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川之江城(かわのえじょう、愛媛県四国中央市川之江町)は瀬戸内海を眼下に見下ろす小高い丘にあり伊予守護の河野氏の支城の一つで、讃岐を支配する細川氏の進攻に備えるべく河野氏が家臣土肥義昌(どひ・よしまさ、生没不詳)に命じて標高約60m鷲尾山(城山公園がある山)に築城させた平山城です。<br /><br />川之江は伊予国の東端に位置し讃岐・土佐・阿波に通じる交通の要地であったことから隣国との係争地となり多くの血が流され、とりわけ讃岐国守護の細川氏との争いが絶え間なく、康永元年(1342)細川頼春(ほそかわ・よりはる、1304~1352)によって攻め落とされた経緯があります。<br /><br />天正13年(1585)秀吉の四国攻めにより当地は戦功あった小早川隆景(こばやかわ・たかかげ、1533~1597)の所領となり隆景筑前転封後の天正15年(1587)には秀吉子飼いの福島正則(ふくしま・まさのり、1561~1624)の支配、正則が尾張国・清洲城に移ると慶長5年(1600)加藤嘉明(かとう・よしあきら、1563~1631)の領地となり戦国時代を代表する武将が領主として変遷が続きますが、慶長7年(1602)嘉明は家康の許可のもと勝山城(後の松山城)築城を開始、この時川之江城は歴史的役割を終えて廃城となります。<br />                     <br />寛永12年(1635)一旦幕領を経て翌寛永13年一柳直家(ひとつやなぎ・なおいえ、1599~1642)は播磨国小野1万石と合わせて2万8千6百石を以て川之江に陣屋を定め川之江藩が立藩、直家は城郭再建を望むなか寛永19年(1642)に死去、直家には自らの娘に丹波園部藩主小出吉親(こいで・よしちか、1590~1868)二男を養子に迎え直次(なおつぐ、1623~1659)とし養子縁組をはかり遺領を継がせようとします。<br />                   <br />しかしこれが末期養子の禁に当たるとして咎められ、寛永20年(1643)川之江を有する1万8千6百石は没収、但し直家の娘と直次の婚姻は認められ、これにより一柳氏の所領は残る播磨国小野の1万石のみとなり伊予国川之江の支配は終わり、川之江は再び幕領に戻り以降明治を迎えるまで続きます。<br /><br /><br /><br />現地訪問の際窓口で入手したパンフレットには次の通り紹介されています。<br /><br />「 川 之 江 城 史<br /><br />南北朝動乱の頃(約650年前)南朝方、河野氏の砦として。土肥義昌が延元二年(1337)鷲尾山(城山)に川之江城を築いた。<br /><br />興国三年(1342)北朝方、細川頼春が讃岐より七千の兵を率いて攻めてきた。<br /><br />義昌は出城の畠山城主由良吉里と共に防戦したが破れ、城を落ちのびて各地を転戦した末、武蔵国矢口の渡で戦死をしている。<br /><br />細川氏の領有後、河野氏に、返され、城主は毒島友春になった。元亀三年(1572)阿波の三好長治が攻めいったが撃退している。<br /><br />土佐の長宗我部元親の四国平定の力に抗しきれなかった友春は、河野氏に背いて長宗我部氏に通じた。怒った河野氏は河上但馬守安勝に命じて、城を攻めとらせた。天正七年(1579)前後のことと思われる。河上但馬守は、轟城の大西備中守と戦い、討たれたという話も残っているが、天正十年(1582)長宗我部の再度の攻撃に破れ、戦死落城している。その時、姫ケ嶽より年姫が飛び込んで自殺したという悲話伝説も残っている。<br /><br />天正十三年(1585)豊臣秀吉の四国平定に破れ、小早川、福島、池田、小川と目まぐるしく領主が替り、加藤嘉明の時、最終的に廃城になった。<br /><br />数々の攻防は、川之江が地理的に重要な位置にあった為の悲劇ともいえる。<br /><br />戦国の世も終わった寛永十三年(1636)一柳直家が川之江藩28、600石の領主になり、城山に城を築こうとしたが、寛永十九年(1642)病没、領地は没収されて幕領となり、明治に至ったため、わずか六年の「うたかたの川之江藩」で終わった。<br /><br />その後年月を経て城跡は、本丸附近の石垣に僅かに名残りを留めるに過ぎなかったが、川之江市制施行30周年記念事業として、市民の浄財を基に城の再建が計画され、昭和59年度より城山公園整備事業として着手した。<br /><br />建築にあたっては、日本城郭の権威者である東京工業大学名誉教授藤岡通夫博士の指導を受けた。昭和61年6月30日本丸跡に天守閣が完成した。涼櫓(すずみやぐら)・櫓門(やぐらもん)・隅櫓(すみやぐら)・控塀(ひかえへい)も順次完成し、園路広場の面整備の完了をもって昭和63年3月31日城山公園整備事業は全て完了した。」<br />

伊予四国中央 讃岐守護の細川氏の西進を抑えるべく伊予守護河野氏の命により家臣土肥氏が築城した『川之江城』訪問

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2015/11/06 - 2015/11/06

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滝山氏照

滝山氏照さん

川之江城(かわのえじょう、愛媛県四国中央市川之江町)は瀬戸内海を眼下に見下ろす小高い丘にあり伊予守護の河野氏の支城の一つで、讃岐を支配する細川氏の進攻に備えるべく河野氏が家臣土肥義昌(どひ・よしまさ、生没不詳)に命じて標高約60m鷲尾山(城山公園がある山)に築城させた平山城です。

川之江は伊予国の東端に位置し讃岐・土佐・阿波に通じる交通の要地であったことから隣国との係争地となり多くの血が流され、とりわけ讃岐国守護の細川氏との争いが絶え間なく、康永元年(1342)細川頼春(ほそかわ・よりはる、1304~1352)によって攻め落とされた経緯があります。

天正13年(1585)秀吉の四国攻めにより当地は戦功あった小早川隆景(こばやかわ・たかかげ、1533~1597)の所領となり隆景筑前転封後の天正15年(1587)には秀吉子飼いの福島正則(ふくしま・まさのり、1561~1624)の支配、正則が尾張国・清洲城に移ると慶長5年(1600)加藤嘉明(かとう・よしあきら、1563~1631)の領地となり戦国時代を代表する武将が領主として変遷が続きますが、慶長7年(1602)嘉明は家康の許可のもと勝山城(後の松山城)築城を開始、この時川之江城は歴史的役割を終えて廃城となります。
                     
寛永12年(1635)一旦幕領を経て翌寛永13年一柳直家(ひとつやなぎ・なおいえ、1599~1642)は播磨国小野1万石と合わせて2万8千6百石を以て川之江に陣屋を定め川之江藩が立藩、直家は城郭再建を望むなか寛永19年(1642)に死去、直家には自らの娘に丹波園部藩主小出吉親(こいで・よしちか、1590~1868)二男を養子に迎え直次(なおつぐ、1623~1659)とし養子縁組をはかり遺領を継がせようとします。
                   
しかしこれが末期養子の禁に当たるとして咎められ、寛永20年(1643)川之江を有する1万8千6百石は没収、但し直家の娘と直次の婚姻は認められ、これにより一柳氏の所領は残る播磨国小野の1万石のみとなり伊予国川之江の支配は終わり、川之江は再び幕領に戻り以降明治を迎えるまで続きます。



現地訪問の際窓口で入手したパンフレットには次の通り紹介されています。

「 川 之 江 城 史

南北朝動乱の頃(約650年前)南朝方、河野氏の砦として。土肥義昌が延元二年(1337)鷲尾山(城山)に川之江城を築いた。

興国三年(1342)北朝方、細川頼春が讃岐より七千の兵を率いて攻めてきた。

義昌は出城の畠山城主由良吉里と共に防戦したが破れ、城を落ちのびて各地を転戦した末、武蔵国矢口の渡で戦死をしている。

細川氏の領有後、河野氏に、返され、城主は毒島友春になった。元亀三年(1572)阿波の三好長治が攻めいったが撃退している。

土佐の長宗我部元親の四国平定の力に抗しきれなかった友春は、河野氏に背いて長宗我部氏に通じた。怒った河野氏は河上但馬守安勝に命じて、城を攻めとらせた。天正七年(1579)前後のことと思われる。河上但馬守は、轟城の大西備中守と戦い、討たれたという話も残っているが、天正十年(1582)長宗我部の再度の攻撃に破れ、戦死落城している。その時、姫ケ嶽より年姫が飛び込んで自殺したという悲話伝説も残っている。

天正十三年(1585)豊臣秀吉の四国平定に破れ、小早川、福島、池田、小川と目まぐるしく領主が替り、加藤嘉明の時、最終的に廃城になった。

数々の攻防は、川之江が地理的に重要な位置にあった為の悲劇ともいえる。

戦国の世も終わった寛永十三年(1636)一柳直家が川之江藩28、600石の領主になり、城山に城を築こうとしたが、寛永十九年(1642)病没、領地は没収されて幕領となり、明治に至ったため、わずか六年の「うたかたの川之江藩」で終わった。

その後年月を経て城跡は、本丸附近の石垣に僅かに名残りを留めるに過ぎなかったが、川之江市制施行30周年記念事業として、市民の浄財を基に城の再建が計画され、昭和59年度より城山公園整備事業として着手した。

建築にあたっては、日本城郭の権威者である東京工業大学名誉教授藤岡通夫博士の指導を受けた。昭和61年6月30日本丸跡に天守閣が完成した。涼櫓(すずみやぐら)・櫓門(やぐらもん)・隅櫓(すみやぐら)・控塀(ひかえへい)も順次完成し、園路広場の面整備の完了をもって昭和63年3月31日城山公園整備事業は全て完了した。」

旅行の満足度
4.5
交通手段
JR特急 ジェットスター
  • 川之江地区観光案内図<br /><br />JR川之江駅から西進して瀬戸内海を臨む高台に着くと当該城跡があります。

    川之江地区観光案内図

    JR川之江駅から西進して瀬戸内海を臨む高台に着くと当該城跡があります。

  • 川之江城案内板<br /><br />途中「城山公園」とされた川之江城の案内板が立っています。

    川之江城案内板

    途中「城山公園」とされた川之江城の案内板が立っています。

  • 川之江城<br /><br />正面の樹林に囲まれた丘陵が川之江城跡となります。

    川之江城

    正面の樹林に囲まれた丘陵が川之江城跡となります。

  • 城山公園観光案内図

    城山公園観光案内図

  • 三の丸方向<br /><br />石段を登って三の丸へ向かいます。

    三の丸方向

    石段を登って三の丸へ向かいます。

  • 川之江城史石碑

    川之江城史石碑

  • 三の丸跡<br /><br />遊園施設を伴った空地となっています。

    三の丸跡

    遊園施設を伴った空地となっています。

  • 川之江城史説明板

    川之江城史説明板

  • 天守閣方向

    天守閣方向

  • 川之江城跡石標

    川之江城跡石標

  • 川之江城模擬櫓門

    川之江城模擬櫓門

  • 川之江城模擬櫓門(近景)

    川之江城模擬櫓門(近景)

  • 模擬涼櫓(すずみやぐら)<br /><br />本丸跡には涼櫓(すずみやぐら)が配されています。

    模擬涼櫓(すずみやぐら)

    本丸跡には涼櫓(すずみやぐら)が配されています。

  • 枡形<br /><br />大手門を潜ると本丸に続く枡形が認められます。

    枡形

    大手門を潜ると本丸に続く枡形が認められます。

  • 打込みハギ石垣

    打込みハギ石垣

  • 川之江城全景<br /><br />現在の川之江城は昭和63年(1988)に天守・櫓門・涼櫓等が復興されています。

    川之江城全景

    現在の川之江城は昭和63年(1988)に天守・櫓門・涼櫓等が復興されています。

  • 川之江城天守

    川之江城天守

  • 市街風景<br /><br />天守の最上階から市街を展望します。

    市街風景

    天守の最上階から市街を展望します。

  • 市街展望

    市街展望

  • 天守(南側)全景

    天守(南側)全景

  • 港湾施設<br /><br />城郭から停泊中の船舶が一望できます。<br /><br />

    港湾施設

    城郭から停泊中の船舶が一望できます。

  • 本丸石垣遺構<br /><br />本丸跡広場から海岸方向に降りる石段の右脇には往時の石積みが僅かに残されています。

    本丸石垣遺構

    本丸跡広場から海岸方向に降りる石段の右脇には往時の石積みが僅かに残されています。

  • 本丸石垣遺構<br /><br />僅かに残された当時の石垣遺構が在ります。

    本丸石垣遺構

    僅かに残された当時の石垣遺構が在ります。

  • 姫ケ嶽(ひめがたけ)

    姫ケ嶽(ひめがたけ)

  • 姫ケ嶽説明板<br /><br />天正10年(1582)川之江城主であった河上但馬守が三島宮詣での帰りに謀臣の秋山嘉兵衛に殺害され、嘉兵衛の内通により轟城主大西備中守の急襲を受け落城、但馬守娘である年姫(としひめ)は父の後を追ってこの断崖から身を落としたという悲話があります。

    姫ケ嶽説明板

    天正10年(1582)川之江城主であった河上但馬守が三島宮詣での帰りに謀臣の秋山嘉兵衛に殺害され、嘉兵衛の内通により轟城主大西備中守の急襲を受け落城、但馬守娘である年姫(としひめ)は父の後を追ってこの断崖から身を落としたという悲話があります。

  • 姫ケ嶽断崖

    姫ケ嶽断崖

  • 三の丸跡風景

    三の丸跡風景

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