2016/05/03 - 2016/05/06
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mikoyan358さん
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2016年5月3日~6日に、東北太平洋岸4県(青森・岩手・宮城・福島)をレンタカーで旅行しました。
震災前後にも行く機会のあった地域に加え、名前だけは知っていても未訪問だった地域も多数。
うまいものをたらふく食べて地域貢献しつつ、復興の状況が実際にはどのようなものなのか、そしてその教訓から学ぶべきことを探すことを主眼に置いた旅でした。
※震災の遺構なども、現状をありのままに伝える意味で掲載いたします
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅行3日目。
この日は、行程の中で一日の移動量が最も多い日になります。
昨日寄れなかった場所もあったので、7時半の朝食の前に出かけることにしました。浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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この旅行で頑張ってくれたレンタカー。
車種はアクアですが、さすが燃費が良く、大館からいわきまでの道中での給油はこの後の気仙沼の1回きりでした。 -
何度も報道などで名前を聞いていて、一度ありのままを見ておかなければならなかった場所。
鵜住居地区から湾を挟んだ対岸にある、大槌町です。 -
カーナビの地図を見る限り、我々は街なかに入ってきているように見えますが...
-
本当に、見渡す限り、盛土と造成中の土地しか目に入らず、半径1キロ以内に人のいる気配がない場所ばかりです。
大槌町で亡くなったり行方不明になった方は、人口の10分の1近い1,200人あまり。
この地域ではかなり規模の大きい街であり、海に面した平地が多かったことが理由かと思いますが...
車を走らせながら、ただ「何もない」ことに衝撃を受け続けていました。 -
こちらが、大槌の被害の大きさを今に伝えている、旧大槌町役場。
地震発生後、役場の建物の被害が大きかったため、市長をはじめとした職員はいったん屋外に出て災害対策本部を設置しようとしましたが、その後大きい津波がやってくるということで慌てて上階に避難しようとしたもののその途中で波が到達してしまい、市長をはじめとした40人もの職員の方に犠牲が出てしまいました。
その対応に問題はなかったのか、という指摘があがっていますが、やはり「最初に3メートルの津波という情報が出たまま停電等で更新されなかった」ということは影響しているのだと思います。
海岸線からは300メートルくらい入ったところにあり、一見して海がある印象はこの場所にはありませんでしたし、まさかここまでは、というのは私でも思ってしまいます。 -
かつて大槌の街の人々に時を伝えていたであろう大時計は、「あの時間」で止まっています。
津波はこの役場の2階天井付近まで達し、屋上にたどり着けていたわずかな人を残して皆流されてしまいました。
最近になって、その時に職員の方が撮影した写真が公開されました。
http://www.asahi.com/articles/ASH806X01H80ULZU00P.html -
おそらく津波で家などが激突した影響で、至る所が激しく破壊されています。
地元では「保存」と「解体」が真っ二つに分かれているこの庁舎。
どちらの思いも理解できるものであり、判断が非常に難しいところです。
実際にこの場所で亡くなった方がいるだけに、田老のホテルとはまた状況が違いますしね...
建物の前には慰霊碑と観音像があり、花が手向けられていました。
今回は、観光客として食べて買って何らかの貢献ができればと考えていましたが、ここまで何もなくなってしまうと何が出来るのかすらわからなくなります。
今できる数少ないこととして、犠牲になったすべての方に向けて手を合わせるのが精いっぱいでした。。 -
大槌川にそって内陸方面へと走りますが、古くからある家が初めて見えてきたのは国道45号のはるか先、海岸線から1キロほど入ったところでした。
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そこから海側は、山際にへばりついたお寺やマンションを除いては、造成の真っ最中。
カーナビとも、事前にグーグルマップで見ていたのとも違う道が出来ていました。
言葉少なに、この街をあとにします。 -
宿に戻り、お待ちかねの朝食。
シンプルですがどれも丁寧に吟味されたもので、食が良く進みます。浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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お魚も皮がパリッと仕上がっていて、朝から豪華な気分。
あと、自由に取れる自家製のパンがもっちりしていて素晴らしく、今日もいろいろ途中で食べようと思っていたのにこの時点ですっかりお腹いっぱいになりました。浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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食事のあとは、女将さんが主催する「震災・津波の経験を伝える」語りの会。
ロビーに椅子が用意されていたので待っていたら、女将さんが登場し慣れた手つきでPCを操作しパワーポイント書類や動画を開いていました。
この年齢(って正確なところはよく知りませんがw)でこれだけ使いこなせるのは、やはり研究熱心で機転がきく女将さんらしいなあと思います。浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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見せていただいたのは、女将さんをクローズアップしたテレビのドキュメンタリーでした。
前日の相撲甚句の時にも「津波にのまれて奇跡的に助かった女将」という一説が出てきていて、詳細を知らない私の頭には?マークがついていたのですが、改めて実際にここであった事をドキュメンタリーで知り、絶句。
当日、地震発生後に津波が襲来するということで、女将さんは宿泊客や従業員をホテルのすぐ裏の山へと避難させていました。
左がホテルの建物。ちょうど、正面に写っているところがその避難場所ですね。浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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ドキュメンタリーには、当時の従業員が撮影したという映像で、その時起こったことが克明に記されていました。
一度、高台の安全な場所にたどり着いた女将さん。
しかし、女将さんはまだ逃げ遅れている人がいるのを見つけ、高台を降りてしまいます。
そして、人々を引き連れて旅館の脇にあるこの駐車場へと入ったところで、背後から津波が。
高台の人々の「早く!」「逃げて!」という声を聞いて女将さんは地元の人を連れ走りますが...
この高台にたどり着く寸前で津波にのまれてしまいました。
映像はここまで。浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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その後、誰もが最悪の状況を想像した中、しばらくすると女将さんの声が聞こえてきたそうです。
何かに引っかかったか、奇跡的に引き波に飲み込まれることなく女将さんは命をつなぎました。
自分が見てきた、そして今いる場所で起こった出来事。
映像の中には「宝来館」と書かれたバスがやすやすと流されていく場面もあり、田老のホテルの時と同じく「自らの縮尺に置き換えて」事実を飲み込むことができます。
この一件以降、女将さんは「与えらえた命なので、震災の怖さを伝えることを使命として」行動していると仰っていました。
人によっては、語りたくないほどのトラウマになるような経験。
それを、正面から受け止めて人々に幅広く紹介し、誰もが(もしこうした触れられ方をしなければ)避けて通りかねない話題を改めて深く考える機会を作ってくれています。
どんなに強い人なんだろう、この女将さんは。。浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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そして、女将さんの語りではもう一つ、将来への希望となるひとつの出来事が紹介されました。
昨日も少し目にしていましたが、宿から歩いて数分の場所にある、鵜住居小学校と釜石東中学校が建っていた場所。
建物はかろうじて残ったものの、学校は2つとも取り壊され、現在はラグビーワールドカップに向けたスタジアムが造成されています。
ひときわ高い盛土がラグビースタジアムを築けるほどに広がる様子が、まだこの時点ではなかなか想像できませんが...
地震が発生した後、停電で校内放送ができない中、まず小学生たちはいったん校舎の一番上、3階に集合しようとしたそうです。
その時、並んで建っているもう一方の東中学校の生徒たちは、我先にと第一避難場所である、数百メートル離れた高台のグループホームを目指して走り始めていました。
そして、その中学生の様子を見た先生たちのとっさの判断で、小学生たちもその後に続き、一目散に第一避難場所を目指しました
みんな走ってその第一避難場所へたどり着きましたが、今度は崖が崩れていて危険、という事でより高台にある2番目の避難場所の介護施設へ。
しかし...
そこへたどり着いたとき、背後からやってきた津波が家々を流していくのが見えたため、先生の「そのまま走れ!」の声とともに生徒たちはさらに奥、学校からは1キロ以上も離れている第三避難場所へと、必死に走りました。
あとで調べてみたら、第三避難場所は国道45号を越え、もう完全に山の中という感じです。
そこまで逃げて、やっと助かったんですね。
最初に話を聞いた時には、この写真の左手に写っている山に逃げたもんだとばかり思っていましたが... -
結果として、津波は第二避難場所までをも水没させたのですが、しかしながら地震発生当時に学校にいた小学生・中学生は、彼らの自主的な判断が功を奏し、驚くべきことに「一緒に逃げた全員が」助かることができたそうです。
(残念ながら、親御さんが連れ帰った生徒、そして学校に残った職員の方には犠牲が出てしまいましたが)
これは、この小学校・中学校では以前から津波を想定した訓練が何度も行なわれていたことが大きく影響していました。
そして、3.11を契機として我々もよく聞くようになった言葉「津波てんでんこ」を、しっかりと生徒たちが理解していたことが、この結果につながりました。
「津波てんでんこ」というと「津波が来たらてんでんばらばらに逃げろ」という意味と取られがちですが、その真意は、
・災害の時には、誰にも頼らず各人が自分の判断で逃げ、安全を確保する
・それを全員が行なうことで、お互いが逃げているという信頼感の中で、戻ったりその場に留まったりという事がなくなる
という、より個人の意思を明確に持とうというものです。
生徒たちの「てんでんこ」に対する認識が結実したこの出来事は、「釜石の奇跡」とも呼ばれています。
女将さんは、「これを奇跡にしてはならないから『釜石の出来事』と呼ぼう」と話されていました。
確かにそうですね。これが普通にできるようになることが、今回の震災の何よりの教訓になるはずですから。
こちらは、かつては見事だったという枯れた桜並木。
もうこの木に花が咲くことはなくても、この桜を見て育った子どもたちが未来に受け継ぐものは、この桜が咲かせるはずだった花の数よりも多いはず。 -
女将さんの貴重なお話を聞いたら、もう出発の時間が迫ってきました。
こちらは、かつての根浜海岸の海水浴の様子。
次に来る時には、これが完全に復活してはいなくとも、この辺で泳げるようになっていればいいな。浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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そして、次に来る時には、このスタジアムが完成し人々の歓声がこだましているはず。
3年後ですがあっという間だと思うので、早めに宝来館を予約しておかないと。浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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地元の釜石シーウェイブスの応援グッズも置いてありました。
トップリーグは全然見てませんでしたが、今後はシーウェイブス応援です!浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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素晴らしい食事と落ち着けるお風呂、そして何より力強い、どこからこのパワーが出てくるんだろうという女将さんの姿に感銘を受けた滞在でした。
最後も、車で出ようとしたら女将さんが大漁旗を振りながらお見送り。
また来ます!!浜べの料理宿 宝来館 宿・ホテル
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何度も往復した鵜住居の海沿いを後にし、釜石の中心街へ。
ここは3年前に一度訪れましたが、一見してその時と見た目は変わっていないように見えます。 -
中心街の目抜き通りには、多少空き地は目立つかな?とは思いましたが、それでもホテルや大きなドラッグストアなどが立ち並び、言われないとここがあの映像で何度も見た釜石の街であることに気づきません。
しかし、国道45号の降下をくぐり、港のより先の方へ進むと...
あの釜石の映像が撮影された、人々が避難していた高台が見えてきます。
ここからだったのか。。
ちなみに、あの時ここに避難した状態でカメラを回していた地元のテレビ局のカメラマンの方は、目の前にある家が流されそこに残してきた母親を失ったそうです。 -
その近くには、釜石市役所がありました。
そうか、橋野鉄鉱山も世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成要件でしたね。
同じ製鉄城下町の八幡出身としては強い親近感が沸きます。 -
震災関連のニュースで、釜石の街の中で撮影されていた、市街地の路地の横から津波が次々とやってきて...という映像を何度も目にしていました。
その映像は今年の3月にNHKで、スーパーコンピューターの「京」を使い、画面に映っていない水の動きがどうなっていたか、というドキュメンタリーでも使われ、非常に記憶に新しい状態でした。
この、釜石市役所の前のスロープからの眺め。
完全にその映像と後方の建物の配置が同じなので、ここから撮られた映像だったことがわかりました。
その映像では、この目の前の交差点の両側にも、その向こうにも住居そしてビルがあったはずなのですが、景色はすっかり一変してしまっています。
道の配置と遠くにある工場の建物だけが、数少ない当時と同じ姿です。
釜石で亡くなられた900名以上の方々に、改めて合掌。 -
釜石からは、国道45号線、そしてそれと並行してところどころで完成している三陸自動車道の無料区間を使いながら南下します。
その途中にあった「道の駅さんりく」。
ここも3年前に訪れた場所で、当時とほとんど変わっていません。 -
ここを素通りしてしまうと大船渡に何も関与できなくなってしまうので、腹いっぱいでしたが柿アイスを食べました。
柿の風味は...うーん微妙(笑)。 -
比較的三陸道の整備が進んでいる大船渡〜陸前高田の区間。
災害時のライフライン確保の意図もあってかなり海から離れた場所を走っているため、しばらくは特徴のない山がちな景色が続きます。
釜石から1時間ほど走ると、ようやく陸前高田が面する広田湾が見えてきました。
※帰宅した後しばらくして、レストランで広田産のカキを食べる機会に恵まれ、この辺の風景を思い出しながら幸せな一口を楽しんでいました -
ちらちらと街の姿は見えていますが、かなり遠くてよくわかりません。
とりあえず、三陸道で行ける現状の終点である陸前高田の出入り口を降り、街へと真っすぐ入る国道340号に乗ります。 -
国道340号のすぐ左手の高台では、新たに大規模な宅地造成が進み、ちらほらと入居している世帯もあります。
そこから少し下ったあたり。
陸前高田の津波が襲った市街の最深部ですが、この辺に「酔仙酒造」という酒屋さんがありました。
震災までは知らない酒蔵でしたが、この写真の右側奥あたりのかなり高いところから撮られたと思われる陸前高田の津波の映像で、目の前にあって「さすがにここまでは来ないよな」と思っていた「酔仙」の看板が、まるでそれが当然であるかのように流されて行ってしまう光景が、いつまでも目に焼き付いていました。
海岸からは距離にして2キロもあります。
普通、ここまで来るなんて思いもしませんよね。。。
その後、ライバル企業の協力なども得て、県内の別の場所に酒蔵を復興。
ファンドもあったので私も微力ながらお手伝いしました。
ここの「雪っこ」はかなり強めですが、口当たりがよくて見つけたらちょくちょく買っています。
今後も頑張ってほしい酒蔵のひとつ。 -
そのまま340号を下り、海岸沿いを走る45号と合流するあたり。
3年前に来た時には海岸側の未舗装の駐車場に停めましたが、今回は新たにできた「一本松茶屋」という施設に入ります。
お土産物屋がたくさん入っていますが、まずは車を置いて海方向へ。 -
ここから水際にある「奇跡の一本松」までは10分弱の道のりを歩きます。
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前回はこの辺も凸凹道で、私はともかく年配の方は歩くのに苦労していましたが、3年経つと舗装道が整備されだいぶ歩きやすくなっていました。
奇跡の一本松 名所・史跡
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既に遠くには見えていますが、少しずつ近づいていきます。
奇跡の一本松 名所・史跡
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この辺は3年間特に変化はありませんね。
もっとずらっと並んだ松の中で1本だけ生き残ったイメージでしたが、このかつての写真を見ると、当時から目立っていた1本だったんですね。奇跡の一本松 名所・史跡
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「奇跡の一本松」は、何万本もあった防潮林の中で1本だけ残ったことで有名。
しかし、塩水を大量にかぶった影響で根が枯れ、震災から1年後の2012年に残念ながら「枯死」と判定されました。
その後、人工的な保存処理が施され、現在ではモニュメントとしてここに残されています。奇跡の一本松 名所・史跡
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近づいてみると、確かにコーティングのようなものが施され、自然の姿とは少し異なることがわかります。
ただ、それがこの木の価値に影響を与えることはおそらくないでしょう。
今見渡しても想像すらし難い高田の松原の記憶を留める存在として、今後台風などにも耐えて長く残ってほしいです。奇跡の一本松 名所・史跡
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こちらは、一本松の背後にある「陸前高田ユースホステル」の建物。
震災時点ですでに営業終了していたため人はおらず、建物の損壊だけにとどまったのは幸いでした。
奇跡の一本松とあわせて、震災遺構として保存される予定だそうです。
帰ってから、このユースホステルのかつての姿を写真で見ましたが、松原に囲まれた静かな宿という雰囲気でした。
今の丸裸の姿からはまったく想像ができません。奇跡の一本松 名所・史跡
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グーグルマップでこの付近を見ると、巨大な空中回廊がこの付近を走っています。
これは海岸地域へ土砂を運び入れるためのベルトコンベアーでした。
我々が行った時にはそれはほぼすべて撤去されていましたが、グーグルマップで見る限りはどうやらこの橋もその名残のようでした。
(前回来た時にはなかったので、てっきり新しい道路を作っているもんだと旅行中は思っていましたが。この後どう使うんだろう?)奇跡の一本松 名所・史跡
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やなせたかしさんが、奇跡の一本松の話に感銘を受けて作成したというイラストのレリーフ。
やなせさんらしさの画風の中に、希望を感じさせるデザインです。
※実際にやなせさんはこの一本松の保全などにも多額の寄付をされているそうです奇跡の一本松 名所・史跡
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奇跡の一本松を背に振り返ると、その周囲は遠くの山までが一度に見渡せる光景。
大槌や鵜住居と同じく、陸前高田の街の未来図は今ここに立っている私の目からはまだ描くことができていません。
継続的に訪れて、その変化を感じつつ自分なりに出来ることを探すしかないですね。奇跡の一本松 名所・史跡
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ということで、まず出来ることとして、何か食べていくことにしました(笑)。
一本松茶屋の向かいに、八木澤商店の出店があったので寄り道。
八木澤商店といえば、これも酔仙と並んで陸前高田で長く商売を続けていた醤油屋さんで、津波被災後に復興支援ファンドの協力を得ながら店を再建していく様子が何度かドキュメンタリーなどで紹介されていました。
(私は、そのファンドで酔仙酒造を応援していましたが)
とりあえずカキが美味しそうだったので、八木澤のポン酢をかけていただきます。
思っていたよりもはるかに身が巨大でびっくり!そしてミルキー! -
お隣の建物はカフェにもなっていて、お醤油などの販売とあわせてコーヒーなども買えるようになっています。
八木澤商店のお醤油は今まで買う機会がありませんでしたが、ちょうど家のお醤油が切れかかっていたことと、コロプラのコロカがゲットできることもあり、重量度外視で大量購入(笑)。
いわきまではいいけど、そこから特急乗って家に帰るまで頑張れ明日の自分w -
再び国道45号に戻り海岸沿いを走ると、静かに「宮城県」の看板が通り過ぎていきました。
まる1日で駆け抜けた岩手県ですが、素晴らしい食そして自然を堪能し、同時に「来る前にはちゃんと理解できなかったこと」をしっかり頭で理解することができました。
また少し間を置いて、ぜひ再訪したいと思います。 -
徐々に気仙沼へ近づいていますが、その手前に「唐桑半島」の文字が見えてきます。
唐桑半島といえばカキ養殖の本場。
個人的にも、震災後にカキ復興ファンドに協力し、何年かかるんだろうと思っていたらわずか1年でカキが届けられてきて驚いたのですが、その時のカキが唐桑産でした。
なかなかそうしょっちゅう食べられる食材ではないですが、もしまた唐桑の文字を見つけたら買おう。 -
そしていよいよ、気仙沼の市街へと入ってきましたが...
気仙沼湾の最北端に面した「鹿折(ししおり)」地区。
ここは津波の直撃を受け、さらに流出した油が一帯に燃え広がって大火となった場所です。
また、流されてきた大きな船が街の中に留まっていた映像にも衝撃を受けました。
中を通り抜けて港のエリアへ向かいましたが、広がっているのはただかさ上げされた土地だけ。
何もなく、何となく通り抜けた場所が、あとで地図を見てかつては駅前だったことを知る、そんな状態でした。
我々が利用できそうな施設はガソリンスタンドくらい。
土産物や食事などではないですが、この地に何か残すことができればと思い、この旅唯一の給油を行ないました。 -
鹿折を通り抜け、気仙沼の真ん中にある港のエリアへと来ました。
この港に面した一角には、ストリートビューの過去の画像では大きな立体の市営駐車場の姿が見えましたが、現在は観光客など一般向けの平地の駐車場になっていました。
そちらは満車だったので、向かい側の盛土を利用した臨時駐車場に車を停めます。 -
駐車場から港に向かって左側に見えた、安波山。
サンドウィッチマンの2人が気仙沼でロケ中に地震に遭遇し、スタッフの判断で避難したのがこの山の上だったそうです。
正直、もっと街から離れた場所かと思っていましたが、こんなに近かったんですね。
目の前の気仙沼港、そして左手に見える鹿折の火災の様子が、見たくなくても見えたはず。
彼らがその後強い意志で復興の旗振りの先頭に立っているのも、彼らが見たものがあまりに過酷だったからでしょうか... -
港に面して、小さい復興市場が出来ていました。
ここで何か食べようかと思って寄りましたが、やや高かったのと時間もなかったこともあって見送り、代わりに土産物屋さんでふかひれスープやオイスターソースなどを購入。
後で知りましたが、この商店街も今年中に再開発のため閉鎖されるようですね。
次に来たら、今回のこの港の姿もがらりと変わってしまっているでしょう。復興屋台村気仙沼横丁 グルメ・レストラン
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こちらは港の脇にあった、森進一の「港町ブルース」の歌碑。
震災前は、前に立つと曲が流れていたそうですね。
凄まじい津波の力に細部がかなりねじ曲げられてはいますが、現存していて歌詞すらるのが凄いところです。
よく見ると、歌詞の中の気仙沼のところだけ大きいフォントになってますねw -
鳥たちが安らかに羽根を休める波止場。
いくつかのビル、そして更地と盛土が交互に連なる背後の景色を見なければ、そののどかさに5年前の事を忘れてしまいそうです。 -
ボーっと海を眺めていると、大島行きのフェリーがやってきました。
気仙沼湾の正面にあり、津波の被害も甚大だった大島。
一時は連絡船が流されてしまい本土から孤立してしまったため、アメリカ海兵隊による「トモダチ作戦」にて物資が運び込まれたりしていました。
震災前から頻発していた連絡船は、今も非常に便数が多く便利な足となっているようです。
ちなみに、再来年には本土側とを結ぶ橋が出来るので、次回来た時には連絡船を見る機会もないかもしれません。 -
港から看板が見えたので、車で2分ほど走ったところにある「お魚いちば」へ移動。
ここには、気仙沼であがった豊富な魚介類が非常に新鮮な状態で並べられています。
カツオや金華サバといった名産品の冷凍ものもあれば、吉次(キンキ)やしらすにクジラの刺身、そして唐桑のカキやホタテ、アワビなどのいけすもあり、目移りして決めきれなくなるほどのラインナップ。
これは帰ってからじっくり味わおう!と思い、自分の家そして実家用とに、あえて値段は確かめずに(笑)冷凍・冷蔵含めて大量購入して発送手続きしました。
今回、宿代以外で一番地域貢献できたのが、この気仙沼でしたね。
ちなみに、この市場では冷蔵物は到着日にあわせてとっておいてくれたり(東京だと翌日には着いてしまい受け取れないので、発送を1日遅らせてくれた)、それにあわせてカキやアワビなどの生ものは当日取り出し(発送直前にいけすから選んで入れてくれる)もやってくれるので、本当に助かりました。
それが証拠に、帰宅翌日に届いたホタテ、切ろうとすると動いてましたからね(笑)。気仙沼お魚いちば グルメ・レストラン
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テンションが上がりきったショッピングに満足していたら、駐車場のほうにある屋台からいい匂いが漂ってきて、つられて吸い込まれてしまいました(笑)。
新鮮なホタテ焼き。身がぎっしりすぎて口に入れた瞬間に瞳孔が開きますw気仙沼お魚いちば グルメ・レストラン
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こちらは「フカカツバーガー」。
サメの身を使っていますが、さっぱりした白身魚の風味で癖がほとんどありません。
買い物を頑張り過ぎてもう14時近くになっており、昼ご飯を食べていたら宿に遅刻してしまうかなと思っていましたが、ここでサクッと手ごろな美味しさの気仙沼フードを食べられて満足。
「お魚いちば」、ぜひ寄ってみてください!気仙沼お魚いちば グルメ・レストラン
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溢れんばかりの魚に気仙沼らしさを存分に感じながら、この美しい港町をあとに再び車で南下を続けていきます。
気仙沼お魚いちば グルメ・レストラン
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しかし、再び国道45号に復帰しようとしても、カーナビ通りに進んでいくと復興エリアで行き止まりだったり、住宅建設で袋小路になったりしていて、なかなか気仙沼市街から抜け出すすべが見つかりません。
仕方ないことですが特に行き先表示があるわけでもないので(頻繁にルートが変わることも理由ですね)、方角と野生の感?に頼りながら進み、ようやく本来進みたいルートに乗ることができました。 -
気仙沼の南部に位置する本吉地区。
ここも、幾度となくその被害を目に耳にした場所です。
特に本吉地区はこの海岸線はもちろん、津谷川を津波が遡った結果「海から山を隔てた、全く海の見えない地域」での津波の被害が出ています。 -
海辺に沿った国道の上では、常に「いま地震が起きたら、自分はどう行動すればよいか」というのを考えながらの走行になりました。
こちらに来なければ、考えようともしなかったはず。 -
そのまま40分ほど走り続けると「南三陸」の文字が目に入るようになってきます。
カーナビの示す経路とは違う、もともとは道でなかった場所を進み、中心に近い場所まで到達。
かつての街の中心の交差点に面してぽつんと建つコンビニでトイレ休憩とコーヒー補給をしてから、「見渡す限り何もない」エリアへと再度入ります。 -
南三陸町の志津川地区。
比較的間口の広い志津川湾からまっすぐに波が入ってきたためか、この街も海岸から1キロ以上の場所まで津波が到達し、町内にある家屋の6割近くが全壊、そして死者600名以上という大きな犠牲が出てしまいました。
こちらは先ほどのコンビニのあった交差点から曲がってすぐのところですが、土地のかさ上げがかなり進んでおり、かつての街のあったレベルはここからは見えなくなっています。
左端、頭だけがちらりと見えている建物が... -
何度もテレビなどで取り上げられていた「南三陸町防災対策庁舎」。
15メートルの津波に襲われて職員の方が多数被災しました。
(ぎりぎりまで避難を呼びかけ、津波の犠牲となってしまった職員の方の話が、今でもずっと頭に残っています)
屋上のアンテナ、町長さんがしがみついて助かったやつですね。。
志津川のこのエリアは幹線道路だけが整備され、車を停めるような場所はほぼなかったので、運転しながら心の中で合掌。 -
ここからは、女川までそのまま海岸沿いの道を行こうと思ってカーナビを設定するものの、内陸に入る国道45号から海沿いの398号に入ってもなお「引き返して45号を遣え」の指示が。
良く調べてみたら、途中の北上川の河口にかかっている「新北上大橋」が、震災後に仮橋として作られていたものの、このタイミングで正式な橋に架け替えるべく工事に入って全面通行止めとなり、海岸沿いを進むためには北上川を10キロ近くさかのぼり、そこにある橋を渡って対岸をもう一度戻る、というルートを通らなければならないことがわかりました。
それならば仕方ない、ということで、いったん内陸側から高速なども使って石巻へ出て、そこから女川へ引き返すプランに変更。
新北上大橋のすぐ脇にあったのが、生徒たちに甚大な被害が出て、避難体制に関して様々な議論が巻き起こっていた、石巻市立大川小学校。
5年経ったこのタイミングまで正式工事着手に時間がかかる、という事が、大川小学校の存在とあわせてこの先にある地の厳しい経験を物語っています。 -
ということで、国道45号線を西へ向かって登米市方面へ出て、そこから三陸道を使って石巻への道を急ぐことにしました。
こちらは、北上川を渡る橋を望む場所から。
河口からは十数キロ上流側にありますが、北上川の川幅が広いため、渡れる橋としてはここがやっと3つ目になります。
(その1番目の新北上大橋が通れないと、ここまで苦労するのか) -
この日は穏やかな北上川を渡ります。
-
ここからは、女川に寄ってから宿に行くと夕食に遅れそうだなということで、一気に三陸道をすっ飛ばして先を急ぎます。
-
右手に見えてきた大きな建物は、石巻赤十字病院。
震災後には、かなり海から離れた場所にあって無事だったこともあり、一帯で怪我した被災者を一手に受け入れていました。 -
石巻市街への道を左に折れ、旧北上川を計3回渡って、女川へと向かう国道398号線に乗ります。
先ほど、南三陸から来ようとして途中が通れなかった国道ですね。 -
海沿いの狭い道を進んでいくと、女川町の看板が見えてきます。
個人的には、今回巡る箇所のうち、震災前に訪れていた場所はそれほど多くなかったのですが、その中で女川は10年以上前にふらりと訪問していました。
その際にも通ったはずの道を進みながら、少しずつ記憶をよみがえらせていきます。 -
牡鹿半島から突き出した陸地に囲まれ、非常に入口の狭い入り江になっている万石浦。
周辺の建物を見る限り激しく流されている形跡はないのですが、それでもここではカキ養殖の施設が根こそぎ流失するなどの大きな影響が出ました。 -
牡鹿半島の付け根の部分は高台になっているので、昔からある家々も残っていますが...
-
ひとたび尾根を越えて女川湾が見えるところまで来ると、再び「地図上にだけ街があった形跡がある場所」が続いていきます。
女川は湾がどんどん狭くなっている天然の良港ではありますが、これが津波のかさを大幅に上げてしまう原因ともなりました。
前回は、ここから港へ降り、魚市場に併設された魚センターのような建物に入り、照明が落とされたかなり暗い中でウニの殻を淡々かつ黙々とむいている職人さんの手つきに見入っていた記憶があります。
もちろん、その建物はもう存在しません。
あの時のおじさんは無事だったのでしょうか... -
そんな女川の街もかさ上げ工事がかなり進み、女川駅の前から海に向かって200メートルほどのエリアに新たな商店街が出来ていました。
果物屋さん、地ビール屋さんなど、ドキュメンタリーで何度か目にした店を見つけると嬉しくなりますね。
ただ、訪れたのがもう17時近い時間だったため、残念ながらほとんど閉まっていましたが。女川駅 駅
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そういえば女川にダンボルギーニ(段ボールで作られたランボルギーニ)が行ったって話聞いてたなあ。
展示しているスペース自体は閉まっていましたが、ガラスを通して見ることができます。女川駅 駅
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うん、意外なほどランボルギーニ感満載(笑)。
その精巧さに驚かされる一方で、展示スペースの「壊すようないたずらはやめてください」という貼り紙に怒りも沸いてきました。
ここまで来てそんなことするやつ、かっこ悪い。女川駅 駅
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商店街の末端から海を見ると、このような感じ。
左手奥の魚市場は復活したものの、その他にはまだ戻ってきているものはありませんね。
真ん中に見えているのが...女川駅 駅
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震災時に話題となった「津波で引き倒された鉄筋コンクリートの建物」。
震災遺構としての保存のためか、ここだけそのままになっています。
この建物を水だけで引き倒せるのか...実際に見ると、海に近いマンションに住んでいる自分としては改めて恐怖感を覚えます。女川駅 駅
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この建物の存在自体は知っていましたが、もともと交番だったという事までは知りませんでした。
しかも、最初の波ではなく引き波で倒れたんですね...女川駅 駅
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ほとんど店が閉まってしまった、軽いスロープになった商店街を登っていくと、正面には女川駅があります。
昨年の3月に、位置をより内陸に移動させて新駅舎がお披露目されました。
(そのセットバックした跡地にできたのが商店街ですね)
こいのぼりがたくましく泳いでいます。女川駅 駅
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駅舎には「ゆぽっぽ」という温浴施設が併設されていて、外には足湯もあります。
他の街で「まだ何もない」という状態を見てきたので、この女川の復興は(地元の方にとってはそう言い切れない部分があると思いますが)私の目にはむしろ早い歩みであると映りました。女川駅 駅
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私の大好きな、ローカル盲腸線の終着駅。
次はここにやってくる形で旅をしてみたいですね。
前回やってきた時の記憶が何一つこの街とリンクしなかったのが衝撃でもあり残念でもありましたが、一方で確かな未来のイメージも描くことができ、個人的には非常に印象深い場所でした。女川駅 駅
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17時を過ぎて、宿の予約時間にはいよいよ遅刻。
多少暗くもなってきたので、ここからは景色もそこそこにすっ飛ばします(笑)。 -
この辺は、十数年前の訪問時の記憶がかすかながらありました。
工事していて片側通行で偉く時間かかってたので覚えてたんですが。 -
石巻市街から三陸道の無料区間、そして東松島から先の有料区間もすっ飛ばし。
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頑張ったおかげで、女川から1時間弱で到着(笑)。
あとで宿の方にも「かなり早く着きましたね」と言われました。ええ飛ばしましたが何かw
松島海岸は震災の5か月後に訪れて以来です。
その時じっくり回ったので、今回は宿泊だけになりますが。 -
宿泊したのは、松島海岸の駅の裏手の高台にある「びすとろアバロン」。
可愛らしいプチホテルで、お食事に恐るべき高評価がついていたのが気になって予約。
部屋は、小ぢんまりとしていて、まあ普通です(笑)。お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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建物の一部がウォッチタワーのようになっていて、そこから松島の素晴らしい景色が見渡せます。
もう少し早く着いていれば夕陽を浴びて輝いていたでしょうね。お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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宿の人は「明日5時前に起きると綺麗な日の出が見られると思います」と話してくれていました。
結局、疲れて熟睡してしまいましたけど。
時間制で貸切の五右衛門風呂などに入ってくつろぎ、19時からのお食事を楽しみに待ちます。お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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さて、ここからはその評価の高さが気になるお食事。
まずは地ビールで乾杯。お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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最初は、地元松島産のツブ貝の柚子バター焼き。
この宿はもともとビストロとして誕生し、あとからオーベルジュ的に宿泊がついたそうです。
(現在はビストロ単独の営業はしていませんが、お食事エリアには当時のエントランスの名残りがあります)
何より、宮城県産をはじめとした地元食材にこだわったお料理が自慢です。お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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三陸近海でとれた魚介類のサラダ。
こういうサラダって、肝心の魚介類が申し訳程度に乗っていることが多くて落胆の方が多いですが、ここの宿のは違う!
野菜と魚介類の割合がむしろ逆転してます。
魚介類の種類も豊富で、けっこうボリュームありましたがあっという間に完食。お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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近海のホタテとズワイガニが入った、濃厚なグラタン。
その名の通りの、いつまでも舌の上で残るしっとりとしたチーズと乳成分がたまりません。
その中にあるホタテとカニも素晴らしい風味を漂わせています。
器のウネウネの隙間の部分まで美味しくいただきました(笑)。お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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真鯛のポワレ トマトソース。
身はふんわり、皮はカリッ!お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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そして、メインは宮城野ポークの煮込み。
脂身がほろほろと口の中で溶けていきます。
ダイエット?知らん(笑)。お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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最後は、宮城県産ササニシキを使った岩海苔のお茶漬け。
このササニシキが抜群に美味かった!
あの冷害以降ほとんど見なくなったササニシキですが、本当に久々にその神髄を見せてもらった感があります。お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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デザートは、ティラミスやシャーベットまでバリエーション豊富で、見た目もかわいらしい。
さすがビストロ、というありきたりな言葉ですが(笑)、施設の小ささや古さが気にならなくなるほどの、一品ごとに「うーむ!」と唸りが出てしまうような素晴らしいコースを頂けました。
こうなったら、もう後は風呂入って寝るだけですw
おやすみなさい。明日は最終日。
(4日目に続く)お料理だけで人々をひきつける名ビストロ by mikoyan358さん松島プチホテル びすとろアバロン 宿・ホテル
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