2015/05/03 - 2015/05/03
383位(同エリア1091件中)
じゅんちさん
真言密教の聖地「高野山」
高校1年生の春、研修旅行で行ったきり、ゆくことのなかった高野山へ、いってきました。
当時は4月はじめでしたが、朝夕は冷え込みました。
こんな高いところに、これだけの立派な建造物、それも素晴らしい技で建築されているのに驚きました。
宿坊に泊まり、高野豆腐づくしの精進料理いただきました。
山深く、修行を続けてみえる僧侶、自分では考えられないような宇宙をもってみえるのかと想像しました。
ほとんど記憶が遠い「高野山」
今回は、高野山について、、あらかじめガイドブックで学習しました。
平安時代の高僧・弘法大師(空海)が真言密教の根本道場として
標高985mの山上に開創
金剛峯寺を中心に、117もの寺院が林立する宿坊寺院ならではの精進料理や気軽に楽しめる修行体験も評判とのことです。
修験道の聖地である高野山には「日本のこころ」そのままここで生きていると感動しました。
平成27年は、高野山開創1200年ということで、かなり混雑していました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イチオシ
南海電気鉄道が南海高野線で運行する特急列車。
こうやは難波駅〜極楽駅間
全車座席指定で約1時間少しでゆけます。
高野山1200年を祝い、赤・黄色の美しい「こうや」に乗車できました。
車内はきれいに清掃されていて、高野山参詣の気持ちがアップしました。 -
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金剛峯寺
見どころも多い高野山真言宗の総本山
弘法大師は『金剛峯楼閣一切喩伽喩祇経』という経典から高野一山の総称を
金剛峯寺と命名した。
明治以降は一寺の名称となったが、現在も山内117か寺をまとめる中心寺院。 -
入口には水桶がずらっと並んでいますが、主殿の屋根にも桶が乗っかっている変わった建物です。 境内事態は無料なのですが、主殿に入るのには有料となります。 主殿内部の襖絵は狩野探幽が書いたもの(梅の間)を始め、様々なもの...
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山でみるシャクナゲがきれいです。
空気が澄んでました。 -
正門にむかいます。
かつては重職のみが出入りを許されたという格式の高い門で、今でも一般の僧侶は横の小さな潜り戸を渡るそうです。 -
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鐘楼
立派な鐘楼です。 -
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主殿の大広間
襖絵は狩野派の斎藤等室の筆
右手には群鶴
奥には松が描かれている。 -
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柳の間
山本探斎の筆になる襖絵「柳鷲図」があることから柳の間と呼ばれる。
豊臣秀吉の甥にあたる秀次は24歳で関白職を継いだが、その4年後、28歳の若さで
金剛峯寺にあるこの部屋で切腹した。 -
幡龍庭
国内最大の石庭で二頭の龍が奥殿を守るように表現されている。
砂は京都の白川砂、石は弘法大師故郷でもある四国から霊石を収集したものということ。 -
雲海と龍を表現した広大な石庭
四国産の花こう岩が奥殿の周囲に並ぶ、
別殿から庭の様子を眺めることができる。 -
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多くの僧侶たちが食事を賄ってきた。
写真の大釜は一つで98kg米を炊くことができるそうです。 -
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東塔
白河法皇の勅願により1127年の創建された塔で、本尊に尊勝仏頂尊、脇侍として不動明王、隆三世明王の二尊が祀られています。
江戸時代に塔が再建されましたが、1843年(天保14)消失し、その後再建されましたが、1984年(昭和58年)に現在の塔が再建されたそうです。 -
西行ゆかりの「西行桜」
西行法師が三味堂を伽藍へ創造した際の記念として、三味堂の前に手植えされた桜と伝えられているそうです。 -
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不動堂
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愛染堂
四海静平、玉体安穏を願い後醍醐天皇の勅願により1334年(建武元年)に建立されました。本尊として愛染明王を祀り、愛染明王護摩と長日護摩が行われる場所です。
災害に何度か遭遇し再建されており、現在の堂は1816年(文化13年)に再建されたものだそうです。 -
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イチオシ
根本大塔
とにかくその大きさに圧倒されます。中も拝観でき、心落ち着く空間が広がっています。高野山では必見のスポットです。 -
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イチオシ
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根本大塔内陣
堂内は曼荼羅の世界を立体的に表現している。
本尊の胎蔵大日如来のまわりを金剛界四仏が囲み、鮮やかな16本の柱は堂本印像画拍の筆で十六菩薩が描かれている。 -
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西塔
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根本大塔。
真言密教のシンボルとして建立。多宝塔様式として日本初。非常に美しい堂内で十六本の柱には堂本印象さ
んによる十六大菩薩、四隅には密教八祖が描かれています。
堂高48.5m、昭和12年(1937年)再建。 -
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御社と山王院
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美福門院は鳥羽法皇の后として権勢をふるった女性で、保元の乱の原因を作ったと言われています。
一方で美福門院は高野山に深く帰依しており、この経蔵に納める一切経のため、紀州荒川の荘園を高野山に寄進しました。このことから、六角経蔵は「荒川経蔵」とも呼ばれています。壇上伽藍 寺・神社・教会
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イチオシ
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金堂
開創当時は講堂と呼ばれ、平安時代半ばからは高野山の総本堂となった。
現在の建物は1932年(昭和7年)の建立で7回目の再建。
本尊の薬師如来は高村光雲の造立。 -
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イチオシ
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大門
車で訪づれる人々を迎える高さ25mの巨大な門 -
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イチオシ
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イチオシ
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イチオシ
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