2016/03/13 - 2016/03/13
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たびたびさん
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トヨタ自動車の豊田は知っていても、三河に観光地というイメージはあまりなかったので、徳川家康の岡崎と豊川稲荷の豊川くらいしか行ったことはありませんでした。その際、豊橋が三河の中心であることもようやく分かったくらいですから、私にとって、三河は最も疎いエリアのひとつかもしれません。
その後、しばらくしてから蒲郡を回ってみて、さすがにもうちょっと視野を広げてみようと思ったのが、今回の吉良・西尾。三河では豊橋と岡崎が双璧として、それに次ぐのが西尾というぼんやりした情報があるくらいであまり事前の調べもしないままに、ぶっつけ本番でとにかく回ってみるといういつものスタイルだったのですが、面白かったのは三河の小京都という側面です。
ちなみに、尾張とか名古屋のイメージは、京都など上方何するものぞ。徳川幕府の江戸に対しても同じく何するものぞの気構えがあって、独自のスタイルを貫くもの。三河だって三河武士に代表される地味な土地柄だし、本来、小京都なんて、アンマッチもいいところですよね。
ところが、寺の多さに、それぞれの寺の、格調があって個性を競うような伽藍の姿は、街の資力の相当な部分が寺につぎ込まれなければ実現できないもののように思えました。そして、そこに小京都と言っても恥ずかしくない街全体の雰囲気が醸し出されている感じなんですよね。他方、抹茶関連の産業は意外は意外でしたが、静岡のお茶の産地も近いし、まあありうる範囲。西尾城は、西尾の代表的な観光スポットですが、正直言えば、ここがルーツの今川氏は滅んでしまったし、西尾藩もイマイチ歴史の表舞台には絡んでいないので、見ごたえとしてはかなりマイナーであることは否めない。
つまり、最終的に総括すれば、西尾の誇れる魅力の一番は小京都の匂い。ただ、その匂いをどこまで感じれるかは、京都の寺めぐりをかなりしていないと分からないような。そういう意味で、西尾の魅力を大勢の観光客にどうやったら理解してもらえるのか。せっかくいいものがあっても、これを伝えるのはかなり難しいようにも思いました。自分でいうのもおかしいですが、逆に言えば、この街の良さが分かる人はかなり自分の観光力に自信を持っていいのではないかとも思います。
その辺りがどこまで伝わるか。かなり不安ですが、できるだけ汲み取っていただけるとありがたいです。
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昨夜は蒲郡で泊まって、今日は吉良から西尾を回ります。
蒲郡駅前の広場の一角でふと目に留まったのは涼みが杜の石碑。これも蒲郡の発展に尽くした、三河の国司、藤原俊成に関連する史跡だそう。
当地で詠んだ歌「大島や小島がさきのほとけ島 すずめの森に恋の松原」のすずめの森が涼みが杜と伝えられてきたのを記念する碑ということです。 -
蒲郡からは、近鉄蒲郡線で吉良に向かいます。
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吉良吉田駅に到着。ここからは、どこまで歩けるか。一応調べては来ているんですが、距離感がよく分からないのでとにかく歩いてみるしかありません。
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まず向かったのは金蓮寺。こちらは、曹洞宗の寺。鎌倉時代中期の建立という阿弥陀堂が国宝です。
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開けた境内に寄棟造、檜皮葺きの美しい姿があっさりと現れました。
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優美な屋根の傾斜がとても美しいですね。この角度から見るとさらに優美さが強調されるようにも思います。
説明板に拝観は予約が必要と書いてありましたが、ダメもとで尋ねると、ではお見せしますということで、お寺の娘さんが鍵を開けてくれました。 -
イチオシ
内陣は後ろ側二本の来迎柱と来迎壁のみ。須弥壇には阿弥陀三尊像を安置するだけのすっきりした構造です。しかし、天井は二重折り上げ、小組の格天井で最高の格式。しかし、それが嫌味もなく自然に収まっていて、穏やかな雰囲気を壊していないのもすごいところ。
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三尊像は撮影可ということでこうして撮らせてもらいましたが、主役はやはり阿弥陀堂自体のような気がします。
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それに、仏像の写真はやっぱり難しい。本物の様子を伝えるのはこれが限界です。
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教蓮寺は、金蓮寺から旧糟谷邸や尾崎士郎記念館に向かう途中。国道から案内が出ていたので、ちょっと寄ってみました。浄土真宗本願寺派の寺で、山門から奥に本堂が見えて、やっぱり本願寺派の寺だなあという構え。ただ、それだけで観光的な要素は全くないように思います。
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羽利神社は、旧糟谷邸のある吉良町萩原地区の神社。
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ただの部落の神社かと思ったら境内も悠々だし、本殿もかなりのもの。鳥居のすぐに二股に分かれる勢いのよい大楠があって、これは西尾市の天然記念物。
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熱田神宮神木のクスの種をまいたものと伝えられます。
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で、この先が尾崎士郎記念館。
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入ってすぐにあるのは、尾崎士郎の自宅。東京の大田区から移築したものだそうです。
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書斎と机の奥にあるのは火鉢。昭和12年、川端康成は「雪国」で、尾崎士郎は「人生劇場」で第3回文芸想話会賞を受賞しますが、その時の副賞。ですから、川端康成もこれと同じ火鉢を持っていたことになります。それに、そもそも、「人生劇場」がヒットしたのは川端康成が高く評価してくれたのがきっかけ。
ここで一番の見所になるのが、この火鉢です。 -
こちらが、資料展示室。西尾市吉良町の出身の尾崎士郎について、その人となりを紹介する展示です。
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イチオシ
そして、係の方が時間があればということで、
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生い立ちから学生時代のエピソードも含めて、詳しく解説してくれました。
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戦後、公職追放にあっていますが、山岡荘八や火野葦平なども同じ。結局は、売れっ子だったというだけのことではないかという説明には納得感もありました。
ちなみに、山岡荘八の「小説太平洋戦争」など、むしろ戦争の悲惨な真実を赤裸々に綴っていて、戦争協力などとは対極のような内容だと思いますし、火野葦平も「花と龍」とか筑豊の荒くれた世界に生きた主人公(火野の両親)の人間くさい面白さを痛快に描いたもの。なにかに戦争責任を求めていかないといけなかった時代の反動であって、尾崎士郎の価値を損なうものではないように思います。
なお、尾崎士郎の自宅のあった東京都大田区の文士村にも記念館がありますが、こちらの記念館の方が展示室が一つだし、ちょっと落ち着いて見れるような気がしました。 -
そして、旧糟谷邸は、尾崎士郎記念館と隣り合わせ。
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糟谷縫右衛門家の屋敷ですが、
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糟谷家は吉良の大地主であり、
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三河木綿問屋、金融業、肥料などでも財をなした豪商です。
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イチオシ
玄関を入って、
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暖簾の先が上がり口。
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天井に吊ってあるのは、隣にある菩提寺、海蔵寺に行くのに主人が使ったというかごだそうです。
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ここから上って奥に進みます。
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主人が自慢していたという茶室もそのままに残っていて、これもひとつの見所ですが、
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どっちにしても自由に見学できて、
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あっちに行ったりこっちに来たり。
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大きいのは大きいのですが、迷うほどの感じはしない。
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玄関から土間の感じとか、豪商というよりむしろ新潟の豪農の家といった雰囲気もあるように思いました。
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これが糟谷邸の隣にある糟谷家の菩提寺、海蔵寺。始まりは、1470年(文明2年)で、3代将軍家光から朱印10石7斗を賜ったという寺でもあります。
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ちょっと破格な規模の本堂に楼門など少し傷んだ風はありますが、往時の隆盛が十分偲ばれます。
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ここから吉良吉田駅に戻りますが、その間に、いくつかの古刹があって、それらもチェックしておきます。
西福寺は、北条時頼により創建された天台宗の寺。 -
イチオシ
見どころは、三代将軍徳川家光によって建てられた鐘楼。明治4年に岡崎の伊賀八幡宮から移築されたものだそうです。国道の方からでもよく見えますが、境内に入ると正面から見上げる形。ただ、大きな建物なので、遠くから見る方が見栄えがするように思います。
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正覚寺は、浄土真宗の寺。国道から少し参道を入った先に四脚門。その先に水盤舎と本堂が整然と並ぶすきのない配置です。見どころは、四脚門でしょう。正面に、湧きあがる雲と龍の彫り物。手前に広いスペースを取っているのも、大きな寺院らしい風格となっています。
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これは本堂です。
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宝珠院は、浄土宗西山深草派の寺。
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イチオシ
始まりは、1450年(宝徳2年)。天台の僧が草庵を結び、比叡山より請来した十一面千手千眼観世音菩薩像を安置したというものです。
また、長久手の戦いの際は秀吉とも縁ができたり、徳川家とのゆかりもある。豊臣、徳川の庇護を受け、両家の位牌を祀るのも面白いところでしょう。
本堂正面の赤い六角鐘楼門が何と言ってもインパクト大。面白い意匠です。 -
これも最後に本堂を確認して、おしまいですね。
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大吉屋は、正覚寺の門前と言った感じ。松に梅の赤い家紋をあしらった外観が目を引きます。
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イチオシ
いが饅頭があって、これって能登半島とかにも多いんですよねとか話したんですが、それは御存じないようです。いずれにしても、この時期のものなんだとか。表面に付いたもち米がアクセントになっていて、こちらのいが饅頭もおいしくいただきました。
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今井醸造は、吉良駅近くのお味噌屋さん。なにか活気を感じて寄ってみました。最近マスコミに取り上げられたらしくて、それで来たんですかと言われましたが、逆に声をかけられたことでそういうお店だったことを知りました。
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こちらの味噌は八丁味噌ですかと尋ねたら、「そこまで長く醸造したものではないです。一年くらいです。」との答え。その後、うちで使っていますが、やっぱり、大ざっぱに言えば八丁味噌に近いように思います。
これで、吉良は終了。結局、吉良上野介に直接関係するスポットには出会えずじまい。後で調べると吉良家の菩提寺華蔵寺や黄金堤、花岳寺は、上横須賀からレンタサイクルを利用するのがいいようです。 -
吉良吉田駅から西尾駅に移動して。
西尾駅前にある西尾観光案内所ではレンタサイクルをやっていて、予定通り、それを利用します。特に西尾のお茶屋さんが集まるエリアは市街から少し離れているので、歩いてはきつい。平坦な道なので自転車だとちょうどいいはずなんです。ということで、いざ出発です。 -
まずは、伊文神社から。ここは、西尾城下の総鎮守総氏神で、始まりは、9世紀。文徳天皇の皇子、八条院宮が渥美郡伊川津から移したと伝わります。
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馬の背のような境内は鳥居から大きくカーブして本殿に至るちょっと変わった形。進むにつれて、わくわくするような感じもありますね。
ほか、7月中旬に開催される西尾祇園祭も有名です。 -
勝山寺は、宝暦5年(1755年)に西尾城主、三浦義理が城の鬼門封じの祈願寺として創建したという真言宗醍醐派のお寺。「三河新四国69番、70番」と書いた看板が目立っていて、三河新四国八十八か所巡りの寺でもあるようです。
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山門を入ると、すぐ目の前には大きな本堂が迫ってくる感じ。ちょっと迫力があるお寺です。
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そして、順海町通りは、小京都西尾を代表する景観。大通りから、ちょっと入った路地なんですが、少し上りになった通りの両側には、唯法寺と崇覚寺の石垣が高く積まれた塀が続きます。限られたスペースですが、狭くも感じない。江戸時代当時のままに、自然な空間が構成されています。
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こちらが唯法寺。始まりは、文亀3年(1503年)。ただ、現在地に移転してきたのは寛永11年(1634年)です。その際の住職の名前が順海であり、順海町の名前のもととなりました。
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境内に入ると意外に奥が深くて、真宗大谷派の寺院らしい豪壮な雰囲気も持ち合わせています。
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これは裏側の山門です。
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崇覚寺は、唯法寺の向かい側。
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浄土宗 西山深草派の寺で、山門を入ると限られたスペースに建物がうまく収まっていて、こちらはとてもコンパクト。74番札所でもあるようです。
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少し移動して、妙満寺は法華宗の寺。
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山門から、中門を通って寄棟造りの本堂までは、一直線の参道です。そして、さらには、その参道が周囲の視界がよく利くすっきりしたものなので、
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妙に気持ちの良い境内になっているように思います。草取りをする檀家の人たちが何人かいらっしゃっていました。
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イチオシ
盛巌寺は、大給松平家第六代家乗によって天正18年(1590年)に創建された古刹。大給松平家の移封に従って、上野国から山形、西尾と移り、西尾に来たのは、三河西尾藩初代藩主、大給松平乗祐の時。その後、幕末では、井伊直弼派として力を尽くしたといいます。
西尾藩主の菩提寺であり、山門の重厚さが目を引きますが、妻入りの屋根の向きが変わっていると思います。 -
本堂の脇に、
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藩主の墓地がありましたが、意外に限られた一角。大名墓地らしい豪壮さはイマイチかと思います。
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いっちゃんは、盛巌寺から岩瀬文庫に行く途中。たこ焼きや五平餅といったB級グルメの小さな庶民的なお店です。
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五平餅をいただきましたが、どっかから仕入れたもののよう。段ボール箱から冷凍の五平餅を取り出して、おばちゃんが焼き始めました。それでも、きちんとうまい。ちょっと息をつきました。
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そして、岩瀬文庫は、西尾市の自慢の一つ。
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西尾鉄道の初代社長でもあった西尾出身の実業家、岩瀬弥助が収集した書籍のコレクションなど約8万冊を所蔵します。
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特に体系だったものでもなく、雑多なコレクションとの評価もあるようですが、展示されている古書はそれなりに美しいし、当時の時代風潮を映しているよう。
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イチオシ
あまり深い意味を考えずに、見たまま鑑賞することで十分なように思います。
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なお、内部の見学はできませんが、新館の横に旧書庫も残っています。
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善福寺は、西尾市中心部の大通り沿い。
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境内は限られていて、通りから門を覗くともう目の前に本堂が建っています。しかし、ここは真宗大谷派の寺院。大きな銀杏があったりして、豪壮な雰囲気はちゃんとあるように思います。
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鶴ヶ崎天満宮は、菅原道真を祀る神社。創建は、建長年間(1289-55年)と古いのですが、現在の構えは小さいし簡単なものなので、そのような古い歴史を感じるものではありません。
西尾城主にも尊崇されていたということですが、私のイメージでは天満宮は街の必須アイテムのようなもの。これがないと街の格が下がるというような存在だと思います。 -
縁心寺は、西尾市内にある浄土宗の寺。鶴ヶ崎天満宮から回りました。
寺は慶長2年、西尾城主、本多康俊が父の菩提を弔うために創建したもの。ただ、その寺は本多氏が膳所に移封となると移って行き、その後、同名の寺が改めて造られたという経緯のようです。
四脚門の屋根のそりがちょっといい感じですが、 -
正面奥に建つ裳階付きの本堂も特徴的ですね。側面はサッシが入ったりしていて、安っぽく見えなくはないのですが、この屋根の造りで威厳がしっかり保たれていると思います。
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カテキン堂は、抹茶の今川焼「カテキン焼き」が名物です。
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生地に抹茶を練り込んだものなんですが、奇をてらっただけではなくて、餡子のほんわかした甘さとか基本的な今川焼のおいしさがなかなか。
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逆に抹茶は香りというより、美しい色付けの効果に徹していて、好感を持ちました。
レトロな洋風建物も見どころです。 -
パティスリー ツタヤは、康全寺の並びの表通りに面した洋菓子屋さん。きれいな店舗だし、品数も豊富。
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ここは基本のシュークリームをいただきましたが、柔らかめのシューにたっぷりのカスタードクリームの手堅いタイプ。安心感のあるお店です。
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三徳屋菓子舗も、同じ並び。店内にはたくさんのお菓子が並ぶ活気のある和菓子屋さんです。
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季節の花見だんごをいただきました。ほんのりした甘さは、予想通り。今の時代、鮮やかな色合いはあんまり好まれないような気もしますが、これは自然のままの素直なお菓子です。
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康全寺は、悠々とした広い境内に大きな伽藍を構える曹洞宗の寺。このゆったり感は、西尾市内の寺では一番かもしれません。
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始まりは、鎌倉幕府の御家人、足利義氏に関係するようですが、その子孫、吉良満貞が復興し満全寺とする。今川氏に従った吉良氏が没落すると、徳川家康が当寺に宿泊した縁により、家康の「康」の字を賜り、康全寺と改称したということ。歴代の権力者に庇護されてきた寺ともいえるかもしれません。
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大日堂は、康全寺が管理するようですが、康全寺の山門横に立派なお堂が建っていて、赤い幟も賑やかに建っているので、これもけっこう目立ちます。
お堂は大日如来座像を本尊とし、この本尊は康全寺の前身の一つである金剛王院にあったもの。ちなみに、金剛王院等は、鎌倉幕府の御家人、足利義氏が開いたもの。康全寺は曹洞宗ですが、天台宗だったころのことであり、別の敷地なのはこうした関係もあるのかもしれません。 -
ここから、お城の方に移動して。。
尚古荘は、昭和初期に地元の米穀商、岩崎明三郎が造った京風庭園。 -
西尾城東の丸の遺構を生かした庭園ということですが、
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二つの建物にはさまれた
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中央部分とかも限られた範囲。
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こじんまりした印象はぬぐえません。
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ただ、築山はちょっとないくらいに険しい山。中心部の池をはるかに見下ろすような構造で、これが一番の特徴でしょうか。
また、よく分かりませんが、なぜか最近コスプレの撮影場として着目されているよう。この日も若い女性の集団が派手な衣装に身を包んで撮影会をやっていました。 -
伝想茶屋は、尚古荘に離接するお茶屋さん。
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西尾の抹茶文化を伝える施設でもあり、自分で挽いた抹茶をいただくこともできます。作業をする二階では家族連れが楽しそうに抹茶を挽いていましたが、
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私は見るだけで、普通の抹茶を注文。余計なことですが、挽くお茶より、ただ出してもらう抹茶の方が質はいいようです。
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向春寺は、尚古荘の並びにある小さな曹洞宗のお寺。境内の境目もあまりはっきりしないし、本堂も街の集会所みたいに簡素な造りで、もしかしたら無住のような感じです。ただ、この日もお墓詣りの人がちらほら。これなら荒れずにはすんでいるように思います。
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ということで、やっと西尾城へ。
鎌倉時代前期、三河守護の足利氏が築城した西条城を起源とする西尾城は、平成に入ってから西尾市歴史公園として整備されました。その際に、シンボルとして再建されたのが、
本丸丑寅櫓とこの鍮石門。鍮石門は、二の丸御殿に至る表門であり、間口9m、奥行き5m、高さ7m。ずんぐりとした堅牢な構えです。 -
ただ、いったんここはスルーして、
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丑寅櫓の方に向かいます。といっても目と鼻の先なんですが。
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さて、丑寅櫓は西尾城本丸の丑寅(北東)にあって、一番高い場所にあった櫓。
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平成8年に再建されました。西尾城のシンボルのような建物で、何かあるとここの写真が出ているような感じです。お堀に面しているのに、細い路地のような先にあってその景色がかなり特徴的。全景が見えずらくて、その分、迫力があるように見えるのですが、
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中に入って見ると拍子抜けするくらい小さな規模。外観から見るイメージとはかなり違っているように思います。
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さっき通って来たのはこの道です。
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もう一度外に出て、御剱八幡宮も西尾城本丸跡。
三河国守護、足利義氏が西尾城の前身、西条城を築城する際、こちらに迎えたという城内鎮護の神社です。
檜皮葺の本殿に赤い焼き物のこま犬。小さくて目立たない神社ですが、「西尾」の地名を使用した最古の遺物という鰐口もあったり、ちょっと価値ありの神社です。 -
西尾城の本丸には、西条城の時代からの御剱八幡宮ともう一つ、西尾神社という神社があります。
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大きさとしては、こちらの西尾神社の方が大きいのですが、案内を見ると、これは太平洋戦争の犠牲者を祀った神社のよう。護国神社と同じ意味の神社だと思います。
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本丸跡から西尾城歴史公園の二の丸跡に抜けると旧近衛邸。近衛家は摂家筆頭。どういう縁かは分かりませんが、その邸宅の一部を京都からわざわざ移築したものです。
数寄屋造りの軽快な建物で、この建物自体も味わいがありますが、 -
縁側に座って眺める丑寅櫓の景色がいかにも城内といった感じ。よくできています。
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旧近衛邸にも入ってみると
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ここにもちょっとした雛飾り。
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限られた飾りですが、ちゃんと華やかさはありますね。
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そして、鍮石門。これで西尾城を一周したことになります。
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そして、最後に西尾市資料館。丑寅櫓を正面に見る西尾城のお堀端です。
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無料で自由に見学ができて、この時期はお雛様の展示でしたが、
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段飾りの他に、
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土人形や
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雛人形の掛け軸などもあって、気軽に楽しめる感じ。ボランティアの方が親切にいろいろ話しかけてきたりして、それもちょっと和みました。
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西尾公園は、西尾城から市街中心部と反対側に坂を下って行った先。蒸気機関車が保存展示されていたり、芝生の中に子供用の遊具がちょっとあったりしていましたが、それ以上のものはない。観光客にとってはあまり見どころはないかなあと思います。
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さらに進んで、これは台嶺 殉教之地。
明治の廃仏毀釈に反発し藩の役人に死亡者まで出るという騒動の結果、事件の中心人物である石川台嶺ほか二名が死刑となった記憶を留める碑。熱心な真宗門徒であった人々には、廃仏毀釈は耐えられないことだったようですね。津和野でのキリスト教弾圧なども同じ流れでしょうが、いずれにしても無意味な廃仏毀釈は明治維新の混乱を象徴するもの。後の国体論といった日本の国家としてのあり方の議論まで否定するつもりはありませんが、廃仏毀釈は明らかにあだ花といえるのではないかと思います。 -
さて、ここからもうひとつの目当て。抹茶のエリアに向かいます。その途中。
田舎の和菓子屋さんと思っていたら、穂積堂は交差点角に大きな堂々としたビルを構えていて、ちょっとびっくり。 -
店内もとってもきれいです。
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ここでも彩りが美しいいがまんじゅうをいただきました。ちょっと小ぶりですが、表面についたもち米がやっぱり味のアクセント。店内では冷茶のセルフサービスもあって、ちょっと元気回復です。
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茶園公園にだんだん近づいた国道沿いで、また和菓子の店を発見。すゞやさんにも寄ってみます。
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みたらし団子も気になりましたが、ここは花見だんごをいただきました。ほんのりした甘さともっちり感の組み合わせが心地よい味わい。正統派の花見だんごだと思います。
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観光案内所で、西尾は抹茶の街なので何か名物ありますかと尋ねたら、魚寅の碾茶飯(てんちゃめし)というのを紹介されました。お茶っぱをまぶしたご飯のようで楽しみにしていたのですが、到着したのが2時過ぎで、お昼はもう看板。夕方5時からになりますとの答え。いやあ遠くからきているのでなんとかなりませんかと頼もうとしたら、店内は他にも注文を受けた料理の最中で大忙しの様子。料理がカウンター席まで並んでいましたが、艶々した魚の煮つけとかが美しくて、さすが老舗という感じですね。これは無理だなあと諦めました。店構えから店内の雰囲気も日本家屋のいい感じ。とても、残念でした。
後で、作り方を調べると以下の通り。やっぱり、うまそうです。
① お米を炊く時に、昆布とお酒 ・ 塩 ・ 砂糖を一緒に入れてご飯を炊きます。
② 炊き上がったご飯にてん茶をかけます。
③ 1分ほど蒸らしたら出来上がりです。 -
抹茶が名物の西尾にあって、抹茶ひとすじ128年の老舗のお茶屋さん。
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あいやは立派な風情ある店構えに、店内もおしゃれ。たくさんの人が買い物を楽しんでしました。
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私もその雰囲気につられて、お土産に抹茶ババロアの素を買いましたが、家に帰って家族に見せると、これって「かんてんパパ」じゃない。どこでも売ってるよ。とバカにされてしまいました。確かにこれは、西尾とは関係ない。間違えて買った私が悪いんでしょうが、ちょっとひどい。老舗だと思って信頼していたのに、ちょっと裏切られたような。けっこうモヤモヤが残りました。
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お茶とお菓子はつき物ですよね。晴月園もお茶屋さんが軒を並べる国道沿い。
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茶茶丸というのが看板商品のようで、外観からしても老舗風です。私は元祖米米まんじゅうというのをいただきました。たぶん米粉を使って、蒸したお菓子。水分をしっかり含んだふわふわ感が見た目通りの味わいでした。
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この辺りにも寺があって、これは正念寺。
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境内は広くて、清潔感もある明るいお寺。浄土真宗のお寺らしい豪壮な雰囲気も漂います。三河地方は、蓮如上人が三河巡化をしたことで建立された寺が多いようで、この寺もその一つ。今でも隆々とした伝統があるようです。
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国道沿いに「荒川園」の看板がいくつかあって、それならと訪ねてみました。
国道からは少し入るし、実は、入り組んだ場所にあるのでかなり苦労して探し当てました。期待と違って、正直言えば、ちょっとみすぼらしい外観。 -
恐る恐る中に入ると、これまた期待を裏切るインテリ風の若いご主人。腹を決めて、西尾の抹茶の歴史などをお聞きしました。
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お茶の生産はここだけではなく広い範囲で行われているのですが、抹茶の生産となると宇治とここしかなかったよう。ここで生産したものを宇治茶として売っていた時期もあるようです。
抹茶もごちそうしていただきまして、ありがとうございました。 -
で、ここでは抹茶に関係した寺が二つありまして。
まず最初の実相寺は、足利満氏が文永8年(1271年)に建立。この足利氏が後に吉良と名を改めていて、それが忠臣蔵の吉良氏につながります。 -
そして、実相寺の開祖である聖一国師が寺の境内に茶の木を植えたのが西尾の抹茶の始まりなんだそうです。
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イチオシ
ただ、三河クロマツの参道の先に室町時代の建築という堂々とした釈迦堂が建っていて、これが相当な見応え。
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本堂はちらりと外観を見ただけですが、この釈迦堂はあちらから見たりこちらから見たり。その存在感を何度も確認して楽しみました。
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二つ目の紅樹院は、徳川家康の伯母を弔うために創建された浄土宗の寺。ただ、そんなことよりも、ここは西尾に茶産業を広めた「茶祖の寺」として知られます。
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明治5年、当寺住職の足立順道が京都の宇治から茶の種を取り寄せて茶園を開き、茶の製造を始めたのだとか。歴史は実相寺よりずいぶん新しいですが、むしろ現代の抹茶産業のきっかけを作ったのはこっちのような気がします。
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お茶屋さんにももう少し行ってみましょう。これは葵製茶。
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お店に入るとがらんとして人けがなかったのですが、声をかけると女将さんが出てきて西尾の抹茶の話をあれこれ。こちらの本業は卸だそうですが、お茶を入れてくれてお菓子も少々。余計な販売の姿勢もないので、そのままちょっと寛がせてもらいました。
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それから、大和園というお店にも寄ってみました。販売所と作業所が一体になっているいかにも地元のお茶屋さん。国道沿いではないので、雰囲気もゆったり。こうしたところが何軒もあって西尾の抹茶産業を支えているんだなあという思いのするお店です。
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松鶴園は、西尾市を代表するお茶屋さんの一つ。国道沿いに白い大きな建物が目立っています。
店内はお茶関係の商品を販売するスペースと甘味処の茶房「茶遊」が半々。あいやも似ていますが、こちらの方がもう少し気軽な雰囲気があるように思います。 -
イチオシ
茶房茶遊でいただいたのは抹茶ババロアとか、白玉など三種類のセット。織部焼きの器に乗って見た目も涼やかです。ただ、味がどうかと言われれば、まあ普通。お茶屋さんが真面目に作ったスイーツという以上のものではないかな。その分、値段設定はリーズナブルかと思います。
レンタサイクルの返却時間の関係があって、これでもう限界。茶園公園の方はあきらめて、帰ることにしました。 -
西尾駅から豊橋駅に帰ってきましたが、もう日が暮れてしまって。東京に帰る前にこちらで、晩飯を食べちゃいます。
訪ねたのはスパゲッ亭チャオ。豊橋駅からすぐなんですが、ビルの裏手になるので、ちょっと分かりにくいかもしれません。 -
注文したのは、チキンカツとウインナーがついたイチオシのメニュー。どっちにしても、あのあんかけスパゲッティだし、かなりスパイシーな味を想像していたのですが、そこまでではない。用心しながら食べましたが、これなら素直なおいしさです。煉瓦の店内の雰囲気も割と良くて、それもグッド。渋いお店だと思います。
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それと新幹線の中でも何か食べたいので、壷屋の稲荷寿司を買うことに。
これはカルミア北館の店ですが、壺屋は豊橋駅には3か所くらい売り場があると思います。 -
いなり寿司って、たぶん豊川稲荷があるので名物なんですが、豊川では、変わり種のいなり寿司も多くて、ここも何か特徴があるんだろうと想像していました。しかし、さにあらず。元祖いなり寿司というだけあって、ジタバタしていない。普通においしいいなり寿司でした。長く愛される味というのはこういうものなんだと思います。
以上で、二日間の旅は終了。お疲れ様でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (3)
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- わんぱく大将さん 2016/09/27 22:02:26
- へ〜そうなんだ、と
- たびたびさん
抹茶の歴史、初めて知りました。 日本に帰ると抹茶です。
今回、日本では花見だんご、食べなかったなあ〜。
大将
- たびたびさん からの返信 2016/09/28 09:56:47
- RE: へ〜そうなんだ、と
- えっと、これは、日本の抹茶の歴史ではなくて、西尾の抹茶の歴史ですのでお間違えなく。やっぱり日本の抹茶の歴史は宇治になるのではないかと思います。
ちなみに、抹茶ではなくてお茶の歴史で言えば、これは遣唐使が持ち帰ったとされていて、最澄が持ち帰ったのが最初とも言われていますが、どちらにしても遣唐使の誰かが持ち帰ったものというのは間違いないところでしょう。日本に大陸から伝わった文化は仏教のように朝鮮半島から伝わったものと直接中国から伝わったものがあって面白いんですよね。先般、韓国でそんな話をしたら、お茶も朝鮮半島から伝わったのだという話をされて、ちょっと閉口しましたが。。
ただ、一般には栄西が宋から持ち帰って広めたのが最初とするのが一般的かも。平戸に冨春園というのがあって、これが日本の最初の茶園とされています。京都の建仁寺の中にもお茶の碑があったような気がしますね。
それから、知っていらっしゃるかもしれませんが、日本のお茶の特徴は醗酵させないこと。中国茶でも醗酵はさせるし、韓国も基本はそうです。不思議に思っていましたが、司馬遼太郎の本で、日本では鮮やかな緑色を楽しむために火を入れて醗酵を止めるようになった。本来は茶葉には発酵菌がいて、何もしないと発行するものだと書いてあって、なるほどと思いました。
ちょっと、補足まで。
たびたび
- わんぱく大将さん からの返信 2016/09/30 09:07:41
- RE: RE: へ〜そうなんだ、と
- > えっと、これは、日本の抹茶の歴史ではなくて、西尾の抹茶の歴史ですのでお間違えなく。やっぱり日本の抹茶の歴史は宇治になるのではないかと思います。
>
> ちなみに、抹茶ではなくてお茶の歴史で言えば、これは遣唐使が持ち帰ったとされていて、最澄が持ち帰ったのが最初とも言われていますが、どちらにしても遣唐使の誰かが持ち帰ったものというのは間違いないところでしょう。日本に大陸から伝わった文化は仏教のように朝鮮半島から伝わったものと直接中国から伝わったものがあって面白いんですよね。先般、韓国でそんな話をしたら、お茶も朝鮮半島から伝わったのだという話をされて、ちょっと閉口しましたが。。
>
> ただ、一般には栄西が宋から持ち帰って広めたのが最初とするのが一般的かも。平戸に冨春園というのがあって、これが日本の最初の茶園とされています。京都の建仁寺の中にもお茶の碑があったような気がしますね。
>
> それから、知っていらっしゃるかもしれませんが、日本のお茶の特徴は醗酵させないこと。中国茶でも醗酵はさせるし、韓国も基本はそうです。不思議に思っていましたが、司馬遼太郎の本で、日本では鮮やかな緑色を楽しむために火を入れて醗酵を止めるようになった。本来は茶葉には発酵菌がいて、何もしないと発行するものだと書いてあって、なるほどと思いました。
>
> ちょっと、補足まで。
>
> たびたび
たびたびさん
ご説明、有難うございます。 私も一応日本史学専攻の学生でしたので知ってたこともありましたが、説もいろいろで。なんせ、その当時に生きておりませんので。
大将
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