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『源氏物語』に登場する六条院原苑のモデルとなった源融の河原院跡地の風情を湛える「渉成園」を訪ねてみました。東本願寺から東へ150mほどの距離にある飛地境内地にある別邸です。敷地は正方形に近く、一辺が100間(約189m)あったために 「百間屋敷」とも称されましたが、元々は鴨川にまで達する広大なものだったそうです。また、外周に枳殻(からたち)が植えられていたことから枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれ、4月になると枳殻の白い花が咲き始めます。JR京都駅の直近にありながら雑踏の喧騒と無縁の景観が愉しめる都会のオアシスです。<br />渉成園が池泉回遊式庭園を持つ飛地境内地となったのは、1641年に徳川家光が12代 宣如に土地を寄進したことにはじまります。その土地は約1万坪にもおよび、石川丈山の趣向を取り入れた作庭を進めた宣如は庭園が完成する頃に隠退しますが、その隠棲の地としてこの土地の一部を当てたのが渉成園のはじまりです。この地は、平安時代初期に源融が奥州塩釜の風景を模して造った河原院の跡に近く、作庭に際し、 印月池(いんげつち)と呼ばれる広い池を中心に池には島を浮かべて石橋や土橋で結び、周囲には樹木を茂らせて源融を偲ぶ名所もあり、平安朝の面影を再現しています。現在の建物は蛤御門の変による大火後の再建ですが、変化に富んだ景観は「十三勝」や「十景」と称され、1936(昭和11)年には国の名勝に指定されています。<br />渉成園の名は、中国の詩人 陶淵明(とうえんめい)が官を辞して故郷に帰り、故郷での田園生活を歌った『帰去来辞』の一節「園日渉而以成趣(園、日に渉って以って趣を成す)」から採られています。その名に相応しく、日々移ろい行く四季の美しさを湛える庭園に仕上げられています。<br />近年の研究により、渉成園を源融邸とする根拠はないというのが定説になっているのですが、最先端技術の投入で新しい発見がなされて歴史ロマンに水を差されることもままあるものです。<br />東本願寺のHPです。<br />http://www.higashihonganji.or.jp/worship/shoseien/

九夏三伏 京都逍遥④渉成園

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2015/07/28 - 2015/07/28

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    68

    montsaintmichel

    montsaintmichelさん

    『源氏物語』に登場する六条院原苑のモデルとなった源融の河原院跡地の風情を湛える「渉成園」を訪ねてみました。東本願寺から東へ150mほどの距離にある飛地境内地にある別邸です。敷地は正方形に近く、一辺が100間(約189m)あったために 「百間屋敷」とも称されましたが、元々は鴨川にまで達する広大なものだったそうです。また、外周に枳殻(からたち)が植えられていたことから枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれ、4月になると枳殻の白い花が咲き始めます。JR京都駅の直近にありながら雑踏の喧騒と無縁の景観が愉しめる都会のオアシスです。
    渉成園が池泉回遊式庭園を持つ飛地境内地となったのは、1641年に徳川家光が12代 宣如に土地を寄進したことにはじまります。その土地は約1万坪にもおよび、石川丈山の趣向を取り入れた作庭を進めた宣如は庭園が完成する頃に隠退しますが、その隠棲の地としてこの土地の一部を当てたのが渉成園のはじまりです。この地は、平安時代初期に源融が奥州塩釜の風景を模して造った河原院の跡に近く、作庭に際し、 印月池(いんげつち)と呼ばれる広い池を中心に池には島を浮かべて石橋や土橋で結び、周囲には樹木を茂らせて源融を偲ぶ名所もあり、平安朝の面影を再現しています。現在の建物は蛤御門の変による大火後の再建ですが、変化に富んだ景観は「十三勝」や「十景」と称され、1936(昭和11)年には国の名勝に指定されています。
    渉成園の名は、中国の詩人 陶淵明(とうえんめい)が官を辞して故郷に帰り、故郷での田園生活を歌った『帰去来辞』の一節「園日渉而以成趣(園、日に渉って以って趣を成す)」から採られています。その名に相応しく、日々移ろい行く四季の美しさを湛える庭園に仕上げられています。
    近年の研究により、渉成園を源融邸とする根拠はないというのが定説になっているのですが、最先端技術の投入で新しい発見がなされて歴史ロマンに水を差されることもままあるものです。
    東本願寺のHPです。
    http://www.higashihonganji.or.jp/worship/shoseien/

    同行者
    カップル・夫婦
    交通手段
    高速・路線バス 私鉄 徒歩
    旅行の満足度
    5.0
    観光
    5.0

    PR

    • 渉成園 西門(冠木門 かぶきもん)<br />京都市美術館へ向かう前に名勝「渉成園」を訪れ、しばし清閑な庭園散策と洒落込みました。東本願寺の御影堂門を潜り抜け、烏丸通を横断し、中珠数屋町通を東に歩むとこの西門があります。現在出入りできる場所は、この西門だけのようです。<br />門を入ると右手に拝観受付所があり、500円以上の協力寄付金が必要ですが立派なA4サイズのパンフレット(解説付き写真集)がいただけます。<br />ブログのコメントは、主にこのパンフレットを参考にさせていただいています。<br /><br />現在、真宗大谷派は「渉成園」の本格的な保存整備工事を進めています。2023年度までに楼閣「傍花閣」の屋根の葺き替えや「印月池」の護岸、傾いた石組みの修理、生育が進んだために築地塀を歪ませている樹木の伐採などを計画的に実施するようです。つまり、「創建当初の姿に近づける」のが目的です。尚、工事期間中の拝観は通常通り行う方針だそうです。

      渉成園 西門(冠木門 かぶきもん)
      京都市美術館へ向かう前に名勝「渉成園」を訪れ、しばし清閑な庭園散策と洒落込みました。東本願寺の御影堂門を潜り抜け、烏丸通を横断し、中珠数屋町通を東に歩むとこの西門があります。現在出入りできる場所は、この西門だけのようです。
      門を入ると右手に拝観受付所があり、500円以上の協力寄付金が必要ですが立派なA4サイズのパンフレット(解説付き写真集)がいただけます。
      ブログのコメントは、主にこのパンフレットを参考にさせていただいています。

      現在、真宗大谷派は「渉成園」の本格的な保存整備工事を進めています。2023年度までに楼閣「傍花閣」の屋根の葺き替えや「印月池」の護岸、傾いた石組みの修理、生育が進んだために築地塀を歪ませている樹木の伐採などを計画的に実施するようです。つまり、「創建当初の姿に近づける」のが目的です。尚、工事期間中の拝観は通常通り行う方針だそうです。

    • 高石垣<br />門を入ってすぐ正面に立ち塞がるのが、この味わい深い高石垣です。隠居屋敷という私的な空間ということもあり、庭園内には遊び心を感じさせるものが随所に配されています。<br />アート感覚でリミックスに石組みされたモダンな石垣に暫し足が止まります。石垣と言えば同じ大きさや形の石を積み上げるのが定番ですが、この高石垣に使われている石は様々な大きさや形をし、一つひとつ見ていくと大いなる発見があります。石橋のように長い切石やリアルに穴の開いた石臼、瓦、、山石、礎石といった多様な石をリユースし、まるでパズルのように組合わせて表情豊かなアイストップを構成しています。江戸時代のエコロジー精神を垣間見る思いです。

      高石垣
      門を入ってすぐ正面に立ち塞がるのが、この味わい深い高石垣です。隠居屋敷という私的な空間ということもあり、庭園内には遊び心を感じさせるものが随所に配されています。
      アート感覚でリミックスに石組みされたモダンな石垣に暫し足が止まります。石垣と言えば同じ大きさや形の石を積み上げるのが定番ですが、この高石垣に使われている石は様々な大きさや形をし、一つひとつ見ていくと大いなる発見があります。石橋のように長い切石やリアルに穴の開いた石臼、瓦、、山石、礎石といった多様な石をリユースし、まるでパズルのように組合わせて表情豊かなアイストップを構成しています。江戸時代のエコロジー精神を垣間見る思いです。

    • 高石垣<br />石垣の手前に植えられているのが、別称「枳殻邸」の由来になった枳穀(からたち)です。鋭い棘があることから、外敵の侵入を防ぐ目的で生垣によく使われていたそうです。<br />因みに、京都の人に道を聞く場合は、渉成園と言っても通じません。枳殻邸(きこくてい)が通称になっていますのでご注意ください。<br /><br />渉成園の作庭者については、洛北で詩仙堂を営んだ詩人・書家の石川丈山の名が挙げられています。江戸初期の史料から宣如と丈山の関係が詳らかになるにつれ、丈山が関与した可能性が高まっています。<br />敷地北西寄りの小さな池から、東南寄りの大きな印月池まで遣水(やりみず)で繋がれ、大きな池には中島を造り、橋を架け、瀟洒な茶亭 縮遠亭(しゅくえんてい)などを設けた回遊式の庭園です。隠居屋敷という私的空間のため、庭園内には遊び心が満載なのも魅力のひとつです。<br />尚、平安時代前期には左大臣 源融(みなもとのとおる)所縁の「六条河原院」の旧蹟の庭があったという説もありますが、種々の文献資料により現在はその可能性は薄れています。因みに、源融は、かの『源氏物語』の光源氏のモデルと言われる人物です。

      高石垣
      石垣の手前に植えられているのが、別称「枳殻邸」の由来になった枳穀(からたち)です。鋭い棘があることから、外敵の侵入を防ぐ目的で生垣によく使われていたそうです。
      因みに、京都の人に道を聞く場合は、渉成園と言っても通じません。枳殻邸(きこくてい)が通称になっていますのでご注意ください。

      渉成園の作庭者については、洛北で詩仙堂を営んだ詩人・書家の石川丈山の名が挙げられています。江戸初期の史料から宣如と丈山の関係が詳らかになるにつれ、丈山が関与した可能性が高まっています。
      敷地北西寄りの小さな池から、東南寄りの大きな印月池まで遣水(やりみず)で繋がれ、大きな池には中島を造り、橋を架け、瀟洒な茶亭 縮遠亭(しゅくえんてい)などを設けた回遊式の庭園です。隠居屋敷という私的空間のため、庭園内には遊び心が満載なのも魅力のひとつです。
      尚、平安時代前期には左大臣 源融(みなもとのとおる)所縁の「六条河原院」の旧蹟の庭があったという説もありますが、種々の文献資料により現在はその可能性は薄れています。因みに、源融は、かの『源氏物語』の光源氏のモデルと言われる人物です。

    • 高石垣<br />中央にある穴の開いた丸い石が石臼をリサイクルしたものです。<br /><br />中国の「西湖十景」に倣って「渉成園十三景」が命名され、その風雅さは多くの人たちに賞賛されました。ことに儒学者・漢学者の頼山陽(らいさんよう)は、『渉成園記』で園内の風雅な様を讃え、主な建物や景物を「十三景」に分けて紹介しています。<br />『渉成園記』が執筆された頃まで渉成園は火災に遭っておらず、造営当初の姿が残っていたと考えられますが、惜しいことに江戸時代末期の2度の火災により、建物は焼失し、今ある建物は1864(元治元)年の蛤御門の変による炎上以降に復興されたものです。しかし、忠実に復元されており、頼山陽が賞賛したかつての姿を偲ぶことができます。

      高石垣
      中央にある穴の開いた丸い石が石臼をリサイクルしたものです。

      中国の「西湖十景」に倣って「渉成園十三景」が命名され、その風雅さは多くの人たちに賞賛されました。ことに儒学者・漢学者の頼山陽(らいさんよう)は、『渉成園記』で園内の風雅な様を讃え、主な建物や景物を「十三景」に分けて紹介しています。
      『渉成園記』が執筆された頃まで渉成園は火災に遭っておらず、造営当初の姿が残っていたと考えられますが、惜しいことに江戸時代末期の2度の火災により、建物は焼失し、今ある建物は1864(元治元)年の蛤御門の変による炎上以降に復興されたものです。しかし、忠実に復元されており、頼山陽が賞賛したかつての姿を偲ぶことができます。

    • 高石垣の手前を左方向に進んで右折すると、こうした庭園北口までのアプローチが待ち受けています。単なるアプローチなのですが、ここにもいろいろな仕掛けがあります。<br />通路右手の高石垣の奥にある建物群に通じる門は、簡素ながら侘び寂びを湛えています。扉の透かしは特に凝った意匠です。<br />通路の左側には竹垣が伸び、右手には白い源氏塀が訪問者を北口へと誘います。塀軒下には古瓦が並べられ、石が配された趣のあるアプローチです。

      高石垣の手前を左方向に進んで右折すると、こうした庭園北口までのアプローチが待ち受けています。単なるアプローチなのですが、ここにもいろいろな仕掛けがあります。
      通路右手の高石垣の奥にある建物群に通じる門は、簡素ながら侘び寂びを湛えています。扉の透かしは特に凝った意匠です。
      通路の左側には竹垣が伸び、右手には白い源氏塀が訪問者を北口へと誘います。塀軒下には古瓦が並べられ、石が配された趣のあるアプローチです。

    • 埋め込まれた瓦と石臼を組合わせた、遊び心満点のオブジェです。<br />渉成園は、14代 琢如以降も歴代の隠居所となり、現在も東本願寺の関係者の住まいとなっています。そのため、入口側の休憩所を除き、同園内での飲食はできません。その分、余計な喧騒に巻き込まれることなく、静かに庭を愛でることができます。

      埋め込まれた瓦と石臼を組合わせた、遊び心満点のオブジェです。
      渉成園は、14代 琢如以降も歴代の隠居所となり、現在も東本願寺の関係者の住まいとなっています。そのため、入口側の休憩所を除き、同園内での飲食はできません。その分、余計な喧騒に巻き込まれることなく、静かに庭を愛でることができます。

    • 庭園北口<br />手前には織部灯籠が置かれています。この庭園北口は趣を異にする造りですが、これは北と南にある建物を結ぶ廊下の一部に庭園入口を設けているためです。<br />北口を潜り抜けると植栽の濃い緑が広がり、北(左)へ進めば臨池亭・滴翠軒、南(右)に進めば園林堂・傍花閣に至ります。<br />初めての訪問なので、見落としのないようにパンフレットに記されたガイドマップ順路に従って臨池亭・滴翠軒へ向かいます。

      庭園北口
      手前には織部灯籠が置かれています。この庭園北口は趣を異にする造りですが、これは北と南にある建物を結ぶ廊下の一部に庭園入口を設けているためです。
      北口を潜り抜けると植栽の濃い緑が広がり、北(左)へ進めば臨池亭・滴翠軒、南(右)に進めば園林堂・傍花閣に至ります。
      初めての訪問なので、見落としのないようにパンフレットに記されたガイドマップ順路に従って臨池亭・滴翠軒へ向かいます。

    • 臨池亭(りんちてい)・滴翠軒(てきすいけん)<br />滴翠軒(奥)と臨池亭 (左)の2つの建物が吹き放しの廊下で繋がっています。どちらも池に面した開放的な建物です。濡れ縁を池の中に巡らし、緩やかな勾配の瓦屋根が深く軒を差し出しています。これら2つの建物を併せて「臨池亭」と呼んでいた時代には、北にある「滴翠軒」に対し、南にある建物を「喫茶居」と称していたそうです。『都名所図会』では、「臨池殿の庭は小堀遠州の好みなり。風光奇々として真妙なり」と記されていますので、当時は2つの建物があったとしても併せてこのように呼ばれていたようです。

      臨池亭(りんちてい)・滴翠軒(てきすいけん)
      滴翠軒(奥)と臨池亭 (左)の2つの建物が吹き放しの廊下で繋がっています。どちらも池に面した開放的な建物です。濡れ縁を池の中に巡らし、緩やかな勾配の瓦屋根が深く軒を差し出しています。これら2つの建物を併せて「臨池亭」と呼んでいた時代には、北にある「滴翠軒」に対し、南にある建物を「喫茶居」と称していたそうです。『都名所図会』では、「臨池殿の庭は小堀遠州の好みなり。風光奇々として真妙なり」と記されていますので、当時は2つの建物があったとしても併せてこのように呼ばれていたようです。

    • 臨池亭・滴翠軒<br />滴翠軒の東側には「檜垣の燈籠」と称される石燈籠と「滴翠軒」の名称の由来となった田辺朔朗博士により1897年に設けられた琵琶湖疏水からの防火用水本願寺水道「池に落ちる小滝(滴翠)」があります。檜垣という銘の由来については、はっきりしたことは伝えられていないそうです。背後の築山は「キリシマヤマ」と呼ばれています。

      臨池亭・滴翠軒
      滴翠軒の東側には「檜垣の燈籠」と称される石燈籠と「滴翠軒」の名称の由来となった田辺朔朗博士により1897年に設けられた琵琶湖疏水からの防火用水本願寺水道「池に落ちる小滝(滴翠)」があります。檜垣という銘の由来については、はっきりしたことは伝えられていないそうです。背後の築山は「キリシマヤマ」と呼ばれています。

    • 臨池亭・滴翠軒 檜垣の燈篭<br />私説で恐縮ですが、蓮台寺(熊本市西区蓮台寺)にある「檜垣の塔」に似た形の燈篭であることから「檜垣の燈篭」と名付けられたのではないかとひとりでロマンを膨らませています。<br />檜垣の嫗(おうな)は、平安時代中期(10世紀)の閨秀女流歌人で、世阿弥の能『檜垣』のモデルとして世に知られています。一説には、檜垣は、筑紫の白河に住み、名高く事好む女と言われ、藤原興範に水を汲むように乞われ、「年ふればわが黒髪も白河の みづはくむまで老いにけるかも」と詠んだほどです。しかしその人物像は謎のベールに包まれたままです。因みに、鎌倉時代に書かれた『無名草子』には、清原元輔と親交を結んで産まれた子が清少納言であるかのように記されているそうです。何れにせよ、檜垣は、謎こそ多いものの、名高い高貴な女性だったことが窺えます。<br />「檜垣の塔」は、檜垣の墓石とも伝えられ、室町時代にはすでに著名だったそうです。<br />檜垣の塔についてはこちらを参照してください。<br />http://blog.goo.ne.jp/np4626/e/e777a63677c2d372e6a91c1719c2fb16<br />

      臨池亭・滴翠軒 檜垣の燈篭
      私説で恐縮ですが、蓮台寺(熊本市西区蓮台寺)にある「檜垣の塔」に似た形の燈篭であることから「檜垣の燈篭」と名付けられたのではないかとひとりでロマンを膨らませています。
      檜垣の嫗(おうな)は、平安時代中期(10世紀)の閨秀女流歌人で、世阿弥の能『檜垣』のモデルとして世に知られています。一説には、檜垣は、筑紫の白河に住み、名高く事好む女と言われ、藤原興範に水を汲むように乞われ、「年ふればわが黒髪も白河の みづはくむまで老いにけるかも」と詠んだほどです。しかしその人物像は謎のベールに包まれたままです。因みに、鎌倉時代に書かれた『無名草子』には、清原元輔と親交を結んで産まれた子が清少納言であるかのように記されているそうです。何れにせよ、檜垣は、謎こそ多いものの、名高い高貴な女性だったことが窺えます。
      「檜垣の塔」は、檜垣の墓石とも伝えられ、室町時代にはすでに著名だったそうです。
      檜垣の塔についてはこちらを参照してください。
      http://blog.goo.ne.jp/np4626/e/e777a63677c2d372e6a91c1719c2fb16

    • 臨池亭・滴翠軒 滴翠<br />真夏でも涼しさを呼ぶ、防火用水本願寺水道「池に落ちる小滝(滴翠)」です。<br />この小池には特別な名称はないのですが、園池と通称されています。琵琶湖疏水からの水はこの園池に注がれ、鑓水(やりみず=小川)を流れ下って庭園内にある印月池へと注がれます。

      臨池亭・滴翠軒 滴翠
      真夏でも涼しさを呼ぶ、防火用水本願寺水道「池に落ちる小滝(滴翠)」です。
      この小池には特別な名称はないのですが、園池と通称されています。琵琶湖疏水からの水はこの園池に注がれ、鑓水(やりみず=小川)を流れ下って庭園内にある印月池へと注がれます。

    • 臨池亭<br />滴翠軒と共に池に面して1884(明治17)に再建された建物です。読んで字の如く、まさに池を臨んでいます。池に面して幅一間の広縁が張り出ているため、浮殿のように見えます。<br />臨池亭のガラス越しに見渡す碧一色の庭園の情緒ある風景です。臨池亭へは立ち入ることはできませんが、雰囲気だけ愉しむことができます。<br /><br />江戸後期には、この渉成園へは色々な人が遊びに訪れています。<br />14代将軍 家茂や15代将軍 慶喜も来ており、福井藩主 松平春嶽や貴族の三条実美、岩倉具視、明治天皇、ロシア皇太子ニコライ(後のニコライ皇帝?世)、ヘレン・ケラーと錚々たるメンバーです。東本願寺を宿所とした慶喜はこの庭園を気に入り、たびたび訪れたそうで、慶喜が筆を振るった「渉成園」の額も残されています。<br />因みに、東本願寺の火災時には寺内の避難所として使われたそうです。

      臨池亭
      滴翠軒と共に池に面して1884(明治17)に再建された建物です。読んで字の如く、まさに池を臨んでいます。池に面して幅一間の広縁が張り出ているため、浮殿のように見えます。
      臨池亭のガラス越しに見渡す碧一色の庭園の情緒ある風景です。臨池亭へは立ち入ることはできませんが、雰囲気だけ愉しむことができます。

      江戸後期には、この渉成園へは色々な人が遊びに訪れています。
      14代将軍 家茂や15代将軍 慶喜も来ており、福井藩主 松平春嶽や貴族の三条実美、岩倉具視、明治天皇、ロシア皇太子ニコライ(後のニコライ皇帝?世)、ヘレン・ケラーと錚々たるメンバーです。東本願寺を宿所とした慶喜はこの庭園を気に入り、たびたび訪れたそうで、慶喜が筆を振るった「渉成園」の額も残されています。
      因みに、東本願寺の火災時には寺内の避難所として使われたそうです。

    • 滴翠軒<十三景の一><br />奥の滴翠軒は「十三景の一」に当たります。現在の建物は、臨池亭と同年に再建されたものです。<br />縁側が池の中に張り出しているのがこの建物の特徴となっています。滴翠軒の内部には、花頭窓と床脇の半月形吹き抜けが印象的な座敷が設えられ、吹き放しの渡り廊下で臨池亭と繋げられています。

      滴翠軒<十三景の一>
      奥の滴翠軒は「十三景の一」に当たります。現在の建物は、臨池亭と同年に再建されたものです。
      縁側が池の中に張り出しているのがこの建物の特徴となっています。滴翠軒の内部には、花頭窓と床脇の半月形吹き抜けが印象的な座敷が設えられ、吹き放しの渡り廊下で臨池亭と繋げられています。

    • 代笠席(たいりつせき)<br />庭園の北部にある生垣や竹垣で巡らせた区画にある煎茶席で、1888(明治22)年に再建されたものです。人里離れた地を訪れた旅人が笠代わりに雨宿りする席ということから名付けられています。

      代笠席(たいりつせき)
      庭園の北部にある生垣や竹垣で巡らせた区画にある煎茶席で、1888(明治22)年に再建されたものです。人里離れた地を訪れた旅人が笠代わりに雨宿りする席ということから名付けられています。

    • 代笠席<br />雨戸が閉まっているので内部は見えませんが、内部は東西に4畳半2間が並んでいるそうです。かつてはここで来園者に煎茶を供し、「煎茶三席」の「茶店」として位置付けられています。その所以か、この建物の東側には茶畑が設けられています。<br />その茶畑を手前に入れてみました。

      代笠席
      雨戸が閉まっているので内部は見えませんが、内部は東西に4畳半2間が並んでいるそうです。かつてはここで来園者に煎茶を供し、「煎茶三席」の「茶店」として位置付けられています。その所以か、この建物の東側には茶畑が設けられています。
      その茶畑を手前に入れてみました。

    • 亀石井戸<br />代笠席の南東側を仕切る生垣の外側に「亀石井戸」があります。<br />亀の形に石組みされた井戸です。甲羅の部分が掘り込まれ、その中心に井筒が埋められていますが、現在は湧水していません。

      亀石井戸
      代笠席の南東側を仕切る生垣の外側に「亀石井戸」があります。
      亀の形に石組みされた井戸です。甲羅の部分が掘り込まれ、その中心に井筒が埋められていますが、現在は湧水していません。

    • 亀石井戸<br />このように尻尾の方から見た方が亀らしく見えます。<br />

      亀石井戸
      このように尻尾の方から見た方が亀らしく見えます。

    • 褐色の色合いと触角が毛深ことから、アブラゼミの抜け殻と思われます。<br />抜け殻なのに、木の幹にしっかりと逞しくくっ付いているのが不思議です。

      褐色の色合いと触角が毛深ことから、アブラゼミの抜け殻と思われます。
      抜け殻なのに、木の幹にしっかりと逞しくくっ付いているのが不思議です。

    • 園林堂(おんりんどう)<br />傍花閣に対応する持仏堂で、1957年に再建されたものです。正面4間で、中央間には桟唐戸を吊り、仏堂風の意匠としています。園林とは中国宮廷に造られた大規模な庭園を指すそうですが、仏教の世界では浄土を意味するそうです。桂離宮にも同じ「園林堂」という名前の持仏堂があります。<br />内部には、杉や水辺の月などを描いた版画家 棟方志功作の「天に伸ぶ杉木」「河畔の呼吸」と題された42面とも44面とも言われる襖絵で飾られているそうです。<br />

      園林堂(おんりんどう)
      傍花閣に対応する持仏堂で、1957年に再建されたものです。正面4間で、中央間には桟唐戸を吊り、仏堂風の意匠としています。園林とは中国宮廷に造られた大規模な庭園を指すそうですが、仏教の世界では浄土を意味するそうです。桂離宮にも同じ「園林堂」という名前の持仏堂があります。
      内部には、杉や水辺の月などを描いた版画家 棟方志功作の「天に伸ぶ杉木」「河畔の呼吸」と題された42面とも44面とも言われる襖絵で飾られているそうです。

    • 園林堂<br />正面軒下には『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』の著者として知られる南北朝時代の禅僧 虎関師練(こかんしれん)の揮毫による扁額「園林」が掛けられています。<br /><br />隠居するための屋敷として慎ましく内輪で利用されていた渉成園が、何故天下の名園として世に広められたのでしょうか?<br />その一大転換の筆頭要因は渉成園十三景の誕生ですが、18世紀の終わり頃に定められたと考えられるものの、誰がどのように定めたのかは不明だそうです。  <br />一般に、滴翠軒、傍花閣、印月池、臥龍堂、五松塢、侵雪橋、縮遠亭、紫藤岸、偶仙楼、双梅檐、漱枕居、回棹廊、丹楓渓の順に紹介される十三景ですが、この順は『渉成園記』によるもので、最初からこの順番となっていた訳ではないようです。恐らく、『渉成園記』によって渉成園の名が世に知れ渡るに従い、十三景の順番も『渉成園記』に倣うようになったものと考えられています。

      園林堂
      正面軒下には『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』の著者として知られる南北朝時代の禅僧 虎関師練(こかんしれん)の揮毫による扁額「園林」が掛けられています。

      隠居するための屋敷として慎ましく内輪で利用されていた渉成園が、何故天下の名園として世に広められたのでしょうか?
      その一大転換の筆頭要因は渉成園十三景の誕生ですが、18世紀の終わり頃に定められたと考えられるものの、誰がどのように定めたのかは不明だそうです。  
      一般に、滴翠軒、傍花閣、印月池、臥龍堂、五松塢、侵雪橋、縮遠亭、紫藤岸、偶仙楼、双梅檐、漱枕居、回棹廊、丹楓渓の順に紹介される十三景ですが、この順は『渉成園記』によるもので、最初からこの順番となっていた訳ではないようです。恐らく、『渉成園記』によって渉成園の名が世に知れ渡るに従い、十三景の順番も『渉成園記』に倣うようになったものと考えられています。

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