2015/05/24 - 2015/05/24
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
フォリーニョ滞在最後の日は、ペルージャへ。イタリアではどこを回るにも不便な日曜日ですが、ある程度規模の大きな町であれば、何とかなるかなという安易な気持ちから、最後までこの宝石箱のような町を残しておきました。1日たっぷり見られるぞ と思ったのですが、どっこい1日ではとても見きれない程魅力満載の古都でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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車窓からあわよくば良い写真が撮れるかなと淡い期待を抱いて、性懲りもなくヘボ写真を撮り続ける私です。
まずは2日前に訪れたスペッロ。ウンブリアは今日も雲が多くていまいちのお天気です。 -
鉄道駅沿いのモダンな町並みとの対比が面白い・・・
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スパシオ山は今日も厚い雲に覆われていましたが、・・・
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2日前は完全に雲の中だったアッシジをかろうじて撮ることが出来ました。
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左端に聖フランチェスコ聖堂、丘の一番上にはロッカ・マッジョーレ。そして右端の緑の丸いクーポラは聖ルフィーノ大聖堂です。
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お天気の良い日なら、アッシジから駅まで散策が楽しめそうです。
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スペッロ、アッシジの先の、ただただ、ひたすら緑が美しいウンブリアの自然を眺めているうちに、
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汚い窓ガラス越しに、汚い!落書きだらけのウンブリア州州都ペルージャに到着です。Oops! ちょっとがっかり・・・
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鉄道駅から旧市街へはこれが便利と聞いていたので、迷わず「ミニメトロ」の駅に向かいます。Centro↑の標識に従って進んでいくと、
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あれです! あのミニバスのようなミニモノレールのような無人の乗り物が2分間隔くらいでやってきて、チェントロまで運んでくれるのです。
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ほらほら、次のミニメトロがもうやってきましたよ。可愛い!!
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ペルージャの環境を守る優しい乗り物という鳴り物入りで導入されたミニメトロですが、膨大な建築費がかかっていて、ペルージャ市民には税負担が重くのしかかっているそうです。
通勤時間帯以外は、ご覧の通りガラガラで、採算取れているのか気になるところですが、観光客にとってはとっても便利な乗り物です。自動販売機で購入する切符は、1回1.5ユーロの均一料金。 -
近頃よく見られる、ホームドアのあるプラットホームからPincettoピンチェット行に乗りこみます。遠隔操作で運転されているので、各駅で扉が自動開閉します。
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さあ 出発!
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線路の中央にはレールではなくてワイヤーが1本。モノレールというよりはケーブルカーかな?
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乗り合わせた方々の顔がわからないよう、少々暗く加工してありますけれど、車内はこんな感じです。真っ赤! 流石イタリア!
座席は4席しかありませんが、詰め込めば、30人くらいは一度に乗れそうな車両でした。
現在観光バスでペルージャを訪れる人は、ピンチェットと反対方向の終点ピアン・ディ・マッシーノ駅にある駐車場からミニメトロに乗ってやってくるそうですよ。狭い旧市街の道を大型バスに占領されることなく、環境保全にも役立つ一石二鳥の乗り物ですね。 -
途中からトンネルの中を徐々に高度を上げながら走っていきます。結構ワクワク感あり、楽しい乗り物でした。
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鉄道のペルージャ駅から3つ目のピンチェット駅。およそ10分で着いたところは丘の上でした。
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ピンチェット駅の改札口です。最終便は20:15と書いてありますね。案外早く終わっちゃうんだ・・・
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そこから長いエスカレータで上に上ると・・・
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バラ園の真っただ中に到着。ピンチェット庭園と呼ばれている緑の公園でした。町が現れると思いこんでいたので意外でした。多分町方面への出口もあったのでしょうが、私が見逃したのかもしれません。
さらに階段を上っていくと、・・・ -
素晴らしい眺め! ご覧の景色です。こちらはペルージャの東斜面。遠くに見える鐘楼はサン・ドメニコ教会。公園にはちょっとした展望台にカフェもありました。
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ピンチェット駅と同じレベルに建つ高級アパート群が、こんな下の方に見えます。エスカレータで、随分と上ってきたことが分かります。
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ペルージャでの最初の市街地の建物は、ジャコモ・マッテオッティ広場にあるイタリア郵便局でした。今日は日曜日なので閉まっています。
この広場にあった観光案内所で購入した町歩きガイドが非常に役に立ちました。ガイドブックには全部で5つのコースが紹介されています。とても1日では足りないことをこの時点で思い知らされたのですが、気を取り直して、今回の訪問で外せない場所を選択して、出発です。 -
郵便局の向かいにあったこちらの建物は、パラッツォ・デル・カピターノ・デル・ポポロ。前回アッシジではこれを町の民兵の司令官の館と訳したので、ここでも同じ言葉を使います。1472年から81年の建造で、現在は裁判所となっています。
建設当時、マテオッティ広場はソプラムーロ(城塞の上の)広場と言われていて、この建物から遠くアッシジやウンブリアの谷が見渡せたのだそうです。 -
中央扉の上のルーネットには正義の女神像。両脇には番の羽の生えたライオン1(グリフィン)像が周りをうかがっています。右側のバルコニーが味わい深いですね。
市内に残るルネッサンス期の建物の中では最良と言われています。上の階は1743年の地震で崩れ、再建されました。
地下にある、かつて食糧貯蔵庫として使われていた沢山の部屋が、現在法廷となっています。 -
そのままバリーニョ通りを進みます。裁判所に続いて右手に現れたのはジェズ教会。設計はジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラによるもの。
イエスズ会はペルージャにやってきて間もなくの1562年に教会を建て始めました。イエスズ会が追放された1733年以降はミラノの聖バルナバス修道会がここを本拠地としています。 -
バリーニョ通りを左に曲がると、国立ウンブリア美術館が見えてきました。ここはペルージャで絶対に見逃せない場所なので、後ほど訪問します。この美術館は、パラッツォ・プリオーリ(プリオーリ宮)の建物の上半分を占めていて、ウンブリア美術の重要なコレクションが収蔵されています。
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まずは13世紀末から15世紀にかけて建てられたという、継ぎ接ぎだらけの(失礼!)公共施設プリオーリ宮を見てみましょう。ウンブリア美術館が使用している部分を除くフロアは、いまだに州政府が使用しているそうです。
今日は日曜日ということもあってか、とても人が多いです。ヴァンヌッチ通り側の入口は14世紀初期の建造。アンブロジオ・マイターニの設計と言われています。
左右の壁柱は2頭のライオンが支えていて、柱の上のアーキトレーヴには2頭のグリフィンが牛に食らいついています。中央のルーネット部分には、ペルージャの守護聖人3人の彫像が置かれています。 -
こちらは右側のライオン。獰猛というよりはとっぽいイメージ。
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そしてこちらが左側のライオンです。ライオンの乗る台座のアガンサスのレリーフが美しいです。
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1316年に町が決定した守護聖人は、ペルージャの聖エルコラーノ(Herculanus)、聖ロレンツォ、そしてペルージャの聖コンスタンです。現在置かれている彫像はコピーで、本物は上の階の美術館内にあります。
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左側に見えるのがプリオーリ宮で最も早く完成した部分で、1293年から97年にかけて工事が行われたそうです。
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そして、守護聖人が並んでいる扉から鐘楼にかけては、1317年から26年にかけてアンブロジオ・マイターニにより拡張された部分で、鐘楼は1331年に完成。鐘が備え付けられたのが1339年だそうです。写真には写っていない左側には、更に1429年から43年にかけて拡張された部分が続いています。
なんという古さでしょう! 何度も修復をされているのでしょうが、700年以上たった建物がいまだに現役のお役所とは驚いてしまいますね。 -
マイターニ設計の扉から建物の中に入ってみます。そこはもう中世そのもの!
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恐ろしく太い柱の周りは、ミュージアム・ショップになっていました。
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ペルージャ政府は、1274年に聖エルコラーノの祭りの日のパレードに使用するため、ブロンズ製のライオンとグリフィンを作らせたようです。パレードはドゥオモを出発して聖ドメニコ教会まで行き、戻ってくるというものです。最初のパレードが1276年に行われたという文書も見つかっています。
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ライオンとグリフィンはミノーレの噴水の取り外し可能なマウントの上に置かれ、1301年までは毎年パレードの時に、お神輿のように町を練り歩いていたようです。そして1301年には、後で行く「公証人の間」前のファサードの壁に移されました。
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本物は美術館内にあると書かれていましたが、ここにあるのが本物なのかしら?
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プリオーリ宮を出て、11月4日広場ピアッツァ クワットロ・ノヴェンブレにやって参りました。
正面に見えるのが、ペルージャのドゥオモ 聖ロレンツォ大聖堂です。 -
そして、ドゥオモの前にあるこちらの噴水がフォンタナ・マッジョーレです。1277年から8年にかけて、町の中心の広場に作られました。
ペルージャ政府は1254年にモンテブルチャーノから町の中心への水道を引く事業の完成記念となる噴水で、修道僧ベヴィニャーテの設計、ニコラとジョヴァンニ・ピサーノ父子による装飾です。
噴水の最上部ではブロンズ製の3人のニンフたちが水の入ったアンフォラを支えています。 -
中間部には24枚のピンク色のスラブが貼られ、そのつなぎ目部分にはペルージャとその関係都市を擬人化した彫像や聖人像がずらりと並べられていました。ピンクのスラブの下には、工事を指揮した修道僧ベヴィニャーテ、ピサーノ親子、水道工事を完成させた技術者ボニンセニャなどを称える長い碑文が刻まれています。
噴水の一番下の部分はカラッラ大理石に彫られた25組の豪華なレリーフのオンパレード。レリーフにはアダムとイヴの神話、ロムルスとレムスの物語や、鷲、季節ごとの労働風景などの寓話等様々な場面が描かれていました。 -
こちらは後刻、ドゥオモ側から撮った写真です。レリーフをもっとじっくり見ておくんだったなあ・・・
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いつもならじっくりと時間をかけて見るドゥオモですが、今日は日曜日。ちょうどミサが行われている時間で、中は人が一杯! 見学するどころではありませんでした。
後でもう一度来ようっと。 -
ドゥオモの対面には、先ほど訪れたプリオーリ宮の11月4日広場に面したファサードがあります。
こちらの部分については、1326年にアンブロジオ・マイターニが階段を作り始め、右隣にあった古い教会を市が買い取って宮殿の拡張を行い、新たなファサードをこしらえて、1339年に完成させました。 -
それが分かるのは、右側に見える全部で4本あるロッジアの柱のうち、その年に2本の代金を支払ったという記録が残っているからです。他の2本の柱については、元々あった古い教会(サン・セヴェーロ)のポルティコか、あるいはローマ帝国時代の建物からの転用であったようです。
1339年といえば、先ほど見た鐘楼の鐘が納められたのと同じ年ですね。 -
先ほどプリオーリ宮内部に飾られていたライオンとグリフィンのブロンズ像は、こういう風に飾られていたんだと納得。本物であるかコピーであるか、ということより、しかるべき場所にあるかどうかということが大切だと思っているので、現場にあるものを好みます。美術館にあるものは、コンテクスト、背景等を失ってしまっていますよね。
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プリオーリ宮の階段を上って、ロッジアの上のバルコニーから撮った1枚です。
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バルコニーから建物を見上げると、ペルージャ市の紋章のレリーフが目に入りました。グリフィンだあ・・・
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こちらは、階段を上ったところにある、プリオーリ宮の神髄とも言えるサラ・デイ・ノターイ「公証人の間」です。部屋の中には入れてくれません。入口のところに柵があり、それ以上行けないようになっています。
作られた当初は「協議会の間」として、町の民兵の司令官(カピターノ・デル・ポポロ)に助言を与える理事達の会合の場でした。 -
部屋はこれまで見たことのないような、8本の巨大な木製のアーチで支えられていました。素晴らしいアーチの連続です!
アーチに描かれたフレスコは1298年から1300年にかけて、ローマのピエトロ・カヴァッリーニ派の工房が請け負いました。 -
壁を埋めるのは、歴代の民兵の司令官の紋章。こちらは15世紀末まで随時追加されていきました。最も古いものは、1296年のものだそうですよ。
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紋章の下に、名前と年代が書かれた碑文があります。この3人に関しては、15世紀後半だから、終わりの方ですね。
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アーチの三角の部分スパンドレルには、旧約聖書、イソップ寓話からの場面や、騎士道精神を表したようなモチーフがびっしりと描かれているそうです。
すべての絵に関する説明書きがあったのですが、近づく事ができないので遠くはよく見えないし、何せイタリア語オンリー・・・ -
まあ、ここは見て楽しむしかないですかね。
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これは私にもわかりましたよ。雄牛とライオン。右横は、狐と犬です。
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弓矢を持った男と何かを指差している男・・・フレスコは一部傷んでいる箇所もありますね。
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手前の絵、高い場所から犬が吠えていますが、下には狼が!
アダムとイヴの創造、モーゼとアーロンなどもあったようですが、見つけられませんでした。口をあんぐり開けながら、広〜い「公証人の間」の天井を暫しの間ぼけ〜っと見つめていました。 -
サンロレンツォ大聖堂(ドゥオモ)に再び向かいましたが、まだミサ進行中。ドゥオモを見逃すことは滅多にないのですが、ミサを邪魔することはできません。
大聖堂は1435年から81年までの建造。10世紀に建てられた町の守護聖人聖エルコラーノの聖遺物を祀っていた最初のドゥオモの部分は、今大聖堂の翼廊部分に組み入れられています。聖エルコラーノの聖遺物は1609年に新設された聖エルコラーノ教会に移されましたが、ドゥオモのサンタネッロ礼拝堂には「聖母の結婚指輪」というお宝が1488年から納められています。 -
サイド・ファサードの赤と白の大理石を組み合わせた外装部分は14世紀までここにあった洗礼者聖ヨハネの礼拝堂の名残の壁なのだそうです。最初のドゥオモの建材が、ペルージャのドゥオモでもあちこちで再利用されています。
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サイド・ファサードの扉は1568年の作。当時のペルージャの枢機卿フルヴィオ・デッラ・コルニャによるもので、ガレアッツォ・アレッシの設計。両側の柱の上には目を見開いている男性と目を閉じている男性のレリーフ。これはどういう意味なんでしょう?
木製のドア部分の彫刻はユウセビオ・バストーニの作品。ジョヴァンニ・バッティスタとユウセビオ、ジローラモのバストーニ親子はペルージャでは有名な彫刻家一家で、ペルージャの色々な場所で彼らの作品を目にすることが出来ます。 -
扉の右横にある美しいコズマーティのモザイクがちりばめられた説教壇は上記のガレアッツォ・アレッシが装飾の一部として設置したものですが、元々は1439年に作られたもの。シエナの聖ベルナルディーノが亡くなる前に説教を行ったという由緒ある説教壇です。
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そしてこちらにお座りになっていらっしゃる方は、教皇ユリウス3世(在位1550年〜1555年)、最後のルネッサンス期の教皇と言われています。教皇は、枢機卿コルニャの叔父に当たる人で、碑文には、前任の教皇パウルス3世が廃止した十人委員会という裁判制度を復活させた記念に建造したと書かれていました。表向きの理由でしょうね。
力強い手の動きとローブの流れるようなひだが対照的です。細部まで緻密に彫られているローブと教皇帽は見事ですね。この像は、ヴィンチェンツィオ・ダンティの最初の重要な仕事となりました。1555年。 -
今度はドゥオモのサイド・ファサードからフォンタナ・マッジョーレ、プリオーリ宮、人でごった返しているヴァンヌッチ通りを臨みます。
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11月4日広場から今度は町の北側の門サンタンジェロを目指す街歩きに出発です。正面に見えるのは、1654年から58年にかけて建てられたパラッツォ・ヴェスコヴィーレ 司教の館です。
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右側にはドゥオモのロッジアが続いています。元々ここには、13世紀に建てられたポデスタ宮(執政長官の館)が建っていましたが、1534年に火事で焼失。このロッジアは、ポデスタ宮の一部を形成していたものだそうですよ。
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広場から先はこの狭い通りを進みます。前方に見えるファサードはマエスタ・デッレ・ヴォルテ教会。「時代の陛下」という変わった名前ですが、ポデスタ宮のアーチ下の通りの先にあることから名付けられたそうです。1567年から90年と書いてありましたから、ポデスタ宮が焼けた後の建造ですね。
今も十分狭いですが、かつてはアーチの幅しかない道でした。 -
ドゥオモの建物に続いて、付設の博物館がありました。ちょっと入ってみたいけれど、先を急ぎましょう。
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この先、行かれるのかなと心配をしましたが、大丈夫、左にも右にも道が通じています。
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マエスタ・デッレ・ヴォルテ教会のファサードの前です。今は教会としては使われていなそう。どうやら婦人服のお店のようですが、元教会の堂内をそのままお店として使っているようです。面白〜い!
左側に現れたアーチは凄い迫力! 奥に見える細長い建物はどう見ても元鐘楼ですねえ。アーチの前にある小さな赤と白のアーチは今はレストランの入口になっていますが、これまた歴史ありそうです。 -
マエスタ・デッレ・ヴォルテ教会の右側にあったニッチェには、ご覧のようなセラミックのレリーフが残されていました。
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左に行っても、右に行ってもアーチですが、私は右側の道を辿ります。その名もずばりマエスタ・デッレ・ヴォルテ通りです。
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アーチのすぐ横にあった水飲み場。噴水って呼ぶのかなあ・・・ワンちゃんのお散歩にも使われていました。
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降りてきたところが、カヴァロッティ広場。派手に落書きされたシャッターの閉まっている売店の角を曲がって少し進むと・・・
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左手に、階段の道が現れます。この階段をアッピア通りと呼ぶのだそう、この階段もアーチの連続です。
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階段や狭い通りの多いペルージャには、車の通れる道が少ないから、歩行者が安心して歩ける道が多いのが魅力です。行きはよいよい、帰りは…だけれどね。
目の前を横切るアーチの上をすぅっとオープンカーが通りすぎていきました。斜面に建っている家には、いくつもの入口がありそう。 -
そして、アーチの向こうに見えてきたのは、13世紀に作られた水道橋です。全長5km。パッチアーノ山からドゥオモの前のフォンタナ・マッジョーレに水を送っていた水道橋で、1255年から25年かけて建設されました。相次ぐメンテナンスのトラブルにより、新しい水道が1835年に作られたため、現在は使われておらず、その一部が遊歩道として整備されています。
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アーチの向こうに広がるオレンジ色の町並みにとても親近感を抱きます。ペルージャ、なんて素敵な町なんでしょう!
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下りてきた方を振り返ると、ここから上の部分には石造りやレンガ造りの建物が多いことが分かりました。アーチを境に建物の雰囲気がガラッと変わります。
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さて、水道橋に突入です。連続するアーチの上に作られた水道橋は、当然のことながら両側の歩道より少し高くなっています。前からくる派手なパンツを履いた女性はドイツ人。この後3度彼女と鉢合わせをして話をしたら、お互い行きたい場所が同じであることがわかりました。
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道は緩やかに下っていますが、その先にはまた丘が迫っています。水源に向かって歩いているのだから、下ってはまずいと思うのですが、どうなっているんだろう・・・
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水路は所々切れて、民家の軒先を通ったりします。
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この辺りが一番低い部分のようですね。少し先からまた上り始めますよ。
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民家の屋根から突き出した煙突が可愛いですねぇ。
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水路の遊歩道の終点が確認できなかったのですが、終点近くにあったモンテマルチーノ・ヌオヴォ教会です。18世紀の高名な建築家ルイジ・ヴァンヴィテッリにより設計され、大きな修道院を併設していました。
ナポレオン施政下の政府の政策により、1811年以来修道院の建物はペルージャ大学が使用しているそうです。 -
壁に、ラテン語で「一般研究」と書かれたパネルあり。その下右側のグリフィンはペルージャの紋章ですが、左側はどなたかな???
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この後、道が分からなくなってうろうろ。階段を上っていくと、再び石造りの古い民家が増えていきます。
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雨まで降りだしましたよ。ありゃあ〜参った! ウンブリアでは雨に会わない日はありませんでした。
ようやくジュゼッペ・ガリバルディ大通りを見つけて、現在地がわかりました。コルソというのは大通りだと思っていたのですが、ペルージャの場合、それは当てはまりません。 -
狭〜いジュゼッペ・ガリバルディ大通りを上っていきます。この辺りで、再びドイツ人女性と遭遇しました。お互い顔を見合わせ、「もしかして、サンタンジェロを探している?」と同時に口にして大笑い。この先にあるはずなので、一緒に向かうことにしました。
左に見えるのは、ペルージャで最も古く、最も重要だった「商人達のギルド」に属していた建物で、サンテギディオと呼ばれています。1321年頃の建造。後年、貧しい人達のホスピスとして使われ、つい最近までドミトリーとなっていました。現在はある芸術家のワークショップとなっています。 -
中世のままの建物が町並みに完全に溶け込んでいます。
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ようやく見えてきたのがペルージャの北の外れの門 ポルタ・サンタンジェロです。この門には後で向かうとして、門が見えたら右側に注意して進むと・・・
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ほらっ! ドイツ人の彼女とようやく辿り着くことが出来ました。
ペルージャ一古い、5世紀から6世紀にかけての建造のサンタンジェロ教会です。歴史はペルージャがまだビザンティン公国時代に遡ります。 -
今みえている外壁は14世紀に変えられたものだそうですが、初期のキリスト教時代の二つの円筒を合体させたような建物で、元は多分ローマ帝国時代の神殿だったと言われています。
外側は14世紀に変更されていて、1948年にオリジナルに近い外観に復元されました。でも、ゴシック様式の中央扉は14世紀のままの姿です。使われなくなったサンタ・マリア・デイ・セルヴィ教会からここに移されたのだそうです。 -
これから結婚式が行われるのか、建物の内外にたくさんの花束、トリアピーなどが置かれていました。
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教会内部です。内側の円筒部分は、16本の柱で支えられています。すべてローマ帝国時代の他の建物から運んできた、いわゆる「寄せ集め」柱です。
主祭壇も、おそらくどこかで使われていた柱を輪切りにし、それを脚としていて、上に古代の大理石のスラブを乗せていました。 -
ドームの天井は14世紀の改修の際にレンガで作り直されたようです。8本の梁が屋根を支え、そして、
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16本の柱にバトンタッチします。大変美しいシルエットですねえ。
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教会は大天使ミケーレに捧げられています。ドームの下の中央部分には主祭壇、説教壇、長椅子が置かれていて、ここにもアンフォラのような花瓶に綺麗な花が飾られていました。
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祭壇側から撮った1枚です。
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外側の円を一周します。まず目についたのはこちらのフレスコです。左から聖アガタ、聖ロレンツォ、そして聖顔布を拡げているのはヴェロニカです。14世紀の作品だそうです。
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取り外された鐘が無造作に置かれていました。そばのレンガ製の柱にも目立ちませんがフレスコが描かれています。女性の聖人らしいですが、誰だかわかっていません。
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洗礼堂は14世紀に作られたものです。壁のフレスコは15世紀に描かれたもので、上に聖母子、その右横に洗礼者聖ヨハネの姿があります。
聖母の下に描かれた聖人達のフレスコは筆遣いが異なるので、おそらく別のアーチストの手によるものだと思われます。 -
続いてこちらは磔に捧げる礼拝堂です。半円形の形をしています。結婚という厳粛な儀式をとり行うには理想的な場所かもしれません。
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元々4つあった礼拝堂は14世紀の修復の際に3つが取り壊され、唯一残った、建設当初の雰囲気が感じられる礼拝堂だそうです。
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こちらも円筒形からはみ出した形をしているアンジェロに捧げる礼拝堂です。14世紀のリフォームの後に建築されました。
左側は何も描かれていない壁が続きます。右側には18世紀の作品「聖ミケーレのいる三位一体と煉獄の魂」がありました。 -
このフレスコは3世紀から4世紀にかけての聖人大アントニオスを描いたもの。大アントニオスは修道士生活の創始者と言われていて、修行に励みながら105歳まで生きたそうです。
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上記の他にもいくつかフレスコがあったので、まとめて紹介。こちらは聖母ですね。お腹の辺りに膨らみを感じるのは気のせいかな・・・
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どなたかわからない司教です。これら3枚のフレスコは壁から剥されて、額縁に入れられていました。
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名前のついていないこちらの礼拝堂は比較的最近作られたものだそうです。ミケーレ像の碑文には、1951年という制作年が書かれていました。
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磔の礼拝堂のちょうど反対側に位置しているこちらの礼拝堂は、14世紀に取り壊されて、入口部分に壁が作られていました。
祭壇に飾られているのは「マドンナ・デル・ヴェルデ」緑の聖母のコピーです。聖母の着ているドレスの色からそう名付けられました。大変完成度の高い作品ですね。オリジナルは古いドゥオモの付け柱にあって、1466年にドゥオモの別の礼拝堂に移されましたが、1849年にその祭壇を取り壊す際に、こちらの教会に移されました。
1979年オリジナルはドゥオモ付設の博物館に収蔵されることになり、コピーと置き換えられたそうです。
面白いのは祭壇です。これはローマ帝国時代の彫像の基盤部分を利用したもの。碑文によれば、この基盤の上にかつて立っていた人物はローマ副帝を務めたコンスタンテゥヌス・ガッルスの祖父に当たる人。彼はカラカラ帝時代の人で、205年、カラカラ帝の弟ゲタに仕えたと書いてありましたが、211年カラカラ帝がゲタを殺害した後、碑文の最後の行が消された跡がありました。カラカラ帝によりゲタに好意的であった人物は粛清され、胸像は倒されたと言います。基盤部分のみが残った理由ももしかしたらその辺りにあるのかもしれません。
ローマでもカラカラ帝が徹底的にゲタの存在そのものを消し去った痕跡を目の当たりにしましたが、遠いペルージャでもそれを見るとは思いませんでしたよ。 -
高い位置から優しく見降ろしていたキリスト像。
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堂内を一周してきました。めぼしいものはあまり見当たりませんでしたが、建物そのものが持つ趣と温かみに触れることが出来て大満足です。
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外に出てがっくり! まだ雨が降っています。右手前方に1本古い柱が立っていましたが、あれはソプラムーロ広場、現在のマテオッティ広場(本日最初に訪れた広場です)から運ばれたものだそうですよ。
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やっぱり振り返って見てしまいました・・・素晴らしいわぁ〜
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件のドイツ人女性と別れて私はポルタ・サンタンジェロに向かいます。これはその途中にあったと思しき中世の井戸の跡です。どこにあったのかなあ・・・
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ペルージャで中世に作られた城門のうち、一番の規模を誇るサンタンジェロ門です。作られたのは13世紀後半と言われています。1295年に作られた文書の中にその名前があったのです。1326年にはペルージャのコムーネがアンブロジオ・マイターニに塔の修理を依頼したという記録も残されています。
上部の要塞は1479年に加えられました。第二次大戦中には敵の飛行機の監視台としても使用されたんですって。 -
塔の部分は3階建で、石、レンガ、石灰岩で作られています。どうしてこんな配合になったのかよくわかりませんが、ペルージャのドゥオモやプリオーリ宮の壁などを見ても、とりあえずある材料で作る、あるいは再利用するという傾向があるように思えてなりません。
こちらは内側からの写真。 -
そしてこちらが町の外から見たサンタンジェロ門です。それに続く城壁の拡張に貢献したのは、前述のアンブロジオ・マイターニです。城壁の拡張は塔の修理と同時期の1329年頃行われたようです。
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フオリ・レ・ムーラ通り(文字通り城壁の外通り)が城壁に沿って伸びていました。
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門の内側には、城壁博物館があって、城壁に上ることが出来ます。確かこの店でチケットを買うんだっけ? 晴れた日であれば、遠くまで見渡すことが出来るのですが、今日のところは止めておきましょう。
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この近くにもう一つ城門が残っているというのでついでに見に行きました。やはり14世紀の初頭に作られたスペランディオ門です。
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道幅が物凄く狭いため、一方通行になっていました。通り抜けるのは車庫入れと同じくらい難しそうです。私には無理かも・・・
スペランディオという名前は近くにあったベネディクト会修道院から名付けられたそうです。
アーチの上の碑文には、1329年に門の修理を行ったと書かれていました。建造からあまり時間が経っていないのになぜ修理が必要だったんでしょうねえ。 -
門自体が城壁の一部となっています。上の部分はどなたさんかの家になっているし・・・
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その先はこんな具合です。この城壁は、先ほど訪れたサンタンジェロ教会をぐるっと囲むようにして曲がり、サンタンジェロ門へと至ります。
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ジュゼッペ・ガリバルディ大通りに戻って来ました。大通りをまたぐアーチがここにもありました。
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サンタ・カテリナ修道院前を通過中。
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古い扉の装飾を見つければ立ち止まるし、まあ時間のかかることったら!
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13世紀建造の教会サンタゴスティーノまで戻って来ました。聖アウグスチノ修道会の僧侶が教会を建てたのは1297年のこと。その後14世紀にはリフォームが行われ、1709年から凡そ100年がかりで再建しています。
ファサードの下半分がピンクと白の格子模様と、今まで見かけたことがない雰囲気を漂わせていました。 -
扉が開いていたので、中に入ります。身廊はゴシックのヴォールトが続く一廊式。薄いクリーム色で統一されていて、ファサードから受ける印象とはだいぶ異なります。
内部は18世紀と19世紀をまたぐ時期にステファノ・カンサッキ・ディ・アメリアにより再建しています。 -
まず目についたのが、サンタ・モニカ礼拝堂にあったこちらの「聖母子と聖人達」のフレスコです。1466年の作だそうですが、幼子キリストの表情がまことに愛らしかったです。彼の体に巻きついている紐は一体何でしょう? 左右の聖人は、聖ヨセフと聖ヒエロニムスです。聖母は頬紅つけ過ぎ?!
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この教会には、16世紀初頭に、マッティア・ディ・トマゾ・ダ・レッギオが作ったフレームにペルジーノが長い時間をかけて20枚のフレスコを描いた多翼祭壇画があったのですが、1654年には解体されて、教会内の色々な場所に飾られていました。ところが、18世紀末にはナポレオン軍がやってきて20枚のうち7枚を没収して持去ったのだそうです。
バラバラになった残りのフレスコは1863年に国立ウンブリア美術館に移されたので、現在教会ではかつての多翼祭壇画を見ることはできません。
代わりに壁にはコピーが飾られていました。私が気が付いたのはこちらの1枚だけですが、他にもあったのかもしれません。有名な聖ヨセフと福音記者聖ヨハネを描いた作品です。 -
現在の主祭壇を飾るのは、キリストの磔像と大量の真っ赤なバラの花でした。これまた素晴らしく豪華です。
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身廊にかかっていたパネルから2枚。いずれもアッリゴ・フィアミンゴの作品です。フィアミンゴは現在で言うベルギー人。1550年代にイタリアに旅行に来て、そのまま居ついてしまった一人です。ジョルジョ・ヴァザーリをして、「ガラス窓の達人」と言わしめた才覚で、1557年から8年にかけてはヴァザーリの元でフィレンツェのヴェッキオ宮殿で仕事をしていたようです。アッリゴは後にペルージャにやってきて、ペルージャやオルヴィエートのドゥオモの主祭壇に多くの作品を残しました。1579年には市民権も取得しています。
こちらのフレスコは「アレキサンドリアの聖カタリナの殉教」。 -
そしてこちらが「キリストと使徒アンデレ」です。
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お終いは、ヴィリャノーヴァの聖トマゾの礼拝堂で祭壇画となっているこちらの1枚です。「マドンナ・デッレ・グラッツェ」。ジャンニコラ・ディ・パオラによる16世紀初頭の作品です。このフレスコも1945年に再発見されたそうですよ。少女のように初々しい聖母です。
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痛みが激しいこちらのフレスコは、サンタゴスティーノで一番有名な聖バルトロメオの礼拝堂にある作品です。幸いなことにキリストの磔場面のみ、損傷を免れているようです。キリストの左手には福音記者聖ヨハネと聖母、右手にはマグダラのマリア、そして名前が分かっていない司教の聖人が描かれていました。
このフレスコ画が発見されたのは1945年のこと。碑文により、画家の名前はペッリーノ・ディ・ヴァヌッチョと判明しましたが、この画家に関して他の作品は見つかっていません。1377年の作だそうです。 -
唐突ですが、きっとお腹がすいていたんです。町の中心に戻る途中で目に留まったのはバカラ。イタリア人の大好きな干しダラのフライを売る店です。肉厚のタラが大変おいしそうに見えたので、間髪入れずに注文してしまいました。
話をしていたら、店の若い主人とその奥さんはバーリ近くからやってきたことが分かりました。内陸のど真ん中のペルージャでタラ料理とはこれいかに? でしたが、1本1本丁寧に毛抜きで骨を抜いて、その場で揚げてくれたバカラは非常に美味でしたよ。 -
お店の名前はバカリーノ。肝心の完成品の写真は、食べるのに夢中で撮っていない(´・ω・`)
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ペルージャの町の内側の城壁エトルリア門(またの名をアウグストゥス門)まで戻って参りました。エトルリア門はペルージャの中心を囲むエトルリア時代の城壁にある七つの門のうちの一つで、最も良い状態で残っている紀元前3世紀に作られた門です。その後ペルージャとの戦争に勝利したローマ皇帝アウグストゥスが紀元前40年頃にアーチ上部の修復を行っています。
門のファサードのレリーフにある5つの丸は何だろうと思っていたら、丸型の楯なんですって。アーチ部分にはAUGUSTA PERUSIAと彫られていました。アーチの左右には、台形型の塔がそびえています。 -
門の左側にある噴水です。正式な名前はなく、1621年に貴族のジローラモ・テツィが建設費を負担したことから「テツィの噴水」と呼ばれています。
私ったら、この噴水に腰かけてタラのフライを食べたんですよ。この罰当たりめが!! -
エトルリア門の前のグリマーナ広場に面して建つ美しい建物は、ペルージャ外国人大学。テレビなどでよく紹介される建物ですね。正式名をパラッツォ・ガッレンガと言います。ローマの建築家フランチェスコ・ビアンキの設計により、ピエトロ・カラットーリが工事を行いました。
ガッレンガという名前がついたのは1875年、ピエモンテ州から来たロメオ・ガッレンガがイギリス人女性メアリー・モンゴメリー・スチュアートと結婚直後にこの屋敷を購入したことによります。現在建物は外国人のための大学の本部になっています。
長くなってきたのでこの辺で御開き! この続きはイタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その59 ペルージャ2で。
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この旅行記へのコメント (2)
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- マリアンヌさん 2016/04/28 21:49:05
- ペルージャ?
- junemayさん、こんばんは。
ペルージャ行かれたのですね。
私は、二度行ったことがあるものの、ちょこっとだけ。
公証人の間やサンタンジェロ教会などまだ行けてないのです。
いいですね。
エトルスキ起源の街は、どこを撮っても絵になりますね。
素敵です。続編もあるなんてすごいです。
楽しみにしてます。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/04/29 01:23:22
- RE: ペルージャ?
- マリアンヌさん こんばんは。
いつも素敵なコメントを頂き、ありがとうございます。
来月の8日からスペイン、ポルトガルに発つのですが、まだ気持ちがイタリアにあって、準備が滞っています。せめてペルージャを終わらせてから発ちたいのですが、間に合うかどうか。
ペルージャは昨年の旅の中でも思い出深い土地になりました。未消化の部分が沢山あるので、いつか再訪したいと思っています。エトルリアについては、まったく未知の世界なので、遺跡も訪れたことがありませんが、こちらもそのうちに必ず。カラヴァッジョや伊藤若冲の展覧会に行こうと思いつつ、GWに突入してしまいました。混んでいるところは苦手なので、どうしようかと迷っているところです。お仕事を離れて、実り多きGWをお過ごしくださいね。
junemay
> junemayさん、こんばんは。
>
> ペルージャ行かれたのですね。
> 私は、二度行ったことがあるものの、ちょこっとだけ。
> 公証人の間やサンタンジェロ教会などまだ行けてないのです。
> いいですね。
>
> エトルスキ起源の街は、どこを撮っても絵になりますね。
> 素敵です。続編もあるなんてすごいです。
>
> 楽しみにしてます。
> マリアンヌ
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