2004/09/29 - 2004/10/15
290位(同エリア620件中)
タケさん
「ナマステ(こんにちわ)」!!
JICA(国際協力機構)のシニア海外ボランティアとしてカンボジアに滞在中
(2003年~2005年)、ネパール・カトマンズで開催された自然災害セミナーで、
「カンボジアの洪水とその対応状況」を報告した後、その一環で実施された地質の
宝庫 ポカラでの野外セミナー(地質踏査)に参加した。万年雪をいただく標高
8,000m級のヒマラヤ連山を眺めながら、数日間歩いて体験した現地の模様を
報告する。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- ネパール航空
- 旅行の手配内容
- その他
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[ヒマラヤ連山を臨みながら、期待に胸をときめかせてカトマンズ空港へ]
カトマンズ空港でビザを取得。10月のカトマンズは1年で最も過ごしやすい時期とかで、半袖で暑くも寒くもない気候だった。 -
[ネパールの地図と国旗]
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[洪水被害の実態報告-1(カトマンズでのセミナー)]
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[洪水被害の実態報告-2(カトマンズでのセミナー)]
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[洪水被害の実態報告-3(カトマンズでのセミナー)]
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[洪水被害の実態報告-4(カトマンズでのセミナー)]
例年雨季には、メコン川とサップ川との合流地点(プノンペン)で水位が乾季より10m ほど上がる(次図参照)が、カンボジアの地元人は毎年の恒例行事のような感覚で過ごしている(洪水被害とは考えていない)。
* バングラデシュの講師による洪水対策の講習で話のあった「Live with Flood」(洪水を敵視するのでなく、共に生きよう)という表現が特に印象に残った。 -
[合流地点での月別・年度別水位変動図(カトマンズでのセミナー)]
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[カトマンズからポカラへバスで移動-1]
至る所で土石流跡が見られた。 -
[カトマントズからポカラへバスで移動-2]
土石流をくい止める石積堰堤。 -
[カトマントズからポカラへバスで移動-3]
復旧中の土石流跡。 -
[カトマントズからポカラへバスで移動-4]
周辺の民家。 -
[アンナプルナ山系(最高標高8,091m)を臨みながら進む]
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[ポカラ地質踏査に出発]
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[カリ・ガンダキ谷筋をさかのぼって北上]
カリ・ガンダキ谷は、かつてインドとチベットを結ぶ交易路であったジョムソン街道の一部で、チベットに源を発するカリ・ガンダキ川が刻んだ大渓谷である。 -
[急峻なカリ・ガンダキ谷筋の崖面に沿って進む]
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[トリブバン大学の地質の先生たちを含む地質踏査参加者と]
更に高地に向かうため、数人のポーターと数頭の馬を雇い入れる。 -
[足を痛めたため、馬に乗って移動]
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[大きな荷物を担いで進むポーターたち-1]
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[大きな荷物を担いで進むポーターたち-2]
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[ひと休み]
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[地質状況-1]
ヒマラヤ山系の基盤を成す黒色石灰岩の層理の傾きや、大規模な褶曲構造が、また氷河流の堆積層さらには地すべり災害跡地が随所に見られる。 -
[地質状況-2]
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[地質状況-3]
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[地質状況-4]
教科書さながらの大きな褶曲構造が見てとれる。
世界の屋根 ヒマラヤ山系 がインド大陸移動による造山運動によって出来上がり、 未だに隆起しつつある ということが納得できる。 -
[大規模な山崩れ跡]
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[標高3,800mのヒンズー教の聖地ムクチナート]
ムクチナート近辺ではアンモナイトの化石がよく見つかり、幾つか採取。 -
[採取したアンモナイトの化石]
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[ムクチナートにて-1]
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[ムクチナートにて-2]
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[ムクチナートにて-3]
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[アンナプルナ山系-1]
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[氷河跡]
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[急峻な谷筋に架かる吊り橋-1]
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[急峻な谷筋に架かる吊り橋-2]
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[聖地ムクチナートへ向かう女性信者たち]
背中に炊事道具を背負っている。 -
[冷たい雪解け水の流れる川を渡る-1]
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[冷たい雪解け水の流れる川を渡る-2]
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[谷筋で見られた河流跡]
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[ある集落にて]
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[何度も狭い吊り橋を渡る-1]
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[何度も狭い吊り橋を渡る-2]
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[何度も狭い吊り橋を渡る-3]
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[何度も狭い吊り橋を渡る-4]
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[河で沐浴する女性-1]
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[河で沐浴する女性-2]
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[一面に広がる紅色の蕎麦畑]
ネパールでは、麺としてではなく団子にして食べる。 -
[はしゃぐ小学生たち]
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[小学校の先生]
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[青空市場-1]
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[アンアプルナ山系-2]
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[途中で見掛けた幼児]
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[青空市場-2]
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[途中の集落]
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[制服を着た生徒]
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[路上でゲームに興じる子供たち]
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[山岳博物館にて雪男の模型と]
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[川口慧海(エカイ) 記念館にて]
川口慧海は黄檗宗の僧侶で、仏教学者にして探検家。梵語の原典とチベット語訳の仏典を求めて、明治時代に日本人として初めて苦闘の末チベット・ラサへの入国を果たす。
当記念館は、彼が途上で一時滞在したところ。 -
[草を食むヤク]
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[ヤクのチーズとビスケット]
熱いミルクティーとチーズは、コクがあって美味しかった。 -
[ネパールの踊り子-1]
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[ネパールの踊り子-2]
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[雲海の彼方のアンナプルナ山系をバックに(ポカラにて)]
一番高く見える尖がった山はマチャプチャレ山(「魚の尻尾」の意,標高=6,993m)。 -
[パトロールする武装警官-1]
当時の王政打倒を掲げるマオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)が武装闘争を始めており、あらゆる所で警戒する警官の姿が見られた。トレッキング中 数ヵ所で身分証明書のチェックを受けた。 -
[パトロールする武装警官-2]
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[T-シャツを誂え中(ポカラにて)]
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[コブラ使い(ポカラにて)]
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[ポカラ空港でアンナプルナ山系を臨む]
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[いつも人通りが絶えないダルバール広場(旧王宮前広場)のシヴァ寺院(カトマントズ)]
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[ダルバール広場にて]
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[クマリの館]
女神クマリの化身として崇拝される少女が住む。残念ながら、この時は顔を見られな かった。 -
[カトマントズの街中-1]
カトマンズの第一印象は人(インド人に似た顔形の)がやたらに多くて、道路が極端に 狭いということだった。空港で待っているタクシーも全て超小型で、後ろの座席に2人乗せるのが精一杯という感じで、おまけに古いためホテルへの坂道は人ごみを除けながら今にもエンストするかというぐらいあえぎあえぎ登って行く状態。ちなみに車は日本と同じ左側通行。 -
[カトマンズの街中-2]
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[五体投地をしながら聖地へ向かって進む 敬虔なチベット仏教徒の男性]
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[カトマンズ盆地を一望できる丘の上にある ヒマラヤ最古の寺院と言われるスワヤンブナート]
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[マニ車を回してお祈り]
内部にはロール状の経文が納められており、回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされている。 -
[お土産用のミニ・マニ車]
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[カトマンズ市内の土産物店]
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[カトマンズ市の街角にて]
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[遊園地]
終着のベニ集落(標高830m)まで今回のトレッキング全体の歩行距離は平面距離 で100kmあまり、標高差約3,000m。後半は足の豆が破けそうになり歩き辛かった が、心配された高山病に罹ることも無く、また反政府組織のマオイストに出会うことも無く済んだのは幸いだった。
各地で常に見られたダウラギリ,ツクチエピーク・アンナプルナ山峰等
7,000~8,000m級の白銀を戴いた山々の雄大なながめは素晴らしく、このせいでネパールに住んでいる人たちの心は寛大ではないかと想像されるほどである。タトペニ集落で夜と朝に浸かった温泉(混浴で女性はサリーを着たまま入浴)は疲れて冷えた身体によい刺激を与えてくれた。
なお楽しみにしてポカラで予約しておいたエベレストへのマウンテンフライト(カト マンズ空港から約1時間の遊覧飛行)は、直前になって天候不良のため中止となり、残念ながら断念せざるを得なくなった。
また行き帰りに利用したロイヤルネパール航空は遅れるのが当たり前と聞いてい て、行きはカトマンズ空港に一時間半ほど遅れて到着したが、帰りも積み込み荷物の トラブルがあり、案の定一時間ほど遅れて出発し、次の乗り継ぎ時間に間に合うかヤキモキさせられた。
ともあれ、今回のトレッキングでネパールが地質学上の宝庫であることを実感でき 、当地はまさに生きた教科書であることが分かった。
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