2015/06/15 - 2015/06/17
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ピンクのスマフォさん
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6/15(月)午前中シェーンブルン宮殿、ベルヴェレーデ宮殿観光、午後自由行動。
6/16(火)出発まで自由行動、13:20ウィーン発オーストリア航空で帰国の途へ。
6/17(水)7:30成田着、帰宅。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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6/15(月)午後の自由行動の続き。
まずは、美術史美術館から。
宮殿のようなこの美術館は、1871年ハプスブルク家の皇帝の命により建設が始まり完成までに20年を費やした。
ここには歴代の皇帝たちが財力と威信をかけて収集した絵画、彫刻、工芸品など膨大な美術品が収蔵されている。 -
美術史美術館の向かいには同じ建物の自然史博物館がある。
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博物館と美術館の間にある広場の中央にはマリア・テレジア像が立つ。マリア・テレジアは16人もの子供を産み育て、また政治家としても有能で40年間も帝国を統治しただけあって、貫録十分。
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美術史美術館に入場。
中央階段にはアントニオ・カノーヴァの彫刻『テーセウス』が、見上げれば豪華絢爛な『ルネサンス賛歌』が迫る。 -
美術史美術館は初めから美術館として建てられた為、豪華な中央階段や天井など美術館それ自体がアート作品となっている。
展示されている作品が膨大な数に上るので、2階の絵画を中心に見て回ることにした。 -
階段ホールのアーチ上部のパンドレル(三角小間)にはクリムトが28〜29歳の時に描いた壁画がある。
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古代ギリシャ美術の女神。
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古代エジプト美術の女神。
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『タナグラの乙女』。
クリムトは生涯独身だったが『ウィーンのカサノバ』の異名をとっただけあり多くの女性と関係を持った。実際、クリムトが死んだ時には少なくとも14人の婚外子がいたことが判っている。それ故か彼の作品は圧倒的に女性が、さらにエロティックに描いたものが多い。 -
2階にはミュージアムカフェの殿堂ゲルストナー。ドーム天井の下の吹き抜けを取り囲むようにテーブルと椅子が並ぶ。
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イタリアバロック絵画の大部屋。
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ヴィジェ・ルブラン『マリー・アントワネット』1778年。
ルイ16世に嫁いだが、フランス革命で断頭台の露と消えた。 -
ヴィジェ・ルブラン『ルイ16世』。
こちらもフランス革命で処刑された。 -
イアサント・リゴー『シンツェンドルフ伯爵』1728年。
シンツェンドルフ伯爵は、皇帝のもとで外交官、政府高官として活躍した人物。 -
ベラスケスの部屋に入る。
『フェリぺ4世の肖像』。
ベラスケスはスペイン・バロック期を代表する画家。スペイン国王フェリペ4世の宮廷画家となり国王一家の肖像画等を描いた。その徹底した描写力は「鏡のようなリアリズム」といわれる。見たものを、特に美化したりせず、あるがままに描くところに特徴があった。 -
ベラスケス『バラ色のドレスのマルガリータ』1653/54年。
マルガリータ王女が3歳の時の肖像画。
マドリードの宮廷にいた王女の絵がなぜウィーンにあるのかというと、いわゆる政略結婚のためだった。
現代の「見合写真」にあたるものとして3歳のときから用意され、マドリードからウィーンへ届けられていた。
決局、マルガリータは叔父であるレオポルト1世に15歳で嫁ぐ。血族結婚の弊害からか子供を次々亡くし、わずか22歳で亡くなった。
儚く短い一生だった。 -
ベラスケス『白いドレスのマルガリータ』1656年。マルガリータが5歳の時の肖像画。
昨年プラド美術館で見た『ラス・メニーナス』のマルガリータと同じドレス。
ベラスケスは最も少ない筆の動きで最大限の効果を発揮した画家と言われる。
ドレスの模様や光沢など近くで見ると絵の具をさっと塗っただけに見えるが、離れて見ると見事に模様や艶となっている。
もうひとつ『青いドレスのマルガリータ』があるはずなのだが、貸し出しされているのか見当たらず残念。 -
館内にはソファーが置かれ、座ってじっくりと観賞出来るようになっている。
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アルプレヒト・デューラーの部屋に入る。
『ヴェネチアの若い貴婦人の肖像』1505年。
デューラーは版画家として有名だが、その描写力を油彩でも発揮した。ヴェネチアでも学んだが、イタリア・ルネサンス絵画の信奉者にはならずイタリア絵画をドイツ美術の伝統の中に生かしたといわれる。 -
デューラー『切った梨のある聖母子』1512年。
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デューラー『ランダウアー祭壇画(聖三位一体の礼拝)』 1511年。
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デューラー『ヴィッテンベルク城聖堂祭壇画(一万人のキリスト教徒の殉教)』1508年。
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デューラー『神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の肖像画』1519年。
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ピーテル・ブリューゲルの部屋に入る。
ブリューゲルは農民の生活を生き生きと描き、新しい風景画の可能性を切り開いた。後年には彼が生まれ活躍したネーデルランドで人気のあった寓話や格言を題材にした。
『バベルの塔』1563年。
旧約聖書の物語を題材とした諷刺画。
人々は天まで達する塔を建設しようとするが、神は人間の驕りを戒めようと彼らの言葉を混乱させる。言葉の通じなくなった人々は建設を諦め、世界中に散っていき、数多くの言語が生まれたという物語。この世の全てを支配しようとしたハプスブルクの皇帝たちの夢と欲望、栄華と滅亡を映し出す。
近くで見ると、建設中の塔を中心に当時の建設機械や働く人々の姿がとても緻密に描かれているのが判る。 -
ピーテル・ブリューゲル『雪中の狩人』1565年。『四季』の六連作の最後を締め括る「冬」を描いた有名な作品。
キツネ一匹しか獲れなかった猟師が痩せ細った猟犬と村に戻る。
左手では焚き火を起こして豚の毛焼きを、遠くでは冬の楽しみであるスケートやカーリングに興じる人々。
高い視点から見下ろした大胆な構図と大自然の中で営まれる民衆の暮らしを生き生きと細部まで描いた傑作。 -
ピーテル・ブリューゲル『十字架を担うキリスト』1564年。
124×170cmと油彩画ではブリューゲル最大の作品。
悲劇の出来事を祭日のような民衆の賑わいのなかで描いている。 -
ピーテル・ブリューゲル2世(子)『ベツレヘムの嬰児虐殺』。
マタイ伝によるエピソードを絵にしたもの。
この作品は父が描いた絵を息子が模写したものだが、父が描いた絵のほうは、嬰児を殺戮している様子が改竄されてしまっている(嬰児を猫や鳥に変えている)ので、こちらの絵のほうがオリジナルに近く、残虐性を明確に伝えている。ピーテル・ブリューゲル2世の作品は、父の模作がほとんどで深みに欠けると言われるが原画が失われたり、改竄された作品もある為、これを知るという点では貴重とされる。
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ブリューゲルの部屋で『嬰児虐殺』を模写している人がいた。
1枚あれば特別展が開けるようなブリューゲル作品に囲まれてじっくりと鑑賞出来るという贅沢。 -
ピーテル・ブリューゲル『農民の踊り』1568年。ブリューゲルは民衆の姿をありのままに描いた。ほとんど城に引き込もっていたルドルフ2世にとっては現実の社会の様子を見る窓のようなものだっただろう。
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ピーテル・ブリューゲル『子供の遊戯』1560年。これは、街の一角を舞台に90種あまりの子供の遊びを網羅した作品とされる。
しかし、単に子供の遊びを図解したものとは考え難く、そこには何らかの寓意が含まれているのだろう。 -
ブリューゲルのコレクションに関しては世界で最も充実しており、そのほとんどがルドルフ2世によって集められたもの。
写真は『氷滑りと鳥罠のある冬景色』のブリューゲルの息子によるコピー。
オリジナルはブリュッセルにある。
褐色を基調にごく限られた色彩で雪の農村を美しく描いている。
なぜかこの絵はガラスケースに入れられていた。 -
ピーテル・ブリューゲル『謝肉祭と四旬節の喧嘩』1559年。
肉を食べ、酒を飲み、歌い踊る自由奔放な謝肉祭(左半分)と、肉食を断ち、障害者や貧者に施しをする禁欲的な四旬節(右半分)。2つの年中行事を通して、人間の対照的な姿が描かれている。 -
ダフィット・テニエルス
『レオポルト・ ウィルヘルム大公の画廊』1651年。 -
ルーベンスの部屋に入る。
バロックを代表する天才と言われ、後世のドラクロワやルノワールにも影響を与えた。ルーベンスの絵画には活気が溢れ、生き生きとして快活な印象を受けるものが多い。
『ヴィーナスの饗宴』1630年代後半。
ルーベンスの古典と神話への深い造詣が示される代表的作品。この作品はニンフが建設したヴィーナス像の周りで、リンゴを取りながら戯れるキューピッドを描いたもの。 -
ルーベンス 『聖イルデフォンソ祭壇画』 1630/32年 。
ルーベンスが手がけた祭壇画の代表作。
7世紀トレドの大司教でスペイン最初のベネディト会修道士のひとりである『聖イルデフォンソ』の生涯と奇蹟を主題としたもの。 -
ルーベンス 『聖フランシスコ・ザビエルの奇蹟』1617/18年。
日本でも馴染み深い宣教師≪聖フランシスコ・ザビエル≫の伝記に記される様々な奇跡的な所業を描いた作品で、ルーベンス1610年代を代表する大作のひとつ。 -
ルーベンス『聖イグナチオ・デ・ロヨラの奇跡』1617/18年。
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ルーベンス『ゴンザーガ家のヴィンチェンツォ2世』。
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アルチンボルド『四季 夏』1563年。
宮廷画家のアルチンボルドはルドルフ2世の「世界は一見バラバラに見えながらも、お互いに関連しあっている」という思想をよく理解し表現した。
麦や野菜、果物等夏の収穫物で構成されたこの人物画はだまし絵のように見えるが、森羅万象、世界の寓意が潜んでいる。
アルチンボルドの絵は、自然と宇宙の全てをハプスブルク家が統治していることを表し、その永遠の繁栄を讃えているという。 -
バルトロメウス・スプランヘル『自画像』。
北方マニエリスムの代表的な画家。 -
ロレンツォ・ロット『アレクサンドリアの聖女カタリナと聖ヤコブを伴う聖母子』1533年頃。
ロレンツォ・ロットはルネサンス期のイタリアの画家。 -
パルミジャニーノ『凸面鏡の自画像』1542年頃。極端に歪曲された世界を描いた典型的なマニエリスムの作品。
凸面鏡に近づけているので手が異様に大きく歪んで描かれている。
しかし、鏡の中心より少し左上にある画家の顔は歪んでおらず、端正な表情を見せている。つまり、前景の手や背景の窓は、実際の凸面鏡に映ったままを忠実に描き、歪んでいないように見える顔だけが実際とは異なって補正されて描かれていることになる。
歪んだ世界こそ現実であるという画家の主張にルドルフ2世は魅了されたのかもしれない。 -
シピオーネ・プルツォーネ『ビアンカ・カペッロ』1585/1586年。
ビアンカ・カペッロはトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチの2度目の妃。ヴェネツィアの裕福な貴族であるカペッロ家出身で、美女の誉れ高かった。 -
クラーナハ『アダムとイブ』。
作品の主題は、旧約聖書創世記に記される最初の女性イブが知恵の実を口にし、アダムにも勧める場面を描く<原罪>。
なよなよした痩身の女体はクラーナハ独特の美。インスブルックの聖ヤコブ大聖堂で見た『救いの聖母』のほうが個人的には好み。 -
館内には絵画だけでなく、こんな聖母子像や鷲の像なども置かれていた。
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もう少し見ていたかったが、閉館時間となり退出。
本などで目にする有名な絵も多かったが、やはり本物を目の当たりにすることによってしか得られない感動があるものだということを実感。 -
美術史博物館を出て、リンク沿いを散策。
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ミュージアムクォーター。
かつては王宮の厩舎だった建物だが、今はレオポルト美術館や近代美術館などを含む複合施設。 -
ブルク門から見るマリア・テレジア像とミュージアムクォーター。
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1913年に完成した新王宮。新王宮内は博物館となっている。
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国会議事堂。高さ5.5mの女神像はギリシャの智恵の女神パラス・アテナ。
パラス・アテナ女神像は左手に槍を、右手のひらには勝利の女神ニケの黄金像が載っている。 -
どこかで見たような建物だなぁと思ったら、アテネで見たアカデミーの建物に似ている。
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手前はサルスティウス像。古代ローマの政治家・歴史家。
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建物内部のガイドツアーは、このモダンなドアから入る。
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国会議事堂は建築家テオフィル・ハンセンの設計による。
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バレエ『ラ・シルフィード』を観るためにオペラ座に。
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オペラ座に入場。
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正面入口から中央階段へ。
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吹き抜けとなっている階段部分の天井を見上げる。
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2階の廊下から見た階段部分。
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3階の廊下から見た天井画と壁絵。。
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3階から階段部分を見下ろす。正面玄関から続く階段部分だけが、奇跡的に戦災から免れている。
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メインロビー。幕間には混雑しそうなので開演前に撮影。
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ここからリンクに面したテラスへと出られる。
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観客席に上がり、バルコンハルブミッテの自分の座席を探す。
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1列目を日本で予約しておいた。67ユーロもしたが、コンサートと違いバレエは見えないと意味が無いのでやむを得ない。
オペラ座を維持するのにかなりの税金が使われているそうなので「高い!」などと言わず、オーストリア国民に感謝して鑑賞することにしよう。 -
客席で特徴的なロジェという個室が馬蹄形に並ぶ。服装はまちまちで結構ラフな格好の人もいた。
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自分の席からは舞台を見下ろす感じとなる。
ウィーン・フィルハーモニーが演奏するオーケストラ・ピットも良く見える。
上演中は譜面台だけが明るく輝いて見えた。 -
天井のシャンデリア。
照明が暗くなってバレエが開演となる。 -
前半が終わりロビーへ。
やはり混雑している。 -
シャンパンは高かったので、私はつまみ無しでビールを一口。
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ロビーのビュッフェは美術史美術館と同じく皇室御用達のゲルストナーが担当。美味しそうだが、残念ながら食べてる時間は無い。
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階段を下りて1階の観客席に向かう。
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平土間から客席を写す。同じツアーのご夫婦が6階から手を振ってくれていたのだが、全く気付かず。立見席はわずか3ユーロで鑑賞できたという。
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ラ・シルフィードはロマンティック・バレエの代表的作品。タリオーニ版のラコット改訂版は今シーズン最後の上演。上演中は写真撮影禁止なのでカーテンコールを撮影。
ジェームスは結婚式の直前にシルフィードに誘惑され、婚約者を放り出してシルフィードの森に行ってしまう。森の中では多くの妖精たちに囲まれてウハウハなのだが、空を飛ぶシルフィードは捕まえられない。魔法使いに羽が取れるというベールを渡されるが、これでシルフィード包むと死んでしまって、ジェームスは大いに嘆く、というストーリー。 -
ストーリーはたわいないものだが、白いチュチュの美しいダンサーが大勢出てきて、もう血圧上がりっぱなし(笑)。
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ジェームス役はなんと日本人の木本全優君。
こんな所にも日本人という感じで誇らしい。
ド素人の私から見ても、彼のダンスはスゴイ。ジャンプ続きでアントルシャの連続なのだが、動きにキレがあって、着地した時の音もほとんどさせない。
シルフィードも妖精がふわりと浮かんだように軽々と持ち上げる。
魔女を演じた Andrey Kaydanovskiyもこの衣装で激しい踊りを見事にこなす。
この二人にはとりわけ拍手が大きかった。 -
シルフィード役のMaria Yakovlevaも可憐で美しい。ジェームスがシルフィードを追ってふらふらと森へ行ってしまうのも仕方ないか。
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舞台で激しいジャンプを繰り広げている間オーケストラ・ピットでも指揮者が激しくタクトを振っていた。
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シルフィード役のマリアとジェームス役の木本君の挨拶で閉幕。
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オペラ座外壁の液晶パネルには公演中や公演予定のオペラやバレエの写真が展示されていた。
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ラ・シルフィードもあった。
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オペラ座の前には大きなスクリーンがあって、上演中のオペラやバレエを無料で見ることが出来る。
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オペラ座のライトアップ。
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カジノ。
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ホテルザッハー。
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アルベルティーナ。
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演劇の殿堂、ブルク劇場。
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新王宮。
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ライトアップされた市庁舎。
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歩き疲れたので、カフェ・ラントマンへ。
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ピアノの演奏が聞こえてくる優雅な店内。
ウェイターがきびきびしていて接客も良かった。 -
ケーキをつまみにワイン。
ここで飲んだワインは美味しかった。値段も高かったけど。 -
ライトが消えた市庁舎。23時で市庁舎のライトアップは終わってしまうようだ。
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国会議事堂。
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シュテファン寺院。
右下のPOLIZEI(警察)のパトカーが巡回していて安心、と思ったのだが何度も私の近くを通り過ぎる。もしかして、夜中に一人で歩いている私を不審者として警戒していたのかも。 -
ライトアップされたシュテファン寺院は塔が白く浮き上がって綺麗。
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屋根の北面に浮かぶウィーン市とオーストリア共和国の紋章。
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シュテファン広場周辺は夜中でもけっこうな賑わい。
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ショーウィンドーの装飾も綺麗。
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12時過ぎに地下鉄でホテルに戻る。
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6/16(火)オーストリア最終日。荷造りして、7:00頃朝食。
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10:30まで自由行動。
Uバーンでカールスプラッツへ。 -
ナッシュマルクトという食料品市場へ。
7:30頃でまだ開いてる店は少なかった。 -
ウィーン分離派会館。
ヨーゼフ・マリア・オルブラッヒによる設計。
金色に耀くクーポラの下には「時代にはその時代の芸術を、芸術には自由を」というスローガンが掲げられ、扉口の左には「ヴェル・サクルム(聖なる春)」という文字が見られる。 -
やはりウィーンの象徴といわれるシュテファン寺院は入場しておきたい。
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北面の壁が真っ黒に汚れている。ここだけクリーニングしてないのかも。
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寺院に入場。
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真剣に祈りを捧げている人がいた。
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長さ107mの内陣身廊。
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左端に見えているのが石造りの説教壇で、アントン・ピルグラムの作品とされてきたが、現在では違うとされているようだ。
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ステンドグラスのあるノイシュタット祭壇。
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キリストとマリアの生涯を描いた中世彫刻。
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中はとにかく広い。
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パイプオルガン。
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北塔に上がる為、年代物のエレベーターに乗る。円筒形の狭いエレベーターで、ドアの開閉も手動だが、係のおじさんが乗っていて操作は全てやってくれる。ガタガタ揺れながら上がっていくので写真はブレてしまった。
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北塔の展望台に到着。
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遠くウィーンの森まで望める。
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北塔に上ると、オーストリア共和国とウィーン市の紋章が描かれているモザイク画の屋根がはっきりと見える。
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屋根や屋根の装飾がはっきりと見える。
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展望台からはウィーンの街を一望。
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遠くにOPEC本部ビルや高さ252mのドナウタワーが見える。
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ヴォティーフ教会の尖塔も見える。
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プラターの観覧車も遠くに見える。
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シュテファン寺院の少し先にあるペスト記念柱を見に行く。ペストの終結を神に感謝してレオポルト1世が建設した。
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台座には、天地創造、ペスト流行、最後の晩餐、ノアの洪水を描いたレリーフが、塔の上には「父、子、聖霊」を表現した三位一体の像が金色に輝いている。
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ペーター教会。バロックの建築家ルーカス・フォン・ヒルデブラントにより建設された。
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教会内に入ってみる。
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主祭壇。
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ロツトマイヤーが描いた天蓋のフレスコ画は、バロック美の極致と言われる。
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脇祭壇と説教壇。
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ヴィーナー・ショコラーデンケーニヒというチョコレート店。
かつて宮廷御用達だった老舗ボタン店を改装した店。
ここで自分が食べるチョコレートを購入したかったが10時開店ということで諦める。 -
綺麗なチョコレートのパッケージが並ぶショーウインドー。
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アンカー時計。ホーエルマルクト広場の奥の路地を跨ぐ通路に取り付けられた仕掛け時計。クリムトのライバル、フランツ・マッチュにより1917年に完成した。
12人のウィーンの歴史上の人物が時報ごとに登場する仕掛け。 -
裏側は普通の時計。
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人形の動きが見ていてイライラするほど遅い。
おまけに、9時15分を過ぎているのに9時2分位を示していて遅れている。 -
アンカー時計の説明文。出てくる12人の人物の名前などが記されている。
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ホテルに戻り、バスで空港に向かう。
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空港に到着し空港内をうろうろ。
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財布を見たら汚いボロボロのユーロ札が有ったので売店で自分用にモーツァルトクーゲルを購入。
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13:20の成田行きに搭乗し、定刻通り出発。
初めてのオーストリア旅行だったが、天気もまずまずで十分楽しむことが出来た。いつものことだが、振り返ってみるとアッという間で、帰りたくないなーと思ってしまう。 -
ロシア上空を飛行中。
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3席分を一人で使うことが出来たので、横になれて楽チンだった。
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夕食。
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北極圏を飛行するので、太陽がなかなか沈まない。
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朝食。
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成田空港の駐車場が見えてきた。
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予定より早く、無事に成田空港に到着。
今回の旅行はツアーメンバーに女性が多く、美女(過去形含む)に囲まれて楽しい旅行となった。90歳のおばあちゃんも旅行中にポックリ逝ったりしないか心配だったがm(__)m、元気に旅行が出来たようで何より。
次はどこへ行けるかな。行きたい場所はいっぱいあるけど。
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