2016/04/27 - 2016/04/27
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揚輝荘は、千種区法王町にある名古屋財界人の伊藤家の別荘だった建物です。平成18年(2006年)に土地建物が名古屋市に寄贈され、2008年(平成20年)に市の有形文化財に指定されました。
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- 私鉄 徒歩
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揚輝荘の北園にある建物と庭園紹介の続きです。元々は松坂屋の前身でもある『株式会社いとう呉服店』の初代社長・伊藤次郎左衞門祐民の別荘でした。その、いとう呉服店や松坂屋時代の展示品です。
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イチオシ
左手に見えるのは、井桁の中に『藤』の文字が記された文様です。『伊藤』の文字を表しているように見えました。
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庭園のツツジの光景です。元々は、覚王山日暹寺(現在の覚王山日泰寺)に隣接する約1万坪(35,000平方メートル)の森を拓いて築かれた別荘です。
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室内に掲示してあった、説明パネルの紹介です。このパネルには、『祐民とは』のタイトルがありました。かつての『松坂屋』を、三越、白木や、大丸などと並ぶ日本有数の百貨店にした、伊藤祐民(1878~1940年)の業績が、年表で紹介されていました。伊藤次郎左衞門家の15代当主だった財界人です。
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こちらのパネルには、『三大伝統行事とは』のタイトルがありました。創業400年を超える、伊藤次郎左衞門家の伝統行事の紹介です。次の三つが解説されていました。
① お帳綴じ
② 初午祭
③ 大般若経転読 -
室内に掲示してあった、説明パネルの紹介が続きます。こちらには、『伴華楼とは』のタイトルがありました。尾張徳川家から配慮の平屋建てに、玉突き場と応接室を備えた迎賓館と紹介されていました。ここには記してありませんが、『バンガロー』をもじった建物のネーミングのようです。
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『建築様式と基本意匠』と題された説明パネルです。尾張徳川家の大曽根屋敷から運ばれた座敷・茶室に、洋風の建物がドッキングされた、和洋折衷のデザインについての解説がされていました。
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『揚輝荘の建築に携わった人々』のタイトルがあった似顔絵入りの説明パネルの光景です。似顔絵は、左から夏目漱石の義弟で建築家・大学教授の鈴木禎次氏、竹中工務店代表の竹中藤右衛門氏、松尾流家元の松尾宗吾氏です。完成した昭和14年(1939年)頃には、大小30棟余の建物が、移築・新築されたと紹介されていました。
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『月見の名所とは』のタイトルがあった説明パネルです。拾い読みしますと、『揚輝荘』の名前の由来は、『月見の名所』と紹介されていました。立地する覚王山は江戸時代から月見の名所で、『月見坂町』、『観月町』の地名があったことも紹介されていました。
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イチオシ
『株式会社いとう呉服店』の初代社長で、伊藤家15代当主の伊藤次郎左衞門祐民氏の胸像です。
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北園にあった建物の天井光景です。数寄屋風の意匠が各所に凝らしてあるのが特徴のようでした。数寄屋造りは、日本の建築様式の一つで、数寄屋(茶室)風を取り入れた住宅の様式です。
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この辺りにも、数寄屋風の意匠が各所に見られました。間仕切りの塀に設けられた出入口、敷石、塀の基礎などが直ぐに目に付きます。
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割れかけた亀の甲羅の様な敷石にも工夫がありました。六角形などではありませんが、柱状節理風に出現した自然の割れ目のようです。
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振り返って眺めた、最初に見学した建物の側面光景です。モザイク風の市松模様の壁の装飾には、数寄屋風の意匠が込められているようです。
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壁に填め込まれた瓦の数々です。数寄屋風の意匠の極みと言った光景です。由緒ある建物の瓦などが、壁だけでなく、室内の飾りにも使われていました。
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同じく、数寄屋風の造りの極みと言った、壁に填め込まれた瓦の光景です。
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間仕切りの塀に設けられた出入口の光景です。潜る前には、石塀か土塀の光景でしたが、こちら側からは、木造の出入口に見えました。
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昭和2年(1927年)、京都の『御所稲荷(豊彦稲荷)』を勧請したとされる、『豊彦稲荷』の拝殿光景です。毎年、この場所で三大行事の内の初午祭が行われます。
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北園の一角にある『豊彦稲荷』の赤い鳥居列の光景です。潜り抜けることができました。社の中には、天保12年(1841年)の賽銭箱があったことが立札に記されていました。
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同じく、横から眺めた、『豊彦稲荷』の赤い鳥居列の光景です。緩い登り坂の部分に建てられていました。
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大きな幹に表示してあった、『アベマキ』の名札です。ブナ科コナラ属の落葉高木で、コルククヌギや、ワタクヌギの別名を持ちます。かつては、コルクの材料となったようです。
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真下から見上げた、アベマキの大木の光景です。ヨーロッパ・北アフリカでは、更にコルク層が発達した、コルクガシからコルクが生産されます。コルクの年間生産高は約30万トンで、ポルトガル61.3%、スペイン29.5%、イタリア5.5%となっています。ポルトガル旅行の時、コルカウガシの管理は国レベルで厳格に行っているとお聞きしたことがあります。個人的には、ランの栽培にコルク板付けを行っています。
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北庭園の池に架かる『白雲橋』の光景です。個人の別荘としては、贅を尽くしたものであることが、この橋を見ただけでも分かりました。
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渡ることは出来ませんでしたが、中の様子を覗うことができた『白雲橋』の光景です。北側の天井には、伊藤祐民が描いた竜の絵が飾ってあるようです。写真には撮り損ないました。
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『白雲橋』のタイトルがあった立看板の光景です。修学院離宮の『千歳橋』の写しとされる、屋根のある橋、『亭橋』についての解説です。屋根のある橋では、中国の『建築の民』と言われる、とン族の造った見事な橋を想い出します。三江の程陽橋などです。
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『白雲橋』のタイトルがあった立看板の光景です。修学院離宮の『千歳橋』の写しとされる、屋根のある橋、『亭橋』についての解説です。屋根のある橋では、中国の『建築の民』と言われる、とン族の造った見事な橋を想い出します。三江の程陽橋などです。
『白雲橋』の近くを泳いでいた、緋鯉か、あるいは錦鯉の光景です。赤や白など、色とりどりですから、錦鯉が主体かも知れません。 -
側面から眺めた、『白雲橋』の光景です。石垣の上にある左右の建物を、橋の部分の回廊で繋いだような造りに見えました。
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イチオシ
同じく、側面から眺めた『白雲橋』の光景です。先程の説明パネルには、屋根は緑釉瓦で、一部銅板葺き、橋の部分は杮(こけら)葺きと説明してありました。
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『円形野外ステージ』のタイトルがあった説明パネルの光景です。『鉄平石』を張った客席がある、屋外劇場跡と紹介されていました。『鉄平石』とは、長野県の諏訪地方・佐久地方に広く分布する輝石安山岩の板状節理がよく発達した石材です。かつては民家の屋根などにも使われていたようです。
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『円形野外ステージ跡』の光景です。かつてのイベントでは、3日間で2800名が来荘したとされ、その写真も紹介されていました。近年、イベントの復活も計画されているようです。
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