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小泉町のコスモス畑を見に行った帰りに、近くの小泉稲荷神社に寄ってきました。<br /><br />境内の石碑によると……<br /><br />小泉稲荷神社は、御祭神として倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)を お祭りしています。<br /><br />山城国伏見稲荷大明神の御分霊を奉紀し、住民の安穏と五穀豊穣を祈願し崇敬の道を教えるため、十代崇神天皇の御代に創建されたと伝えられている。<br />其の後、慶長5年(1600)、此の地の領主・久永源兵衛崇敬の念があつく、敬神の範を示した為に領民は氏神としたといわれる。特に江戸時代末期の祭礼日には近郷近在の参詣人で非常に賑わったといわれている。<br /><br />明治、大正時代を経て昭和初期に社殿を改築した。<br />その後、昭和36年4月、社殿運営の奉賛会を組織し、崇敬者の多数の御協賛により現在の社殿を造営した。<br />以来、稲荷大明神の御神威益々輝き、霊験あらたかな御神徳を仰ぎ、幸福を願う崇敬者は現在数十万人にも及ぶ賑わしさになる。<br /><br />社前には二百数十基にも及ぶ鳥居が奉納されている。<br />尚、崇敬者の真心を顕現し小泉稲荷神社の神域の基礎と神威の象徴を明らかにするため大鳥居建設奉賛会を組織し、万余人に及ぶ崇敬者の御協賛をいただき昭和56年4月、高さ22.17mの大鳥居を竣工した。<br />平成17年12月に、拝殿屋根改修を行った。

小泉稲荷神社(群馬県・伊勢崎市)

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2015/10/14 - 2015/10/14

145位(同エリア188件中)

minaMicaze

minaMicazeさん

小泉町のコスモス畑を見に行った帰りに、近くの小泉稲荷神社に寄ってきました。

境内の石碑によると……

小泉稲荷神社は、御祭神として倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)を お祭りしています。

山城国伏見稲荷大明神の御分霊を奉紀し、住民の安穏と五穀豊穣を祈願し崇敬の道を教えるため、十代崇神天皇の御代に創建されたと伝えられている。
其の後、慶長5年(1600)、此の地の領主・久永源兵衛崇敬の念があつく、敬神の範を示した為に領民は氏神としたといわれる。特に江戸時代末期の祭礼日には近郷近在の参詣人で非常に賑わったといわれている。

明治、大正時代を経て昭和初期に社殿を改築した。
その後、昭和36年4月、社殿運営の奉賛会を組織し、崇敬者の多数の御協賛により現在の社殿を造営した。
以来、稲荷大明神の御神威益々輝き、霊験あらたかな御神徳を仰ぎ、幸福を願う崇敬者は現在数十万人にも及ぶ賑わしさになる。

社前には二百数十基にも及ぶ鳥居が奉納されている。
尚、崇敬者の真心を顕現し小泉稲荷神社の神域の基礎と神威の象徴を明らかにするため大鳥居建設奉賛会を組織し、万余人に及ぶ崇敬者の御協賛をいただき昭和56年4月、高さ22.17mの大鳥居を竣工した。
平成17年12月に、拝殿屋根改修を行った。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車

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  • コスモス畑に隣接する大鳥居の下、Y字路の分かれ目に「左500m 小泉稲荷神社」の看板が、倒れていました。<br />赤白縞のコーンが置いてあるところに建っていたようですが、支柱のパイプはちぎれて倒れています。自動車が衝突したのかもしれません。

    コスモス畑に隣接する大鳥居の下、Y字路の分かれ目に「左500m 小泉稲荷神社」の看板が、倒れていました。
    赤白縞のコーンが置いてあるところに建っていたようですが、支柱のパイプはちぎれて倒れています。自動車が衝突したのかもしれません。

  • Y字路を左へ、コスモス畑のテントの前の道を東へ進むと、沢山の鳥居が見えてきます。

    Y字路を左へ、コスモス畑のテントの前の道を東へ進むと、沢山の鳥居が見えてきます。

  • 鳥居群の手前の左側を見ると、立派な建物があります。

    鳥居群の手前の左側を見ると、立派な建物があります。

  • 更に、東に進むと、敷地の東側に駐車場の入口があります。写真の右の鳥居をくぐって駐車場に入ります。

    更に、東に進むと、敷地の東側に駐車場の入口があります。写真の右の鳥居をくぐって駐車場に入ります。

  • 駐車場の入口です。<br />駐車している車の向こう側に赤く見えているのが、奉納された鳥居です。

    駐車場の入口です。
    駐車している車の向こう側に赤く見えているのが、奉納された鳥居です。

  • 駐車場の端にある、奉納された鳥居です。<br />手前の石柱には「明治39年9月吉日」の文字が見えます。

    駐車場の端にある、奉納された鳥居です。
    手前の石柱には「明治39年9月吉日」の文字が見えます。

  • 奉納された鳥居は、3列に並んでいます。<br />これは向かって左側の列(3列の内で一番短い)を道路側から写したものです。

    奉納された鳥居は、3列に並んでいます。
    これは向かって左側の列(3列の内で一番短い)を道路側から写したものです。

  • 左側の鳥居の列の中へ入ります。

    左側の鳥居の列の中へ入ります。

  • 左側の鳥居の列を通り抜けると、左に社務所、右に中央の列の鳥居が見えます。

    左側の鳥居の列を通り抜けると、左に社務所、右に中央の列の鳥居が見えます。

  • 向かって右側の鳥居の列を、道路側から見ています。<br /><br />手前の鳥居の右下の看板には「お焚き上げについて」のお願いが書かれています。

    向かって右側の鳥居の列を、道路側から見ています。

    手前の鳥居の右下の看板には「お焚き上げについて」のお願いが書かれています。

  • 右側の鳥居の列(の中)です。

    右側の鳥居の列(の中)です。

  • 途中に、小さな草履が下げられていました。

    途中に、小さな草履が下げられていました。

  • 右側の鳥居の列を通り抜けると、左に参道、右に水屋が見えます。

    右側の鳥居の列を通り抜けると、左に参道、右に水屋が見えます。

  • 中央の鳥居の列と、左側の鳥居の列の間、道路際に(今では貴重な)公衆電話ボックスがあります。

    中央の鳥居の列と、左側の鳥居の列の間、道路際に(今では貴重な)公衆電話ボックスがあります。

  • 中央の鳥居の列を、道路側から見ています。<br />手前の鳥居は、奉納されたものではなさそうです。この鳥居、上から2番目の横方向部材(「貫(ぬき)」というらしい)が、柱の外へ突き出ていません。さらに、柱への挿入部に楔がありません。また、上の横方向部材が丸棒です。ネットによると「靖国鳥居」と呼ばれている鳥居だそうです。<br />(「貫」も丸棒であれば「素木鳥居」というそうです。)

    中央の鳥居の列を、道路側から見ています。
    手前の鳥居は、奉納されたものではなさそうです。この鳥居、上から2番目の横方向部材(「貫(ぬき)」というらしい)が、柱の外へ突き出ていません。さらに、柱への挿入部に楔がありません。また、上の横方向部材が丸棒です。ネットによると「靖国鳥居」と呼ばれている鳥居だそうです。
    (「貫」も丸棒であれば「素木鳥居」というそうです。)

  • 中央の鳥居の列の中です。

    中央の鳥居の列の中です。

  • 中央の列を通り抜けると、正面に拝殿が見えます。

    中央の列を通り抜けると、正面に拝殿が見えます。

  • 中央の鳥居の列を通り抜けたところにあるこの(赤くない)鳥居も、奉納されたものではなさそうです。<br />この鳥居も「靖国鳥居」と呼ばれる形です。この神社の鳥居の本来の形なのでしょうか。<br />柱には「起源二千六百年」の文字が刻まれています。

    中央の鳥居の列を通り抜けたところにあるこの(赤くない)鳥居も、奉納されたものではなさそうです。
    この鳥居も「靖国鳥居」と呼ばれる形です。この神社の鳥居の本来の形なのでしょうか。
    柱には「起源二千六百年」の文字が刻まれています。

  • 鳥居の列を通り抜けた右側には、水屋があります。

    鳥居の列を通り抜けた右側には、水屋があります。

  • 水屋を東側(駐車場側)から見ています。<br />左の建屋が水屋、右の建屋には「元小泉稲荷社奉納手洗盤」が保存されています。

    水屋を東側(駐車場側)から見ています。
    左の建屋が水屋、右の建屋には「元小泉稲荷社奉納手洗盤」が保存されています。

  • 水屋の水は「龍」の口から出ています。

    水屋の水は「龍」の口から出ています。

  • 「元小泉稲荷社奉納手洗盤」が保存されている建屋です。

    「元小泉稲荷社奉納手洗盤」が保存されている建屋です。

  • 「元小泉稲荷社奉納手洗盤」です。<br />これは、東村指定重要文化財とのことです。<br /><br />説明板によると、<br />これは、江戸時代末期、元治元年(1864)、現在地より約200m西にあった稲荷社の御宝前に奉納されました。その後、大正2年(1913)のこの稲荷社が大東神社の合祀された時に、手洗盤も大東神社に移されました。以後、長い間大東神社に置かれていましたが、昭和63年(1988)に関係者の協力によって現在地へ移転されました。<br /><br />

    「元小泉稲荷社奉納手洗盤」です。
    これは、東村指定重要文化財とのことです。

    説明板によると、
    これは、江戸時代末期、元治元年(1864)、現在地より約200m西にあった稲荷社の御宝前に奉納されました。その後、大正2年(1913)のこの稲荷社が大東神社の合祀された時に、手洗盤も大東神社に移されました。以後、長い間大東神社に置かれていましたが、昭和63年(1988)に関係者の協力によって現在地へ移転されました。

  • (説明板の記述の続き)<br />手洗盤の正面には、旗本久永領陣屋元役人清水氏の時に、近郷の香具師の帳元が世話人になって奉納されたことが記されている。<br />残りの三面には、願主の田村丹治良・惣治良をはじめとする小泉・大原等近村の百姓約百名の献金者の名前が記されている。<br /><br />江戸末期において、商業資本が農村地域に浸透しつつあった事とあわせて、現世利益の稲荷信仰の歴史をみる上で大変貴重なものである。

    (説明板の記述の続き)
    手洗盤の正面には、旗本久永領陣屋元役人清水氏の時に、近郷の香具師の帳元が世話人になって奉納されたことが記されている。
    残りの三面には、願主の田村丹治良・惣治良をはじめとする小泉・大原等近村の百姓約百名の献金者の名前が記されている。

    江戸末期において、商業資本が農村地域に浸透しつつあった事とあわせて、現世利益の稲荷信仰の歴史をみる上で大変貴重なものである。

  • 鳥居を通り抜けたところから拝殿を見ています。

    鳥居を通り抜けたところから拝殿を見ています。

  • 参道右側の狛犬(狐?)です。背中の子供を見ると、狐のように見えます。

    参道右側の狛犬(狐?)です。背中の子供を見ると、狐のように見えます。

  • 参道左側の狛犬(狐?)です。こちらは犬と言われれば犬にも見えます。

    参道左側の狛犬(狐?)です。こちらは犬と言われれば犬にも見えます。

  • 拝殿です。

    拝殿です。

  • 拝殿のすぐ近くの、参道右側の狛狐です。

    拝殿のすぐ近くの、参道右側の狛狐です。

  • 同じく、左側の狛狐です。

    同じく、左側の狛狐です。

  • 拝殿の屋根です。

    拝殿の屋根です。

  • 拝殿に掲げられた「小泉稲荷神社」の額です。<br /><br />左下に「陸軍大臣 林銑十郎 ○書」の文字があります。

    拝殿に掲げられた「小泉稲荷神社」の額です。

    左下に「陸軍大臣 林銑十郎 ○書」の文字があります。

  • 拝殿の軒下です。

    拝殿の軒下です。

  • 拝殿です。

    拝殿です。

  • 拝殿に掲げられた額です。<br /><br />左端に「陸軍大将 松木直亮○」と彫られています。

    拝殿に掲げられた額です。

    左端に「陸軍大将 松木直亮○」と彫られています。

  • 拝殿内の俳壇(?)です。

    拝殿内の俳壇(?)です。

  • 奉納された絵馬掛けです。<br />奥は、奉納者の名札所です。

    奉納された絵馬掛けです。
    奥は、奉納者の名札所です。

  • 東側から見た拝殿です。

    東側から見た拝殿です。

  • 左が拝殿、右が本殿、です。東側から見ています。

    左が拝殿、右が本殿、です。東側から見ています。

  • 本殿を北東側から見ています。

    本殿を北東側から見ています。

  • 本殿の後ろに、稲荷社(奥宮?)があります。

    本殿の後ろに、稲荷社(奥宮?)があります。

  • 石の狐一対と、陶器の狐一対がおさめられています。

    石の狐一対と、陶器の狐一対がおさめられています。

  • 稲荷社の西、本殿の北西に、「お白狐を納める場所」があります。

    稲荷社の西、本殿の北西に、「お白狐を納める場所」があります。

  • 右側にも、

    右側にも、

  • 左側にも、<br /><br />たくさんの「お白狐」がおさめられています。

    左側にも、

    たくさんの「お白狐」がおさめられています。

  • 中央には一対の狐が、ご本尊を守って(?)います。

    中央には一対の狐が、ご本尊を守って(?)います。

  • 「お白狐を納める場所」の西側には「お焚き上げする御札や御守りなどを納める場所(?)」があります。

    「お白狐を納める場所」の西側には「お焚き上げする御札や御守りなどを納める場所(?)」があります。

  • 南西側から見た本殿です。

    南西側から見た本殿です。

  • 西側から見た、拝殿の軒下です。

    西側から見た、拝殿の軒下です。

  • 奉納された鳥居の列を、境内から見ています。

    奉納された鳥居の列を、境内から見ています。

  • 駐車場から見た神社遠景です。

    駐車場から見た神社遠景です。

  • 境内の端。駐車場の横に、石塔や石碑が集められています。

    境内の端。駐車場の横に、石塔や石碑が集められています。

  • 石碑、石塔を、駐車場の入り口側から見ています。

    石碑、石塔を、駐車場の入り口側から見ています。

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