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夏見台地の東南端に在する長福寺(ちょうふくじ、千葉県船橋市夏見)は室町時代の永禄年間(1558~1569)に夏見を領する在地領主夏見加賀守政芳(なつみ・かがのかみ・まさよし)が同寺の境内を含む一帯に夏見城を築城したとされます。<br /><br />長福寺の開創は10世紀後半頃とされる古刹で天台宗の僧侶である徳蓮上人の開山によると伝承され、その後一時の荒廃時期を経て16世紀後半に同地を支配した夏見氏により中興開基、天台宗の僧侶空山を招請して再興を果たします。<br /><br />境内には寺の由緒沿革を示すものは見当たらず、当該寺のホームページ掲載の「長福寺の歴史」には次の通り記載されています。<br /><br /><br />「長福寺の歴史<br /><br />長福寺は、山号を夏見山(なつみざん)と称します。<br /><br />宗派は、禅宗の漕洞宗です。ご本山は、福井県の永平寺と横浜市鶴見の總持寺です。<br /><br />長福寺の開創は、円融天皇在位の平安時代(969~984)頃で当寺は、天台宗の寺院でした。天台宗の僧侶、得蓮(とくれん)上人がご開山と伝えられております。<br /><br />鎌倉時代(1186~1333)に入り、守護・地頭を設置した時期には、すでに夏見の地が荘園であったことで、長福寺が夏見の地名由来にとても深い関係があったとされます。<br /><br />その後、しばらく荒廃した時期もありましたが、室町時代の永禄年間中(1558~1569)に、夏見の領主でありました夏見加賀守政芳(なつみかがのかみまさよし)公が、現在の長福寺の境内地に夏見城を築城しました。その面影が、お寺の裏手北東にあります林の土塁が、その遺構といわれております。<br /><br />その城主である夏見加賀守政芳公が中興開基となり、天台宗の僧侶空山(くうざん)和尚を招請し長福寺を再興したことが、現在も当山のご本尊様であります聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)立像の胎内に記されていたことが、近年の船橋市文化財調査において発見されたことで、ご本尊様は、船橋市指定文化財となりました。時が経ち、船橋市西船の宝成寺二世能山鷹芸大和尚をご開山として招請し、天台宗から漕洞宗に改宗されました。<br /><br />また、慶安二年(1649)10月17日付で、三代将軍徳川家光公より観世音堂領として五石の御朱印状を下付され、十四代将軍徳川家茂公に亘る間下付され続けておりました。当山の寺紋が三つ葉葵なのは、その故であります。この夏見村には、代々の将軍が鷹狩りに来ていたようで、家臣やその兵たちが夏見村の家に寄宿し、大皿で振る舞ったという言い伝えが現在も残っています。<br /><br />明治期になると戊辰戦争の戦火により、寺院の伽藍(本堂、書院等)は、焼失してしまいましたが、当寺の住職が死を賭して、ご本尊様と壇信徒過去帳を持ち出したお蔭でそれからが現存しています。<br /><br />幾多の災難を壇信徒とともに乗り越え、開山以来約1040年間連綿として法灯を守り続け、平成の今の世まで至っております。」<br /><br /><br /><br />2023年1月22日追記<br /><br />当該寺院のホームページには夏見城跡についても詳細に渡って記述されています。<br /><br />『 夏目城 戦国時代の伝承と軌跡が残っています<br /><br />当寺のご本尊が天文5(1536)年丙申(ひのえさる)12月24日に寄進された聖観世音菩薩立像であることから、古くは戦国時代の頃に造立されたものであります。天文5(1536)年は、室町幕府第12代将軍足利義晴(あしかがよしはる)公で後奈良(ごなら)天皇の時代です。<br /><br />寄進者は夏見豊嶋勘解由座衛門尉平朝臣胤定で作者は仏師成就坊秀印と平成2年に船橋市の文化財調査により解体修理の際に胎内墨書銘が見つかり判明しました。<br /><br />このことも含めて夏見城の城主が平安時代から既に当地にあった長福寺に寄進したと考えられます。当寺の中興開基である瑞光院殿長福道栄大居士(夏見加賀守政芳公)が永禄7(1567)年1月10日(37歳)で討死と伝承されており、平成4年春彼岸に当寺24代住職が墓碑を建立しております。<br /><br />この墓碑は、長福寺裏手の土塁の上から我々を望める場所で観音像(天明年間[1781~1789]建立)と並んで祀られております。<br /><br />この境内のどこに夏見城が建っていたのかはわかりませんが、もしかすると現在のr長福寺本堂や墓地の下にその城跡があるのかもしれません。<br /><br />聖観音菩薩立像の詳細は、境内駐車場の入り口で設置されている船橋市教育委員会の看板に詳しいです。 』

下総船橋 創建10世紀後半の古刹で永禄年間に国人領主夏見氏の中興開基と共に寺域に築城し江戸期には家光を初め歴代将軍の寄進を得た『長福寺』訪問

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2016/02/06 - 2016/02/06

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滝山氏照

滝山氏照さん

夏見台地の東南端に在する長福寺(ちょうふくじ、千葉県船橋市夏見)は室町時代の永禄年間(1558~1569)に夏見を領する在地領主夏見加賀守政芳(なつみ・かがのかみ・まさよし)が同寺の境内を含む一帯に夏見城を築城したとされます。

長福寺の開創は10世紀後半頃とされる古刹で天台宗の僧侶である徳蓮上人の開山によると伝承され、その後一時の荒廃時期を経て16世紀後半に同地を支配した夏見氏により中興開基、天台宗の僧侶空山を招請して再興を果たします。

境内には寺の由緒沿革を示すものは見当たらず、当該寺のホームページ掲載の「長福寺の歴史」には次の通り記載されています。


「長福寺の歴史

長福寺は、山号を夏見山(なつみざん)と称します。

宗派は、禅宗の漕洞宗です。ご本山は、福井県の永平寺と横浜市鶴見の總持寺です。

長福寺の開創は、円融天皇在位の平安時代(969~984)頃で当寺は、天台宗の寺院でした。天台宗の僧侶、得蓮(とくれん)上人がご開山と伝えられております。

鎌倉時代(1186~1333)に入り、守護・地頭を設置した時期には、すでに夏見の地が荘園であったことで、長福寺が夏見の地名由来にとても深い関係があったとされます。

その後、しばらく荒廃した時期もありましたが、室町時代の永禄年間中(1558~1569)に、夏見の領主でありました夏見加賀守政芳(なつみかがのかみまさよし)公が、現在の長福寺の境内地に夏見城を築城しました。その面影が、お寺の裏手北東にあります林の土塁が、その遺構といわれております。

その城主である夏見加賀守政芳公が中興開基となり、天台宗の僧侶空山(くうざん)和尚を招請し長福寺を再興したことが、現在も当山のご本尊様であります聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)立像の胎内に記されていたことが、近年の船橋市文化財調査において発見されたことで、ご本尊様は、船橋市指定文化財となりました。時が経ち、船橋市西船の宝成寺二世能山鷹芸大和尚をご開山として招請し、天台宗から漕洞宗に改宗されました。

また、慶安二年(1649)10月17日付で、三代将軍徳川家光公より観世音堂領として五石の御朱印状を下付され、十四代将軍徳川家茂公に亘る間下付され続けておりました。当山の寺紋が三つ葉葵なのは、その故であります。この夏見村には、代々の将軍が鷹狩りに来ていたようで、家臣やその兵たちが夏見村の家に寄宿し、大皿で振る舞ったという言い伝えが現在も残っています。

明治期になると戊辰戦争の戦火により、寺院の伽藍(本堂、書院等)は、焼失してしまいましたが、当寺の住職が死を賭して、ご本尊様と壇信徒過去帳を持ち出したお蔭でそれからが現存しています。

幾多の災難を壇信徒とともに乗り越え、開山以来約1040年間連綿として法灯を守り続け、平成の今の世まで至っております。」



2023年1月22日追記

当該寺院のホームページには夏見城跡についても詳細に渡って記述されています。

『 夏目城 戦国時代の伝承と軌跡が残っています

当寺のご本尊が天文5(1536)年丙申(ひのえさる)12月24日に寄進された聖観世音菩薩立像であることから、古くは戦国時代の頃に造立されたものであります。天文5(1536)年は、室町幕府第12代将軍足利義晴(あしかがよしはる)公で後奈良(ごなら)天皇の時代です。

寄進者は夏見豊嶋勘解由座衛門尉平朝臣胤定で作者は仏師成就坊秀印と平成2年に船橋市の文化財調査により解体修理の際に胎内墨書銘が見つかり判明しました。

このことも含めて夏見城の城主が平安時代から既に当地にあった長福寺に寄進したと考えられます。当寺の中興開基である瑞光院殿長福道栄大居士(夏見加賀守政芳公)が永禄7(1567)年1月10日(37歳)で討死と伝承されており、平成4年春彼岸に当寺24代住職が墓碑を建立しております。

この墓碑は、長福寺裏手の土塁の上から我々を望める場所で観音像(天明年間[1781~1789]建立)と並んで祀られております。

この境内のどこに夏見城が建っていたのかはわかりませんが、もしかすると現在のr長福寺本堂や墓地の下にその城跡があるのかもしれません。

聖観音菩薩立像の詳細は、境内駐車場の入り口で設置されている船橋市教育委員会の看板に詳しいです。 』

旅行の満足度
3.5
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 長福寺・案内板<br /><br />バス停「長福寺」下車してバス通りに沿って歩くと案内板があり、この切通都なって入る路を登ります。

    長福寺・案内板

    バス停「長福寺」下車してバス通りに沿って歩くと案内板があり、この切通都なって入る路を登ります。

  • 長福寺・切通<br /><br />「長福寺」案内板を入ると右側の雑木林には城郭跡の雰囲気が漂ってきます。

    長福寺・切通

    「長福寺」案内板を入ると右側の雑木林には城郭跡の雰囲気が漂ってきます。

  • 長福寺・寺門

    長福寺・寺門

  • 長福寺・山号<br /><br />石門には「夏見山」と刻された山号が見えます。

    長福寺・山号

    石門には「夏見山」と刻された山号が見えます。

  • 長福寺・山門

    長福寺・山門

  • 長福寺・本堂

    長福寺・本堂

  • 長福寺・寺号扁額<br /><br />本堂には「長福寺」と記された寺号が眼に入ります。

    長福寺・寺号扁額

    本堂には「長福寺」と記された寺号が眼に入ります。

  • 長福寺・境内<br /><br />本堂から山門方向を一望します。

    長福寺・境内

    本堂から山門方向を一望します。

  • 水子地蔵

    水子地蔵

  • 長福寺・仁王像(右側)

    長福寺・仁王像(右側)

  • 長福寺・仁王像(左側)

    長福寺・仁王像(左側)

  • 長福寺・六地蔵

    長福寺・六地蔵

  • 夏見城跡<br /><br />境内に出てこられた住職の話によれば本堂の裏側一帯に夏見城の遺跡があるとの事、墓地を経て後年開削された左右の土塁を見ながら保存遺跡に入ります。<br /><br />

    夏見城跡

    境内に出てこられた住職の話によれば本堂の裏側一帯に夏見城の遺跡があるとの事、墓地を経て後年開削された左右の土塁を見ながら保存遺跡に入ります。

  • 夏見城跡・土塁

    夏見城跡・土塁

  • 夏見城跡・土塁

    夏見城跡・土塁

  • 夏見城跡・土塁

    夏見城跡・土塁

  • 夏見城跡・土塁

    イチオシ

    夏見城跡・土塁

  • 夏見城跡・土塁(全景)

    夏見城跡・土塁(全景)

  • 夏見城跡

    夏見城跡

  • 夏見城跡

    夏見城跡

  • 夏見城跡・土塁

    夏見城跡・土塁

  • 夏見城跡

    夏見城跡

  • 夏見城跡・土塁

    夏見城跡・土塁

  • 長福寺入口

    長福寺入口

  • 切通<br /><br />長福寺を離れるに際し切通を下って行きます。

    切通

    長福寺を離れるに際し切通を下って行きます。

  • 夏見城跡遠景<br /><br />バス通りから夏見城跡を捉えます。

    夏見城跡遠景

    バス通りから夏見城跡を捉えます。

  • 夏見城跡遠景

    夏見城跡遠景

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