2016/04/08 - 2016/04/08
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belleduneさん
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枯山水の庭園「雪の庭」があるというので、叡山鉄道の木野で下車し、少し歩いたところにある妙満寺へ寄りました。しかし、昨日の雨で、枯山水の庭が水溜りとなっていて、池が出来ていました。ちょうど句会をしていたので、その人達も何だか、ちょっとという雰囲気でした。俳諧の祖と言われた松永貞徳(1571〜1653)の造営です。清水にある成就院の「月の庭」、北野にあった「花の庭」とともに成就院の「雪月花の三名園」と並び称されました。比叡山を借景とした雪が降る頃が最も美しいとされ、これが「雪の庭」と言われる由縁だそうです。今日は「水溜りの庭」だったのですが...
昭和43年に、この妙満寺が寺町二条からこの岩倉へ遷堂した際に、成就院から本坊の庭へ移築しました。
- 旅行の満足度
- 4.0
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駅から歩いて行くと裏の駐車場がまずあります。ここから入っても良いのですが、表から行きます。
妙満寺 大根焚き 祭り・イベント
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比叡山を借景としています。妙満寺を創建した日什大正子師は、もと天台宗の僧で名を玄妙といい、比叡山三千の学頭にまでなった人です。故郷の会津で、日蓮上人の教えに触れ、67歳にして、宗を改めて、日蓮門下に入られました。日什上人は、日蓮聖人の遺志である帝都弘通を想い、68歳にして都に上がり、時の帝・後円融天皇に上奏しました。二位僧都の位と「洛中弘法の論旨」を賜り、康応元年(1389)六条坊門室町(現・烏丸五条辺り)に妙塔山妙満寺を建立し、根本道場としました。
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妙満寺はその後、応仁の乱など幾度かの兵火に遭い、その都度洛中に寺域を移して、興隆していきました。天正11年(1583)秀吉の時に寺町二条に移され、四百年に亘り「寺町二条の妙満寺」と親しまれていました。その後、都市化が進み、環境悪化を避けるために、昭和43年にこの岩倉に「昭和の大遷堂」を挙行しました。
日什上人は、稀代の顕学でありながら、一巻の書物も残さなかった。これは、「その書のために、仏の教えを誤解されてはならない」と配慮されたためであり、釈迦牟尼仏より日蓮聖人に受け継がれた正しい教えを自分の意見をはさまず、素直に受け持つように戒めました。これを「経巻相承・直受法水」といい、妙満寺の宗是だということです。なかなか出来ない優れた僧だったんですね。 -
仏舎利大塔(インドブッダガヤ型)は、昭和48年に全国檀信徒の写経浄財によって建立されました。このブッダガヤ大塔を象ったものは日本初の建築だそうです。
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これが本来なら枯山水であった筈の「雪の庭」です。
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また冬にでも来てみましょう。
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左奥に鶴が3羽ほど見えますが、どうして...
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こちらの庭も見たいのですが、句会のためは入れません。春、秋、冬の3回、句会が開かれているそうです。今日が丁度その春の句会「花の会」だったのです。
また、安珍・清姫伝説の鐘なるものがありました。正平14年(1359)3月11日、道成寺では、安珍・清姫の伝説以来、永く失われていた鐘を再鋳しました。例年、春に鐘供養を営み、安珍・清姫の霊を慰めているそうです。 -
外に出て、ぐるっと廻ると、桜が綺麗でした。
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枝垂れ桜は散っていました。
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しかし、こちらは満開ですね。
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