1989/04/18 - 1989/04/21
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Flocons-de-neigeさん
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1989年(平成元年)4月、南回りで欧州を1ヵ月ほど旅行した記録です。乗り継ぎのシンガポールで一回入国してしまったので、それが私の初めての外国になりましたが、一番に行きたかったのがイスタンブール。塩野七生の「コンスタンティノープルの陥落」という歴史小説の挿絵にでてきたローマ時代からのテオドシウスの三重城壁に心ひかれ、その残骸でも残っていたら見てみたいと思ったのでした。
現在では城壁も世界遺産に指定されているし、情報もインターネットでたくさん入りますが、当時はわからず。でもちゃんと残ってました。壊れてましたが、修復もされて。初めてのトルコは、珍しいものばかり。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 1.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 航空会社
- シンガポール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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船便ならばマラッカ海峡を越えていくのでちょうど今回の旅程と似た感じになるでしょうが、とにかくシンガポールまで6時間以上かけて飛んでも欧州までの距離は一向に縮まっていないのでまたまた半日以上時間はかかります。シンガポール航空のイスタンブール行きはドバイに途中経由で着陸します。電車みたいに乗り降りのお客さんがいますから、どんどん機内が中東臭くなっていきました。そして早朝のイスタンブールへ。飛行機はここからさらにコペンハーゲンに行くのでした。
朝のイスタンブール、アタチュルク国際空港はイメージ通りの中近東の空港で、ちょっと薄暗くて剣呑な感じ。空港の両替ではとりあえず1万円ほど両替。当時、インフレのひどいトルコで100TL=6円くらいのレートなんで、お金が増えます。タクシーに乗ってとにかく市内へ行ってもらいますが、ホテルも決まっていないと言うとタクシーの運転手が、知っているホテルを紹介するからと言ってくれ、連れてこられたのがここ。旧市街のほぼ真ん中あたりにある中級程度、ホテルのランクだと三つ星くらいのホテルです。運転手さんは降りて、ホテルのフロントの兄さんと話しをしてくれます。一泊13ドルだと言われたので、3泊お願いしました。まあとりあえず宿が決まって良かった。朝早いのにすぐに開いている部屋を使わせてくれました。シャワー、トイレのついたシングルの簡素な部屋ですが、とりあえず十分です。 -
部屋でとりあえず一息ついたらさっそく徒歩で町歩き。旧市街は比較的狭い地域ですがアップダウンが多いようです。4月とはいえ地中海沿岸はもう夏の気温で暑く、乾燥して、紫外線が猛烈です。帰国後に観るとカメラのバックの色が日に焼けて変色していたくらい。
歴史地区には六本のミナレット(尖塔)をもつブルーモスクが見えてきました。 -
ブルーモスクの内部。窓はステンドグラスになってます。
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今のデジタルカメラと違い、フィルムは感度が低いので暗いところは苦手。それでも窓から明かりが差し込むブルーモスクの天井はきれいに写せました。ブルーのタイルの模様がきれい。壁は全体に白っぽく本で読んだように青い内部空間という感じではありませんでした。それでも今は作る技術がわからなくなったというブルーのタイルは壮麗で美しい。人生初のモスク入館?女性は肌や髪をかくさないといけない。仏教寺院やキリスト教の教会のように像や絵がなく、あくまでも祈りの場なので中は広いがらんどうの空間です。
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六本の尖塔は、建築家とスルタンの話の行き違いで出来てしまったという話が伝わっていますが、まあ設計図くらい見せないはずもないので、スルタンのいいわけでしょうね。しょうがないなあ間違っちゃったんだから。なにしろメッカ以外では六本の尖塔は建てられないはずだったんですから。(笑)
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ちょうど季節はチューリップ。トルコはチューリップの原産地のひとつ。ここで咲いているのをみるのは嬉しいですね。今植えられているのはオランダあたりで品種改良されたものかもしれませんけど。
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いろんな色のチューリップ
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モスクのドームは小さいドームが大きいドームの屋根を支えることで大空間を作っています。建築の元ネタは隣にあるギリシャ正教会の聖ソフィア大聖堂。コンスタンチノープルの陥落後、トルコの建築家がこの様式を受け継ぎ発展させました。今ではイスタンブールのスカイラインを象徴する建築ですね。
スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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そしてこちらが元ネタの聖ソフィア聖堂。紀元360年建設、537年再建のキリスト教の大聖堂ですが、オスマンの占領後にモスクに改装されました。周囲の4本のミナレットはそのときに付加されたもの。キリスト教のモザイク画で覆われていた壁面はモスクになったときに漆喰で塗りつぶされましたが、現在では漆喰がはがされて公開されています。表面を保護されていたので、結果的には保存状態が良いという結果に。トルコ人はどこかの原理主義の人たちのように異教の施設を破壊せず、役にたつものなら使っちゃえっていう合理的な気質だったおかげで1000年以上前の大建築が無事、今世紀も観られるのですね。
アヤソフィア 寺院・教会
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トルコ人の子供たちが遠足に来ているよう。みんな明るくて賑やかです。アヤソフィア寺院はコンスタンティノープル最後の日、1453年5月29日、その前夜、最後の皇帝コンスタンティノス11世や戦死、市民がここで神に最後の祈りを捧げたところ。
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トプカプ宮殿に来ました。
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中は薄暗くて意外と地味だったりします。
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こっちは宝物を展示した博物館になってます。トプカプ宮殿にはトルコの歴代スルタンの宝物が多数収蔵されていて、とても全部は展示できないので、定期的に展示物を入れ替えているらしいです。金銀宝石のオンパレード。巨大なダイヤにエメラルド。宝石で表面を埋め尽くされた宝石箱。中になにを入れるのかというくらい。
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宮殿からは海峡が一望
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海の向こうはアジア
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海岸沿いを鉄道と道路が通っています。近郊を結ぶ電車はかなり頻繁に走っているようです。
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アジアとヨーロッパをまたぐイスタンブールでは海上を結ぶフェリーも重要な交通手段で、頻繁に行き来しています。インフレでも公共交通機関は値上げが間に合わないのか、たしかこのときで日本円だと10円以下で乗れました。
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アジア側とヨーロッパ側を結ぶボスポラス橋
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海側に築かれた城壁ですね。陸側の城壁と比べると薄くて低い。東ローマ帝国は海軍力があったので、海側はこの程度で十分だったようです。
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観光客がいっぱい
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宮殿内にもモスクがあります。オスマントルコのスルタンは世襲ですが、ライバルとなる兄弟は政治的に危険なので、殺されたり、幽閉されたり。宮殿内には黄金の鳥かごと言われるスルタンの兄弟を幽閉した区画がありました。兄弟の死でそこからスルタンになるという数奇な運命をたどった人も
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イスタンブールの町はモスクのドームとミナレットが立ちならぶ。左側はスレイマンモスクだと思います。
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金角湾を挟んだ対岸のガラタ地区。高層ビルは外資のホテル。
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トプカプ宮殿 城・宮殿
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明るい屋内だと写真が撮れる。偶像崇拝を禁じたイスラム教の文化なので、壁面は植物の模様のタイル
トプカプ宮殿 城・宮殿
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天井のドームの模様がきれい
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中庭には春の花が一斉に咲いています。
トプカプ宮殿 城・宮殿
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地元の小学生の見学らしいです。カメラを向けるとみんな笑顔で明るくふざけています。
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このあと、絨毯売りの青年にとりつかれて、しばし時間をつぶしました。熱心に売ろうとしてたけど、この先まだ一人旅が長いので、思い荷物は増やせないのよね。最後の寄港地なら根負けして買っていたかも。当時でも日本語を話すトルコ人は多くて、たぶんみんな商売人だけど、あぶない人はいなかった。これがアテネあたりだとパブに誘い込まれてぼったくりというのが当時有名だった。
アヤソフィア 寺院・教会
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スルタン アフメト モスク 寺院・教会
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イスラム教が国民の9割を占める国なので、スカーフをした女性も多いけど、一応トルコは世俗政治の国なので西欧並みの格好の女性たちもいていろいろ。
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旧市街の小さな動物園にはペリカンが。
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共和国トルコの建国の父、ムスタファ・ケマルの像は町のそこら中にあります。
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ヨーロッパ側のイスタンブールの中央駅にあたるシルケジ駅。オリエント急行の終着駅ですが、この当時はまだ東ヨーロッパは鉄のカーテンの中。ブルガリアの国境を越える鉄道もつながってはいますが、陸路鉄道で西に向かうのはいろいろと面倒。唯一西側につながるのはギリシャへの国境です。
シルケジ駅 駅
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かなり年季の入った電気機関車。いまも現役でしょうか。
シルケジ駅 駅
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町中はバスとタクシーがやたらに多かった。
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ガラタ橋付近には船着き場があり、各方面へのフェリーが頻繁に運航されています。コイン1枚で利用できるので、とっても便利。
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アジア側に行くフェリーで往復してみました。
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ガラタ橋 建造物
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イェニ ジャーミィ 寺院・教会
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金角湾をまたぎ、ガラタ地区とをむすぶガラタ橋。
ガラタ橋 建造物
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橋の下には食堂がならんでいるようですが、今はおやすみのよう。鯖のサンドイッチとかが有名ですね。
ガラタ橋 建造物
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旧市街にもどってきました。グランバザールの入り口。カラフルな商品が並びとっても賑やか。客引きもね。
グランド バザール 市場
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イスタンブール大学、右の塔はバヤジット塔
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小さい街中の警察署。今もそうですが、トルコの町ではときどき爆弾テロがあって、普通の警察の他、治安部隊も巡回しています。
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イスタンブール二日目の朝。外からイスラム教の礼拝を知らせる声が響きます。
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どこかでもらった観光地図によるとテオドシウスの城壁はそこそこ残っているようです。バスだとどうやって行くのか不安なので、海沿いを走る近郊電車で南側の城壁近くにある要塞跡に行ってみることにしました。
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手持ちのトルコリラを撮ってみました。20000TLでも日本円で1200円くらい。
この後もすさまじいインフレで、桁がどんどん増えて、デノミになって現在のトルコリラに至る。このときの100TLのお札だけ記念に残しましたが、当時でも6円。 -
近郊電車はこんな感じです。ちょうど横に見える駅で降りました。トルコの国鉄では1980年代後半まで蒸気機関車が現役で使用されていたようで、この写真の奥にも1両写ってますね。電車の横には蒸気機関車用の給水塔があるし、この時期使われていたかどうかはわかりませんが。
イエディクレ 史跡・遺跡
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七つの塔(イエディクレ)の城はオスマン時代のもので、牢獄としても利用されていたとか。テオドシウスの城壁の南側の海に面する部分に建てられています。
イエディクレ 史跡・遺跡
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建築様式としてはオスマントルコがコンスタンチノープルの攻略のために建てたボスポラス海峡の要塞、ルメリヒサールやアナドルヒサールの要塞に似ています。
イエディクレ 史跡・遺跡
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外国の城に入るのは初めてなんでとにかく珍しい。石垣の上の建物が木造の日本と違い、壁、塔、建物も石造りなので、壊されない限りは残りやすい。
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一応、入場料とるけど、中の整備はあまりされておらず、明かりもなくて真っ暗。
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場内にはステージのようなものもありますが
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城壁に上る内側の階段。手すりなんてありません。
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塔の内部、天井がなくなっていて光が差し込んでいます。壁の小さい穴は以前は木製の床があったんだと思います。
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通路なんですけど、穴空いてますし。この構造。鉄骨の上を歩かないとやばそう。トルコ人けっこう適当。自分の靴が写ってますが、ほこりっぽくてすぐに真っ白になります。町中には靴磨きの少年がいっぱい居て、1ドルで磨くよとよってきますが、磨いてもらってもすぐに真っ白。
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要塞の塔からみるローマのテオドシウスの城壁。海側はかなり壊れたままになってます。
テオドシウスの城壁 史跡・遺跡
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七つの塔の城の内側からの全景。こちらはオスマン時代の建築です。
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城壁に近い塔から北の方向をみると三重城壁が延々と続いています。先のほうにはかなり修復されて塔が並んでいるところも見えますね。すごい規模。延々北の金角湾まで続き、1000年の都を支えました。
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かなり崩れた南側のテオドシウスの城壁
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トルコの観光の人たちですかね。手すりも何も無いのでちょっと怖い。
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城の壁から木が生えていて鳥がやってきています。
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海側の城壁はローマ時代のもの。海峡を行く船を睥睨する要塞。
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七つの塔の城は一応史跡博物館として公開されています。城の城壁と塔以外はなにもないですが、上からの眺めはいい。
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城壁のそばの道
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低い城壁の外側は堀になっています。海からみずを引けば水堀になったらしい。
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テオドシウスの城壁は鉄道で一部寸断されています。横に縞模様の入っているのはローマの石造建築の特徴。電車の扉が開いていますが、これ開けたまま走ってます。たぶん半自動のドアなんですが、暑い時期は客が勝手に開け放ってしまい、そのまま走っているようで、こわいよね。
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城壁の外ではサッカーに興ずる子供たち
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城壁の中ステージと観客席のようなものが設置されているけど観客席には高い草が生い茂り、あまり使われてはいないようです。
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塔の中心はドーム型の屋根になってます。
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塔からのイスタンブール市街
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近郊電車の駅。給水塔があったりよく見ると蒸気機関車も居ます。
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城門はそのまま自動車の通る道になってます。
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城を囲む町の風景、とても静かでした。
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海岸沿いにも東ローマ時代からの城壁が残ります。
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海峡を挟んだアジア側の景色
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海岸沿いの道路から眺めるトプカピ宮殿、近郊電車が頻繁に行き来します。電車の中には勝手に食べ物やらお茶を売る人たちが乗り込んできます。けっこうおいしかったりします。
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船着き場には連絡船が多数
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ガラタ地区のガラタ塔からの旧市街の眺め。塔にはレストラもあります。
ガラタ塔 建造物
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ガラタ塔 建造物
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金角湾。メフメット2世は、この山を越えて金角湾内にオスマン艦隊を進入させ、ジェノア海軍などの制海権を奪いました。
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トプカプ宮殿の遠望、下はシルケジ駅
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アヤソフィア寺院
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ブルーモスク
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イスタンブール大学のバヤジット塔とスレイマンモスク
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ガラタ橋と金角湾
ガラタ塔 建造物
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黒海方面のボスポラス海峡
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新市街の町並み、ヨーロッパ的な中層アパートメント
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当時イスタンブール唯一の地下鉄。といってもタクシム広場から船着き場までのケーブルカーが地下を走ってます。
タクスィム駅 (地下鉄) 駅
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タクシム広場は近代的な高層ホテルなどが並ぶ新市街一の繁華街
タクスィム広場 広場・公園
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ローマ時代の水道橋。トルコの占領後も修復されて町の生活を支えたそうです。
ヴァレンス水道橋 建造物
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イスタンブールには3泊して、夕方、シルケジ駅からギリシャのアテネ行きの夜行列車に乗りました。2晩走って翌々日の朝にアテネに着く長時間の列車旅です。残りのトルコリラを駅のレストランで使い切ったら、車内でアテネ行きの急行はサプリメント(追加料金)がいると言われて米ドルで払ったら、おつりはカナダドルだった。もう計算も適当。(笑)
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