2016/02/25 - 2016/02/25
30位(同エリア89件中)
ガッサンさん
草加松原は「おくのほそ道の風景地」として国指定名勝で、松尾芭蕉が歩いた街道である。元禄2年(1689年)3月、江戸深川を船出して千住に向かった芭蕉は、そこで見送りに来た人たちに別れを告げ、日光街道第二の宿駅・草加にたどり着きました。
「もし生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、その日やうやう早(草)加といふ宿にたどり着きにけり」と詠みました。『おくのほそ道』の中で千住を過ぎ最初に登場する宿が草加です。後世の人々の風景感に影響を与え、今なお往時の雰囲気を伝える一連の風致景観として評価され、国の名勝に指定されました。
甦った草加松原は、芭蕉の目にはどう映るのでしょうか。そんな思いに駆られながら、草加松原 全長約1.5kmを歩いた小さな旅の記憶です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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東武スカイツリーライン「草加駅」のホームです。
草加駅 駅
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東武スカイツリーライン「草加駅」で下車しました。
草加駅 駅
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草加駅前東口広場側にに出ました。
草加駅 駅
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草加駅前東口広場の風景です。旧日光街道方面を目指します。
草加駅 駅
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草加駅前東口広場の「おせんさん」の像です。草加駅東口のアコス広場のせんべいを焼いている女性像です。
【草加せんべい】
せんべいといえば草加せんべい。こんがり焼けたうるち米100%の生地に、しょう油の香りがたまりません。
草加せんべいは、地域団体商標に登録されており、(一財)食品産業センターの食品ブランドに認定されています。草加駅 駅
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草加駅(東口)の外観です。
草加駅 駅
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草加駅東口を出て、旧日光街道に出ました。旧日光街道沿いにある「藤城家」です。
藤城家住宅 名所・史跡
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【藤城家(ふじしろけ)】
明治期の建物で、町家建築として貴重な建物です。平成25年6月21日に国の登録有形文化財に登録されました。藤城家住宅 名所・史跡
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旧日光街道沿いにある「大川本陣跡」の石碑です。
草加宿本陣跡石碑 名所・史跡
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草加駅東口を出て、旧日光街道に出ました。旧日光街道沿いにある「草加宿神明庵」です。
【草加宿神明庵(そうかしゅくしんめいあん)】
古民家を改修し、平成23年7月にオープンしたお休み処。市民ボランティアが運営し、観光案内や湯茶の接待が受けられる。2階はギャラリー。11:00〜16:00 月曜定休(祝日の場合は翌日)草加宿神明庵 名所・史跡
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旧日光街道沿いにある「草加宿神明庵」の玄関です。
草加宿神明庵 名所・史跡
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【草加宿神明庵(そうかしゅくしんめいあん)】はもともと久野家の建物です。
久野家(大津屋)の建物は家伝によれば安政2年(1855年)の江戸大地震時にはすでに建築されていたと言います。
明治35年(1902年)「営業便覧」には飲食店を営んでいたのでしょう。店舗の様子がよく保存されてきました。間口の半分が縦格子造りになっているのはその名残りです。やや小振りな建物ですが、宿内では古い形式を伝える町屋建築です。居住部分や倉などはすでに建てかえられ、今は記憶に残るだけとなりました。所有者の強い想いから店舗部分が残されてきました。草加宿神明庵 名所・史跡
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旧日光街道沿いにある「神明宮(しんめいぐう)」です。
神明宮 寺・神社・教会
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旧日光街道沿いにある「神明宮(しんめいぐう)」です。
【神明宮(しんめいぐう)】
「草加町見聞史」によれば、元和初年(1615年)に宅地内にご神体を祀ったのが始まりで、正徳3年(1713年)に草加9ヶ村の希望により宿の総鎮守として現在の地に移されたと伝えられています。神明宮 寺・神社・教会
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【河合曽良(かわいそら)】像
市制50周年を記念して、おせん公園に建立されました。河合曽良は奥の細道の旅に随行した芭蕉の門人です。おせん公園 公園・植物園
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【今様草加宿】草加市役所が立てた案内板です。
「解説板 おせん公園」とあり、せんべい発祥の地碑・草加せんべいのルーツ・草加せんべいのできるまで が絵入りで丁寧に解説されていました。おせん公園 公園・植物園
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「草加せんべい発祥の地」碑です。
おせん公園 公園・植物園
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おせん公園に建立された「河合曽良」像です。
おせん公園 公園・植物園
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綾瀬川改修記念「札場河岸公園」と石碑にありました。
【札場河岸公園(ふだばかしこうえん)】
草加松原南端にある、かつての「河岸」の面影を今に再現する公園です。園内にはかつて札場河岸公園の賑わった舟運の河岸場が復元されているほか、高さ12.5m(基礎の石垣を含む)の五角形の望楼(午前9時から午後5時までは内部を開放、午後7時から午後10時まではライトアップ)が建てられています。また、同じく五角形の休憩所も建てられています。札場河岸公園 公園・植物園
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正岡子規句碑です。
「梅を見て野を見て行きぬ草加まで」札場河岸公園 公園・植物園
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「札場河岸公園」内にある正岡子規の句碑です。
札場河岸公園 公園・植物園
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「札場河岸公園」内にある正岡子規の句碑です。少しアップしてみました。
札場河岸公園 公園・植物園
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「今様草加宿」草加市役所の解説板です。
<望楼(Watchtower)>
望楼とは、遠くを見渡すための櫓(やぐら)のことをいいます。常に見張りを置いてまちなかの火事発生の発見に努めるための施設でした。
札場河岸公園 公園・植物園
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望楼の外観です。
公園内には、高さ12.5m(基礎の石垣を含む)の五角形の望楼(午前9時から午後5時までは内部を開放、午後7時から午後10時まではライトアップ)が建てられています。札場河岸公園 公園・植物園
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五角形望楼の内部です。
望楼は、靴を脱いで中に入って最上部まで上って行けます。
この望楼は、埼玉県産のスギやヒノキを使って造られています。札場河岸公園 公園・植物園
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綾瀬川改修記念「札場河岸公園」の石碑です。
ここから、国指定名勝「おくのほそ道の風景地」[草加松原]が始ります。
河岸とは船着場のことです。公園の名前にも付けられたこの札場河岸は、江戸時代にこの地域の物流の要だった綾瀬川舟運の回船場所として賑わったといわれ、その河岸が公園内に再現されています。
案内板によると、綾瀬川の舟運は昭和30年代まで続いていたのだとか。川越しに見える矢立橋を眺めていると、活気に溢れていた頃の綾瀬川の面影が感じられるような気がします。札場河岸公園 公園・植物園
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【松尾芭蕉翁像(まつおばしょうおうぞう)】
奥の細道旅立ち300年を記念して建立されました。像は右手に杖を持ち、笠をかけ、友人や門弟たちとの別れを惜しむかのように、千住方面を振り返る「見返りの姿」です。札場河岸公園 公園・植物園
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【松尾芭蕉翁像(まつおばしょうおうぞう)】です。
今なお往時の雰囲気を伝える、「草加松原」が始ります。札場河岸公園 公園・植物園
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「草加松原芭蕉像 建立協賛者名」のプレートです。
札場河岸公園 公園・植物園
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高浜虚子の句碑です。
「巡礼や草加あたりを帰る雁」札場河岸公園 公園・植物園
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「利根川百景 綾瀬川と松原」の石碑です。
札場河岸公園 公園・植物園
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「日本の道 百選 日光街道」の石碑です。
綾瀬川と一体となった草加松原遊歩道は旧建設省(現・国土交通省)が選定した「日本の道百選」のひとつで、それを記念したのがこの石碑です。デザインは埼玉県の県土の形になっていて、右下に埋め込まれたシルバーのプレートが草加市の位置です。札場河岸公園 公園・植物園
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「日本の道 百選 日光街道」の石碑です。
札場河岸公園 公園・植物園
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【矢立橋】
太鼓型の歩道橋で、南北に通る草加松原遊歩道に連続性を与えています。付近の景観や歴史性を考慮して、和風のデザインを基調としています。
矢立橋は平成6年5月に建設されました。橋名は市民から公募したもので松尾芭蕉の「おくのほそ道」からの引用したものです。矢立橋は、「行く春や 鳥啼き魚の目は泪 これを矢立の初めとして行く道なほ進まず」から引用しました。矢立橋 名所・史跡
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橋の側面から【矢立橋】を撮影してみました。「おくのほそ道」風景地に合うようにデザインされています。
矢立橋 名所・史跡
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矢立橋から行く手を眺めると、遊歩道と綾瀬川が大きく左へカーブするのが見えます。あのカーブしたところにある札場河岸公園が、草加松原遊歩道の南端という事になります。
矢立橋 名所・史跡
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矢立橋の袂付近の眺め、遊歩道と綾瀬川。
矢立橋 名所・史跡
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【矢立橋】です。
矢立橋 名所・史跡
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【矢立橋】
太鼓型の歩道橋で、南北に通る草加松原遊歩道に連続性を与えています。付近の景観や歴史性を考慮して、和風のデザインを基調としています。矢立橋 名所・史跡
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「草加松原」は、旧日光街道(現県道・足立越谷線)の神明2丁目から旭町1丁目南端までの綾瀬川沿い1.5キロメートルの松並木。江戸時代から「千本松原」と呼ばれ、うっそうとした緑のトンネルを形成し街道の名所となっていました。
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綾瀬川を航行する舟を照らす常夜灯でしょうか。
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松尾芭蕉も歩いた「草加松原」日光街道です。
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綾瀬川の静かな流れ。左側うっそうとした松林は「草加松原」日光街道です。
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ハープ橋です。橋の欄干に、可愛らしいハープのブロンズ像がたくさん据え付けられています。
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ハープ橋です。
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左側ハープ橋です。真っ直ぐな道が「草加松原」日光街道です。
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【名勝 おくのほそ道の風景地 草加松原
ドナルド・キーン書】の石碑
「国指定名勝おくのほそ道の風景地 草加松原」記念碑
草加松原が「国指定名勝」になったことを記念して平成27年3月に建立された記念碑です。松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅を始めた元禄時代の華やかさと、宿場町として栄えた草加の力強さをコンセプトに、庭園デザイナーの加園貢氏によりデザインされました。 -
【『おくのほそ道』の行程図】の石碑です。松尾芭蕉が辿った深川〜大垣までの道を表しています。
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「国指定名勝おくのほそ道の風景地 草加松原」記念碑を説明するプレートです。草加市教育委員会が製作したものです。
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「国指定名勝おくのほそ道の風景地 草加松原」記念碑の拡大版です。後で読み取れるように拡大して撮影してみました。
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昭和57年、遊歩道化によって松を保護することができるようになりました。草加松原内を通っていた県道足立・越谷線の上り車線を西側に移設しました。60年から「埼玉シンボルロード整備計画」に基づいて整備されました。
遊歩道内の松は634本(平成25年11月末現在)。現在遊歩道内は、石畳が敷かれ、百代橋や矢立橋など県道をまたぐ歩道橋も架けられ、安全で快適なウオーキングコースとなっています。 -
【百代(ひゃくたい)橋】
太鼓型の歩道橋で、南北に通る草加松原遊歩道に連続性を与えています。付近の景観や歴史性を考慮して、和風のデザインを基調としています。
百代橋は昭和61年11月に建設されました。橋名は市民から公募したもので松尾芭蕉の「おくのほそ道」からの引用したものです。百代橋は、冒頭の「月日は百代の過客にして 行きかう年もまた旅人なり」から引用しました。百代橋 名所・史跡
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【百代(ひゃくたい)橋】です。橋の上からの松並木の眺めがよく、絶好のビュースポットとなっています。
百代橋 名所・史跡
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百代(ひゃくたい)橋を往来する人々。
百代橋 名所・史跡
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百 代(ひゃくたい)橋です。
百代橋 名所・史跡
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百代(ひゃくたい)橋です。 付近の景観や歴史性を考慮して、和風のデザインを基調としています。
百代橋 名所・史跡
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草加松原の美しい松並木です。
草加松原の松は、寛永7年(1630年)の草加宿開宿時、又は天和3年(1683年)の綾瀬川改修時に松が植えられたとの伝承が残されています。
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草加松原の美しい松並木です。
昭和40年代には自動車の排ガスや振動で古木が60本程度にまで減少してしまいました。
昭和50年(1975年)、有志が約100本を補植したことをきっかけとして、昭和51年(1976年)8月、草加青年会議所を中心に市内の35団体800人が参加して、草加松並木保存会が発足しました。 -
【水原秋桜子句碑】
この石碑には俳人水原秋桜子の草加を詠んだ句が刻まれています。
「草紅葉 草加煎餅を 干しにけり」
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草加松原の美しい松並木です。
松の木の台帳づくり、老木の手入れ、若木の補植などを行い550本を超える松並木になるまでに回復させるなどを行い550本を超える松並木なるまでに回復させるなど大きな成果を上げました。 -
松並木と綾瀬川。
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対岸から見た、草加松原。綾瀬川の水面に松並木が映る。
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今歩いているこの遊歩道は嘗ての草加松原を整備して造られたものである。左右にそれぞれ綾瀬川と県道49号線を従えて南北 1.5kmに延びる、およそ600本の松が植えられた松並木の散歩道です。
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