2015/05/15 - 2015/05/15
90位(同エリア452件中)
クッキーさん
福山駅前からバスに乗り、鞆の浦に向かいました。
鞆の浦といえば「崖の上のポニョ]のモデルになった街です。
ネットで検索すると、情報がたくさん出てきました。半日の散策ですが、歩けるだけ歩いてみようと思います。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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土日祝日にはボンネットバス(多分猫バス)も走っているそうなのですが、もうじゅうぶん大人なんだから、こだわる必要もありません。
ポニョとか、猫バスとか・・知らない人のほうが多いかも。
途中の車窓から。 -
ネットからダウンロードした鞆の浦の地図。
とても役に立ちました。 -
もう2時半を回っています。
バスを降りて海岸方面に歩き、対潮楼へ。 -
石畳の坂道。
石垣がいい味を出しています。 -
石垣の上に見えているのは石灯籠でしょうか。
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対潮楼は、海岸山千手院福禅寺の本堂に隣接しています。
残念なことに修復中です。 -
対潮楼は、江戸時代の元禄年間(1690年頃)に創建された客殿で国の史跡に指定されています。座敷からの海の眺めは素晴らしく、1711年、朝鮮通信使の李邦彦は「日東第一形勝」と賞賛。1748年、洪景海は「対潮楼」の書を残しています。
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対潮楼からの眺望。
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対潮楼からの眺望。
修復中なので、額縁に入ったような風景にならないのが残念。 -
対潮楼からの眺望。
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対潮楼からの眺望。
仙酔島へ向かっているのは「平成いろは丸」。 -
一応、記しておきましたが・・
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菊の御紋の透かし彫りが施された欄間。
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朝鮮通信使だけでなく、坂本龍馬にまで縁のある地とは思いもよりませんでした。
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朝鮮通信使たちが乗った船の海上パレード。
中学校の教科書では、わずか2行ばかりの記述しかない朝鮮通信使は、実際はこんな風だったんですね。 -
絢爛豪華な船。
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これも通信使の船だったかな。
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福寿堂が見えるようにセットされた望遠鏡から。
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民家の間の細い路地を歩き、
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石畳の三叉路。
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とても目を引く色合いです。
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お向かいの家は、何か謂れのある所のようでしたが記憶がなく、
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右に歩いて石畳の階段を下りていきます。
観光客にはうれしい階段も、日常生活には不便なことも多いでしょう。 -
階段沿いに立つ民家。
普通に生活している方々の家を撮るのは申し訳ない思いもあります。 -
デイケアセンターのようです。
こんな雰囲気なら、おうちに居るようで居心地がよさそう。 -
保命酒保のお店。
瀬戸内海の鞆の浦で誕生した保命酒は江戸時代の初めより醸造された薬味酒(和製リキュール、アルコール分: 14%)で、もち米をベースに作られた甘口のお酒の中に、16種類の薬草を溶け込ませて作られます。日本最古のリキュールとも言われているそうです。 -
建造時のまま残されているのでしょうか。
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入江醸造さん。
現在残っている4件の醸造所のうちの1件です。 -
中の設えも素敵です。
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記憶が薄れていますが、これらは一並びの家屋だったかと。
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近くには、岡本家長屋門(福山城長屋門)を持つ岡本醸造のお店があるらしいのですが、どうも見逃したようです。
明治維新で廃城となった福山城の長屋門の払い下げを受けたものが店構えになっています。
江戸時代初期の福山城の遺構だそうです。
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鞆の津の商家までやってきました。
ちゃんと地図の通りに歩いているつもりが、実際にはフラフラと彷徨っている感じ。
いつものことですが・・・ -
瀬戸内沿岸の各都市は、平安時代の藤原純友の乱に始まって、日宋貿易の港・大輪田泊、村上水軍の活躍などなど、よく歴史に登場するんですね。
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いろは丸事件談判を行うため坂本龍馬が海援隊とともに利用した町家が、宮崎駿監督のデザインにより宿兼カフェとして甦った「御舟宿いろは」。
いろは丸事件とは・・
坂本龍馬は慶応3年4月初旬に海援隊を組織した坂本龍馬は、伊予大洲藩から「いろは丸」を借用し、海運業にのりだしました。
この「いろは丸」が紀州藩「明光丸」と衝突して沈没した事件の補償をめぐって、ここ魚屋萬蔵宅で談判が行われたのです。
龍馬は紀州藩から損害賠償を取り、近代海難裁判の先駆けとなりました。 -
港までやってきました。
ここも、普通に見られるコンクリートの護岸などではありません。 -
丸い湾が、さらに一段くびれたようになっており、その先端に常夜燈が見えています。
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福山藩が1811年に築造した階段状桟橋と、現存する日本一の高さを誇る常夜燈(1869年築)。
遠景にて。 -
入江の先に見えていた細い路地を歩きます。
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思わず感嘆の声を上げるほど素敵な通り。
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ここ鞆の浦には、奇跡的に幕末〜昭和初期の街並みが、広範囲にわたって、そのまま残っているそうです。
鞆街並み保存研修会の調べでは、江戸期の建物が80棟、明治期が91棟、大正・昭和期が301棟あり、このうち保存ずべきは450棟とか。 -
センスよく置かれた一輪挿しが、えも言われぬ味わい。
ここ田渕屋は鞆で油問屋を営んでいた商家をそのままに活用した茶房です。
当時の繁栄を物語る大きな梁や中庭の蔵、台所など、当時の面影に浸りながら田渕屋さん特製ハヤシライスなど軽食・喫茶を食べることができます。
また、スタジオジブリのスタッフさんが泊まったとのことですよ。
(Find Travelから) -
建築には全く詳しくないけれど、
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この一角に見事に残された家々の佇まいは、本当に奇跡のようです。
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お店だったり、普通に民家だったり、
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建て替えの誘惑にも負けず・・・
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こちらのお店は、映画か何かで取り上げられたらしくて、観光客で賑わっていました。
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再び港の方へ。
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白壁に板塀が映えています。
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見惚れてしまいます。
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店先で保命酒をいただけるのかな。
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観光シーズンではないと思っていたのに、平日の午後にも関わらず街歩きを楽しむ観光客がひっきりなしにそぞろ歩き。
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街の人々の観光客への視線が優しくて、カメラを構えていると、自転車で通りがかっても待ってくれていたりします。
穏やかな暮らしをできるだけかき乱したくないのですが。
太田家住宅を見てきた後で気が付いたのですが、ここも多分太田家の一部だと思います。酒蔵部分しょうか。 -
奥に見えてきた港。
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太田家住宅跡。
もとは中村家の住宅です。 -
いろいろ謂れのある住宅のようです。
時間もあまりないので街歩きを優先するかどうか迷ったのですが、見学をすることにしました。 -
中には、ボランティアのガイドさんが待機しており、本当に詳しく説明してくれます。
店土間から奥土間、炊事場へと案内された後、別のグループのガイドさんに引き継がれ、一緒に解説を聞きます。
保命酒が生まれたのは、万治二年(1659年)江戸時代初期。大阪の漢方医の子息、中村吉兵衛が当時鞆の浦で造られていた「吉備のうま酒」というお酒に中国産の生薬をつけこんだのが始まり。 -
このガイドさんは写真を撮ることにおおらかな方。
人によっていろいろです。
プロ並みに詳しく説明して下さるガイドさんからしたら、説明も上の空で、カメラを構えるだけの観光客って失礼ですよね。
でも、3時間、4時間と留まれるならともかく、1時間かそこらで立ち去る観光客にしてみれば、記憶を記録する為にはカメラが頼りなんです。
母屋の中庭。
トイレの手洗いだそうです。この手洗いの素材について、一緒に説明を聞いていたお二方があれこれ話していらっしゃいました。 -
中村家は鎖国時代に、唯一国外に開かれていた港、長崎の出島に薬草の買い付けに行っていましたが、その道すがら、鞆の津に立ち寄り、「吉備のうま酒」と出会ったのです。以降、現太田家住宅の場所で、「十六味地黄保命酒」として醸造をはじめます。
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生活のスペース、リビングですね。
江戸時代、保命酒は福山藩の庇護を受け、備後の特産品として全国にその名を広めました。江戸時代の保命酒は主に公家や上級武士、豪商などに愛好されたそうです。
幕末には、黒船でやって来たペリー提督一行の接待に用いられたことでも有名です。 -
江戸時代が終わると中村家は藩の保護を失い、同時に藩への貸付金を失いました。更に明治4年(1871年)の百姓一揆では暴徒化した農民に襲撃されて大きな被害を受け、専売制の廃止によりライバル業者も次々と出現したのです。
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茶室から中庭を。
明治期に、回船問屋の太田家が受け継ぎ今日に至っています。 -
上の間。
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背中がしゃきっとなるような佇まい。
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上の間から見える中庭。
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大広間から露地庭が見えています。
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露地庭。
この向こう側が港に向かう石畳の通りになります。 -
一枚板の天井・・だったのかな?
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大広間。
太田家住宅が「鞆七卿落遺跡」とも言われているのは、明治維新前夜、尊皇攘夷を主張する三条実美ら7人の公家が、公武合体派に追われ長州に落ち延びる途中、鞆の津に寄港し、ここに(当時、保命酒屋中村屋)滞在したことによるそうです。
三条実美が泊まったのはこの部屋だそうですよ。
でも宿泊したのはわずか数日だったとか。 -
こうして見てみると、ほぼどの部屋からも庭が見えるように造作されていて、贅沢な造りです。
三条実美は、尊皇攘夷派の公家として明治天皇を補佐した太政大臣にもなり、明治維新の立役者の一人だったのです。
太宰府天満宮には「七卿落ち」碑もあるそうです。 -
次の間。
襖の奥の板戸を開けていただくと、隠し階段が見えました。 -
次の間か店の間だったかに、先日テレビで見た招き猫が現れました。
このシミは、建物が地中にある海水を吸収し、水分が蒸発したもので、「海辺の伝統的建造物の宿命」のようなものだそうです。
維持管理費は入館料収入頼みなので、修繕には高額の費用はかけられず、このままでは化け猫にもなりかねないと頭を悩ましているのだとか。
400円の入館料はお値打ちと思える見学でしたよ。 -
露地庭の清楚な趣き。
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酒蔵を見て回る途中、外から中庭を拝見。
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東保命酒蔵と新蔵。
酒造りの道具類、「酒槽」(ふね)と「はね棒」、保命酒貯蔵用の古備前の甕などが所狭しと展示されています。
敷地の半分位が酒蔵のスペースのようでした。 -
釜屋入り口。
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衣類の保管用。
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玄関の間。
ここに座ると港に入港する船も見えるそうです。
店土間の床は瓦製のタイルと漆喰のたたきの千鳥模様になっていたり、店の入り口は跳ね上げ式となっていて、荷車(?)がそのまま入って来れるようになっていたりと、見ごたえがいろいろありました。 -
ガイドツアーの後、もう一度ゆっくり見て回りたくなるようなお宅でした。
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先ほど歩いてきた通りを振り返りながら港へ向かいます。
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常夜燈。
気品が感じられます。 -
「いろは丸」記念館。
江戸時代末期築。鞆の船着場の正面に妻を見せて建つ2階建の土蔵です。現在は、「いろは丸記念館」として、「いろは丸」と坂本龍馬に関する展示施設となっています。 -
仙酔島から戻って、バス停に向かう途中にふと地図を見直すと、見落としていた所がありました。
桝屋清右衛門宅(龍馬の隠れ部屋)です。
「いろは丸」事件の際、坂本龍馬が鞆の浦で滞在した家。
龍馬は紀州藩の暗殺を恐れて、ここの2階の隠し部屋に寝泊りしたそうです。 -
時間はもう遅いので入場はできません。
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対潮楼の前に訪れたら良かったと後悔。
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帰りのバスは渋滞のためか、ひどく遅れ、福山駅に戻ったのは7時過ぎ。
駅の構内で、開いていたレストランでの夕食はたっぷりの野菜サラダ。 -
ランチメニューはリーズナブルですね。
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8時頃にチェックイン。
一人には広すぎるくらいの部屋です。 -
洗面台がおしゃれ。
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リッチモンドホテル。
フロントは2階。 -
入口は表通りには面していませんが、すぐに分かりました。
駅がすぐそこに見える距離なので移動に便利でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- ショコラさん 2015/07/07 22:46:18
- 鞆の浦、行ってみた〜い!
- クッキーさん、こんにちは。
お久しぶりです♪
鞆の浦の旅行記、楽しませていただきました〜。4トラのプロフィールにも書いていますが、鞆の浦は行ってみたい場所のひとつなんです。行きたい、行きたいとずっと思いながら、今だに実現していません……。
港の佇まい、いいですね〜。こういう雰囲気、すごく好みだわ〜。ゆったりと時間が流れている感じがします。こういう場所をのんびりお散歩って、ぜいたくな過ごし方ですね。
鞆の浦の旅、数年以内に実現できるといいなぁ。
ではまた!
ショコラ
- クッキーさん からの返信 2015/07/08 10:25:19
- RE: 鞆の浦、行ってみた〜い!
- ショコラさん、こんにちは。
さほど深く考えもせずに訪れた 鞆の浦でしたが、行ってみて思ったのは、もっと時間を費やせばよかった、ということです。
街歩きも本当に駆け足のようでしたし、予定していた場所の半分にも行けていないと思います。
例えば、倉敷とか萩の、ちょっと整備されすぎた感のある街ではなくて、ヨーロッパの生活感のある裏路地のような雰囲気がいい感じでした。
街も素敵ですが、観光客への街の人の視線が優しいことも感じられました。
こんなに魅力的な街だとわかっていたら、無理をしてでも宿泊したら良かったなあ、と後悔しています。
計画を見直してみると、実際のところ鞆の浦に泊まっても何の差し障りもなかっただけに、返す返す残念です。
引越しの手伝いのついでに訪れるなんて、もったいないことをしましたが、こんな機会でもなければ行かなかったでしょうから、結果オーライだったかもしれません。
ショコラさんなら、きっと鞆の浦の魅力を最大限に味わえると思いますよ。
クッキー
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