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今回の旅は、米子から境港。米子は住んでいたこともあるので勝手知ったる街だったはずなんですが、観光地なんて言うイメージは全くない。高島屋が象徴する商業都市というのが一般的な米子の位置づけです。しかし、米子空港で得た情報だとそれだけでもないような。やや無理無理の感じもなくはないのですが、急きょ米子もコースに組み込んでこの機会に観光地らしきところを探索してみることにしました。<br />その後は、普通の観光。水木しげるロードです。<br /><br />ということで。<br />旧加茂川沿いは、米子市内でほとんど唯一の観光エリア。米子市民ですら、米子には観光地なんかないと思っていますが、まあまあの米子城跡とこのエリアは観光地と言っていいでしょう。白壁土蔵や寺町などを回って、最後は最近売出し中の咲い地蔵まで。ちょっと地味ではありますが、観光客がほとんどいない分、時が止まったような雰囲気が楽しめると思います。<br />ところで、寺町には一直線の通り沿いに9つのお寺が並んでいます。米子城築城と同時に行われた街の整備でここに集められたものですが、いずれにしてもそれぞれが個性のある佇まい。近代的な本堂もあったりしますが、決して雰囲気を壊すようなことにはなっていない。ちゃんと共存しているように思います。<br /><br />そして、せっかくなので、米子の歴史にも触れておくと。。<br />米子は伯耆の国なんですが、伯耆の国の国府があったのは倉吉。倉吉の打吹城は、応仁の乱の一方の大将山名宗全を生んだ山名氏の居城でもあり、このあたりまでは、伯耆の国の中心は米子ではなくて倉吉です。<br />関ヶ原の戦いの敗北により、尼子氏からせっかく奪った米子城を追われた毛利氏の一族、吉川広家。その後に、伯耆の国17万国の領主として、米子城に入ったのは中村一忠です。しかし、中村氏も米子城騒動から一忠の早逝により家系断絶、改易へ。ほどなく、徳川家康と姻戚関係ができたことで運が開けた池田輝政から始まる池田氏の因幡・伯耆32万石統治の時代が始まります。池田輝政のもう一方の系譜には岡山藩の藩主もいたのですが、鳥取と岡山の同じ池田氏同志のお国替えで幼い池田光仲が岡山藩から鳥取藩に入る。しかし、領国経営の藩主の負担を軽減するためとして、自分手政治という一部地域を家老に任せる制度を設けます。米子もその制度の対象となり、家老、荒尾氏が米子を預かり、明治維新まで続きます。<br />ちなみに、米子は、今でも鳥取に対するライバル心がとても強くて驚くほど。鳥取藩の城を決める際も鳥取にするか米子にするか最後まで議論があったといわれますから、ライバル関係はなかなかの古さです。一方で、池田光仲は、徳川家康のひ孫であり、幕府からは手厚い処遇を得ていたので、本来は穏やかな土地柄になってもよかったはずなんですが、自分手政治に守られたことで、逆にその穏やかさは米子まで及んでいないような。ちょっと皮肉な面もあるかもしれません。<br /><br />鳥取と倉吉の旅も参考まで。<br />http://4travel.jp/travelogue/10711346<br />http://4travel.jp/travelogue/11112455<br /><br />

米子の下町歩きから境港の水木しげるロードへ~地元の人もほとんど知らない米子の観光と今や全国的にもメジャーな観光地、水木しげるロードをしこしこ、キョロキョロ巡ります~

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2016/07/26 - 2016/07/27

2位(同エリア496件中)

    120

    今回の旅は、米子から境港。米子は住んでいたこともあるので勝手知ったる街だったはずなんですが、観光地なんて言うイメージは全くない。高島屋が象徴する商業都市というのが一般的な米子の位置づけです。しかし、米子空港で得た情報だとそれだけでもないような。やや無理無理の感じもなくはないのですが、急きょ米子もコースに組み込んでこの機会に観光地らしきところを探索してみることにしました。
    その後は、普通の観光。水木しげるロードです。

    ということで。
    旧加茂川沿いは、米子市内でほとんど唯一の観光エリア。米子市民ですら、米子には観光地なんかないと思っていますが、まあまあの米子城跡とこのエリアは観光地と言っていいでしょう。白壁土蔵や寺町などを回って、最後は最近売出し中の咲い地蔵まで。ちょっと地味ではありますが、観光客がほとんどいない分、時が止まったような雰囲気が楽しめると思います。
    ところで、寺町には一直線の通り沿いに9つのお寺が並んでいます。米子城築城と同時に行われた街の整備でここに集められたものですが、いずれにしてもそれぞれが個性のある佇まい。近代的な本堂もあったりしますが、決して雰囲気を壊すようなことにはなっていない。ちゃんと共存しているように思います。

    そして、せっかくなので、米子の歴史にも触れておくと。。
    米子は伯耆の国なんですが、伯耆の国の国府があったのは倉吉。倉吉の打吹城は、応仁の乱の一方の大将山名宗全を生んだ山名氏の居城でもあり、このあたりまでは、伯耆の国の中心は米子ではなくて倉吉です。
    関ヶ原の戦いの敗北により、尼子氏からせっかく奪った米子城を追われた毛利氏の一族、吉川広家。その後に、伯耆の国17万国の領主として、米子城に入ったのは中村一忠です。しかし、中村氏も米子城騒動から一忠の早逝により家系断絶、改易へ。ほどなく、徳川家康と姻戚関係ができたことで運が開けた池田輝政から始まる池田氏の因幡・伯耆32万石統治の時代が始まります。池田輝政のもう一方の系譜には岡山藩の藩主もいたのですが、鳥取と岡山の同じ池田氏同志のお国替えで幼い池田光仲が岡山藩から鳥取藩に入る。しかし、領国経営の藩主の負担を軽減するためとして、自分手政治という一部地域を家老に任せる制度を設けます。米子もその制度の対象となり、家老、荒尾氏が米子を預かり、明治維新まで続きます。
    ちなみに、米子は、今でも鳥取に対するライバル心がとても強くて驚くほど。鳥取藩の城を決める際も鳥取にするか米子にするか最後まで議論があったといわれますから、ライバル関係はなかなかの古さです。一方で、池田光仲は、徳川家康のひ孫であり、幕府からは手厚い処遇を得ていたので、本来は穏やかな土地柄になってもよかったはずなんですが、自分手政治に守られたことで、逆にその穏やかさは米子まで及んでいないような。ちょっと皮肉な面もあるかもしれません。

    鳥取と倉吉の旅も参考まで。
    http://4travel.jp/travelogue/10711346
    http://4travel.jp/travelogue/11112455

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    • 米子空港に到着。<br />ここは、鬼太郎のキャラクターをもっと前面に出した派手な空港かと思ったんですが、想像していたよりはかなり大人しい感じでした。出たところの待合所に飛行機に乗った鬼太郎と目玉おやじのモニュメントがあって、これを撮ったくらい。あとは二階のステンドグラスの壁画くらいかなあと思います。

      米子空港に到着。
      ここは、鬼太郎のキャラクターをもっと前面に出した派手な空港かと思ったんですが、想像していたよりはかなり大人しい感じでした。出たところの待合所に飛行機に乗った鬼太郎と目玉おやじのモニュメントがあって、これを撮ったくらい。あとは二階のステンドグラスの壁画くらいかなあと思います。

    • 米子空港総合案内所は、到着ロビー横。少し時間があったので、ここで情報収集しました。近くの観光スポットとしては鬼太郎ロードか弓ヶ浜、大山・皆生温泉なんですが、米子市内の街歩きの情報も。

      米子空港総合案内所は、到着ロビー横。少し時間があったので、ここで情報収集しました。近くの観光スポットとしては鬼太郎ロードか弓ヶ浜、大山・皆生温泉なんですが、米子市内の街歩きの情報も。

    • 地元でも米子市内は観光地としての認識はないんですが、この街歩き地図はなかなか充実しています。ネットで探しても、このレベルの地図はないので、観光協会でもアップしたらいいと思います。<br />ふーむ。米子なんか予定に入れてなかったのですが、せっかくなので、これは回ってみるしかないですね。

      地元でも米子市内は観光地としての認識はないんですが、この街歩き地図はなかなか充実しています。ネットで探しても、このレベルの地図はないので、観光協会でもアップしたらいいと思います。
      ふーむ。米子なんか予定に入れてなかったのですが、せっかくなので、これは回ってみるしかないですね。

    • 米子空港からまずやってきたのは、境水道大橋。この橋は、境港と対岸の島根半島を結ぶ橋です。この橋はない時代は渡船があって、島根半島の浦の海水浴場に向かい際はずいぶん待ち時間が長かったことを思い出します。<br />全長709mはそれとして、最大の特徴は島根県側の標高が50mであること。境港側はからこれをめがけて上って行くので今でも渡る時はちょっと緊張して運転しています。

      米子空港からまずやってきたのは、境水道大橋。この橋は、境港と対岸の島根半島を結ぶ橋です。この橋はない時代は渡船があって、島根半島の浦の海水浴場に向かい際はずいぶん待ち時間が長かったことを思い出します。
      全長709mはそれとして、最大の特徴は島根県側の標高が50mであること。境港側はからこれをめがけて上って行くので今でも渡る時はちょっと緊張して運転しています。

    • 空港近くにもお魚市場がありますが、地元の人が行くのはむしろこっちの境港水産物直売センターです。境水道大橋のたもとにあって、それを目標に訪ねました。

      空港近くにもお魚市場がありますが、地元の人が行くのはむしろこっちの境港水産物直売センターです。境水道大橋のたもとにあって、それを目標に訪ねました。

    • あいにく火曜日で定休日でしたが、二軒のお店はやっていて問題なし。鮮魚と干物類を無事にゲットしました。

      あいにく火曜日で定休日でしたが、二軒のお店はやっていて問題なし。鮮魚と干物類を無事にゲットしました。

    • のどぐろに加えて、カレイやハタハタの干物まで。

      のどぐろに加えて、カレイやハタハタの干物まで。

    • しばらくは、ずいぶんリッチな朝飯を食べることになりました。

      しばらくは、ずいぶんリッチな朝飯を食べることになりました。

    • ここからが米子の探索です。<br />米子城跡は、こんもりした山の上なんですが、

      ここからが米子の探索です。
      米子城跡は、こんもりした山の上なんですが、

    • 上まで登るのは私も今回が初めてです。<br />

      上まで登るのは私も今回が初めてです。

    • ところで、米子城跡には天守閣も櫓もかつての城の遺構である建物は何も残っていません。一方で、この旧小原家長屋門は、米子城二の丸跡の南東側に建っていますが、米子市内にあった武家屋敷の建物を移築したもの。武家屋敷の建物としても市内で残るのは唯一だとか。<br />桁行20.38m、梁間4.03mの堂々とした大きさ。右側に1室、左側に2室があって、当時はたぶん門番が住んでいたのだと思います。

      ところで、米子城跡には天守閣も櫓もかつての城の遺構である建物は何も残っていません。一方で、この旧小原家長屋門は、米子城二の丸跡の南東側に建っていますが、米子市内にあった武家屋敷の建物を移築したもの。武家屋敷の建物としても市内で残るのは唯一だとか。
      桁行20.38m、梁間4.03mの堂々とした大きさ。右側に1室、左側に2室があって、当時はたぶん門番が住んでいたのだと思います。

    • さて、下から見た時はそんなにたいしたことはないだろうと思ったんですが、

      さて、下から見た時はそんなにたいしたことはないだろうと思ったんですが、

    • なかなかどうして深い森の中を

      なかなかどうして深い森の中を

    • やぶ蚊に刺されながら上って行くというような

      やぶ蚊に刺されながら上って行くというような

    • けっこうしんどい登りです。

      けっこうしんどい登りです。

    • これで着いたでしょうか。

      これで着いたでしょうか。

    • ほー。<br />しかし、頂上からの眺めは、大山や弓ヶ浜、足元の中海も含めて一望できて、

      ほー。
      しかし、頂上からの眺めは、大山や弓ヶ浜、足元の中海も含めて一望できて、

    • これは見応え十分。

      イチオシ

      これは見応え十分。

    • 私が言うのもなんですが、これならもう少し知られてもいいような気がしますね。

      私が言うのもなんですが、これならもう少し知られてもいいような気がしますね。

    • 米子城を降りてきて。<br />湊山公園は、米子城跡と錦海の囲まれるような場所にあるけっこう大規模な公園。芝生広場のような場所や日本庭園のような場所もあります。

      米子城を降りてきて。
      湊山公園は、米子城跡と錦海の囲まれるような場所にあるけっこう大規模な公園。芝生広場のような場所や日本庭園のような場所もあります。

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