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≪2016.April≫あみんちゅ歴史に触れる旅 with no plan,沖縄本島その参之五~4日目前半:糸洲・大度・沖縄県営平和祈念公園編~<br /><br />毎年4月は恒例の1week&mulch island travelパターン。しか~しいきなりやっちゃった・・・。In のPeachは便を間違えて取り直し、帰りの石垣outに至っては入金し忘れて記録が消されてしまった・・・。自分の楽しみに対する不始末を人のせいにはしたくはないが、ややこしい輩が今職場におり、旅行前日に必ず厄介なことを起こす。結果期間短縮行き先変更を余儀なくされた・・・。こんなのがいることだけで不愉快な日々を送っているため、その息抜きの沖縄旅行であるもののそこでダメ出し食らうとは・・・。という経緯からNo Plan沖縄本島の旅が始まります。さあどんな弥次喜多道中が待っていたのでしょうか?最終日は帰るだけになるため、実質にはアクティビティー最終日の4日目の朝を迎えます。<br /><br />【平成28年4月17日日曜日】<br /><br />ペンション喫茶南の楽園 10:28 (0.0km:169.3km:0.0km/h)<br />糸洲第二  10:32 (0.9km:170.2km:13.9km/h)<br />外科壕跡  11:00<br />ファミリーマート 11:10 (5.3km:175.5km:31.2km/h)<br />糸 満 米 須 店   11:22<br />野戦重砲兵11:25 (1.5km:177.0km:30.0km/h)<br />二三連隊碑11:31<br />健児之塔  11:37 (2.0km:179.0km:20.0km/h)<br />12:12<br />平和祈念公園 12:14 (0.6km:179.6km:20.0km/h)<br />【ここまで】<br />----------------------------------------<br />【ここから後半】<br />平和祈念公園 17:40<br />イオンタウン 18:06 (15.6km:195.2km:35.5km/h)<br />南 風 原 店  18:52<br />ファミリーマート 19:20 (17.2km:212.6km:36.6km/h)<br />糸 満 米 須 店    19:31<br />みん宿ヤポネシア  19:35  (1.5km:214.1km:21.5km)//<br /><br />ついつい夜更かししてしまって起きたのは8:00きっかり。慌てて降りて行きます。オーナー&お母さんに挨拶をしてまずは一服。そういえば昨晩朝食の時間を言わなかったことを思い出し、もしかして朝食のオーダーを入れなかったかも・・・と思いながら談笑していると、絶妙のタイミングで〝お食事用意しましょうか?〟と聞いて頂きます。多くなく少なくもない品のいい朝食を頂きます。2泊お世話になったので今晩も・・・とも思いましたが、今日はまた違う常宿にしようと出発の準備をします。オーナーさんより最新の沖縄情報はいつ聞いても思いを掻き立てることばかりであり、次にはどんな情報が仕入れられるのかホント楽しみです♪<br /><br />荷物をまとめ、〝また6月に!〟と挨拶を交わし、4日目の行程をスタートさせます。まず最初に向かった先は、昨日訪れた糸洲第二外科壕です。時間が早かろうと見られるものは変わりませんが、夕暮れ時の写真ではあまりはっきりしたものではなく、取り直しの意味もありました。場所ははっきりしているのでさっと向かい、壕の前で手を合わせてから写真に収め、次へと向かいます。その前にいつもお世話になっているみん宿ヤポネシアに電話を入れ、空きを確認してから予約を入れます。奥さんが出られたのですが、〝今晩〟の話に少しあっけにとられていた様子。お世話掛けます。<br /><br />そして朝の定番行事、ファミリーマート糸満米須店にてドリンク&一服の後、毎回気になっていた大度の野戦重砲兵23連隊慰霊碑。糸満晴明病院入口にあるのですがやっと来ることができました。建立背景はともかく、敷地内から眺めることができる景色は電信柱は邪魔なものの本当に綺麗のひと言に尽きます。安らかにお眠り下さいと手を合わせて先へと急ぎます。<br /><br />健児之塔駐車場に車を停め、向かう先は摩文仁の丘の下に建立された慰霊碑群です。手前から風部隊の碑、独立臼砲第1連隊戦没者慰霊碑と軍部隊の慰霊碑をめぐり、そのまま海辺方向へと進むと南冥の塔があります。この南冥の塔は少し建立されたニュアンスが異なり、米軍兵士として沖縄戦に従軍された日系二世のヤマモトタツオ氏が、沖縄戦に於いて目のあたりにされた行き場を失い斃れた軍人軍属、住民の姿を忘れることができず、昭和29(1954)年9月に付近に散らばるように放置されていた遺骨12,000柱を集めて祀られたものになります。場所的に軍関連の慰霊碑と錯誤されていることもあると聞きましたが、そうではありません。<br /><br />またこの南冥の塔裏には壕がありますが、一般的な壕やガマと言われるものとは少し異なります。暗闇の中とは凡そ思えない切り立った岩の隙間のようなものであり、潜むのに適当な場所とは思えないものです。太陽光が降り注ぎ、照明など必要だとも思えませんが、やはり黒く焼き焦げている個所が火炎放射器による攻撃を受けたことを物語っています。こちらで何があったのか等疑問点は残るものの、多くの遺骨が沖縄戦没者墓苑に移された後も分骨として収められていることに、手を合わせご冥福を祈るしかありませんでした。<br /><br />そして今来た道を戻り、沖縄師範健児之塔へと向かいます。沖縄戦末期に学徒徴兵された沖縄師範男子部の生徒により構成された鉄血勤皇隊、その犠牲者を祀る慰霊塔になりますが、向かって左側に沖縄師範健児之塔、右側に平和の像が建立されています。平和の像の右側の少年から〝友情〟〝師弟愛〟〝永遠の平和〟を表現したモニュメントですが、実はこの平和の像右手前に初代の〝健兒之塔〟が建立されています。魂魄之塔、ひめゆりの塔、白梅之塔の初代が建立された時期は、敗戦後のもののない時代ゆえ、慰霊碑を建立するにも資材がありませんでした。ひめゆり学徒であった娘2人を失った金城和信先生が作られたものとして、歴史の証人になっていることには違いはなくとも、やはり後からできた立派な慰霊碑が独り歩きしてしまい、あたかもそのものと誤解されている事実には残念に思うところはあります。謂れがあるから建立された慰霊碑が存在する・・・それは最小限理解して頂きたいように思います。6月の慰霊の日には多くの参拝者がおられ、花々に囲まれていましたが、やはりシーズンオフではそこまではいかないようでした。<br /><br />ここまでが摩文仁の丘下方に建立されている慰霊碑群となりますが、今までひとつ訪れていなかった場所があります。平和の像の下、一旦摩文仁の丘へと登る道を歩き始めるとすぐに右手に進む道があります。健児之塔下の壕と呼ばれる場所ですが、この場所でも追い詰められた鉄血勤皇隊の学徒達が米軍の執拗な攻撃を受け、戦死・自決・斬り込みなどにより多くの犠牲者を出しています。平和の像真下には納骨堂が作られており、やはり多くは沖縄戦没者墓苑に移されたものの、分骨として残されていることを知りました。現在では砲弾の嵐などある訳はありません。しかし70年前に進退窮まった学徒達がどのように考えていたのかは知る由もありません。同じことの繰り返しにしかなりませんが、ご冥福を祈って手を合わせることしかできません。<br /><br />この健児之塔から摩文仁の丘には階段があるのですが、一度夏に歩いて死ぬ思いをしたため車に戻って沖縄県営平和祈念公園へと向かいます。まず最初は平和の礎で祖父と島田叡知事の名前を探します。沖縄工業健児之塔に立ち寄った後平和祈念資料館を見学します。<br /><br />【後半に続く】

≪2016.April≫あみんちゅ歴史に触れる旅 with no plan,沖縄本島その参之五~4日目前半:糸洲・大度・沖縄県営平和祈念公園編~

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2016/04/14 - 2016/04/18

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

≪2016.April≫あみんちゅ歴史に触れる旅 with no plan,沖縄本島その参之五~4日目前半:糸洲・大度・沖縄県営平和祈念公園編~

毎年4月は恒例の1week&mulch island travelパターン。しか~しいきなりやっちゃった・・・。In のPeachは便を間違えて取り直し、帰りの石垣outに至っては入金し忘れて記録が消されてしまった・・・。自分の楽しみに対する不始末を人のせいにはしたくはないが、ややこしい輩が今職場におり、旅行前日に必ず厄介なことを起こす。結果期間短縮行き先変更を余儀なくされた・・・。こんなのがいることだけで不愉快な日々を送っているため、その息抜きの沖縄旅行であるもののそこでダメ出し食らうとは・・・。という経緯からNo Plan沖縄本島の旅が始まります。さあどんな弥次喜多道中が待っていたのでしょうか?最終日は帰るだけになるため、実質にはアクティビティー最終日の4日目の朝を迎えます。

【平成28年4月17日日曜日】

ペンション喫茶南の楽園 10:28 (0.0km:169.3km:0.0km/h)
糸洲第二 10:32 (0.9km:170.2km:13.9km/h)
外科壕跡 11:00
ファミリーマート 11:10 (5.3km:175.5km:31.2km/h)
糸 満 米 須 店 11:22
野戦重砲兵11:25 (1.5km:177.0km:30.0km/h)
二三連隊碑11:31
健児之塔 11:37 (2.0km:179.0km:20.0km/h)
12:12
平和祈念公園 12:14 (0.6km:179.6km:20.0km/h)
【ここまで】
----------------------------------------
【ここから後半】
平和祈念公園 17:40
イオンタウン 18:06 (15.6km:195.2km:35.5km/h)
南 風 原 店  18:52
ファミリーマート 19:20 (17.2km:212.6km:36.6km/h)
糸 満 米 須 店 19:31
みん宿ヤポネシア 19:35 (1.5km:214.1km:21.5km)//

ついつい夜更かししてしまって起きたのは8:00きっかり。慌てて降りて行きます。オーナー&お母さんに挨拶をしてまずは一服。そういえば昨晩朝食の時間を言わなかったことを思い出し、もしかして朝食のオーダーを入れなかったかも・・・と思いながら談笑していると、絶妙のタイミングで〝お食事用意しましょうか?〟と聞いて頂きます。多くなく少なくもない品のいい朝食を頂きます。2泊お世話になったので今晩も・・・とも思いましたが、今日はまた違う常宿にしようと出発の準備をします。オーナーさんより最新の沖縄情報はいつ聞いても思いを掻き立てることばかりであり、次にはどんな情報が仕入れられるのかホント楽しみです♪

荷物をまとめ、〝また6月に!〟と挨拶を交わし、4日目の行程をスタートさせます。まず最初に向かった先は、昨日訪れた糸洲第二外科壕です。時間が早かろうと見られるものは変わりませんが、夕暮れ時の写真ではあまりはっきりしたものではなく、取り直しの意味もありました。場所ははっきりしているのでさっと向かい、壕の前で手を合わせてから写真に収め、次へと向かいます。その前にいつもお世話になっているみん宿ヤポネシアに電話を入れ、空きを確認してから予約を入れます。奥さんが出られたのですが、〝今晩〟の話に少しあっけにとられていた様子。お世話掛けます。

そして朝の定番行事、ファミリーマート糸満米須店にてドリンク&一服の後、毎回気になっていた大度の野戦重砲兵23連隊慰霊碑。糸満晴明病院入口にあるのですがやっと来ることができました。建立背景はともかく、敷地内から眺めることができる景色は電信柱は邪魔なものの本当に綺麗のひと言に尽きます。安らかにお眠り下さいと手を合わせて先へと急ぎます。

健児之塔駐車場に車を停め、向かう先は摩文仁の丘の下に建立された慰霊碑群です。手前から風部隊の碑、独立臼砲第1連隊戦没者慰霊碑と軍部隊の慰霊碑をめぐり、そのまま海辺方向へと進むと南冥の塔があります。この南冥の塔は少し建立されたニュアンスが異なり、米軍兵士として沖縄戦に従軍された日系二世のヤマモトタツオ氏が、沖縄戦に於いて目のあたりにされた行き場を失い斃れた軍人軍属、住民の姿を忘れることができず、昭和29(1954)年9月に付近に散らばるように放置されていた遺骨12,000柱を集めて祀られたものになります。場所的に軍関連の慰霊碑と錯誤されていることもあると聞きましたが、そうではありません。

またこの南冥の塔裏には壕がありますが、一般的な壕やガマと言われるものとは少し異なります。暗闇の中とは凡そ思えない切り立った岩の隙間のようなものであり、潜むのに適当な場所とは思えないものです。太陽光が降り注ぎ、照明など必要だとも思えませんが、やはり黒く焼き焦げている個所が火炎放射器による攻撃を受けたことを物語っています。こちらで何があったのか等疑問点は残るものの、多くの遺骨が沖縄戦没者墓苑に移された後も分骨として収められていることに、手を合わせご冥福を祈るしかありませんでした。

そして今来た道を戻り、沖縄師範健児之塔へと向かいます。沖縄戦末期に学徒徴兵された沖縄師範男子部の生徒により構成された鉄血勤皇隊、その犠牲者を祀る慰霊塔になりますが、向かって左側に沖縄師範健児之塔、右側に平和の像が建立されています。平和の像の右側の少年から〝友情〟〝師弟愛〟〝永遠の平和〟を表現したモニュメントですが、実はこの平和の像右手前に初代の〝健兒之塔〟が建立されています。魂魄之塔、ひめゆりの塔、白梅之塔の初代が建立された時期は、敗戦後のもののない時代ゆえ、慰霊碑を建立するにも資材がありませんでした。ひめゆり学徒であった娘2人を失った金城和信先生が作られたものとして、歴史の証人になっていることには違いはなくとも、やはり後からできた立派な慰霊碑が独り歩きしてしまい、あたかもそのものと誤解されている事実には残念に思うところはあります。謂れがあるから建立された慰霊碑が存在する・・・それは最小限理解して頂きたいように思います。6月の慰霊の日には多くの参拝者がおられ、花々に囲まれていましたが、やはりシーズンオフではそこまではいかないようでした。

ここまでが摩文仁の丘下方に建立されている慰霊碑群となりますが、今までひとつ訪れていなかった場所があります。平和の像の下、一旦摩文仁の丘へと登る道を歩き始めるとすぐに右手に進む道があります。健児之塔下の壕と呼ばれる場所ですが、この場所でも追い詰められた鉄血勤皇隊の学徒達が米軍の執拗な攻撃を受け、戦死・自決・斬り込みなどにより多くの犠牲者を出しています。平和の像真下には納骨堂が作られており、やはり多くは沖縄戦没者墓苑に移されたものの、分骨として残されていることを知りました。現在では砲弾の嵐などある訳はありません。しかし70年前に進退窮まった学徒達がどのように考えていたのかは知る由もありません。同じことの繰り返しにしかなりませんが、ご冥福を祈って手を合わせることしかできません。

この健児之塔から摩文仁の丘には階段があるのですが、一度夏に歩いて死ぬ思いをしたため車に戻って沖縄県営平和祈念公園へと向かいます。まず最初は平和の礎で祖父と島田叡知事の名前を探します。沖縄工業健児之塔に立ち寄った後平和祈念資料館を見学します。

【後半に続く】

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー JRローカル 自家用車 徒歩 Peach ジェットスター
旅行の手配内容
個別手配

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