2016/06/24 - 2016/06/24
330位(同エリア2887件中)
玄白さん
オーストリア・チェコ一ヶ月のんびり旅の個別旅行記第3弾は、740年にわたってバイエルン公国、王国としてドイツ南部地域を支配し続けたヴィッテルスバッハ家の宮殿、レジデンツの見学記である。
大陸ヨーロッパの近世史の中での王家は、フランスのブルボン家、オーストリアのハプスブルク家の知名度がダントツ。神聖ローマ帝国の一諸侯国に過ぎないバイエルンや、ヴィッテルスバッハ家については、あまり知識はなく自分の頭の中の欧州史ではほとんど存在感がなかった。
だが、レジデンツをたっぷり半日以上かけて見学し、その絢爛豪華な宮殿、代々伝わってきた夥しい宝物の数々を目にして、ヴィッテルスバッハ家の財力、権力の大きさを実感し、いささか歪んでいた頭の中のヨーロッパの歴史を正された思いをしたのであった。
なお、今回の旅行スケジュールは旅行記ダイジェスト版に記載の通り
http://4travel.jp/travelogue/11152503
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
当初、ミュンヘンはフライトの都合でオーストリア・ザルツカンマーグートに行くための通過点でしかなかったのだが、連れ合いがノイシュバンシュタイン城に行きたいというので3泊のミュンヘン滞在に計画変更した。
どうせ、観光するならノイシュバンシュタイン城だけでなく、ミュンヘン市内も一日観光しようということにしたのである。
いざ、観光しようとなると、ミュンヘンも見所に事欠かないが、やはり何をおいてもバイエルン王国の宮殿「レジデンツ」に行かねばなるまい。
トラム19番にてオープン直後の9時過ぎにレジデンツへ -
マックス・ヨーゼフ広場にやってきた。
広場の中央に建っている銅像の人物、マックス・ヨーゼフは神聖ローマ帝国を構成するバイエルン公国の最後の選帝侯(皇帝を選出する選挙の投票権を有する貴族)だったが、ナポレオンの侵攻により、神聖ローマ帝国は崩壊。フランスやハプスブルク家のオーストリアとの虚々実々の外交駆け引きの結果、ドイツ南部地域の領土・主権の保全の約束を取り付け、バイエルン王国を建国し、初代国王となった。バイエルンを公国から王国に格上げし、バイエルン中興の祖と言える。
ミュンヘンの町の骨格は、ほぼマックス・ヨーゼフの時代に出来上がった。
彼の正式名は「マクシミリアン・マリア・ミヒャエル・ヨハン・バプティスト・フランツ・デ・パウラ・ヨーゼフ・カスパール・イグナティウス・ネポムク」という落語の寿限無も顔負けするほどの長ったらしい名前である。 -
マックス・ヨーゼフの銅像の背後の、一見現代的なビルディングのような、そっけない建物が歴代バイエルン公国、バイエルン王国の宮殿「レジデンツ」である。現在は、博物館、宝物館として一般公開されている。
さて、いよいよ宮殿内部へ。入口は、建物中央の赤い日よけのようなものがかかっているところである。
入場料は、博物館、宝物館ともに7ユーロだが、65歳以上はシニア割引で4.5ユーロになる。年齢は自己申告で、特にパスポートなどでチェックするわけではない。連れ合いは60歳で割引はされないのだが、受付のお兄さんが、奥さんは学生割引にしてあげようと、二人とも4.5ユーロで済んだ。ドイツ人は堅物が多いと思っていたが、なかなか粋な計らいをしてもらってラッキー! -
イチオシ
さて、チケットを購入し、オーディオガイドを借りて見学スタート。なお、オーディオガイドは日本語版はないので英語版を借りた。
レジデンツは1385年、バイエルン公シュテファン3世時代に建設されたが、歴代のバイエルン公国、さらに王国になってからも400年にもわたって増改築が続けられたため、宮殿内部は広大で複雑に入り組んでいる。建築様式としても、当時のものが取り入れられているので、ルネサンス、ロココ、バロック、新古典主義様式が混在している。
まさに、建物、部屋およびその装飾が、博物館の展示品になっているのである。
写真はレジデンツのなかでも一番の見どころ、アンティクヴァリウムという大ホール。16世紀のアルプレヒト5世時代に建てられたもので、現存するレジデンツの中では最も古いものだという。
長さ69mのルネッサンス様式の丸天井にはびっしりとフレスコ画が描かれており、一歩足を踏み入れると、思わず「オ〜ッ」と感嘆の声が出る。 -
ホールの側面には、バイエルン公アルプレヒト5世が収集したという古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻作品がずらりと並んでいる。ただし、半分ほどは考古学的な本物ではなく、ルネッサンス時代のイタリアで作られた模造品らしい。
ヴィッテルスバッハ家の家系は1180年にオットー1世が神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ1世からバイエルン地方を賜ったことに始まっている。代々、神聖ローマ帝国選帝侯としての地位を保ち続け、ナポレオン侵攻により帝国が崩壊した後は、立憲君主制のバイエルン王国としてドイツ南部を支配し続けた。第1次世界大戦後の混乱の中で1918年に第6代国王ルートヴィヒ3世が退位するまで、実に700年以上にわたって、バイエルンの支配者であり続けたのである。
日本史と引き比べると、平安時代末期の源平の合戦のころから大正時代まで一国の君主として君臨しつづけたということになる。政治的実権を持ち続けた期間としては驚異的な長さである。 -
天井に描かれたフレスコ画
一つ一つじっくり見ていたら、いくら時間があっても足りない。 -
ホールの両サイドには祭壇が置かれている。ヴィッテルスバッハ家の紋章のところにだけ、スポットライトが当てられている。
-
イチオシ
祖先画ギャラリーと呼ばれている回廊。
ヴィッテルスバッハ家が支配を始める前のバイエルン地方を治めていた貴族の肖像も含め、121人のヴィッテルスバッハ家当主とその一族の肖像画が壁にずらりと並んでいる。
天井の漆喰と金細工がまばゆいばかりに絢爛豪華! -
ヴィッテルスバッハ家歴代当主の一部
-
超細密なゴブラン織りのタペストリーやら、
-
宝石が埋め込まれた豪華なキリスト教祭具なども、ふんだんに展示されている。
ヴィッテルスバッハ家は30年戦争(ドイツ国内のカトリック・プロテスタント両派の争いに各国がそれぞれの側について戦った1618年から30年間続いたヨーロッパの動乱)でカトリック側に付いた有力諸侯のひとつだった。そんな歴史があるためだろうか、カトリックの儀礼で使用されたと思われる宗教儀礼用祭具が、とても充実している。 -
黒い聖母がはめ込まれた小物入れのようなもの? 何に使ったのだろうか。
黒い聖母のモチーフは、ヨーロッパのあちこちで見られるが、初期キリスト教ではマリア崇拝はなかった。土着の豊穣の大地の女神信仰をキリスト教布教のために取り込んだということらしい。 -
-
宮廷礼拝堂。
バイエルン公マクシミリアン1世の治世、30年戦争の時期に作られた。
なお、当然ながらバイエルン王国初代国王マクシミリアン1世とは別の人物である。ヨーロッパ史では、同名の人物が多く、ややこしい。
マクシミリアン1世は、この礼拝堂だけでなく、大々的にレジデンツの拡張をしたり、ルーベンスやデューラーらの絵画を買い集めたりした。 -
この宮廷礼拝堂が作られたころはまだロココ様式が生まれる前なので、金ぴかの装飾はないが漆喰に彫り込まれたレリーフは、精巧で素晴らしいものがある。
-
イチオシ
1607年に完成したマクシミリアン1世と、その妻の専用の祈祷堂。マクシミリアン1世は、熱心なカトリック信者だったらしい。
天蓋の金細工が豪華だ。 -
壁は人造大理石を使った精巧な幾何学模様のデザインで埋め尽くされている。
-
床も美しい人造大理石のモザイクで仕上げられている。
-
膨大な銀食器が集められた銀の間。
今回の旅行ではウィーンの王宮内のシシィ博物館でもハプスブルク家の銀食器のコレクションを見る機会があったが、それにも匹敵するほどのコレクションである。 -
2階に上がると、次から次へと趣向を凝らした美しい部屋が現れる。じっくり見ていると一日では回り切れないほどだ。
-
16世紀後半に人造大理石で作られた豪華なテーブル。こんな手作りの貴重な家具が、どの部屋にもゴロゴロしている。
-
やはり16世紀後半にベルギーで作られたタペストリー。
この頃は、ベルギーのフランドル地方がヨーロッパのタペストリー制作の一大中心地だった。原料の羊毛は、地理的に近いイギリスから輸入されていた。
ヨーロッパの貴族の間でタペストリーがもてはやされたのは、その装飾的な美しさに加え、持ち運びが可能だったので、別荘や旅先の滞在先にも持って行って鑑賞できたこと、壁にかけておけば断熱効果で厳しい冬の暖房効果もあったからだという。 -
四季の間という部屋に飾られたタペストリー
<タペストリーと狼とペスト>
中世ヨーロッパが暗いイメージを伴う理由の一つがペストの大流行で甚大な犠牲を出したことだろう。古代にはアジアに限定されていたペストがヨーロッパに蔓延したのは、モンゴル帝国の東ヨーロッパへの侵入、商業の発展により東西交易が盛んになったことだと言われている。ペスト菌を媒介する蚤がクマネズミに寄生していて、人の移動とともにクマネズミが侵入してペスト菌を持つ蚤を広めたのである。
流行の最大要因は、当時のヨーロッパの衛生環境が劣悪だったこと、ペストに対する知識の乏しさだったことは疑うべくもないが、流行を促進する別の要因があったという。それは、家畜を襲う害獣として狼を捕獲したため、天敵が減ったクマネズミが大量繁殖したこと、さらに壁にぶら下げたままのタペストリーがクマネズミにとって絶好の住処になったからだというのである。
なにやら、風が吹けば桶屋が儲かる式の論理ではあるが、はたして・・・?
狼を害獣として絶滅させてしまった結果、鹿の食害が問題となっている現代日本と共通する面があるな〜。人間の身勝手な目先の利益追求が自然のバランスを崩してしまい、ロクなことにならない好例といえるだろう。 -
話が脱線した!
四季の間の天井画。
中央の絵が一年を表し、その周りの4つの絵が春夏秋冬を表す寓意画だと解説されているのだが、なぜこれが四季を意味しているのか理解不能。 -
世界の間と名付けられた小部屋に置かれていた銀のレリーフで飾られた豪華な置き時計。
部屋の名前の由来は、天井画が世界の支配者たる人類の寓意を持つものだったということだが、現在はその天井画は失われていて見ることはできない。
この部屋に限らず、宮殿の相当な部分が第2次世界大戦末期に連合国軍の爆撃で破壊されてしまった。かのアンティクヴァリウムも甚大な被害を被ったという。幸いなことに、持ち運び可能な宝物類は爆撃を受ける前に安全なところに運び出されて難を逃れた。
終戦後、40年の歳月をかけてほぼ元通りに復元された。それを可能にしたのは、建物の詳細な資料が作成・保存されていたからだという。博物館大国ドイツの国民性が感じられる話ではある。 -
元素の間という部屋の色鮮やかなタペストリー。
部屋の名前は昔は4つの元素の間と呼ばれていたという。4元素とは言うまでもなく「自然界は火、風(空気)、水、土という4つの元素からできている」という古代ギリシャから18〜19世紀のヨーロッパで信じられていた説に基づく。
いまだ、復元されていない天井画は、自然とカオスの神パーンが描かれていたのが名前の由来だそうだ。 -
部屋の装飾の一部。純白の漆喰と金細工が清楚な美しさを醸している。
-
4頭の白馬の間と言われるホール。
天井には4頭の白馬が繋がれた馬車に乗るアポロンの絵が飾られていたそうだ。
この部屋も1944年の連合軍の空襲で破壊されてしまったが、1980〜85年に修復された。中央の天井画だけはいまだ復元されていない。
17世紀には皇帝のダイニングルームとして使われていたと説明書きがあった。この時期の神聖ローマ帝国皇帝はヴィッテルスバッハ家ではなくハプスブルク家から輩出されていたから、ハプスブルク家出身の人物が、ヴィッテルスバッハ家の宮殿に滞在し食事をしたということなのだろうか? -
皇帝の階段と言われる階段室に通じる廊下。
廊下にも、おそらく莫大な費用がかかってであろうきらびやかな装飾を施したヴィッテルスバッハ家は、財力という点では、ハプスブルク家やブルボン王朝にも引けはとっていなかったのではないか。
もっとも、バイエルン王国後半のルートヴィッヒ2世の時代には、彼の中世ロマン実現のためのノイシュバンシュタイン城、リンダーホーフ城建設のために借金を重ね、レジデンツに資金を回す余裕はなかったであろうが・・・ -
2階の部屋を見学中に見えた「皇帝の中庭」。ここも見所らしいのだが、今は工事中で殺風景な状況になっている。
-
皇帝の階段。
これも17世紀初頭にマクシミリアン1世大公が作った。
皇帝の中庭から皇帝の間、4頭の白馬の間(皇帝のダイニングルーム)に向かう儀礼的な通路として使われた。
壁面には、ヴィッテルスバッハ家の始祖オットー1世、8世紀にフランク王国としてドイツ、フランスを含むヨーロッパ全域を統一国家にまとめ上げたシャルルマーニュ、ヴィッテルスバッハ家出身の神聖ローマ帝国皇帝ルートヴィッヒ4世のスタッコ(化粧漆喰)で作られた銅像が飾られている。 -
-
精巧な細工が施された箪笥のような家具。工芸品としては見事な品だが、あまり実用的には見えないな。
各部屋に置かれた家具、装飾品は、あまり近づけないようにロープを張ってあるものと、アクリル板で囲ってあるものがある。アクリル板で仕切りをしてあるものの方が、より価値が高いのかな? -
裁判の間の天井画。
この天井画の寓意は分かりやすい。 -
この部屋はもともと国王が引見のために使っていた部屋だという。
-
まだまだ、部屋が続く・・・
-
凝った意匠のテーブルとタペストリー
-
レジデンツのジオラマが展示されている部屋があった。あまりに広くて、現在位置がわからない。
-
応接間として使われていた部屋。
壁一面が金色のダマスク織りが張られたまばゆいばかりの部屋。壁に架けられている肖像画は初代バイエルン国王マクシミリアン1世の夫人たち。マクシミリアンは2回結婚している。 -
カロリーネ・アウグスタの肖像。初代バイエルン王マクシミリアン1世の娘である。
ヴュルテンベルク王太子ヴィルヘルムと結婚したが夫に先立たれ、2度目の結婚でハプスブルク家のフランツ1世に嫁いでいる。81歳という当時としては長寿を全うした人である。 -
音楽の間
ハープやチェンバロが置かれている。これらも初代国王マクシミリアン1世のものだそうだ。
マクシミリアンに限らず、歴代のバイエルンのリーダーたちは美術、音楽、工芸など芸術に関心が高く、芸術家たちの育成に力を入れたという。 -
初代国王マクシミリアンと夫人のカロリーネ・バーデンの寝室。他の絢爛豪華な部屋に比べると、上品だが落ち着いたシックな感じの部屋である。キンキラキンの豪華な部屋では、おちおち寝てられなかったのだろうか。
-
黒の大広間。
きらびやかなシャンデリアが目を引く。16世紀末にウィルヘルム5世バイエルン大公によって作られた。黒い人造大理石製の部屋の入口があることから、黒の大広間と呼ばれている。
天井の窓はだまし絵である。1944年の空襲で破壊されたが、1979年に1602年のオリジナルのデザイン通りに復元された。17世紀初頭のデザインが資料として残っていたというのがすごい。 -
選帝侯の寝室
刺繍が施された絹で壁が覆われている。 -
伊万里焼のコレクションもあった。18世紀前半には大量の伊万里焼が日本からもたらされた。主たる輸入業務は、ドイツ東インド会社が担っていたと解説には書かれているが、そんな会社あったかな? イギリス、オランダやポルトガルには東インド会社があったが・・・
-
第1控えの間(右下)と第2控えの間(左上)。いずれも国王との謁見のために訪れた来訪者が待機する部屋だったが、第2の方が格上の人用。
壁のクロスのデザインはそっくりだが、天井の装飾が第2の方が豪華な造りになっている。 -
グリーンギャラリー
宮廷の儀式のための集合場所として使われていた。壁にはグリーンの絹のダマスク織りが張られている。 -
絵画もすばらしが、精巧な細工の金の額縁が見事。
-
イチオシ
会議の間という部屋に向かい合った鏡がある。多重反射で無限に部屋が続いているように見える。
-
公式寝室or国家寝室(State Bedroom)という変な名前の寝室。選帝侯のプライベートな寝室として使われたものではないと解説されている。公式なあるいは国家的な目的のための専用に作られた寝室というのだが、ベッドルームを使う公式行事とはどんなものだったのかな?
フランスのブルボン王朝時代は、王妃の分娩シーンを一般の人に公開していたという話を聞いたことがあるが、そんなことをしていたのかな・・まさか! -
鏡のキャビネットの間。
-
金と陶器をあしらった装飾が美しい。
-
以上でレジデンツ博物館の見学は終了。すでに正午に近い。
引き続きレジデンツ宝物館へ。一旦チケット売り場そばのオーディオガイドレンタル受付けに戻り、宝物館用のオーディオガイドに変更してもらい、別の入口から宝物館に入る。 -
レジデンツ博物館でもたくさんの宝物を見ているので、この頃にはいささか食傷気味になってはいたが、すでに宝物館のチケットを併せて買ってしまっているので、見ないわけにはいかない。
立体的な造型が美しいマイセンの白磁。さすが、西洋磁器の最高峰、マイセンである。見事というほかない。今年4月にサントリー美術館で見た宮川香山の高浮彫技法による立体的な陶器作品を思い出す。彼もこんなマイセンを研究したのだろうか。 -
イチオシ
夥しい王冠を集めた部屋もある。全部撮っていたらきりがない。
左上:神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ2世の王冠
右下:バイエルン王国の王冠 これはパリで作らせたものだという
ルビー、サファイア、エメラルド、真珠など様々な宝石が埋め込まれた超豪華な冠。時価にするといくらになるのだろうかと下世話なことを考えてしまう。
戴冠式のときぐらいしかかぶらないのだろうが、重そうである。 -
装飾的なカップ。実用的とは思えない
-
これも装飾細工が施されたカップ。こんなのでビールを飲んだらどんな味がするだろうか。
-
飾り箪笥
-
銀の糸巻き機
-
携帯用食器セット。王族がピクニックに出かけるときに使ったものだろう。
-
午後2時、ようやくレジデンツ博物館、宝物館の見学終了。
-
いささか、疲れたので一旦ホテルに戻り休憩。午後には夕食を兼ねてまた旧市街に戻ってこよう。写真はレジデンツの隣りに建つバイエルン州立歌劇場。
レジデンツの規模、宮殿内の装飾、工芸品のすばらしさは予想を超えるものだった。これだけの宮殿を造営するだけの権力・財力がありながら、ヴィッテルスバッハ家はドイツ語圏の中で、なぜオーストリアのハプスブルク家、プロイセンのホーエンツォレルン家を凌ぐ版図拡大、勢力争いで優位に立てなかったのだろうか。それを調べてみるのも面白い歴史テーマではある。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ミュンヘン(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
62