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2度目の旭川市、今回は駅の北側を歩きます。1月に歩いた時は、意外と離があり、駅の南側だけしか回れませんでした。今回、行きは駅前から軌道電気バスに乗って、春光園にある井上靖記念文学館、六角堂などを見た後、雪の降る中、見たかった建物や旧跡などを廻って来ました。自衛隊第七師団の敷地は、東京ドーム22個分程あるそうで、その外側をぐるっと周る時、向い風と雪でかなり寒い北海道を短時間でしたが、体験しました。お陰で、翌日は晴れてはいませんでしたが、風のない旭岳をスノーシューで歩くことが出来ました。護国神社と上川神社にお参りしたお陰でしょうか...

2度目の旭川を歩く -1

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2016/02/17 - 2016/02/17

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belledune

belleduneさん

2度目の旭川市、今回は駅の北側を歩きます。1月に歩いた時は、意外と離があり、駅の南側だけしか回れませんでした。今回、行きは駅前から軌道電気バスに乗って、春光園にある井上靖記念文学館、六角堂などを見た後、雪の降る中、見たかった建物や旧跡などを廻って来ました。自衛隊第七師団の敷地は、東京ドーム22個分程あるそうで、その外側をぐるっと周る時、向い風と雪でかなり寒い北海道を短時間でしたが、体験しました。お陰で、翌日は晴れてはいませんでしたが、風のない旭岳をスノーシューで歩くことが出来ました。護国神社と上川神社にお参りしたお陰でしょうか...

旅行の満足度
4.5
  • 駅前からバスに乗って、春光園で降りると、井上靖記念館があります。<br /><br />「私は物心がついてからずっと、自分が生まれた旭川という町にも、自分が生まれた五月という月にも、理由のさだかでない誇りを感じていた。」『 幼き日のこと』より

    駅前からバスに乗って、春光園で降りると、井上靖記念館があります。

    「私は物心がついてからずっと、自分が生まれた旭川という町にも、自分が生まれた五月という月にも、理由のさだかでない誇りを感じていた。」『 幼き日のこと』より

    旭川市井上靖記念館 美術館・博物館

  • 雪が積もっていて、建物の全景が見えませんね。井上靖は明治40年5月6日に、旭川の春光にある師団官舎で生まれたそうです。軍医の父の従軍で、1年後には、旭川を離れていますが、母が語る5月の旭川の美しさに、「私は誰よりも恵まれた出生を持っていると思った」と旭川への思いを記しているとありました。<br />なんと幸せなことでしょうか。是非、5月の旭川を見てみたいものです。

    雪が積もっていて、建物の全景が見えませんね。井上靖は明治40年5月6日に、旭川の春光にある師団官舎で生まれたそうです。軍医の父の従軍で、1年後には、旭川を離れていますが、母が語る5月の旭川の美しさに、「私は誰よりも恵まれた出生を持っていると思った」と旭川への思いを記しているとありました。
    なんと幸せなことでしょうか。是非、5月の旭川を見てみたいものです。

  • 東京の邸宅から移築した書斎、応接間などを見ることができます。撮影は不可なので、書斎と壁面がすべて本棚になっている応接間の絵葉書を買ってきました。書斎は、畳の部屋で、文机に向かって、書いていたのだろうか、と思わせるものでした。自筆のノートや多くの貴重な資料が展示してありました。

    東京の邸宅から移築した書斎、応接間などを見ることができます。撮影は不可なので、書斎と壁面がすべて本棚になっている応接間の絵葉書を買ってきました。書斎は、畳の部屋で、文机に向かって、書いていたのだろうか、と思わせるものでした。自筆のノートや多くの貴重な資料が展示してありました。

  • 赤い実の洋燈(ランプ)がこの記念館のシンボルなので、玄関には氷の上にナナカマドの赤い実がアレンジしてありました。

    赤い実の洋燈(ランプ)がこの記念館のシンボルなので、玄関には氷の上にナナカマドの赤い実がアレンジしてありました。

  • 内部は撮影禁止ですので、井上靖記念館で買った絵葉書です。

    内部は撮影禁止ですので、井上靖記念館で買った絵葉書です。

  • こちらは応接間ですが、壁面が本棚になっています。書庫と言った方が良いかもしれませんね。

    こちらは応接間ですが、壁面が本棚になっています。書庫と言った方が良いかもしれませんね。

  • この六角堂の隣には、旧旭川偕行社(中原悌次郎記念旭川市彫刻美術館)がありましすが、改修のため、現在ブルーシートが架けれています。元は、陸軍将校達の社交場「旭川師団将校集会所」として1902年に建設されました。木造2階建てで、半円形の玄関は、当時の北海道としては珍しい、先進的な洋風クラブ建築物でした。師団将校への集会所・社交場・迎賓館等の目的で建てられたもので、皇太子時代の大正天皇や昭和天皇の行在所として使用されました。その後、昭和20年(1945)の敗戦後、米軍の将校クラうぶとして使用されました。旭川偕行社は、1949年に、国から旭川市へ管理を委譲となり、周辺学校の仮校舎として使用。昭和43年に修復工事が行われて、旭川市立旭川郷土博物館として開館しましたが、平成5年に移転したため、旭川にゆかりのある彫刻家・中原悌二郎を記念する美術館となりました。平成14年に、旧旭川偕行社が建設されてから百周年を迎えました。予定では平成27年で大規模改修工事が終わる筈ですが...

    この六角堂の隣には、旧旭川偕行社(中原悌次郎記念旭川市彫刻美術館)がありましすが、改修のため、現在ブルーシートが架けれています。元は、陸軍将校達の社交場「旭川師団将校集会所」として1902年に建設されました。木造2階建てで、半円形の玄関は、当時の北海道としては珍しい、先進的な洋風クラブ建築物でした。師団将校への集会所・社交場・迎賓館等の目的で建てられたもので、皇太子時代の大正天皇や昭和天皇の行在所として使用されました。その後、昭和20年(1945)の敗戦後、米軍の将校クラうぶとして使用されました。旭川偕行社は、1949年に、国から旭川市へ管理を委譲となり、周辺学校の仮校舎として使用。昭和43年に修復工事が行われて、旭川市立旭川郷土博物館として開館しましたが、平成5年に移転したため、旭川にゆかりのある彫刻家・中原悌二郎を記念する美術館となりました。平成14年に、旧旭川偕行社が建設されてから百周年を迎えました。予定では平成27年で大規模改修工事が終わる筈ですが...

  • 六角堂は、旭川市内の旧竹村病院の癌館を飾っていた塔屋部分ということです。本屋解体に伴い、此処、旧偕行社の隣に移築されています。

    六角堂は、旭川市内の旧竹村病院の癌館を飾っていた塔屋部分ということです。本屋解体に伴い、此処、旧偕行社の隣に移築されています。

  • 億に見えているブルーシートが外されて、工事完了後には、六角堂の背景として、もっとしっくり来る筈です。

    億に見えているブルーシートが外されて、工事完了後には、六角堂の背景として、もっとしっくり来る筈です。

  • 「私は十七歳のこの町で生まれ、いま、百歳のこの町をあるいている。何もかも、大きく変わったが、ただ一つ、変わらないものがあるとすれば、それは、雪をかぶったナナカマドの赤い実のランプ ! 」<br /><br />洋燈が並んでいますが、雪が積もっていて、良く分からないかと思いますが、矢印の上に立っています。

    「私は十七歳のこの町で生まれ、いま、百歳のこの町をあるいている。何もかも、大きく変わったが、ただ一つ、変わらないものがあるとすれば、それは、雪をかぶったナナカマドの赤い実のランプ ! 」

    洋燈が並んでいますが、雪が積もっていて、良く分からないかと思いますが、矢印の上に立っています。

  • 信号を渡った奥に見えるところが、陸上自衛隊旭川駐屯地の敷地です。

    信号を渡った奥に見えるところが、陸上自衛隊旭川駐屯地の敷地です。

  • バスの本数が少ないので、歩いた方が早いのです。でも、寒い!向い風と雪で!<br />この奥に「スタルヒン球場」があります。

    バスの本数が少ないので、歩いた方が早いのです。でも、寒い!向い風と雪で!
    この奥に「スタルヒン球場」があります。

  • 30分歩いたでしょうか。やっと北鎮記念館に到着しました。1964年に、遠軽駐屯地にあった馬小屋を旭川駐屯地に移築し、司令部が旭川市にあった旧陸軍第七師団に関する資料や北海道開拓時代から第二次世界大戦迄の史料や陸上自衛隊発足後の装備火気類を展示していました。その後、建物が老朽化したため、2007年に旧外来宿舎跡地に現在の建物を建設しました。駅前からバスで来る場合は、「花咲4丁目」で下車してください。

    30分歩いたでしょうか。やっと北鎮記念館に到着しました。1964年に、遠軽駐屯地にあった馬小屋を旭川駐屯地に移築し、司令部が旭川市にあった旧陸軍第七師団に関する資料や北海道開拓時代から第二次世界大戦迄の史料や陸上自衛隊発足後の装備火気類を展示していました。その後、建物が老朽化したため、2007年に旧外来宿舎跡地に現在の建物を建設しました。駅前からバスで来る場合は、「花咲4丁目」で下車してください。

    北鎮記念館 美術館・博物館

  • 正面玄関

    正面玄関

  • 2階の展示

    2階の展示

  • これから見に行く旭橋です。

    これから見に行く旭橋です。

  • 明治29年に北海道防衛のため、札幌に第七師団が新設され、明治34年、旭川に移駐されました。陸軍で最大規模の第七師団衛戍地が建設され、「軍都旭川」が生まれました。

    明治29年に北海道防衛のため、札幌に第七師団が新設され、明治34年、旭川に移駐されました。陸軍で最大規模の第七師団衛戍地が建設され、「軍都旭川」が生まれました。

  • 明治45年、オーストリア陸軍レルヒ中佐が砲兵連帯に配属され、北海道で初めてのスキー講習会が行われたそうです。旭川が北海道スキー伝来の地となったとのこと。

    明治45年、オーストリア陸軍レルヒ中佐が砲兵連帯に配属され、北海道で初めてのスキー講習会が行われたそうです。旭川が北海道スキー伝来の地となったとのこと。

  • 北鎮記念館の向かいに北海道護国神社があります。北海道・樺太関係の戦没者、国事殉難者を英霊として祀ってあります。北海道招魂社を経て、昭和14年(1939)から北海道護国神社となりました。戊辰戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)までの英霊が祀られています。

    北鎮記念館の向かいに北海道護国神社があります。北海道・樺太関係の戦没者、国事殉難者を英霊として祀ってあります。北海道招魂社を経て、昭和14年(1939)から北海道護国神社となりました。戊辰戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)までの英霊が祀られています。

    北海道護国神社 寺・神社・教会

  • 第七師団長大迫敏陸軍中将(後に陸軍大将)を祭主として、明治35年(1902)5月5、6日に第一回招魂祭を行ったのが、始まりで、後にこの年を神社創祀能登氏と定められています。大正5年に「北海道招魂場」と改称。その後、昭和14年に、現在の名称になります。

    第七師団長大迫敏陸軍中将(後に陸軍大将)を祭主として、明治35年(1902)5月5、6日に第一回招魂祭を行ったのが、始まりで、後にこの年を神社創祀能登氏と定められています。大正5年に「北海道招魂場」と改称。その後、昭和14年に、現在の名称になります。

  • 雪景色の神社は、どこで見ても良いものです。誰も居ない境内は、しーんと静まり返っていました。と、次の瞬間、正面に見える雪掻きのおじさんがエンジンを掛けました。

    雪景色の神社は、どこで見ても良いものです。誰も居ない境内は、しーんと静まり返っていました。と、次の瞬間、正面に見える雪掻きのおじさんがエンジンを掛けました。

  • 帰りはこちらの正面入口から帰ります。

    帰りはこちらの正面入口から帰ります。

  • 随分大きな木ですね。こういう木は、この地の歴史をずっと見守って来たんだなぁと見上げてしまいます。

    随分大きな木ですね。こういう木は、この地の歴史をずっと見守って来たんだなぁと見上げてしまいます。

  • 幹にハートマークがありました。

    幹にハートマークがありました。

  • さて、神社にお参りします。

    さて、神社にお参りします。

  • 太陽が見えています。この後、一時雪が止んで、晴れて来ましたが、旭橋へ着く頃にはまた雪が強くなってきました。

    太陽が見えています。この後、一時雪が止んで、晴れて来ましたが、旭橋へ着く頃にはまた雪が強くなってきました。

  • 一時晴れた空。

    一時晴れた空。

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