2016/04/07 - 2016/04/07
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belleduneさん
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京都駅傍の東本願寺・飛地境内にある別邸・渉成園を見てきました。今日のひどい雨の勢で、人も少なく、ゆっくり見ることができました。 11月迄は夕方5時迄ですが、是非夜、見たい景色でした。園内の建築も内部非公開となっていますが、書院・茶室は借りることができるようです。内部も見たいものです。
東本願寺第十三代宣如上人が三代将軍徳川家光から東本願寺の東側の土地を寄進され、その後、隠居所をそこに定めてました。中国の詩人・陶淵明の「帰去来辞」の一節「園日渉而成趣」(園、日に渉って以って趣を成す)から採って「渉成園」と名付けられたそうです。周囲に枳(カラタチ)を生垣として植えたことから枳殻邸(きこく)とも呼ばれていました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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この渉成園は予々来たいところでした。また季節を変えて、特に雪の景色を見たいと思いました。入口で貰った冊子に、雪景色が載っていたので、来冬の天候をチェックしなければ。
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広い敷地にお茶席や煎茶席などが8軒あります。
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高石垣 様々な素材、長い切り石、礎石、石臼、山石、瓦などの色んな素材を組合わせて築いた垣です。
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根を深く下ろした大樹
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人が少なかったので、どうも順路を逆に入ったようです。
ここは、大玄関で、明治13年(1880)、明治天皇が渉成園でお休みになった際、東本願寺の境内に残る宮御殿と共に、大宮御所から移築を約され、後に移された玄関です。正面四間、切妻造で、車寄に、二間の内玄関が設けられ、内部に八畳二間があるそうです。車寄の正面馬車廻し南側には、明治初期に建てられた「馬繋ぎ(厩)」が当時のまま残されています。 -
庭園に入ると、大きな印月池(いんげつち)があります。池泉回遊式庭園になっています。広さは約1700坪あり、園全体の約六分の一を占めています。
その傍にあるのが、「漱枕居」です。慶応元年(1865)頃再建されました。四畳半に三畳敷きの座敷と土間から成り、三畳の東には、左右に手摺付きの縁があります。「漱枕居」の名は、旅路にあることを意味する「漱流沈石」の語から採られました。園内にある縮遠亭(飯店)、代笠席(茶店)と共に「煎茶三席」の「酒店」として用いられたようで、園内に三席が完存する珍しい例で、この園の大きな特徴となっています。 -
洛北詩仙堂を開いた石川丈山の作庭と伝えられています。十四代琢如上人以後、歴代の隠居所となり、詩歌、茶の湯、能狂言などに親しむ場所として整備されて来ました。
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池の向こうに見えるのが、縮遠亭です。
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ズームアップしてみると、
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その左手に見えるのが、「侵雪橋」です。
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池の手前にあるのが、「ロウ風亭」(門構えに良と書きます)で、慶応元年頃の再建です。「ロウ風」とは、中国・崑崙山脈の頂部にあると言われる山の名前で、仙人が住むとされており、賓客をお迎えする大書院に相応しい名前が付いているということです。
殿舎の南端の大広間で、軒が深く、規模の大きな建物です。室内からは、前庭を隔てて、東山の阿弥陀ヶ峰を借景としています。室内は、通常の書院造りの間取りとは異なり、畳みを外すと能が演じられるようになっているそうです。大広間の北西に続く「嘉楽」と呼ばれる部屋は、床と付書院を備えた八畳敷きになっています。そこで、明治13年に7月14日に明治天皇が休憩された場所だそうです。 -
この辺りで、雨が一段と激しくなり、暫し、軒下で雨宿りしました。
この「ロウ風亭」付近にあったとされる高楼が「偶仙楼」で、江戸初期の古地図には伏見城から移築されたとされる桃山風の大書院に付随した高楼が描かれています。安政の大火で焼失後、再建されましたが、蛤御門の変による類焼(1864年)の後、再建されることはありませんでした。 -
渉成園は幾度かの火災に遭い、現在の「ロウ風亭」は、元治元年(1864)以後に再建されたものです。
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「双梅檐」(そうばいえん)の向こうに「傍花閣」が見えます。
この「双梅檐」は、紅梅、白梅が20株ほど植えられた梅林で、檐とは、庇の意味です。「蛤御門の変」(1864)に因る類焼以前は、今より「ロウ風亭」(大書院)の規模が大きく、屋根がこのあたりまで掛かっていたことに由来する名前だそうです。 -
「傍花閣」は、明治25年の再建です。園林堂(持仏堂)の東、山門に当たる位置に建てられています。庭園内には珍しい楼門造りで、左右側面に山廊という階段の入口があり、階上には四畳半の部屋があります。部屋の天井中央には磁石板に十二支を配した珍しい図様が描かれているそうです。見たいですね。軽快な構成と穏やかな数寄屋造りの手法を兼ね備えた個性的な建物。
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一応屋根があるので、風雨に晒されていても、それ程痛んではいないですね。
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園内の地割りは、お内仏の「園林堂」とその山門にあたる「傍花閣」を結ぶ中軸線を基準にして、全体の作庭がされているそうです。真宗の教えに基づいて、お内仏であるご本尊(南無阿弥陀仏)を中心とした真宗門徒の生活規範が、このような仏寺庭園に反映されています。
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ぐるっとひと回りしてみます。
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両側に階段がありますが、一方から上がって、もう一方から降りるようになっていたのかな。2階からの眺めは良いでしょうね。
私は今、園林堂の前にいるので、目の前の傍花閣を結ぶ中軸線上に立っていることになります。 -
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印月池の向こうに見えるのは、「回悼廊」です。
東本願寺歴代は、千利休と教如上人との親交に始まり、松尾流や裏千家の茶道を嗜んでいたので、園内には「縮遠亭」や露地が整えられた「盧庵」などの茶室も残っているそうなので、これから廻って行きます。この渉成園の庭園構造の大きな特徴の一つである三店(酒店・飯店・茶店)が配置されています。文人趣味の煎茶は、中国から伝わったもので、所謂、茶道とは全てが異なります。 -
冬の雪景色も素晴らしく、来年の1、2月に雪が降ったら、直に飛んで来ようと思います。秋は人が多過ぎて、混雑が嫌いな私は、やはり冬でしょうか。
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「縮遠亭」は、明治17年の再建です。印月池に浮かぶ北大島に建てられた茶室で、西側入口の土間から入ると、茶室(抹茶席)あり、四畳間が付く構成になっています。その南端から斜めに続く板間を通り、三畳敷・舞台造りの上段の間が繋がっています。嘗て上段の間から東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の遠景が縮図のように見晴らせたところから、この名前が付いたと言われています。江戸後期には、既に樹木が繁っていて、見えなくなっていたそうです。
この写真で見えているのが、上段の間ですね。 -
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狭い傾斜を生かした造りになっています。
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ここで、お茶を頂きたい!
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左手に見えているのが、鎌倉中期の作とされる「源融ゆかりの塔」です。左大臣源融は、嵯峨天皇の皇子でしたが、源の姓を賜って、臣籍に下りました。光源氏のモデルの1人とも言われているそうです。この塔は、源融の供養塔と言われていて、九重の石塔の、塔身には四方仏が刻まれ、基礎の格狭間(こうざま)には蓮華が彫られています。九重目の笠が失われて、宝篋印塔の笠で代用されています。築庭時に、宇治にある塔の島の景色を写したとも言われているそうです。
手前の松も池に迫り出していて面白いです。 -
侵雪橋を縮遠亭の建つ島へ渡ったところの北側あたりを「五松ウ」(ウは土偏に鳥)と言い、五株の松、又は一幹五枝の松が植えられていたことからこう名付けられたという。「ウ」とは、小さな土手を意味します。この五松ウがある島と南大島(臥龍堂)は、その位置と高さ、古図面に見える高瀬川の旧流路などから、豊臣秀吉が築かせた「御土居」(土塁のこと)の跡であるという説が有力になっているそうです。
松の後にあるのが「塩釜の手水鉢」で、これが手本となって全国の庭園に広まった「本歌」と言われています。渉成園の景物として最も重要なものだそうですよ。石造宝塔の塔身を手水鉢に転用したもので、鎌倉時代の作と伝えれられています。 -
回悼廊の東側、印月池に迫り出した藤棚『紫藤岸」が見えます。当初は、野生の藤だったと伝えられていますが、現在はこのように棚が設けられています。
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雨の中、頻りに鷺?らしき鳥が鳴いて、南大島辺りを飛んでいます。
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実に良い眺めです。
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印月池の西北岸から縮遠亭にある島へ渡る木造の反り橋が、この「侵雪橋」です。頼山陽が「渉成園記」の中で、雪の積もった橋の有様を玉龍に例えて表現しています。
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縮遠亭の建つ築山の北麓に石組みの横穴があり、そこに井筒があるそうです。その形が塩を作る塩釜とそれを屋根で覆う塩屋の景色に似ていることから「塩釜」とよばれているそうです。今は枯れていますが、縮遠亭で茶会が開かれる際の水源であったと思われています。
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北大島と丹楓渓(たんぷうけい)とを結ぶ木製の橋が、この「回棹廊」です。安政の大火(1858)での焼失以前は、朱塗りの欄干のある反り橋と伝えられています。現在は、檜皮葺の屋根が付いています。中央の唐破風屋根の天井部には掛け釘が設けられ、嘗ては夜の来客時に金燈籠を吊るしたそうです。風情ある景色だったでしょうね。
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回悼廊の北端から印月池北岸沿いに、楓が植えられていて、秋には紅葉が見事だそうです。今、私が立っている右手がその「丹楓渓」です。
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写真がないのですが、印月池北東岸に入り込んだ、入り江の奥にある築山の石組みの下部に注水口が穿たれています。これが、「獅子吼」(ししく)印月池の水源の一つで、古くは高瀬川の水が引かれていましたが、現在は地下水を汲み上げて、流れとしているそうです。通常見られるような滝の石組みではなくて、山腹から湧き出す泉のような形に造られているのが、大変珍しい景色となっているそうなので、次回は是非とも見たいと思います。
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以前の朱塗りの欄干があった反り橋よりもこの方が景色にしっくり来るような気がします。
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侵雪橋を渡ると、ビャクシン(イブキ)の大樹があります。
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振り返ると、侵雪橋の右に、「五松ウ」が見えています。
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今日のように、大雨が降ると、こんなに流れがあります。
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この石橋を渡ると傍花閣があります。
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雨に濡れた桜も良いものです。
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クロマツの園芸品種で、盆栽とし作られる「ニシキマツ」です。樹皮が非常に厚いそうです。
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木戸の外に見えるのが、盧庵の春日灯篭です。茶席「盧庵」の露地に立つ石灯篭で、江戸初期の作。六角形の笠の屋根には、降り積もった雪が刻み出されています。遠目ですが、良〜く見るとそんな風に見えます。
前庭の露地には、珍しい形の屋根のある中門が開かれています。 -
「盧庵」は昭和32年の再建です。二階建ての茶室で、階下は七畳、西側に床を構え、二方に縁が付いています。階上は主室四畳半に、台目三畳の次の間があります。主室北側を板敷きとし、中央に赤松の曲木を立てて、左を床とし、右脇には二重棚があるという。二方肘掛け窓からは、眺望を楽しむことが出来る煎茶席です。良いですね!是非ここで煎茶を頂きたいです。「盧庵」は、江戸時代の文書では、「露庵」と書かれており、中国・唐代末(9〜10世紀)の禅僧・雲門文堰(ぶんえん)の言行録から「露」の一文字を採り、室内にその扁額を掛けていたようですが、現在は異なる漢字を当てています。
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モチノキ
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「園林堂」(おんりんどう)は昭和32年の再建です。傍花閣に対応する持仏堂で、正面四間。中央間には桟唐戸を吊って、仏堂の意匠としています。「園林」とは元来、中国宮廷に設けられた大規模な庭園の意味ですが、仏典では、浄土を表す語として用いられ、桂離宮にも同じ「園林堂」があります。
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お堂の正面軒下には、「元亨釈書」の著者として知られる南北朝時代の禅僧・虎関師錬の揮毫による「園林」の扁額が掛かっています。室内には、中央の仏間と三方にめぐった入側(座敷と濡れ縁との間の細長い縁側)共に、棟方志功が竣工時の翌年に描き上げた「天に伸ぶ杉木」「河畔の呼吸」と題された42面の襖絵があるそうです。
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庭園北口から入るのが、順路でしたが、庭園南口から入ってしまったので、北口から出て、帰ります。混雑時には、順路を守りましょう。
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木蓮が綺麗に咲いていました。
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