2016/02/08 - 2016/02/08
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ドクターキムルさん
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江戸城には外桜田門と内桜田門があり、皇居となった今でもどちらも高麗門と渡櫓門とが残っている。門の名の由来は、古くこの辺りを桜田郷と呼んでいたことによる。
濠と門が完成した当時、外桜田門は小田原街道の始まりとされ、江戸城の「小田原口」と呼ばれていた。最初は柵戸タイプの門であったが、寛永13年(1636年)頃に、現在のような桝形門に改築され、それ以降は「外桜田門」と呼ばれるようになった。現在の高麗門と櫓門はいずれも重要文化財で寛文3年(1663年)頃の再建とされている。
現代では外桜田門は通称「桜田門」であり、標柱石にも「桜田門 高麗門」、「桜田門 櫓門」と刻まれており、目を疑った。
幕末に大老職に任じられた彦根藩主井伊直弼が水戸浪士に襲われ、暗殺された「桜田門外の変」(安政7年3月3日(1860年3月24日))とはここ外桜田門外で起こった事件である。井伊家は譜代大名の筆頭であり、井伊家上屋敷は現在の永田町国会前庭一帯にあった井伊掃部頭邸である。「外桜田門外の変」と呼ばないのも不思議ではある。また、「桜田門外の変」から半月後に改元され、万延元年(3月18日から)となっている。したがって、設置されている看板には「桜田門外の変」が「万延元年(1860年)」と記載されている(Webにも多い)が、安政7年(1860年)の間違いである。歴史上は、平成元年の正月元旦(1月1日)が存在しないように、万延元年の桃の節句(3月3日)も存在しない。
2つの標柱石と史跡の解説看板が間違いだらけというのは、多くの人たちが訪れる都心の史跡に存在すること自体が不思議なことではある。東京都の文化財行政を担当している者たちのレベルの低さを示めす事例でもある。なお、都の観光協会が開設しているWebにもこうした間違いが多いと感じた。Webではコピペで拡散するからこうした間違いを迅速に正す必要があろう。
坂下門を警備していた皇宮警察官がこの外桜田門の渡櫓門の中を見学したことがあると話してくれた。何もなくからんとしていたと言っていた。特別史跡「江戸城」内に残る城門のうち、3つの城門(外桜田門、田安門、清水門)だけが宮内庁の管理から外れているが、宮内庁の管理の城門(渡櫓門)や櫓は物置になっているというが、少なくても(唯一)重要文化財である外桜田門の渡櫓門だけでも物置から逃れられていることを知り少し安心した。
(表紙写真は江戸城外桜田門(重要文化財))
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