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<br />私達の旅行時(2013年)は、まだテロを恐れることなく観光できました。<br /><br />先ずはチュニジアの旅行記を掲載するにあたり、チュニス「バルドー博物館」でテロ<br />の銃弾に倒れ、犠牲となられた日本人3人を含む世界の観光客やチュニジア人の方々に、<br />心よりお悔やみ申し上げます。<br /><br />あらためて私にとっての「旅行」とは何か…。再度、自分自身に問ってみました。<br />テロの危険が身近になった今… 私にとっての旅行とは… それでもやはり見知らぬ街<br />や景色に感動し、驚き、その一瞬一瞬を心に残してゆきたい。。。 <br />それは、私にとっての心の洗濯であり、仕事をするためのエネルギーであり、何より生<br />きていくエネルギーなんです。<br /><br />今回のテロにより多くの犠牲者に心より謹んで哀悼の意を表します。<br />こんな悲しい事件が起きないことを願うばかりです。<br /><br /><br /><br />○*:.。..。.。o○*:.。..。.。o○*:.。..。.。o○*:.。..。.。o○*:.。..。.。o○*<br /><br /><br /><br /><br />さて…チュニジアのカルタゴに向います<br /><br />チュニスの北東12kに位置するカルタゴの町、現在は閑静な住宅地です<br />ここは今から2300年の昔、地中海の女王と呼ばれた海洋国家カルタゴの本拠地でした<br /><br />ビュルサの丘にまつわる古代エリッサ女王の伝説はあまりにも有名ですが、カルタゴで<br />は歴史と共にさまざまな文明が盛衰していきました。<br />カルタゴを築いたフェニキア人は現在のレバノン周辺に住んでいた海の民で船を巧みに<br />操り海上交易で発展し地中海の各地に都市国家を築きました。<br />その中でも地中海の中心に位置し、海上貿易に有利だったカルタゴが最も繁栄しました。<br />カルタゴの勢力は絶大でローマに対し不利な不平等条約を交わす無敵の海洋国家でした。<br /><br />しかし、ローマは着実に勢力を増しイタリア半島を統一を成し遂げ、これ以上カルタゴ<br />の言いなりにはならない!こうしてローマは地中海の覇者としてのカルタゴと衝突に至<br />りました。ローマが海を越えて初めての戦いポエニ戦争。<br /><br />ローマの前に立ちはだかったのは天才戦略家ハンニバルはアルプス越えイタリア本土に<br />入り包囲殲滅戦術で次々にローマ軍を破り勝利します。<br /><br />その頃に登場するのがローマの若き名称スキピオ。スキピオ軍は直接ハンニバルと戦う<br />のではなくヒスパニアそしてカルタゴを攻める。(これはイタリア本土からハンニバル<br />を追い出すスキピオの戦略だったとか…)<br />カルタゴは危機を感じハンニバルをイタリア本土から呼び戻し、そしてスキピオ軍とは<br />ハンニバル軍はカルタゴの本拠地「ザマの地」で戦うことになりました。<br /><br />この時、スキピオ(ローマ軍)はハンニバル(カルタゴ軍)が得意としていた包囲殲滅<br />戦術を逆に使い勝利。遂に第3次ポエニ戦争でも敗れたカルタゴは紀元前146年に滅亡。<br /><br />カルタゴの街は徹底的にローマにより破壊され焼き尽くされました。<br />が、紀元前29年ローマ帝国がカルタゴを再建されます。<br />カエサルがその計画を立て、初代ローマ皇帝アウグストゥスが着手しました。<br />こうしてカルタゴはローマの支配下で属州アフリカにおけるもっとも重要な都市になり<br />ました。現在チュニジアに残る遺跡の殆どはローマが再建した遺跡だそうです。<br /><br /><br /><br />●―――7日目(5月15日)―――●<br /><br />08:00  チュニジア・チュニス入港<br />     <br />○カルタゴの遺跡観光<br />○シティ・ブ・サイド散策<br /><br /><br />17:00  チュニジア・チュニス出港

2013年 MSCプレチオーサで行く西地中海クルーズ♪  アフリカ チェニス(その6)

36いいね!

2013/05/09 - 2013/05/19

43位(同エリア385件中)

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まま

ままさん


私達の旅行時(2013年)は、まだテロを恐れることなく観光できました。

先ずはチュニジアの旅行記を掲載するにあたり、チュニス「バルドー博物館」でテロ
の銃弾に倒れ、犠牲となられた日本人3人を含む世界の観光客やチュニジア人の方々に、
心よりお悔やみ申し上げます。

あらためて私にとっての「旅行」とは何か…。再度、自分自身に問ってみました。
テロの危険が身近になった今… 私にとっての旅行とは… それでもやはり見知らぬ街
や景色に感動し、驚き、その一瞬一瞬を心に残してゆきたい。。。 
それは、私にとっての心の洗濯であり、仕事をするためのエネルギーであり、何より生
きていくエネルギーなんです。

今回のテロにより多くの犠牲者に心より謹んで哀悼の意を表します。
こんな悲しい事件が起きないことを願うばかりです。



○*:.。..。.。o○*:.。..。.。o○*:.。..。.。o○*:.。..。.。o○*:.。..。.。o○*




さて…チュニジアのカルタゴに向います

チュニスの北東12kに位置するカルタゴの町、現在は閑静な住宅地です
ここは今から2300年の昔、地中海の女王と呼ばれた海洋国家カルタゴの本拠地でした

ビュルサの丘にまつわる古代エリッサ女王の伝説はあまりにも有名ですが、カルタゴで
は歴史と共にさまざまな文明が盛衰していきました。
カルタゴを築いたフェニキア人は現在のレバノン周辺に住んでいた海の民で船を巧みに
操り海上交易で発展し地中海の各地に都市国家を築きました。
その中でも地中海の中心に位置し、海上貿易に有利だったカルタゴが最も繁栄しました。
カルタゴの勢力は絶大でローマに対し不利な不平等条約を交わす無敵の海洋国家でした。

しかし、ローマは着実に勢力を増しイタリア半島を統一を成し遂げ、これ以上カルタゴ
の言いなりにはならない!こうしてローマは地中海の覇者としてのカルタゴと衝突に至
りました。ローマが海を越えて初めての戦いポエニ戦争。

ローマの前に立ちはだかったのは天才戦略家ハンニバルはアルプス越えイタリア本土に
入り包囲殲滅戦術で次々にローマ軍を破り勝利します。

その頃に登場するのがローマの若き名称スキピオ。スキピオ軍は直接ハンニバルと戦う
のではなくヒスパニアそしてカルタゴを攻める。(これはイタリア本土からハンニバル
を追い出すスキピオの戦略だったとか…)
カルタゴは危機を感じハンニバルをイタリア本土から呼び戻し、そしてスキピオ軍とは
ハンニバル軍はカルタゴの本拠地「ザマの地」で戦うことになりました。

この時、スキピオ(ローマ軍)はハンニバル(カルタゴ軍)が得意としていた包囲殲滅
戦術を逆に使い勝利。遂に第3次ポエニ戦争でも敗れたカルタゴは紀元前146年に滅亡。

カルタゴの街は徹底的にローマにより破壊され焼き尽くされました。
が、紀元前29年ローマ帝国がカルタゴを再建されます。
カエサルがその計画を立て、初代ローマ皇帝アウグストゥスが着手しました。
こうしてカルタゴはローマの支配下で属州アフリカにおけるもっとも重要な都市になり
ました。現在チュニジアに残る遺跡の殆どはローマが再建した遺跡だそうです。



●―――7日目(5月15日)―――●

08:00  チュニジア・チュニス入港
     
○カルタゴの遺跡観光
○シティ・ブ・サイド散策


17:00  チュニジア・チュニス出港

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
友人
交通手段

PR

  • 7世紀の都市形成から多くの建造物を残し、チュニスの人の生活を見守ってきた旧市街。<br />14世紀からその姿をほとんど変えず、中世イスラムの街並を見て、ここがアフリカの地なんだと ただただ感動!!<br />

    7世紀の都市形成から多くの建造物を残し、チュニスの人の生活を見守ってきた旧市街。
    14世紀からその姿をほとんど変えず、中世イスラムの街並を見て、ここがアフリカの地なんだと ただただ感動!!

  • 地中海の覇権をめぐってローマと激しい戦闘をし滅ぼされ、そして再びローマの植民地として繁栄した<br />アフリカ大陸北部の「カルタゴ」の歴史館に着きました。<br />

    地中海の覇権をめぐってローマと激しい戦闘をし滅ぼされ、そして再びローマの植民地として繁栄した
    アフリカ大陸北部の「カルタゴ」の歴史館に着きました。

  • カルタゴの遺跡跡の模型

    カルタゴの遺跡跡の模型

  • 水差し 怪訝全7世紀頃<br />哺乳瓶 紀元前4世紀頃<br /><br />カルタゴはエジプトやギリシャなどの影響を受け高い生活水準を誇りました<br />遺跡からの出土品がそれを物語っています

    水差し 怪訝全7世紀頃
    哺乳瓶 紀元前4世紀頃

    カルタゴはエジプトやギリシャなどの影響を受け高い生活水準を誇りました
    遺跡からの出土品がそれを物語っています

  • チュニジアには、古代ローマ時代の遺跡が今でも綺麗に残っています。

    チュニジアには、古代ローマ時代の遺跡が今でも綺麗に残っています。

  • 顔の彫刻はローマ人のようです。

    顔の彫刻はローマ人のようです。

  • 【カルタゴの遺跡のモザイク】<br /><br />ローマの邸宅や浴場などに好んで使われたモザイクは細かい石やガラスなどで絵を造る手法で作られています<br /><br />イタリアで発掘されるモザイクとチュニジアで発掘されたモザイクは色が違い、チュニジアモザイクは色彩が豊かです。<br />例えば 男性は濃い色、女性は白で作られています。多彩な色で表現できたのはチュニジアではいろんな色の石が取れたからだそうです。<br /><br />

    【カルタゴの遺跡のモザイク】

    ローマの邸宅や浴場などに好んで使われたモザイクは細かい石やガラスなどで絵を造る手法で作られています

    イタリアで発掘されるモザイクとチュニジアで発掘されたモザイクは色が違い、チュニジアモザイクは色彩が豊かです。
    例えば 男性は濃い色、女性は白で作られています。多彩な色で表現できたのはチュニジアではいろんな色の石が取れたからだそうです。

  • 古代ローマ時代の遺跡でしょうか…<br />美術室にあった彫刻のようです

    古代ローマ時代の遺跡でしょうか…
    美術室にあった彫刻のようです

  • カルタゴは、チュニジアの首都チュニスの郊外、地中海を望む遺跡です。<br />紀元前9世紀、海洋民族のフェニキア人がこの地に都市国家を築いたのが始まりで<br />その後カルタゴは地中海貿易を独占し覇権を握り、ローマと衝突、カルタゴの街は<br />ローマによって全滅させられ、そして再びローマによって再建されました。

    カルタゴは、チュニジアの首都チュニスの郊外、地中海を望む遺跡です。
    紀元前9世紀、海洋民族のフェニキア人がこの地に都市国家を築いたのが始まりで
    その後カルタゴは地中海貿易を独占し覇権を握り、ローマと衝突、カルタゴの街は
    ローマによって全滅させられ、そして再びローマによって再建されました。

  • 【ビュルサの丘】<br /><br />海を見下ろす高台の上に遺跡があります。<br />この地はカルタゴの中心地だった場所、カルタゴはローマの建国より60年も昔の紀元前814年フェニキア人の王女エリッサが建設したと神話では伝えられています。

    【ビュルサの丘】

    海を見下ろす高台の上に遺跡があります。
    この地はカルタゴの中心地だった場所、カルタゴはローマの建国より60年も昔の紀元前814年フェニキア人の王女エリッサが建設したと神話では伝えられています。

  • わ〜い!ここはアフリカの地。チュニジアの首都チュニス<br />地中海を望む遺跡です。<br />

    わ〜い!ここはアフリカの地。チュニジアの首都チュニス
    地中海を望む遺跡です。

  • 【アントニヌスの共同浴場(チュニス)】<br /><br />ローマ人にとって欠かせなかった共同浴場は五賢帝の一人アントニヌス・ピウスによって地中海に面して造られました。<br />これはローマ帝国全土でで3番目の大きさです。広いです。大きいです。

    【アントニヌスの共同浴場(チュニス)】

    ローマ人にとって欠かせなかった共同浴場は五賢帝の一人アントニヌス・ピウスによって地中海に面して造られました。
    これはローマ帝国全土でで3番目の大きさです。広いです。大きいです。

  • 公共浴場<br /><br />温水風呂や水風呂やサウナや休憩室やトイレなど、100以上の部屋があり、2階建てで様々な浴槽があり野外プールや運動場も併設さた一大レジャー施設のようだったそうです。<br />ローマ人はお風呂大好き人間だったんですね。日本人と似ていますね♪

    公共浴場

    温水風呂や水風呂やサウナや休憩室やトイレなど、100以上の部屋があり、2階建てで様々な浴槽があり野外プールや運動場も併設さた一大レジャー施設のようだったそうです。
    ローマ人はお風呂大好き人間だったんですね。日本人と似ていますね♪

  • 現在カルタゴに残る遺跡の公共浴場、巨大な貯水池などは、アフリカのローマとして再生されました

    現在カルタゴに残る遺跡の公共浴場、巨大な貯水池などは、アフリカのローマとして再生されました

  • チュニスは中世の雰囲気をそのままの町で狭い石畳の通路の両脇には多種多様の<br />商店がずらりと並び、地元の人や観光客がいっぱいで活気がありました。

    チュニスは中世の雰囲気をそのままの町で狭い石畳の通路の両脇には多種多様の
    商店がずらりと並び、地元の人や観光客がいっぱいで活気がありました。

  • 老舗のカフェ「シティブナッド」<br /><br />エキゾチックな旅情はさらに高まります<br />

    老舗のカフェ「シティブナッド」

    エキゾチックな旅情はさらに高まります

  • 老舗のカフェ「シティブナッド」の名粒松の実たくさんのミントティー<br />少し甘く、疲れが取れる飲み物です。

    老舗のカフェ「シティブナッド」の名粒松の実たくさんのミントティー
    少し甘く、疲れが取れる飲み物です。

  • 老舗カフェでパチリッ!

    老舗カフェでパチリッ!

  • 観光客目当てのみやげ物屋や雑貨店などがあり、金銀細工、衣料品などの専門店街<br />が立ち並び、歩きながら見ているだけでもワクワクします。<br />

    観光客目当てのみやげ物屋や雑貨店などがあり、金銀細工、衣料品などの専門店街
    が立ち並び、歩きながら見ているだけでもワクワクします。

  • スークと呼ばれる市場は地元の人や観光客で賑わっていました

    スークと呼ばれる市場は地元の人や観光客で賑わっていました

  • スークから脇にそれ路地に入ると、白い壁に地中海のようなチュニジアンブルーと呼ばれている鮮やかなドアや窓枠<br />美しいけどどこか閉鎖的に窓飾りがあるのはイスラムの教えに則って女性たちを外の視線から守るための配慮だそうです。<br />

    スークから脇にそれ路地に入ると、白い壁に地中海のようなチュニジアンブルーと呼ばれている鮮やかなドアや窓枠
    美しいけどどこか閉鎖的に窓飾りがあるのはイスラムの教えに則って女性たちを外の視線から守るための配慮だそうです。

  • チュニスの旧市街<br /><br />街全体がチュニジアンブルーで飾り扉が美しい…<br />こんなに穏やかで美しい地に立ち「世界が平和であれ」と心から願うばかりです

    チュニスの旧市街

    街全体がチュニジアンブルーで飾り扉が美しい…
    こんなに穏やかで美しい地に立ち「世界が平和であれ」と心から願うばかりです

  • そろそろ船に戻る時間です…<br /><br />チュニジアシティブサイド青い空と地中海。。。その青に負けないオフホワイトの建物に目にも鮮やかなチュニジアンブルーの美しい飾り扉。<br /><br />そんなエキゾチックで美しいこの地に再び訪れ、チュニジアの歴史にもっともっと触れたいと思う。。。。<br /><br />どうかどうかテロの無い平和な世界になりますように。。。<br />

    そろそろ船に戻る時間です…

    チュニジアシティブサイド青い空と地中海。。。その青に負けないオフホワイトの建物に目にも鮮やかなチュニジアンブルーの美しい飾り扉。

    そんなエキゾチックで美しいこの地に再び訪れ、チュニジアの歴史にもっともっと触れたいと思う。。。。

    どうかどうかテロの無い平和な世界になりますように。。。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • 川岸 町子さん 2018/03/10 23:38:48
    綺麗です~(@⌒ー⌒@)
    ベティーままさん、おばんでした☆

    綺麗です!チュニジアの街や青色ではなくて、ベティーままさんがです~(*^▽^*)
    若々しくて、素敵な笑顔に魅かれます。

    テロの無い世界の平和を祈りながら、歩かれていらしたのですね。
    ジャスミン革命が終わり、ようやく頑張っていこうと歩き出した途端の、バルドー博物館のテロは、本当に悲しくなりました。日本人の親子さまも犠牲になられ、言葉になりません。
    バルドー博物館は素晴らしい博物館で、展示を改善するために、今後手を加えたりするのだろうなと思う所でした。テロのせいで、沢山の人の思いがつぶされてしまったようで、切なくなります。
    いつか、もっと平和になった頃、ベティーままさんが訪れることがあれば、新しいチュニジアを見せて頂きたいです(^-^)
                            町子

    まま

    ままさん からの返信 2018/03/12 12:42:34
    RE: 綺麗です?(@⌒ー⌒@)
    町子しゃん 
    メッセージありがとうございます。すっごく嬉しいです(*^-^*)

    > 綺麗です!チュニジアの街や青色ではなくて、ベティーままさんがです?(*^▽^*)
    > 若々しくて、素敵な笑顔に魅かれます。

    あちゃ〜!あの当時から5年も過ぎ…50代でした(いま思えば50代は未だ々若いね!)60代になってから顔も体もオバサン全開です。もう止められません。顔出しに限界を感じ、今では遠目から写すしかない状態です(-_-;) ん?サングラスって手もあるね(笑)

    > テロの無い世界の平和を祈りながら、歩かれていらしたのですね。
    > ジャスミン革命が終わり、ようやく頑張っていこうと歩き出した途端の、バルドー博物館のテロは、本当に悲しくなりました。日本人の親子さまも犠牲になられ、言葉になりません。

    そうだよね。。。テロとか悲しいよね。
    町子さんの訪れた30年前(ぎゃ!素敵〜)は、テロなんてなかったんですものね。
    それにしても若い時に旅に出たのは宝物だね。゚☆。゚ 若さってお金なくても楽しむ力があるしね。。(((uдu*)ゥンゥン

    > バルドー博物館は素晴らしい博物館で、展示を改善するために、今後手を加えたりするのだろうなと思う所でした。テロのせいで、沢山の人の思いがつぶされてしまったようで、切なくなります。
    > いつか、もっと平和になった頃、ベティーままさんが訪れることがあれば、新しいチュニジアを見せて頂きたいです(^-^)

    私の場合、町子さんのように冒険者じゃないので安全遅滞だけをウロウロしてるけど…それでも危険な目にあったりする可能性はあるしね…(-_-;)
    町子さんやるなさん達の旅行記を見てると
    おぉ!地元の人みたいな旅www経験してみてーーっ!!なんて思っちゃうわ。

    ベティーまま

    まま

    ままさん からの返信 2018/03/12 13:27:05
    RE: RE: 綺麗です?(@⌒ー⌒@)

    訂正

    安全遅滞  →  安全地帯 ( ´艸`)ぷっ!
  • salsaladyさん 2016/02/22 10:32:45
    コバルトブルーの空と地中海はここにも。。。
    ☆サントリーニ島にも似たタイトル写真?に思わずページをめくり。。。

    チュニスにもギリシャの雰囲気が色濃く残っていますね!

    今、世界は第II次宗教戦争とも云える不穏な時代に差し掛かっていますが、自然は如何なる闘争にも関わらず、愚かな人間の抗争を静かに見守っている状態と云えるでしょうか?

    地球は一つ、余命も少ないのに何故人々は目の前の私利私欲に突き動かされてばかりなのか。。。【人間と云うより男の本能?】

    ☆それでも、旅好きな人はアクシデントを恐れず世界を旅するのです!加油!

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