2015/12/15 - 2015/12/18
77位(同エリア217件中)
まりも母さん
北九州レトロをめぐる旅8 世界遺産万田坑 産業遺産の廃墟に萌えましたー!
http://4travel.jp/traveler/marimomaman/album
の続きです。
万田坑を見終え 時刻は午後1時を過ぎました。
お昼を食べて 建物見学も出来る 旧三井港倶楽部へ移動します。
三池港がにぎわった時代に華やかなサロンであった三井港倶楽部。
美しい建物と内装、足跡の残るのは有名な政財界人。
建物見学の後は 三池港周辺の産業遺産 そしてもうひとつの世界遺産の構成資産
宮原坑を見学しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通手段
- レンタカー スカイマーク
-
旧三井港倶楽部 明治41年(1908)清水満之助設計
大牟田市指定有形文化財
三池港の開港と同時に開館。
三井財閥の社交倶楽部、外国高級船員のサロン兼宿泊所 また皇族や政財界人の迎賓館の役目もありました。 -
まず、ここのレストランで食事をしてその後 建物内を見学しようと思います。
(入館無料)
ハーフティンバーの素敵な建物。 -
入り口を入ると玄関で 中にもうひとつ扉が。
扉上部の装飾も立派な感じです。
中のドアから入るとすぐ 右側の受付の女性に「お食事ですか?」と聞かれました。
今日は すぐ食事のつもりだったので問題ありませんでしたが
ただ見学だけだと ちょっと入りにくい感じもあるかも・・・。 -
レストランのお部屋に案内されます。
窓際の席に案内されました。
広いこのお部屋はパーティールームだったのでしょうかね?
格縁の中にメダリオンのある豪華な天井。
シャンデリアも大きな物が下がっています。
建築当初はビリヤード場だったそうです。
女性グループが2組 食事後のおしゃべりに花を咲かせていました。
平日の午後なので ゆったりした時が流れています。 -
食事の前にトイレをお借りしました。
行ってみると~ 超レトロで素敵な洗面所スペースでした!
タイルが素敵です!
ドアも古いまま。
中のトイレや洗面台は新しいものが使われていましたが、
床のタイルや個室が一段高くなった所など古いままのようです。
トイレに行くのにカメラ持って行ってよかった。
古い建物では トイレのドアがかっこいい場合もあるので
一応カメラ持って行くのですよ。
(おばさんだから 盗撮だとは思われないだろう。ダンナには決して頼めないな~) -
シャンデリアは建築当初からの約100年前のものも多く使われていると聞きました。
これ、新しいように見えますが
特注品でずっと使われているもののようです。
メダリオンの脇 四隅にあるレリーフが素敵。 -
お部屋の端に下がっていたペンダント。
かわいいです。 -
メニューは洋食です。
今日は木曜日限定で「レトロ洋食サンクスDAY」として
港倶楽部伝統カレー、レトロオムライスが。
どちらもカップスープ、コーヒー付きで1080円でした。
せっかくなのでこのメニューにします。
ダンナはカレー。私はオムライス。
デミグラスソースのたっぷりかかった おいしいオムライスでした。
見た目もきれい。
ここ ウェディングもやっているのです。その時は、フレンチのコース料理が出されるようです。 -
食事中ダンナに仕事の電話がかかってきましたよ。
休暇中なんだけど 社外の人は知らないからね。
食べ終わるとすぐに電話をしに外へ・・・。
待っているのもなんだから 一人で館内を見ます。
受付の女性に 建物内を見せてもらってよいか聞きます。
1階玄関を入った正面のお部屋は 喫茶室として使われています。
午後の早い時間で誰もお客様が居なかったので
気兼ねなく写真を撮って 見る事が出来ました。 -
素敵なマントルピース。
暖炉部分には灰が見えます。今も現役で使われているのでしょうか・・・?
その上には團 琢磨の写真が。
三池炭鉱が三井に払い下げになったと同時に 三池炭鉱社の事務長に就任し
三池港の構港をはじめ 三池に多大な功績を残した人物です。 -
葡萄の葉とつるのデザインされた素敵なランプ。
-
シャンデリアも天井も 美しいエレガントなお部屋です。
カーテンで半分ほどに絞られた 窓からの明かりが
赤い絨毯に反射して天井がほのかに赤く写っています。 -
メダリオンのレリーフに陰影がついて、微妙なこの明るさがいいですねぇ。
-
2階へ上がってみます。
階段の手すりにお花が飾ってあるのは ウェディングの写真撮影をしたりするからかな?
丸い窓は、船の窓をイメージしたものだそう。 -
階段室の天井。
これも素敵ですね。
排気口の透かし模様は 九州に来てから良く見かけると思います。
螺旋状に並んだシャンデリアも階段用のものですね。 -
ホールの階段を上がった正面の所には ソファーセット。
「昭和24年、昭和天皇 行幸の時 ご利用になった応接セット」と説明書きがありました。 -
2階のホール。2階には4つのお部屋があります。
ホールにはテーブルセットと展示ケース。
焼き物や絵画、貴重な所蔵品も多く そんな品が展示されています。 -
3号室。
この建物は、基本的に格縁天井のパターン違いがどのお部屋にも採用されています。
こちらは メダリオンの部分が木製の排気口を兼ねた透かし柄になっているようです。 -
1号室 天井は ややおとなしめの意匠でした。
使い続けている建物ですから カーテンはリニューアルされていると思います。
ボリュームのある ドレープの美しいカーテンばかりで コーディネートもばっちりです。
そうそう 部屋番号は1.2.3.5号室です。4号室はありません。
昔って4とか9とかって抜かしたよね。 -
ホールのチェアも素敵なデザインのものです。
家具類も特注品が多く使われているそうです。 -
2階トイレのドア周り。
壁全体がドアと一体化した豪華なものです。
1階の旧配膳室に通じる裏階段(狭い階段)が脇にありました。 -
こちらが 狭い第2階段。
やはり 手すりはメインの階段よりずっとシンプルです。 -
ホールのペンダント。メダリオンは深いレリーフです。
-
玄関から入ると 右に受付と売店。
2階から降りて来てここを見ていたら 受付の女性が
喫茶室の左右のお部屋もどうぞ と 案内してくださいました。
ダンナはまだ戻ってきませんねぇ・・・。 -
喫茶室の脇 レストラン側にある元食堂。
廊下側の窓。
窓枠と模様ガラスの窓も良いですが カーテンも素敵です。 -
昔の建物は 照明が暗いので 明るく見せる為に鏡を多様します。
ここも シャンデリアの前に大きな鏡があり
シェード付きのシャンデリアがきれいに写っていました。 -
これも 美しいマントルピース。
上には「FIRST INGOT」ミツイアルミニウムと書かれたものが乗っています。 -
ここ 今日はまだ使われていませんが
予約の会食などに使われるお部屋になっているのでしょう。
テーブルセッティングがきちんとされています。今夜は予約が入っているのかも。 -
喫茶室反対側のお部屋のドアも開けて見せて下さいました。
-
こちらのお部屋にもテーブルセッティングが。
マントルピースの上には大きな鏡。
そして 壁には 炭鉱視察にお越しになった時の昭和天皇のお写真。
すぐ近くの三川坑を視察されたそうです。 -
カーテンとシャンデリア、この建物を引き立てている名脇役。
この美しい建物も 平成16年末三井鉱山が再生機構の支援を受ける中で一旦は閉館されました。
大牟田市に買取を打診したものの 財政難から断られ
保存も危ぶまれました。
すぐに 保存を求める地元有志によって署名活動が始まり
保存会による売買交渉は 当初2億5千万円だったものが
地元所有の条件で7000万円となり再オープンが叶いました。 -
この部屋には伊藤博文の書が。
>「浦潤山輝」と書かれており
これは三池炭山の石炭が生産され 港の船の出入りもさかんになったころの意を表しています。
「食堂」のお部屋の方には井上肇の書もありました。
当時の日本のお偉いさんの数々の方が 視察に来られては くつろぎの時間をこの建物でされていったと言う事ですね。
さぞ 華やかで豪華なサロンだった事でしょう。
私たちがレストランでランチを食べ終わる頃
おじいさんがお一人でやってきて
窓際の席で 大きなエビフライのランチをオーダーしていました。
大きなエビフライが2尾乗ったお皿が運ばれてきて
あのおじいさん あんなに大きなエビフライ食べられるのかな?と思ったのです。「無理でしょう~1尾お手伝いしましょうか?」って~そうじゃなくて~
お年寄りがお一人で「今日は、三井倶楽部で洋食じゃ」とやってきたのかなぁ~と思ったのです。
炭鉱が にぎわった時代は終わりましたが ここは今でも地元の奥様やお年寄りには
おしゃれで、華やかな場所であり続けているなら 素敵だな と思ったのです。 -
ダンナがやっと戻ってきたので 1階のお部屋だけもう一度さっと見て そろそろ出発です。
玄関内側の2枚目の扉。
遅いお昼の時間になって来客も少なく ゆっくり見る事が出来てよかったです。 -
玄関のランプにはガラスにも透かし模様入り。
社交場だった三井港倶楽部は 石炭で栄えた三井炭鉱の華やかな面を象徴する建物でした。 -
三井港倶楽部から すぐ近くの産業遺産
>三池炭鉱三川坑跡 昭和15年(1940)開坑した三池炭鉱の最先端技術が集結された坑口です。
と 案内がありますが 公開日は毎土日と祝日の10時~17時まで。
今日は見学できないので門のみ写真に収めました。
帰宅後調べてみると こちらはあまり保存状態が良くなく
平成9年(1997)閉坑直後の状態のまま劣化が進でいるようで 廃墟感はかなりのようです。
昭和38年(1963)三川炭鉱炭じん爆発事故を起し 450名以上の死者を出した戦後最悪の炭鉱事故現場でもある第一斜坑は埋められています。
石炭を満載したトロッコが火花を出しながら脱線し 炭じんに 引火・爆発。
一酸化炭素が発生した為 大勢の炭鉱員が中毒死してしまったのです。
事故の原因は 炭じん爆発防止策がおざなりだった事、コストを優先した経営など、炭鉱労働者にとっては 事故後長く続く暗い歴史の面もあるのでした。
そういった負の歴史も炭鉱にはあるのですよね。
だからなのか?三川坑に関しては 主力坑であったにも関わらず 文化財登録がされていません。 -
三池港に着きました。
三池港 明治41年(1908)開港
石炭を移送するために作られた港です。
ここから海外へ石炭の輸出が可能になりました。
遠浅で干満の差が大きい有明海のこの場所では港を作るのは容易ではありませんでした。
水位を保つ為に 閘門を造りそれは 現在も稼動しています。
三井三池炭鉱の総責任者だった 團琢磨が 100年先の産業を考え 築港を進めた事は良く語られます。 -
先に見えるのが閘門施設です。
三池港閘門 明治41年(1908)竣工
中央の白い橋のような部分が閘門。閘門は開いた状態です。
白いゲートのようなものは 人員用の稼動橋です。
左右の煉瓦の脚部部分はスルーゲート。大型船が入港した時に海水を逃がす為の装置です。 -
サンデン本社(旧三川電鉄変電所)
明治42年(1909)国登録有形文化財
三井炭鉱専用鉄道の変電所の建物です。
平成10年 サンデンが 三井鉱山から買取り本社屋として使用しています。
(民間会社の持ち物なので 内部非公開。見学は敷地外の方からしました) -
なぜ、民間の会社がこの建物を買い取ったのか?興味を持ったので 調べてみました。
サンデンは電気工事の会社です。
このサンデンの社長 北川氏が 仕事を通じて 変電所に出入りする事が多く
建物に愛着をもっていたので 炭鉱閉山後解体されると言う話を聞き
建物保存の為 購入を決めたとの事。
土地購入や改築で7500万円と費用がかかり大変だったそうです。
購入時 かなり荒れていた建物周辺や補修は社員たちの手で行われました。
現在は、事務所、一部は倉庫としても使っているそうです。
文化財的価値のある建物でも、たった一人の人の決断で残り、活用される事もあれば、失われてしまう事もあるのですよね。
サンデン社長の北川氏に感謝です。 -
近くにチェックして来なかった建物ですが「旧長崎税関支署」のノボリが見たので寄ってみます。
旧長崎税関三池税関支署 県指定有形文化財
明治41年(1908)開庁 -
今はきれいに修復されていますが
埋立地という軟弱地盤にあり 沈下による礎石や軸部の損傷、増改築による雨仕舞不良からの雨漏り と 木部腐食や損傷が激しい建物だったそうです。
平成23~24年に修復・保存工事が行われました。 -
公開は 土日祝日の10時~17時
今日は中を見ることは出来ないので、ガラス越しに覗いて写真を撮ります。
中も復元されているのですね。 -
昭和40年(1965)まで税関として使われました。
全国的に見ても 明治期の税関庁舎は全国で5棟しか現存していないと言う事で 貴重な建物だそうです。
さあ 日も傾き始め いよいよ時間が無くなってきました。
あと もう1箇所は~と 急いで移動です。 -
三池炭鉱専用鉄道敷跡
税関建物の脇には軌道跡。
倉庫群に引き込まれていた線路の遺構です。
このあたりには 倉庫や貯炭場が広がっていたのです。 -
世界遺産登録資産のひとつ 宮原坑へ来ました。
宮原坑 明治31年(1898)開坑 国指定重要文化財。
明治・大正の主力坑です。昭和6年(1931)閉坑 -
無料駐車場から宮原坑へ行く間には、
三池炭鉱専用鉄道敷跡
明治38年(1905)全線開通
明治11年(1878)当時石炭搬出港だった大牟田川河口にある大牟田港と大浦坑の間に馬車鉄道が敷かれ
後 明治24年には蒸気機関車の導入、
明治30年(1897)には九州鉄道線と直結
明治38年(1905)には三池港まで全線開通。最盛期には150kmもあった鉄道です。
鉄道用に掘られた場所に枕木がずっと並んで見えます。
線路は各坑口を経由して三池港まで続いていました。 -
受付をして中を見学します。(入場無料)
直前に数名の女性見学者が居たので 一緒にガイドさんが説明を聞かせてくれる事になりました。 -
建物施設は、万田坑程多くは残っていません。
この櫓は第二竪坑櫓 -
櫓の足元の煉瓦の塀にはアーチ型の、窓がありました。
ガイドのおじさんに促されて そこを覗くと・・・。 -
この下に第二竪坑の穴があったのですね。
もちろん、今は塞がれています。 -
サビだらけの門を入ります。
ここでガイドさんから説明。
この宮原坑は、近くにあった 三池集治監(今の刑務所)に収監されていた囚人を労働力に使っていた事があるというお話です。
最大で2000人の囚人が労働させられていたとか。
少ない食べ物で 過酷な労働を強いられ 昭和6年(1931)女性・子供の坑内労働と共に禁止されるまで続いたようです。
三池集治監は 今はなくなっていますが 外塀の一部は 現在の県立三池工業高校の塀として残っています。
囚人たちは 集治監から歩いてここまで労働に来させられていたそうです。 -
排水の為のパイプ。
三池炭鉱は湧水量が多く 採炭には排水が大きな課題だったのです。
そこで 宮原坑は 当時世界最高性能と言われた
イギリスのデビーポンプを導入し排水を行っていました。
さきほど 竪坑跡を覗いた 煉瓦の壁は デビーポンプを設置した建物の壁の一部です。 -
第二竪坑櫓を見ます。
明治34年(1901)完成 高さ22m 国指定重要文化財 -
構造は鋼板のリベット止めラティス組み。
平成13年には防錆塗装工事が行われています。 -
ガイドさんについて敷地内を移動します。
第二竪坑巻揚機室の前には 炭函(たんがん)石炭を運ぶトロッコがレールの上に乗っています。 -
第二竪坑巻揚機室 明治38年(1905)
窓が煉瓦で塞がれています。
かつては上げ下げ式とアーチ型のガラス窓であったようです。
建設時は蒸気式の巻揚機、昭和8年(1933)電気式に変わりました。 -
ボランティアガイドさん。
興味深いお話がいろいろでしたが
いかんせん、あちこちで同じような炭鉱の解説を読んだり聞いていたら
どこで聞いた話か忘れてきちゃった・・・。そういうのを忘れないようにとの旅行記でもあるのに・・・ICレコーダーでも持っていかないとダメか?
しかも この時 夕暮れ近くてすごく寒くなってきて集中力も途切れがち・・・。
たまにガイドさんが飛ばすギャグにも反応できない自分になってきていました・・・とほほ。 -
こちらではヘルメット無しで巻揚機室には入れます。
小屋組みは古そうですが 屋根は直してありますね。
ここの巻揚機はワイヤーが櫓まで続いています。 -
巻揚機運転手心得
第二竪坑は、主に人員の昇降・排気に使われ、現存していない第一竪坑は主に揚炭・入気に使われていました。
信号の説明も書かれています。人命も預かる重要な操作だったのですね。 -
今で言う ホットライン。専用直通の電話が残されていました。
-
ケージの降ろし口から竪坑を見ます。
埋められていますが 水は今も脈々と沸いてくるのだそうです。
木製の柱があります。 これはケージが揺れてコンクリートの壁に当たらないようにする為のガイドの役割なのだそうです。 -
全然関係ないのですが 私や他の見学者が ここでガイドさんに説明を聞いている時 飽きちゃったのかダンナは少しだけ離れた場所で櫓を見ていたのだそうです。
そうしたら 大き目の見た事の無い鳥が電線に止まったそうです。
姿はオナガそっくりですが色が白と黒!
すぐにカササギだと判りましたが~写真は・・・ひどい写りの証拠写真(部分)しか撮れなかったそうで・・・。
関東にはまったく居ないカササギ。九州でも佐賀周辺から有明海付近に居ると聞いていたので 見られるかも??と期待していましたが・・・私はまったく見られませんでしたよ・・・。
ちぇ。見たかったな・・・。 -
ケージのひとつは櫓に下げられ 使われていた当時を感じさせます。
これ ひとつに定員25名。
中を歩いてみましたが 大人の男25人じゃ~キツキツじゃん。
誰かが押したら 穴に落ちそう~。
ここから囚人の方たちも 行きたくもない地下の坑内へと送られていったのですね・・・。
閉所恐怖症の人とかもいたのだろうなぁ。
囚人の人権なんて 当時は無いに等しかったでしょう。
嫌がれば、食事抜きだったそうです。 -
坑内図には説明もない小さな建物に休憩所のような部屋がありました。
宮原坑閉坑後も施設は順次縮小されていきましたが 坑内の排水や坑内点検の為、第二竪坑は平成12年(2000)頃まで稼動していました。
竪坑はすでに閉塞されていますが つい近年まで使われていたと言う事ですね。 -
最後にガイドさんが、見せてくれたのは 扉の奥に放置された坑内で使ったランプの山でした。
無造作に投げ捨てられたようなゴミの山となっていました。
これは 坑道内で働く男たちの足元を照らし 安全に地上へもどる道を示す大切なものであったはずです。
こうして投げ捨てられていると言う事に
すべては終わった という象徴的なものを感じました。
莫大な利益を生み 日本の近代化を支えた石炭産業。
三井港倶楽部の華やかな西洋風の建物での宴の日々がある一方
罪人を労働力とみなして強制的に働かせ 安全をないがしろにして大きな事故を起こし 沢山の犠牲者を出してしまった暗い面。
どちらも正しく伝えていかなければならない 歴史の事実ですね。
建物見物だけでは収まりきらない 近代化産業遺産見学の一日でした。
この後は 内容がらりと変わって すてきな温泉宿での1泊を旅行記にします。
北九州レトロをめぐる旅10 平山温泉・一木一草。 レトロかわいい温泉宿でとろとろ~。
https://4travel.jp/travelogue/11095334
へ続きます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 建物見物熊本県1
0
65