2015/06/22 - 2015/07/09
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Rolleiguyさん
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パンノニアというには少し大げさだが、行政区としてはジェール・ショプロンにあるFertoedの、ハプスブルク帝国時代のエステルハージー城を訪ね、更に南下して中世の街Koeszegを見物、それからオーストリアに入り、ベルバラにも登場し、数十人、数百人の若い娘の生血を吸ったという、エルジェーベト・バトリーで有名なロッケンハウス城を見学する旅。
Koeszeg以外は1992年、2002年に一度訪れたことがあるが、Fertoedの城は最初に訪ねた1992年には、当時の政権が文化財としての保護に余り熱心ではなく、資金不足もあって荒れるに任せていたが、今回見ると少なくとも外見はかなり修復されていた。古いガイドブックによると、内部の見学は団体に限られるため、残念ながら見ることが出来なかったが、ここはハイドンが24年間宮廷楽長を務めた由緒ある城であり、次回は是非内部見学をしてみたい。Koeszegは、ドイツ語名ではGuensといい、ハンガリーでは最も標高の高いところにある町。ロッケンハウス城は、保存状態も良く、現在でも催し物に使われていて、小規模ながら著名な音楽家を招いて音楽祭が行われているそうだ。中世の城(都市部の居城ではなく戦闘を前提とした城)として内部は興味深い。拷問部屋には有名な鉄の処女が残されているほか、拷問の方法を解説した資料まである。ウィーンやブダペストからはちょっと離れているので、日本人の訪問は少ないが、驚いたことにFertoedには中国人が団体で来ていた。今回の旅では、どこに行っても中国人の団体に遭遇したが、こんな田舎まで来ていることに本当に驚いた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅はオーストリアとハンガリーの国境近く、ノイジードラー湖畔から始まる。ここは、ユネスコの世界遺産に登録されている、葦の原に広がる湖で、豊かな生態系を保っている。この写真はオーストリア側のイルミッツに近い展望台から撮ったもの。
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飛んでいるのはコウノトリで、この近辺は民家の煙突の上に巣を作っているのが沢山見られる。地上にも降りているのがいる。この場所の対岸には、水上歌劇で知られているメルビッシュやルストといった町がある。野生動物が多い場所であり、後述のFertoed(湿地という意味)のエステルハージ城は、もともと狩りのために建てた城。
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以前はビザ申請で待たされた国境も、シェンゲン協定締結国間はフリーパスになった。しかし、ハンガリーは、周辺国(EUの旧東欧地域など)を経由した非EU国籍者の流入経路になっているとして、南の隣接国からの入国審査を厳しくする方針を打ち出し、EUと揉めている。
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Fertoedのエステルハージ城(エステルハーザ)正門。ハンガリーのヴェルサイユ宮殿と言われることもある。1760年から66年にかけて建築されたもので、当時の領主ミクロス・エステルハージは贅沢に暮らし、ハプスブルク皇帝に出来ることは自分にも出来る、と言ったことで有名。第2次大戦中に甚大な被害を受けたが、1990年代まで殆ど修復されずにいたのが、ハンガリーにも余裕が出来たのか、その後修復工事が行われた。内部の見学は団体で、ガイド付きでないと見ることが出来ないのが残念。何といっても、ハイドンが24年間も宮廷楽長を務めた場所で、交響曲のうち50曲以上を作曲した場所であり、ゆっくり見学したいものだ。なお、ハイドンは夏季はエスエテルハーザ、冬季はアイゼンシュタットに滞在することにしていたが、実際は殆どをエステルハーザで過ごしたそうだ。家族を帯同できたのはハイドンの他数名だったそうで、単身赴任の大勢の楽士はアイゼンシュタットに帰ることを切望し、それを察したハイドンが告別交響曲を作曲し、エステルハージ侯爵がやっと許したという逸話も良く知られている。
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横手の門。反対側にも同じような門がある。
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規模は大きくないものの、上品な佇まいだ。
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これはハイドンの像だと思うが、確認しなかった。ハイドンは1761年にパウル・アントン・エステルハージ侯爵に副楽長として雇われたが、その時の契約書を見ると、当時の音楽家の置かれた立場が如実に現れており、音楽家の誇りとか自尊心への敬意のかけらもないような内容で、命じられて作曲した曲は誰にも示さず、まして複写も禁止、ただ侯爵のためにだけ留めおくべきであること、侯爵の許可なく誰か他の人のために作曲することは出来ないこと、毎日午前と午後に参上し、当日演奏が必要かどうかの指示を待つこと、髪の結い方の指示、靴下や下着は白色にすること、楽士の指導を厳しくすること、飲食などで過度に親しくならないこと、等々が盛り込まれている。いわば華やかだが身分の低い雇われ者のような存在だっとのだろう。だから、この像がもしハイドンであっても、ずっと後世に作られたものだろうと思う。日本ではエステルハージ家に雇われたと記されることが多いが、この契約書を見ると、侯爵個人との契約になっているのが目をひく。1766年に侯爵の代替わりがあり、その時点でハイドンは楽長になった。
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ここの修復はまだ完全ではない。
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前方の建物の間が正門。
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エステルハージーは、今でも家系が続いているが、20年ほど前に当主が亡くなった時の新聞の死亡告知に、「Unser Fuerst(我らの領主)云々」と出ていたのには仰天し、知人の弁護士に皆そのような意識を今でも持っているのかと尋ねたところ、誰もそんな意識はない、エステルハージー家だけがつまらぬ特権意識を捨てきれていないのだ、との返事だった。オーストリアの場合、家系や身分、称号などに我々から見ると異常なほどの執念を持っている人が、特にウィーンに多い。名刺に恥ずかしくなるほどの称号を書き連ねている人は珍しくない。そうしたことを何よりも大切にするのは、昔の支配階級なのかもしれない。この紋章がエステルハージ家の紋章で、真ん中にLの字があるが、1687年にハプスブルク皇帝レオポルト1世により、侯爵に列せられたことへの感謝の印に、皇帝の頭文字を加えたものだと言う。
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さて、次は中世の街、Koeszeg(ドイツ語名Guens)に向かう。この建物は1階が美容院、2階がお菓子屋で、いずれもハンガリー語とドイツ語で書かれているのが、時代を彷彿とさせる。
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一番下のUndというのは英語のandのことであり、ハンガリー国内の村の名前だが、この辺りはクロアチア人の多い場所で、すぐそばのオーストリアに同化した住民が多いのかもしれない。
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この町の教会は、巡礼教会で、ここから巡礼教会として有名なオーストリアのマリアツェルまでの巡礼路が書かれていた。
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町はこじんまりとしていて、この案内図のようにそぞろ歩きを誘う雰囲気がある。
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この辺りから旧市街が始まる。
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この看板もハンガリー語とドイツ語で書かれている。ワインを飲ませるお店。
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1532年にトルコ軍が8万人の大軍勢を押し寄せた時に、町はわずか42人の兵隊と700人の市民が閉じこもった。トルコ軍の指揮官イブラヒム・パシャは、正午までに町を降伏させられない時には、見逃してやるとコーランにかけて誓ったという。市民はそれを知って、一計を案じ、11時に正午の鐘をならし、町は救われたという。
この門は、それを記念して建てられた英雄門だが、建築は1932年と新しい。 -
ロマネスク様式のようにも見えるが、ゴシック建築のイエスの心教会。丁度オルガンの練習をしていた。
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同教会の内陣。
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町の中心部。初期バロック様式のイムレ教会。
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丁度花嫁さんがいた。
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作曲家リストの胸像。リストはここから遠くないライディング(今はオーストリア領)に生まれたが、民族としてはハンガリー人。ハンガリーでは日本と同じように、姓が先に来るので、リスト・フェレンツと書かれている。
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次に、国境を越えてオーストリアに入り、ロッケンハウス城に来た。この城は吸血鬼と言われたエルジェーベト・バトリー侯爵夫人で有名になったが、実際に夫人が長く住んでいたのは別の城のようだ。ベルバラに出て来るそうだが、まだ見たことはない。毎年夏になると、著名バイオリニストのギドン・クレーメルなどがこの城を舞台に、1週間の音楽祭をもう随分長い間している。とても人気があり、海外から来る人も多く、チケットはすぐ売り切れると聞いた。
参照 www.kammermusikfest.at -
かなり立派なお城で、ハンガリーからの観光客が沢山いた。
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何の部屋だか忘れたが、兵士の食堂か?
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厨房。
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次は拷問部屋(Folterkammer)。これが有名な鉄の処女(Eiserne Jungfrau)。マドンナと言うことも。中に囚人を入れて蓋を占めると何本もある釘が刺さる仕組み。これを見せられただけで秘密を吐いてしまいそう。他の城でも見かけたことがあり、かなり普及していたようだ。
(小生旅行記「キーブルクのお城」にもあります)。 -
拷問の仕方を説明したもの。日本にもありそう。
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これは、手を上に固定し、足を縛り、体を引っ張って最後には手か足が千切れるという恐ろしい拷問具。
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マリア・テレジアの名前を冠した裁判規則。
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この城の代々の系統樹。
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現代的に内装を変えたらしい部屋。
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城の窓から村が見える。
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簡素だが、かなり立派な部屋。
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城にはコウモリがつきもののようで、ここでも子供たちが描いたコウモリの絵が沢山あった。ここでお土産にコウモリのキーホルダーを購入。
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城の内側。マンホールの蓋のようなものは明り取り。こうした城(居住用ではなく戦闘を前提とした城)はどれも似たような造りになっているが、この城はかなり大きい方で、内部の設備も整い、周囲の景色も美しく、なかなか見ごたえがあった。2009年に訪れた同じくオーストリアのラポッテンシュタイン城のような外観で、堂々とした城だ。(別の旅行記「ヴァッハウ渓谷右岸と周辺」に記してあります)
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