1996/08/01 - 1996/10/12
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JIC旅行センターさん
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■到着、ヤロスラブリ駅
139番列車は、鈍い金属音を響かせて減速し、何度もポイントを通過した後、プラットホームに滑り込んだ。牽引してきたチェコスロバキア製の電気機関車が深い溜め息をつく。
ついにモスクワのヤロスラブリ駅に到着したのだ。これで9297キロの世界最長の鉄道の旅が終わった。よくぞここまで走ってきたものだ。139番列車は、モスクワで車掌の交替をしないまま、本日中にウラジオストクへ向けて折り返すという。車掌も重労働ながら、車両の老化現象が著しい理由がわかったような気がした。
僕は、バックパックを背負い、スラーバにお別れをし、国境警備隊の将校ゲンナ一ジと一緒にホームに降り立った。列車は、予定より30分早い、23時30分に到着してしまった。イリーナがチュメニから打ったテレグラムが届いていれば、友人が来るのは30分後だ。僕は列車を降りた場所で待っていれば良かったのだが、30分後に戻れば良いと判断し、ゲンナージと何か食物を捜すため、駅構内を歩き始めた。彼は、夜の駅は治安が悪いので、友人が来るまでは一緒にいてくれるという。僕は、この判断が友人を一晩中心配させることになろうとは思ってもみなかった。
僕にとって、モスクワを訪れるのは5年振りだった。前回は、91年の冬に友人の家に滞在した。僕の友人はオレクという名前で、僕よりも二つ年上だった。彼との出会いは86年にまで遡る。当時、僕の家族はモスクワで生活していた。父がモスクワ日本人学校の教師だったのだ。滞在期間は3年間だった。オレクの父親セルゲイは、日本人学校で働く職員だった。そんなわけで、家族ぐるみの付き合いが始まったのだ。
今、僕が降り立ったモスクワの姿は、すっかり変貌していた。キオスクにはポルノ雑誌が並び、共産主義のスローガンの替わりに、西側企業の広告がひしめいていた。キオスクの品揃えは昔よりは増えていたが、秩序がなくなってしまった感じがした。
■駅の夜
ゲンナージが、サシースキー(ウインナーソーセージ)をご馳走してくれた。腹が減っていたせいか、とても美味しい。時刻が零時になるので、僕たちはさきほどのホームに戻ったが、友人は姿を見せなかった。どうやら行き違いになってしまったのかもしれない。
これだけの人が行き来する駅では、友人の姿を探すのは不可能に近かった。ゲンナージは、僕を連れて待合室などを捜してくれたが、やはり友人とは会えなかった。もしかしたら、テレグラムが届いていない可能性もあるので、友人宅に電話をするが、応答はなかった。恐らく、駅に来ているのだろう。時計の針は午前1時30分を指している。
明朝、ゲンナージは出張先に出向かなければならなかったのに、最終のメトロ(地下鉄)を逃してしまった。僕はゲンナージに謝った。大事な出張なのに、僕に付き合わせてしまっているのだ。そんな時、ゲンナージはいつもウィンクをして、「気にするなよ、シン」と言ってくれるのだ。
僕達は駅前の地下道の入口に腰掛けて、友人の車が来るのを待っていた。しかし、集まってくるのは白タクのドライバーだけだった。やがて、午前2時を回った頃から、派手なボディコンに身を包んだ娼婦がどこからか集まってきた。彼女達は、信号で停車する車に歩み寄り、誘惑のまなざしを投げ掛けている。中には彼女達を目当てに来ている連中もいて、そうした車は決まってドイツ製の高級車だった。乗っているのは金持ちのロシア人だ。僕がモスクワに住んでいた頃、ドイツ製の高級車といえばモスクワ在住の外国人が乗っているだけだったのに、今ではリッチなロシア人が乗り回している。娼婦はやがて車と共に闇に消えていった。
深夜の駅周辺には酔っ払いも多かった。国境警備隊の制服でバシッときまったゲンナージと、日本人バックパッカーの組み合わせは奇妙だったかもしれない。何人もの酔っ払いが僕に絡もうとするが、ゲンナージが追っ払ってくれた。そこへ、しらふの男が一人、僕達に話しかけてきた。その男は、以前バルト三国のエストニアに駐留する国境警備隊にいたそうで、同志であるゲンナージに声をかけてきたのだ。
夏とはいえ、深夜のモスクワの街はだんだんと冷え込んできた。僕とゲンナージは、この元国境警備隊員といっしょに、ウォトカを飲んで暖まることにした。
ウォトカはもちろん一気飲みだった。キオスクでもらったプラスチックのコップに、ウォトカを注ぎ、一気に飲み干す。そして、すぐに黒パンを胃に入れるのだ。はじめにゲンナージが手本を見せてくれ、エストニアにいた国境警備隊の男がそれに続いた。まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった。ここで一気飲みをして、つぶれてしまったら大変だ。しかし、彼らに勧められるまま、一気飲みを強行。ゲンナージが『よくやった』とうれしそうに黒パンを差し出す。僕はたまらずにそれを飲み込んだ。ロシアのウォトカに、喉が焼けるかと思った。
やがて、旅人や酔っ払いで溢れていた駅も、午前3時を過ぎて、ようやく静かになってきた。駅構内を回転灯をつけた散水車が走り、ゴミを隅へ飛ばした。そして、清掃係の人が、それらを集めていった。
ウォトカが効いたのか、僕は睡魔に襲われた。僕の友人の車はいっこうに現れない。ゲンナージが眠気を覚ますため、一緒に歩こうと言って、その辺を散歩した。そして、三人でいろいろな話をした。
「シン、日本の軍人は給料いくらをもらっているんだ?」
「詳しくは知らないが、様々な特典がある」
「日本には徴兵制度はあるのか?」
「ない。あったら困る。僕は絶対拒否だ!」
「お前は結婚しているのか?」
「まだだ。学生だし、相手もいない」
「シン、俺は今度パパになるんだ!」
「それはおめでとう!」
僕達は、友人の車を待ち続けた。やがて、だんだんと空が白んできた。明るくなってくると、強烈な睡魔は去っていくような気がした。
■モスクワの友人
ヤロスラブリ駅は、早朝にも関わらず、また活気を取り戻しはじめた。この辺りは鉄道のターミナルだった。ヤロスラブリ駅の隣はオクチャブリ駅、そして通りを挟んでカザン駅があるので、人の往来が激しいのだ。
ゲンナージが言った。「シン、君の友達はもう起きてるかもしれないから、電話してみようか」僕達は電話ボックスに向かった。ゲンナージが受話器を取り、友人宅の電話番号をダイヤルする。つながった。彼は、手短に用件を話し、僕に替わった。受話器からセルゲイさんのなっかしい声が聞こえた。「さてと。これで全て安心だ。シン。これから先も気を付けて旅をしろよ。まだ君はバルトや東欧に行くのだから。ここで待っていれば君の友達はやってくるそうだ。それじゃな」
ゲンナージは鞄を持って、立ち去ろうとした。僕は彼の連絡先を知りたかった。
「写真ができたら送りたい。アドレスを教えて欲しい」
「僕のアドレスは教えられないよ。僕へ連絡するときは、チュメニのイリーナに言ってくれ。彼女は僕のアドレスを知っているから」
僕は彼に感謝したかったので、穴の開いた五円玉をプレゼントしようとした。「これ日本のコインなんだけどお土産に・・」しかし、彼はそれを制するように、「君からお金の類いを受け取るつもりはないんだ」と言って、また、鞄を持ち直した。彼は帽子を被ってきりりとした顔をしている。これから徹夜明けのままで、出張先に出向くのだ。「ありがとう。ほんとうに。さようなら」。ゲンナージは、そう言う僕にウィンクして、朝の光の中、メトロの駅の雑踏に消えていった。
僕は感激していた。そして、ウラジオストクでお婆さんが言っていた言葉を噛みしめていた。僕は沢山のロシア人に出会い、ここまで辿り着いたのだ。「シン。心配したぞ。チュメニからの電報にはびっくりしたよ。駅の構内放送まで流して君を捜したんだ。もう駅と家を何回も往復してしまったよ。ガーリャは本当に心配して大変だったんだよ。警察にも連絡して、日本人が保護されてないか訊いたんだ。今のモスクワは君が住んでいた頃とは違うんだから、これからは気をつけろよ。それから、オレクだけど、恋人とダーチャへ行って、収穫に負われている。帰ってきたら、リンゴを沢山食べられるよ」
セルゲイさんは、僕を見つけるなり抱き付いて、一気に話した。そして、疲れているはずなのに、僕の荷物を担いで車に案内してくれた。運転席に座り、セルゲイさんはいっものサングラスをかけ、キーを差し込んだ。僕を乗せた国産車は、唸り声をあげてモスクワの街に向かった。
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