2015/07/09 - 2015/07/21
67位(同エリア453件中)
極楽人さん
フランスの田舎町は美しい。イタリアも負けないが、もう少し緻密で、陽気さも控えめな印象を受ける。原色を排したパステル画の風情か。
急峻な崖に張りつくロカマドールは巡礼者の聖地。正規の巡礼路からは外れるが「重要な寄り道」に指定されて、今も多くの参拝者が足を向ける。次いで訪ねたサルラ・ラ・カネダは中世期から500年に渡って繁栄を誇った堅牢な要塞都市。往時の姿がよく保存され、名産のフォアグラやトリュフ料理でも人気の高い観光地である。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- KLMオランダ航空
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07:38 Figeac(RE)発
08:12 Roc Amadour Padirac 到着
到着したのは無人駅。目的の村までは4kmほど離れていて、交通手段はない。
電車内で検札の車掌が、「遠いよ。だいじょうぶ?」と心配してくれた。 -
大丈夫だ。鉄道駅のすぐ向かいにある一軒宿を予約してある。
部屋は準備中で入れないが、荷物を預けてすぐに歩き始めることにする。この区間は、最初から「歩く」と決めていた。 -
駅の横から、村へ通じる歩行者用の道がはじまる。グーグル地図で、てっきり自動車道を歩くものと覚悟していたが、宿のオーナーに教わって大正解。安全だし、分岐点では方向も確認できる。
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何よりありがたいのは、まばらな木立が強い日射しをさえぎってくれること。
それに、巡礼路の雰囲気が味わえること。 -
道は自動車道とつかず離れず村まで続き、両側にはのどかな牧草地が広がる。
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先ず目指すのは、ロカマドールの手前にあるオスピタレ(L'Hospitalet)の展望台。3kmの道のりを、妻のペースに合わせて40分かけて歩く。
フィジャック駅で偶然知ったことだが、フィジャック駅前からロカマドールに直行するバスが出ていた。村の入り口まで行くらしい。驚きはしたが、もともと歩きたいと考えていたので変更はしなかった。苦労してこその絶景だ。 -
オスピタレの展望台。谷を隔ててロカマドールの全景が見渡せる。
午後は逆光になるというので、早めに出発した。悪くはないが、真正面から陽光に晒された姿はのっぺりして、どこか印象が薄い。強烈な太陽の前に、重々しい厳しさや威厳が霞んでしまったようだ。かえって、逆光の方が似合うかもしれない。 -
村の成り立ちは12世紀。崖の上の待避所に小さな礼拝堂が築かれたことに始まる。
聖アマドールの遺骸が発見され、13世紀末には絶頂期に達するが、その後の戦乱と宗教改革の中で何度も崩壊の危機に瀕した。現在の姿は19世紀に復元されたものだという。 -
因みに、「オスピタレ」はラテン語の「診療所」が語源だという。そんな機能を持った村だったのだろう。1時間ほど”絶景カフェ”でコーヒータイムをとり、出発。土産物屋の脇から坂道を下る。村の入り口まであと1kmだ。
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入り口の、イチジク門。
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門をくぐると、短い参道の両側に、ホテル、レストラン、土産物屋がぎっしり。江ノ島にも何処にもある観光地の様相。
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少し歩くと、正面がもう反対側の出口だ。
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その外側。
この谷を降りて振り返れば、いいアングルで写真が撮れる。頭でそう思っても、足がついてゆかない。真夏の強烈な日射しが、意欲も根性もとろかしていまう。ここに限らず、今回は暑さのせいで何度もシャッターチャンスを失している。撮影枚数も過去最低レベルだ。 -
次は、天まで続く階段。昔の巡礼者は、悟りを啓くために膝でよじ登ったという。宗教はいつも、苦行と奇跡で民を翻弄する。無宗教者はエレベーターで上がることにした。乗り場は通りの中ほど、4ユーロだったか。
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ここは全体が三層になっていて、最上部がお城、その下に聖堂群、いちばん下が土産物屋の並ぶ参道という構造。上からそれぞれ、貴族とナイト、聖職者、一般民衆が住んだとされる。
エレベーターは二層までしか行かない。実は、そこから先の階段が大変だった。 -
第二層は聖域。ウェブで調べたら、「サン・ソヴールのバシリカ、聖アマドゥールの納骨堂、聖人の名を頂く礼拝堂などが並ぶ」と書いてあった。どれがどれだか。
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故事にちなんで、岩肌に大天使ミシェルによって運ばれたローランの剣が突き刺さる。これは歴史か、聖職者のイタズラか。
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聖堂のテラスに出て、下界をのぞく。
風が気持ちいい。 -
足元に参道の赤い屋根、
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それはオスピタレの丘まで続いている。この道を歩いてきた。
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立派な展示室と並んで、岩をくりぬいた素朴な礼拝堂も。
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最上部に上る階段の途中に、もう少し大きい礼拝室。どこかに黒いマリア像もあったはずだが、見逃した。
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ここが最上部のお城。隣は駐車場。
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道なりに歩くと、下ることなくオスピタレに到達する。
順路を逆に辿っていたら、登りの苦労はなかったのだが・・・
午後、逆光になった。 -
陰影が、景観にちょうどいい重みをつけた。
ライトアップが綺麗だと聞いたが、暗くなる夜10時過ぎまで粘る気はない。夕方5時過ぎに、来た道を戻った。朝のかすかな涼気はうせて、帰路は強烈な日射しと戦う苦行となった。 -
宿の部屋から、真正面に鉄道駅が見える。
夕食の提供がないので、庭先のテーブルをお借りした。オスピタレのスーパーで買ってきたハムや果物を広げ、成田で夜食用に買ってそのまま仕舞いこんでいたカップ麺を出した。宿の奥さんがすぐお湯を入れてくれて、こういうのもいい。バーは営業中で、よく冷えたビールで生き返った。この宿、設備はともかく、旅人の一人ひとりを気遣ってくれて居心地がいい。 -
翌朝、サルラへ移動する。
長い距離ではないが、直線で結ぶ公共交通機関はない。鉄道だと、まるでふざけているかのような大廻りの経路になる。それで、スイヤック(Soillac)までタクシー、そこから民営の路線バスを利用することにした。 -
タクシーは、事前に宿のご主人に頼んでおいた。
宿を10時に出発。少し早いが、バスの時間に余裕が出来る。おばさんドライバーは「あれがドルドーニュ川」などと簡単なガイドを交えながら、緑の田園地帯を快走する。 -
30分ほどで、古都スイヤックの駅(正面の黄色い建物)前に到着した。メーターは48ユーロ。事前に「50ユーロくらい」と聞いていたので、チップを加えて50ユーロお支払いした。
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バスの時間まで、駅前のカフェで休憩。町の中心は少し離れていて、ここからは見えない。今回は素通りだ。
11:45 SouillacGare SNCF(Bus)出発
12:30 Sarlat Place Pasteur 到着 -
スイヤック駅前を発車したバスはサルラの鉄道駅を経由して、旧市街に近いバスターミナルまで行く。料金は一律2ユーロ。何処まで行こうが、とにかく「乗ったら2ユーロ」という料金体系らしい。この日、乗客は終点まで我々だけの「冷房付超大型格安タクシー」となった。
で、経営は大丈夫か? -
サルラは、修道院を領主とする中世都市である。ローマの教皇庁の直接支配から司教座都市となり、百年戦争では武器・弾薬を保管する堅牢な城塞として機能した。繁栄は17世紀まで続く。都市周辺には、防御を担った数カ所の砦が残っている。
市庁舎前のリベルテ広場。町全体が、黄褐色の分厚い石づくりで統一されている。 -
旧サントマリー教会脇の小道。
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誰?
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猫の額ほどの、ガチョウ広場。
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サルラは、ドゴール政権期に成立した「マルロー法」の適用第一号として修復され、貴重な歴史的景観を取り戻した。時代ごとの建築様式が競い合う姿は、「全体が博物館」とも言われている。
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16世紀の政治理論家、ラ・ポエシの家。
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「????」
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守護神、サン・サセルド大聖堂の尖塔。
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裏手に、共同墓地の『死者の角灯』。丸いのに角灯。
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景観上の魅力は、路地の美しさだ。
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細い横道を入ると、ハッとするほど美しい場所に出たりする。
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石の迷路。
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「・・・・・・」
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聖母の泉。メインストリート沿いなのに、ひっそりしている。
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もとは修道院だったというホテルの、すぐ前の小道。町を南北に貫くレピュブリック通りの、西側の高台にある。
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その近くの、坂道の路地。
ホテルで教わったレストランが緑色の看板を出している。 -
地元客だけの、上品で落ち着いた雰囲気。
もちろん、特産フォアグラもいただいた。 -
人気観光地の夜は遅い。
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リベルテ広場もライトアップ。
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翌朝、散歩をかねて旧市街のホテルと鉄道駅を往復した。この橋が見えたら駅は近い。普通に歩いて15分だが、駅の周辺は小高い丘になっている。荷物があると、30分必要だろう。 駅員がいたので、本日分のチケットを購入しておいた。
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朝食を済ませ、妻は市場の見学を終えて、サルラを離れる。粗い石の道を、駅までゴロゴロと荷物を引いてゆく。妻のは相当重くなっていて車輪がきしんだ音を立てる。30分かかって、サルラ鉄道駅に到着した。田舎めぐりはこれで終わり、大都会ボルドーへ向かう。
(完)
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