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 裏磐梯の雪景色撮影行の行き帰りに、猪苗代湖畔に立ち寄ってみた。25日午前は天神浜のしぶき氷見物、27日は裏磐梯のペンションをチェックアウトしたあと、野口英世記念館に立ち寄った。<br /> 天神浜は初めての訪問だが、撮影に来ていた地元のカメラマンによると、今年は暖冬のせいでしぶき氷の成長は今一つだそうだ。今年はどこも暖冬の影響で普段の冬とは様相が違っている。<br /> 野口英世は、いうまでもなく猪苗代町が生んだ郷土の偉人であり、千円札の肖像にも使われている日本が誇る著名な細菌学者である。小学生の時に読んだ偉人伝に描かれている野口英世とは違う面があることを発見し、興味深かった。

冬の猪苗代湖畔 ~天神浜のしぶき氷と野口英世記念館~ 

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2016/01/25 - 2016/01/27

85位(同エリア382件中)

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玄白

玄白さん

 裏磐梯の雪景色撮影行の行き帰りに、猪苗代湖畔に立ち寄ってみた。25日午前は天神浜のしぶき氷見物、27日は裏磐梯のペンションをチェックアウトしたあと、野口英世記念館に立ち寄った。
 天神浜は初めての訪問だが、撮影に来ていた地元のカメラマンによると、今年は暖冬のせいでしぶき氷の成長は今一つだそうだ。今年はどこも暖冬の影響で普段の冬とは様相が違っている。
 野口英世は、いうまでもなく猪苗代町が生んだ郷土の偉人であり、千円札の肖像にも使われている日本が誇る著名な細菌学者である。小学生の時に読んだ偉人伝に描かれている野口英世とは違う面があることを発見し、興味深かった。

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車

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  • 1月25日<br />今日の午後は裏磐梯の風景写真家がオーナーのペンションに宿泊し、オーナーのガイドで裏磐梯の雪景色の撮影なのだが、午前中は時間があるので途中猪苗代湖東岸の天神浜に立ち寄り。<br />ここは、オートキャンプ場や湖水浴場があり、夏は大勢のキャンパー、湖水浴客でにぎわうところだが、今は訪れる人はほとんどいない。

    1月25日
    今日の午後は裏磐梯の風景写真家がオーナーのペンションに宿泊し、オーナーのガイドで裏磐梯の雪景色の撮影なのだが、午前中は時間があるので途中猪苗代湖東岸の天神浜に立ち寄り。
    ここは、オートキャンプ場や湖水浴場があり、夏は大勢のキャンパー、湖水浴客でにぎわうところだが、今は訪れる人はほとんどいない。

    天神浜湖水浴場 ビーチ

  • ここに立ち寄った目的は、湖岸のしぶき氷を見物するためだが、駐車場のそばに神社があったので、ちょっとのぞいてみた。<br />小平潟天満宮という。そばにこの神社の由来を説明した立て札が建っていて、「948年に創建された由緒ある天満宮で、京都北野天満宮、大宰府天満宮と並び日本三大天満宮の一つである」と書かれている。<br />え〜!北野天満宮や太宰府天満宮は著名な神社で三大天満宮に挙げられることに誰もが納得するが、こんな福島の片田舎の小さな、ほとんど無名の天満宮が三大天満宮とは、ホンマかいな??<br />

    ここに立ち寄った目的は、湖岸のしぶき氷を見物するためだが、駐車場のそばに神社があったので、ちょっとのぞいてみた。
    小平潟天満宮という。そばにこの神社の由来を説明した立て札が建っていて、「948年に創建された由緒ある天満宮で、京都北野天満宮、大宰府天満宮と並び日本三大天満宮の一つである」と書かれている。
    え〜!北野天満宮や太宰府天満宮は著名な神社で三大天満宮に挙げられることに誰もが納得するが、こんな福島の片田舎の小さな、ほとんど無名の天満宮が三大天満宮とは、ホンマかいな??

    小平潟天満宮 寺・神社・教会

  • 帰宅してから三大天満宮をネットで調べてみた。京都北野と大宰府は、菅原道真にかかわりが深い歴史や神社の規模から不動の三大天満宮に列せられているが、もうひとつは、諸説ふんぷんである。防府天満宮だったり、大阪天満宮だったり・・・そしてこの小平潟天満宮・・・<br />しかし、防府、大阪と比べても社格が低い小平潟天満宮はちょっと無理筋のような・・・<br />ともかく、季節が良い時期はいざ知らず、こんな真冬には参拝客もおらず、ひっそりとしている。<br />なお、湖岸の地名「天神浜」はこの神社由来であることは確かなようだ。

    帰宅してから三大天満宮をネットで調べてみた。京都北野と大宰府は、菅原道真にかかわりが深い歴史や神社の規模から不動の三大天満宮に列せられているが、もうひとつは、諸説ふんぷんである。防府天満宮だったり、大阪天満宮だったり・・・そしてこの小平潟天満宮・・・
    しかし、防府、大阪と比べても社格が低い小平潟天満宮はちょっと無理筋のような・・・
    ともかく、季節が良い時期はいざ知らず、こんな真冬には参拝客もおらず、ひっそりとしている。
    なお、湖岸の地名「天神浜」はこの神社由来であることは確かなようだ。

  • 神社の脇から林の中に続く小道がある。ちゃんと「しぶき氷」の案内板がある。

    神社の脇から林の中に続く小道がある。ちゃんと「しぶき氷」の案内板がある。

  • こんな雪が降り積もった林の中を進んでいく。真冬の森林浴である。

    こんな雪が降り積もった林の中を進んでいく。真冬の森林浴である。

  • 雲が多い日だが、時々晴れ間がのぞくことがある。着雪した木の枝が青空に映える。

    雲が多い日だが、時々晴れ間がのぞくことがある。着雪した木の枝が青空に映える。

  • しかし、時々吹く突風にあおられて雪がドサッと落ちてくる。この落雪に巻き込まれないよう、注意深く進む。

    しかし、時々吹く突風にあおられて雪がドサッと落ちてくる。この落雪に巻き込まれないよう、注意深く進む。

  • およそ1kmほど歩くと、突然視界が開けて湖岸に出る。<br />ここは、北西からの風で打ち寄せる波が湖岸の木の枝に降りかかり、それが凍る「しぶき氷」が出来ている。<br />

    およそ1kmほど歩くと、突然視界が開けて湖岸に出る。
    ここは、北西からの風で打ち寄せる波が湖岸の木の枝に降りかかり、それが凍る「しぶき氷」が出来ている。

  • ちょうど、地元の福島テレビの取材クルーが撮影に来ていた。聞いたところ、「いつもの年だと背の高さより高い木の枝にもびっしりとしぶき氷ができるのだが、今年は暖かいのでしぶき氷はしょぼいですね」ということだった。

    ちょうど、地元の福島テレビの取材クルーが撮影に来ていた。聞いたところ、「いつもの年だと背の高さより高い木の枝にもびっしりとしぶき氷ができるのだが、今年は暖かいのでしぶき氷はしょぼいですね」ということだった。

  • 晴れて寒い日の夕方、夕日に照らされるとしょぼいしぶき氷でも絵になりそうだが・・・

    イチオシ

    晴れて寒い日の夕方、夕日に照らされるとしょぼいしぶき氷でも絵になりそうだが・・・

  • 背後の磐梯山は雲に覆われ、姿を見せない。

    イチオシ

    背後の磐梯山は雲に覆われ、姿を見せない。

  • もっとしぶき氷に近づきたいのだが、地面もつるつるに凍っている。アイゼンを付けているわけではないので、滑って湖に落っこちたら悲惨なことになる。迫力不足の写真にしかならないが、安全な位置での撮影に徹するしかない。

    もっとしぶき氷に近づきたいのだが、地面もつるつるに凍っている。アイゼンを付けているわけではないので、滑って湖に落っこちたら悲惨なことになる。迫力不足の写真にしかならないが、安全な位置での撮影に徹するしかない。

  • いつも風が強いのだろう。氷柱がななめ方向に伸びている。

    イチオシ

    いつも風が強いのだろう。氷柱がななめ方向に伸びている。

  • 長瀬川の河口にできた三日月湖は全面結氷している。

    長瀬川の河口にできた三日月湖は全面結氷している。

  • しぶき氷の撮影を終え、裏磐梯へ。<br />途中、コンビニに立ち寄ったとき、店の裏手の雪原に湖から吹き付ける強風でできた雪の風紋があった。

    しぶき氷の撮影を終え、裏磐梯へ。
    途中、コンビニに立ち寄ったとき、店の裏手の雪原に湖から吹き付ける強風でできた雪の風紋があった。

  • イチオシ

  • 1月27日<br /><br />裏磐梯でのペンション主催の撮影ツアーを終えてチェックアウトし、帰宅途中、野口英世記念館に立ち寄った。<br />昨年4月にリニューアルされて新装オープンしたばかりだそうだ。<br />日本の偉人伝の主役の一人でもあり、こんな観光シーズンオフの時期でもけっこう来館者がいる。特に小学生の団体が多い。

    1月27日

    裏磐梯でのペンション主催の撮影ツアーを終えてチェックアウトし、帰宅途中、野口英世記念館に立ち寄った。
    昨年4月にリニューアルされて新装オープンしたばかりだそうだ。
    日本の偉人伝の主役の一人でもあり、こんな観光シーズンオフの時期でもけっこう来館者がいる。特に小学生の団体が多い。

    野口英世記念館 美術館・博物館

  • 記念館は、野口英世の生家がそのまま保存展示されているのと、野口の遺族、関係者から寄贈された資料や遺品が展示されている資料館からなる。<br />まずは、案内にしたがって、生家の見学から。

    記念館は、野口英世の生家がそのまま保存展示されているのと、野口の遺族、関係者から寄贈された資料や遺品が展示されている資料館からなる。
    まずは、案内にしたがって、生家の見学から。

  • 英世が生まれ育った生家。英世の父、野口佐代助が建てた当時の農家の典型的な間取りの家である。雪害から守るために覆いが作られている。<br />佐代助は、大酒のみで家族に苦労をかけたというようなことが館内の解説に書かれていたが、慶応4年戊辰戦争で官軍に徴用され戦闘の最前線で悲惨な状況を目の当たりにしたつらさから酒を覚えたようだ。<br />また、当時としては珍しく、貧しい農民であったが読み書きが達者だったという。2日前におとずれた小平潟天満宮への信仰が篤い集落で、学問を尊ぶ気風があったということも英世が学者として成功する環境要因だったのかもしれない。英世が学者としての名声を上げても息子の自慢話は決してしない謙虚な人柄だったそうだ。<br />ともかく、記念館の解説に書かれている大酒のみのダメおやじとは違う面があったらしい。

    英世が生まれ育った生家。英世の父、野口佐代助が建てた当時の農家の典型的な間取りの家である。雪害から守るために覆いが作られている。
    佐代助は、大酒のみで家族に苦労をかけたというようなことが館内の解説に書かれていたが、慶応4年戊辰戦争で官軍に徴用され戦闘の最前線で悲惨な状況を目の当たりにしたつらさから酒を覚えたようだ。
    また、当時としては珍しく、貧しい農民であったが読み書きが達者だったという。2日前におとずれた小平潟天満宮への信仰が篤い集落で、学問を尊ぶ気風があったということも英世が学者として成功する環境要因だったのかもしれない。英世が学者としての名声を上げても息子の自慢話は決してしない謙虚な人柄だったそうだ。
    ともかく、記念館の解説に書かれている大酒のみのダメおやじとは違う面があったらしい。

  • 伝記に必ず登場する1歳のとき囲炉裏に落ちて左手に大やけどをしたという、その囲炉裏がそのまま残っている。

    伝記に必ず登場する1歳のとき囲炉裏に落ちて左手に大やけどをしたという、その囲炉裏がそのまま残っている。

  • 19歳のとき、医師資格試験受験のため上京するときに、その決意を刻み込んだ床柱も、そのまま残っている。その決意とは「志を得ざれば再び此地を踏まず」。<br />明治期の様々な分野で活躍した偉人達に共通する、高揚精神にあふれた青年だったことがうかがえる。<br />もっとも、生涯の恩師、猪苗代高等小学校の教頭であった小林栄から、医師資格試験のために借りた当時としては大金だった40円を遊郭通いなど放蕩で使い果たし下宿から追い出されるという逸話も残っている。小学生向けの偉人伝には決して出てこない、こんな人間臭さも持ち合わせていたようだ。

    19歳のとき、医師資格試験受験のため上京するときに、その決意を刻み込んだ床柱も、そのまま残っている。その決意とは「志を得ざれば再び此地を踏まず」。
    明治期の様々な分野で活躍した偉人達に共通する、高揚精神にあふれた青年だったことがうかがえる。
    もっとも、生涯の恩師、猪苗代高等小学校の教頭であった小林栄から、医師資格試験のために借りた当時としては大金だった40円を遊郭通いなど放蕩で使い果たし下宿から追い出されるという逸話も残っている。小学生向けの偉人伝には決して出てこない、こんな人間臭さも持ち合わせていたようだ。

  • 生家の庭に建てられた記念碑。明治33年にアメリカに渡り細菌学者として生涯を過ごし、墓もニューヨークにあるが、メリー夫人から寄贈された英世の遺髪が、この碑の下に納められている。<br />なお、アメリカ渡航に際し、その費用を当時婚約していた斉藤ます子という女子医学生の婚約持参金を充当してしまったという。その後、婚約破棄して持参金は返済したらしいが・・

    生家の庭に建てられた記念碑。明治33年にアメリカに渡り細菌学者として生涯を過ごし、墓もニューヨークにあるが、メリー夫人から寄贈された英世の遺髪が、この碑の下に納められている。
    なお、アメリカ渡航に際し、その費用を当時婚約していた斉藤ます子という女子医学生の婚約持参金を充当してしまったという。その後、婚約破棄して持参金は返済したらしいが・・

  •  英世直筆の言葉が刻み込まれた記念碑。<br /> 英世は幼名は清作と言っていたが、あるとき坪内逍遥の小説「当世書生気質」を読み、借金を繰り返しながら自堕落な生活を送るその登場人物が野々口精作と書かれていることを知り、これが自分をモデルにしていると誤解されるのではないか、また彼自身借金しては遊郭通いをしていたという負い目があったため、名前を変えたいと考え、郷里の恩人、小林栄に相談し世にすぐれるという意味を込めて英世という名前をつけてもらった。<br /> しかし、当時も現代でも戸籍の名前を変えるというのは、そんなに簡単にできることではない。そこで、英世は別の集落に住んでいた清作という名前の人物を拝み倒して自分の生家の近所にあった別の野口家へ養子に入ってもらい、第二の野口清作を作りあげた上で、「同じ集落に野口清作という名前の人間が二人居るのは紛らわしい」ということを理由にして役人を説得して、まんまと戸籍名を変えたのであった。学問一筋の生真面目な人物と思いきや、なかなかの策士でもある。<br />

     英世直筆の言葉が刻み込まれた記念碑。
     英世は幼名は清作と言っていたが、あるとき坪内逍遥の小説「当世書生気質」を読み、借金を繰り返しながら自堕落な生活を送るその登場人物が野々口精作と書かれていることを知り、これが自分をモデルにしていると誤解されるのではないか、また彼自身借金しては遊郭通いをしていたという負い目があったため、名前を変えたいと考え、郷里の恩人、小林栄に相談し世にすぐれるという意味を込めて英世という名前をつけてもらった。
     しかし、当時も現代でも戸籍の名前を変えるというのは、そんなに簡単にできることではない。そこで、英世は別の集落に住んでいた清作という名前の人物を拝み倒して自分の生家の近所にあった別の野口家へ養子に入ってもらい、第二の野口清作を作りあげた上で、「同じ集落に野口清作という名前の人間が二人居るのは紛らわしい」ということを理由にして役人を説得して、まんまと戸籍名を変えたのであった。学問一筋の生真面目な人物と思いきや、なかなかの策士でもある。

  • 生家の庭を流れる小川。<br />英世(清作)の母、シカがここで洗い物をしているとき、一歳の赤子だった英世が囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負った。<br />やけどで5本の指がくっついてしまい、将来成長しても、とても農作業などできないと思ったシカは、清作に学問の道に進むように導いたという。貧しい農家で学校に通わせる経済力はなかったがシカは懸命に働き、また清作の優秀な能力を見込んで進学の援助をしてくれた恩師小林栄たちのおかげで、医師免許取得、さらには細菌学者として渡米して成功という道が開けた。<br />自身は読み書きすらできなかったシカが息子を学問の道に導けたのも、近くに学問の神を祀る小平潟天満宮があり、貧しい農村ながらも学問を貴ぶ気風があったことは想像に難くない。

    生家の庭を流れる小川。
    英世(清作)の母、シカがここで洗い物をしているとき、一歳の赤子だった英世が囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負った。
    やけどで5本の指がくっついてしまい、将来成長しても、とても農作業などできないと思ったシカは、清作に学問の道に進むように導いたという。貧しい農家で学校に通わせる経済力はなかったがシカは懸命に働き、また清作の優秀な能力を見込んで進学の援助をしてくれた恩師小林栄たちのおかげで、医師免許取得、さらには細菌学者として渡米して成功という道が開けた。
    自身は読み書きすらできなかったシカが息子を学問の道に導けたのも、近くに学問の神を祀る小平潟天満宮があり、貧しい農村ながらも学問を貴ぶ気風があったことは想像に難くない。

  • 資料館に移動。<br />この記念館が所蔵する写真を元に描かれた英世の肖像画。もとになった写真は、千円札の肖像画のオリジナルでもある。大正7年、エクアドルで黄熱病の現地調査研究していたころに撮影された写真だという。<br />この肖像画以外にも、数多くの肖像画が展示されている。

    資料館に移動。
    この記念館が所蔵する写真を元に描かれた英世の肖像画。もとになった写真は、千円札の肖像画のオリジナルでもある。大正7年、エクアドルで黄熱病の現地調査研究していたころに撮影された写真だという。
    この肖像画以外にも、数多くの肖像画が展示されている。

  • ロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータの研究をしていたころの研究ノート。丁寧に英語で書かれた実験ノートである。<br />野口は、英語だけでなく、ドイツ語、ラテン語にも堪能で、渡米前の勤務先、伝染病研究所(現東大医科学研究所)では研究には携われなかったが、外国文献の抄録作成、外国人訪問者の通訳などで重宝がられていたらしい。

    ロックフェラー医学研究所で梅毒スピロヘータの研究をしていたころの研究ノート。丁寧に英語で書かれた実験ノートである。
    野口は、英語だけでなく、ドイツ語、ラテン語にも堪能で、渡米前の勤務先、伝染病研究所(現東大医科学研究所)では研究には携われなかったが、外国文献の抄録作成、外国人訪問者の通訳などで重宝がられていたらしい。

  • 大正4年、渡米して15年後に結果的にたった一度となった日本帰国を果たした。そのきっかけになったのが、年老いた母シカからの手紙だった。<br />老いてから、アメリカにいる息子と連絡をとりたい一心で読み書きを覚えたシカがたどたどしい筆跡でしたためた手紙は、英世を驚かせ感銘を与えたのだった。<br />この年、受賞には至らなかったが2度目のノーベル医学生理学賞候補になっている。<br />2か月の滞在中、母シカらと京都旅行などをしている。<br />アメリカに戻ってからは、黄熱病の研究に取り掛かり、周囲の反対を押し切って黄熱病流行の地ガーナに赴き、そこで自らも黄熱病にかかって51年の生涯を終えた。

    大正4年、渡米して15年後に結果的にたった一度となった日本帰国を果たした。そのきっかけになったのが、年老いた母シカからの手紙だった。
    老いてから、アメリカにいる息子と連絡をとりたい一心で読み書きを覚えたシカがたどたどしい筆跡でしたためた手紙は、英世を驚かせ感銘を与えたのだった。
    この年、受賞には至らなかったが2度目のノーベル医学生理学賞候補になっている。
    2か月の滞在中、母シカらと京都旅行などをしている。
    アメリカに戻ってからは、黄熱病の研究に取り掛かり、周囲の反対を押し切って黄熱病流行の地ガーナに赴き、そこで自らも黄熱病にかかって51年の生涯を終えた。

  • 壁に掲げられているのは、すべて野口英世自作の絵画である。油絵、水彩画だけでなく書画にも優れた作品を残している。俳句や短歌もたしなんだという。なかなかの多趣味である。<br />先般、ノーベル医学生理学賞を受賞した大村智博士も美術に造詣が深い。受賞こそならなかったが3回もノーベル省候補となった野口英世と共通点があるような・・・

    壁に掲げられているのは、すべて野口英世自作の絵画である。油絵、水彩画だけでなく書画にも優れた作品を残している。俳句や短歌もたしなんだという。なかなかの多趣味である。
    先般、ノーベル医学生理学賞を受賞した大村智博士も美術に造詣が深い。受賞こそならなかったが3回もノーベル省候補となった野口英世と共通点があるような・・・

  • 野口英世記念館の裏手。猪苗代湖が遠望される。雪原には白鳥が遊んでいる。<br /><br />伝記に書かれている野口英世像とは違う面白味、人間臭さがある英世の実像がわかって面白い博物館訪問であった。

    野口英世記念館の裏手。猪苗代湖が遠望される。雪原には白鳥が遊んでいる。

    伝記に書かれている野口英世像とは違う面白味、人間臭さがある英世の実像がわかって面白い博物館訪問であった。

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