2015/07/09 - 2015/07/21
72位(同エリア343件中)
極楽人さん
ボルドーの通称は『月の港』。ガロンヌ川が蛇行して大西洋に流れ込む入江の、湾曲で出来た三日月形の街だ。紀元前からガリア人が住んだ集落はローマ時代までに商業都市として発展し、周辺に良質なワインを送り出した。現在も欧州を南北につなぐ交通の要衝であり、18世紀以降の都市計画で生まれた瀟洒な街並みは2007年に世界遺産登録されている。
当初はボルドーからの帰国を考えていたが飛行機に席がなく、パリへ移動することとなった。パリの二泊は、買い物以外はノープランの"おまけ”である。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- KLMオランダ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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サルラ始発列車でボルドーへ向かう。
11:05 Sarlat-la-Caneda(RE)
13:55 Bordeaux St.Jean -
出発から10分後、右の車窓にべナック城が現れた。サルラを護る砦のひとつだ。
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ボルドーが近づくにつれて、車窓にぶどう畑が増えてきた。
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一帯は、世界で最も高いワインを産するサン=テミリオン、ポムロール、フロンサックなどの世界的ぶどう園が集まっている。
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バカンスシーズンが始まり、停車駅ごとに帰省客が増えて列車はいつの間にか満員になっていた。ガロンヌ川を渡ると、ボルドーの街が見えてくる。
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定刻に少し遅れて、サン・ジャン駅到着。
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ホテルは駅のすぐそば、というより同じ敷地内のようだ。
窓からはサン・ジャン駅。近すぎて、バルコニーで「裸で喫煙」はちょっと具合が悪い。 -
サン・ジャン駅は街の南端にある。市街までは少し離れているが、トラムが便利だ。河畔を走るC線で数駅行くとポルト・ド・ブルゴーニュ駅。均整のとれた美しい街並が現れる。主な見所は、ここから西へ1キロ、北へ1キロの範囲にほぼ納まる。
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A線に乗り換えて、2つ目の市役所前で降りる。「ベイ・ベルラン塔」の上に、金色の聖母像。高い所には上ってみる主義だが、この暑さに階段では意欲が湧かない。
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すぐ横に、サンタンドレ大聖堂。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路のモニュメントとして、世界遺産に登録されている。
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巡礼路は「パリの道」と名づけられている。「ル・ピュイの道」「アルルの道」「ヴェズレーの道」とならぶフランス内の4つの巡礼路のひとつだ。
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市役所から裏手に回ると、ボルドー美術館。「入場無料」に妻が反応して入館している間、木陰で寝転んでいた。広場の反対側は、結婚式の記念撮影で賑わっていた。
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「つまらなかった。」と妻が出てきて、また歩きはじめた。街路の上に聳える、サンタンドレ大聖堂の尖塔。
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サントカトリーヌ通りを北へ進む。デパート、専門店、安売り店が軒を連ねる大混雑の目抜き通りだ。"HEMA"という名の家庭用品の百円ショップも賑わっていた。フランス語の読みは、ヘマではなくエマだ。
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通りの突きあたりが、コメディ広場。高級ホテルや大劇場が建ち並んでいる。
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大劇場の角を右に回って、ガロンヌ河畔に出る。三階建てに揃えられた華麗な街並みは、18世紀以降の本格的な都市計画によって整えられたものだ。
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ボルドーで最初に架けられたピエール橋(1821)。長い間、橋がないことで"自然の要塞”だったのが、その後の発展には大きなマイナスになった。映画『ボン・ボヤージュ』には、ナチスの侵攻を逃れる群衆が大挙してこの橋を渡る印象的なシーンがあった。どうしても来たかった場所だ。
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ピエール橋に向かい合って、凱旋門。昔はここが街への入り口だったのだろう。
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同じく、隣の城門。
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足元に、巡礼路の標しが埋め込まれていた。
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『水鏡』は楽しい。石畳の上に薄く水を張ってあって、子供たちがはしゃぐ。暑い日は格好の遊び場だ。
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水に反転した街並みも優雅だが、
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油断していると、ときおりミストが噴き出す。
夜8時過ぎ、ライトアップの夜景を狙ってたくさんのカメラが待機している。 -
その間に、我々は夕食。ボルドーワイン。
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海が近いので、こんなものが食べたくなる。
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夜10時を過ぎて、ようやく点灯。
待ちくたびれて「帰ろうかと」思い始めた頃だった。 -
「・・・・・・」
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11時過ぎ、トラムC線でサン・ジャン駅のホテルに戻った。駅周辺は一晩中ざわついているので、神経質な人には向かないホテルだ。
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次の朝、TGVでパリへ移動する。幸運にも、チケットは20ユーロの最安価格でゲット。TGVは買い方を間違うと値段が何倍にも跳ね上がるので要注意。
08:18 Bordeaux St.Jean(TGV)
11:42 Paris Montparnasse -
ホテルはサン・ラザール駅に近い。大手予約サイトを通して前払いした筈だが、「未払い」と言われて少し揉めた。フロントから電話で予約サイトに解決を求めるも役に立たない。使い易いサイトなんだが、何か起こると「単なる仲介者」になってしまう無責任体質。まあ、繁忙期だから我慢しよう。いったん支払って、証拠の領収書をしっかり保管した。
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こんなことで時間を空費していられない。翌日は日曜だから大半の店がクローズする。妻の買い物はこの午後が"ラストチャンス”という訳だ。10枚綴りのメトロチケット(カルネ)を買って、先ずは行きたかった Les Halles 駅 の手芸店へ。次いでご指定のファザードへ急ぐ。
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最後は、オペラ座近くのいつものデパート。引率者としても、ここだけで何でも揃うのがありがたい。
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デパートは盛況。地元客に混じってインド系、アラブ系、アフリカ系・・・。人数と買い物の量で、チャイナパワーが圧倒していた。 迎えにくる場所と時刻を決め、妻を残してホテルに戻った。買い物は、街歩きよりずっと疲れる。
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日曜日は終日街歩き。前夜の激しい雷雨のおかげで、19℃と過ごしやすい。朝一番はシテ島のサント・シャペルへ。行列の出来る博物館だという。
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妻ひとりで入場し、その間は近くのカフェでのんびり。「ステンドグラスが綺麗」とのことだが、妻の写真からはうかがえない。ガイドブックをよく読むと「午後の光が美しい」と書いてあったが・・・。
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セーヌ河畔に出て、
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ノートルダム周辺をうろつき、
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やっぱり、いつものコースになる。
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"崩壊"で話題になった「鍵の橋」は、ここに移転したらしい。
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そのままサンジェルマンに足を向けた。この界隈は日曜でも開けている店が多く、早速「お菓子屋さん」で引っかかった。
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サンジェルマン・デ・プレ教会。
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雨模様の、サン・シュルビス教会。
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再び陽が射して、リュクサンブール公園。
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木陰のレストランで昼食をとった。
誰かのブログで紹介されていたメニューを注文。 -
そのあと、岸恵子が住んでいたというサン・ルイ島を通って、運河づたいに歩くとマレ地区。
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バスティーユ広場。1789年、フランス革命はここから始まった。
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ヴォージュ広場は美しい。四方を赤レンガの建物で囲まれた姿は、マドリッドのマヨール広場を想起させる。
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最下部はアーケードの商店街。「ちょっと待ってて」と言い残して、妻はどこかに消えた。たっぷり一時間後、大きな袋をいくつも抱えて戻ってきた。
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最後は、どうしてもここに来たくなる。パリ祭の飾りつけが残るシャンゼリゼ。
「日曜は休み」と思い込んでいたが、沿道の店はどこも営業していて妻が残念がった。もう閉店の時刻だった。 -
夕食にエスカルゴとカキを食べ収めて、翌日は帰国の途についた。
20.14:35 Paris − 15:55 Amsterdam
20.17:55 Amsterdam − 21.11:50 Narita
二時間遅れて成田到着。熱波の欧州を上回る"地獄の蒸し暑さ”に閉口した。
(完)
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この旅行記へのコメント (1)
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- rinnmamaさん 2015/09/13 19:20:34
- はじめまして
- 極楽人さん、こんばんは
ボルドーの写真を拝見させて頂きました。
素敵ですね!
私も、あの1枚の風景を写して、思い出にしたかったです^^
なぜか水鏡がなくて・・1週間後のマラソンの為だと思うのですが・・
奥様はお買い物がお好きなのですね!^^
今回はバスクも目的のひとつでしたので、ロカマドールなど無理でした・・
次の参考にさせて頂きたいと思います。
フォローをさせて頂きました。よろしくお願いいたします。
取り急ぎ、ご投票のお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
rinnmama
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