2015/12/15 - 2015/12/18
78位(同エリア193件中)
まりも母さん
北九州レトロをめぐる旅7 夕暮れのレトロ建物で天井萌え そして博多の夜。
http://4travel.jp/travelogue/11093889
北九州旅行3日目です。
今日は、レンタカーで熊本の温泉へ1泊する為に移動です。
途中、昨年の長崎・端島(軍艦島)に続き、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の登録地である三池炭鉱関連資産を見て廻ります。
明治からの急激な 近代化の時代にできた建物と同様、産業関連の施設もレトロ建造物としての見どころが満載です。
しかし、文化財として補修・保存がなされている美しい建物とは違って、使われなくなり、朽ちるままになっていた産業遺産は、まだ廃墟のような状態の場所も多いのです。
「現状維持」の課題が難しいとも思える産業遺産ですが、見方を変えると、時の流れにさらされた姿が 別の何かを訴えているようです。
「廃墟萌え」な感覚を感じつつ 失われてしまった かつての活気あり、華やかだったその時代に思いを寄せる一日でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー スカイマーク 私鉄
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-
今朝はすこ?し雨が降っていました。徒歩で 博多駅まで行く途中、あられまで降ってきましたよ!そんなに寒いとは思えなかったけど・・・。
地下鉄で、空港まで移動します。
福岡空港の国内線 第二ターミナルのすぐ前にレンタカー会社がいくつも並んでいます。 -
その中で今回はオリックスレンタカーを予約しておきました。
今日までの間、雨が降っても一瞬傘を出す位で、たいした雨には当たらなかったのに、空港から道路を渡ってレンタカー店に行くまでのほんの数十メートルだけ、結構な雨になってしまいました・・・。
まぁ傘があってよかったけど・・・今日は この後天気は回復の予報ではあります。
借りる車は、ホンダフィット。ナビとETCも装備されています。 -
大牟田市に向かって、高速2号線〜九州自動車道で行くつもりでしたが、大宰府あたりが大渋滞。事故でもあったのかなぁ?
高速道路が激混みなので、慣れないながら、ナビを使い 下道で途中まで進みます。 -
昨夜は場所によっては雪が降ったようです。
道路から見える山の上の方が白くなっています。
もう12月中旬ですからねぇ。
天気が心配でしたが、だんだん明るくなってきました。 -
渋滞があったりしたので、予定より時間が掛かってしまいましたが、12時少し前に万田坑ステーションに到着。
日差しが出て天気は良くなりつつあります。
本当は、自分で 三池炭鉱関連の施設を廻るコースを考えてきたのですが、時間的に全部を廻るのは難しそうなので、ここには行きたい、という優先順に行くことにしました。
まずは、万田坑へ。
車を無料駐車場に置き、ステーションで410円の入場券を買います。それを持って、入り口へ向かって歩きます。 -
有料区域の手前にも産業遺産があります。
最初に見えるのは池です。
沈殿池です。
坑内から出る水をここに溜めて、不純物を沈殿させる為の池です。
池の向こうには、煙突跡も見えます。 -
煉瓦の建物と櫓が見えてきました。
人員と資材を昇降させる第二竪坑とそのケージなどの巻揚機室です。
万田坑の象徴的な図ですね。
万田坑 明治35年(1902)出炭開始
明治30年(1897)〜35年(1902)にかけて作られた第一竪坑と明治31年(1898)〜41年(1908)にかけて作られた第二竪坑からなります。
昭和26年(1951)には採炭効率の低下から石炭採掘を終え その後は平成9年(1997)の三池炭鉱閉山まで、主に、坑内水の排水の為に使われました。 -
道路脇にも煉瓦塀や建物があります。(用途は不明)
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ゆるい坂道があり、先に進むと入り口が閉ざされたトンネルがありました。
坂から入り口までは、切石で積まれています。 -
金網の間からレンズを覗かせて中を撮ってみます。
ずっと続いているのが見えます。
桜町トンネル 昭和8年(1933)建設 全長130m
坑内を通らないで、大牟田市内につながっていた生活道路としてのトンネル跡なのだそうです。 -
旧正門 門扉は無く、門柱だけが残っています。
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煉瓦の柱のようなものがいくつも並んでいます。
汽罐場(きかんば ボイラー室)の建物に一部のようです。
先ほど見えた煙突跡はこの先の方で、隣のもう1棟の汽罐場建物の前にあったものです。 -
フェンスはかなりサビが出て、後ろの煉瓦の建物と共に廃墟感ありますね〜。
なかなかいい感じです。 -
万田坑正門 この先は有料区域です。
門扉もポストもサビだらけです。
長く放置されて来た様子がありありと判ります。 -
丁度、バスの団体ツアーの方が来た所ですが、私たちは団体の方とは分かれて、別の方へ進んでみます。
ガイドツアーもあるようでしたが、今日はあまり時間が無いので、とりあえず、自分で廻ってみます。正門から右方向へ進みます。
軌道が見えます。その先には、やはりサビだらけの扉の建物。 -
サビだらけの扉。
昨年行った軍艦島では、決められた場所からしか見学が出来ないので、
遠めであったり、良く見えない部分も多かったのですが、ここは、特に歩いて良いコースが決められている訳ではなく、近くで見たり、写真を撮る事ができました。
これは、かなり、うれしい事なのですが、
まだ、世界遺産に登録されたばかりで、見学用の整備が追いついていない、と言うことなのかもしれません。 -
右の木造の建物は、
職場 昭和初期に建てられた 坑内で使う機械、工具類の修理や工作を行う施設です。国指定重要文化財
屋根が落ちた老朽化した状態まで廃墟化していましたが、修復・保存工事が行われ、
2011年から見学用に公開されました。 -
軌道に沿って歩きます。
色々な建物もありますし、敷地内、無造作にあちこち 設備や道具も置かれています。どれもかなりサビが出て、廃墟好きな私には、かなりテンションがあがります。 -
職場の天井部分。
平成9年の閉山後 放置された建物は、台風の影響などで、屋根が崩れ落ち、建物の軸組みの破損も著しかったそうです。
修復工事前は、一度解体・調査し 再利用できるものは出来る限り使用し、閉山時の状況に復元するものでした。 -
工具類は位置を写真撮影し、調査後 手入れも行い、元の位置に戻してあるそうです。
なるほど、だから、このように当時の様子が判るように置かれているのですね。 -
印象的な「ご苦労さん」の文字。
炭鉱関連の仕事が過酷であった事を思わせます。 -
旋盤やボール盤、工作機械も並べてあります。
世界遺産は、「登録時の現状維持」と言うのが条件のひとつだと聞きました。
端島(軍艦島)のような自然環境が苛酷で、維持が難しい場所は、それが最大の課題だと言う事です。
この「職場」は修復・保存工事がなされていますが、敷地内すべての場所をこうして保存するのは、大変な事業だと思われます。 -
整備概要の書かれた解説板。
写真の保存整備前の屋根が崩れた、建物は、ただの廃墟ですね・・・。 -
屋外には、沢山の機械類も置いてあります。
保存工事の際はじゃまですからどかされたと思いますので、
工事終了後、前からあった場所に戻されたのでしょうか?しかし、ここにあっては、劣化が進んでしまいそうです。 -
櫓のそばには煉瓦の建物が他にも。
事務所の建物です。 -
事務所(旧扇風機室)大正3年頃(1914)国指定重要文化財
建設当初は坑内の換気を行う電気式の巨大な扇風機が備えられた部屋でした。
昭和26年(1951)万田坑閉坑後からは、1階に更衣室、2階に事務所・坑内監視室が置かれました。 -
煉瓦の目地からホウライシダが生えてきていました。
-
サビだらけの消火器の箱。
もう、使われる事も無く、忘れられていくだけ・・・。 -
事務所の建物右側には基礎部分が残っています。
建物はすでに失われていますが、閉坑時、もっと沢山の建物があったそうです。 -
事務所建物の西側の面です。
なるほど、敷地内の建物図(入場券と一緒に頂けるパンフに掲載されています)だと、今は失われていますが、閉坑時には付属した建物があった事が示されています。
屋根が接していた跡がくっきりと残っていました。 -
事務所建物裏側(南面)やはり、今は失われていますが、向かいの倉庫及びポンプ室との間にも建物があったようです。
-
事務所の建物前の奥、枯れた雑草の先にある建物。
ひさしも、扉も無くなっています。中に男性用のトイレが見えました。
あまり、重要でないのか、手入れもされずにある小さな建物がいくつもあります。 -
櫓の周りには複雑に屋根が並ぶ建物郡があります。
こちらも一応の修復・保存整備はされているのでしょうが、かなり廃墟感のある雰囲気がします。
まりも母 廃墟ってかなり好きなのですが、合法的に廃墟を見に行き、写真を撮りに行くのはなかなか難しいのでねぇ。
なので、ここのように、廃墟っぽい様子が堂々と見られると言うのは、かなりテンションあがります。 -
安全燈室及び浴室(旧扇風機機械室)国指定重要文化財
明治38年頃(1905)の建設当初は機械室でしたが、昭和26年(1951)の閉坑に伴い安全燈室(ヘルメットにつけるランプの充電をする部屋)と浴室に変更されました。 -
そのドアです。
きれいに保存された 美しい状態の時代を経た建物もいいですが、
経年劣化した 汚れた古い建物やその一部は、別の感覚で、審美的にひっかかるものを多く感じます。(滅びの美学ってやつ?)
この感覚は、すべての人には理解できないのかもしれませんけど・・・。 -
手前が安全燈室。奥にコンクリートの枡のような、浴槽らしき物が見えます。
-
隣の建物との間の通路。壁際に担架の置き場。
置いてある古びた担架は、丸太に布を張った、粗末な物です。 -
通路奥 灯される事もなくなったランプがぶら下がっていました。
この雰囲気がいいですねぇ。 -
倉庫及びポンプ室(旧扇風機室) 国指定重要文化財
その入り口には古びたメーターがいくつも置いてありました。 -
ポンプ室内の機械。
-
山ノ神祭祀施設 大正5年(1916)に大山祇神(おおやまづみのかみ)を分祀したものです。
国指定重要文化財
炭鉱員は、入坑前に作業の無事を願って、必ず礼拝をしたそうです。 -
次に、第二竪坑巻揚機室に入りました。
中に案内の男性が居て、見学者はここで、ヘルメットを渡され、それを被っての見学となります。
見学用に整備されたらしい緑の階段を上がりますが、天井の低い場所もあり、なるほど、それでのヘルメットのようです。 -
第二竪坑巻揚機室 明治42年(1909)竣工 国指定重要文化財
煉瓦造2階建ての正門から見て、櫓の手前にある一番目立つ建物です。
中2階に重量物を昇降させるウインチ。2階に人員を昇降させるケージ巻揚機があります。
太いワイヤーロープが見えます。
煉瓦の壁に見える鉄骨は、建物保存の為の強化構造体だと思います。
平成19年に 保存修理事業が開始され 平成22年に完了し、一般公開が始まりました。
シロウトには、どこをどう修復したのか・・・詳しく判りませんが〜そんな事まで知りたがる観光客はあまりいないだろうなぁ・・・。 -
丸窓がありますが、ケーブルはどこから表に出ていたのでしょうね?あの窓から??
竪坑に設置された巨大な櫓とケージを昇降させる巻揚機は、数年前に日立鉱山(こちらは、石炭ではなく銅と硫化鉄鉱の鉱山)を見学した時、同じような機械室を見て、一応学習しています。
なので、初めて見た訳ではありませんが、この大きさ、地下数百メートルまでケージを下ろす巨大エレベーターだった事には、やはり、すごさを感じます。 -
巨大な歯車 荷物を運ぶウインチのものです。
当初は蒸気動力で動かしていたそうです。 -
丸窓の向こうには、第二竪坑櫓が。
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2階の窓から外を見ます。
変電所の建物が見えました。 -
操作台の周りには沢山のメーターやハンドル、スイッチなどが。
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電力を オンオフする装置のようです。
陶器製の緑と茶色の「キル」「イリ」の目印がいいですね。
間違えないように形状も変えてあります。 -
防火砂の入った箱。
炭鉱では火災が一番危険でしたから、こうしたものは、至る所に置いてあったでしょう。 -
汽罐場の方へ続くはしごのような通路。
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赤く塗られたランプも もう灯る事はありません。
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三池の他の炭鉱の深さを示す図が貼ってありました。
万田坑は264m。宮原坑への横穴もあったのでしょうかね?
昨年訪れた、端島(軍艦島)の海底炭鉱は、第二竪坑は深さ636mだそうです。
それに比べればまだまだ浅いかもしれませんが、よくも、こんなに沢山の抗を掘ったものです。 -
汽罐場(ボイラー室)跡、建物の一部。
汽罐場は、石炭を燃やし、蒸気を各施設に供給していた場所です。
かつては、地域内 最大級の建物である汽罐場が2棟並んで建っていました。
昭和30年代に1号・3号汽罐場は解体されました。 -
この立っているパイプのようなものも、蒸気を通す汽罐場の一部だったのでしょうか?
残された汽罐場のアーチ壁、第二竪坑巻揚機室のアーチ窓、丸窓。
明治期の煉瓦建築は、何かしら、美しいな、と思える意匠部分があります。 -
第二竪坑巻揚機室の後ろに、
第二竪坑櫓 明治41年(1908)竣工 国指定重要文化財
高さ18.9m -
変電所建物脇の変電施設。
フェンスの中に機械類が見えます。
が、ここはつる性植物や雑草が生い茂る場所のようですね。
枯れ草となっている今の時期でも、機械類が良く見えない位です。 -
配電所(変電所) 国指定重要文化財
煉瓦造りコンクリート塗り。建設当初は、イギリス トムソン社製タービン排気電機が置かれ、万田発電所として利用されました。
その後、電化の進みにあわせ配電所(変電所)として使われました。
鉄筋コンクリートの建物かと思ったら、一部煉瓦が見えていますように、コンクリートを塗った建物なのですね。 -
櫓をやや後ろの方から見ます。
鋼鉄製の櫓、結構きれいですよね。
これ、閉山後使われなくなった為、一時はサビがでて、葛のつるに覆われた、ひどい状態にまでなっていたそうです。
世界遺産に登録される前 すでに平成10年(1998)重要文化財に指定されていますが、
文化財は基本的に現状維持で保存されるべきなのですが、
このままでは劣化のスピードが上がってしまう、と言うことで、文化庁と協議し
植物を撤去、塗り替えの修復・保存整備が行われたそうです。
ネット検索すると、廃墟マニアなどによる、修復以前の櫓や建物の画像が出てきます。
今も、廃墟っぽい、と思いますが、以前は、もっとすごかった訳です。 -
第一竪坑跡の後ろにある建物です。
敷地内案内図には掲載されていませんが、窓が開けっ放しな所からしても、もう、使われていない建物のようですね。
結構大きな建物だけど、なんでしょうか?やはり、炭鉱関連の施設だったのでしょうか?? -
第一竪坑坑口
採掘された石炭を引き揚げる為の坑口でここに櫓があった跡です。
深さは271m。
現在残る両脇のコンクリートは、明治32年(1899)当時 東洋一の規模を誇った高さ30.7mの櫓の基礎部分です。
櫓本体は、昭和29年(1954)解体され、北海道 三井芦別炭鉱へ移設されました。 -
ポンプ室や事務所の建物が見えるやや高い場所まで来ました。
手前にトンネル入り口のような物が見えますが、先ほどはあそこまで行っていないので、
戻って、見てみよう〜。 -
ぐるっと廻って、再び、安全燈室の前を通り、その裏側へ。
浴室が良く見える窓がありました。
浴槽がふたつ。
軍艦島ツアーの時に聞きましたが、坑内で仕事をすると、石炭の粉塵などで真っ黒になってしまうのだそうです。
で、軍艦島では、まず、着衣のまま風呂に入り、真っ黒な汚れを一旦落とし、それから裸になってちゃんと風呂に入ったそうです。
ここでもそんな感じで、汚れの程度にあわせて、二つの浴槽が使われたのかもしれませんね。
ただし、案内図を見ますと、石炭採掘時代は、この浴室ではなく、正門脇にもっと大きな脱衣場及浴室があったようです。
労働者の数も採掘時は多かったのでしょうから、閉山時と最盛期ではかなり様子もちがっていたでしょう。 -
さっき、見たトンネルは、第二竪坑の入り口でした。
第二竪坑坑口 国指定重要文化財
中に炭鉱員が乗って昇降するケージが見えます。
日立でも 端島でも竪坑の穴は見た事が無かったので、これは興味深々です! -
ケージは鉄製の扉の無いコンテナのようなものでした。
2台あり、1台に定員25名。つるべのように1台が地上、1台が地下、と 上げ下げしていました。
1分間で昇降できたそうです。 -
坑口信号所
巻揚機室と連絡を取り、昇降の管理をしていた小屋です。 -
竪坑の上部です。櫓の足元が見えます。
坑道から上がってきた炭鉱員の人たちは、こうして櫓越しにお日様をまぶしく感じたのだろうなぁ・・・。 -
竪坑はすでに埋められています。
大きさ8.5x4.4m深さ264mの穴でした。 -
壁面にはホウライシダが、風に繊細な葉を揺らしています。
鉄や煉瓦に囲まれた場所でホウライシダだけが、ふわふわとやわらかい動きを見せていました。 -
竪坑の前から坑口入り口方向。
安全に戻って来られて見られるトンネル外の明るさ。 -
かなり急ぎ足でしたが、万田坑見学を終えて、最後に万田坑ステーションに戻り、
ジオラマを見ました。
閉山当時の建物の様子になっているようです。 -
炭鉱節で歌われた 三池炭鉱の「あんまり〜煙突が〜高いので〜」の煙突はこれだったのでしょうか。
万田坑ステーション駐車場の道路反対側には
万田炭鉱館という建物がありました。
荒尾市の施設で、石炭産業(炭鉱)の歴史 道具の展示などがある見学は無料の施設のようです。
今回は時間が無く、そちらへ入る事は出来ませんでした。
まだまだ三池炭鉱関連の産業遺産は見るところがあります。
この後は、旧三井港倶楽部でランチ&見学。そして、時間いっぱい産業遺産を廻ります。
この続きは
北九州レトロをめぐる旅9 石炭産業の華と暗部 両方を感じた三池の午後
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