2016/04/08 - 2016/04/15
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ペコちゃんさん
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今回は『美しきバルト3国とポーランド・ヘルシンキ8日間』の旅です。
ツアーは36名の大団体でしたが、旅慣れた人ばかりで大したトラブルもなく、それぞれの国の歴史や文化遺産などに触れることが出来、楽しい8日間の旅となりました。
最高齢者は85歳の一人参加の男性でしたが、トレッキング用のスティックを使って石畳の旧市街も元気に歩き、羨ましい限りで刺激を受けました。
最初の観光地・ポーランドは、面積が日本の83%でヨーロッパでは7番目に大きな国ですが、南部山岳地帯を除き9割が海抜300m以下の平地で、とにかく広さを感じますす。
人口は3千8百万人で、国民の9割がカトリック教徒。
そして、コペルニクス(天文学者)、ショパン(音楽家)、キュリー夫人(科学者)、ヨハネ・パウロ2世(前ローマ教皇)、アンジェイ・ワイダ(映画監督)などの著名人を生んだ偉大な国ですが、過去はつらい歴史が続きました。
首都のワルシャワは、人口が173万人・・・第二次世界大戦で廃墟となりましたが、市民の力で見事に復元した街です。
建物の破片一つ一つを集めて、昔と同じ街並みに戻した気が遠くなるような復元作業には頭が下がります。
写真は、ワジェンキ公園にあるショパンの像・・・優雅さ・繊細さを感じるショパンらしい像でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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今回のツアーは、成田 ⇒ ヘルシンキ(乗継) ⇒ ポーランド・ワルシャワ ⇒ リトアニア ⇒ ラトヴィア ⇒ エストニア ⇒ ヘルシンキ ⇒ 成田 と、5か国を一筆書きで回る6泊8日の行程・・・ヘルシンキは10年ほど前に訪れたことがありますが、他の国は初めてです。
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<1日目>
9時に成田空港に行き、手続きを済ませた後、ゴールドカードメンバー用ラウンジで休憩。
アルコールの無料サービスもあり、先ずは生ビールで旅行中の無事を願って ” カンパ~イ! ” -
11時発のフィンランド航空でヘルシンキに向かいます。
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飛行機の機体には、フィンランドのファッションブランド・マリメッコのデザインが・・・前回もマリメッコのバッグを、息子たちのお嫁さんにも買いましたが、今回もゲットしなくちゃ。
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13時半から飲食の機内サービス。
フィンランド航空は日本人のCAがいますので、何かと心強い。 -
メニューは魚とポテト、もう一つはポークとご飯・・・どちらのも美味しく頂きました。
ビールは、フィンランドのトップブランド・カルフ・・・度数5.3%で風味の強いラガービールですが、夫は ” 美味しい ” と言ってヘルシンキまでのフライトで4本も飲んでいました。
私はブルーベリージュース・・・これがとても美味しかった! -
ヘルシンキ到着前の軽食は、ビーフとウドン。
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10時間半のフライトで15時半にヘルシンキ国際空港へ到着・・・この空港はヴァンター市にあるので「ヴァンター空港」とも呼ばれます。
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空港ビルは、マリメッコをはじめ、多くの店が並んでいます。
ムーミンカップなどは前回買ったので、今回はお菓子など孫達のお土産を購入・・・喜んでくれるかな? -
入国手続きの後、ワルシャワ行のフライトまで約2時間を、ショッピングやおしゃべりで過ごしました。
今日から8日間、一緒に旅をする初対面のお仲間と話が盛り上がり、楽しい旅になりそうです。
ターミナルビルの端にあるワルシャワ行の待合場所は、通常のベンチでなくレストランの席・・・天井の紙で作られた照明も北欧っぽくてお洒落。 -
17時20分発のワルシャワ行に搭乗。
日本とフィンランドの時差は7時間ですが、3月末~10月末まではサマータイムなので、今は6時間。
ところがポーランドとは8時間と7時間・・・また腕時計を修正しなくちゃ。
これをちゃんとしなかったために、翌朝の貴重な時間、悲劇に見舞われた(?)ご夫婦がいました。 -
ワルシャワ行の機内サービスは国内線と同様、飲み物だけ。
フィンランド航空は、紙コップと紙ナプキンにマリメッコのデザインをあしらい、グッドセンス。 -
ヘルシンキから1時間45分のフライトでワルシャワへ。
今は4月上旬なので雪を心配していましたが、フィンランドもポーランドも全く雪はありません。
ポーランドは北緯49度から54度の北国で、首都ワルシャワは、北海道・樺太を飛び越えてカムチャッカ半島と同じくらいの緯度ですが、この冬はヨーロッパも暖冬だったようです。 -
ワルシャワ・ショパン空港は軍民共用で、1934年に開業。
ワルシャワ中心部から10kmの近さです。 -
スーツケースをピックアップして集合場所へ。
夕方のせいか、比較的閑散としています。 -
集合場所のそばにピアノが置いてありましたが、ピアニストが座って演奏を始めました・・・空港でピアノの生演奏を聴くなんて、さすがショパンを生んだ国ですね。
1927年に始まった、5年に一度のショパン国際ピアノコンクール・・・これまで中村紘子さんをはじめ、10名の日本人の入賞者はいますが、まだ優勝者はなく、内田光子さんの2位が最高です。
アジアでは中国と韓国が優勝者を出しており、いつの日か日本人の優勝者が出れば嬉しいですね。
このピアノはコンクールで使用されたものだそうです。 -
この空港は、2001年にオケンチェ空港から「ワルシャワ・ショパン空港」と名称を改めました。
ポーランドンの著名人の名前を冠した空港は、既にクラクフがヨハネ・パウロ2世国際空港、グダンスクがグダンスク・レフ・ワレサ空港、ヴロツワフがミコワイ・コペルニク空港と先に使っていたので、この空港は仕方なく(?)ショパンにしたのだとか。 -
空港ビルを出て道路を挟んだ所に、今日から2連泊する「コートヤード マリオット」があります。
空港とこんなに近いホテルは、世界でも類を見ないでしょうね。
海外旅行は何度か行きましたが、空港からハードケースをカラカラと引きながらホテルにチェックインしたのは初めてです。 -
部屋(359号室)は広く、完全防音で快適です。
明日からに備えて、今夜はゆっくりと休みましょう。 -
<2日目>
6時から朝食が出来るので、ロビーを上がった所にあるカウンターで部屋番号を告げて、右側のレストランへ・・・ -
珍しい緑のカーネーションの一輪挿しが、各テーブルの花瓶に・・・ ” この花、緑の水を吸わせてるのよ ” と、お仲間から夢のない一言が。
でも、本当は「プラドミント」という品種です・・・淡いミントグリーンが綺麗ですね。
時計をキチンと直してなかったため、一時間も早くレストランに来たご夫婦がいました。 -
観光の出発前に時間があったので、空港に行ってみると、もうかなりの旅行者が並んでいます。
朝の8時ですが、皆さん何処に行くのかな? -
空港内の店も開いており、早速、ポーランドのクマちゃんをゲット。
我が家には世界のクマちゃん達が新入り仲間を待っています・・・この子で何匹目かな? -
ポーランドはこの時期、エニシダやスモモ・サクランボなどの果樹の花が咲き誇っています。
ポーランドの国土は4割強が農地で、EU先進国の生鮮食品生産基地としての役割を持っています。
果樹栽培も盛んで、リンゴは中国・アメリカに次いで世界第3位・・・ガイドさんの話では、サクランボはバケツ一杯で200円とか300円とか。
日本の桜は見るだけと言うと、ポーランド人は信じられない顔をするそうです。
この国では、花の木を植えるのは美味しい果実を採るためで、花の鑑賞だけなんて信じられないそうで、日本の桜の開花宣言のニュースは、ポーランドでは不思議なことのようです。 -
ワルシャワの観光に出発。
ポーランドの歴史は、966年のポーランド公国の建国に始まります。
1241年にはモンゴル帝国の侵攻を受け、1569年にはリトアニアを併合し、1611年には首都をクラクフからワルシャワに移転しました。
その後、ワルシャワは「北のパリ」として発展を遂げますが、1795年にロシア・プロイセン・オーストリアによる分割でポーランド王国は消滅します。
1917年のロシア帝国の崩壊、第一次大戦のドイツ敗北により、ポーランドは独立を回復しましたが、第二次大戦のドイツ侵攻によりワルシャワの街は殆ど破壊される等、苦難の歴史がありました。 -
1989年に社会主義体制から民主化され、2004年にEUに加盟しましたが、ユーロは導入しておらず通貨は「ズロチ(Zloty)」・・・成田で両替した時のレートは、1ズロチ:34.7円。
親日的な国ですが、日本からの訪問者は、年間約7,500人。
首都・ワルシャワはショパンとピアノの関係か、浜松市と音楽文化友好交流協会を締結しています。
街を走る2連結バスもカラフル。 -
ワルシャワ観光の最初は、ヨーロッパで最も美しい公園のひとつと言われる「ワジェンキ公園」から。
公園の外の一角にあるのは、第2次ポーランド共和国の初代元首だったユゼフ・ ピウスッキ元帥(1867年~1935年)の像。
日露戦争勃発直後の1904年夏、日本を訪問したこともあります。 -
ワジェンキ公園を入った所にあるショパンの銅像・・・最初の像は、第2次大戦時、ドイツ軍によって破壊され、現在の像はクラコフ芸術大学のマリアン・コニエチニイ教授によって作成されたもの。
ショパン像の前で行われるショパン・コンサートは、ワジェンキ公園の夏の風物詩になっています。 -
フレデリック・フランソワ・ショパン(1810年~1849年)は、ポーランドの前期ロマン派音楽を代表する作曲家で、ピアニストとしても有名でした。
ノクターンやワルツなど、ピアノの演奏会において取り上げられることが最も多い作曲家の一人です。
ショパンの肖像画や像はいくつかありますが、柳の根元に腰かけ、物思いに耽る様子を表したこの像は、繊細で美しい。 -
これはショパンのベンチ・・・2010年のショパン生誕200年を記念して、旧市街などショパンと関わりのある場所に設置されました。
ベンチの左下には、その場所とショパンの関わりを記した解説があり、横のボタンを押すとショパンのピアノ曲が流れます。
パパ ” そのボタンを押すんだよ ” ボク ” 出来ない! ” -
ワジェンキ公園の後は、郊外にあるショパンの生家を訪れました。
その途中、バスの車窓から撮ったワルシャワの風景を少し紹介します。
これは、円筒形がユニークな「聖アレクサンドル教会」・・・19世紀初頭に建てられ、1944年のワルシャワ蜂起(ナチスドイツに対する武装蜂起)の際にドイツに破壊されますが、1958年に修復されました。 -
1975年に完成したワルシャワ中央駅。
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駅の右隣にある、バブルのようなユニークな形をした建物。
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新しいビルも沢山建っています。
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『M』のマークは地下鉄2号線の出入り口・・・マクドナルドではありません。
ワルシャワの地下鉄は、1995年に開通した1号線、昨年開通した2号線に続き、現在3号線を建設中。
まだ空港には乗り入れていません。 -
綺麗な花屋さんが並んでいると思ったら・・・周りは大きな墓地でした。
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ワルシャワから1時間ほどの郊外の小さな村「ジェラゾヴァ・ヴォラ」に「ショパンの生家」があります。
当時の建物は残念ながら消失してしまいましたが、ショパンの生まれた当時のままに復元し、現在は博物館として家具や内装などを展示・公開しています。 -
これは、ショパンが姉妹と一緒に父の誕生日に贈った直筆の手紙。
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ショパンの父親・ニコラはフランス人で、16歳の時にポーランドに渡り、ポーランドの由緒正しい名門貴族・ウォンチニスキ伯爵家の子供たちのフランス語の家庭教師としてこの家に住み込みました。
1810年3月1日にショパンはここで生を享け、生後7カ月まで住んだ後、家族でワルシャワに移住。
ショパンの生年月日は1810年2月22日や1809年3月1日という説もあるそうです。 -
窓から見える庭園も絵になります。
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ショパンの時代のピアノ。
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裏庭にあるショパンの銅像・・・ポーランドの人は、「このショパンの手は大きすぎる」と言っているそうです。
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生家の周りは美しい公園として整備されており、小川の流れや、咲き乱れる花々を見ながら、19世紀のショパンの時代を偲ぶことが出来ます。
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日本では見かけない花も咲いています。
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入り口のゲストハウスで、私達もCD・チョコ・ボールペンなどのショパングッズを購入。
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ショパンの生家に隣接したレストラン「ショパン」で昼食。
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良い雰囲気の店です。
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壁にはショパン関連の絵や写真が飾られ、自家製のジャム・ピクルス・ハチミツなどを並べて売っています。
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メニューはジュレック(発酵したライ麦のスープ)に、メインは白身魚。
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昼食後、ワルシャワの街に戻り、観光を続けます。
特異な存在感を放つこの建物は「文化科学宮殿」・・・社会主義時代の1956年に、スターリンからポーランドに贈与された建物で、もともとは「ヨシフ・スターリン記念文化科学宮殿」という名称でした。 -
文化科学宮殿はデフィラト広場に建つ37階建てのビル・・・高さ234mの塔が聳え、部屋数3280、総床面積12万3000平方mという巨大建築物。
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内部には科学博物館・劇場・コンサートホール・映画館・プール等があり、テレビ局やオフィスも入居しています。
しかし、ワルシャワ市民の評判は悪く、「ソ連の墓石」などとこき下ろしているとか。
私達もお手洗いを拝借するため立ち寄りましたが、マー、何とも大きい建物です。 -
ポーランドはアップダウンが殆どないので、オランダと同様、自転車が盛んな国・・・駅の近くや観光地など、街のあちこちにレンタサイクルが設置され、登録すれば自由に借りて、目的地でそのまま返却出来るので、大変便利になっています。
インターネット等で携帯番号と名前などを登録し、利用料10ズロチを支払えば何度でもレンタルでき、一回の利用時間が20分を超えると、追加料金を支払います。
因みに、ワルシャワのレンタサイクルの期間は春~秋で、冬になると撤去されます。 -
「聖十字架教会」・・・ポーランド人の誇りとする楽聖・ショパンの心臓が柱に埋納されている教会です。
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聖十字架教会の前にあるキリストの像。
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中央の祭壇。
カトリックの信者は世界で12億人ほどいますが、ポーランドはバチカン司教の聖パウロ二世を出したように、世界有数のカトリック信者が多い国です。 -
入口側の上にあるパイプオルガン。
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教会の中は金銀がふんだんに使われており、華麗かつ荘厳な雰囲気です。
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祭壇に向かって左の柱の下部に、ショパンの心臓が埋められています。
ショパンは肺結核に侵され、39歳の若さでパリで亡くなりましたが、当時の事情から、遺体をそのままポーランドに持ち帰ることは叶いません。
ポーランドを深く愛していたショパンは、心が宿るとみなされる心臓だけは祖国へ帰ることを遺言で望み、お姉さんが心臓をアルコール漬けにして祖国に持ち帰りました。
第二次世界大戦で教会は半壊し、ショパンの心臓はナチスドイツに持ち去られましたが、教会も再建されてショパンの心臓も戻ってきました。 -
壁にかけられた絵画も見応えがありますが・・・
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色鮮やかなステンドグラスが目を引きます。
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1980年にユネスコ世界遺産に登録されたワルシャワ歴史地区は、例外的な世界遺産・・・戦争によって灰燼に帰した街並みが完全な姿で再建されたとはいえ、昔のオリジナルの建物ではないからです。
ワルシャワ歴史地区が世界遺産に登録されたのは、建物自体の歴史的な価値ではなく、首都再建を願ったポーランド国民の情熱がユネスコによって高く評価されたからでしょう。 -
市民が中心となり、昔の絵画や街の破壊を予期して人々が描いたスケッチ・写真などをもとにして、レンガのヒビに至るまで丹念に修復され、中世の街並みは復活しました。
これは1778年当時の聖十字架教会と周辺を描いた、路上に飾られたパネル・・・上の写真を比べると、復元の見事さが分かります。 -
「ポーランド科学アカデミー」の前にある、地動説で有名な「コペルニクスの像」・・・右手にコンパス、左手に天球儀を持ったコペルニクスの像は、1830年に建てられました。
コペルニクスは16世紀に地動説を唱えた天文学者で、当時の天動説に疑問を感じたコペルニクスは、星の軌道計算を行い、地球が太陽の周りを回っている地動説を唱え、その思想は、ガリレオの地動説の裏付けに受け継がれていきます。
地動説が認められたのは、コペルニクスの死後200年以上経ってからのことでした。 -
メインストリートの「クラクフ郊外通り」・・・クラクフ方面に向かっているために、この名が付けられました。
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通りを歩いていると、竹馬に乗ったような長い足で旗を振るグループが・・・芸大生のデモンストレーションでした。
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「ヴィジトキ教会」・・・街が壊滅状態になった第二次大戦時の空爆で、全壊を免れた数少ない建物の一つで、18世紀後半にバロック様式で建てらた教会です。
手前にあるのは、ヴィシンスキ枢機卿の像・・・1948年から亡くなる1981年までの約33年間、ワルシャワ首都大司教を務め、パウロ2世とともにポーランドの国民的英雄として尊敬されています。
ショパンは15歳の時に、この教会でミサのオルガニストをしていました。 -
ポーランドでもキティちゃん。
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ポーランドの国旗が立っている所は「無名戦士の墓」・・・この記念碑は、第一次世界大戦やポーランド・ソビエト戦争で、ポーランドを守るために戦った人々に敬意を表して、1925年に建造されました。
1944年に破壊され、その後再建されたここには、1918~1920年間に戦死した無名戦士の遺骨が納められています。 -
「ポーランド大統領官邸」・・・この建物はポーランドの貴族・ラジヴィウ家の館でしたが、1765年に館の一部を劇場として開放し、ポーランドで最初のオペラが上演され、ショパンも初めての演奏会を行った所で、1994年からポーランド大統領の官邸となりました。
手前にあるのは、ユゼフ・ポニアトフスキ大公の騎馬像・・・3国分割で祖国を失ったポーランドを復活させるために戦った英雄の1人。 -
大統領官邸は、陸・海・空の兵士が順番に警護しています。
ちょうど17時になり、本日の任務は終わり・・・ということで、皆さん、引き揚げて行きました。 -
「聖母マリア教会」・・・15世紀に建てられ、1966年に再建されました。
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「アダム・ミツキェヴィチ像」・・・ショパンにも影響を与えたロマン派の詩人アダム・ミツキェヴィチ(1798年~1855年)は独立運動にも積極的で、祖国を愛した詩人として尊敬されています。
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みんなで仲良くソフトクリーム・・・美味しいね。
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ポーランド公爵・ボレスラフ3世の未亡人・アンナが、ベルナルド会のための修道院として設立した「聖アンナ教会」・・・1702年に侵攻したスウェーデン軍に破壊されますが、その後、再建しました。
左隣に建つ鐘楼は16世紀のルネサンス様式で、タワーに登るとワルシャワの美しい景色が一望できます。 -
この教会で式を挙げたカップルは幸せな結婚生活が続くといわれ、なかなかの人気だそうです。
今日は土曜日なので、中に入ると結婚式が行われていました。 -
聖アンナ教会の先にある赤い建物が、再建されたワルシャワの「旧王宮」。
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王宮広場にある王宮も1939年に空襲を受けた後、1944年にはナチスドイツ軍に完全に破壊されてしまいました。
1988年に外装から内装まで全て昔のままに再建され、現在は博物館として破壊を免れた調度品や絵画・美術品を展示しています。 -
旧王宮前にあるジグムント3世の像。
ワルシャワの地に人々が定住したのは10世紀頃の頃で、13世紀末には、現在王宮のある辺りを中心として町が形成されました。
ジグムント3世は、1596年に首都をクラクフからワルシャワに移し、ワルシャワを発展させました。 -
ポーランドの在留邦人は、ワルシャワ(約450人)を中心に約1300人。
多くは企業関係者ですが、ピアノを学ぶ留学生もいます。
5年に一度開催のショパン国際ピアノコンクールの次回開催は、2020年10月。
王宮広場にいると、日本人のピアノ留学生が友達と2人で来て、 ” 今夜コンサートがあるので、観に来て下さい ” -
「ワルシャワ国立競技場」はサッカー専用の球技場・・・老朽化したスタジアムを解体し、2012年に建て替えられました。
因みに、ポーランドの人気スポーツは、サッカー・バレーボール・スキージャンプ・体操・水泳の順になっています。 -
ワルシャワ歴史地区の石畳の上を行く馬車・・・まるで中世の街にいるよう。
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このストリートパフォーマーは、どうやって宙に浮いているのでしょう?
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「聖ヤン(洗礼者ヨハネ)大聖堂」・・・14世紀に建てられ、ワルシャワで最も古い建物の一つでしたが、現在の建物は1956年に復元されたもの。
レンガ造りのファサードが印象的な建物です。 -
教会の前には花束を飾った車が停まっており・・・
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中に入ると、ちょうど結婚式が終わったばかりの新郎・新婦が・・・お幸せに!
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ゴシック建築のこの教会は、ポーランド最後の王の戴冠式など、多くの歴史的イベントが行われた場所で、中央の祭壇も荘厳な造りです。
ナチス・ドイツは、このような由緒ある教会まで徹底的に破壊したのだから、まさに歴史的犯罪ですね。 -
入口の上にはパイプオルガン。
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ここも聖十字架教会と同じようにステンドグラスが素晴らしい!
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聖ヤン教会の隣にある「聖母教会」・・・ジグムント3世の支援でイエズス会の教会として1629年に建てられましたが、第二次大戦で破壊され、1956年に復元されました。
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旧市街広場で、ドーナツのようなパンを糸で纏めて売っている人。
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ワルシャワの旧市街の中心・旧市街市場広場にある「人魚像」・・・左手に盾、右手に剣を持ち、ワルシャワ市の紋章になっています。
人魚と言えばコペンハーゲンの人魚姫を思い出しますが、そちらは『姫』と称するだけあって、いかにも女性的な形ですが、こちらは戦闘的な出で立ちで、ジャンヌダルクのような雰囲気。 -
人魚像には、ワルシャワの市名に関わる伝説があります。
昔、ワルシャワの街を流れるヴィスワ川に仕掛けた漁師の網に人魚が掛かりました。
漁師夫婦は貧乏でしたが、人魚が「私を川に帰して」と懇願したので、願いを叶えてやったところ、漁師が住む辺りに多くの人が集まり、魚がよく売れるようになったとのこと。
夫婦の名がワルスとサワだったので、これがワルシャワの名になったと伝えられています。 -
15世紀~16世紀にかけて、旧市街を守るために造られた赤レンガ造りの円形状の砦「バルバカン」・・・城壁の一角に造られたバルバカンが旧市街と新市街の境目になっています。
ワルシャワのバルカバンは火薬庫や牢獄に使われたこともありますが、これも第二次大戦で破壊され、1954年に再生・復元されました。 -
キュリー夫人の生家は「キュリー夫人博物館」になっています。
残念ながら現在は改修中。
ワルシャワ生まれのキュリー夫人(1867~1934)は、放射線の研究で1903年にノーベル物理学賞、1911年にノーベル化学賞を受賞しました。 -
彼女が生まれた当時、ワルシャワはロシアの支配下にあり、当時のロシアでは女性は大学に入学することを許されていなかったため、24歳(1891年)の時にパリに行き、パリ大学に入学します。
その後結婚して、夫のピエール・キュリーと研究に励み、ラジウムの発見でノーベル物理学賞を夫婦で受賞しました。
ノーベル賞を複数回受賞した人は何人かいますが、彼女がその最初です。
また、自然科学分野での女性のノーベル賞受賞者は延べ16人で、これも彼女が最初。
因みに、キュリー夫人の娘もノーベル化学賞を受賞しています。
キュリー夫人は死の直前まで研究を続けましたが、放射性物質による長期間の被爆で白血病に犯され、亡くなりました。 -
ワルシャワの観光も終わり、19時に旧王宮から近いレストラン「HONORATKA」へ・・・かつてのワインセラーだった建物を改装した、1826年創業の老舗レストランです。
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ホノラトカとは当時の女性所有者の名前で、ショパンも通っていたと言われる有名な店です。
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メインはカツレツで、付け合わせはポテトとキャベツ。
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<3日目>
朝食を済ませ、リトアニアに向けて8時に出発・・・今日は460kmのロングドライブです。
ワルシャワの郊外に出ると、煙突の上にコウノトリが・・・ポーランドはコウノトリの国で、全世界のコウノトリの4分の1がポーランド国内で繁殖するそうです。
ここからバルト三国まで、多くのコウノトリを見かけました。 -
ポーランド北東部に位置する国境近くの町・アウグストゥフまで走り、昼食のレストラン「アルバトロス」へ。(アルバトロス:アホウドリ)
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今日は日曜日なので、礼拝を終えた地元の人達が大勢やって来ました。
ローソクのように見えるナプキンの形がユニークですね。 -
胡瓜のスープにメインは肉料理、左にあるのはポーランドの伝統ドーナツ「ポンチキ」・・・ポンチキは「つぼみちゃんたち」の意味だそうです。
ポーランド最後の食事を終えた後は、リトアニアのトラカイ城に立ち寄って、首都・ビリニュスに向かいます。
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