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2週間のVeneto一人旅。Abano Termeに2泊後、Venezia入り。la Festa del Redentoreを満喫した後は、語学学校通い。といっても、授業は一日4時間(16:30ー20:30)。7月21日(火)、学校でaperitivoが開催され、その時に知り合った友達と3人で、昼間に街歩きをした。日本人2人+イタリア人1人=イタリア語で話す、ということで、授業より伊語の勉強になったかも。<br /><br />表紙写真:S.Maurizio.ここは音楽博物館。祭壇にはクレモナで作られた弦楽器が展示されている。

Venetoを満喫するイタリア:Venezia街歩き。

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2015/07/22 - 2015/07/25

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Fluegel

Fluegelさん

2週間のVeneto一人旅。Abano Termeに2泊後、Venezia入り。la Festa del Redentoreを満喫した後は、語学学校通い。といっても、授業は一日4時間(16:30ー20:30)。7月21日(火)、学校でaperitivoが開催され、その時に知り合った友達と3人で、昼間に街歩きをした。日本人2人+イタリア人1人=イタリア語で話す、ということで、授業より伊語の勉強になったかも。

表紙写真:S.Maurizio.ここは音楽博物館。祭壇にはクレモナで作られた弦楽器が展示されている。

同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 7月22日(水)午後、前日知り合って約束した友達2人と待ち合わせ、Cannaregioへ。S.Lucia駅から、Rio Tera&#39; Lista di Spagnaを歩き、S.Geremiaへ.この通りは、路地のように狭いヴェネツィアの通りと違って、少し広め。観光客が沢山歩いていて、ヴェネツィアに来て初めて、路上の物乞いを見た。<br /><br />さて、ヴェネツィアの鉄道駅は、S.Lucia教会を潰して造られたから、S.Lucia駅。でも、この教会には、ナポリ民謡「サンタ・ルチア」で有名な聖ルチアの聖遺体があった。そして、彼女の亡骸は、ここS.Geremiaに移された。友達の案内で、小さな亡骸を参拝した。祭壇の後ろに回り込むとご遺体をお参り出来る…既視感が…サンティアゴ・デ・コンポステラだったろうか。

    7月22日(水)午後、前日知り合って約束した友達2人と待ち合わせ、Cannaregioへ。S.Lucia駅から、Rio Tera' Lista di Spagnaを歩き、S.Geremiaへ.この通りは、路地のように狭いヴェネツィアの通りと違って、少し広め。観光客が沢山歩いていて、ヴェネツィアに来て初めて、路上の物乞いを見た。

    さて、ヴェネツィアの鉄道駅は、S.Lucia教会を潰して造られたから、S.Lucia駅。でも、この教会には、ナポリ民謡「サンタ・ルチア」で有名な聖ルチアの聖遺体があった。そして、彼女の亡骸は、ここS.Geremiaに移された。友達の案内で、小さな亡骸を参拝した。祭壇の後ろに回り込むとご遺体をお参り出来る…既視感が…サンティアゴ・デ・コンポステラだったろうか。

  • イタリア人のA君が「ここに友達がいるんだ」と言って、入ったのが、Michal Meron&#39;s Studio.いつの間にか、ghettoの中を歩いてた。この日、イスラエル生まれの女流画家は不在で、店番をしていた男性が、A君の友達のようだった。

    イタリア人のA君が「ここに友達がいるんだ」と言って、入ったのが、Michal Meron's Studio.いつの間にか、ghettoの中を歩いてた。この日、イスラエル生まれの女流画家は不在で、店番をしていた男性が、A君の友達のようだった。

  • ショーウィンドゥを拡大してみた。これが、彼女の絵。とてもカラフル。その後、banco rosso(昔の質屋。レシートが赤い紙だったことに由来。シェークスピアの「ヴェニスの商人」にも出て来る)のあるcampo di ghetto nuovoへ。ghettoの語源は、この広場に元は鋳造所がありgettare(鋳造する)が訛った言葉なのだとか。ということで、ここは世界最古のユダヤ人居住区。16世紀初頭に700人から始まったghettoに、最盛期は5,000人が住んでいたという。

    ショーウィンドゥを拡大してみた。これが、彼女の絵。とてもカラフル。その後、banco rosso(昔の質屋。レシートが赤い紙だったことに由来。シェークスピアの「ヴェニスの商人」にも出て来る)のあるcampo di ghetto nuovoへ。ghettoの語源は、この広場に元は鋳造所がありgettare(鋳造する)が訛った言葉なのだとか。ということで、ここは世界最古のユダヤ人居住区。16世紀初頭に700人から始まったghettoに、最盛期は5,000人が住んでいたという。

  • 小腹が空いたので、Orient Experienceへ。A君の行きつけの店らしい。イートインスペースのある総菜店という感じ。料理は既に作ってあるので、ファーストフードとも言える。

    小腹が空いたので、Orient Experienceへ。A君の行きつけの店らしい。イートインスペースのある総菜店という感じ。料理は既に作ってあるので、ファーストフードとも言える。

  • 中近東料理の店に入るのは、初めて。ケバブなら、キプロスで食べたけど。写真は、シリア料理とアフガニスタン料理…だったかな。米と肉、どちらがどちらの国だったか、失念。イタリアに来て、こういう料理を味わうのも、友達が出来たからこそ。<br /><br />私は16:30から授業があるので、友達とお別れ。

    中近東料理の店に入るのは、初めて。ケバブなら、キプロスで食べたけど。写真は、シリア料理とアフガニスタン料理…だったかな。米と肉、どちらがどちらの国だったか、失念。イタリアに来て、こういう料理を味わうのも、友達が出来たからこそ。

    私は16:30から授業があるので、友達とお別れ。

  • 前の晩、オーストリア人のamicheと一緒に行ったサンマルコ広場。一人で、もう一度、行ってみたくなり、20:30に授業が終わってから行ったら、夕焼けが終わっていた。ライトアップされたS.Maria della salute(救済の聖母マリア)が見える。1681年築。このドームは、ヴェネツィアのシンボルの一つ。

    前の晩、オーストリア人のamicheと一緒に行ったサンマルコ広場。一人で、もう一度、行ってみたくなり、20:30に授業が終わってから行ったら、夕焼けが終わっていた。ライトアップされたS.Maria della salute(救済の聖母マリア)が見える。1681年築。このドームは、ヴェネツィアのシンボルの一つ。

  • サンマルコ広場アーケードの彫刻。

    サンマルコ広場アーケードの彫刻。

  • 7月23日(木)午後、再びA君達と待ち合わせ。Campo S.Margheritaから少し歩くと、vini al bottegonがあった。こちらの店は、Mちゃんのお勧め。

    7月23日(木)午後、再びA君達と待ち合わせ。Campo S.Margheritaから少し歩くと、vini al bottegonがあった。こちらの店は、Mちゃんのお勧め。

  • ずらりと並んだcicchetti.robiola(ピエモンテ州・ロンバルディア州の柔らかなチーズ)とイクラのトッピングを選び、味わってみた。1.2ユーロ也。

    ずらりと並んだcicchetti.robiola(ピエモンテ州・ロンバルディア州の柔らかなチーズ)とイクラのトッピングを選び、味わってみた。1.2ユーロ也。

  • アカデミア橋より、前日夜景で見たS.Maria della saluteを望む。

    アカデミア橋より、前日夜景で見たS.Maria della saluteを望む。

  • 音楽博物館に到着。内部は、表紙写真の通り。9:30-19:30。入場無料。サンマルコ広場とS.Vidalの間にあり、今まで往復計4回、前を通ったのに、全て19:30の閉館後だった…

    音楽博物館に到着。内部は、表紙写真の通り。9:30-19:30。入場無料。サンマルコ広場とS.Vidalの間にあり、今まで往復計4回、前を通ったのに、全て19:30の閉館後だった…

  • 教会の奥には、楽器工房を再現したような部屋もある。

    教会の奥には、楽器工房を再現したような部屋もある。

  • S.Maurizio(音楽博物館)の全景。1806年に再建された建物は、新古典主義建築。<br /><br />友達と3人での街歩きを終え、日本での再会を約束してお別れした。

    S.Maurizio(音楽博物館)の全景。1806年に再建された建物は、新古典主義建築。

    友達と3人での街歩きを終え、日本での再会を約束してお別れした。

  • 7月24日(金)。翌日は早朝出発のため、ヴェネツィア最終日。前日、S.Silvestroのfermataが工事を終え再開。発つ時になって初めて、campo di S.Silvestroで立ち止まり、S.Silvestroをゆっくり眺める。鐘楼は工事中の模様。

    7月24日(金)。翌日は早朝出発のため、ヴェネツィア最終日。前日、S.Silvestroのfermataが工事を終え再開。発つ時になって初めて、campo di S.Silvestroで立ち止まり、S.Silvestroをゆっくり眺める。鐘楼は工事中の模様。

  • S.Polo.  S.Polo地区に7泊もして、この教会(有料)に足を踏み入れることもなかった。鐘楼は1362年築。campo di S.Poloは、ヴェネツィアのcampoの中で最大。ヴェネツィアの広場で最も大きいのは、Piazza S.Marco.

    S.Polo. S.Polo地区に7泊もして、この教会(有料)に足を踏み入れることもなかった。鐘楼は1362年築。campo di S.Poloは、ヴェネツィアのcampoの中で最大。ヴェネツィアの広場で最も大きいのは、Piazza S.Marco.

  • 21時、語学学校のattivita&#39;(最初で最後の参加。無料)。集合場所は、campo di S.Giacometto. テーマは「リアルト市場」。写真は、この広場にあるGobbo di Rialto(せむし男)。1541年の作で、行政官が布告を読み上げる時に乗る台を背負っている。<br /><br />リアルト市場は、11世紀にはヴェネツィア共和国の経済の中心地となり、現在のような生鮮食品の売買のみならず、銀行(bancogiro:手形交換所)、保険会社、貿易会社が軒を連ねていた。アジアからの品をヨーロッパに売る中継貿易で莫大な富を得ていた。<br /><br />また、火事をを恐れるヴェネツィアには、ピザ釜のある店が2軒しかなく、あとは全て電気式。ヴェネツィアではピザを食べない方が良さそう。

    21時、語学学校のattivita'(最初で最後の参加。無料)。集合場所は、campo di S.Giacometto. テーマは「リアルト市場」。写真は、この広場にあるGobbo di Rialto(せむし男)。1541年の作で、行政官が布告を読み上げる時に乗る台を背負っている。

    リアルト市場は、11世紀にはヴェネツィア共和国の経済の中心地となり、現在のような生鮮食品の売買のみならず、銀行(bancogiro:手形交換所)、保険会社、貿易会社が軒を連ねていた。アジアからの品をヨーロッパに売る中継貿易で莫大な富を得ていた。

    また、火事をを恐れるヴェネツィアには、ピザ釜のある店が2軒しかなく、あとは全て電気式。ヴェネツィアではピザを食べない方が良さそう。

  • 7月25日(土)。朝7時前にS.Silvestroよりvaporettoに乗る。ヴェネツィアで、最もゆっくりCanal Grande 沿いの建物を眺めたひととき。早朝で人が少なかったから。<br /><br />写真は、Ca&#39; d&#39;oro(黄金の館。かつて外壁に金箔が施されていた).1430年築。ヴェネツィア風の花模様を用いたゴシック様式。

    7月25日(土)。朝7時前にS.Silvestroよりvaporettoに乗る。ヴェネツィアで、最もゆっくりCanal Grande 沿いの建物を眺めたひととき。早朝で人が少なかったから。

    写真は、Ca' d'oro(黄金の館。かつて外壁に金箔が施されていた).1430年築。ヴェネツィア風の花模様を用いたゴシック様式。

  • ca&#39; pesaro(ペーザロ家の家).canal grandeに面したファザードの完成は、1,710年。市に寄贈され、現在は国際現代美術館として使われている。

    ca' pesaro(ペーザロ家の家).canal grandeに面したファザードの完成は、1,710年。市に寄贈され、現在は国際現代美術館として使われている。

  • S.Stae.1,709年築。<br /><br />思えば、今回のホームスティも、味わい深かった。到着時、一駅先のfermata で降り、30分歩いてアパートに着いたと言うと、la padronaは、グラスに冷たい白ワインを注いで、出してくれた。

    S.Stae.1,709年築。

    思えば、今回のホームスティも、味わい深かった。到着時、一駅先のfermata で降り、30分歩いてアパートに着いたと言うと、la padronaは、グラスに冷たい白ワインを注いで、出してくれた。

  • Palazzo Belloni Battaglia(ベローニ家の宮殿).<br /><br />pancettaを買って来て、「これ、生でも食べられる?」と聞くと、la padronaは、一緒にパスタを茹でて、pranzoにしようと言ってくれ、2人で食べたスパゲティも、忘れられない。鍋に水を入れ、火にかけた時、アパートの5階(日本の6階)だというのに、窓の外から男性にBuon giorno, signora!と声をかけられ、びっくり。外壁には足場が設けられていて、メンテ工事業者さんだった。la padronaが彼と話しているうちにお湯が沸き、私がパスタを入れた。

    Palazzo Belloni Battaglia(ベローニ家の宮殿).

    pancettaを買って来て、「これ、生でも食べられる?」と聞くと、la padronaは、一緒にパスタを茹でて、pranzoにしようと言ってくれ、2人で食べたスパゲティも、忘れられない。鍋に水を入れ、火にかけた時、アパートの5階(日本の6階)だというのに、窓の外から男性にBuon giorno, signora!と声をかけられ、びっくり。外壁には足場が設けられていて、メンテ工事業者さんだった。la padronaが彼と話しているうちにお湯が沸き、私がパスタを入れた。

  • Fondaco dei Turchi(トルコ商館).<br /><br />それでも、もう一週間延長したかったかというと、no.ある朝、起きるとベッドの下に水たまりが。エアコンから出た水を外に出さず、ポリタンクに貯めているので、それが溢れたのだ。<br /><br />また、エレベータなしの6階に住む事は、なかなかしんどい。ある日、牛乳とオレンジジュースを買って来ると言ったら、la padronaがpianoterraのボイラー室に袋に入れて下げておいて授業に行けばと言う。そうしておいて、夜に学校から帰ったら、袋がなくなっていた。しょんぼりしてアパートに戻ると、la padronaが私が家に上げておいたと言って、大笑い。<br /><br />そして、ヴェネツィアの家は傾いている。スーツケースを床に立てて置くと、ひとりでに転がった。

    Fondaco dei Turchi(トルコ商館).

    それでも、もう一週間延長したかったかというと、no.ある朝、起きるとベッドの下に水たまりが。エアコンから出た水を外に出さず、ポリタンクに貯めているので、それが溢れたのだ。

    また、エレベータなしの6階に住む事は、なかなかしんどい。ある日、牛乳とオレンジジュースを買って来ると言ったら、la padronaがpianoterraのボイラー室に袋に入れて下げておいて授業に行けばと言う。そうしておいて、夜に学校から帰ったら、袋がなくなっていた。しょんぼりしてアパートに戻ると、la padronaが私が家に上げておいたと言って、大笑い。

    そして、ヴェネツィアの家は傾いている。スーツケースを床に立てて置くと、ひとりでに転がった。

  • Palazzo Labia(ラビア家の宮殿).ここで1951年、世紀のパーティと呼ばれた仮面舞踏会が開かれたという。

    Palazzo Labia(ラビア家の宮殿).ここで1951年、世紀のパーティと呼ばれた仮面舞踏会が開かれたという。

  • Palazzo Flangini(フランギニ家の宮殿).1664-1682年築のバロック建築。Biennaleの赤い垂れ幕が掛かっている。

    Palazzo Flangini(フランギニ家の宮殿).1664-1682年築のバロック建築。Biennaleの赤い垂れ幕が掛かっている。

  • Piazzale Roma発7:50のATVO(地元では、アッチボーと呼ぶらしい)で、いざCortina(ドロミテ)へ。

    Piazzale Roma発7:50のATVO(地元では、アッチボーと呼ぶらしい)で、いざCortina(ドロミテ)へ。

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