2016/05/28 - 2016/05/28
50位(同エリア272件中)
ベームさん
5月28日、4日目。
今日はザンクト・ガレンから4番目の訪問地バーゼルです。スイスの北西部に位置し人口17万人、スイス第3の都市。
町を東西にライン川が流れドイツ、フランス、スイス3国が接していて鉄道駅も3か国の駅があります。
見どころはライン川の南岸の旧市街地に集中しています。
古来学問芸術の盛んな地で、バーゼル大学は1460年創立のスイス最古。エラスムス、ニーチェ、ヘッセなど多くの文化人ゆかりの地でもあります。
ヘルマン・ヘッセは1881から1886年の幼年時代、1899から1904年の書店員時代と2度居住しており、書店員時代にはのちにバーゼルの名花と言われた名門ラ・ロシュ家の令嬢エリーザベトに恋をして、「あなたは小説を書きなさい、いいのが出来たら読んであげるは」、と軽くいなされてしまう。彼女は生涯独身で晩年にはヘッセとの交流も復活した。ヘッセとの思い出を語るのが楽しみだったという。
ヘッセの小説に度々エリーザベトという名の女性が現われるのはこのせいかもしれない。1904年に結婚した最初の夫人マリア・ベルヌリはバーゼルの人で、結婚式はバーゼルで挙げている。1924年ヘッセ2度目の結婚のときも短期間ではあるがこの地のホテルに妻と滞在している。
等々とりわけヘッセにとってバーゼルはゆかりの深い町でした。
写真はバーゼル大聖堂。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船
- 航空会社
- スイスインターナショナルエアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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バーゼル。地図左上④。
ザンクトガレン~チューリヒ~バーゼル。 -
ザンクト・ガレン発7:42のIR。
チューリヒでICに乗換え。 -
スイス鉄道の車両。
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古い車両のようです。
スイスの鉄道は空いていて相席になったことは殆どなかったです。 -
バーゼルSBB着9:53。
バーゼルにはフランス、ドイツのバーゼル駅もあります。 -
バーゼル駅構内。
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バーゼル駅。
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今日の宿は駅前にあるホテル・オイラー。
1泊1万1千円、朝食なし。
バーゼルのホテルに宿泊すると「モビリティチケット」と云うのをもらえます。市内交通に利用できます。 -
早速モビリティチケットを使ってトラム8に乗り向かったのはシュッツェンマット公園。シュッツェンハウスで下車。
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シュッツェンハウス停留所。
曇天です。 -
シュッツェンマット公園。
昔射撃場があったのでこの名が付いています。 -
こんな所に寄ったのはヘッセが幼いバーゼル時代の楽しい思い出としてこの公園でチョウをとって遊んだことを何かに書いていたからです。
父が教師として勤めていたバーゼル伝道会の住まいから子供の足で歩いて20分くらいだったと思います。ヘッセ4歳から8歳のころのことです。
ああこんな所か、と云うだけの事でした。 -
公園の近くにあるパウルス教会。
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シュッツェンマット通り。
次に歩いて向かったのはニーチェの住まいです。ニーチェは1869から1879年の間バーゼル大学の教授を務めていました。 -
10分ほど歩いてシュパーレントーア通り。
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シュパーレントーア通り48番地。
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このアパートにニーチェが住んでいました。
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「ここにフリードリヒ・ニーチェが1875から1876年の間住んでいた」
バーゼル時代10年間の内の2年足らずです。ほかの住まいは何処に在るか分かりませんでした。 -
次はヘッセの住まいを探しました。
モスタッカー通り。 -
モスタッカー通り。
左手の3階建ての建物。 -
ここにヘルマン・ヘッセが住んでいました。
ニーチェの住まいから10分足らずです。 -
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「この家にヘルマン・ヘッセが1900年4月17日から1901年5月2日まで住んでいた」。
ヘッセ23歳、チュービンゲンのヘッケンハウアー書店からバーゼルに移りライヒ書店で書店員をしていた時です。
ヘッセはバーゼルに1899年から1904年までライヒ及びヴァッテンヴュール書店で働いていました。この間にヘッセは新聞に寄稿したり詩集「ヘルマン・ラウシャー」を出したり「ぺーター・カーメンチント/郷愁」、「車輪の下」の執筆を始めるなど文筆家として徐々にその名を知られるようになった時代でした。名家の令嬢に失恋しまた最初の妻を得たのもこの地でした。 -
オイラー通りのユダヤ教会、もとシナゴーゲ。
ニーチェとヘッセの住まいをうまく見つけられて気分よく歩きます。 -
ホルバイン通りの聖マリエン教会。
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聖マリエン教会。
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シュタイネングラーベン通りに出てバス停シュタイネンシャンツェでバス30に乗りシュパーレントーア/シュパーレン塔に行きました。
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シュパーレントーア。
旧市街地を取り囲んでいた城壁の一部。尖塔の高さ40m、1933年の復元だそうです。
ここ辺りも幼少ヘッセの遊び場所でした。ヘッセは絵が好きで運動好きの活発な子だったそうです。 -
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塔の内側。
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シュパーレントーアからミッション通りを5分ほど歩くとホテル・ビルドゥングス・ツェントルムがあります。
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これが元バーゼルの伝道館です。
伝道館の教師を務める父、母と共にヘッセが1881年から1886年まで/4歳から8歳まで住んでいた所です。
1886年一家はカルフに戻ります。 -
1884年(明治17年)、同志社大学創立者の新島襄がヨーロッパ旅行の途次ここを訪ねています。
ヘッセ7歳の時でヘッセは新島の事を憶えていたそうです。ヘッセの母の日記にも新島訪問のことが書かれています。 -
バーゼル伝道館200年記念。
1815~2015年。
ヘッセ一家がここに住んでいたという痕跡はありませんでした。ホテルの中には伝道館の記録があるそうですが、扉は重々しく締まっており入りそびれました。 -
この泉も当時からあったのでしょうか。
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ホテルの前からシュパーレントーアがすぐそこです。
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シュパーレントーアからバーゼル大学の方に歩きました。
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ペーター広場。
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ガラクタ市が開かれています。
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まさにガラクタ。
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バーゼル大学。
1460年創立のスイス最古の大学。
教授にエラスムス、ブルクハルト、ニーチェ、ヤスパースなど。卒業生にツヴィングリ(宗教改革者)、ユング(心理学者)など。 -
広場の片隅に建つヨハン・ペーター・ヘーベル像。
バーゼル生まれのドイツの詩人、小説家。1760〜1826年。方言文字研究の先駆者。
日本人にはなじみがないが、民衆の間に伝わっている伝承や生活風習を暦話にした「ドイツ暦物語」は広くドイツ語圏の国では読まれているそうです。 -
広場の先にある聖ペーター教会。
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ここには古い壁画がありました。
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時と共に薄れていくのでしょうか。
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聖ドロテア。1510年頃。
311年キリスト教信仰のためカッパドキアで殉教したとされる。
処刑されるとき群衆の一人が「天国のキリストの庭から果物を持ってきてくれ」と嘲笑した。すると一人の男の子が果物を盛った籠を持って現れドロテアに手渡した。
ドロテアの絵には大抵果物かごが描かれます。園芸の守護詩人。 -
絵葉書。
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キリスト埋葬。
1350年頃。
貴重な遺産と思いますが特に保護されていません。 -
聖ペーター教会。
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ライン川の方に下って行きます。
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ホテル、レ・トロワ・ロワ。
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正面には3人の王の像。
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ミットレレ橋。
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ライン川、下流方面。
ボーデン湖から流れ出たライン川はこの先、ドイツ、フランス、スイス3国が接する辺りで流れを北に変えます。バーゼル港は北海からライン川を遡ってくる外航船の最上流地だそうです。 -
馬を連れるアマゾン。
カール・ナタン・ブルクハルト作。 -
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橋の中ほどにある礼拝堂。
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上流方面。
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左岸/南岸の景色。
大聖堂の塔が見えます。 -
左岸。
聖マルティン教会と塔です。 -
右岸、ミットレレ橋の近くに建つホテル・クラフト。
ここもヘッセと少し縁があります。 -
ホテル・クラフト。
1924年、最初の妻マリーア・ベルヌリと離婚したヘッセは20歳年下の歌手ルート・ヴェンガーと結婚、しばらくこのホテルに住んだ。
46歳の初老で神経衰弱気味ののヘッセ、自分の娘のような若い妻、うまく行くはずがない。
ヘッセは結婚草々妻をホテルに残しモンタニョーラの自宅に帰り別居してしまう。
結局の所ヘッセは妻から夫として不適格とされ離婚されてしまう。1927年。
ヘッセも男、前の妻は9歳も年上だったし、若い美しい女性に惹かれたのかもしれませんがこの結婚は軽率でしたね。 -
ヘッセとルート・ヴェンガー。
モンタニョーラのヘッセ博物館のスライド写真。 -
同。
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ミットレレ橋を左岸に戻り狭い階段を登りました。
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登った先の聖マルティン教会。
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教会の前の泉。
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坂を向こう側に下りるとマルクト広場です。
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市場が開かれていました。
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西洋の町でちょっとした広場に市が出るのは風物です。
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ひときわ目に付く赤い建物。
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市庁舎です。
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1501年のバーゼル市のスイス連邦加盟を記念し建てられ1514年完成しました。19世紀に改修され時計塔は20世紀初めのものです。
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出窓。
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3階にわたる大きな出窓です。
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旗はバーゼル市の紋章。
時計の上の旗手像のオリジナルは市庁舎の中に保管されています。 -
時計を飾る像は左からハインリヒ2世、正義の女神ユスティチア、ハインリヒ2世妃クニグンデ。
このオリジナル像も市庁舎内に保管されていて数枚後に出てきます。 -
中に入るとそこにも壁画が。
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2階の回廊。
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市庁舎のファサードの時計の上に立つ旗手像のオリジナル。
1510年頃。 -
市庁舎のファサードの時計を飾る3体の像のオリジナル。1510年頃。
左からハインリヒ2世、正義の女神ユスティチア、ハインリヒ2世妃クニグンデ。 -
マルクト広場から南東に延びるメインストリート、フライエ通り。
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同。
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同。
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疲れたので通りのカフェで一休みしました。
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ミュンスター広場に来ました。
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バーゼルのミュンスター/大聖堂です。
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12世紀の創設で今の建物は19世紀のもの。
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以下荘厳な堂内です。
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祭壇と大きな燭台。
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後陣の後ろのステンドグラス。
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内陣から身廊方向。
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側廊。
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大聖堂を出てバーフュッサー広場の方へ。
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広場の一角にあるバーゼル歴史博物館。
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元バーフュッサー教会。
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バーゼルの歴史的遺物、大聖堂の宝物、古地図、死の舞踏をモチーフにしたフィギュアーなどが収蔵されたいます。
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中:聖アンナ(マリアの母)、聖母マリアとイエス。
左:聖杯を持つ聖バルバラ。3世紀小アジアの異教徒の娘。男から避けるため父により塔に幽閉される。キリスト教に帰依したため父により斬首される。建築家、消防士などの守護聖人。持ち物は塔、聖杯など。
右:書物を持つ聖アグネス。キリスト教禁制時代の3世紀初めのローマ。高官の息子の求婚を拒み娼婦に落とされ裸で街を引き回される。その時彼女の髪の毛が長く伸びその裸身を覆ったとされる。純潔、少女の守護聖人。持物は子羊。 -
左:座るマリアと幼子。1500年頃。
中:三日月の上のマリア。1480年頃。
右:膝まずくマリア。1500年頃。 -
竜と聖マルガレータ。16世紀初め。
3世紀末の小アジアの異教徒の娘。総督の求婚を拒み、キリスト教を信仰していたため投獄される。悪魔が変じた竜に飲み込まれるが持っていた十字架で竜の腹を切り裂き逃れ出た。最後は斬首され殉教。妊婦、出産の守護聖人。必ず竜と共に描かれる。 -
聖カタリーナ。1460年頃。
3世紀末ころのアレキサンドリアの高官の娘。ローマ皇帝にキリスト教徒迫害を止めるよう説得、皇帝方を論破した。皇帝は彼女に言い寄り拒否されると投獄し、釘を打った車輪に縛り付け処刑しようとした。何度やっても車輪は壊れてしまい最後は斬首された。機械工、紡績業、少女の守護聖人。壊れた車輪と共に描かれる。 -
ロバに乗りイエスのエルサレム入城。
そこでキリストは最後の数日を過ごし十字架上の人となる。
ロバはのろまですが平和の象徴です。 -
キリスト復活の両開きの祭壇。1520年頃。。
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有名な「バーゼルの死の舞踏」。
オリジナルは15世紀に教会の墓の外壁に描かれていたものだが1805年に破壊され、ヨハン・ルドルフ・ファイヤーアーベントという画家が復元されたものを模写した。水彩画です。
昨年フュッセンで同じような「フュッセンの死の舞踏」を見ました。 -
写りが悪いのでウィキから借用しました。
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部分。
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部分。
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部分。
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バーゼルの死の舞踏の人形。
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ピエタ。
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ブラウンシュヴァイクのハインリヒ獅子公伝説のじゅうたん。
1460年頃。 -
広場は縁日みたいに様々な出し物がありました。
木製の手回し観覧車。回す人は大変。 -
ティンゲリーの噴水。1977年。
ティンゲリー:スイスの現代美術工芸家。1925〜1991年。
廃物を利用した動く彫刻で有名。 -
同。
バーゼルにティンゲリー美術館もあります。 -
バーゼルの締めくくりに市立美術館に行きました。
中世から近代にいたる西欧絵画、ホルバインのコレクションが充実しています。 -
1671年創設の世界最古の公共美術館かつヨーロッパ有数の美術館。
リニューアルし今春再オープンしたばかり。 -
中庭にロダンの「カレーの市民」。
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撮影禁止のため幾つか絵葉書で収蔵品の一部を紹介します。
ルーカス・クラーナハ:パリスの審判。1528年。 -
ルーカス・クラーナハ:聖母と幼子。1529年。
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ニクラウス・マニュエル:パリスの審判。1518年。
ベルン生まれの画家、政治家。1484〜1530年。 -
ジェラール・ダヴィッド:楽奏する天使たちの間の聖母と幼子。1495年頃。
ブルージェで活躍したルネサンス期の画家らしいです。 -
パブロ・ピカソ:椅子に座る帽子を被った女性。1942年。
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アンリ・ルソー:詩人に霊感を与える女性/ミューズ。1909年。ギヨーム・アポリネールとマリー・ローランサンがモデルとも。
アンリ:ルソー:フランス。1844〜1910年。
税関に在職中から絵を描きはじめ(いわゆる日曜画家)、49歳で退職し本格的に絵に専念する。通称ル・ドゥアニエ/税関吏。 -
まだカートゥーン博物館など行きたい所はありますが足の痛みが限界なのでホテルに帰ります。
途中寄った聖エリーザベト教会。 -
聖エリーザベト教会。
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バーゼル駅前にある国際決済銀行。
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国際決済銀行。
これでバーゼルは終わりです。ゆっくり休んでもう1日欲しい町でした。明日はルツェルンに行きます。
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この旅行記へのコメント (8)
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- abianさん 2017/08/24 22:52:31
- おかげで助かりました。
- ベームさんの旅行記は、こちらの会員になる前にネット検索で拝見し、すごい!行った人がいるんだ、私が行こうとしているところに。。。と、お写真を見て行かずともいいか・・って満足しそうになっていました。
あとは、帰ってから見ようと思って、楽しみにしておりました。
で、スイスは、ガイエンホーフェンとシュタインアムラインとシャフハウゼンとシルスマリアとモンタニョーラとチューリッヒとバーデンとベルンは私も参りました。
ヘッセさんや、ニーチェさんが見た景色を見たい、空気を吸いたい風を感じたいと計画を立てたのですが、その行き先がほぼベームさんと同じで、少しショックでありかつ少しうれしかったです。
けして真似をして行ったわけではないのですよ。計画は半年前から立てていたので。
それで、助かったのは、バーゼルで、ニーチェの家とヘッセの家をみつけているときに、大体の住所はネットで調べて把握していたのでグーグルマップに印をつけたのですが、そのあたりになにか書いてあるわけでなく、困ったな、みつからないか、あきらめるか、と思った時に、あ、ベームさんの記事におうちの写真あるかも!と思い立ち、見たらありまして、それで、みつけることができました。
本当にありがとうございました。
私も写真の整理がてら旅行記を書こうと今書いている最中です。まだスイスに入っていませんが。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
- ベームさん からの返信 2017/08/25 12:00:24
- RE: おかげで助かりました。
- abian1stさん、
メッセージ有難うございました。
不思議ですね、好みというか関心というか波長が合っていたのですね。ガイエンホーフェンとかシルス・マリアとかモンタニョーラなんてまず旅行記でお目にかかれない所ですから。
私もやはりヘッセやニーチェの吸った空気を味わってみたいと訪ね歩いたものです。同好の方がおられて嬉しい限りです。
ヴュルツブルクのヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの墓、お花を手向ける人が居るのですね。私が行ったときはなにも墓を飾るものは無く侘しいものでした。
ネルトリンゲンを出てすぐにある川と城、あれはヴェルニッツ川とハールブルク城です。ヴェルニッツ川はすぐ南のドナウヴェルトでドナウ川と合流しています。
これからの旅行記、スイス編楽しみにしています。
ベーム
- abianさん からの返信 2017/08/25 18:19:53
- RE: RE: おかげで助かりました。
- ベームさま
ご返信いただき有難うございます。うれしいです。
それに、ヴェルニッツ川とハールブルク城
あの車窓からたまたま写しただけの城と川の名前を教えてくださるなんて、信じられない、なんという博識をお持ちなんでしょう!記憶力もすごいです。
旅行記が本当にしっかり書かれていて、もし仮に病気などで行きたくても彼の地に行けない方がいたとしても、その写真を見て充分満足できるクオリティーの高さ、こういう能力のある方もいるんだなぁ〜世の中は広いな〜と思うのみです。
しかし、その広い世の中で、どうしても行きたいところがあまり世に知られていない場所なのにそのすばらしい方と重なるというのが、私は嬉しいです。
昔の話になりますが、十代後半は毎日、ヘッセさんやドイツロマン派やツァラトゥストラとライン川やシュワーベン地方とスイスの山岳地帯や湖のことを考えて生きていました。でもその頃は行けなかったのです。
ようやく17年前にカルプやチュービンゲンやマウルブロンに行きました。
私が写せなかった写真はベームさんのを見させていただき、新たに感動しようと思います。もったいないので旅行記少しずつ見させていただきます。
ありがとうございました。
- abianさん からの返信 2017/08/25 18:27:06
- RE: RE: おかげで助かりました。
- 追伸
ヴュルツブルクのヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの墓も行かれていたのですね!さすがです!
あれ?
祭壇の横に扉があって、、と書かれていたのはベームさんでした?
どなたのサイトで見たかも忘れてしまっているので、
もしそうでしたら失礼しました。
お花があんなにあったことに関して、昨今、中世音楽ブームのようなものがあり、私はドイツのフォークトラッドバンドにも注目しているのですが、その中で、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデの歌が歌われるようになり再び脚光を浴びたのかもしれない...と思った次第です。違うかもしれませんが^^;
- ベームさん からの返信 2017/08/26 16:10:46
- RE: RE: RE: おかげで助かりました。
- abian1stさん、
いささかほめ過ぎです。実態はやたらにデジカメで写真を撮り、あちこちからの知識を寄せ集めてまとめただけのもので、そんなに持ち上げられてはお恥ずかしい限りです。
私もヘッセやドイツに興味を持ったのは学生時代のことで、ただ仕事からリタイアーするまでは夢見るだけでした。ようやく自由の身になり若いころからの夢が現実の物になり始めてから10年ちょっと、今度は早くも老いの壁にぶち当たりつつあります。まあ行きたい所はほぼ行きつくしたかとは思っていますのでこれで良しとしましょう。でもチュービンゲンとかマウルブロンなんて名前を聞かされるとぞろ心がうずいてしまいます。
ベーム
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- rinnmamaさん 2016/07/15 13:39:16
- バーゼル
- ベームさん、こんにちは
ドイツは,もはや行くべき所がない状態で今度はスイスを楽しまれたのですね。
お身体の調子もおよろしい由・・旅っていいですよね(^^)
ベームさんの懇切丁寧な旅行記で、胸のつかえがとれました。
何時もように観光本も手も足も出ない説明は、旅行前に見たかったものです。
と言いましたも、私たちは足跡を少し残しに行っただけですが・・・
いずれはスイスをと思っておりますので、最強の観光案内になります。
有難うございます。
私は教会には疎いので、本当にベームさんの知識には頭が下がります。
ホテル・レ・トロワ・ロワの3人の王の写真と、新館正面も写したはずが
無かったので、そうそうと拝見させて頂きました。
それに、市立美術館。。私は月曜日と改修中でダメでしたので残念だったのですが、他の方も素晴らしいとの事でしたので、良かったですね。
最後に一つお聞きしたいのですが、ベームさんの写真のティンゲリーの噴水の向こうに見える教会名は御存じですか?
私が調べた所ではOpen Church と明記したのですが・・・
お分かりでしたら教えて下さいませ。
プチ旅行にまいりますので、取り急ぎ、バーゼルを。
後日にじっくり拝見させて頂きます。
rinnmama
- ベームさん からの返信 2016/07/15 20:08:11
- RE: バーゼル
- rinnmamaさん、
今晩は、
書きこみ有難うございます。クリスマスマーケット時にバーゼルに行かれたのですね。
大聖堂の塔に登られたのは羨ましいというか素晴らしいです。私はもう高い所はエレベーターが無いと登れません。ミッテレル橋とかホテル・レ・トロワ・ロアの由来は知りませんでした。
ティンゲリーの噴水の向うの教会は聖エリーザベト教会だと思います。旅行記の終わりの方でご主人が大聖堂だと言われているのも聖エリーザベト教会です。月曜休館で名前が分からなかったMUSEUMは自然史博物館です。
私の旅行記が将来のrinnmamaさんのスイス旅行に少しでもお役にたてば幸いです。今回の私の旅行で良かったのは地方の小都市は別としてチューリヒ、バーゼル、ルツェルン、ベルンです。
ベーム
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- rinnmamaさん からの返信 2016/07/15 21:40:57
- RE: RE: バーゼル
- ベームさん、今晩は
早々にお返事ありがとうございます。
わからないので調べましたが、聖エリーザベト教会だったんですね!ありがとうございます。
訂正しておきます。
また、分からない美術館は自然史博物館だったんですね。こちらもありがとうございます。
私は昨年の一人旅では教会の塔に上りたかったのですが、以前に教会で怖い思いがあり上れずに心残りでしたので、今回は出来るかぎり上りました。
旅行前にウォーキングして、階段上りをして頑張りました(^-^)
何時まで上れるかわかりませんから・・
やはり、バーゼルは良いのですね(^-^)
ベルン、ルツェン、チューリッヒは外せない・・
暇な折に調べるのが楽しみです。
また、アドバイスをお願いすると思いますが、その節にはよろしくお願い致します。
色々ありがとうございました。
rinnmama
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