樹齢500年の杉の巨木です。<br />根元を見ると3本の木のように見えますが、上に行くと6本に分かれていることから、こう呼ばれています。また別名「毘張杉」は、毘張尊師と呼ばれる天狗がこの杉の木に舞い降りてきたことに由来します。<br />毘張尊師は火災や盗難除けの神様としても有名で、毎年10月10日前後にお祀りする大般若転読法要を修しています。<br />

    金剛三昧院 霊木 六本杉(別名:毘張杉)
    境内の中心に聳え立つ、推定樹齢500年の杉の巨木です。
    根元を見ると3本の木のように見えますが、上に行くと6本に分かれていることから、こう呼ばれています。また別名「毘張杉」は、毘張尊師と呼ばれる天狗がこの杉の木に舞い降りてきたことに由来します。
    毘張尊師は火災や盗難除けの神様としても有名で、毎年10月10日前後にお祀りする大般若転読法要を修しています。

  • 金剛三昧院 霊木 六本杉<br />健康、恋愛、学業、仕事、金運、それに賭け事にご利益のある木もあるそうですが、どれがどれに当たるのかさっぱり判りません。<br />ここはまとめてお願いするしかありません。<br />願いと木の力が合えば成就するとのことなのですが…。<br />

    金剛三昧院 霊木 六本杉
    健康、恋愛、学業、仕事、金運、それに賭け事にご利益のある木もあるそうですが、どれがどれに当たるのかさっぱり判りません。
    ここはまとめてお願いするしかありません。
    願いと木の力が合えば成就するとのことなのですが…。

  • 金剛三昧院 四所明神社本殿(重文)<br />室町時代末期の1552(天文21)年に建立されたもので、高野山の地主神の丹生明神、高野明神、気比明神、丹生御息の4柱を祀っています。<br />一宮 丹生明神:胎蔵界の大日如来を祀る<br />二宮 高野明神:金剛界の大日如来を祀る<br />三宮 気比明神:千手観音を祀る<br />四宮 丹生御息:文殊菩薩を祀る<br />上方に見えるのが、火災から守ってくれる天狗「毘張尊師」を祀る社です。

    金剛三昧院 四所明神社本殿(重文)
    室町時代末期の1552(天文21)年に建立されたもので、高野山の地主神の丹生明神、高野明神、気比明神、丹生御息の4柱を祀っています。
    一宮 丹生明神:胎蔵界の大日如来を祀る
    二宮 高野明神:金剛界の大日如来を祀る
    三宮 気比明神:千手観音を祀る
    四宮 丹生御息:文殊菩薩を祀る
    上方に見えるのが、火災から守ってくれる天狗「毘張尊師」を祀る社です。

  • 金剛三昧院 四所明神社本殿<br />何故寺院に神社があるのか、不思議ではありませんか?<br />実は高野山は元々丹生津比売(にふつひめ)大神という女神が祀られており、空海はここを開山する時にこの女神様に許可を乞うたと伝えられています。その故事から、高野山の守り神として今でもお祀りしています。<br />本宮内の画は高野山上の奥の院と麓の天野社の神仏を習合した、垂迹(すいじゃく:仏様が仮の姿をして現れること)思想を基に描かれており、 4柱の明神を祀っているため、四所明神と呼ばれています。

    金剛三昧院 四所明神社本殿
    何故寺院に神社があるのか、不思議ではありませんか?
    実は高野山は元々丹生津比売(にふつひめ)大神という女神が祀られており、空海はここを開山する時にこの女神様に許可を乞うたと伝えられています。その故事から、高野山の守り神として今でもお祀りしています。
    本宮内の画は高野山上の奥の院と麓の天野社の神仏を習合した、垂迹(すいじゃく:仏様が仮の姿をして現れること)思想を基に描かれており、 4柱の明神を祀っているため、四所明神と呼ばれています。

  • 金剛三昧院 本坊<br />四所明神社本殿の高台から俯瞰する本坊の屋根は、どことなく優しい感じがします。

    金剛三昧院 本坊
    四所明神社本殿の高台から俯瞰する本坊の屋根は、どことなく優しい感じがします。

  • 金剛三昧院 本坊<br />御朱印をいただこうと思いましたが、団体さんが沢山の御朱印帳を預けられているようで、時間がかかるとのことで断念いたしました。<br />宿坊の宿命なのか、「first come,first served.」の精神でおもてなしをなされているようです。<br /><br />この続きは、九夏三伏 高野山彷徨③金剛峯寺でお届けいたします。

    金剛三昧院 本坊
    御朱印をいただこうと思いましたが、団体さんが沢山の御朱印帳を預けられているようで、時間がかかるとのことで断念いたしました。
    宿坊の宿命なのか、「first come,first served.」の精神でおもてなしをなされているようです。

    この続きは、九夏三伏 高野山彷徨③金剛峯寺でお届けいたします。

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