2015/07/07 - 2015/07/07
1240位(同エリア1836件中)
まみさん
旅行記のオリジナルのタイトル
「ゆったり楽しもうロシア再訪2015年─モスクワとカザン─【第7日目】(2)2年ぶりのトレチャコフ美術館(後編)イコン・コレクションをこまかい描き込みまでじっくり鑑賞」
【次の2016年の海外旅行の前に完成できなかったので、表紙と写真だけで写真コメントなしの未完成のままいったんアップしていたものを完成させました。
すでに5年近くたっているし、実は、去年の2019年も旅程最後にトレチャコフ美術館を再訪したので、当時の気持ちや感想はすっかり忘れているし、5年前の自分と5年後の自分は、ある意味、別人です。
でも、作成中のまま残しておくのは心残りだったので、ある意味別人の5年後の自分が、写真を見ながら、これを撮った当時の自分を思い出しながら、コメントを交えて完成させました。】
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2015/07/07火 モスクワ観光5日目
・トレチャコフ美術館・本館(10:50-15:50 約3時間20分)
(10:50-11:40/11:50-12:15 2階)
(12:15-13:30 1階のイコン)
(14:45-15:50 1階のその他)
・ククラチョフの猫劇場(18:00-19:00 1幕で休憩なし)
・新アルバート街のヨールキー・パールキーで夕食
・ドム・クニーギーで買い物
・新アルバート街でちょっとだけ夜景撮影
【モスクワ泊:マキシマ・パノラマ・ホテル】
2年ぶりのトレチャコフ美術館・本館は、前回の2013年のロシア旅行時にじっくり見られなかったところを重点に回ることにしました。
それで、真っ先に、前回見損ねた見損ねたウラジーミルの聖母のイコンを見に行こうとしたら、このイコンは美術館の敷地内にある現役の教会に、現役のイコンとして展示されているので、見られるのは教会が開く12時からでした。
そして、現役の教会にあるので、教会内部と共に、イコンも撮影は不可でした。
(注:2019年に再訪したときは、撮影できました。)
撮影できないのは残念でしたが、そもそもイコンは、ちゃんと現役の教会にある方が、本来の意味を持ち、価値も高まるでしょう。
乱暴なたとえかもしれませんが、動物園で動物を見るのと、それをサファリなどで野生の動物を見るくらいの違いはあると思います。
しかし、写真フリークな私は、動物園の動物の方がサファリより写真が撮りやすくて嬉しいのと同様、やはり写真が撮れる美術館にイコンが展示されてある方が、詳細もじっくり眺められて嬉しいと思ってしまいました(苦笑)。
イコン・コレクションは、前回2013年も、実はすべてをちゃんと鑑賞していたことに、今回、鑑賞しながら気付きました。
そのイコンの前に立つと、見覚えがあったのです。
ただ、前回は、後半では写真を丁寧に撮っている気力がなくなっていたので、見るだけにしてしまったのです(いや、それが本来の鑑賞のあり方でしょう)。
なので、今回は、前回の2013年にしっかり写真を撮った前半は撮影はほどとほどにしておいて見る方に徹し、逆に後半はしっかり写真を撮るようにしました。
私が絵の写真を撮るのが楽しいのは、そのおかげで記憶に残ること、それから、カメラのズームは望遠鏡代わりになるので、メインのイコンの回りにある、細かく描き込まれた小さなイコンにも迫れるからです。
イコンの歴史の中では、一時期、イコンの中にとても細かく描き込むのが流行った、あるいは、そうする流派がいたようで、そこだけ切り取って撮ると、別の1枚の絵画のようになって、とても面白いです。
同じことを、2年前の私も考えて写真を撮っているのですが、切り取り方を変えると違う絵画みたいになって新鮮なので、いくらでも撮りたくなりました。
※2年前の2013年のトレチャコフ美術館編の旅行記
「2013年ロシア旅行?13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現【第4日目:モスクワ】(1)トレチャコフ美術館(前編)シーシキンやアイヴァゾフスキー等の大好きな絵画が目白押し」
http://4travel.jp/travelogue/10835836
「2013年ロシア旅行?13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現【第4日目:モスクワ】(2)トレチャコフ美術館(中編)ロシア史とロシアの古き時代にどっぷり浸りながら」
http://4travel.jp/travelogue/10835845
「2013年ロシア旅行?13年ぶりの再訪を3年前にあきらめた旅行計画で実現【第4日目:モスクワ】(3)トレチャコフ美術館(後編)静謐な風景画や庶民のドラマを感じる19?20世紀の絵画とアンドレイ・ルブリョフをはじめ圧倒的なイコン・コレクション」
http://4travel.jp/travelogue/10835847
<2015年ロシア再訪旅行の簡易旅程>
06/30火 職場から成田のホテルに前泊
07/01水 成田第2空港からJALでモスクワへ&モスクワちょっと観光
07/02木 モスクワ半日観光&S7航空でカザンへ
07/03金 カザン観光1日目(クレムリンと国立博物館)
07/04土 カザン観光2日目(現地ツアーに参加)
07/05日 S7航空でモスクワへ&モスクワ半日観光
07/06月 モスクワ観光4日目&ニクーリン・サーカス
07/07火 モスクワ観光5日目&ククラチョフの猫劇場★
07/08水 モスクワ観光6日目&ボリショイ・サーカス
07/09木 モスクワ観光7日目(赤の広場とモスクワ動物園)
07/10金 モスクワ観光8日目(モスクワ動物園とプーシキン美術館)
07/11土 モスクワ観光9日目(アルバート街と東洋博物館)
07/12日 モスクワ半日観光&出国
07/13月 成田第2空港着(猛暑のピークの帰宅)
※この旅行記の対象の日に★印をつけました。
詳細旅程はもう1つのブログ「まみ’s Travel Diarty」
(http://mami1.cocolog-nifty.com/)
の記事に、ハイライト写真と共に前後編に分けて掲載しました。
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2015/07/2015-fd3f.html
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2015/07/2015-7006.html
「トレチャコフ美術館は、世界で最も有名な美術館のひとつである。その収蔵品の中には、千年もの歴史を持つものもあり、ロシアの文化史を物語るものとなっている。
美術館は、モスクワの商人で工場主であったパーヴェル・ミハイロヴィッチ・トレチャコフにより設立された。彼は芸術に対する造詣が深く、有名なパトロンであった。彼は自分の遺言に、《私はロシアの画家たちの絵画からなるロシアのギャラリーの創設を願っていた》と書き記している。P. M. トレチャコフは、その全生涯をコレクションの編成に捧げた。彼の眼にかなった芸術作品は、画家たちのアトリエや展覧会などから直接買い付けられ、毎年ギャラリーの作品はは増えていった。
トレチャコフの美術に関する興味はとても広いものだった。彼の収蔵品の中のロシア美術からは、全ての歴史的発展の多様性がうかがえる。その中には、現代の画家たちの作品はもとより、18世紀から19世紀の前期の画家たちの作品や、古代ロシアの記念碑的なイコン画も含んでいる。
当初絵画は、古い邸宅、つまりザモスクヴォレチエのラヴルシンスキー路地にあるトレチャコフの家に置かれていた。しかし1870年代初めには、コレクションの増大と共に追加的な空間が必要となっていた。そして20世紀までの最後の20年間に、彼によって展示のための場所が特別に造られた。美術館の全ての建物を統一する美しいファサードは、有名なロシアの画家B. M. ヴァスネツォフの設計によって、既に創設者の死後の1901?1903年に建設された。装飾的なココーシニク(婦人の帽子型の半円状装飾)は、ロシアとモスクワのシンボルである『巨大な龍を退治する聖ゲオルギー』の装飾浮彫りを囲んでいる。
1881年より美術館は、一般観覧客のために開放された。
1892年の自身の死までに、トレチャコフは全てのコレクション─18?19世紀の芸術家の手による1287点の絵画や518点も描線画、9つの彫刻─をモスクワに寄贈した。そしてその後もコレクションの数は増えていった。
現在トレチャコフ美術館は10万点を超える作品を抱えており、それらは《12?17世紀の古代ロシア芸術》、《18?20世紀初頭の絵画、線描、彫刻》、《20世紀の造形芸術》のカテゴリーからなっている。美術館財宝の一部は、クレムスキー・ヴァルの建物の中にある。」
(今回の旅行で購入した写真集日本語版「モスクワ 歴史・芸術・建築」より引用)
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- その他
-
まずは、地下から付属の教会のウラジーミルの聖母のイコンを見に行こうと思ったら……
ここは2年前の2013年に見に行きそびれました。
ここだけは16時までだったのを忘れてしまい、見に行こうとしたときには、とっくに16時過ぎていたのです。
なので今回は忘れず、真っ先に見に行こうと思ったら、入れるのは12時からでした(苦笑)。
出直すしかありません。 -
12時過ぎたので、教会へ向かう
「(前略)またイコン『ウラジーミルの聖母』は、展示室ではなく付属の教会に飾られている。教会へは地階南側の連絡通路を通って行くことができる。」
(「地球の歩き方 ロシア(2012~2013年版)」より) -
教会内部は撮影禁止
現役の教会だからでしょうか。
残念でしたが、絢爛豪華なロシア正教会をゆっくり堪能しました。
(※注:2019年に再訪したときは、この張り紙はなかったので、撮影できました。) -
ここからは、ロシアの古代美術やイコン室(Old Russian Art)
テッサロニキアの聖デメトリウスの黄金のモザイク画
1108-1113作
キエフ、ウクライナより
ビザンツ美術の影響たっぷりです。
ずっと昔、こういうのを目当てに、イタリアのラヴェンダの教会めぐりをしたことがあります。 -
黄金のタイルに、杖を持つ手がちょっと可愛らしい@
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「2人の騎手」
1062年頃
キエフ
石版レリーフ
こういうレリーフも大好物です。
覚えている限り、こういうレリーフに驚喜したのは、ずっと以前、日本で開催されたメソポタミア文明展を見に行って、レリーフを間近につぶさに見られた時あたりからです。 -
争う騎手を乗せた馬たちは、人間の都合をよそに、ご挨拶
っていう風に見えました@ -
丁寧に描き出された騎手の口はへの字@
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「聖なる顔」
12世紀後半
ノブゴロド
ノブゴロドのイコンです。
教会や、宗教行進でよく見かける聖旗には、このような十字の光背の上に顔だけの勇ましい表情のキリストのイコンが描かれていることがよくありました。
ちなみに今はノブゴロドは古都と新都があり、こちらがあったのはもちろん古都の方でしょう。
ノブゴロドは、この前の2013年のロシア旅行の際に、サンクトペテルブルクから観光したものです。 -
「聖なる洞窟の聖母と、付きそう聖アンソニー&テオドシウス」
1288年頃(?)
キエフ(?)
イコン・ルームの最初の方には、各地のイコンが展示されていました。
地方によってイコンの絵柄等に特徴があるようなのですが、そこまではよくわかりません。
これは、細長い人物像が気になったので撮りました。
細長い人物像といえば、エル・グレコなど、マニエリスムの絵を思い出すからです。 -
むすっとした表情がなにげに味のある聖母マリアと、お人形さんみたいに抱かれた幼子イエス
なんとなく面白いと思った細部です。 -
「デイシス:洗礼者ヨハネ・イエス・聖母マリア」
18世紀初頭
ウラジミール・ズズダリ、ロシア
デイシスというのは、キリスト教の聖人の中でもっとも重要といえる3人を中心に描いた、イコンでよくあるテーマという理解でした。
もっと詳しいことが、Wikipediaフリー百科事典にあったので、自分へのメモも含めて、引用したいと思います。
「デイシスとは、ビザンティン美術および後の正教会芸術において、伝統的なイコン。尊厳あるハリストス(キリストのギリシャ語読み)、もしくは全能者ハリストスの姿を表している。
ハリストス(キリスト)は玉座に座り、聖書を持ち、傍らに生神女マリヤと前駆授洗イオアン(洗礼者ヨハネ)が立った姿で描かれ、時には他の聖人や天使も描かれる。マリヤとイオアン、および他の描かれた者達は、人間のために嘆願するため、ハリストスに向かって手を挙げている姿で描かれる。
ハリストスの右手は祝福する形となっており(Wikipediaフリー百科事典「十字の描き方#祝福時」を参照)、左手には聖書がある。ハリストスが座っている玉座は最後の審判を想起させるものであり、左手の聖書は人々に神の教えに従って生きよとの神の教えを示している。右手の祝福は、教えを守りきれない人々に対する、ハリストスの憐れみを表している。デイシスの前で祈る際には、悔い改めの心をもち、マリヤとイオアンの転達(執り成し)を願い、罪の赦しを願うように祈る事が正教会で教えられている。
マリヤとイオアン、および他の者が描かれることは、四人の福音記者もしくはその象徴がキリストの周りに描かれる事が普通である、西方教会における「尊厳なるキリスト」像の構図と異なる点である。デイシスの構図は西方においてもみられるものであり、特にビザンティン文化の影響下にあったイタリアの一部や、ヨーロッパの残りの地域にもみられるものである。「デイシス」も「尊厳なるキリスト」像も、西方教会においては中世の間に徐々に使用されなくなっていった。」
(Wikipediaフリー百科事典「デイシス」より) -
「受胎告知」
1130-1140年
ノブゴロド
いにしえの時代にはモスクワよりも栄えていて、公国をなしていたノブゴロドのイコンです。
だからどうというわけではなく、その中でこれが気になったため、写真を撮りました。
ちなみに、イコンには、ノブゴロド派というのもあったようですが、他の派との違いや特徴までは分かりません。 -
受胎告知の天使ガブリエルの表情が気になって@
そなたは処女のまま、神の神子を身ごもったのだ、ありがたいだろう、という、ちょっと上から目線だなぁと思った笑みでした。
神の御使いなので、それは当然なのでしたが、人間の立場からいうと、マリアは最初は当惑と恐れを抱いたでしょうが、そういう気遣いはまったくないし、そんなことも思いもよらないんだろうなぁと思っただけです。 -
「聖ニコラウスと聖人たち」
12世紀末~13世紀初頭
ノブゴロド
正教会では西方教会ほど聖人の数は多くない中、聖ニコラウスは重要な聖人のトップで、よく登場します。
ちなみに、ノブゴロド派の特徴かどうか分かりませんが、面長傾向なのかなと思いながら撮りました。 -
「聖なる顔」
18世紀末~19世紀初頭
ロストフ
黄金の輪の町であるロストフも、かつてはロストフ公国として栄えたところです。
ただしそれは12世紀のこと。
でも、イコンとして、ロストフ派というのがあるようです。
ただし、これはだいぶ時代を下った時のイコンなので、ほほに赤味があったりして、威厳がありつつも、やさしい顔つきになっているかもしれません。
ちなみにロストフは、この翌年の2016年のロシア黄金の輪めぐりの旅行で訪れた都市の1つです。 -
「オラントの聖母」
18世紀初頭
ヤロスラブリ
ヤロスラブリも古都として名高く、イコンとしてもヤロスラブリ派というのがあるようです。
そこの比較的近代のイコンです。
「オラントの聖母」というと、このように手を広げてすべてを抱擁するようなポーズの聖母のことを指すと理解しています。
オランタともオランスとも言われることがあるようです。言語が違えば語尾は多少変化しますね。
正教会では西方教会以上に人気のテーマではないかと思います。単に、東欧旅行中、よく見るから、というのが根拠。 -
イチオシ
どことなく諦観が漂う表情の聖母と、赤子とは思えない賢そうな幼子イエス
でも、ほっぺの赤みが愛らしいです。 -
衣装のひだの描かれ方は、伝統を守りつつも、だいぶ近代的かも
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「テッサロニキアの聖デメトリウス」
17世紀末~18世紀初頭
ドミトロフ
どしんとした座り方が、なにげに面白くて撮りました。
また、ギリシアのテッサロニキアの聖デメトリウスという名は、イコンなどの題材でよく目にする気がしたので、気になったからです。
ネット検索したところ、殉教者の1人のようでした。
こちらのビザンチン美術について書かれたサイトを参照しました。
「テッサロニキの聖デメトリウスは4世紀初めのキリスト教殉教者である。
聖デメトリウスは、西暦270年イリュリクム(古代ローマ)属州のテッサロニキの敬虔なキリスト教徒の両親の元に生まれた。伝記によれば、デメトリウスは元老院議員家族の若造として、306年テッサロニキで槍で刺し殺された。それはディオクレティアヌスとガレリウスのキリスト教徒迫害の最中であった。これは7世紀のモザイクのなかに書かれている叙述と一致している。」
(河原道三さんによるビザンチン美術の解説より)
https://kohnoshg.webnode.jp/ビザンティン美術/iconography/a02-saint-demeter/ -
このように巨大なイコンが目白押し!
公営の博物館なら、巨大なイコノスタシス(イコンの壁)があった教会から保存のために収蔵されたものではないかと思うのですが、ここはねとはトレチャコフという私人のコレクションが基になった美術館なので、美術業界に流通していたものを、トレチャコフ自身が買い付けたコレクションなのだろうと思います。 -
イチオシ
「オデゲトリアの聖母」の一部
18世紀末~19世紀初頭
プスコフ
プスコフも古都の1つで、イコンにもプスコフ派があったはずです。
だいぶ近代のイコンなのに、昔のイコンのようなタッチで、気になりました。
わざとななめに撮ったので、聖母が少しゆがんで撮れたかわりに、幼子との距離が近く撮れました。
ちなみに、オデゲトリアの意味は、文字通りだと「道を示す者」ですが、幼子イエスを片手に抱き、反対側の手で我が子を差しているイコンの典型的なテーマの1つです。
Wikipediaフリー百科事典「Hodegetria」からの受け売り。
https://en.wikipedia.org/wiki/Hodegetria -
「聖ニコラウス」
14世紀中頃
プスコフ
正教会の聖ニコラウスは、十字の模様が入った肩当てのあるガウンを着ていることが多いです。
顔の左右に小さくイエスとマリアが描かれていました。 -
聖ニコラウスの手の形と聖書に注目
聖書はロシア語かな。
きっとちゃんと聖書のことばが書かれているのでしょう。 -
「聖人たち(聖女パラスケヴァ・テオロギアの聖グレゴリー・聖クリストストム・聖バシル(大))」
15世紀
プスコフ
パラスケヴァ・ピャートニッツアは正教会でまつられる数少ない女性聖人です。
調べてみると、Wikipediaフリー百科事典では、スラヴ神話のモコシという女神と同化された上で聖女としてあがめられているようです。
初期キリスト教時代の殉教者。もとは裕福な家に生まれ、両親もキリスト教徒で、キリスト教の布教に努めたようです。
「モコシ(モーコシ、モコシュとも)は、スラヴ神話の女神である。湿潤を司るとされ、その名はロシア語の「湿った」「濡れる」を意味する単語に由来する。湿潤が肥沃さに関連づけられることから豊穣神ともされている。
ウラジーミル1世が造らせキエフの丘に祀らせた6体の神像のうちの1体で、唯一の女神である。ウラジーミル1世はキリスト教導入以前の宗教政策の一つとして、諸地方の神々をキエフに持ち込んでおり、モコシはフィンランドなどから入ってきてヴォルガ川流域に住んでいたフィン・ウゴル系の人々の女神という説もある。
また、スラヴの各地方で信仰されていた大地を神格化した女神「母なる湿れる大地」との関連があるとする説がある。これによると、モコシという名前の語源がロシア語で「湿った」を意味する単語と共通であり豊潤な大地を彷彿させることから、本来モコシはスラヴ神話における大母神だったという。その神像は大きな頭を持ち、細長い腕を天に向けたような姿をしていたとされ、これは天と大地の仲介者として雨を降らせて田畑を潤したり、家畜の多産をもたらしたことを表している。
モコシがどのように崇拝されていたかは不明である。糸紡ぎなど、女性の仕事を司るとも考えられている。
キリスト教が布教されるとモコシは聖人・パラスケーヴァ・ピャートニツァと同一視された。その結果、パラスケーヴァ・ピャートニツァは結婚や出産・家事などの女性生活や、大地の恵みと繁栄を司るという異教的な特徴を持つこととなった。
金曜日はモコシの日とされ、糸紡ぎの仕事も水仕事もしてはならないとされた。」
(Wikipediaフリー百科事典「モコシ」から引用) -
このイコンに惹かれたのは、実は衣装の方
ジャポニズムや世紀末美術を連想させるような、平たんなデザインの美しさと、衣装の平たんさと三次元性を感じられる肌とのギャップというかコントラストが面白いです。
それに民俗博物館で見るような伝統的なバターンの布を身に着けているようでなはいですか。 -
イコン・ルームの中でもアンドレイ・ルプリョーフのイコンもある圧巻の部屋
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「キリスト-栄光の神」
14世紀
バルカン半島(?)
あばら骨が出ているとはいえ、すごい肉感的なイエスだと感銘してしまいました(笑)。 -
ずらっと並んだイコン(デイシス・ティア)
1387-1395年
コンスタンティノープル
おそらく巨大なイコノスタシス(イコンの壁)の1列を飾っていたイコン群ではないかと思います。
※デイシス(deisis)
「キリスト教美術の主題。玉座にすわる審判者キリストを中心に、左右に全人類に代って取次ぎを請う聖母マリアと洗礼者ヨハネとが表現された図像。最後の審判図の中心グループであるが、独立して3人像として表わされることが多い。この図像はビザンチン美術で発展、ギリシア教会のイコノスタシスにしばしば見出され,ヨーロッパには 12世紀に伝わった。例としてイスタンブール,ハギア・ソフィア大聖堂階上廊モザイク (13世紀) がある。 」
(ブリタニカ国際大百科事典より引用) -
聖母マリアの左隣にいた天使なので、おそらく受胎告知のガブリエル
味わい深い表情と優しい手つきに目が引かれました。 -
聖母マリアのイコン
右手で隣のイエスを指し示し、左手は何かを包み込むような手つきでした。
意味のあるジェスチャーだと思います。 -
聖書を手にした中心のイエス
聖書に書かれているのはキリル文字です。
ちゃんと意味のあることが書かれているのだと思います。 -
イエスの右隣の天使
よく描かれるトップの天使であるなら、たぶん大天使ミカエル。
戦いの天使でもあるので、右手に持っているのは槍でいいのかな。 -
キリストの顔をどアップで
どこかにいそうな顔つきをしています。
校長先生のような威厳あります。
と言ったら、不敬かな。 -
イチオシ
マリアの顔をどアップで
母としての慈愛に満ちあふれていました。 -
「全知全能のキリスト(Christ Pantocrator)」
14世紀前半
トヴェール
儀式において重要な意味を持つ手の組み方と、ほりが深くてめがねをかけているような目元に惹かれました。
※パントクラトール(Pantocrator)
「ギリシア語で万物の支配者,全能者の意で古代には皇帝の称号として用いられたがキリスト教時代になってからはキリストの一称号となり,特別なキリスト像を生んだ。古くヨーロッパでは宇宙を象徴する天球の上に坐する若きキリスト像があったが (『ユニウス・バッススの石館』ローマ,359頃) ,ビザンチン美術では有髭長髪で峻厳な顔立ちをし,右手を伸べて祝福の印を示し,左手に書物を持つ半身像として完成した。古くはユスチニアヌス2世の貨幣 (565~78) にもみられるが,中期ビザンチン美術ではギリシア十字形聖堂の円蓋の頂に (ダフニ修道院聖堂モザイク,1100頃) ,あるいは祭室上半円蓋 (シチリア,モンレアーレ大聖堂モザイク,13世紀) などに頻繁に表わされた。 」
(ブリタニカ国際大百科事典より引用) -
「ピメンのオデゲトリアの聖母(Our Lady Hodegetria Pimenovskaya)」
1380年
コンスタンチノープル
調べたところ、コンスタンチノープルのピメンという町で見つけたイコンのようです。 -
我が子を抱いてうれしさがにじみ出た聖母の表情
幼子イエスの顔はお世辞にも赤ちゃんとしては可愛いとは言いがたいです。
と言ったら、不謹慎かな(苦笑)。 -
イチオシ
「ドンの聖母(Our Lady of the Don)」
ギリシャのテオファネス画(?)
1390年代
モスクワ
テオファネスは有名なアンドレイ・ルブリョーフの師ともいわれている人物だそうです。
聖母が幼子イエスを胸に抱きかかえるポーズ自体は、エウレサと呼ばれて、イコンの典型の1つだそうですが、母子の間に感じられる愛情のぬくもりは、ルブリョーフの師といわれて納得できる気がします。 -
「聖ポリスと聖グレブと彼らの生涯(SS. Boris and Gleb with scenes of their lives)」
14世紀後半
モスクワ
まずはイコンの全体。
9世紀から13世紀前半までロシア史の中心だったキエフ大公国の一番有名なウラジーミル1世(キエフをキリスト教国にした大公)のたくさんいる子供たちの中でも最愛の子供たちだったようです。
公位継承争いの中で亡くなった後に、初期のロシア正教で聖人化されたのですが、キエフをキリスト教化した父親ならいざ知らず、彼らは聖人化されるほどキリスト教にとってなにか功績をなしたという記録は特になさそうです。
カトリックの聖人は、殉教者が多いのに対して、初期正教では、政治的あるいは為政者にとって大事な人物が聖人になることが多くて、昔は違和感があったものです。 -
まわりの生涯の絵の1つ──船上で戦っているシーン
生涯の絵のコマの中で、絵として興味深く、ぱっと目を引いたのを撮りました。
この中にポリスかグレブがいるかよくわかりませんが、なにかしらの戦いに出陣したとしてもおかしくはありません。 -
まわりの生涯の絵の1つ──騎馬での戦いシーン
うーん、帽子の色からすると向かって左がポリスかグレブかもしれませんが、顔がなんか似ていない気がします。
いつも思うのですが、メインのイコンの聖人の生涯を描いた回りの小さな絵は、まるでマンガの元祖のような気がしてなりません。 -
「オデゲトリアの聖母(Our Lady Hodegetria)」
ディオニシウス画
1482年
ディオニシウスは、モスクワのクレムリンのウスペンスキー大聖堂内のイコンも手がけたといわれる有名なイコン画家です。
まずはイコンの全体。
背景はすっきりしていて、人物像がくっきり浮き上がっていて、清楚なイコンです。 -
イチオシ
少し距離があっても愛情でつながっているのが感じられる母子の手
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ディオニシウスのイコノスタシスの一連の聖人イコン
1500年代
モスクワ
イコノスタシス(イコンの壁)の中でも1番重要な列の聖人イコンです。
中央はイエス、向かって左に聖母マリア、右に洗礼者ヨハネというパターンが多いです。
手前の接近避けの柵を一緒に撮って、イコンの巨大さが分かるようにしました。 -
厳かさの中にも愛情がうかがえるイエスの表情と、しなやかな指
父親が過ちを犯した子供を諭すようにしかっている表情に見えます。 -
我が子を敬いつつも、慈しみがあふれる聖母
この体のシルエットの優雅なこと。
人体としては不自然なのかもしれませんが、美を優先させた近代画のようです。 -
キリストを洗礼した洗礼者ヨハネも、やさしいおじいさんのよう
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ダニエル、アンドレイ・ルブリョーフとルブリョーフ派による三大聖人のイコン(Deesis Tier)
1408年
これはアンドレイ・ルブリョーフのイコンということで前回2013年に丁寧に写真を撮った覚えがあるのですが、トレチャコフ美術館のイコンの中でも有名トップのイコンを全く撮らないのも片手落ちに思えたので、全体だけ撮りました。
手前に休んでいる人たちも敢えてフレームインさせて、巨大さが分かるように。 -
ディオニシウスと彼の息子たちテオドシウスとウラジーミルによる三大聖人のイコン(Deesis Tier)
1500-1502年
これも前回2013年に丁寧に撮ったイコンなので、今回は敢えてこうやってななめ撮ってみても興味深いと思いました。
イコンは板絵で、その板の厚みを実感しながら撮りました。 -
「デイシス」
アンドレイ・ルブリョーフ
15世紀初頭
これも有名なルブリョーフのイコンです。
前回2013年もしっかり撮影しましたが、今回もスルーするわけにはいきませんでした。 -
チャーミングなカール頭の受胎告知の天使ガブリエル
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やさしさとけだるさが同居した雰囲気のイエス・キリスト
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深い悲しみをたたえた瞳
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1番有名なルブリョーフの「三位一体」
天使たちの体のシルエットがとても優美です。
やはりトレチャコフ美術館では、これを見逃してはなりません。 -
中央の天使
男とも女ともつかぬ中性的な美しさです。 -
「マリアの被昇天(Dormition)」
1497年頃
モスクワ
聖母マリアはキリストによって天に昇るので被昇天。
キリストの手にマリアの魂があります。 -
「天上の王の兵士たちは幸いなり(Blessed are the warriors of the Celestial King)」
Church Militant
1550年モスクワ
とても細かく描きこまれたイコンです。
ただ、これも前回2013年に丁寧に写真を撮った覚えがあります。
ここまで描きこまれれば、面白くて、注目してしまいます。 -
天使と悪魔の戦い
聖母子も見守っています。 -
聖ジョージの像の一部
Vasily Ermolin作
1464年頃
教会にあった木像でしょう。
体の一部だけ残っていましたが、ちょっとひねった横顔に惹かれました。
ドラゴンを槍で刺して退治しているポーズだと思います。 -
「登塔者聖シメオンと彼の生涯(St. Simeon the Stylite with the scenes of his life)」
シメオンといえば12使徒にもいる名前ですが、こちらは別人です。
このイコンをきっかけに初めて知りました。
自分を厳しく律したいがために塔を築き、その上に小屋を建てて、塔の上で祈祷を続けた聖人だそうです。
それを知った後であれば、真ん中の図像に納得できます。 -
右下から2番目のイコン
修道士たちと馬車と馬に乗つている人と、馬車のそばにうずくまっている人がいて、井戸があって。
登塔者聖シメオンの生涯をWikipediaで調べましたが、これがどのシーンかさっぱりわかりませんでした。 -
塔の上のシメオンと、下から降りるように説得している人々
……かな。 -
塔の上のシメオンと、下界では鹿に餌をあげている人々や、降りるように説得している人々
……かな。 -
塔の上のシメオンと痛いを運んできた兵士たち
……かな。
シメオンの祈りのスタイルは神に気に入られたので、いろんな奇跡を起こしたそうですが、それに関係するのかな。
棺桶の中の遺体の姿からは、イエスによるラザロの復活を連想してしまいました。 -
「ガングラの聖イパティウスと彼の生涯(St. Ipatius of Gangra with the scenes of his life)」
16世紀
トヴェール
どんな聖人か、どんな生涯を送ったのか、ネットで調べてもヒットしませんでしたが、殉教者であることは、回りの生涯シーンを見てすぐに分かりました。 -
聖イパティウス、ドラゴンと戦う、あるいは手なづける
これは彼の奇跡か、功績かな。
想像上の動物のドラゴンが、ちょっとかわゆいというか、なんというか。 -
聖イパティウス、鉄板焼きにされる!?
-
聖イパティウス、赤い牛と一緒に火あぶりになる!?
いまいち牛がいる意味がわかりません。
殉教シーンではないのかな。 -
聖イパティウス、釜ゆでにされる!?
五右衛門風呂に入っているのでは、決してありません。 -
聖イパティウス、手足を切り落とされる!?
聖イパティウスの顔がまったく変化ないのが、かえって不気味です。
この残酷なシーンさえなければ、背景の山や木々がデフォルメされたモダンアートにも見えました。 -
聖イパティウス、引き回しの刑を受ける
市中引き回しではなく、山野で引き回されたようです。 -
解釈が分かれそうなシーン
重しの下にいる聖イパティウスに、慈悲として水を与えているようにも見えます。 -
聖イパティウス、生き埋めにされる
聖人伝説にはよくありますが、あんなにさんざんな刑にあっても聖イパティウスは絶命しなかったのでしょう。 -
「ラザロの復活」
16世紀
モスクワ
時代を遡るにつれて、イコンがドラマ的になっていきます。
カトリックの宗教画の影響も受けたでしょうし、これまでの聖人イコンのまわりの生涯シーンのような描き方の方を主流にしたのでしょう。 -
大天使ミカエルと2人の聖人
16世紀
タイトルはロシア語のみでしたので、大天使ミカエルの部分しか解読できませんでした。 -
下半分は、馬を走らせる聖人たち
カラフルな馬といい、色使いがまさにモダンアートのようです。 -
「スモレンスクの救世主と祭り(The Saviour of Smolensk with Fests)
16世紀後半
モスクワ
中央はキリストです。
なぜスモレンスクの救世主と呼ばれているのかわかりませんが、スモレンスクの待ちにゆかりがあるのでしょう。 -
回りの小さなイコンの1つ
ロバに乗るイエスと円卓で食事をするシーン。
どうも新約聖書のシーンのようです。 -
弟子の足を洗うイエスと十字架磔
これもスモレンスクの救世主のイコンの回りの小さなイコンの1つです。
新約聖書のシーンが、ランダムに描かれていたのかしら。 -
イエスの足元に描かれているのは、キリスト復活と三位一体の図像
-
イコノスタシスの王門
16世紀後半
モスクワ
王門はイコノスタシスの真ん中の扉で、その向こうは聖なる空間なので、ミサの時にしか扉は開けられません。
戸平の1番上は受胎告知のシーンが左右に分かれて描かれています。
その下の4枚は4福音書記者の図像です。 -
イコノスタシスの王門の中の福音書記者マタイの図像
ヨハネのシンボルは天使なので、すぐに分かりました。
他も福音書記者は、マルコがライオン、ルカがウシ、マタイがワシです。
この図像では、天使がマタイの口伝を書き留めているかのようです。 -
イコノスタシスの王門の中の福音書記者
シンボルがないので、誰かわかりません。
上の方にキリル文字があるのですが、あいにくあまり鮮明ではないので読めませんでした。
書見台がとてもおしゃれです。 -
イコノスタシスの王門の中の福音書記者
これらのイコンは、プリミティブな建物の表現が気に入りました。
遠近法は無視され、むしろ現代アート的な構図も。 -
イコノスタシスの王門の中の福音書記者
こちらは書見台がちょっと違います。
絵の上のキリル文字が読めたら、福音書記者の名前が判別したかもしれませんが、意識して撮らなかったので、写真が鮮明でなかったり、切れていたりするので、読めなくなってしまったのは残念です。
(キリル語はきっと読めると自負しつつ、あまりにステキすぎる飾り文字だったら読めないと思います。) -
「最後の審判」
16世紀
ノブゴロド
最後の審判の図像は大好きです。
書き込まれている内容がだいたい決まっていて読み解きやすいのと、その上で、いろんな様式や描き方があるのが分かるからです。
最後の審判の図像を1番夢中になって調べたのは、2006年のルーマニア旅行で、ブコヴィナ地方の外壁にぎっしりフレスコ画が描かれた世界遺産の教会群を訪れた時です。
ルーマニアやブルガリアの教会の壁画のハイライトはやはり「最後の審判」の絵でしたから。 -
「最後の審判」の中心部分
玉座に座るイエスキリストで、左右にいるのは、立っているのが右は洗礼者ヨハネ、左は聖母マリア、かしづいているのは、たいていアダムとイブだったと思うのですが、この図像では違うようです。もしかしたら聖母マリアの両親の聖アンナと聖ヨアキムかもしれません。
その上はもちろん神です。
下には、死者の前世の行いの善悪のバランスを図るはかりがあり、死者を審判する天使たちがいます。
その左右にいるのは審判されている死者かな。イエスと同列に並んで描かれていたのは天国に行くことが決まっている聖者たちで、天使と同列に並んで描かれているのは聖者とまで決まっていない一般市民かしれません@ -
地獄に堕とされる死者
「最後の審判」では、天国よりも地獄の表現の方が描き方が多様で、独創性も感じられ、ある意味、生き生きしていると思います。
これは描き方が穏やかな方。
白いおくるみの中にいるのが、死者の魂です。 -
左下に描かれているのは天国
円の中に描かれているのは、聖母マリアでしょう。
最後の審判の中ののキリストが死者に厳しく当たる存在だとしたら、天国で迎えてくれる聖母は慈悲の存在です。
その円を支えるよえに描かれた赤い部分は天国の門で、そこの番人をする天使も大天使ミカエルだったと思います。
聖母マリアの円の右下の円の中に描かれているのは、黙示録に出てくる4頭の獣ではないかしら。 -
「聖ジョージと竜(聖ジョージの生涯シーン付き)」
16世紀後期~17世紀初頭
コストロマ
コストロマもロシアの黄金の輪の都市の1つで、この旅行の翌年の2016年に訪れました。
今回はこういうイコンの中の小さな絵にも注目しようと思っていたからこそ、目をつけた1枚です。
聖ジョージはドラゴン退治をした伝説のある人物という以外、どんな生涯を送ったか、あまり気にしたことが無かったことに気付きました。 -
聖ジョージの生涯シーンより:拷問と殉教
聖ジョージは竜の生け贄になるところだった王女を救ったという伝説くらいしか知らなかったので、Wikipediaフリー百科事典の聖ジョージの生涯を読んで納得しました。
「ゲオルギオスはキリスト教を嫌う異教徒の王に捕らえられ、鞭打ち・刃のついた車輪での磔、煮えたぎった鉛での釜茹でなどの拷問を受けるが、神の加護によって無事であった。
王は異教の神殿でゲオルギオスに棄教を迫るが、ゲオルギオスの祈りによって神殿は倒壊する。しかも、王妃までもがゲオルギオスの信念に打たれキリスト教に改宗しようとしたため、自尊心を傷つけられた王は怒りに駆られた。
王妃は夫であった王の命令によりゲオルギオスの目の前で見せしめとして惨殺されるが、死の間際「私は洗礼を受けておりません」と訴えた。ゲオルギオスが王妃の信仰の厚さを祝福し「妹よ、貴方が今流すその血が洗礼となるのです」と答えると、天国を約束された王妃は満足げに息を引き取ったと言う。
ゲオルギオス本人も斬首され、殉教者となった。」 -
聖ジョージの生涯シーン
下の段は拷問の続きだと思いますが、上の段のシーンはいまいちわかりません。
この部分をズームして撮ったのは、建物や町の表現が興味深かったからです。 -
「知恵は自分の家を建て(旧約聖書の箴言第9章)」
1548年頃
ノブゴロド
ぱつと見て、この教会の絵に惹かれました。
タイトルは聖書の一節でした。
日本語訳をさらっと読んだら、意味はよくわかりませんでした(苦笑)。 -
ドームとアーチが素晴らしい教会の中に聖職者がたくさん
-
「来て、わたしのパンを食べ、わたしの混ぜ合わせた酒をのみ、思慮のないわざを捨てて命を得、悟りの道を歩め」
という部分でしょうか。 -
ワインを汲んでいるところかな
-
ほふられる牛たち
-
背景には、素敵な建物がたくさんある町の風景
-
「祈祷師聖ニコラスと彼の生涯シーン」
16世紀
トルジョーク(Torzhok)
ここに描かれた生涯シーンを見ると、奇跡を起こしたり、信者を増やしたりした後、殉教したのが分かります。
貧しい家に施しをしたり、持参金がなくて結婚できない3人の娘にお金を恵んだりといったエピソードのあるサンタクロース起源説もあるニコラウスとは違う聖人のようです。
これがあった町の名は特に観光地ではないので知らなかったです。 -
1番大きい中央の聖ニコラスのイコン
鳥たちを手なずけている絵に見えます。
これを撮ったときは、動物たちと話ができたというアッシジの聖フランシスコを連想しましたが、よく見ると、こちらはむしろ、手なずけてつかまえようとしているようです。 -
「正餐式<ケルビムの賛美歌>」
16世紀後半
ソルヴィチェゴダスク(Solvychegodsk)
これに惹かれたのはやはり教会の描かれ方です。
かなり大胆にデフォルメしていますが、ロシアの地方都市観光の目玉はやはりこういう教会めぐりです。
こちらも町の名は知りません。 -
中央の教会内での正餐式
テーブルには聖杯と聖書。
キリストらしき人物の衣装の描かれ方も、世紀末画家クリムトを連想させました。 -
「司祭エウロギウスの幻視」
1565-1596年頃
サリビチェゴスキー
タマネギ型ドームはもちろん、白漆喰にシンプルな飾りがある教会は、ロシアの地方都市めぐりで求めたものです。
修道院の建物なので、鐘楼があったり他の附属教会もあるようです。 -
入口の上部に聖母子のイコンがある教会部分にズーム
-
「聖使徒フィリポと聖なる殉教者イパティウスと彼の生涯シーン」
1670年
コストロマ
この周辺のイコンも含めて1つ1つ見ていたら、あっという間に30分くらいかかってしまいそうです。
さすがに全部をズームしては撮れませんでした。
聖フィリポはキリストの弟子の12使徒の一人ですが、12人のエピソードをすべて知っているわけではないので、どんな人だっけと思い、ちゃちゃっとネットで検索したところ、聖書にもあまりエピソードが残っていないので、私も知らなかったんでした。
聖イパティウスはまだキリスト教国になる前の古代ローマ帝国で、キリスト教が迫害されていた時代のローマ兵の士官らしく、キリスト教徒となった前任者を逮捕するために赴いて、途中で病気で死にかけたときに、夢の中で天使が出てきて、改宗するなら救われるというので、改宗して、その後は、逮捕しようとした前任者と共に、最終的には拷問にかけられて殉教したようです。
というのは、ものすごーくものすごーくざっくりまとめた彼の生涯です。
詳しくはこちら。
https://www.holytrinityorthodox.com/calendar/los/June/18-01.htm -
2人の聖人と、その間に可愛らしい野花
こういうところの野花に注目するようになったきっかけ、ボッティチェリの「春」です。 -
チューリップやスミレかな
-
都市の絵もあってマンガのよう@
船がたくさん描かれています。
建物の間に運河がある町に見えて仕方がありません。 -
ドラマがたくさん描かれている
奇跡を起こしていたり、説教していたり、拷問シーンもあったり、しっかり見ると、ドラマチックすぎます! -
「洗礼者聖ヨハネと彼の生涯シーン」
17世紀末~18世紀初め
ヤロスラヴリ
このイコンに目をつけたのは、足元の建物の絵です。
それと、洗礼者ヨハネの生涯エピソードはいくつか知っているので、謎解きの面白さもありました。
洗礼者ヨハネは、キリストに洗礼を施した聖人です。
ちなみにヤロスラブリも黄金の輪の都市です。
ヤロスラブリもこの翌年の2016年のロシア黄金の輪めぐりの旅行で訪れました。 -
建物の中は、サロメ絡みの有名なエピソードのシーン
サロメとヨハネといえば、やはりオスカー・ワイルドの戯曲で膨らませられた話になじみがあります。オペラ「サロメ」も何度か見たことがあります。
ここは、サロメが義父のへロディア王に請われて踊りを披露しているシーンと、その褒美として、自分につれなかったヨハネの首を所望したシーンです。
皿に載せられたヨハネの首とサロメの絵は、西欧の宗教画やその後の絵画でもよく知られた絵が数多くあります。 -
おそらく天使ガブリエルに導かれる幼いヨハネ
そのようなエピソードが聖書にあるわけではありません。
ただ、ヨハネの誕生も、受胎告知天使のガブリエルが予告したというので、そういうかんじかなーと思ったものです。
よく見るさ幼子というより、顔は十分おじさん?
荒野の表現がかなかいいです。まるで、グランド・キャニオンのよう!? -
洗礼者ヨハネの下半身
服のひだの描き方は派自然ではないですが、なんとも美しいです。緞帳みたいです。
聖杯を持ち、右手でその中を指さしています。
左手には聖書の一節が書かれていると思われる羊皮紙。 -
中央の洗礼者ヨハネが持つ聖杯の中には
ヨハネが洗礼を施していることを意味しているのではないかと思います。
でも、さすがに中にいるのはイエスではなく、1信者ではないかと。 -
「セクストンの聖タラシーの幻視(The Vision of the Sexton St. Tarasy)」
18世紀初頭
ノブゴロド
SextonやSt. Tarasyについて検索しましたが、英語では、これかもしれないと思えるものは探せませんでした。
これに目をつけたのはもちろん、この美しい町の絵です。
このイコンの復元のフィルムがあることをネット検索で知ったので、色がこれだけ鮮やかなのも、復元されたおかげかもしれません。 -
向かって右側の城壁に囲まれた修道院の様子
メインの教会の教会の他に鐘楼教会や修道士の住居や食堂の建物などがありそうです。
いまでもこのように残っている修道院はあります。 -
向かって左側の都市の様子
こちらに聖人がいます。
こちらも修道院かもれしません。 -
「聖母のイコン<全ての悩める人に慈悲を>」
1707年
アレクセイ・クヴァーシュニン(Alexey Kvashnin)
武器庫(Armory Chamber)派
まるで曼荼羅のようなイコンに惹かれました。
天上と地上を描いていて、その介在をするのが天使たちというかんじです。
これは描いた人の名がわかっているようです。 -
下の部分に描かれた白亜の教会
-
円環の中を泳ぐように飛ぶ天使たち
天使の羽が白いというのは後世のイメージで、こちらの天使たちは極彩色とまでいかなくても、きれいなグラデーションを描いています。 -
天使に救いを求めるボートの中の人々
この絵は「最後の審判」と違って、人々はみな救われるようです。 -
「モスクワ大公国の系譜樹(The Tree of the Moscow State)」
シモン・ウシャコフ(Simon Ushakv)
1668年
武器庫(Armory Chamber)派
系譜樹が華やかさを与えているイコンです。
一昔前の私なら、いまいち好みでないと思ったかもしれないですが、いろんなイコンを見ていくうちに、好みの範囲は拡大していきました。
好みって、そういうところがありますね。少なくとも私はソウです。見慣れて行くうちに、それぞれの良さにだんだんと気付いていくことが多いです。 -
系譜樹の根元
はじめは玉ネギ型ドームの白亜の正教会に目をつけました。
タイトルのMoscow Stateは、モスクワ大公国のことではないかと推測しました。ただし、モスクワ大公国を英語できちんと表示するとしたら、Grand Duchy of Moscow になります。
その上で推測すると、根元のこの図像は、モスクワ大公国の前身とされるキエフ・ルーシのキエフ府主教座がモスクワへ遷座あたりかな。 -
中央の聖母子のイコン
-
「ウラジミールの聖母」
シモン・ウシャコフ(Simon Ushakov)画
1652年
武器庫(Armory Chamber)派
このポーズの聖母子イコンはやはり好みです。
母と子の距離はずいぶん近くなっています。 -
イチオシ
哀しみを秘めた聖母とそんな母を慰めるようにぴったり寄り添う幼子イエス
近くで見れば見るほど、表情がとても豊かだと気付きました。
近代になるにつれて、表情が豊かになっています。 -
よりそう母子の手
大学のフランス語の授業で使われたテキストで「手の礼賛」(Éloge des mains/アンリ・フョシヨン著)というのがありました。
美術作品の鑑賞方法として手の表現に注目した本です。
あれから美術鑑賞で、手にも注目するようになりました。
あれからって、ものすごい昔の話ですけど@ -
「神の母の象徴」
16世紀
中央のイコンは、聖母が両手を広げたポーズのオラントの聖母子です。
周辺にマンガみたいにずらりと描かれた小さなイコンは……。 -
周辺のイコンの一部・その1
聖母マリアの生涯ではないかと推測しながら眺めました。
たとえば子に恵まれなくて悩んでいたすでに年寄りとなったヨアキムとアンナの元にマリアの誕生のおつけがあったシーンかなと思える絵もあったのですが、これらはちょっと違いますね。
アンナは当時にしては考えられない高齢出産でマリアを出産したという逸話があるわけですが、当時の老齢って、ひょっとしたら30歳くらいだったかもしれないです。 -
周辺のイコンの一部・その2
左上の図像は、マリアの神殿奉献だと思います。これはマリアの生涯の代表的なシーンです。
左下の図像は、幼子ながら神のことを説くイエスをお披露目しているシーンに見えます。そんなシーンがあるというのは、外典にもないので、私の想像です。 -
「王の中の王(女王立つ)」
ニキータ・パブロヴェツ(Nikita Pavlovets)とアシスタント画
1676年
武器庫(Armory Chamber)派
こちらはきらびやかな衣装や王冠に惹かれたところがあります。 -
たくさんの宝石がちりばめられていたに違いない衣装と聖書にズーム
-
「モスクワ・クレムリンのモスクワ府主教の聖アレクシウス」
ティホン・フィラティエフ(Tikhon Filatyev)画(?)
18世紀後半
武器庫(Armory Chamber)派
府主教ともなれば、このくらいすばらしいガウンを身につけていてもおかしくはないでしょう。
ひざ置きのようなものがガウンから吊り下がって見えるのは興味深いです。
いや、けっしてひざ置きであると断定できるわけではないです。 -
すばらしい刺繍のあるガウンの袖と、宝石が散り張られた聖書の表紙
実際、こういう聖書は、教会の宝物展示などで見るとこができます。 -
「ひとり子としての栄光(Glory by the Only Begotten Son)」
1668年頃
武器庫(Armory Chamber)派
細かい描き込みに惹かれました。それと、何が描かれているか推測がしやすかったこともあります。
タイトルは、ヨハネによる福音書の一節のようです。
神のひとり子のイエスを指すようです。
なのでこのイコンは、ヨハネによる福音書に基づくイエスの生涯が描かれているのだと思います。 -
右下の図像
棺桶の上にキリストが浮かんでいるとなれば、キリストの復活だろうと思います。
異教徒を圧倒しているように見えます。 -
右上の図像
3賢人の来訪でしょう。 -
中央の図像
キリスト磔と、その下で嘆く聖母マリアと弟子のヨハネ。
背後には美しい修道院が描かれています。 -
左下の図像
天使に囲まれたイエスが悪魔と戦っているように見えます。
でも、下の方に死者がたくさんいるので、最後の審判のようにも見えます。
キリストはたくさんの札のようなものの上に立っていようです。 -
天使やイエスの目線をよく見ると……
-
黒い河に沈んだ、赤い円を抱くガイコツのような白い人物像
不思議な図像です。なんの図像かわかりません。
でも、妙に惹かれました。
西欧の中世絵画の重要なテーマに「死の舞踏」があり、それに惹かれる気持ちに似ていました。
トレチャコフ美術館・後編・おわり。
「ゆったり楽しもうロシア再訪2015年─モスクワとカザン─【第7日目】(3)ククラチョフ猫劇場の猫ネコねこ博物館」へとつづく。
https://4travel.jp/travelogue/11144415
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