2016/04/08 - 2016/04/15
337位(同エリア783件中)
ペコちゃんさん
- ペコちゃんさんTOP
- 旅行記407冊
- クチコミ106件
- Q&A回答1件
- 621,139アクセス
- フォロワー21人
ラトビア共和国はバルト海東岸に並ぶバルト三国の真ん中の国で、人口は215万人。
首都・リガ(ラトヴィア語の発音はリーガ)は港湾都市で、バルト海クルーズの寄港地にもなっており、港町・神戸市と姉妹都市となっています。
そして、バルト三国では一番の大都市。(リガ:73万人、リトアニア・ヴィリニュス:54万人、エストニア・タリン:40万人)
1201年にドイツ・ブレーメンの僧正・アルベルトがリガに要塞を築き、ドイツ人によるバルト地方征服の拠点となり、13世紀末にはハンザ同盟に加盟し、街は急速に発展して、今でも北ドイツ風の建物や文化が随所に残っています。
その後、16~19世紀にかけて、ポーランド・リトアニア連合国、スウェーデン、帝政ロシアの支配を受けます。
帝政ロシア期にはロシア第三の大都市に成長し、新市街にはユーゲントシュティール様式の優雅な建築が次々と建てられました。
ラトヴィアと聞くと、思い浮かぶのが「百万本のバラ」の歌です。
原曲は1981年にラトヴィアで生まれた『マーラは与えた』という歌で、日本では1987年に加藤登紀子さんのカバー曲がヒット・・・” 貧しい画家が一目惚れした女優のために、百万本のバラを彼女のいる宿舎の窓の下に敷き詰める ” という歌詞なので、恋のバラードだと思っていました。
原曲には、「マーラは娘に生を与えたけど、幸せをあげ忘れた」「もう母はいないので、今は一人で生きていかなくてはならない」などの歌詞があります・・・小国ゆえに、近隣諸国から絶えず侵略されてきたラトヴィアの悲劇の歴史を「幸せをあげ忘れた」と表現しているのです。
子守唄のように優しく歌いながら、実は、民族の自尊心と支配者への抵抗への思いが込められています・・・こんなことも感じながら、リガの美しい街並みや教会を楽しみました。
写真は、美しくライトアップされたブラックヘッド会館・シュワブ会館と聖ローランド像。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
PR
-
リトアニア・シャウレイの十字架の丘を出発して、リガまで88kmの所までやって来ました。
時間は19時20分・・・まだ、昼間の明るさです。
ラトヴィアは国土の約半分が森林で、平坦な緑の大地が延々と続きます。 -
19時半に国境を通過・・・バスはノンストップで走り続けます。
-
20時18分に、やっと陽が傾いて来ました。
今日も380kmほどのロングドライブでしたが、リガの街は、もうすぐです。 -
遅い到着でしたが、リガの美しいトワイライトが見れて、結果オーライです。
-
(上の写真)ダウガヴァ川に架かる鉄道橋。
(下の写真)アクメンス橋と、2014年にオープンした国立図書館。 -
ソ連が建てた巨大なライフル部隊の像・・・ソ連時代には多くのロシア人がラトヴィアに移住してきており、ラトヴィア独立に反対する彼等は、この像の所に結集したのだとか。
-
市庁舎前広場の正面に建つ「ブラックヘッド会館」・・・第二次世界大戦中にドイツ軍の空襲により破壊されましたが、リガ創設800年を記念して2000年に再建されました。
-
市庁舎広場の東に、ひときわ高い塔が聳えるのは「聖ペテロ教会」。
-
聖ペテロ教会の裏にある「ブレーメンの音楽隊」の像。
姉妹都市であるドイツのブレーメンから1990年に贈られたという、ロバ・犬・猫・鶏の音楽隊・・・人々が触れるロバの鼻は、いつもピカピカ。 -
これは4年前にドイツを旅行した時の写真ですが、ブレーメンの御本家の方が可愛いと思いませんか・・・動物たちの顔が穏やかです。
-
20時50分。やっと薄暗くなってきました。
日本ではお風呂に入って、そろそろ寝ようかという時間ですが、これから夕食タイム・・・ラトヴィア料理のレストラン「ZILA GOVS」へ。 -
店内は広く、アットホームな雰囲気です。
-
メインはロールキャベツ。
デザートは、ほおずき入りのアイスクリーム・・・初めて食用ほおずきを食べました。
皆さんも珍しそう・・・ -
22時を過ぎましたが、まだまだ街は賑やか。
ステンドグラスの照明がいい感じですね・・・ステンドをやっている者としては、すぐに目が行きます。
デザインはバラバラでも、良い雰囲気を出してました。 -
バスが待っている市庁舎前広場へ。
ブラックヘッド会館の前には、リガの守護聖人「ローランドの像」が建っています。
遅くなったおかげで、こんな素晴らしい夜景が見れました。 -
鉄道橋もライトアップされ、美しい夜のリガが楽しめました。
-
ホテルの部屋に入ると、もう22時半を過ぎています。
部屋は広く、ゆっくり休むことが出来ました。 -
<5日目>
リガのホテルは「ベルビュー パーク ホテル リガ」。 -
フロントは、何と水槽になっており、綺麗な熱帯魚がスイスイ泳いでいます。
-
お喋りしながらの朝食も美味しい。
-
出発までに時間があったので、ホテル周辺を散策。
ホテルの傍にトラムが走っており、キヨスクもオープンしています。 -
ダウガヴァ川に架かるケーブルつり橋の「ヴァンシュ橋」は1981年に開通しました。
-
今日も良い天気です。
-
ロシア教会がありました・・・ウーン、この色、存在感がありますね~
-
パリの街角を思わせる雰囲気ですね。
-
ホテルに戻ると、ドライバーのロマンさんがバスの洗車中。
ワルシャワからタリンまで安全運転で私達を運んでくれた彼は、ナイスドライバーでした。 -
9時にリガの観光に出発。
昨夜見た国立図書館が、ダウガヴァ川に美しい姿を見せています。
この図書館は、リトアニアと同様、1919年にロシアから独立したラトヴィアの95周年を記念して2014年にオープンし、最上階からはリガの旧市街の眺望が楽しめるそうです。 -
ケーブルつり橋のヴァンシュ橋。
ダウガヴァ川はロシアのヴァルダイの丘が源で、ベラルーシからラトヴィアを流れ、リガ湾でバルト海に注ぐ全長1000kmの川です。 -
川の東側にある新市街へとバスは進みます。
-
ラトヴィア国立歌劇場(オペラ座)でバスを下車。
1863年に建てられたオペラ座は1240の観客席と150の立見席があり、内装が非常に豪華で、芸術的価値の高い建物だそうです。
ここから旧市街へ歩いて観光します。 -
オペラ座の前は公園になっており、噴水があります。(今は水が出ていませんが)
-
ミツバツツジが咲く公園のベンチに座る親子。
-
ラトヴィア共和国の独立を記念し、1935年に市民からの寄付金で建てられた「自由記念碑」・・・元々ここには、リガのロシア帝国への併合200周年を祝うピョートル大帝の像がありました。
新市街と旧市街の境目に建つ、高さ42mの記念碑の上部には、当時のラトヴィアの主な3つの地域を意味する星を掲げた「ミルダ」と呼ばれる女性像が立っています。 -
自由記念碑は、ロシア帝国からの独立を果たしたラトヴィア独立戦争(1918~1920)で亡くなった兵士に捧げる碑で、台座には「祖国と自由に」という文字が刻まれています。
-
街角の花屋さん。
-
新市街の北側に「ユーゲントシュティール建築群」の一角がありますが、今回は時間の関係で行けませんでした。
しかし、市内の建物の約4割はユーゲントシュティール様式で建てられており、新旧市街で随所に見ることが出来ます。
ユーゲントシュティール(青春様式)は、19世紀後半にヨーロッパ各地を席巻した装飾的なデザインの新芸術様式です。
この建物もそうかな? -
リーヴ広場で琥珀の露店を準備中の女性。
以前、ロシアに行った時に琥珀は買ったので、今回は見るだけです。 -
まだ9時半なので、昼間は賑わう「リ―ヴ広場」も閑散としています。
-
聖ペテロ教会の尖塔がよく見えます。
-
昨日の夕食のレストラン「ZILA GOVS」はリ―ヴ広場にあったんですね・・・夜の雰囲気と全然違います。
-
リーヴ広場の北側にある「猫の家」・・・この家には裕福なラトヴィア商人が住んでおり、大ギルドに加わりたいと思っていました。
しかし、ラトヴィア人であるという理由でドイツ人が支配的なギルドへの加入を拒否され、怒った商人は、ギルドの会館にお尻を向けた猫を屋根に取り付けることで報復としたのですが、それでギルド側も激怒。
商人は「あなた方は規則を持っているのに守らない。私の猫は規則を持っていないのだから、どう振る舞おうと勝手じゃないか」 -
その後、大ギルドの会館はコンサートホールに変わり、猫は音楽に誘われて向きを変えたとのこと。
猫は、今は大ギルドの会館のほうを向いています。 -
ユーゲントシュティールの建物が続きます。
下の写真の建物には、クマの飾り。 -
(上の写真)カエルの建物
(下の写真)バルコニーの屋根の上にワンちゃんが -
ラトヴィアのお酒・バルサムの店。
ブラック・バルサムは、18世紀にリガの薬剤師が作った45度の薬用酒で、酒に薬草が溶け込んでおり、苦いハーブの味がする養命酒みたいなものですが、ラトヴィアではコーヒーに入れたり、アイスクリームにかけたりします。
” ハンガリーのお酒・ウニクムのようなものです ” との説明があり、ウニクムはハンガリーに行った時に買ってみたけど、美味しいお酒ではなかったですね。 -
リガ大聖堂横のドゥアマ広場。
-
ドゥアマ広場にあるマンホールには、ユネスコ世界遺産の説明が・・・リガ大聖堂・聖ペテロ教会・ブラックヘッド会館・猫の家など、見どころの多いリガの街は、1997年に「リガ歴史地区」として世界遺産に登録されました。
-
広場に面したユーゲントシュティールの建物。
-
「リガ大聖堂」・・・ローマ教皇の命を受けたブレーメンのアルベルト司教が、1211年に建設を開始したバルト地方最大級の大聖堂で、バルト地域最古の建築物の一つです。
高さ90mの塔は1776年に建て直されましたが、それ以前の塔は50mも高かったそうです。
塔の上の雄鶏は、1985年に付け替えられています。 -
リガ大聖堂は、18世紀に現在の姿になるまで何度も修復が重ねられたので、ロマネスクからバロックにいたる様々な建築様式が混在しています。
中に入ってみると・・・ -
中央の祭壇をはじめ、意外とシンプルな感じです。
-
1883年に製作されたパイプオルガン・・・6718本ものパイプを持つ壮大なパイプオルガンは、長いものは10mもあり、当時は世界最大級でした。
丁度、修理の作業中。 -
大聖堂の中にあるステンドグラスが素晴らしい!
-
バラ窓。
-
-
北側にあるステンドは、リガの歴史を描いています。
左は「ティゼンハウゼン一家(ステンドグラスの寄付者)と聖母マリア」。
右は「アルベルト僧正による大聖堂の建設」。 -
このステンドは「1525年、リガ市長に信仰の自由の宣告書を渡すリヴォニア騎士団長プレッテンベルグ」・・・上部にはマルティン・ルターが描かれています。
-
祭壇の右側の壁に、1709年の大洪水の際に達した水位が記されています。
この影響でコレラとチフスが流行り、リガの人口の3分の1が失われたそうです。 -
リガ大聖堂の南側にある修道院の中庭・・・回廊が周りを取り囲んでいます。
-
壁にあるアルベルト僧正の像。
-
以前、塔のてっぺんに取り付けられていた雄鶏。
-
リガ大聖堂を見学した後は、再び旧市街の散策。
これもユーゲントシュティールの建物。 -
16世紀からラトヴィアは列強の支配を受けます。
1561年からポーランド・リトアニア共和国、1629年からはスウェーデン王国、1710年からはピョートル1世のロシア帝国、そして1918年にやっと独立しました。
この「スウェーデン門」は、スウェーデン統治時代の1698年に作られた城壁の門・・・かつてスウェーデン兵が城壁の外の宿舎と行き来するために通っていた門ですが、現在は民家の一部となっています。
最近は、カップルがくぐると幸せになると言われ、人気のデートスポットだとか。 -
13世紀から16世紀にかけて築かれ、リガの街を囲っていた「城壁」は2kmにもおよび、12の門が設けられていたそうですが、 ほとんどが破壊されました。
今はソ連時代に修復された部分だけが残っており、比較的新しいもののように見えます。
スウェーデン門は、この城壁の先にあります。 -
昔は火薬の保管庫で、現在は軍事博物館になっている「火薬塔」・・・大国に何度も侵攻されたこの地には、中世の建造物がほとんどないのですが、この火薬塔は14世紀に建てられたそのものだそうです。
レンガ造りの塔で、高さ26m・直径20m・壁の厚さ2.5m・・・かつてリガで最強と言われた火薬塔ですが、スウェーデンの攻撃で半壊し、上の方は17世紀に修復されています。 -
1209年に建造された「聖ペテロ教会」・・・ルター派の教会で、最初は木造でしたが、後に石造となりなした。
リガのシンボルにもなっている高さ約123mの尖塔は1690年に創建され、当時はヨーロッパ一の高さを誇る木造の塔でしたが、その後、何度も落雷などで焼け落ちました。
第二次世界大戦後に鉄筋の塔に建て替えられ、約70mの高さまでエレベーターで上ることが出来、塔の上からはリガの旧市街のパノラマが望めます。 -
聖ペテロ教会の横にあるのは、昨夜見たブレーメンの音楽隊像。
-
教会の中に入ると、高い天井と煉瓦の装飾が印象的。
-
祭壇は余計な装飾がなく、簡素な作りになっています。
-
スウェーデン・グスタフ王の紋章・・・「茶」という字に似てますね。
-
-
昨夜、ブラックヘッド会館の前で見たローランド像のオリジナル像が保管されています。
-
石畳の先に見えるのは「リガ・ラジオとテレビ塔 」・・・ダウガヴァ川の中州に、1979年から約7年をかけて建設された、バルト三国で最も高い368.5mの塔。
97mの展望台からは旧市街やバルト海などが一望できます。 -
旧市街を一回りして、市庁舎広場に来ました。
リガ市庁舎は13世紀から18世紀にかけて築かれたそうですが、その後、再建されています。 -
市庁舎広場の正面に建つ「ブラックヘッド会館」・・・ブラック・ヘッドとは未婚の外国商人のギルドで、北アフリカのムーア人とされる聖モーリスを守護神としていました。
1334年に建設され、16世紀にルネッサンス様式のファサード、その後、天文時計やネプチューン像など4体の像が加えられました。
1941年のドイツ軍の空襲で破壊されため、現在の建物は1999年に再建され、左側のシュワブ会館も増築されました。
美しいゴシック様式のこの建物は、パーティー会場やコンサートホールとして使用されています。 -
ファサード最上部に1334~1999年と年次が記され、その下の青い大時計は月・日・時刻・月齢を示しており、その造りは精巧を極めています。
時計の下には、4大ハンザ都市(リガ・ハンブルグ・リューベック・ブレーメン)の紋章が浮き彫りにされています。
入口右側に描かれた聖モーリスは、殉教したローマの護民官で、教養ある若者と歩兵の守護聖人・・・ギルドの若者たちはこの聖人を紋章とし、街を支配する騎士団との連帯感をアピールしたそうです。 -
市庁舎広場の近くにある市場。
-
雑貨店やお土産屋が並んでいます。
-
旧市街にあるユーゲントシュティールの建物「ネイブルクス ホテル」・・・リガの旧市街中心部にある4つ星ホテルで、部屋からはドーム広場やリガ大聖堂が見えます。
-
お昼になったので、旧市街のレストランで昼食。
ビア樽の看板が目印の「ALUS ARSENALS」という店です。 -
ビールや武器などを保管していた倉庫を利用した半地下の店内は、雰囲気がありました。
-
メインは、ポークソテーのライス添え。
-
昼食後は、トゥライダ城のあるスィグルダに向かいます。
これは、裏側から見た「聖母受難教会」・・・マリア像が印象的です。 -
港町でもあるリガには、バルト海クルーズの大型客船が停泊中。
この船は、「タリンク シリヤ ライン」。 -
14時過ぎにトゥライダ城に到着。
-
トゥライダ城は、バルト系諸部族やリーブ人がドイツ人を相手に戦いを繰り広げ歴史の舞台。
スィグルダ近郊にある赤レンガの古城ですが、この城は現在修復され、博物館として公開されています。 -
トゥライダ城の入り口には、「トゥライダのバラ」と言われたルァザの墓があり、チューリップの花が手向けられています。
「恋人への愛を貫くために、死を選んだ」という言い伝えから、結婚式を終えたカップルが花束を添えに来るそうです。 -
トゥライダ教会はラトヴィアで最も古い木造建築の教会のひとつで、1750年に建てられました。
ほぼ当時のまま残り、建築文化財に指定されているそうです。 -
トゥライダ城は13世紀に建てられ、一度破壊された後、アルベルト僧正によって再建されました。
トゥライダとは「神の庭」という意味だそうです。 -
レンガで出来た城の中は、博物館になっています。
-
この辺りにはトゥライダ城の他に、スィグルダ城、クリムルダ城があります。
-
上の写真がトゥライダ城、右下はスィグルダ城、左下はクリムルダ城・・・2つの城は廃墟と化しています。
-
この石に刻まれた模様の意味は分かりません。
-
塔の上に展望台があるので、狭い階段を登りました。
-
139段の螺旋階段をひたすら登りつめ、展望台からの眺望を楽しみました。
-
トゥライダ城の周りは、低い山と森に囲まれています。
-
廃墟の跡など、中庭の様子がよく分かります。
この後は、エストニア・タリンを目指して約300kmのロングドライブです。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ペコちゃんさんの関連旅行記
リガ(ラトビア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
97