2016/02/08 - 2016/02/08
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ドクターキムルさん
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江戸城西丸大手門は現在の皇居正門である。現在は正門石橋(二重橋(明治20年(1887年)建造))の向こうに江戸城西丸大手門の渡櫓門が見える。しかし、明治初年の古写真には、木橋を渡ったところに高麗門があり、その後ろに渡櫓門が写っている。江戸城の城門としては珍しく、枡形にはなってはおらず、高麗門と渡櫓門が平行して並んでいた。
明治天皇が鳳輦(ほうれん)に乗られて、明治2年(1869年)に江戸城に再入場した際にはこの木橋を渡られ、西丸大手門から西丸御殿に入られた。幕末には江戸城内の御殿が相次ぐ火災に見舞われ、嘉永5年(1852年)には西丸御殿、万延元年(1860年)には本丸御殿を焼失してしまう。文久3年(1863年)には全ての御殿を焼失してしまい、元治元年(1864年)に西丸に仮御殿が造営されている。すなわち、江戸城に入場しても西丸の仮御殿しかなかったのである。元々、家康が征夷大将軍を秀忠に譲って大御所としてここ西丸に入った経緯がある。そうしたことから本丸ではなく西丸に入ったものかとも考えていたが、財政難だった江戸幕府にはまともな御殿さえなかったのである。
皇居二重橋と伏見櫓の光景は良く見るものである。しかし、皇居正門となっている江戸城西丸大手門の渡櫓門は中々目に入らない。しかし、この渡櫓門は関東大震災(大正12年(1923年))でも倒壊しなかったという。田安門や清水門の渡櫓門はこの大震災で上部を失い、いずれも昭和36年(1961年)〜昭和41年(1966年)度の修理で復旧整備したものである。建物の構造からすると高麗門の方が耐震性があったと思われるが、ここ江戸城西丸大手門の高麗門が失われた経緯は不明である。しかし、正門石橋(二重橋)が架けられた明治20年(1887年)には失われていたものと考える。
(表紙写真は二重橋と皇居正門(江戸城西丸大手門(渡櫓門)))
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