2016/05/25 - 2016/05/26
892位(同エリア2038件中)
クッキーさん
高山二日目の朝、三町通りを抜け、宮川朝市、高山祭り会館を見て回りました。
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陣屋に続く大通りもまだ静まり返っています。
観光地の朝はゆっくり。 -
足元に案内図。
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筏橋。
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中橋を眺めながら。
私一人なら、きっとあの高山城跡を歩く道を選んだと思うのですが・・・ -
さん町通り。
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蔵を改造したようなカフェ。
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昨日利用した手風琴も並びにあります。
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こちらもカフェ。
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飛騨牛の坂口屋。
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手焼き煎餅のお店。
『高山名物の飛騨牛はオススメ。歩きながら手軽に食べることができます。食べ歩きのできる飛騨牛やみたらしだんごなどもあります。』なんて書いてある旅行ブログも見かけましたが、いくら観光地とはいえ、自分が住んでいる街で食べ歩かれたら、地元の方にとっては、気持ちのいいものではないはず。
陣屋だんごさんの前には、食べ終えた串を入れるゴミ袋が用意されていましたよ。 -
こって牛は飛騨牛握りで評判のお店。
こんな素敵な街並みを散策するのに、食べ物に気を取られるなんてもったいない。 -
飛騨民俗考古館。
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上三之町。
『町並みがのこされた背景として次のような要因がある。高山線開通を境に商業発展地域は別の町内に移り、三町は仕舞屋(しもたや)が増えた。サラリーマン家庭が増えるにつれ建替えの必要もないためか、建造物がそのまま現在も残った。
例えば、造り酒屋など間口14間(1間=約1.82メートル)と広い建物が改築されないままであるため、周囲の建物もそれに合わせるような結果になったこともある』 -
早朝に、人混みのない街並みに出会えたのも、高山に泊まったおかげです。
『敷地割がキチンとしていて、母屋、中庭、土蔵の配置が使いやすく、昭和前半まで、当時としては、部屋数が十分であった。国産の良材を使って、しっかりと建てており、今では材料、資金面からとても同じようなものは建てられないから壊すのはもったいないというわけである。
三町はこのようにして、極端な変化を好まない風潮の中に残されてきた。住民が建物の確かな良さと、町並みを守る誇り、三町景観の価値観を認識した結果といえよう。』 -
『この町並みの保存には、生活する上での苦労話も多い。現代のライフスタイルから考えれば当然かもしれないが、例を挙げれば、部屋数が少なく、子供部屋の確保が大変であるとか、軒高が低くて2階の部屋が窮屈であるということなどである。また、採光出来る部屋がわずかで、冬は大変寒く、ほおかぶりしをして寝なければならないほどであること、土産品を販売している家にとっては、間口部が狭く商品販売に影響があることなどの話も聞く。』
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『だが一方、不便なことばかりではない。中に入って見上げてみると吹き抜けの天井は今にも通ずる空間を利用した建築手法である。息苦しい感じがせず、自然光のよさ、光の帯が差し込む様はすばらしいものがある。』だそうです。
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宮川朝市に向かう途中。
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鍛冶橋のたもとから始まる宮川朝市は、まだ準備中。。
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こちら右衛門横丁では、お土産が一通り揃いそう。
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割引券をネットで手に入れていたので、赤かぶ漬を買いました。
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農産物加工品の品揃え。
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さすがは飛騨の匠の街です。
帰り際に一位一刀彫のさるぼぼを買い求めました。 -
これは屋台蔵。高山祭りのとき以外は、屋台はこの蔵の中で保管されているそうです。
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宮川の上を泳ぐ鯉のぼり。
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弥生橋まで歩いてきました。
千両箱の上にいるのは猫ちゃん。 -
この3階建ての建物はカフェだそうです。
街並みの景観に配慮しているんでしょうね。 -
桜山八幡宮への表参道。
この参道も伝統的建造物群保存地区になっているようです。
看板の文字が素敵です。 -
こんなにも凛とした参道は初めてのような気がします。早朝の空気がそう思わせるのでしょうか。
修学旅行生の姿が見えています。 -
参道の左手が高山祭屋台会館です。
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高山祭は、京都祇園祭、秩父夜祭と並び、[日本三大曳山祭」のひとつにかぞえられています。
『春の山王祭は、高山市南半分の氏神様として崇められる日枝神社(山王様)の例祭です。全12台の屋台曳き揃えや3台のからくり奉納、ご巡幸等さまざまな伝統芸能が楽しめます。祭の舞台は、安川通りの南側・上町一帯です。その起源は16世紀後半から17世紀とされ、高山の風物詩が、遥かな時を超えて古い町並みを絢爛豪華に彩ります。』 -
『又秋の八幡祭は高山市北半分の氏神である桜山八幡宮の例祭です。安川通りの北側・通称下町を舞台とする祭行事は、10月7日の試楽祭、屋台曳行順の抽選祭に始まり、9日・10日が祭本番となります。屋台の曳き廻し、曳き揃え、時代絵巻さながらの御神幸とからくり奉納、幻想的な宵祭などが行われます。』
でもこの祭の原点は上町・下町別々の町内の祭だと言いますから、我々観光客にとってはちょっと驚きの事実です。 -
金森氏6代の統治の間に「高山祭り」の原形が出来上がったらしく、当初は、今のように氏子の為の“祭り”という色彩ではなく、お殿様の為の“神事”でした。
また屋台も単層の車に陣幕を張っただけの質素なものだったそうです。 -
会館内は想像以上に広くてびっくり。
『 高山は天領になってから一層飛騨の中心地として発展し、数ある「旦那衆」は木材・生糸・紬を関東関西に売り、飛騨には他国より塩・米などを買ってきて売り、 そうして作った財産を大名貸し等で増やし、競って屋台の飾り付けを行った。
金森氏の治世の頃からの文化の素養と江戸・京都との交流に加え、 莫大な財力と競争心が加わり、優秀な匠・職人の存在が相俟って「祭り屋台」はその華麗な姿を醸成させていった。』 -
高さも半端ないです。
江戸の文化がダイレクトに伝わるようになり、三社祭の神輿や日光陽明門の形式が取り入れられてきたことに加え、安土・桃山時代に完成された豪華な建築・美術様式も取り入れ、飛騨の匠の卓越した技術に裏付けされた見事な「祭り屋台」が登場しました。 -
「豊明台」
本家本元の江戸においても祭り屋台はより大きく、華美になったためもあって、8代将軍吉宗時代の享保の改革により、屋台禁止令が出され姿を消しましたが、高山においては脈々と進歩を遂げ、二層三層の優雅な台型となり、しかもそれぞれが独立して組み合わせられたのです。
会館内はフラッシュをたかなければ撮影可です。 -
おそらく「金鳳台」の棟飾りだろうと思います。
これにより「巡行」の時に下段・中段・上段が独立して左右に動く為、衝撃を分散し、見た目も優雅にしなる様に動くようになり、また、参道に止めて上段を高く差し上げる事も出来るようになったのだそうです。 -
「神馬台」
神馬と烏帽子姿の白丁2人の人形を新調したことから「神馬台」と呼ばれるそうです。
この他にも「戻し車」という小さな車を主輪に対して直角に取り付ける事により、狭い路地の多い高山の町並みの中で、ほとんどその場で方向転換出来るという画期的な構造を考え出しました。
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祭り屋台を調べていたら『かつて、鳩峰車は神馬台に破損され大破のため休台した。代償として高砂人形を譲られる。この屋台本体を天保7年に金山町の八幡神社に売却。車は牛若台に譲渡。』なんていう記述を見かけました。
それぞれの屋台の制作、修復履歴までしっかり残っているという由緒正しい屋台なんですね。 -
「金鳳台」
棟飾りとして、台名を象徴する金地の鳳凰が翼を張っています。中段欄間には、四条派風に四季の草花が描かれています。
人形は二代目で、神功皇后と応神天皇を抱く武内宿禰だそうです。
ただの翁、媼かと思っていました。 -
一緒に飾られている人形の姿を見ても、とても雅な様がうかがえて、これが上方と江戸文化の融合なのかと納得です。
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館内はぐるっと回って反対側から上段に緩やかに上がり、屋台を見下ろす事ができます。
こちらはおそらく屋台の飾り物。 -
飛騨の匠の手によるものなんでしょうかね。
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屋台を飾る幕。
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手前が「みこし」、次が「鳩峰車」
これらの豪華絢爛な祭屋台の数々は飢饉の年の雇用対策、一種の公共事業として豪商たちが拠出した金で作られたと言われています。
奥には屋台の歴史などの展示がありました。 -
館内から出ると、桜山八幡宮の境内に出るのですが、その前に「桜山日光館」があり、入場は「高山祭屋台会館」と共通チケットになっているので入る事にしました。
桜山日光館は、日光東照宮の精密模型の展示館です。大正時代に、左甚五郎の再来といわれた名工・長谷川喜十郎と33人の職人たちが、15年もの歳月をかけて完成させたものです。
戦後アメリカへ持ち去られていましたが、のちに高山に里帰りしたのだとか。 -
陽明門、五重塔をはじめ日光東照宮の28の建造物が1/10スケールで再現されています。
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有名な装飾や彫刻、絵画から祭りの巡幸行列にいたるまで超絶的な技巧で作り込まれた模型。
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その精密さはすごいとは思うけれど、高山屋台を見た後では、逆に「ちっちゃいなあ」という感想になってしまいます。本家の東照宮を見た時のような圧倒的な感動は覚えませんでした。
もう少し鮮やかな照明であればまた違った感じかもしれません。 -
境内から桜山八幡宮。
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このような深い森を背景にする神社は深みがありますね。
と言いつつ、中にまでは入りませんでした。 -
表参道を戻って、古い街並み(下二之町・大新町)を歩きます。
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かつて造り酒屋の商家であった吉島家の表には、造り酒屋のシンボル・杉玉。
隣に位置する豪壮な日下部邸に対し、繊細で洗練された雰囲気だそうです。
吉島家とどちらに入るか迷いましたが日下部家に決定。 -
日下部民芸館の道向かいにも小ぶりな町家建築が並んで、大新町街並み保存地区を形成しています。現在は民芸品の店になっていますが、かつては日下部家で働く使用人たちが住んだ家、いわば社宅だったそうです。
大屋根の軒の「せがい造り」や大戸上の装飾的な窓、庇など変化に富んだ造りになっています。
家の正面表構えの出格子〈こうし〉、入格子、窓切りの変化、ベンガラに煤〈すす〉をまぜて、焦〈こげ〉茶色に塗った木部の仕上げ等、江戸時代高山の町家造りの特色を留めております。 -
高山の町家建築を代表する豪商の邸宅で、国指定重要文化財。
天領時代、日下部家は幕府(代官所)の御用商人として栄えた商家で、屋号を「谷屋」といいました。
嘉永5年には、役所の御用金を用立てする掛屋〈かけや〉をつとめ、後には両替屋を営みました。江戸末期の年商は二万両で、北陸や九州の大名にまで金を貸していた豪商でした。
明治8年(1875)、この付近の大火で焼失しましたが4年後に名工・川尻治助の手で再建されました。当時は江戸時代の習慣を残しつつも、幕府権力に遠慮する必要はなくなったので、日下部家は伝統的な町家建築の技術の精華ともいえる建物になりました。 -
深い軒先に紅殻格子の表から、玄関ののれんをくぐって中へ入ると、「ろじ」と呼ぶ店部分の土間があります。明かり窓のある天井は高さ10mもある大きな吹き抜けで、太い柱や梁がみごとに組まれています。豪快で男性的な日下部家といわれます。
総桧造りの梁と束柱の木組みの見事さに思わずため息が出るほどです。 -
二階の座敷からは格子戸越しに表の町並みを見下ろせます。
民芸館部分になっていて、火鉢やかんざし、嫁入り道具が展示されています。
階下の内庭。 -
座敷に上がると客間、主人の間、仏間など
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玄関からみせを抜けてろじの奥に進むと、井戸のある中庭があります。
休憩所があって、お茶の接待があり、ほっと一息つけます。
私たちの前にはインバウンドのグループが十数名寛いでいました。 -
木々の茂る中庭に面して土蔵が並んでいます。土蔵内部は民芸コレクションの展示室です。
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飛騨の古磁器の数々。
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日本各地から蒐集したものじゃないかしら。
なにしろ豪商ですから。 -
蔵の内部。
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この通りもずいぶん賑やかになってきました。インバウンドと修学旅行生の姿が目立ちます。
高山祭り屋台会館で見かけた生徒たちは上高地を経由して来たらしくて、高山って上高地の近くなんだと初めて知りました。
今更ながらに自分の地理の疎さに呆れます。 -
そろそろさん町辺りのお店も開店しているかな。
坂口屋とこって牛の二者択一で、こって牛の握りを一皿購入。店内でいただきました。入り口付近には手洗いもあって衛生的です。
手焼きせんべいの上に載せられた二貫の握り、カメラの腕が悪くて全く美味しそうに見えませんが、とろけるような美味しさでした。
夫曰く、これで600円は高すぎる、とのことですが、そこは観光地価格ということで・・ -
さん町通りを陣屋方向へ歩きます。
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目的はここ、いわきの早蕨、わらび餅です。
店構えも風情があり、それだけで味が一段とアップしていそう。 -
折角ですから、季節限定というブルーベリー味のわらび餅を買いました。
想像していたものとはちょっと姿かたちが異なっていますよ。 -
この日の夜、金沢のホテルでいただきました。プリプリしていてつるんとした喉越しです。
冷蔵庫で冷やしてはいけないとのことで、持ち運ぶ分には心配はなかったのですが、途中で少しだけつまみ食い・・ということができなかったのが残念。 -
バスの出発時刻までまだ少し時間があったので、高山市政記念館にお邪魔しました。いわきのすぐ目の前です。
展示物などはさっと素通りしてしまいましたが、議場として作られた二階の広間の天井・・とても惹かれる形です。
折上格天井(おりあげごうてんじょう)という格の高い様式だそうです。 -
夫が休憩を要求。
前日にも入った手風琴です。 -
ホテルで荷物をピックアップして高山駅へ向かいます。
工事中です。 -
濃尾バスセンター。ここもインバウンドの人たちであふれかえるほど
金沢行きの出発は11:35。白川郷で10分停車するので合掌造りの村が少しでも見られるかな。 -
ちょうどお昼がバスの中になってしまうので、もう一度みたらし団子を買おうと思っていたのに、駅前周辺ではどこにも売っていなくて本当に残念でした。
代わりに買ったのは飛騨の牛まんです。 -
バスの車窓から。
合掌造りの家が見えています。 -
バスを降りて一目散に、観光客であふれかえる橋をすり抜けるようにして渡り村の中へ。
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たぶん村の入口辺りだけだろうとは思いますが・・
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白川郷には雪の季節に来ようと、今回はあきらめていたので、これで十分です。
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こちらは民宿みたい。
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こちらも民宿のようですね。
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バスに戻る途中の橋から。
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川沿いに並ぶ観光バスの列です。
村の通りはいったいどんな風になっているのかと・・ -
駐車場の前には茅葺き屋根のお店が並びます。
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バスの駐車場。ここで乗車する人もいます。前日から泊まっていた人でしょうか。
高山を8時頃に出発出来ていれば、白川郷で3時間近く散策できたのですが、チケットを予約した時には、その便は既に売り切れていました。
恐るべし白川郷です。 -
こんなに観光客が多いとなると、訪問時期を考えなくては。
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夫は、これだけ見たら十分、なんて申しています。
冬の白川郷を訪れるチャンスは訪れるでしょうか。 -
山深い白川郷の冬には、積雪で来ることが出来ない?なんてことはないことを祈りつつ・・・
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棚田というには広すぎますが。
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田圃を見るのが初めて、という訳ではないんですが、こんなにも広大な田園風景を見るのは久しぶり。
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まだ田植え前の田圃の中に浮いているかのようにも見える住宅。
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濃尾バスのチケットはネットで予約しました。
高速バスのチケット予約をコンビニで発券するという、初めての経験もしましたよ。
個人旅行をするたびに、何かしら新規なことに挑戦しているみたいで、脳内年齢の老化防止に役立っているかも。
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