2016/04/27 - 2016/04/27
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旅人のくまさんさん
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名古屋市有形文化財の揚輝荘の紹介です。かつては1万坪の庭園とされますが、現在は北園と南園を合わせても3千坪ほどです。それでも名古屋都心部とは思えない自然が残ります。
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- 私鉄 徒歩
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イチオシ
山里を思わせるような、『揚輝荘・北園』の庭園の光景です。欝蒼とした樹々を縫って、石段の道がありました。かつての庭園の広さは、1万坪ほどとされます。
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左に説明文がありましたから、その説明文から、二つの石碑を紹介します。こちらの石碑には、『ひたり(左)志らひげみち』と記されています。元々は、京都嵯峨の伊藤次郎左衛門別邸の『聲々軒』にあった石碑と紹介されていました。『志らひげ』は、『白髭(大明神)』がある亀岡市神地(こうち)ではないかと記されていました。京都を偲んだ、伊藤祐民の遊び心のようです。ネット情報によれば、揚輝荘に関わる郷土史家の方の調査結果を基にした解説のようでした。
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もう一つの石碑の祖愉快です。こちらには、『ひたり(左)貴船」の文字が刻まれています。『きふね』は、『貴船』のようです。貴船神社がある京都市左京区鞍馬貴船町方面と想定されているようです。
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小高くなった場所から見下ろした、白雲橋の光景です。その左奥には、豊彦稲荷の赤い鳥居が微かに見えていました。
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イチオシ
『三賞亭(さんしょうてい)』の扁額の光景です。大正7年(1918年)、茶屋町(現中区丸の内二丁目)の伊藤家本宅から移築された、揚輝荘最初の建物とされます。
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『三賞亭』の説明プレートです。茶室内から眺める、紅葉や山桜の風情、池に映る景色などが見所となる建物であることが紹介されていました。下に茶室内の写真が付属していました。
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開けられていた地ビラから眺めた茶室の中の様子です。先程の説明文には、煎茶の茶室ですが、炉は切っていないと説明されていました。
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西側から眺めた光景になるようです。質素な佇まいにも見える、『三賞亭』の建物光景です。そんな中でも、ベンガラ色の壁や、踏み石などに、さりげない風流も感じられます。
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『揚輝荘北庭園』のタイトルがあった、説明立看板の光景です。庭園の全体が見渡せるビューポイントと紹介されていました。創建当時の写真には小舟が浮かび、水量豊富な池だったことが説明され散ました。
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南側から見下ろした北庭園の池の光景です。正面に池に架かる橋が見えました。この池には、白雲橋を含めて、五つほどの橋が架けられていました。
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同じく、南側から見下ろした北庭園の池の光景です。池には二つの島が設けられています。その内の、小さい方の丸い島の光景です。かつては、八丈島から移築された四阿(しあ:東屋)があったようです。
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『日泰寺逆さ五重塔』のタイトルがあった説明パネルの光景です。池に逆さに写り込んだ五重塔の写真がありました。大正7年(1918年)にできた『楠木橋』の下に、ぴったりと嵌まり込んだ、平成9年(1997年)建立の五重塔です。
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北園から南園に向かって上り坂になっていた小路の光景です。出入口が施錠されていましたから、揚輝荘が所有する専用通路のようでした。
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揚輝荘が所有する専用通路らしい出入口に設けられた扉の光景です。揚輝荘が一般開放される時間帯に合わせて開・施錠が行われるようでした。
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石段を登り切った先に見えてきた、揚輝荘の南庭園の建物光景です。揚輝荘座敷の建物と、その周りの塀の光景です。
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この後紹介する説明文から、『いとう丸』と呼ばれている商号の紹介です。伊藤家を表す『藤』の文字を、組織と団結を表す井桁と、完全を意味する円で囲んだデザインです。
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『いとう丸』のタイトルがあった説明パネルの光景です。先程。階段横にあった石片の解説でした。昭和5年(1930年)竣工の『伊藤銀行本店』の粗油面に飾られていた、銀行及び百貨店の商号と紹介されていました。江戸時代に制定されたものです。
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『揚輝荘(南園)配置図』と題された説明図です。『聴松閣』と、現在は非公開の『揚輝荘座敷』の位置が記され、庭園もアウトラインが記されていました。この図面の北は、下側です。
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『揚輝荘(北園)配置図』と題された説明図です。先ほど見学した『伴華楼』、『白雲橋』と、『三賞亭』の三つの名古屋市文化財の建物と、庭園のアウトラインが記されていました。この図面の北は上側です。
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『揚輝荘座敷』と題された説明パネルです。このパネルも屋外に設置してありました。大正8年(1919年)、矢場町五ノ切にあった建物が移築されたものであることが紹介されていました。室内写真も紹介されていました。
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名古屋市の登録文化財である北庭園の三つの建築物が紹介されたパネルの光景です。『白雲橋(はくうんきょう)』、『伴華楼(ばんがろう)』と、『三賞亭(さんしょうてい)』です。
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『田代タウンマップ』も一緒に掲示されていました。42箇所紹介された名所旧跡の内、10番の箇所に揚輝荘が記されていました。
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イチオシ
揚輝荘の南庭園にある、『聴松閣』の建物光景です。木材部分以外が、すべてベンガラ色に彩色された印象的な外観を持った建物です。
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脚の部分に、ハート形をイメージする山形がデザインされた風流な姿の石灯篭の光景です。蠟燭を立てるのが目的ではなく、この姿そのものが庭の飾りに使われたもののようでした。
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揚輝荘の南園にある『喫茶・べんがら』の看板光景です。『ベンガラ(弁柄)』は、赤色顔料の一種で、『紅殻(べにがら)』とも呼ばれます。『べんがら』の名称は、最初に産出したインドのベンガル地方に由来します。
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ここからは、揚輝荘の南園にある『聴松閣』に入城しての見学です。北庭園は室湯ですが、ここからは有料での見学です。専門の案内人の方が案内してくれることになりました。画面に表示されているのは、祐民がオッタマ僧正との縁で受け入れたビルマの青少年達の大正2年(1913年)の写真です。
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『聴松閣』の見学の前に、予備知識を得るために見学した展示室の光景です。揚輝荘が創建された当初の縮尺モデルも展示してありました。
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入口付近に『喫茶べんがら』の看板がありましたが、その喫茶店の店内光景になるようです。営業中のようでした。
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ガラスケースの中に展示されていた書籍類の光景です。中央の書籍は、昭和17年(1942年)に竹中工務店が発行した伊藤家関係の建物写真集です。伊藤祐民の愛用のシルクハットや、インド視察の記録(複写)の展示されていました。
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これも数寄屋風の造りの趣味の世界でしょうか、木板に印された、『チョウナ(手斧)』で削ったような刃型の光景です。
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