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高島とは京と北陸を結ぶ北陸道が通り、良港の勝野津(大溝港)があるなど古代から水陸交通の要衝だった。<br />古墳時代遺跡も数多い。<br />「万葉集」に高島を読んだ歌があり、歌碑として高島各所に設置されている。<br />中世以降は領有関係が複雑で、江戸初期に分部氏が大溝城主となってようやく安定。<br />大溝城旧三の丸付近から西に陣屋を構え、町割りも整備した。<br />大溝藩2万石は明治まで12代250年続いた。<br /><br />乙女ヶ池の風景がきれいでした・<br />白髭神社は、安芸の宮島のようで,美しい琵琶湖に鳥居がたつ情景がきれいでした。

湖面に映る歴史ロマンの高島を歩き

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2015/05/05 - 2015/05/05

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じゅんち

じゅんちさん

高島とは京と北陸を結ぶ北陸道が通り、良港の勝野津(大溝港)があるなど古代から水陸交通の要衝だった。
古墳時代遺跡も数多い。
「万葉集」に高島を読んだ歌があり、歌碑として高島各所に設置されている。
中世以降は領有関係が複雑で、江戸初期に分部氏が大溝城主となってようやく安定。
大溝城旧三の丸付近から西に陣屋を構え、町割りも整備した。
大溝藩2万石は明治まで12代250年続いた。

乙女ヶ池の風景がきれいでした・
白髭神社は、安芸の宮島のようで,美しい琵琶湖に鳥居がたつ情景がきれいでした。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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  • JR近江高島駅をおりました。

    JR近江高島駅をおりました。

  • JR近江高島駅の東南約150mにあります。石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の本丸跡です。<br />大溝城は新庄城(旧新旭町)にいた織田信澄(のぶすみ)が、天正6年に築城したもので、高島郡内の商家や寺院などを移して城下町を造りました。本丸の南東の乙女ヶ池は琵琶湖の内湖で、古地図によると、大溝城はこの内湖を巧みに利用した水城であり、「鴻溝(こうこう)城」とも呼ばれました。江戸時代に分部光信(わけべみつのぶ)が大溝藩主になると、この地を陣屋として12代光謙(みつのり)の明治維新までその統治が続きました。

    JR近江高島駅の東南約150mにあります。石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の本丸跡です。
    大溝城は新庄城(旧新旭町)にいた織田信澄(のぶすみ)が、天正6年に築城したもので、高島郡内の商家や寺院などを移して城下町を造りました。本丸の南東の乙女ヶ池は琵琶湖の内湖で、古地図によると、大溝城はこの内湖を巧みに利用した水城であり、「鴻溝(こうこう)城」とも呼ばれました。江戸時代に分部光信(わけべみつのぶ)が大溝藩主になると、この地を陣屋として12代光謙(みつのり)の明治維新までその統治が続きました。

  • イチオシ

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  • 亀がお天気なので、日光浴してるようです。

    イチオシ

    亀がお天気なので、日光浴してるようです。

  • 乙女ヶ池へ

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  • 旧西近江路とされる道があり、この道をあがった丘陵上には、花崗岩で造られた33体の石仏群があります。これらは鵜川四十八体仏(うかわしじゅうはったいぶつ)と呼ばれ、室町時代後半ころに造られた阿弥陀如来坐像であると考えられていますこの石仏は、観音寺城(安土町)の城主で、近江守護を務めた六角義賢(よしかた)が、天文22年(1553)に、亡き母の供養のために造立したものとされ、義賢は、観音寺城のある湖東から、この湖西の鵜川の地を阿弥陀如来の住む西方浄土(さいほうじょうど)に見立てたのではないかとも考えられています。

    旧西近江路とされる道があり、この道をあがった丘陵上には、花崗岩で造られた33体の石仏群があります。これらは鵜川四十八体仏(うかわしじゅうはったいぶつ)と呼ばれ、室町時代後半ころに造られた阿弥陀如来坐像であると考えられていますこの石仏は、観音寺城(安土町)の城主で、近江守護を務めた六角義賢(よしかた)が、天文22年(1553)に、亡き母の供養のために造立したものとされ、義賢は、観音寺城のある湖東から、この湖西の鵜川の地を阿弥陀如来の住む西方浄土(さいほうじょうど)に見立てたのではないかとも考えられています。

  • イチオシ

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  • 高島の歴史資料館へ

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  • 稲荷古墳

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  • 田中神社とJR安曇川駅、鴨稲荷山古墳を結んだ内側辺りが書紀に出てくる「三尾」の推定地という。田中神社自体は、平安時代に京都祗園さんを勧請した神社で、古墳群とは関係ない(と言っても敷地の端が田中36号墳に懸かっている)。丁度、居合わせた隠退した宮司さんに、この地域の特色や継体天皇に纏わる話を聞かせて貰った.<br />

    イチオシ

    田中神社とJR安曇川駅、鴨稲荷山古墳を結んだ内側辺りが書紀に出てくる「三尾」の推定地という。田中神社自体は、平安時代に京都祗園さんを勧請した神社で、古墳群とは関係ない(と言っても敷地の端が田中36号墳に懸かっている)。丁度、居合わせた隠退した宮司さんに、この地域の特色や継体天皇に纏わる話を聞かせて貰った.

  • 田中神社は<br />田園風景の中にある神社で、緑が美しい神社です。

    田中神社は
    田園風景の中にある神社で、緑が美しい神社です。

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