2015/10/01 - 2015/10/03
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魚屋No1さん
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写真は、八代駅を出発するSL人吉です。
この列車を引く機関車は、大正11年に完成した8620形の435号機です。
大正期の機関車に特徴的な先広がりの煙突は、昭和の機関車の単純な円筒形と違い、発車時にいくら煙を吐いても、どこかのんびりとした感じがしました。
さて、今回の旅行も、出張に便乗して、熊本名物の太平燕(タイピーエン)と熊本ラーメンの原点を味わい、蒸気機関車が引く列車にも乗ろうという公私混同を極めた旅です。
1日目 10月1日(木)
JAL627 10:00羽田発→11:45熊本着
→味千拉麺→熊本城→飲み会(ラーメンの桂花本店地下の居酒屋、
隣のキャサリンズバー、その背中合わせの「こだいこ」で〆のラーメン)
2日目 10月2日(金)
午前:お仕事→昼:桂花本店で太肉麺→午後:お仕事→チョコッと水前寺公園
→飲み会(居酒屋、キャサリンズバー、紅蘭亭の太平燕で〆)
3日目 10月3日(土)
SL人吉 : 熊本09:45→八代10:30(終着は人吉12:13)
JR九州横断特急4号 : 八代11:06→熊本11:35
昼飯 桂花本店:五香肉麺(ウーシャンローメン)
JALl632 熊本空港15:30→羽田17:10
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JALグループ JR特急
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
九州豚骨ラーメンといっても、福岡と熊本は少し違うという話を聞きかじっていました。
ということで、今回の熊本行きにあたって少し調べたところ、味千拉麺という、面白い店がヒットしてきました。
それは、熊本ラーメンの源流とされる玉名と接点を持っているらしい、世界中に800店舗以上も出店しているのに国内は熊本を中心にした100店舗ほどしかない、東京へは出店していない等です。味千ラーメン 本店 グルメ・レストラン
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しかも、本店の所在地は、熊本県庁の正面脇という、空港から市街地へ向かうバス路線の途上です。最初の一杯には最適な店のため、県庁前でバスを下車しました。
写真は、公園越しに見た県庁。店はこの右手、空港方面にあります。 -
蛇足ながら、熊本県庁の外観は、私と縁の深い千葉県庁にソックリです。
味千拉麺に行くことを決めた理由からも判るように、今回の旅では、熊本ラーメンの源流に近い店を巡りたいと考えていました。そのため、味の伝播について、ウイキをベースに若干の推測を交えてとりまとめてみました。結果は以下に示すとおりですが、間違っていたらお知らせ下さい修正します。
・昭和12年 南京千両 久留米駅前で屋台開業
やや濁った豚骨スープのラーメンを開発し
・昭和22-26年 三九 南京千両の店主に調理の指導を受ける
白濁豚骨スープ開発
・昭和26年 来々軒 三九の経営者は店舗を知人に譲る
・ 小倉へ移転し改名再開
・昭和26年 三九 経営者交代
・昭和27年-数年間 三九が玉名へ支店を出す
**この玉名の支店が熊本、鹿児島での豚骨スープの源流点 -
味千のメニューには、太平燕や関東では目にしたことがない豚骨スープの排骨麺もありました。
玉名の三九の影響を受けて初期に開業した熊本ラーメン店
・松葉軒(昭和28年)、こむらさき(昭和29年)、味千拉麺(昭和43年)
この3店主は開店以前から懇意で、玉名の三九で豚骨ラーメンを知る
・こだいこ(昭和29年)
・桂花(昭和30年)玉名との関連は不明。味千創業者がコックを務める
以上の中で今回巡った店は、市電と徒歩で行ける、味千、こだいこ、桂花の3店です。 -
この時の私は御飯系も欲していたため、半チャン、半ラーメン、唐揚げ1個、サラダがセットのハーフアンドハーフ(790円)を注文しました。
豚骨スープは、濃厚なのに博多系よりも獣臭が少なくて私の好みの味でした。他のものはごく当たり前。 -
ガッツリ系には似合わない、可愛い紙ナプキンです。
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続けて、今回食べたラーメンと太平燕を先に示すことにします。
写真は、10月1日の飲み会後の〆で食べた桂花本店と背中合わせで営業している「こだいこ」のメニュー。価格は何故か都内並みです。
この店は、、2016年1月に閉店するそうです。系列店が無いこともあって、今回を外すと味を知る機会がなくなるため、熊本へ行ったら是非味わいたい一杯でした。そのため、飲み仲間を誘って参上しました。こだいこ グルメ・レストラン
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「こだいこ」の普通サイズ680円
此処も、獣臭が少なくて美味しく食べられました。 -
10月2日の昼は、短時間で仕事場に戻れるよう、会議場の近くで広い「桂花本店」へ行きました。
食べたのは、太肉麺(ターローメン)880円。豚骨スープ麺に豚の角煮がトッピングされています。添えられているキャベツが良いアクセントでした。ラーメンは630円。
熊本の本店は昭和30年開店。味千拉麺の創業者の重光氏がこの店のコックを努めたことは知ったものの、味の系譜について直接書かれたものは見つかりませんでした。 平成22年破綻、味千拉麺グループ入り。桂花ラーメン 本店 グルメ・レストラン
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10月3日の昼に食べた、上と同じ桂花本店の五香肉麺(ウーシャンローメン)880円
内容は、豚骨スープ麺に、中国の代表的な混合香辛料の五香粉(名称と香りからの推定)を混ぜた衣の排骨を載せたものです。これも美味しく食べました。
私が豚骨ラーメンを初めて食べたのは、40年以上前の大学時代で、店は桂花新宿末広店(昭和43年?)です。桂花という名は懐かしいものの、東京でも食べられます。行くべき店の序列としてはさほど高くなかったのですが、結果的に2回も通ってしまいました。美味しかったので後悔はしていませんがね。 -
6月2日の夜、熊本のローカルフードの太平燕で〆にするために行った紅蘭亭。
翌日の昼、素面でも太平燕を食べようと行ったところ、檄混みで断念しました。
紅蘭亭は昭和9年(1934)開店。太平燕の発祥店との説も有ります。
太平燕は、美味しいもののあっさり味なので、昼なら酢豚・白飯とのセットメニュー(980円)が良さそうです。ただし、私も出会ってしまいましたが檄混み。
一品料理の方も、美味しい、一品千円前後、5人くらいで取り分けられる量があるなどで、かなり魅力的です。また、店員のチャイナドレスが素敵なので、夜の飲み会に利用すると、かなり楽しいことになると考えます。紅蘭亭 下通本店 グルメ・レストラン
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太平燕は、春雨を使った豚骨スープの五目ソバです。豚骨スープなのに何故かとてもあっさりしており、〆のメニューには最適でした。
紅蘭亭も、太平燕の発祥店の一つとされていますが、東京人にとって有名だったのは、交通センター内にあった中華園の方。
中華園は、昭和8年(1933)、福建省出身の華人の趙慶餘(けいよ)氏が熊本市中心部で開店。1973年に交通センター(熊本県庁跡地に1969年オープン、1973年増築)内のレストラン街へ移転。しかし、交通センターは、核テナントのデパートが不振で撤退するなどで建て替えることになり、2015年閉店しました。そのため私は未食です。 -
1日目 10月1日(木)
麺類に関しては此処で終わり。観光コースに変わります。
今回2泊するホテルは、市電で行ける新市街の東横インです。そこで、県庁前の坂を下って、市立体育館前の停留所へ行きました。
前回の岡山市と同様、レトロな路面電車が活躍しています。 -
何故か嬉しいのでもう一枚。
この停留所から市電に乗り、ホテルに近い辛島町で下車しました。
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写真は、市役所14階の展望ロビーで撮ったものです。天守閣の手前は、平成20年に完成した本丸御殿です。
この旅行計画を組んでいた時、市役所の展望ロビーが、熊本城のビュースポットだと知りました。そこで、ホテルに荷物を置いて直ぐに、市役所へ向かいました。
旅行時は、役所のことだから17時までしか居られないと思い込んでいましたが、帰宅してから市役所のホームページを見ると、開放時間が8:30〜22:00となっています。ダイニングカフェ(11:00〜22:00)も遅くまで営業しています。知っていれば、夜景を見に行ったのに残念です。熊本市役所本庁舎 名所・史跡
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熊本城の天守閣は復元です。そのため、旅行中の私の興味は、天下の名城と言われる基礎であり、西南の役で3倍以上の西郷軍を防ぎ止めたという石垣だけでした。
ところが、この旅行記を書いている最中、写真がどの場所なのかを確認するために熊本城の公式ホームページを見たところ、西南の役でも焼けずに残った建物が幾棟もあり、重要文化財に指定されていることを知りました。
それらの建物を撮っていれば嬉しいと思って調べてみると、運良く何枚かあったので載せます。
最初は、市役所展望台から天守閣を撮した際に写り込んでいてくれた重文の櫓群です。石垣上に建っている連続した建物で、中央から右手に向かって順に、田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源乃進櫓の5棟です。雲がかかって少し暗いのが残念ですが、城の全体像が判る良い写真でした。 -
上の写真の左手には、飯田丸五階櫓があります。
明治初期に置かれた鎮台が棄却したものの、平成17年復元
上の写真の櫓群を右へ回り込むと、重文の東十八間櫓、北十八間櫓、五間櫓、不開門、平櫓が、更に進んで天守閣の裏手に当たる位置には、20mの石垣上に3層5階地下1階、地上約19mの宇土櫓(重文)があります。
宇土櫓の高さは、姫路城、松本城、松江城に次ぐものなので、他の城なら天守閣の規模です。このことからも、熊本城の規模の大きさが想像できます。
この旅行記を書くまでは、「熊本城は再建天守閣に過ぎない」と少々侮っていました。下調べ不足の今回の城攻めは、谷干城が率いる鎮台兵を農民上がりと見下した示現流と同様に負け戦のため、再訪の要有りです。 -
城の知識は無かったものの、石垣を見たいこと、伝統工芸館という何かありそうな名称、県立美術館にはルノアールがあるという情報に惹かれて、市役所を起点に石垣の外周を反時計回りに散歩することにしました。
この写真は、熊本県美術館分館と熊本県伝統工芸館の中間地点から、重文の五間櫓を撮したもの。
左の石垣を鍵の手に回ったところに東十八間櫓、北十八間櫓があります。 -
熊本県伝統工芸館は、県内の伝統工芸品の展示と販売を行っています。
熊本の工芸品について概観できたので勉強にはなりましたが、肥後象眼以外はありふれたものばかり。また、小規模すぎて見所が乏しい上、観光ルートから外れてることもあり、活用するには他の施設との連携が絶対に必要なのに、それが全くできていないません。これでは、田舎によくある、お荷物施設です。 -
この写真は、熊本県伝統工芸館の駐車場から撮ったもの。
左側が大天守で、右側は小天守。
石垣上の櫓は重文の平櫓です。 -
これは、石垣に近づいて撮したもの。
手前が小天守、奥が大天守閣
多くの人が出入りしている二の丸駐車場、桜馬場方面より、こちらの方が、熊本城を特徴付ける石垣のラインの美しさがはきり見えるように思います。 -
二の丸にある県立美術館近くで、三の丸の駐車場へ降りていく途中にあった石垣です。枡形の遺構だと思えます。
枡形は、城の防衛上最も弱点となる出入り口です。そのため、石垣の上には櫓を、切り欠け部分には扉を幾重にも設けて押し入る敵を防いでいました。城の遺構としては重要な部分なのですが、熊本城の資料には何もありません。 -
二の丸県立美術館前から撮した写真には、重文の宇土櫓も入っていました。
それも、背景に天守閣(右:大天守、左:小天守)が入っているというドンピシャの写真です。
なお、西南の役の総攻撃を受ける3日前に出火するまでは、宇土櫓と同規模の櫓が5棟(築城当時は6棟)も存在していたそうです。 -
二の丸にある県立美術館と、併設の細川コレクション永青文庫の展示室を見てきました。お目当てのルノアールは私好みのタッチでない、永青文庫は能面が殆どで理解不能という結果で少し残念でした。
なお、永青文庫は、肥後熊本藩主の細川家に伝わる美術品、歴史資料等を保護するために、細川家16代護立氏が昭和25年(1950)に設立した公益財団法人で、細川家の下屋敷があった目白台を本拠に、国宝8点、重要文化財31点を含む約9万点を所蔵しています。此処の展示室には、永青文庫の所蔵品、寄託品が置いてあります。熊本県立美術館(本館) 美術館・博物館
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二の丸駐車場から見た天守閣です。
ここへ来てやっと、修学旅行生、外国人を含めた大勢の観光客を見ることができました。
天守閣へは、ここから大手門を通っていきます。城の正門は大手門です。こちら方面がお城の正面なので、現在の熊本の繁華街は城の裏手に当たるようです。 -
桜馬場にある城彩苑。何処にでもあるような、あまり流行っていない土産物屋市場です。
何れにしても、二の丸駐車場→天守閣→城彩苑のコースは、熊本城見学の最悪の選択と言えるでしょう。 -
通町筋停留所から見た熊本城です。
市電の新旧の車両と熊本城との対比は、とても良い景色でした。
なお、石垣上の手前の建物は、先にも書いた重文の櫓、その後ろは本丸御殿と天守閣です。 -
出張旅での最初の飲み会は、桂花本店の地下の居酒屋です。
飲み放題30分360円の看板に惹かれて入ったものの、1時間以上にしてくれと言われました。それなら普通の値段じゃないかと思ったものの、料理は普通に美味しかったので許すことにしました。
ただ、2度と行かないことは確実です。 -
辛子蓮根は作りたてに限ると感じた1品
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地上に出て隣のキャサリンズバーへ入りました。
立ち飲みですが、カクテルを含め殆どが1杯600円だし、美味しいので、旅行中2回も行ってしまいました。2泊なので結果的に毎晩キャサリン'sBAR グルメ・レストラン
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6袋入りのアラレ1,000円です。
意外というレベルではない美味しさでした。
今後、熊本に行く機会があれば、必ず買ってくるつもりの品です。 -
これは、翌日の朝撮った写真です。
キャサリンは熊本出身のタレント「スザンヌ」の母親だということでも有名ですが、そんなことを抜きにして十分楽しい店です。 -
2日目 10月2日(金)
仕事が終わってから飲み会の間まで少し時間があったので、水前寺公園へ行ってきました。水前寺成趣園 名所・史跡
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水前寺公園は、典型的な地泉回遊式の大名庭園です。
昔の記憶では、池の中から大量に地下水が湧きだしていたはずなのですが、湧水源は殆ど見えませんでした。
この日の飲み会は、前日の居酒屋近くの海鮮居酒屋→キャサリンズバー→紅蘭亭で紹興酒・クラゲ・ピータン・太平燕で〆となりました。 -
10月3日(土)
本日は、SL人吉に乗る日です。
そのため、市電でJR熊本駅まで行きました。
写真は、駅前の停留所にいた新型車両です。黒いせいか妙に迫力があります。 -
SL人吉は、名前のとおり人吉行きです。
熊本発09:45→人吉着12:13、人吉発14:36→熊本着17:14です。
本当は、人吉まで行って転車台での方向転換とその後の連結作業を見たかったのですが、私が乗る飛行機は、熊本空港を15:44に飛び立ちます。色々とあがいてみましたが、人吉往復はどうしても無理でした。
こんなドジを踏んだのは、往復の飛行機を予約した→そういえば土曜日も熊本にいる→SL人吉へ乗れるかも、の順番で思考回路が動き始めたためです。
飛行機のチケットを変えれば全て解決なのですが、列車に乗りたいからという理由で庶務に申し出れば何か言われそうです。ということで、八代までの往復で我慢することにしました。 -
SL人吉の入線です。
バックとはいえ、DL(ディーゼル機関車)に引っ張られるのは何故か悲しい思いです。 -
とはいえ、この黒塗りのDLは、それなりの迫力がありますた。
なお、DE10は、動力関係が、約1300馬力のディーゼルエンジン1機、動輪5軸(台車:3軸+2軸)、エンジン室・凸形に飛び出した運転室・補機室の順に配置したため前後が非対称のディーゼル機関車です。
昭和41年(1966)〜昭和53年(1978)の間に708両製作された古強者で、ローカル線、操車場の入れ替え等で活躍していました。 -
SL人吉を牽引する機関車の58654です
蒸気機関車といえば、C57、C62なら3軸が動輪、D51なら動輪が4軸などと、頭のアルファベットで区別できることが多いのですが、この機関車の番号は全く違います。
理由は、C、Dという符号が、昭和3年の車両形式称号規程の改正によって定められたもののため、大正時代に作られた58654は、明治42年(1909)の規定によっているからです。
では、この機関車の素性はというと、形式が8620形で、製造番号が435番というものです。SL人吉 乗り物
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この機関車が、大正11年(1922)に日立製作で製造された8620という形式だということは、この写真からはっきり判ります。
なお、右上の熊というプレートは、熊本機関区所属を示しているのだと思えます。
では、435番目に作られたことが何故判るかというと、この形式の機関車は、8620が1号機で、8699が80号機、18620が81号機というように、80番めごとに万の位が増える80進法を取っているからです。こんな面倒な番号付けは、8700形という機関車が別にあるためです。
やたら大きな数字のくせに、判り難い明治の呼称規定でも、それなりにルールはあったようで、給水タンクと石炭置き場が一体となったタンク車は3軸が1000-3999、4軸が4000-4999、給単車が独立しているテンダー形は3軸が7000-8999、4軸が9000-9999というように番号を割り振っていました。
がしかし、数字だけでは訳が判らなくなってしまったし、使える番号も不足してきたため、昭和3年に呼称の改正が行われました。 -
昭和3年の車両称号規定の改正により、頭のアルファベットが動輪の数、次の2桁の数字は形式、その後の数字は製造番号となり、著しく判り易くなりました。
なお、形式の数字は、タンク式が10-49、テンダー形が50-99です。
また、改正された時に製造中の車両は、以下のように名前を変更されました。
大正 8年(1919)?昭和3年(1928)に製造されていた18900がC51へ
大正14年(1925)にアメリカから輸入し昭和3年(1928)改修の8200がC52へ(全6両)
大正12年(1923)?昭和6年(1931)に製造されていた 9900がD50へ、 -
よく見てみると、煙突がなんともレトロです。それもそうですね、大正11年(1922)生まれの93歳なのですから。
でも、デフレクター(除煙板)の形がドイツ形です。門鉄デフとも呼びますが、私の好みは、D51、57、58のようなフルカバーなので、ちょっぴりガッカリ。 -
SL人吉の客車は、3両編成で、人吉側の1号車は写真のような展望室付きで定員40名、2号車は軽食や土産を売っているビュッフェがあって定員48名、熊本側にも展望室が付いており定員44名です。
客車の基は、昭和52年(1977)から製造された50系で、水戸岡氏が改装を担当したものです。木材を多用していて雰囲気は良いのですが、飾ってある鉄道模型のゲージ(縮尺)がバラバラで、水戸岡という人は、本当は鉄道にあまり興味を持っていないのではないのかと感じました。
途中、添乗のオネーサンが、コスプレの写真を撮ってくれるイベントや、蒸気機関車に関するクイズなども行われていました。
でも、乗っていると、炭水車のお尻が見えるだけです。石炭の懐かしい匂いがし、ドラフトもよく聞こえるので、乗り鉄にはこたえられないでしょうが、撮り鉄には向きません。 -
この機関車の歴史が、炭水車の最後部に張ってありました。
-
田んぼの中をのんびりと走っています。上空には黒煙が。
蒸気機関車を調べているうち、鉄道の歴史も判ってきたので、組織の変遷を中心に記しておきます。
明治 4年(1871) 工部省鉄道寮(1877年改称:工部省鉄道局)設置
明治 5年(1872) 新橋 - 横浜間開通(29km)
明治39年(1906) 乱立した私鉄を買収するために鉄道国有法が成立
明治40年(1907) 不振私鉄の買収完了(国営鉄道の軌道総延長は7千kmになる)
明治41年(1908) 内閣鉄道院を設置(初代総裁は後藤新平)
明治42年(1909) 車両形式称号規程を制定
大正 9年(1920) 鉄道省へ
昭和 3年(1928) 車両形式称号規程を改正
昭和18年(1943) 運輸通信省へ
昭和20年(1945) 運輸省へ
昭和24年(1949) 日本国有鉄道へ
昭和62年(1987) 分割民営化 -
八代駅に停車中です。
8分停車なので、多くの乗客が降りてきて写真を撮っています。 -
10時38分 八代発車です。
此処で下車したのは私だけなので、お見送は1人です。 -
表紙をこちらにしようかと迷った1枚です。
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目の前を通過。
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行ってしまいました。
熊本→八代は、平坦な田園地帯なので、沿線の景色を楽しむなら、この先なのでしょうね。
残念!! -
八代駅は、写真のように肥薩線の起点でした。
駅前は、客待ちのタクシーだけが目立つ何も無い広場でした。 -
熊本までは、11:06発のJR九州横断特急4号・別府行に乗りました。
私には珍しい気動車の特急です。
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一寸くすんでいますが、車体はシックな朱色だし、ロゴもお洒落っぽいですね。
-
このキハ185も、水戸岡氏が改装を担当した車両ですが、窓枠の木造部分がハゲチョロケで笑ってしまいました。
-
熊本の車両基地です。
実は、此処に転車台があることを知っていました。
人吉では、近くで見られると聞いていましたが、今回は途中下車なので見ることができません。そこで、機関車は乗っていなくても、実物の写真だけは撮ってやろうとカメラを構えていました。 -
チョイと、シャッターが遅れてしまいましたが、転車台を撮せました。
熊本到着後は、市電で通筋町で下車し、新市街を流して桂花本店の五香肉麺(ウーシャンローメン)880円を食べ、熊本空港から羽田経由で帰宅しました。
行きの飛行機も、Jalの767なので座席は広かったのですが、帰りのクラスJは段違いに快適でした。
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