
2014/06/09 - 2014/06/13
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Dwind_999さん
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清朝と帝政ロシアとで結ばれた不平等条約によって、19世紀末から帝政ロシアによる東清鉄道の敷設と都市建設が始まり、東方進出の拠点として急速に発展してきた哈爾賓(ハルビン)。
「東方のモスクワ」、「東方の小パリ」とも呼ばれるハルビン、どことなくヨーロッパの街並みを思わせるアールヌーボー様式の建物が今も数多く残り、異国情緒豊かな街歩きを楽しむことができます。
しかしその一方で、1931年の満州事変以降日本が統治していたこの地に、1945年8月、日本が負けると知るや怒涛のように侵入してきた百数十万のソ連軍による日本人に対する凌辱・暴行、略奪の嵐が吹き荒れ、さらに昨日まで隣人だった中国人が一夜にして悪意に満ちた暴徒へと変貌し、満州脱出の逃避行とともに地獄絵図と化す悲劇の歴史が刻まれた地域でもあります。
そんな悲惨な歴史の記憶など存在しないかのような、エキゾチックな香り漂うハルビンの街を歩いてみました。
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6月9日(日)、長春駅から乗った哈爾賓西駅行きの中国高速鉄道「和諧号」。
中国版新幹線のようなもので、長春からハルビンまで所要約1時間半。
8時07分発のD1385次、車両クラスは二等座で73.5元(\1250)。 -
列車内では、大学生らしき男女の一団の中に紛れ込むような形になり、彼らはハルビンにつくまでずっと、少額のお金を賭けたトランプ遊びで盛り上がっていました。
私にも一緒にどうですか?と誘いの声をかけてきたりしたけど。
真冬には氷点下20度〜30度になるというこの地域。
暖炉なのだろうか、住宅の屋根から煙突が突き出ていました。 -
ハルビンへ向け、田園地帯を走る「和諧号」からの車窓の風景。
かつての満州時代には、巨大な流線型をしたパシナ型蒸気機関車「あじあ号」がこの平原を疾走していて、当時の夢の超特急として最高速度130km/hを誇ったそうです。 -
長春から約1時間半、ハルビン西駅に到着。
西駅に隣接した東広場バス停から96路のバスに乗り、北東約12kmにあるハルビン駅へ移動します。
運賃は2元(\34)。哈爾濱西駅 (ハルビン西駅) 駅
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ハルビン西駅から乗った96路のバスは、約20分ほどでハルビン駅近くの通りに到着。
バスを降りてハルビン駅の方へ歩いていきます。 -
1909年(明治42年)10月26日、伊藤博文が韓国人の安重根(アン・ジュングン)に拳銃で暗殺されたハルビン駅。
農民の出から明治政府の総理大臣を4度務めた伊藤博文、ここに69才の生涯を終えました。
日韓併合には乗り気でなく、朝鮮に対して好意的だった伊藤は、死ぬ間際に自分を撃った人間が朝鮮人だと知らされ、「俺を撃ったりして、馬鹿な奴だ」と呟いたといわれています。
この翌年の1910年(明治43年)8月29日に李氏朝鮮の大韓帝国が日本に併合され、一説にはこの暗殺が日韓併合を早めたともいわれています。 -
ハルビン駅前広場の向かいにある長距離バスターミナル。
バスターミナル前はいつも多くの人でごった返しており、宿や切符売りの呼び込みの声が飛び交っています。 -
ホテルまではそんなに距離はないけど歩きにくそうなので、ハルビン駅前のバス停から28路のバスに乗ることにしました。
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地段街でバスを降りてすぐ近くにある、アゴダから予約していた「錦江之星酒店」に到着。
私が泊まるような安いホテルでは、日本のサービス業のような対応を期待するのは無理な話ですが、しかしこのホテル、受付の男性に「ニイハオ」と挨拶すると笑顔で答えてくれ、丁重にチェックイン手続きを行ってくれました。
デポジットの押金(ヤージン)も200元と少な目。
このちょっとしたことでも気持ちよく部屋に入ることができ、急にこの街に愛着がわいてくるから不思議です。 -
12階のダブルベッドの部屋に3泊します。
1泊\3300。 -
ホテル12階の部屋からは、ビルの屋上に乗っかったドームが見えたりして、中国にいるとは思えない光景が広がります。
さすがはかつて帝政ロシアが開発した街ハルビン、欧風のドーム仕立てに飾った建物にしているのだろうか。 -
ホテルの部屋に荷を解いて、まずは周辺の街歩き。
ホテルから500mほど歩いたところに姿を現した「聖ソフィア大聖堂」。 -
ロシア正教の教会「聖ソフィア大聖堂」。
1907年3月に帝政ロシアの兵士の軍用教会として創建され、拡張工事が行われて1932年(昭和7年)に高さ53mの現在の姿になったとのこと。
1932年といえば満州国が建国した年で、建国の1カ月ほど前に関東軍がハルビンを占領。聖ソフィア大教堂 寺院・教会
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中国東北部の各地でよく見かける電動バイク。
運転免許なしで乗れるんだからすごい。
当然、交通ルール無視が横行しているそうです。 -
尚志大街の歩道橋から見た街の光景。
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尚志大街から西へ歩いて、中央大街の入り口付近に来ました。
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中央大街の入り口。
ここから北の松花江のすぐ手前まで、花崗岩が敷き詰められた全長1450mの通りが延びています。中央大街 旧市街・古い町並み
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ロシア語でキタイスカヤ(中国人街)と呼ばれていた歩行者天国の中央大街はハルビン一の人気ストリートで、「東方の小パリ」とも呼ばれたヨーロッパの香り漂う街並みを堪能できます。
道の両側には帝政ロシアが建設した1910年代から1920年代頃の建築物が多く残っています。 -
中央大街にある「Bomele1931」というベーカリーショップ。
名前からするとたぶん1931年創業なのだろう。
いい雰囲気の店だったのでパンとちょっとしたケーキを買って食べましたが、今ひとつでした。
今回の旅行でパンやケーキなどをいくつか食べたけど、お味の方は何だかどれも大雑把な印象。 -
中央大街にはビアガーデンが何軒かあるというので楽しみにしてましたが、昼間はがらんとしてビールを飲んでいる人はほとんどいない。
聞いてみると、ジョッキ1杯がなんと20元(\340)。
街の食堂では瓶ビールが4〜5本飲める値段です。
あまりの値段の高さに飲む気がしぼんでしまいました。
ちょっとセコイかな? -
ビアガーデンの横に虫屋台がありました。
これをつまみにビールを飲む人がいるんだろうな。
ただでビールを飲ませてやると言われても、これはちょっと無理。 -
中央大街を南から歩いて北の端の方まで来ると、松花江の手前に「防洪紀念塔」が見えてきました。
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「防洪紀念塔」の前に来ました。
1957年の松花江の氾濫による洪水を食い止めるために全市民が団結して勝利を収めた功績を記念して、1958年に建てられた紀念塔。防洪紀念塔 モニュメント・記念碑
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「防洪記念塔」の前から振り返って、中央大街の北の入り口付近を見たところ。
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中央大街を北に歩いてくると突き当たる、松花江という川。
中国と北朝鮮の国境地帯の長白山(標高2744m)を水源とする松花江(しょうかこう)。
ロープウェイが対岸の太陽島公園へ架けられ、遊覧船も行きかう松花江の川沿いは行楽の人たちで賑わっています。
氷点下30度にも達する日もあるというハルビンでは、真冬になるとこの辺りの川は凍結してしまい、スケートもできるそうです。
夏は水泳、冬はスケートが楽しめる松花江。 -
防洪紀念塔の広場横にある「斯大林公園(スターリン公園)」。
1953年に建設された、松花江沿いの細長い公園です。 -
斯大林公園の近くにあるビアホール。
ここはけっこう繁盛していました。
ハルビンビール祭りもあるという、ビール好きが多い街。 -
中央大街の松花江より、少し横道に入ったところにスーパー「ウォルマート」があり、そのビル1Fのフードコートで冷蔵ケースに入ったビールを発見。
歩き疲れて喉も渇いていたのでこれは見逃せない。
ビール(4元)だけ買って栓を抜き、仕切りのある隣のフードコートへ持って行こうとすると、ここで飲まないとダメみたいなことをおばちゃんが言う。
隣のフードコートでビール飲みながら焼き飯でも食べようかと思っていたが当てが外れました。
仕方ないので、あまり気の進まないこの店の料理を注文。やたらと塩気の多い、汗が噴き出す辛さの何だかわけのわからない食べ物でした。
帰りにおばちゃんが手を振ってくれたのは嬉しかったけど。 -
中央大街を南の方へ戻っていきます。
アイスキャンディーを食べながら歩く若者たちを多く見かけます。 -
中央大街の中ほど、右手の建物は中央商城。
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聖ソフィア大聖堂に戻ってきました。
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聖ソフィア大聖堂のすぐ西側にショッピングモールがあり、地下のスーパーで少し買い物して帰ります。
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今回の旅行で泊まったホテルにはどこも電気ケトルが置いてあったので、インスタントコーヒーを買って、朝食などもパンとコーヒーですませることが多かったです。
ぶどう食パンはパッケージも日本のとよく似ていたが、食感は今一つ。やはり日本のパンにはかなわない。
キューピージャムは日本のキューピー・グループの1つ「丘比食品有限公司」の製品で、これはまあ普通に美味しかったけど。 -
部屋の窓から見る、エキゾチックな夕焼けの光景。
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20時頃に部屋を出てちょっと夜の散歩。
宿泊しているホテル(右向こうの高いビル)前の地段街の通り。
中国の交通法規では赤信号でも車(右側通行)の右折はOKらしく、横断歩道を渡っていると右折する車からクラクションを鳴らされたりしてビックリします。
日本と違ってこちらは車優先の雰囲気があり、歩行には注意しないといけない。 -
ライトアップされた聖ソフィア大聖堂。
<ハルビン 聖ソフィア大聖堂>
https://www.youtube.com/watch?v=EsEWLDaRS4o -
昼の趣きとはまた一味違う、明かりが灯った夜の中央大街。
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ビルの壁面をレトロチックな絵で飾った、「新思萌 Coffee(Si Menge Coffee)」の建物。
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夜のビアガーデンはさすがに賑わっています。
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翌朝9時過ぎにホテルを出て、28路のバスでハルビ駅へ向かいます。
朝は所によって交通渋滞が発生。 -
ハルビン駅前に着きました。
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ハルビン駅の中をちょっとのぞいてみました。
アールヌーボー様式のハルビン駅は、1959年(昭和34年)に取り壊されて新しい駅に建て替えられ、1番ホームにあった伊藤博文暗殺現場のガラス張りの囲いがなされた史跡も撤去され、昔の面影はなくなったとのこと。 -
ハルビン駅前の光景。
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ハルビン駅前から延びる紅軍街を下り、紅軍広場を右に折れてしばらく進むと、1904年(明治37年)竣工の帝政ロシアが建てたかつての東清鉄道本社ビルがあります。
現在はハルビン鉄路局。 -
旧東清鉄道本社ビルの近くには旧東清鉄道職員住宅の建物が残っています。
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ハルビン鉄路局の向かいには、2013年9月に開通した地下鉄1号の「鉄路局」駅の入り口がありました。
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1路線だけのまだ開通して1年にもならない地下鉄で、利用者は少ないようで駅構内はがらんとしていました。
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アールヌーボー様式を多く取り入れ、帝政ロシアによって都市建設が進められたハルビン。
旧東清鉄道本社近くには、アールヌーボーの植物をモチーフにした手すりのある住宅などが多く残っています。 -
ハルビン駅前から343路のバス(2元)に乗って、ハルビン中心部から南へ20kmの所にある「侵華日軍第七三一部隊遺跡」へ向かいましたが降りる場所を間違えてしまい、そこからまた別のバスに乗るはめに。
バス停で210路のバスを待っていると、目の前を荷馬車が通っていく。
「東方のモスクワ」、「東方の小パリ」などとも呼ばれるハルビン市ですが、郊外にやってくると中国らしいローカルな風景に出合います。 -
ようやくたどり着いた「侵華日軍第七三一部隊遺跡」。
七三一部隊(正式名称は関東軍防疫給水部本部)はここで1936年から1945年まで、細菌兵器の開発や、それにともなう人体実験などを行い、「マルタ(丸太)」と呼ばれる朝鮮人や中国人、ロシア人の被験者約3千人が犠牲になったといわれています。 -
展示会場となっている旧本部大楼に入ります。
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入場は無料で、昔の部隊本部の官舎が陳列会場となっています。
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様々な人体実験などが行われた証拠写真や遺物、それを再現する人形やジオラマが展示、さらに中国人が扮した再現ドラマも常時放映されていて、日本陸軍七三一部隊の罪状をこれでもかと見せつけてくれます。
日本人としてはまことに気の塞ぐ場所。 -
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陳列館を出ると広大な敷地にはフェンスが張り巡らされ、何やら発掘作業などの工事が行われていました。
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敗戦時に証拠隠滅のために七三一部隊が破壊した建物などの残骸がいくつか残っており、遠くに動力班ボイラー棟の煙突が2本見えていました。
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広大な敷地の「侵華日軍第七三一部隊遺跡」。
気が滅入る見学を終えて、この地をあとにしました。 -
七三一部隊遺跡見学で目にした罪業の歴史の軛(くびき)から解放され、聖ソフィア大聖堂に戻ってきて一息つきました。
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中央大街に来ました。
鉄腕アトム関連グッズの店を発見。
パクリ製品を作るのはこちらの得意技。 -
壁新聞に見入る人たち。
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今日は散歩がてらにホテルから歩いてハルビン駅の方へ行きました。
線路の上に架かる橋を渡っていきます。 -
ハルビン駅近くの果戈里(ゴーゴリ)大街に入ります。
帝政ロシアが開発した街だけに、斯大林公園(スターリン)などのようにロシア人の名が冠せられていたりします。 -
中国東北部の各都市ではタクシーの多さに驚かされますが、ここハルビンはまたひときわ多い。
大部分のタクシーがフォルクスワーゲン。 -
果戈里大街と東大直街が交わる交差点付近。
デパートや大きなビルが立ち並ぶ繁華街。 -
果戈里大街を左に折れて東大直街を進み、1930年建築のロシア聖堂、ウクライナ教会の前に来ました。
1930年代にはハルビンに25のロシア正教会の教会が建っていたそうですが、文化大革命(1966年から1976年)の騒乱でその多くが破壊され、現存するのはわずか。 -
中国にいるとは思えないレトロな欧風の街並み。
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1935年に建てられたアレクシイ教会(ハルビン天主教堂)。
一応信教の自由を保障している中国ですが、共産党指導部はキリスト教の伝道を通して西欧諸国の考え方や価値観が入り込んで、共産党への批判につながることを危惧しており、一部では弾圧に近いかたちの妨害も行われているそうです。 -
多くのタクシーが走る中山路に出てきました。
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ハルビンの中山路付近の歩道。
腕を振ってまるで行進でもしているように元気に歩く婦警さん。 -
旧ヤマトホテルの「龍門貴賓楼酒店」。
1903年(明治36年)、帝政ロシアの東清鉄道ホテルとして建てられ、日露戦争が勃発するとロシア軍の野戦病院や軍司令部として使用された。
その後、1935年(昭和10年)に満鉄所有となり、1937年から客室数56室のホテルとして開業。 -
旧ヤマトホテル近くの路地で目にした光景。
食用の犬の下処理として、バーナーで犬の毛を焼いていました。
人の往来がある中で普通に行われている、その無頓着ぶりがすごい。 -
お昼ご飯にハルビン駅近くの食堂でカレー焼き飯を頼んだら、出て来たのは日本流に言えばカレー丼みたいなもの。
メニューには焼き飯とは別の似ている名前の料理があって、それと間違えたらしい。まあいいか、ということで箸(スプーンではなく箸が出てきた)をつけた後に注文を受けたオバサンに一応文句を言ってみると、「ソーリー」と一言。
ぜんぜんすまなさそうにしていない。
そしてこれがまたマズイときている。
もう食べる気が失せて8割がた食べ残しましたが、会計はしっかりと通常通りの12元(\204)。
ビールも8元(\136)とけっこ高い。 -
ハルビン駅から2、3km北方向にある、傅家甸(フージャデン)と呼ばれる中国人街を歩いてみました。
「南五道街」の両脇には、水道関連の部品や建築資材などを商う店がびっしりと連なっていました。
同類の業者が固まる地域がよくあるが、あれだけ競合してよくやっていけるなといつも不思議に思います。 -
帝政ロシアによるハルビン都市建設のために中国人労働者が大量雇用され、各地から集まってきた中国人が埠頭区東側のこの一帯に住みつき、そうやってできた町が「傅家甸」と呼ばれ、当時の古い建物が多く残っています。
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景陽街から靖宇街に入ると、いかにもといった感じの古い建物が並んでいる。
1920年に中華バロック式(西中折衷式)で建てられた「同義慶百貨店」。
現在は純化医院という病院になっています。 -
何かの催しなのか、「防洪紀念塔」前の広場で踊る人たち。
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松花江にかかる鉄路橋には両脇に細い人道があり、歩いて向こう岸まで渡れるようです。
その右横には新しい橋が建設中。 -
細い人道が延びています。
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今日も中央大街は大賑わい。
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街の音楽家たちが奏でるメロディーが、ライトアップされた「聖ソフィア大聖堂」をいっそう華やかに見せてくれる。
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夜の中央大街入口。
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夜の中央大街のある建物の前では大きな液晶スクリーンにアラビアンナイト物の昔の映画を上映していて、道行く人たちが見入っていました。
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昼も夜も賑わう中央大街。
夜になると幾分涼しくなりますが北海道の稚内と同じ緯度に位置するハルビンは真冬の平均気温が氷点下20度になるというのに、6月初旬の昼間はあんがい暑く感じられます。
持ってきていたフリースや薄手のダウンジャケットは無用の長物となりました。
<ハルビン 中央大街>
※虫屋台の場面があるので、虫嫌いの方は見ない方がいいですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=Bvm9ZXMEgdk -
6月12日(木)、3泊したホテルをチェックアウトしたあと、ハルビン駅近くのバス停から、中国人がわれ先に乗ろうとする96路のバスにようやくもぐり込み、立ちっぱなしでハルビン西駅に隣接するバスターミナルにやってきました。
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2012年10月に完成したハルビン西駅の前。
帰りの飛行機に瀋陽から乗るためハルビン西駅から瀋陽駅へ移動します。
大韓航空がハルビンから飛んでいないので仕方なく瀋陽でまた1泊。哈爾濱西駅 (ハルビン西駅) 駅
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ハルビン西駅の2階に上がり安全検査を受けて待合室へ入ります。
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アーチ型天井の照明が大理石の床に反射して、ある種のデザイン性を見せます。
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巨大な待合室です。
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10:39発[D102次]の列車、終点・北京行きの「和諧号」に乗ります。
哈爾賓西駅から瀋陽北駅までの二等座のチケットは166元(\2822)。 -
ハルビンから瀋陽北駅まで約540kmで所要約3時間。
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瀋陽北駅へ向け、旧満州の平原を駆け抜ける「和諧号」。
広大な中国東北部の田畑が車窓を流れてゆく。 -
ハルビンから約3時間で瀋陽駅に着いたあと、1週間ほど前に3泊した同じ宿にチェックイン。
瀋陽の街で気になっていた宿近くにある餃子の店に入ってみました。 -
メニューを見て牛肉の蒸し餃子(16元:\272)をたのみましたが、皮がぶ厚くメリケン粉ばかり食べている感じで味もいたって平凡。
16個もあったので全部食べるのに一苦労です。
通りからガラス越しに見える娘さんたちの餃子を作る姿に、店名の「手工餃子」もなるほど、と期待していただけにがっかり。 -
初めての空港だけに、余裕を持って朝早く瀋陽の宿をチェックアウト。
一応前日にチェックアウトする時間を伝えていたが、朝6時に受付に行くと、カウンターの向こうに女性従業員が横になって寝ていました。
狭いロビーの椅子には警備員らしき男が寝ている。
長春の宿でも同じような状況でしたが、フロントで待機するホテル従業員も大変だな。
通りに出るともう路上の自転車修理屋がオープンしていました。
おじさん、ここで寝泊まりしているのかもしれないな。 -
通りからタクシーを拾い、瀋陽桃仙国際空港へ向かいます。
空港までの相場は知っていたのでタクシー運転手が100元札を見せて、「これでどうだ」と言うのを断り、メーターで行ってくれと「メーター」を連呼。
ダメなら別のタクシーにする、と車から降りる素振りを見せると、仕方ないという表情で了解してくれました。 -
早朝だったので30分弱で空港に到着。
メーター表示は68元(\1156)で別途高速道路通行料金が5元(\85)。
小遣いを稼ぎ損ねた若い運転手、あんがい素直そうだったので降りるときに10元のチップを渡しました。 -
1年前に新しくオープンした瀋陽桃仙国際空港の第3ターミナル。
瀋陽桃仙国際空港 (SHE) 空港
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チェックインと出国審査を済ませ、空港ラウンジを探しながら2階の出発ロビーを歩きます。
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3階にあるプライオリティパスカードが使える「FIRST CLASS LOUNGE」に来ました。
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元気のないラウンジで、受付のお姉さんもぜんぜんやる気なし、勤務中なのに時どきラウンジにあるスナック菓子をつまんだりしていました。
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一応冷えた缶ビールがあったので助かりましたが、冷めたシュウマイが少しあるだけでミール(料理)はほとんど用意されておらず、あるのはスナック菓子類やカップラーメンだけというさみしさ。
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瀋陽から乗継の韓国仁川空港に到着。
勝手知った仁川空港に来るとホッとします。
お気に入りのHUBラウンジがなぜか2カ所とも閉まっていたので、まずはWest Wingの「Transit Hotel & Restaurant」内にあるMATINA(マティナ)ラウンジに入りました。
よく冷えた生ビールの喉越しに幸せホルモン(セロトニンやエンドルフィン)全開。インチョン エアポート トランジット ホテル ターミナル 1 ホテル
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デザートのスイーツもいただきます。
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5時間もある乗り継ぎ時間。
1軒目のラウンジのあと片道1.1kmある出発階のロビーを2往復して腹ごなし。 -
今度はEast WingのMATINAラウンジに入ってまた生ビール。
約3週間の中国東北地方巡りは、かつての日本人が大陸に踏み込んで建設した夢幻の如き栄華の名残り、その足跡をたどる旅でもありました。
旅の余韻に浸りつつも、1世紀ばかり前のそれらの歴史にちょっぴり触れただけで、もう一仕事終えたかのようにしたり顔で慰労のビールに喉を鳴らし、ほろ酔い加減になっては次の旅行にうつつをぬかす能天気なオヤジでありました。
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