2016/02/08 - 2016/02/08
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ドクターキムルさん
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江戸城平川門は渡櫓門と高麗門、平川橋から成る。最初に橋が架けられたのは慶長19年(1614年)であり、寛永12年(1635年)、枡形に渡櫓門と高麗門が構築され、番所が置かれた。竹橋から侵入する敵を阻止する目的があった。平川門は、当時は江戸城三の丸の正門で、徳川御三卿の田安・一橋・清水の各徳川家の登城口であった。また、大奥に近く、奥女中の通用門として「お局御門」とも呼ばれ、あるいは、死者や罪人をここから運び出したことから「不浄門」の異名を持っていた。
太田道灌(永享4年(1432年)〜文明18年(1486年))の頃からここに門が作られている。当時は、門の外には上平川村や下平川村などがあり、門の名前の由来になったとされる。平成19年(2007年)は太田道灌が長禄元年(1457年)に江戸城を築城してから、丁度550年に当たり、また、太田道灌没後520年にも当たる。これを記念してお堀端に「追幕の碑」が建てられている。
渡櫓門の上部は関東大震災(大正12年(1923年))で大破したが後に復元された。大正末から昭和初期の頃であろう。また、高麗門は橋と直角になっている。
現在では、月曜日、金曜日以外に無料公開されている皇居東御苑の入退場口であるが、大手門や北桔橋門ほどの利用者はない。
月曜日で門は閉ざされていた。平川門には竹橋門に通じるもうひとつの高麗門があるというが、今回は確認できなかった。
(表紙写真は江戸城平川門)
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